1993年デビューのアイドルユニット「ねずみっ子クラブ」のメンバーとして注目を浴び、その後、98年2月から1年間、テレビ朝日系で放送された特撮戦隊ドラマ「星獣戦隊ギンガマン」のギンガピンク・サヤ役で大ブレークした。本日登場の宮澤寿梨(38)さんだ。あれから20年。今、どうしているのか?
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「この10月、新たに芸能事務所『ジョイメーカー』に所属し、10年ぶりに芸能界に復帰しました。タレントというより、お芝居をメインに女優として活動していこうと思ってます」
JR新宿駅南口のカフェ。宮澤さんはこう言うと、クリクリした瞳を輝かせた。
「きっかけは、3年前に特撮『宇宙刑事シャリバン』に主演された渡洋史さんと『救急戦隊ゴーゴーファイブ』ピンクの柴田かよこさんがMCのニコニコ生放送の番組にゲスト出演したことです。想像していた以上に好意的な反響が大きく、すごくうれしかったですね」
それ以来、特撮イベントのゲストに呼ばれることが増え、今年2月末から3月にかけて行われた舞台「春を待つトイレの花子さん」にも出演した。
「改めてお芝居の楽しさを感じ、復帰の後押しをされました。その舞台をプロデュースしたのが現在の所属事務所なんです」
定期的に都内で開催しているのが、戦隊シリーズ俳優陣によるイベント「テキトーナイト」だ。
「『光戦隊マスクマン』レッドの海津亮介さん、『地球戦隊ファイブマン』ブルーの信達谷圭さん、『超電子バイオマン』ピンクの牧野美千子さん、『電磁戦隊メガレンジャー』イエローのたなかえりさん、そして私の5人に、戦隊シリーズに出演されていた方々を毎回ゲストでお呼びして、歌ありトークありでワイワイやってます。次回は、来年1月13日に阿佐ケ谷ロフトAで『テキトーナイト9』の予定です」
■母親が応募して「とんねるずの生ダラ」に
さて、長野県上田市生まれの宮澤さんが芸能界にデビューしたのは、91年から01年まで放送された「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」(日本テレビ系)への出演。
「母親が応募して、番組のワンコーナー『セクシー小学生ゴングショー』に出たんです。それが93年で小6でした」
そして見事に優勝。各回の優勝者を集め、秋元康のプロデュースで結成されたユニットが「ねずみっ子クラブ」。80年代に人気を集めた「おニャン子クラブ」が猫だから、次に当たるのはネズミだろう……との発想からネーミングされたそうだ。
当時はまだ北陸新幹線開業前。都内の芸能事務所に所属し、高校進学まで収録のたびに上田駅から特急で2時間半ほどかけて東京へ通った。
戦隊シリーズ第22作「星獣戦隊ギンガマン」(98年2月~99年2月)のギンガピンク・サヤ役に選ばれたのは、高校2年だった97年秋。ギンガブルー・ゴウキを演じたのは照英だった。
「野外の戦闘シーンや爆破シーンのロケは栃木県岩舟町や神奈川県の城ケ崎が多く、東映大泉撮影所を出発するのが早朝7時前後。それで、照英さんやギンガレッドの前原一輝さんと最寄りの大泉学園駅前の松屋で腹ごしらえしたものです」
その後、アクション映画「くノ一忍法伝 魔物の館」の主役やパチスロ雑誌のリポーターなどで活躍。
「そんな時、おばあちゃんが脳梗塞で倒れてしまい、介護問題に直面したんです。私はもともと、おばあちゃん子だったのに、芸能界に入ってから会う機会がなくなり、両親にも気遣いさせるばかり。それで、『恩返しするなら今』と思い切って休業。それが08年です」
単に寄り添うのではなく、介護ヘルパー2級(現・初任者研修)の資格を取得。祖母が老健施設に入所するまでの約4カ月間、実家に暮らした。それ以降、東京に戻ってからも芸能界とは一線を画していた。
「離れていた期間が長かったからこそ、地に足がついた演技ができるようになったんじゃないかしら。これからは、充電期間を生かしたお芝居をしていきたいですね」
(取材・文 高鍬真之/日刊ゲンダイ)
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