美の壺「こころ震わす 巨石」[字] …の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

美の壺「こころ震わす 巨石」[字]

自然が生んだ驚きの造形、巨石。伝説や信仰の対象として古来日本人の心に大きな影響を与えてきた。人気漫画のモチーフとなった巨石やイサムノグチが感嘆した石の家も登場!

詳細情報
番組内容
不思議な存在感を放つ「巨石」。茨城県・筑波山や島根県・鬼の舌震の巨石群は、自然が作り出す天然の美を誇る。群馬県・榛名神社には神の在所としての巨石が、島根県奥出雲には人気漫画のモチーフとされる巨石や神そのものの巨石群が。彫刻家・絹谷幸太さんは「石の声」に耳を傾けながら巨石と向き合う。香川県在住の石彫家・和泉正敏さんは、芸術家イサム・ノグチと長く共同製作、自らの家も巨石で作り上げた<File542>
出演者
【出演】草刈正雄,【語り】木村多江

ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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雨かな?

えっ?

何これ? 出られない。

そう気安く踏まれちゃ困りますよ。

えっ… 石が しゃべった?

自然が生み出した驚きの造形 巨石。

人は古来 その形を
さまざまなものに見立ててきました。

圧倒的な存在感から
神として あがめられる石も。

巨石の発するパワーは 現代の
彫刻家にとって 創作の源となっています。

芸術家 イサム・ノグチの影響を受けた
石の家も。

今日は 巨石の不思議な力強さに満ちた
世界を堪能しましょう。

日本百名山の一つに数えられる筑波山。

標高は 877メートル。

その中腹から山頂にかけては

不思議な形をした巨石が
いくつも見られます。

筑波山地域のジオガイドを務める
矢野徳也さんです。

生まれて この方 ずっと筑波山を見ながら
暮らしてきました。

山中の巨石には ユニークな名前が
付けられているものが

たくさんあるといいます。

全くの自然の造形物なんですけど
とても面白い形してると思います。

こちらは ガマ石。

「ガマ」とは ヒキガエルのことです。

大きな口のような この形。

確かに カエルっぽいかも。

2つの巨石が並んでいます。

さて こちらは何かというと…。

水上を行く「船」です。

とがった こちら側が
船の先端である舳先。

隣り合っている石を
逆に向いた船と見立て

「出船 入船」と呼んでいます。

そして矢野さん一番のおすすめが こちら。

勇敢なことで知られる あの弁慶が
この巨石の前で くぐろうか

それとも やめようか
7回も ためらったのだとか。

それにしても 一体どうやって
こんな姿になったのでしょうか。

今日 一つ目のツボは…。

島根県東部 奥出雲町の山中に
大きな渓谷があります。

全長は2キロメートルほど。

無数の巨石が ゴロゴロと転がる
この渓谷は「鬼の舌震」と呼ばれています。

この名前で呼ばれるようになったのは
ある伝説が きっかけだと

早川正樹さんは言います。

出雲地方の方言で
サメのことを「ワニ」といいます。

ワニは玉姫に会うために
夜な夜な川をさかのぼってきました。

ところが玉姫は
大きな石を川に投げ込んで

ワニが上ってこられないように
してしまったのです。

それを知った このワニがですね…

「したぶる」とは「恋い慕う」という意味。

ワニが恋い慕うところという呼び名が

いつしか「鬼の舌震」に変わったと
伝えられています。

渓谷の中には
鬼の名を冠した巨石もあります。

こちらは「鬼の試刀岩」。

その見事な割れ方から 人気漫画の
名場面のモチーフになったのではと

話題を呼んでいます。

このくぼみを作ったのは
渓谷を流れ下る水。

小さなへこみに 小石などが入り込み

川の流れに転がされて
周りを削っていくうちに

くぼみが出来上がったのです。

巨石ひしめく この渓谷は格好の避暑地
として多くの人々を引きつけてきました。

昭和5年 歌人の与謝野鉄幹 晶子夫妻は

山陰地方を巡る旅の途中に
この地を訪れました。

妻の晶子は当時の風景を鮮やかに
切り取った歌を残しています。

いにしえの伝説から現代の歌人まで。

巨石は時代を超えて
人々の想像力を刺激しています。

何か ご用ですか?

たまには「ありがとう」って ひと言くらい
あってもいいんじゃないですかね。

そう言われても あの…
そもそも踏み石ですよね?

あっ バカにしてますね。

群馬県高崎市にある榛名神社。

1, 400年以上の歴史を持つ 古い神社です。

その境内には そびえ立つ巨石が
いくつも見られます。

こちらは「瓶子の滝」。

瓶子とは お神酒を入れる器のことです。

丸みを帯びた石の形が 瓶子そっくりな
ことから名付けられました。

日々 この巨石の風景を楽しんでいるのが
宮司の佐藤眞一さん。

祖父の代から榛名神社を
大切に守っています。

専門家じゃないから
分かりませんけれども…

榛名神社を代表する巨石が 御姿岩です。

高さは 48メートル。

「神の姿に見える巨石」ということから
御姿岩と呼ばれるようになりました。

御姿岩は
人々が参拝する拝殿と接しています。

ご神体は この巨石の中にあると
伝えられており

いわば榛名神社の本殿なのだそう。

江戸時代には豊作祈願のために
参拝する「榛名講」が盛んになり

関東一円から多くの人が
やって来るようになりました。

お札に描かれているのも
やはり御姿岩です。

今日 二つ目のツボは…。

世界中にある巨石のスポット。

20年以上にわたり その数々を
カメラに収めている人がいます。

写真家の須田郡司さん。

巨石を巡る長い旅を経て
出雲市へと移り住みました。

そんな出雲の中でも 須田さんが
特に強い印象を受けたのが ここ。

こちらが立石神社です。

森の中に こつ然と現れる巨石。

最も高いところで 12メートルほど。

巨石そのものが ご神体です。

むき出しの巨石が
野性的な雰囲気を醸し出しています。

その中で しめ縄と お供えが
神の場所であることを教えてくれます。

この巨石の神社を守り続けている
金折徹也さん。

生まれも育ちも 立石神社の
すぐ近くの集落です。

現在 氏子の代表を務め 月に一度は必ず
境内の掃除をしています。

金折さんが子どもの頃
立石神社の周囲には

田んぼが広がっていたといいます。

立石神社に祀られているのは 水の神。

日照りの時には「ここで祈れば必ず
雨が降る」と語り伝えられています。

水道が整備された今でも
30軒ほどある氏子が集まって

毎年9月に感謝をささげる
お祭りを執り行っています。

久しく人々の願いを受け止めてきた巨石。

今日も祈りに来る人たちを見守ります。

これ 何か めんどくさいから
あっちから降りよう。

何だ? あれ。

あれ? また これ… あれ?

降りようったって そうはいきませんよ。

これ… どうしたらいいんだ? これ。

石の気持ちも
ちょっとは考えてくださいよ。

これ… どうしたらいいんだ? これ。

高らかに響く ノミの音。

彫刻家の絹谷幸太さんです。

10代で彫刻に目覚め 以来30年。

創作意欲を刺激する石を求めて
世界中を旅してきました。

こちらは ブラジルで手に入れた花崗岩。

およそ5億年前に起源を持つ貴重な石で

この石を彫刻すると
地球そのものを感じるのだとか。

制作中は 石を単なる素材として
扱うのではなく

その「声」に耳を傾けるように
心がけているといいます。

初めて「石の声」を
意識するようになったのが

ギリシャ産の大理石で作った
こちらの作品。

重さは およそ2トン。

もともとは7トンもあった
巨大な石から削り出しました。

少し恥ずかしい話なんですけども…

今日 三つ目のツボは…。

香川県高松市牟礼町。

すぐれた石材である
「庵治石」の産地として知られ

町には何軒もの石材店が並んでいます。

この町に住む
石彫家の和泉正敏さんです。

伝統的な石の加工に飽き足らず
独自の造形を追求してきました。

石と誠実に向き合ってきた和泉さん。

なんと自分の家も石で造りました。

建築に およそ2年をかけ
完成したのは 1973年。

当初は家族4人と 数人のお弟子さんが
一緒に暮らしていたそうです。

使われた石は 形も大きさも
いろいろですが

中には驚くほど大きな石が
そのまま使われています。

和泉さんに この家を造ることを
勧めたのは ある一人の芸術家でした。

イサム・ノグチです。

1964年 イサム・ノグチは
石の作品を作るパートナーを求めて

和泉さんのところに やって来ました。

その後 2人は ノグチが亡くなる
1988年まで

ほぼ四半世紀にわたり
共同で作品制作を行います。

シアトル美術館のために作られた
「黒い太陽」も そうした作品の一つです。

その制作過程で残された石の一部は
この家の大黒柱となっています。

イサム・ノグチの影響が
強く感じられる建物もあります。

筒形の建物の内部は照明もなく
中心に石が一つ置かれているだけ。

ノグチが大切にした「陰と陽」

光と影を感じる空間が欲しかったと
和泉さんはいいます。

イサム・ノグチが亡くなって 30年余り。

毎年11月 和泉さんは この家で
ノグチの誕生日を祝い続けてきました。

石の語りかける「美」と
ひたすらに向き合った日々。

石の家は その生き方の証しとして
この先も受け継がれていくことでしょう。

あの… 一体どうすればいいんですかね?

せめて「ありがとう」の ひと言があっても
いいんじゃないかってことですよ。

そうですよ。 あなたの知らないところで
私たちが そっと支えてるんですから。

そうなんですかね…。

信じてないなあ…。

たたりますよ… いいんですね?

あっ いえ… そんなことは全くないです。

どうも いつもありがとうございます。

あちらさんも…。

どうも
いつも本当に ありがとうございます。

皆さんも ありがとうございます。

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