先人たちの底力 知恵泉「福祉の世界に新たな風を!小倉昌男」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

先人たちの底力 知恵泉「福祉の世界に新たな風を!小倉昌男」[解][字]

宅配便を生んだ経営者・小倉昌男は、経営から退いた後、福祉の世界に飛び込んでいく。障害者の自立を助けたいと奮闘する小倉は、どのように人々の意識を変えていったのか。

詳細情報
番組内容
障害者の自立を助けたいと、福祉の世界に異業種から一石を投じた人がいる。宅配便を生み出した後、経営から退いた小倉昌男だ。当時の障害者雇用のあり方に疑問を持った小倉は、これまでのビジネス経験を生かし、共同作業所など福祉の現場に、“経営”の考え方を広めようとする。「金もうけの企業人が乗り込んできた」「福祉は経営と違う」という批判を受けるなか、小倉はどのように人々の意識を変えていったのか、その知恵に迫る。
出演者
【出演】東ちづる,塚地武雅,津田塾大学客員教授…村木厚子,新井秀和

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

NHK
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今から遡ること 半世紀以上前。

<20か国…>

1964年 東京パラリンピックの
貴重なカラー映像です。

当時の日本人選手と外国人選手。

その違いについて
こう語られています。

<外国選手は 全般に朗らかで

スポーツも
楽しみながらやっているのに対し

日本選手は
その逆であるということです。

この比較の陰には 日本選手の大多数は
病院や療養所の入院患者であり

外国選手は 社会人であるという
環境の差があるのです>

当時…

自立した社会生活を送りながら
スポーツを楽しもうとしていたのです。

一方 日本では 障害のある人は
保護されるべきとの考えが根強く

仕事をしている人は
決して多くはありませんでした。

1976年 障害者雇用促進法が制定。

企業は 事業の規模に応じて

一定の割合の障害者の雇用が
義務づけられます。

ところが 1990年代になっても
障害者の就労は ほとんど進まず

その上…

2, 000~3, 000円というところも
ありました。

こうした状況を憂い
障害者の自立支援に

異分野から立ち上がった人物がいます。

小倉は 宅配便を生み出し

倒産寸前の会社を
日本有数の運送会社に立て直し

「経営の神様」と呼ばれたほどの人物。

その小倉が
晩年 自身が持っていた自社株を原資に

福祉財団を設立。

福祉関係者を対象に開いたセミナーで

福祉に経営のノウハウを持ち込むことを
訴えました。

しかし…。

経営?

私たちがやっているのは福祉であって
企業活動ではありません。

あなた よく言ってくれたわ。

時に それは 関係者の反発を
招くこともありましたが

小倉は 福祉にも
経営の考え方が大切だと訴え続け

自ら 障害者雇用の実践に乗り出します。

一体 宅配便の生みの親が

何をきっかけに福祉の世界に
身を置くようになり

障害者に雇用と自立の道を
開こうとしたのでしょうか。

今回 小倉昌男の知恵を読み解くのは
俳優・タレントとして活躍する…

実は 東さんには もう一つの顔が。

2011年 誰も排除しない
「まぜこぜの社会」を目指そうと

ボランティアのエンタメ団体での活動を
スタート。

障害 国籍 セクシャリティーなど
それぞれの特性を生かせる多様な社会は

全ての人にとって
心地がよいのだということを

アートや音楽 映像 舞台によって
発信してきました。

私たちの生きづらさと向き合い続けてきた
東ちづるさん。

障害者の自立に向けて奔走した
小倉昌男の知恵を

どう読み解くのでしょうか。

いや~ 皆さん 今日は
ご来店 ありがとうございます。

お待ちしておりました。
お世話になります。 お願いします。

いや~ 何か 東さん ねえ
村木厚子さんと

何度も お会いになったことがあると?

もう あれです 活動仲間。
ということなんですね。

そんな村木さんは
何か伺ったところによりますと

塚地さんのファンだと?
フフフッ。

珍しい!
(笑い声)

いや あの ある警察小説に出てくる
登場人物の刑事さんの

私 大ファンだったんですけど
それを塚地さんが演じられて

それが もう
イメージそのものだったんですよ。

なるほど。 ちょっと
今日は 盛り上がりそうじゃないですか。

本当ですね。
よろしくお願いいたします。

今日はね あの宅配便をつくり出した
小倉昌男が晩年取り組んだ

福祉分野での活動というのをね
見ていこうと思うんですけれども。

あの 東さんもね
福祉の活動をされてますけれども

最初のきっかけっていうのは
何だったんですか?

え~っと 29年前にですね
茶の間でテレビを見てましたら

難病の少年のドキュメンタリーが
あったんですね。

それを見ながら
私 泣いたんですけれども

えっ 泣かせたいだけじゃないでしょう
この子っていうね。

自分の病気を公にするって
絶対 メッセージがあったはずだけど

それが伝わらなかったのは
彼のせいではなくて

この番組づくりが残念だったんじゃ
ないのかなという思いで。

で 彼を捜し出して そこから
難病の人たちとの活動が始まり

そのうち 自然な形で
障害のある人たちとか

もう いろいろ広がっていったんです。
そういうことなんですね。

塚地さんもドラマや映画で
障害のある人の役をね

演じられたことあると思うんですけど
何か こう 取材されたりとか…。

その時は ご家族の方のお話だとか
グループホームに訪問して。

本当に生活に触れると
今まで持ってたのが

本当に偏見だったんだなというか

知らないがゆえに 全然 こう
触れられてこなかったこととか

伝わればいいなっていうふうに思いながら
演じさせて頂いたりはしたんですが。

ねえ ちょっと通じる部分が
何か ありそうですよね。

ものすごいあります。
(笑い声)

そして 村木さんは
かつて厚生労働省など 官僚時代には

障害者の問題に尽力された
ということですよね。

そうですね。 まだ労働省があった頃に
障害者雇用対策課長

一般の会社で障害のある人が働けるように
しようっていうところを担当して

そのあと 厚生労働省になって
今度は 福祉分野を担当させてもらって

2度 障害者担当をやらせて頂きました。
なるほど。

そうしますと 小倉昌男さんが
福祉への取り組みを始めたのが

ちょうど1996年ごろ
ということなんですけれども

そのころの
障害者雇用の状況っていうのは…。

そうですね あの
障害者雇用促進法っていう法律はあって

障害者雇用率っていうことで…

そこまで制度は来てたんですが
実際に…

さあ… 今回はですね
福祉活動に尽力された小倉昌男の知恵を

味わっていくわけなんですけれども
今日も ご用意させて頂きました。

何ですか?
今日は こんなメニューでございます。

高い!
高っ! 高いでしょう。

どんなあんを使ってんだと。
ですけど… 村木さん ねっ。

この10万円というのが。
この10万円が大事なんです。

そうなんですよね。 はい。
どういうことなんですか。

その答えはですね
ちょっとお待ち頂くとしまして

まずはですね 小倉昌男が晩年
なぜ福祉の世界に入ったのか。

その辺りから
ちょっと見てまいりましょう。

宅配便ビジネスを軌道に乗せ
会長となっていた小倉昌男。

1991年4月 悲劇が襲います。

はい。

すぐ行く。

妻の玲子が心臓発作により

59歳の若さで急死したのです。

悲しみの中 小倉は
生前 玲子が60歳になったら

故郷で福祉ボランティアをしたいと
言っていたことを思い出します。

そこで小倉は…

その2年後 自身が持っていた自社株
200万株 24億円を原資に…

理事長に就任します。

しかし 畑違いの福祉の世界で

自分に何ができるのか
分かりませんでした。

そんな中 関係者に 福祉の現場を
見た方がいいと言われた小倉は

東京都内の障害のある人たちが働く
共同作業所を訪ねます。

当時 多くの共同作業所で
行われていた仕事は…

リサイクルの仕事が主流でした。

リサイクルの仕事は
原材料費が ほとんどかからない反面

単価は安く 年間の売り上げが
50万円以下のところも

珍しくありませんでした。

後に 東京都主催の講演で 小倉は

共同作業所の工賃について
質問した時のことを

こう語っています。

すごいショックでした。

一体 この状況を
どうすれば変えられるのか。

結局 寄付しか思いつかなかった小倉は

知り合いの福祉関係者に
その旨を伝えたところ

こう言われます。

え? 断る?

どうしてですか?

☎お金は使えば終わりです。

それより
あなたは経営の神様と呼ばれている。

セミナーを開いて 経営とは何かを
作業所の運営者に教えてくれませんか。

経営を? うん なるほど 分かりました。
考えましょう。

その時の気持ちを
小倉は こう書いています。

京都を皮切りに

北海道から九州まで 全国7か所で
共同作業所の運営者を対象に

2泊3日の経営セミナーを開催します。

小倉は そこで
受講者に こう切り出します。

皆さんが献身的に仕事をされているのは
分かっています。

しかし 障害者が受け取っている賃金は
月1万円。

逆に言うと あなたたちは
1万円しか払っていない。

これは 搾取と言われても
しょうがない。

今の言葉は不愉快です。

私たちも もっとお渡ししたいと
思っています。

でも 実際のところ
そんなお金はありません。

私たちがやっているのは福祉であって
企業活動ではありません。

なぜ ここまで反発されるのか。

セミナーに受講者として参加していた
加藤裕二さんが

当時の障害者雇用についての考え方を
話してくれました。

障害者の人たちが働くっていう場の
考え方も 非常に福祉的な…

(加藤)社会の中で 彼らも…

(加藤)私なんかは どっちかっていうと
どんどん働かせて

障害者の人も自立させていけばいいんじゃ
ないかっていう考え方だったんですけど

やっぱり人によっては すごく…

…っていうような受け止め方をした人も
いたようですね。

そうした受講者たちの気持ちを
小倉も感じていました。

そこで小倉は 福祉に関わる人たちの

「金儲けは汚い」という偏見を
解かなければならないと考えます。

これは 経営セミナーでの
小倉の話を録音したテープです。

その1本に
小倉の こんな言葉が残っています。

いかに経営が大切かを訴えたあと

小倉は 共同作業所の工賃を上げる方法を
具体的に話しました。

(加藤)まずは あんたが
その障害をもってる人に

5万円払いたいっていうんだったら
払っちゃいなさい。

そこからじゃないと
物事って進みませんよ。

(加藤)これだけ稼げたから
はい じゃあ 今月はいくらとか

出来高払いだったんですよね。
そうじゃなくて…

経営っていうのは
基本がそうだっていうことで

まず お給料の考え方とか
そういうことからでしたから

ちょっとびっくりしましたけどね。

ほかにも…

小倉の話す経営の基本的な考え方に
受講者は 次第に引き込まれていきます。

そして セミナーのあとに開かれた
懇親会では

個人的に小倉に相談する受講者も
出てきました。

小倉のセミナーは評判となり
受講希望者が増えたため

2年後 会場を12か所に増やして開催。

セミナーの成功で 小倉も

福祉の世界で
自分にもできることがある

という手応えをつかんだのでした。

うんうん…。
東さんは VTRを

本当に うなずきながら
ご覧になってましたけど。

ちょっと涙が出そうな感じでしたね。

私たちは 福祉…
事業所とかね 福祉施設の方から

「私たちは福祉をやっているんだ」と。

「あなたに福祉の何が分かる!」
というふうには

本当に言われましたね。

「あなたがやってることは
お祭り騒ぎだ」とかね。

お金じゃないんだっていうことを
割と最近まで言われましたね。

本当 つい最近までっていうことは
逆にいうと 最近 見方が

だいぶ変わってきたっていうことも
あるんですか?

そう思います。 事業所 施設さんも
経営が成り行かないと

みんながハッピーにならないということは
すごくおっしゃいますね。

あの 村木さん 小倉さんがやってた頃では
共同作業所のほかに

「授産施設」というものもあったと
思うんですけれども

この辺り それぞれ
どういう役割だったのか。

当時 福祉の法律があって その中で
障害がある人が働く場を提供する。

それから あるいは 訓練の場を提供する。
そういう仕組みがあって

それは
「授産施設」って呼ばれてたんですね。

でも これは 法律の施設ですから
いろんな要件があって

その要件を満たすと
国からお金も出てくるって

こういう仕組みになっていました。

でも 多くの地域で 授産施設がないとか

あるいは つくりたくても この要件を
満たせないとかっていう時に

例えば 親御さんとか関係者の人が

それでも 障害のある人が
毎日 通っていけて

いろんな活動ができる場所をつくろう
っていうことで

共同作業所っていうのを
つくってたんですね。

そうすると
あまり公費も流れてこないので

経営は大変 苦しいっていうこと。

で 月給っておっしゃってましたけど

福祉の世界だと
「工賃」っていうんですけど

工賃1万円の世界があった
っていうことですね。

なるほどね。

その障害のある人の中には

働きたくても働けないという立場の人も
いると思うんですけれども。

障害って 一口に言っても 本当に
いろんな種類の障害があるし

程度も 重い人 軽い人いて。
で まあ 働くって やっぱり

軽い人対象っていうふうに
我々 思いがちなんですけど

私 とっても印象に残ってる
出来事があって

働く人のための制度を作りましょうって
言った時に

どんなに障害が重くても
自分が毎日通う場所に

ここは働く場所だっていう看板が
かかっているかどうかっていうのが

すごく大事なんだと。
そこへ毎日通ってるっていうことが

大事なんだって言われたんですね。

ただ そういう人を
たくさん受け入れてると

そんなに簡単に高い工賃は払えない
っていう現状もあった。

あの ここの知恵が…

小倉は 自分の得意分野で
風を起こしたわけですが

この姿 どうご覧になりました?

あの 自分の得意を語りなさいって
言われても

履歴書を書く時ぐらいで。
あ~。 いや まさしくそうですね。

自分の特技みたいなの
何か あるんだけども

言うこと恥ずかしかったりとか。

なかなかね…。
じゃあ 私に何ができるって言われたら

自分でね このエンタメでやろうと
思った時だって

すごい時間がかかったんですよ 何十年も。

そんな私ごときがと思ってたので。

だけど まあ 20年ぐらいやったぐらいから
芸能界いるんだから

エンタメが得意って言っても
いいのかなぐらいの。

当然なんだけど 得意分野でしか
本当は できないんですよ。

なるほど。 ちょっと その写真をね
お借りしたんですよね。

こちらなんですよね。
こちら舞台の写真なんですけれども。

「まぜこぜ一座」とありますね。
そう まぜこぜ一座は

障害のある人も ない人も「まぜこぜ」で

「月夜のからくりハウス」という舞台を
つくるんですけれど。

まあ ちょっと 右からいくと
彼は ドラァグクイーンですね。

ゲイ男性のパフォーマーで。

そのお隣が
トランスジェンダー女性ですね 歌手。

で 低身長の役者 低身長の手品師。

全盲のシンガーソングライター。

義足のダンサーなどなど
もう本当に さまざまな人たちで

一緒につくっております。
なるほど。

どういう雰囲気なんですか?
この皆さんで活動してる時って。

本当に生き生きとしていて
で 何をしたいかを私は聞くんですね。

割と 求められるのが ふだんは
希望とか 光とか

そういうパフォーマンスを
求められるんだけど

自分の中にも 闇の部分があったり
邪悪な部分があったりするから

それを表現したいんだということも
話し合って

なので お客さんの皆さんが…

(笑い声)

村木さんね 拍手されてましたけれども。

例えば 仕事をガッツリやって
世の中に役立つっていうのも

その人の生きがいだし
スポーツで活躍するとか

アートで自分を表現するとか
いっぱいあるわけですよね。

それを 東さんみたいな
プロが手伝うって

そうすると
こう 本物になるじゃないですか。

それが すごいいいなと思って。

だから 照明さんも 音声さんも
舞台に関わる方全て

絶対的に一流のプロじゃないと
いけないんですよ。

それをみんなで味わうっていうことが
とっても重要なんですね。

でもね 小倉昌男も いわゆる
金儲けは汚いっていうふうに

言われたっていうのありましたけど
こういう活動を通して

東さんも そういうこと
言われることとかっていうのは

どうですか?
あります あります。

ですが お金は
私は 道具だと思っていますので

その道具をいかに有効に便利に
幸せになるために

使うかということだと思うんですね。

それによる対価ですね。
その対価によって 励みにもなるし

次へのステップにもなるし
やる気にもなるし。

意識が変わっていく?
意識 もう絶対変わります。

もう 何かこう 頂いたお金っていうよりは
働いたお金の方が大切ですし。

そうです。 施しではなく
チャンスをつくる活動なので

そういうチャンスをつくるということでは
お金は大事です。

「お金」 「エンタメ」 「福祉」 この3つの
トライアングルが うまくいったら

私 もっと 日本って
変わるような気がするんですよね。

さあ 福祉の世界にね
経営の考えを持ち込むことを訴えた

小倉昌男なんですけれども
ここから先 順調だったかというと

そう簡単には進まなかった部分もある
ということで

2つ目の知恵を見ていきましょう。

セミナーで小倉が経営の大切さとともに
訴えたことがあります。

(小倉)そうじゃないと思う。

(小倉)それもいいですよ。

(小倉)仲間と歌うたって
生きがい感じるとは思いますけども…

更に 小倉は
国からの障害者年金とは別に

給料として
月に10万円を払うことを目指し

共同作業所は そうした仕事を
始めるべきだと訴えたのです。

それは どんな仕事ですか?

実は小倉には
一つのアイデアがありました。

それが…

というのも
パンを朝食や昼食に食べる人は多く

おいしければ
リピーターになってくれるので

売り上げも期待できます。

その上 お客さんが喜ぶ顔を見れば
従業員の励みにもなります。

ただ 問題は おいしいパンに必要な
生地を作れるかでした。

そんな時 小倉の前に現れたのが

全国にチェーン店を持つ
ベーカリー会社の社長 高木誠一でした。

なんと 高木は 自分の店で使っている
冷凍のパン生地を

提供してもいいと言ってくれたのです。

これは その生地を使い
小倉がパン作りに挑戦している様子です。

「これで誰でも おいしいパンが焼ける」。

そう感じた小倉は…

ところが
受講者たちは興味を示すものの

手を挙げる人はいませんでした。

このままでは 何も変わらない。

そう思った時
小倉は ある決心をするのです。

なんと…

しかし 宅配便を成功させたとはいえ
パンについては全くの素人。

どうすれば お客を呼べるのか
分かりません。

困った末 考えたのが 店の売りになる
付加価値をつけることでした。

というのも 小倉は ほかの会社が
宅配便に参入してきた時

クール便やスキー便など

ほかにはない
付加価値を持ったサービスを考え

ライバルたちと競い合ってきたからです。

<パンには自信がある。

問題は
このおいしさをどうやって伝えると

手に取ってもらえるかだ>

うん いい香りだ。

もし 店中に
焼きたてのパンの香りがして

ガラス張りのちゅう房は
焼いている様子が見える。

いいですね そんなパン屋さん。

一般的に 工場などで大量に作るパンは
袋詰めにします。

しかし それでは パンの香りがせず
おいしさが伝わらないと

小倉は 客の見えるところで焼き

袋詰めにしないパンを
日に何度も並べることで

店中に いい香りが漂うようにしようと
考えたのです。

当然 その分 手間もコストもかかります。

しかし 小倉は 心に決めていました。

1998年6月
小倉の思いが詰まったベーカリーが

銀座にオープン。

小倉の 客の目と鼻に訴える作戦は
功を奏します。

近くで働く人たちの間で評判になり
多い日には 300人が来店します。

そして 従業員の半数にあたる
6人の障害者を雇用し

レジの補助やパンを並べるなど
積極的に店頭で仕事をしてもらいました。

彼らは お客さんから直接聞く
「おいしい」という言葉に

働きがいを見いだします。

その上 福祉関係者を驚かせたのは
勤務時間によっては

実際 月10万円以上をもらう人も
出てきたことでした。

こうして小倉が始めた店が成功すると

フランチャイズ店になりたいという人が
次々と現れます。

その結果 北は北海道から 南は山口まで
全国に多くの店がつくられ

どの店舗でも 障害のある人が
従業員として働くことになりました。

そして2019年には ベトナム店もオープン。

そこでも 日本と同様
共に働くという方針は変わっていません。

自ら動くことで ほかの人を動かし
福祉の世界を変えようとした小倉昌男。

共同作業所を運営する加藤裕二さんは

小倉がもたらした変化は大きかったと
考えています。

小倉さんの始めたパワーアップセミナーを
一つの皮切りに

職員育成の方向性も
だいぶ違ってきてるんじゃないかな。

ただ 今までみたく…

(加藤)
逆に 全然 福祉やってない人間でも

例えば 商品開発の能力があるとか
流通についてのいろんな知識があるとか…

そういう意識も かなり 我々
施設長の仲間と いろいろ話す時に

変わってきて
そういう意見いっぱい出てきてますよね。

ということで 塚地さん
ご覧になっていかがでした?

いや 何かこう 大枠だけ決めて

あとは投げてみたいなことじゃ
ないんだなっていう。

全部 自分で動いて
なおかつ 形になるっていうことに

持っていくっていうのは やっぱ
小倉さんは すごいなっていう。

やってみて失敗したら反省する…
とにかくやってみろっていうのが

いや もう本当に 何か うれしい。
(笑い声)

いつも ムチャを言って… 周りに
「ええ~っ!」って言われるんですけど

「いいよ 間違うよ 失敗するよ。 そこから
反省しよう」ってやるんですけど

この打ち合わせをするのが
大体 あのパン屋さんなんですよ。

(一同)え~!
あのね 赤坂にある。

それでね 私 最初 知らなくて行ってて

ここ 居心地いいなっていうんで
みんなで打ち合わせをするのね。

この空気感
何? 居心地いいんだけどっていう。

途中で あっ 障害のある人たちが
働いてるんだって 分かったんですよ。

へえ~。 村木さんも あのパン屋さんと
つながりがあるっていうのを…。

実は 小倉さんに言われて

このフランチャイズのパン屋を
始めた人がいて

ある日 厚生労働省に訪ねてきたんですよ。

で その店をつくる時の
小倉さんと相当やり合った。

要するに 立地が悪い。 そこじゃ
絶対売れないからダメだって言われて

で その人は
じゃあ 店も開くけど 売りに行く。

え?
例えば 週1回 必ず

おうちにパン届けるとか
近くの市役所で お昼に販売するとか

そういうのをやるからって言って
小倉さんを説得して 店を出したんです。

それで ついては 厚生労働省
あなたのところへ

パンを配達したいっていうわけですよ。
(笑い声)

障害のある人が
福祉の政策をやる厚生労働省に

毎週配達に行くっていうことそのものが
価値があるから

とにかくやりたいって言われて

じゃあ お願いします
パン取りますって言って決めて

で 最初 会った時
私 課長だったんですけど

最後 事務次官になったじゃないですか。
私のところへ配達しようと思うと

私の部屋の入り口に
秘書さんが2人座ってるわけです。

最初 やっぱり
この秘書さんたちは多分驚いたんですね。

すごいおっきな声で
気張った挨拶を元気にやってくれて

で こう 配達してくれるから
最初 「分かった 分かった。

村木さんに渡しとくから」って言って
受け取って帰しちゃう。

でも 毎週毎週来るうちに
だんだん 秘書さんたちが

「あっ 村木さんいるから
持っていって渡しな」って言って

中へ入れてくれるようになって
最後はね どんな大事な会議やってても

入れちゃうんですよ。
(笑い声)

毎週来て もう顔見知りにもなって
一生懸命 働いているのを見るうちに

もう秘書さんたちは 絶対 もう入れなきゃ
ダメって変わってったんですよね。

だから 小倉さんのね やっぱり
ねらってたことが やっぱり

すごいおっきな形で広がって
もう 厚生労働省の職員はみんな…

なるほどね。

そして ここの知恵がですね…

いや それしかないでしょう。
それが一番早い。

うちの法人でも
もう私が動いちゃうんですけれども

その方が早いし 前例がないことなので

こうして こうして こうしましょうって
言っても

もう本当 分かんないんですよ。
どうしていいかがね。

だったら 私が 営業行ってくるとか

構成やる 演出やるって言って
やっていくんだけれども

うちの団体で禁止してるのは
1人はダメと。

必ず2人以上でやって下さいと。

なので 間違った時には
どっちかがフォローするですとか

言った言わないにならないとか。

どちらかが欠けちゃった時にね
誰かがフォローするっていうふうに

2人以上で 自分たちがやるっていう。

で もう 絶対的に…

(笑い声)
大きくうなずいてましたね。

これから唱えます。

何かね 力になりますね その言葉たちが。

塚地さんは どうですか?
他人を動かすために心がけてることとか。

例えば うちの相方なんていうのは
一緒にネタをする時とかに

もう 本当に覚えないですし。
そうなんですか。

すごく間違うんですけども
最初のうちは怒ってたんですけど

怒ったら もうガチガチになっちゃって
また同じとこ間違うから

それ以外のとこ褒めてってなると
そこ褒められたいから

すげえ直すようになったんですよ。

だから 僕は 鈴木に関して言えば
動かしてるとは思います。

(笑い声)

村木さんは
何か こう 人を動かす知恵って…。

小倉さんは やって見せたじゃないですか。

実際に…

だから…

それをみんなに見せて
「ほら もし制度を作ったら

こんなふうにできるじゃない」とか
「こんなことが実現するかも」って見せる。

そうすると 「その制度を作ってもいいね」
って言ってもらえるんですよね。

なるほどね。

これから 国 そして社会

どういったことをやっていく必要があると
思いますか?

やっぱり…

そういうふうになっていくと
何だろう…

障害のある人を雇ってあげるではなくて

働いてもらうことで
絶対気付くことがいっぱいあるんですよ。

その企業内の雰囲気が変わって
結果的には 社員さんのためになるとか。

それは…

上から目線ではなくて…

変わると思います。 企業にとって
ものすごくプラスになると思います。

そうなんですよね。
いや 村木さん どうでしょうか

小倉さんが福祉の世界に与えた影響
っていうのは どう評価されますかね?

一番大きいのは
やって見せたっていうことですよね。

十分な工賃が払えてないのは

十分な環境をつくれてないからだ
っていうことを

実際にやって見せた。

それと 小倉さんは…

「みんなでやろうよ」って言って
みんなに呼びかけて

「やりたい」って言った人に
資金も 技術も渡す。

ここまでできるっていう人は
多分 ほかにいなかったと思います。

自ら動いて やって見せて
そして発信力を持って。

ちょっと 何か 東さん 重なりますよね。

僕からの景色やと ちょっと 東さん
ポーズ 振り返り方も似てるんですけど。

いやいやいや。 何か 本当に
一献 交わしたかったわ。

(笑い声)

今日は 本当
ご来店 ありがとうございました。

(一同)ありがとうございました。

♬~

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