SWITCHインタビュー 達人達「尾上菊之丞×堀木エリ子」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

SWITCHインタビュー 達人達「尾上菊之丞×堀木エリ子」[字]

新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」振り付けを担当した日本舞踊家・尾上菊之丞。奇想天外な発想が武器の和紙作家・堀木エリ子。伝統に新風を吹き込む2人が大いに語る。

番組内容
宮崎駿の人気漫画「風の谷のナウシカ」。この名作が歌舞伎化された際、振り付けを担当したのが日本舞踊家の尾上菊之丞。古典から新作まで引っ張りだこのプリンス。対する堀木エリ子は、斬新なアイデアで手すき和紙の世界に革命を起こしたパイオニア。実際に走る「和紙製の車」や、10メートルを超える巨大和紙など、作品は奇想天外。日本舞踊と、手すき和紙。伝統の世界に新風を吹き込む2人が本音で語り合う。
出演者
【出演】日本舞踊家…尾上菊之丞,和紙作家…堀木エリ子,【語り】六角精児,平岩紙

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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宮崎 駿の人気漫画
「風の谷のナウシカ」。

2019年 この名作が

歌舞伎として上演された。

舞台化は不可能といわれた世界観を
伝統の様式で見事に表現。

作品の振り付けを担当したのが…。

日本舞踊 尾上流の四代目家元だ。

鍛錬を重ねた 確かな技術で

どんな演目でも涼しげに舞う。

和の心で筋肉を。 尾上菊之丞です。

一転して おちゃめな面も。

Eテレの番組で
斬新な「日本舞踊体操」を披露し

話題となった。

日本舞踊界のトップランナー 菊之丞が
会いたいと願った人は…。

斬新なアイデアで 手すき和紙の世界に

革命を起こしたパイオニアだ。

作品は奇想天外。

美しく光る この車。

ボディーが すべて 和紙で出来ている。

和紙の欠点は…

特殊な技術で加工することで
これらの課題を克服したのだ。

大きさの限界にも挑戦。

和紙は
通常 ふすま1枚程度のサイズだが

堀木の手にかかると
10m以上のビッグサイズに。

日本舞踊と手すき和紙。

伝統の世界に新風を吹き込む2人が
本音で語る仕事の流儀。

♬~

京都にやって来た菊之丞。

一等地にある 堀木のショールームを
訪ねる。

失礼します。
こんにちは。
こんにちは。

はじめまして。
お待ちしてました。

尾上菊之丞です。
堀木です。 どうぞよろしくお願いします。

とても楽しみにしてまいりました。
私もです。 楽しみにお待ちしてました。

今日は よろしくお願いいたします。
こちらこそ お願いいたします。

対談を前に
ぜひ見てほしいという作品が…。

どうぞ。
失礼します。

はい… この正面にあるのは

クリスタルブランドとの
コラボレーションなんですけれども。

ああ なるほど…。
のりを 一切 使わずに

この形で すき上げるっていう。

竹ひごとか針金を使わないから
いびつに突起する所がないんですね。

どうぞ のぞき込んでください。

下から見上げた感じが
ここで見ていただけます。

不思議な…。 へえ~!

やっぱり その 揺らめきというか…。
はい そうですね。

こちらへ お掛けになってください。
はい。

何が始まるのかなっていう感じですけど。
こっち向きに?

そちら向きに お願いします。

これが 一番多い…

この7層 すき重ねられたものの柄が

バックライトにすると
全部 浮かび上がってきます。

へえ~! 仕掛けみたいな感じだな。

ちょっと 裏から ご覧になられますか?
ああ いいですか?

これ ちょっと 触っていただくと

7層 重ねていても
厚み これだけしかないんです。

1mmないんですね。
へえ~…!

後ろはね これ リバーシブルですので
こういった形で

水滴の… 穴を開いた和紙が
一番後ろに重なってるんですけど…。

亀の子たわしを持ちまして
これを水につけてまして

思いっきり振ると
水滴が方々に散るんですね。

この水滴がですね 穴を開けていくんです。
はあ~…!

今 こちらから見ると
こんなデザインですよね。

ちょっと バックライトを
変えてみてください。 ライト…。

これを こちらから見ていても

ライティングを変えると こうなる。
なるほど。

両面から これは
使えるような和紙ですね。

すごい! すごい…! マジック。

ありがとうございます。

最初 拝見したときに

おお~… 何だ 今回は

すごいすてきな演出だなと思って まず。

普通 緞帳って こう…

客席と舞台を遮るためだけの
役割なんですけれども

あの場合は バックライトとか
人が関わることで

影が映し出される
っていうことで

演出に使えるということで。
そうですね。

あの緞帳を作った方っていうのは

どんな方なんだろうっていうふうに
考えたら… 堀木さんだと。

それで ますます興味が湧いて…。
ありがとうございます。

ぜひ お目にかかりたいと思って
来たんですけども。

こういうのって
あっていいよねっていう…。

でも よく考えると
なかったねっていう…。

よく考えると ないよねとか…

前例がないことって
やっぱり 楽しいじゃないですか。

堀木は 京都生まれの大阪育ち。

サラリーマンの父と専業主婦の母。

ごく一般的な家庭で育った。

伝統の世界には全く縁がなく
高校卒業後 大手都市銀行に就職。

時代はバブル全盛期。

自由を おう歌する堀木に
思わぬ出会いが訪れた。

もう 本当に 私
学生時代 真面目だったので

自分で働くようになったら
はじけちゃいまして。

ハハハ…!
当時 毎週末 ディスコ行って。

ある年配のおじいさんが
健康のためにって

京都から大阪のディスコに来て
踊ってらっしゃったんです。

「若い人と踊ると
健康になる」って言って。

で 一緒に踊ってたら
ある日 声をかけられましてね。

「堀木君」って。 「君 銀行員だったら
事務 経理できるだろう」って言われて

「いやあ できると思います」って
踊りながら言ってたんです。

そしたら 「わしの息子が
新しく会社を興すから

君 事務 経理として来てくれないか?」
ってお誘いを受けたんです。

都市銀行の大企業からですね

僅か4人の社員で
これから会社を立ち上げるという

京都の会社に転職をしたんです。

それが たまたま 手すき和紙の
商品開発の会社だったんです。

未知の世界に飛び込んだ堀木。

黙々と作業する
手すき和紙職人の姿に触れ

感銘を受ける。

しかし 大量生産の波に押され

会社は
ほどなくして閉鎖に追い込まれた。

「なんとかして 伝統の世界を守りたい」。

堀木は
みずから 会社を立ち上げることを決意。

24歳のときだった。

24歳のときに

今… つい ちょっと前まで
ディスコで

がんがん踊ってて。
きゃぴきゃぴ 踊っていたんです。

自分が じゃあ 責任 持って どうやって
会社 興していったらいいか

分からないじゃないですか。
で 結局

原点に戻らないと何も分からないと
思ったんです。

で 原点に戻ってみたんですね。

2つ 見つかったんです。
一つは 手すきの和紙は

使っても使っても
強度が衰えないっていう

その点ですね。
もう一つが 手すきの和紙は

使えば使うほど
質感が増すっていうことなんです。

ところが その会社で製作していたもので
流通していたもののほとんどは

本当に かわいらしい
すばらしい きれいな

祝儀袋だったり
ポチ袋だったり

レターセットだったり
ラッピングだったり。

結局 これらは 一回 楽しんだら
捨ててしまうものですよね。

一回 楽しんで捨てるものって 結局

機械すきで いいじゃないのって
思ったんですよ 私。

手すきの和紙が ちゃんと
相撲ができる土俵は どこなのかって。

使えば使うほど質感が増し
使っても使っても強度が衰えない。

和紙を建築の世界で使ってもらう。

実現は 簡単ではなかった。

例えば ビルのエレベーター。

耐震性や耐火性など

高い安全基準が求められる。

堀木は 技術者と協力し

和紙をガラスと合わせる特殊加工を開発。

弱点を克服し
新素材として生まれ変わらせた。

こちらのビルは外壁にも和紙を使用。

夜になると
明かりが透けて かれんな表情に。

さまざまなオファーに応えるうち
大きさもエスカレート。

専用の道具を開発し

巨大手すき和紙を生み出した。

その技術が 世界的チェリスト
ヨーヨー・マの目に留まり

舞台セットを作る依頼まで
舞い込んだ。

多くの人を巻き込み

革新的な仕事を成し遂げる
その秘けつとは…。

我々も 仕事してると
劇場の中で 例えば

大道具さんだったり 照明さん
いろんなスタッフの方がいて。

やっぱり
もともと 職人かたぎの方も多いし

なかなか
こうしてほしいって言ったときに

大体 それこそ 「ああ 無理 無理。

ああ できない できない」
っていうことを よく言われる…。

大体 複数 言いますよね 一回じゃなく。
まあ そうですね。

それは どうやって「でけへん でけへん」
って言ってる人たちを

どうやって
ご自分の協力者というか 味方に…。

私 若いころは 本当に…

っていうのは どうしたら できるかも
全く知らなかったけど

なぜ できないかも分からないから
やってみたら できたっていう…。

その「できた」という
クオリティーは低いんですよ。

だけど やってみるんです 自分で。

「うそ」って…
「できない できない」って言ってるけど

こうしたら できるん違うの? と思って
やってみたら

できるきっかけが見つかるんですね。
このきっかけを

職人さんたちが見たときに

「下手くそ! 貸してみろ」って言って
やってくれる。

やっぱり 私たち この出来た作品を

工事現場で 足場の上にのぼって
取り付けたりもするわけですね。

そうすると
とび職のおにいちゃんたちとも

一緒に仕事をするわけです。
でも とび職の方たちは

当時 女性で… 当時は
私も若かったですから

そういう人間が
工事現場に入っていっても

ちょっと ばかにした目で見て
ちゃんと取り合ってくれないんですね。

だから まず 私が
足場の上にのぼっていって

「上まで来てください。
説明します」って言って

そこで説明をして
自分もやって

一緒にやってもらう中で
取り付いていくときに

顔が どんどん変わっていくっていう…
とび職のおにいちゃんたちの。

いろんな…
まさしく オーダーに応えていく。

その中でも これは大変だったな
っていうことっていうのは…。

う~ん そうですね 2000年の
ハノーバー博覧会が大変でした。

ハノーバー博覧会はね
和紙の車を作ったんですよ。

ああ…! 見ました。

その車っていうのが

外装も内装も
和紙なんです。

ハンドルも和紙で
ホイールキャップも和紙です。

和紙じゃないのは
タイヤと電気自動車の機器だけっていう。

ハノーバー博覧会の会場内は
規制が多いんです。

まず 燃えてはいけない。

ハンドル 手で握りますね。
手あか つきます。

お尻 こすります。 背中 こすります。

雨も降るから
外装も ぬれたりします。

もう 「燃える」「汚れる」「破れる」
「変色する」「精度がない」。

この5つの和紙の難点 全部を
クリアしなきゃいけなかったんです。

で 制作期間1年間。
おお~…。

この中で そのすべてをクリアして
入れるという意味で大変だったんです。

でも そのときに 私は…

こうしてきてたんだっていうね。
それは何かというと

「できるかな?」「できないかな?」
と思ってたら できないんですよ。

だから…

どうしても すぐ 僕は 舞台に
結び付けてしまうもんですから。

和紙で 舞台が… 和紙でというか
こういう質感の舞台が

こう… 立ってるものではなく…

でも たぶん 通常の舞台とは違う舞台が
現れる気がしますね。

あれだけの強度があれば…。 まあ…

ある程度 消耗していく
っていうことはあっても

それによって 質感が
より… 例えば 出てくるのか。

そうですよね。 けんかしてますよね。

そうですよね。
まあ 役にもよりますけど。

最も嫌な例ですけどね。
和紙にとっては… すられるのは。

どうしましょ? って感じですけど。
でも…

絶対できると思うんですよ。

やらないだけで。

強気に見える堀木だが
窮地に陥ったことも…。

2011年
フランスのクリスタルブランドと

シャンデリアを
共同開発したときのこと。

現地スタッフと
意見が合わず

決裂寸前にまで
追い込まれたのだ。

そのクリスタルのブランドの
会社の方たちは

「白いLEDを入れる」と言うんです。
でも 私は

「和紙なんだから 醸し出す
あたたかな雰囲気っていうのが

この電球色の赤い明かりじゃないと
出ない」と。

折り合い つかないんですよ 全然。
で まあ ちょっと…

「10分ぐらい 休憩しましょう」
って言って 休憩したんですけど。

考えたんですよ 私。
今 何 言ったっけ? って。

そしたら 私は…

…って言ったんです。 つまり…

「和紙は赤いあたたかな光じゃなきゃ」
って私が言っちゃったわけですね。

これに気が付いて
ものすごい反省したんです。

そうかと。 だったら
和紙という素材そのものが

どこまで世界に通じるのか
挑戦に変えようと。

「白い明かりで
どうぞ いってください。

私は それで この結果を見ます」
って言って やったら

大成功だったんです。
はあ~…!

実は その… こちらが
ちょっと白い明かりが入ってます…。

モダンじゃないですか。

例えば オフィスとか病院とか
そういう空間だと

白いほうが清潔感があって
きれいなんですね。

ところが 今まで 私は それを
やってみたことがなかったんです。

なぜかというと 和紙は 赤いあたたかな
光じゃないと駄目と思ってたからです。

だから いつの間にか へばりついた
その固定概念というものを

全然違う業界の人 あるいは
全然違う国の文化のある人たちと

話をしていると発見できるんですね。

そのときは…

これで前に進もうという…

でも それ 10分ですよね。
はい。

10分の間に そういうマインドを
変えられる? 10分しかなかったんです。

その10分で… 10分で自分が…
考えが いけるかなと思ったら。

いや 絶対 されると思いますね。
その場になれば。

いや でも それだけの…
ましてや そこまで 自分は

このほうがいいと思っていたことを
変える。

いやあ~ すごい…。
その瞬間にならないと分からないけど。

でも ホテル帰ってから
泣きましたけどね。

でも 歴史的な瞬間ですよね。
はい そうですね。

へえ~…。
もう 忘れないですね あの経験は。

何か 振り返るっていう時間は
あるんですか?

言われて振り返る。
人に言われて振り返る。

自分では あんまり
自分から振り返らないですけど

人に言われて振り返るのはありますね。
そういえば そうだったなっていう。

もう じゃあ ず~っと走ってる感じ?
そうですね。

どっかで そういう
何か お休みになる期間とか

何か きっかけで変化していく機会とか
そういうのっていうのは…。

やっぱ 思いがけないことって
起こるじゃないですか 人生の中で。

私はね 本当に それも 今となっては
いい経験だったと思うんですけど。

命に関して 最悪のことも
考えてくださいと言われて

自分にも起こることなんだということを
初めて知って

そこで いろんなことに
気が付いたんですね。

まずね どう死ぬかって
選べないじゃないですか。

ところが よくよく考えてみると

生きざまだけは選べるっていうことに
気が付いたんですよ。

39から…?
はい 40になる… だから 40歳ですよね。

ただ でも そのときは さすがに
病気になって

私は 遺言状を書きましたから。

振り返る あるいは 未来を考える
っていう機会にはなったわけです。

私 遺言状ってね… 本当に
菊之丞さんは まだ お若いので

あんまり
考えてないかもしれませんけど

人間 みんな
明日 死ぬ可能性ありますから

遺言状は書こうと思って
書いたんですよ。

本当に これは 手紙じゃなくて
弁護士を立てて

ちゃんと
公正証書のものなんですけれども。

それを書くことによって

やらなきゃいけないことが
見えてきたんですよ。

まだ こんなに
やるべきことがあるんだと思って

死んでられないと思ったんですね。

だから 生きなきゃいけないって
すごく強く思ったんです。

きっと その 39 40のときに

一気に また ご自分の考えが
整理されて。

そうですね。
成人式だったと思います 40歳が。

40歳ぐらいで ようやく
何か 大人としての考え方が

持てたかなと思ってて。

じゃあ 子どもと大人の違いって
何っていうと

「私が!」「私が!」っていうのが
子どものあるべき姿。

で 今度 大人になったときには
「私が!」「私が!」じゃなくて…

何か そこの差が…

子どもか大人かの差かなって。

私は…

ここからは
大人で生きていこうと思って。

できてるかどうかは別にして
そういうふうに思っているという。

友達とかが このテレビを見たら
「できてへんやん!」って

言われるかもしれませんけど。
いやいや…。

でも まあ 自分自身は 今
僕は 45なもんですから

どうなんでしょうね。

私自身も… 一緒なんて言うと
失礼かもしれないけども

少なからず 踊りもやるし…
踊るし 作るし プロデュースもするし

金勘定もするしっていう。

でも どっかで 要領が…
僕の今の悩みでもあるんですけど。

…とも思ったりするんですよね。

それ 同じ悩みを
私も相談したいぐらいなんですけど。

まさに今の私が
来年 還暦を迎えるんですけど。

おめでとうございます…!
そろそろ 還暦を前にして。

すごいですね。 全然 それは…。
いえいえ 本当に…。

なので まあ 還暦を前にしてですね

やっぱり 今まで…

組織の力に変えるって
どういうことかというと

小さい会社ながらも
いろんな人がいてくれて

私が たとえ いなくても
こういう和紙の文化とか私の思いが

受け継がれていくような体制に
していかなきゃいけないと思って

今 動き始めてるとこなんです。

業務提携とか
例えば 資本提携とかも考えながら

かっこいい その 何か…
前を見たやり方をして。

若い人たちの考えで

精神性とか日本人の美学が
受け継がれていくような形にできたら

すごい 何か いい前例を
作りたいなっていう 何か…

おこがましいですけど 何か ちょっと
そういうふうに思ってるんですよ。

こう 不思議なのは
いろいろ お話を伺ってても

こう… うわ~っとなってても
きちっと

ロジカルなところは
ロジカルじゃないですか。 そうですか?

いや そうですよね。
単純なんだと… 単純なんですよ。

これだけのことを言葉にして
きちっと説明できるっていうことが

すごいなと思って。
やっぱり 夢は語らないといけないので。

語ることについては すごい 何か
やっぱり しょっちゅう…

どうやったら分かってもらえるかなとか
それを もう ずっと考えてます。

どうやったら分かってあげれるかな
とかっていうのも考えます。

何を考えてらっしゃるかなっていうのは
周りの人に対しても。

常に つんつん つんつん 何か…
つんつん つんつん やってます。

結構 従業員の…
スタッフの方にも 細かく こう…。

細かいですよ。
大変やと思います スタッフは。

で 今は 女性ばかりっていう。

後半は 舞台をスイッチ。

古典舞踊は もちろん

さまざまな舞台や新作歌舞伎の振り付けに
欠かせない

日本舞踊界のプリンスだ。

日本舞踊尾上流のルーツは

「踊りの神様」と呼ばれた
歌舞伎俳優…

創始者の言葉

「品格 新鮮 意外性」をモットーに

さまざまな舞踊に挑んできた。

同じ六代目菊五郎を
ルーツとする

歌舞伎の
尾上菊五郎家とは

深いつながりがある。

伝統と革新が同居する菊之丞の舞踊は

まさに尾上流の精神そのもの。

♬~

再会の場所は
菊之丞の地元…

ああ~ こんにちは!
こんにちは。

先日は ありがとうございました。
こちらこそ ありがとうございました。

今日は ようこそ。
楽しみにしてました。

よろしくお願いしま~す。
お願いします。

菊之丞が生まれ育ったという場所に
向かう。

ちょうど 演舞場が ここにあって

歌舞伎座が
向こうですね。
向こうにありまして。

ちょうど うちの稽古場っていうのが
その歌舞伎座と演舞場を

ちょうど結んだ所にあるというのが

ある種の自慢でございまして。
すごいことですね。 自慢していいです。

菊之丞の生家。

今は 建て替えられ
稽古場として使っている。

こちらでございます。 はい。

よいしょ… ちょっと
扉が重いんで あれですけども

お先に どうぞ。
恐れ入ります。 では 失礼いたします。

へえ~!
中は 稽古場は こんな感じなんです。

あら! すごいシンプルで。
はい。

でも ビルの中とは思えないですね。

一般的に こう 概念からするとね

踊りの練習をするときって
自分の姿を映して確認するっていう…。

鏡とかがあるのかなと
思ってたんですけど

ないんですね それは 一切。
そうですね。

…っていうのが 基本的なやり方。

すごい 想像力が要りますね。
自分が どういう姿で

どういう状態なのかっていうのを

映し出すんじゃなくて
想像しながら やるわけですね。

イメージで。 やはり 鏡で見ると

どうしても追ってしまいますし。
なるほど。

先ほども お稽古場 見せていただいて
銀座で生まれて 銀座で育って。

そうですね。
子どものころには分からなかった

価値というか ありがたさ
みたいなものが

年々 大人になるにつれて

少しずつ分かってきてるという感じ。

今 考えると 本当に こういう土地に
生まれて育ったことっていうのは

本当に大きな力であり…。

まあ 選べないですから。
そうですね。

まさしく 先祖からというか
父や祖父から頂いている…

芸だけじゃなく
それも 一つの大きなものだなと…。

受け継ぐべきものですね。
そうですね。

ちっちゃいころって
そういう おうちに生まれて

例えば 周りのお友達と
いろいろ遊ぶ中でも

「ちょっと 僕は違うな」っていうのに
気付くときって

何歳ぐらいのころから
そういう意識が始まるんですか?

特別な おうちに生まれてるという。

特別かどうかは ともかく
少し変わってるんだなと。

うちの常識が
お友達の多くのみんなの常識とは違う。

一つは…

何か そういうのが もちろん
お友達の中にはないっていうのが

やっぱり 小学生…
もう 物心ついたときには

何かが ちょっと違うんだなと。

1976年 東京 銀座に生まれた菊之丞。

舞踊の稽古は2歳から。

太鼓 三味線など 英才教育を施された。

当時 一緒に稽古したのは

現在の松本幸四郎や尾上菊之助など

梨園の御曹司たち。

華やかな歌舞伎と日本舞踊は
似て非なる世界。

少年 菊之丞は 何を思っていたのか?

その方たちは 子役って 結構
舞台とか ちっちゃいころから

舞台 出たりされるじゃないですか。

そういう舞台は出られたんですか?
歌舞伎とか そういう…。

僕は 一切 子役で
お芝居のほうにも…

まあ もちろん
テレビのほうにも出たことなくて。

あっ そうなんですね。
はい。

何か 同世代の そういう
歌舞伎俳優さんたちが

子役で 舞台で 晴れやかに 皆さんに
拍手を浴びてる姿っていうのを見て

こう… その当時の子ども心ながらに

「そこに 自分も」っていう感じには
ならないもんなんですか?

高校生ぐらいになると

子役というよりは いよいよ 大人の役が
皆さん ついていくんですよね。

本当の若手の役っていうんですかね。

そういうのを見に やっぱり

毎月のように もちろん 歌舞伎座とかは
親に連れられて行ってましたので。

そういう中に 皆さんが 仲間が
出てるのを見ると

「ああ~ すごいなあ」と思って。

「でも 自分には
そういうフィールドがない。

僕は芝居に出るわけじゃない。

でも なぜか
こういう人たちと一緒に

お稽古したり遊んだりしている自分は
一体 何なんだろう?」っていうのは

高校生ぐらいから。
あっ そうですか。

私なんかはね 全然違う世界から
和紙の世界に入って

伝統産業っていうものに
取り組み始めたから

ある程度 こう 自由じゃないですか。

そのおうちに生まれてるわけですから
あんまり逃げ場がないじゃないですか。

何か こう ふっと ちょっと これは
違う道も

行ってみたいぞなんていうことは
なかったんですか? 一度も。

子どものころの 夢とも言えないような
例えば プロ野球選手。

野球やってみたい
スポーツ選手になりたい

弁護士もいいかもしれないみたいな
何の根拠もない…。

でも 僕自身 こういう家に生まれて
そういう… ど真ん中にいながら

僕は芝居に出ることはできないけど…

こういう皆さんと一緒に

遊んだり お稽古したり
仲間としてやっていくかぎりは

すべて 何か劣っていては
自分が引け目も感じちゃうし

遊んでても楽しくないし。

そのためには この人たちに踊りでは
負けないようにしなきゃいけない…。

14歳で 尾上青楓を名乗り

本格的に活動を開始。

これは このあたりにすむ…。

奥が深い日本舞踊の世界に
のめり込んでいった。

♬~

やっぱり 僕らが やってることって
見るだけの力も必要だし

知識も もちろん 必要。

で 僕 よく聞かれる…
でも やっていけば 急に来るからって。

徐々には来ないって 僕の考えは。
急に…。

ぱっと開けるんですね。
ぱっと開く。 急にできるようになる。

自分たちが習っていること一つ一つを
きちっと積み上げれば

実は 首を… 例えば
「ひい」「ふう」「みい」って こう 振る

三つ首… っていうものを
すること自体が

子どものころとか
僕 全然できなかったんですね。

全然 もう 首がどこに…。

でも これも 急に 何か すとんと
あっ… ふって はまったら もう

それが きちっと こう
動きとして記憶されて。

これが基本になって すべての役
ちょっとずつ違う振り方をしたり

そのシーン シーンで違う…。

でも 違うのは ほとんど
説明がつかないような違いなんですけど。

そうですよね。
説明しようがないですよね。

教えれる範囲も ある程度までで
あとは やっぱり その本人の…。

しかも 稽古場 さっき
見せていただいたら 鏡もない中で

それを こう 表現力を
磨いていくっていうことって

ちょっと もう 本当に
どうなってるのかしらって思いますけど。

2011年 家元として…

尾上流独特の
洗練された流れるような動きを目指し

古典から新作舞踊まで
芸の幅を広げていった。

2019年に上演された
歌舞伎版「風の谷のナウシカ」。

にわかに 湧き立つ 虫のとどろき。

菊之丞は この作品で振り付けを担当。

古典の動きをもとに

壮大な世界観を見事に表現した。

今や
新作の振り付けに引っ張りだこの菊之丞。

かつて 共に稽古した盟友たちと
新しい時代を切り開いている。

やっぱり 新作って だから
すごく やりがいのあることですかね。

歌舞伎なんかでも もちろん その…

「ナウシカ」… 「風の谷のナウシカ」や
「ワンピース」とかって

漫画原作のもので。
はい。 拝見しました。

あれも 例えば 「ナウシカ」でいえば

菊之助さんが…
主人公のナウシカが踊るシーン。

新しいようで
擬古典としての作り方を

特に あれは してますから

古典の手法を
その漫画の世界に置き換えて

とっても 頭の中で整理しやすくて。
そうですね。

もちろん 歌舞伎になりにくい漫画だと
困りますけど

まあ 「ナウシカ」が…。
でも なりにくいですよね 「ナウシカ」…。

「ナウシカ」がなりやすいとは…。
でもね…

ああ そうなんですね。
確かに そうなのかなあ。

でも そこで 強いのは…

「ナウシカ」っていう世界観を 例えば

ぐっと 歌舞伎に置き換えたら
どうだろうっていって

出すことによって 新しいものとして
表現できるっていうのかな。

だから…

それを 特殊小道具で
アクリルで作ってもらったり。

ぎりぎりなんですけどね
パロディーで

笑えちゃうと駄目なんだけど

パロディーにして
「ああ なるほど」って

思ってもらえるようなところに
持っていくっていうのが

もちろん そこは ポイントですけど。
逆に若い人たちが見たときには

そこに 新しさを感じますよね きっと。
そうなんですよね。

その表現にね。
もともとを知らないんで

「へえ~ 面白い。 何か」…。

でも 古典を見てる
よく知ってる方にとっては

「なるほど。 あれのパロディーか」と。

そういうことで
楽しんでいただけるのが

新作の歌舞伎の
面白いとこではあるとは思いますが。

やっぱり そういう皆さんと
関わりながら

一つのものを
作り上げていくっていうのは

私たちが… 和紙でいうと

私が 100%思いどおりにしてやろう
っていうんではなくて

やっぱり 7割ぐらいの作為は
必ず あるんだけど

3割ぐらいの…
そこで偶然性が作用して

やっぱり そのバランスが
すごくうまく組み合わさったときに

思ってもみない すばらしいものが
生まれてくるっていう…。

何か そういうことと ちょっと
似てるのかもしれないですね。

そうですね。

一つは 自分の手から離れたり…
振りを写させてもらってとか

演出をさせてもらって…

それが 自分の想像を超えて

「うわあ 自分も… ああ こんなこと

自分もさせてもらえて
よかったな」と思う瞬間もあれば

正直
自分の思うとおりに いかなかったり

自分の中では残念だなと思う瞬間も
今でも まだまだ 当然 ありますんで。

でも…

振り付けをするときには 僕らは…

そこを 一番…

そうですね。
それを すてきに見せなければ

踊ってくれる人が 何ていうの…

その気にならない。
そうですね やる気にならないですもんね。

「あっ いい振りだな」とか
「ああ いいな すごいな」って。

「自分 できないかもしれないけど
すごいな」って思わせて

僕は できるだけ やるように。

だからといって 別に 何か
コントロールしてるとか

そんなことではなく…

2020年
新型コロナウイルスが世界を一変させた。

以前から 京都 先斗町の芸舞妓たちに

踊りを教えていた菊之丞。

休業に追い込まれた花街の面々と共に

クラウドファンディングに挑戦。

目標の3倍以上の資金を集めた。

コロナ禍で
踊る場所を失った仲間を集めて

映像作品もプロデュース。

全編 屋外での撮影という
日本舞踊らしからぬ演出で

新たな世界を切り開いた。

♬~

また この1年も 特別な1年で。
いわゆる コロナ禍に入ってからの…。

ふた月ぐらい
することがなかったんですけど。

そう思うような状況でしたよね 本当に。
そうですね。

何か…

そこまで 踊らなかったっていうことが
なかったもんですから

自分の体が ちょっと 異変…

説明のできない異変を
感じたんですよね。

それで 「ああ 何か しなきゃ」と思って。

ただ 自宅の… 先ほどの稽古場で…

大体 「何か 仕事のために
これをしなきゃいけない」…。

そうじゃなくて…

…って思って踊る。

本当に 人知れず踊ってるのは
さすがに もったいないなと思って

自分で映像を撮りだしたんです。
あっ そうなんですね。

それがスタートでした。
へえ~!

やっぱり 行動することですね まずは。
そうですね。

和の心で筋肉を。 尾上菊之丞です。

Eテレからのオファーを受け
独自の「日本舞踊体操」も披露。

思わぬ依頼に戸惑いながらも

ステイホームの運動不足解消にと
引き受けたという。

足を下ろすときは
つま先を 少しつける程度に。

「日本舞踊体操」も
新しいチャレンジをされて

子どもたちも喜んで踊ってたって
聞いてましたけれども。

最初 その ご依頼があったときって
すぐ やろうと思われました?

何か ちょっと 変わったのがね…
何か 変わったのが来たなと思って。

ただ 基本的に 話は受け入れる前提で
僕も話を聞きますので。

それ 大事ですよね。
私ね ちょっと 見てね

正直に申し上げると
不思議だった点がね

それを…
体操してらっしゃるのを見て

まねして体操するための
番組じゃないですか。

でも…

そうですよね。
で もちろん あとで

また 違う俳優さんたちが
やられるわけですけれども 服を着てね。

だけど あくまで 最初に
着物で それを…。

もう 足 どうなってるか見えない
手 どうなってるか見えないところで

それを やられるっていうのは
やっぱり ここは

揺るぎない…
一回 これで見せとかなきゃっていう。

そうですね。
もちろん あのときには

自分が パンツ はいたり
シャツ 着たりっていうことも

一瞬 頭で想像したり…。
それもかっこよかったと思いますけどね。

でも そこを
どこに持っていくかっていうので

自分の… 何でしょうね
ブランディング含めて。

でも 見えないんですよ。
足とか手が どうなってるか…。

この見えないところを見るので…。
なるほど。

本来 踊りの場合は
着物を着た状態で

その中が… こんななってても…

そうですね。 なるほどね。
はい。

次回は…。
なぜ 見えない着物でみたいな。

次回は もうちょっと…
腕ぐらい まくりましょうか。

菊之丞が 今 取り組んでいるのは

新橋の芸者衆が総出演する
本格的な映像作品。

撮影現場は 都内の高級料亭。

横山大観が描いた貴重なふすま絵など

映像ならではの見どころが満載だ。

♬「ここは新橋 東京の花街」

♬「粋な心と技芸を磨き」

♬~

舞台と客席が相まってっていう
そういうことが すごく 演じる側は…。

それが大事だと思って大切にして。
はい。 大事な部分ですもんね。

これは 変わらないし 絶対に もう…

なくしようがない
尊いものなんだけども

今 やりだして 初めて分かるのは…

今まで
紹介することができなかったもの。

そういうものを 今 まさしく
作ることができる そういう可能性が。

それは わくわくしてますね。

ピンチを チャンスに変えた菊之丞と
和紙の可能性を切り開いた堀木。

チャレンジし続ける2人が
大いに意気投合する。

だから 何か いいときまで置いといて

あとで これ みんなが
びっくりするやろなって

使っちゃおうみたいに思ってると
腐っていくんですよ ここで。

うん… それはそうかもしれないですね。
だから やっぱ アイデアって出た瞬間

やっぱり いかに それを具現化するか
っていうところでやらないと

腐っちゃうんだ… と思って。
結構 腐ったアイデア… あるんですよ。

自分がやってること
案外 正しいのかもしれないなあ。

いや 何か 思って…
知ったときに 何かを知った瞬間に

次の仕事で
それを入れようとする癖というか

そこから発想するみたいなところは
あるんで

知らなかったものを あたかも
次の仕事では

昔から知ってるみたいに
なっちゃうっていう…。

まあ でも 何か そういう 自分としては
少し 本来 分相応ではないというか

自分では なかなか
行き着いてないんだけれども

そういう仕事をさせていただくことで

本当に 自分の感じとしては…

でも その…

だから やっぱり その…

例えば…
「棚の下のぼた餅」って言いますけど

棚の下まで行ってなきゃ
ぼた餅 受け取れないですよね。

棚の下まで行ってなくって たまたま
ぼた餅 落ちてきて食べたらね

絶対 おなか壊すと思うんですよ。
ハハハハ…!

いや でも そう…。
僕も同じ考え方ですね。

「できる」「できない」も
おっしゃってたように

「できない」とか「できる」とかっていう
論じることも あれだし

その 「できる」「できない」っていうのは
僕の中では

できない確率が
落ち着いて考えれば8割

できる確率が2割っていうときのほうが
燃えるというか。

まさに…。
それでいて 考え方としては

僕は 8対2でも…

ああ そうですか…!
「できる」しかないです。

僕のほうが だいぶ ネガティブだな。

僕は 結構 つつましく
5 5ぐらいで 一応。

≪OKです!
ありがとうございます。

大丈夫でしたでしょうか?
ありがとうございます。

いや 私は もう 本当に楽しくてね。
でも 私ね 思うんですけど

人間って 品格と品性は
すごく大事ですけどね

品行は 少々悪くて
やんちゃなぐらいのほうが

面白いなと思ってたんですね。
でも

品格も品性も品行も良くて面白い人に
久しぶりに出会えた感じです。

いや… 品行は隠してるだけです。
ハハハハ…!

それと 最近 品行がいいだけで…。
そうですか。

僕は もう 最初から
ひと言 発せられたときから

どうしても 母の面影を。

ハハハハ…!
いや 光栄でございます。

うちの母も すごく 小さいことを
もう すごく 指摘が多くて。

で 神戸の人間だったんですけど

もう パッて 何か…
えっ? って思うことがあると

もう ガ~ッと言ったり。
似てるかもしれません。 ハハハハ…!

あっ ごめんなさい。
「も」って言っちゃったけど。

とっても 初めてお話ししたとは

自分としては思えない…。
本当ですね。 何か 前から…

本当に存じ上げてるような。 はい。

何か シチュエーションが違えば
結婚しちゃうんじゃないかっていう…。

よく 訳の分からない…。 ハハハハ…!

毎日 叱られつつ。
ハハハハ…!

あなたにとって台所とは
どんな場所ですか?

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