徹子の部屋 勝野洋&キャシー中島夫妻[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 勝野洋&キャシー中島夫妻[字]

~壮絶な生い立ち…“家族”に憧れた幼少期を明かす~勝野洋さん&キャシー中島さん夫妻が今日のゲストです。

◇ゲスト
結婚42年、勝野洋さん&キャシー中島さん夫妻がゲスト。今日は、2人がこれまであまり語ることのなかった生い立ちを明かす。
◇番組内容
2人が家族を大切にするその根底には、それぞれの壮絶な生い立ちがあった。5歳で両親が離婚したキャシーさんは、10歳まで近所に住む血縁のない女性の家に預けられて育った。思春期にはやりきれない思いから夜遊びをするようになり、“不良”と呼ばれた時代も。一方、勝野さんは3歳のときに両親が離婚。父に引き取られるが、自衛隊員だった父は単身赴任先から時折帰宅するのみ。寂しい幼少期を過ごしたと語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  14. ダメ
  15. ハハハハ
  16. 結局
  17. 不良
  18. 父親
  19. 父様
  20. 母親

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

ご結婚42年。

いつ見ても 夫婦円満。

勝野洋さんと
キャシー中島さんです。

元気いっぱいの お孫さんお二人と
一緒にお暮らしだそうで。

今日は これまで
あまり語られなかった

それぞれの生い立ちなども
お伺いしようかなと思っています。

よろしくお願いします。

(キャシー中島)
よろしくお願いいたします。

まあ お二人ともね
ちょうどいい色合いのお洋服で

何よりでございます。
合ってるね。

偶然だね。
偶然。

合ってる?
合ってますね。

今日はね 合わせました。
合わせました?

はい。
そうですか。

次女を妊娠中から
17年間 住んだ御殿場の家…

我が家を取り壊した?
はい。

あなた 御殿場に住んでらしたね
そういえばね。

そうなんですよ。
こちら 今…。

壊して…?
そうなんです。

それで どうしたんですか?

ずっと 17年間 暮らしてたあとに

キルトを見ていただく
キルトミュージアムとして

家を取っておいたんですね。
ええ。

それは 亡くなった長女が…
「家を壊す」って言ったら

「私たちの田舎がなくなっちゃうと
困るから 取っておいて」って。

そう言ったの?
そうなの。 で 取っておくって

ただ置いておいても
家は どんどんダメになるし

じゃあ ミュージアムにっていって
ずっと置いておいたんですけど

最近 やっぱり あの…
建てて40年以上経ってきたので

取り壊して 新しいミュージアムを
作ろうかなと…。

そうなの? そうですか。

でも まあ 楽しみは楽しみよね。
そうですね。 前向きに

ワクワクとしてくる事って
いいですよね。

御殿場って
私も行った事があるけど

風がキレイでね いいですよね。
木もあって。

そうですね。
富士山も そばにありますしね。

3人の子どもを育てた
家なんでしょ? あそこは。

そうなんです。
そうですね。

じゃあ いろんな思い出 いっぱい。
いっぱいですね。

そうですか。 ようございますね。

少し しゃべってくださいよ。
私ばっかりじゃなくて。

いやいや もう… どうぞ どうぞ。
「どうぞ どうぞ」。

7年間 仕事を休んで

家事と育児に専念した
思い出の…。

あっ すごい。
ああ…。

そうですね。

ああ これ…。

亡くなったお嬢さんも
いるんだ。

そうですね。
長女が

多分 小学校6年生ぐらいかな

という時ですね。

七奈美さん。
はい。

で 雅奈恵。
雅奈恵さん。

それから 洋輔さん。
はい。

若いね 私たちね。
今 なんか 本当に…。

イヤですね
こういうのを見るとね。

ドキッとしますね。
そうかな?

こっちが あなたなの? 手前が。
そう 手前が。

でも 御殿場にいらしたから
家族が 円満で

仲良く だんらんできたとも
思うんですって?

そうですね。
まず 空気が良かったし

周りに何もなかったんで…。
そうそう。

家族が団結するしか
なかったんですね その当時から。

そこからだよね?
そう。 もうね 夜になると

なんにもない場所に
ポツンとあるので

電気を全部つけないと
安心できなくて

電気代 すごい掛かりました。
そう。 なるほどね。

でも
今年 長女の十三回忌だった?

そうなんです。

一つの区切りを
迎える事ができました。

今 生きてたら
何歳になったんだろう?

42。
厄年か。

結婚した年に生まれたので。
そうか。

そうなんですよ。

で これが 十三回忌の時に

家族全員で撮った
写真なんですけれど。

陽月は
寝てるね。

孫は寝てます。

そうね 陽月が
寝てますね。

それから 八瑠子は

本当に 亡くなった娘と

性格が よく似てて

面白いなって思いますね。

なるほどね。

でも 御殿場に行った時には

勝野さんのご両親と
同居してた頃もあるんですって?

ありましたね。

6年間 住んでましたからね。

同居をしてましたね。
でも お義父様が

「こんな嫁といたら 死んじまう」
って言って

出ていっちゃいましたけど。
フフフ…! すごいな。

本当 そう言ったの?
そんなような感じで言われたけど。

本当?
本当に。 まあ 気にしないから。

なんか いろいろ言われても
気にしないんですよ。

ただ 1回だけ なんか あの…

「毎日 “ご飯 何合炊く?”
って聞くのは

ストレスなんだけど」って
お義母さんから言われて。

「私 聞かれるから “何合が
いいんじゃないですか?”って

言ってるんですけど」って言って。

この辺の口答えがね やっぱり
ちょっと ダメだったみたい。

舅との仲が?
そう。

あんまり気にしないから 私はね。
そうか。

そういうのを
僕は知らなかったんです。

そういう戦いを
知らなかったんです 全然。

まあ よかったじゃない
知らなくて。

でも 悪い事したね。
そんな事ない。

でも 仕事の往復が大変になって
そのうち

東京に住むように
なっちゃったんですって?

だんだん。
そうですね。 東京 住んで

もう25年になります。

やっぱり
高速道路を往復してる時に

勝野も私も

途中で サービスエリアで
休まないと

疲れちゃうようになって
これは もう ダメだなと思ってね。

それで あそこ… 私も 御殿場に
住もうと思った事があったから

行ったり来たりしたけど
混みますよね 車で行くと。

すごいですね。 あと 事故とね。
そうね。

あと 雪ね。
雪もすごかったし。

勝野は
仕事で遅れちゃいけないから

ちょっと こう
トラックみたいの乗ってましてね

後ろにオートバイ積んで
渋滞してたら

オートバイに乗り換えて
で 行くって感じでしたね。

すごいね。
そこまでしないと

ちょっと
仕事に間に合わないっていうか。

なるほど。 あそこ 混んでる…。

混むのね。
そうなんですよ。

取り壊して
お家 どうするんですか? それで。

取り壊して 皆さんに

キルトを見ていただく場所を
1階にして

2階は 私たちが…
終のすみかではないけど

ちょっと 週末を ゆっくりと…

老夫婦が ゆっくりと過ごせる
場所を作ろうかっていっててね。

そういう年になったね。
老夫婦だね。

ねえ。 フフ…。

でも いつかは 御殿場で
暮らしたいっていう気もある?

うーん…。

やっぱり 年を取ったら
便利な東京暮らしがよくて。

まあ 都会暮らしですね。
なぜかっていうと… ねえ。

ちょっと 食料品買うにしても
車でね 行って…。

御殿場 住みたいの?
いや そんな事 言ってないわよ。

いやいやいや
私は東京暮らしがよくて

週末に
2人で ゆっくりとね 過ごして

愚痴を グチグチ言ってやろうかな
と思うぐらいです。

そのくらいなの?
そう。

終のすみかにする
って言ったのは?

終のすみかの半分。 半終です。
ハハハハ…!

すごい攻めるでしょ?
いやいや 話が… まあ いいや。

勝野さんは
終のすみかのつもりだったの?

いや そうしたいって言うんで。

彼女は もともと 横浜出身なんで。

僕は 九州の山の…
阿蘇の出身なんで

山に帰るのはね
全然 平気なんですよ。

今 都会にいますけど。

彼女は 山に帰れるかな? と
内心 思ってたんですけど。

半分か…。
半分よ。

でも 次女の一家と

同居してらっしゃるんですって?
今。

はい そうです。
お孫さん 2人いて。

はい。
何歳になりましたか?

可愛いね。
下の陽月が2歳で

上の八瑠子が もうすぐ5歳だね。
もうすぐ5歳ですね。

可愛いでしょ?

「ひろし」って呼ばせるって…。
フフフフ…!

「ひろし」って言うの?

じいじの年なんですけど
「じいじ」って言うと

周りに じいじの人が
何人も歩いてると

全員
振り返るじゃないですか。

だから そういうの
何回かあったんで

「ひろし」と呼べよって…。

最初は呼ばないんですよ
やっぱり 「じいじ」…。

最近 「ひろし」って
呼ぶようになって。

可愛いわね。
「ひろし」と呼ばれると

ドキッとするんですね。
そうよね。

こんな若い子が
「ひろし」と呼んでくれた…?

「若い子」って
若すぎるじゃないですか。

でも 本当に ドキッとする…。
可愛いじゃない でもね。

天使みたいね ちょっとね。
ありがとうございます。

でも この子は 4歳の方の子?
そうです 4歳なんです。

この下の2歳の子も
すごいんでしょ?

2歳は もう じいじが大好きで
ひろしが大好きで いつも…。

その男の子も
「ひろし」って言うの?

いや まだ 言わないですけど。

でも 呼ばせる… 「ひろし」と
言わせようと思いますね。

でも ご結婚42年で。
はい。

まあ いつも仲良しで

結婚当初から
夫婦円満っていうものを

誓い合っていらした感じが
するけど どうですか?

そうですね 私の方は…
まあ 私は

母が ずっと育ててくれたので…。
そうですってね。

家庭というものに対しての
憧れとか

「こういう家庭を作りたい」とか
そういう気持ちがあったので。

申し訳ないですけど
私 2回目の結婚だったんですよ。

あっ そうだったの?
再婚だったので。

だから その… 2回目は 絶対
離婚するのよそうと思ってたので

それに まんまと
引っ掛かったんですけどね。

フフ… そんな事 言っていいの?

でも 2人とも 小さい時に
まあ ご両親の事で

寂しい時代を過ごした事も
あるので

まあ あの… 家族というものに
憧れがあったそうですけども

キャシーさんは ご両親が
5歳の時に離婚して

10歳の時まで よその家に
預けられたみたいになって。

そうですね。
本当に なんていうんでしょう

お金をもらって預かるって。

今の保育所の もうちょっと こう

ずっと一緒に暮らすみたいな。
血縁のない人のとこ…。

そうなんです。
そこに預けられてたんですけど

もう 一番覚えてるのが

月末になると
母が お金を持ってきて

私と一緒に泊まって 寝て
っていう風にしてたんですけど

たまたま お金が
作れなかったんでしょうから

来なかったんですよ 月末。
あら! うん。

そしたら そのおばあちゃん…
おばあちゃんなんですけど

「まだ来ないね マミー
お金持って」って。

「マミーは
お金どうしたんだろう?」って

いつも言うんですよ。
それが 一番 心にグサッて…。

だから
「おやつ食べちゃいけない」とか

「ご飯も あんまり
食べちゃいけない」とか

思ってましたね。
そう…。

どんなおばあさん
だったんですか? その人は。

いつも 細いしまの着物を着て

頭 引っ詰めにして
エプロンかけて。

子どもを 3人ぐらい
最初 預かってて。

ああ そう?
最終的には

私1人になっちゃったんですけど。
で 10歳までいて

そのあと 母が お店を持って
そのお店の2階で暮らすという…。

ああ そう。 じゃあ その時まで。
じゃあ 5年ぐらい?

そうですね。 その方が ずっと…。
じゃあ 寂しかったのね?

本当に寂しかったです。

でも 10歳って反抗期ですよね。
まあね。

その反抗期は… まあ しばらくは

一緒に暮らせる事だけで
うれしかったんですけど

もう 中学に上がった頃から

母に対しての愛情の強さが
強すぎて

もう 反抗するんですよね。

ですから ちょっと もしかしたら
不良って呼ばれてました。

ハハハハ…!
どういうお母様だったんですか?

母は強い人でした。

私が まあ 昔のね…。

あら? こんなのが…。

これ あなたの写真?
そうなんですよ。

みんな仲間で みんな やっぱり
どこかに不満があって

みんなで集まって
横浜の本牧というとこで踊ったり。

なんか 「ハマのキャシー」って
呼ばれたの この頃?

ハマのキャシーって…

他にも キャシーが
いっぱいいたので

その中で まあ 私たち
横浜の中心街だったので

じゃあ ハマのキャシー。

それだけの話です。
そうですか。

その 不良だった事を
知らなかったらしくて。

でも そう悪い事は
してなかったんでしょ?

まあ 今のね… 不良っていうのの
定義がわからないんですけど

まず ファッション…
ミニスカートはいて

白いブーツ履いて

それから なんていうんでしょう
髪の毛 長くして

ディスコティックに行って

まあ 当時は
ゴーゴークラブっていって

そこで踊って みんなで
ワイワイやってる事が…

やっぱり 夜ですから
不良って呼ばれてましたが

私の母は やっぱり そういう…
水商売 母もやってたので

つながりが すごいあったので

なんだか知らないけど
遊んでると

そこのマスターが
「ねえ ねえ キャシー」って。

「11時になったら帰って」って
言うんですよ。

「ちょっと待って。 私
もうちょっと 遊びたいんだけど」。

「いや お母さんに言われてるから
帰って」。

「えっ! マスター お母さんと
友達ですか?」って言ったら

「昔から知ってるから帰って」。

帰されちゃうぐらいで。
そうだったの。

結局 うちの母は
もう 手のひらの中で

私が動いているっていうのを
わかってたみたいですね。

でも 15歳で
モデルにスカウトされたから

結局 それから夜遊びは
やめる事になるでしょう?

そうなんです。 あの…

やっぱり 本当に 仕事をする
っていう風になった時に

スカウトをされたのは
堀切ミロさんっていう方に…。

知ってる!
ねっ! 堀切さんに…

ミロさんにスカウトされて

「あなた モデルになった方が
いいわよ」って言われて

踊ってる時ですよ。
「えっ モデルになったら

お金 もらえるの?」って言ったら
「もらえるわよ!」って言うの。

「あなただったら今の初任給の

3倍ぐらいもらえるわよ」って
言われて。

「えっ じゃあ お母さんの
助けになるかな?」って言ったら

「やんなさい」って言われて

ミロさんに
ずっと お世話になった。

あっ そうだったの?
そうなんですよ。

知らなかった。

もうね お亡くなりに
なっちゃいましたけど…。

亡くなったの?
はい。 でも とてもいい方でした。

本当 そうでしたよね。
懐かしいわ。

ねえ!
でも 勝野さんも勝野さんで

ご両親が…
やっぱり お別れになった?

そうですね。 えっと 3歳の時に

母親が出て行って…
らしいんですけど

僕 3歳の時のおっぱいしか
覚えてないんですね。

ああ そう。
だから お母さんっていうのは

おっぱいなんですよね
僕にとっては。

あとは あの…。

お父様が引き取ったんですって?
あなたを。

父親は自衛隊員でしたので
戦争から帰ってきて

警察予備隊… 自衛隊で。
うわあ すごい うん。

それで これは 剣道部の時
らしいんですけど。

だから 祖母に預けられて。
おばあ様 熊本で。

姉と2人で。 ですから

まあ その祖母が明治生まれの
ものすごい厳しい人で。

なるほど。
姉には 甘かったんですけど

男には もう…
ビシビシたたかれましたね。

なるほど。

だから そういう気持ちも
あったんですね。

ただ 母親に対する憧れが
ずっとあったんですけど

言えなくて。
結局 本当の母親には

大学の時に
会いに行ったんですけど

周りが会わせてくれなくて
結局は

会わずじまいで会えなかった…。
あら!

会いに行って
会えなかったんですね。

そうなの。
その時に

僕の本当の母親は
再婚が決まってたんですって。

あとで聞いたら…。
そうなの。 だから…。

だから そういう…
なんていうんですか

母に対する思いが ずっとあって
コンプレックスじゃないけど。

だから 結婚は
絶対に間違えたくないと…。

それは もう いまだにそうですね。

じゃあ 間違わないで
よかったね。

いやあ もう あの日
酒さえ飲んでなかったら…。

ずっと言ってます 42年間…。
酒 飲んでたから 間違わなかった。

「あの日 酒さえ飲んでなければ」
って

どういう事なんですか? 一体。

すごくキレイすぎて

しらふでは
言葉 しゃべれないっていうか。

あっ なるほどね。
あの時 酒 飲んでたから

しゃべれて
お近付きになれたので

結婚できたっていう…。
じゃあ よかったなっていう話?

ありがとうございました。
フフフフ…。

じゃあ 酒 飲んでても
飲んでなくても

とにかく 結婚できて よかった…。
よかったですね はい。

よかったと思います 本当に。
でも お父様は

家族に ベタベタする事は
なかったんですって?

僕は そんな…
まあ 男同士ですから

わからなかったんですけど
姉貴に言わせると やっぱり

なんか
すごく冷たかったっていう…。

家族に対して 僕ら…。

なんでかっていうのは
ずっと思ってたんですが

戦争に行って…
ボルネオの方に行って

南方の 死の行進って

すごい 激戦地に行ったんですね
ボルネオの。

そこで…
生きて帰ってきたんですけども

部下の事を… 部下を全員
連れて帰ってこれなかったんで。

部下の事を…
ずっと 自分の中にあって

自分だけが幸せになっちゃ
いけないっていうね。

生き残ってね。
生き残って。

だから それが
重荷になってたっていう事…。

その思いが… 僕は
父親 尊敬してたんですけど

だから そういう父親の思いは
受け止めてと思いますけどね。

お父様と遊んだ事なんかは
どうですか?

あまりないですね 本当に。

ただ もう
格好良かったっていう…。

姿勢というか 歩き方とか。
ああ ピンとして。

ええ。 そういう思いが
ありましたね。

でも お父様の乗った汽車を…

夜行列車を
泣きながら追っかけた?

あの… 北海道の恵庭に

単身赴任じゃないけど
行ってたんですね。

で 2年に1回か
3年に1回 帰ってきて

それで 送って… 鳥栖駅まで…
九州の鳥栖駅まで送った時に…

一番後ろに
赤いランプがありますよね。

あそこの後ろまで来て
手を振るんですよ。

あれ…
もう あれが忘れられなくて。

もう 永遠の別れみたいになって。
ああ そう…。

そういう… だから
泣きながら帰ったっていう。

小学校の時ですから。
そりゃそうですよね。

そういう思いも
いろいろあってか

家族に対する思いが やっぱり
いまだに はい。

そりゃあね… そうだわ。
そりゃそうですよね。

それは お父様の方に育てられて

しかも おばあ様の方に
行ったりとかね

そうやって お父様が帰る時には
汽車の所まで走っていって

テールランプっていうんですか
後ろのとこ…

ちょっと見えたって…。

そういう子ども時代っていうのは
やっぱりね

考えると 寂しかったんだろうなと
思いますよね。

でも なんか 亡くなる時ですか
病院にいらした時に

お父様が 「部下が迎えに来た」って
おっしゃったんですって?

はい。 それは もう
ちょっと 危篤になった時に…

一度 生還した時に あの…
一度 戻ってきた時に

「部下が迎えに来てて
ビックリした」って言った時に

「はっ?」って言ったら

「全員で
“お迎えにまいりました!”って

病室に ぎっしり来た」
という風に言ってましたので。

うわー! すごい…。
「ええー! 嘘!」っつったら

「いやあ わしもね
ビックリしたんだよ」って言って

そのあと また
危篤になったんですけども。

あの… 亡くなったんですけども

やっぱり ずっと
部下は一緒にいたんだな…。

やっぱり 忘れられない事
だったんでしょうね。

だから 父親は 自分だけは
幸せになっちゃいけない

という意識で

僕らに愛情をたっぷりと
注げなかったっていうか…。

なるほどね。
…という事が わかりましたね。

でも どうしても
自分の居場所は家族って

あなたも
思ってらっしゃるんですって?

それは もう 本当に。

で 結婚した年に
母を亡くしました。

あっ そうだったの。

だから 母は 私を勝野に託して
安心して旅立ったんですけど。

ですから この家族しかないので
他を作る気はないので

だから 家族に対しては
とても 思いがありましたね。

でも 勝野さん 随分あれですよね
責任重大っていうか。

僕の1つの…
なんていうんですかね…

さっき話しましたけど

僕のテーマが
やっぱ 家族ですから。

ああ そうか。

僕の中で 自分の夢とか…
例えば 出世するとか

ナントカカントカって
ありますよね。

それじゃなくて 家族ですから
僕のテーマは 人生の。

だから それが 今 こう
近くに ちゃんとあるんで

これを守っていく事が
僕の1つの仕事っていうか

人生のテーマ…。
なるほどね。

毎年 家族で舞台公演してらして

なんか あなたが
いつも主役なんでしょ?

フフフ…。
なぜか…。

そう。
パパが主役ができなくなったら

この勝野家の舞台は終わるんです。
そうですって。

プロデューサーだね。
企画も演出も?

そうなんです。
あの… そうですね。

プロデューサーが彼女で

脚本 演出が
次女の雅奈恵なんです。

それで 衣装が洋輔なんです。
うん 専門だもんね。

そうなんです。
『浜辺の朝』っていうんでしょ?

そうなんです。
『俺たちの朝』って 昔

青春ものを 僕が やってた事が
あったんです 鎌倉で。

それの30年後っていうか
それからの『俺たちの朝』という…。

そうなんです。
そうですか。

お嬢さんは あれですか?
勝野さんに 演出する時 厳しい?

厳しいんですよ。

なんか 小声で
文句 言いながら…。

いやいや 本当にね 厳しい。

「おい 親に向かって そんな事
言うのか? お前は!」って。

「勝野さん?」 「はい」。

「ちゃんとやってください」
「はい」。

「バカ野郎 何 言ってんだよ…」
っていう

こんな感じでやってますね。
でも 勝野さんは

仕事を断るのが趣味なんだって?

はい?
聞いたわよ。

もうね 本当にね
お仕事いただいて

すぐ断るんです。
まず 頭では断るんです 絶対。

ええ…!
で 「どうして?」って聞くと

「子どもたちと一緒にいたいから」
とかね いろいろ言うの。

もう これはダメだと思って 「私
頑張って仕事します」って言って

縫う仕事をするように
なったんですね。

あなた?
そうなんです。

本当に 断ってました なんでも。
昔ね 昔。

今もね。
今 時々ね。 ハハハハ…!

でも キャシーさんは
今年 ついに

キルト協会を
立ち上げたんですって?

そうなんですよ。 やっぱり

若い人たちに
キルトを楽しんでほしいし

うちは 息子が手芸家という事で

キルトや ビーズ刺しゅうとか
そういうのをやってて

もう 徹子さんにお会いするって
情報を得ると

もう パンダ作んなきゃって
ずっと…。

これね 皆さんね
いただいたんですよ これ 可愛い。

キルトの パンダが付いた…

すごく可愛い
あれなんですけどね。

ハワイアンキルトの上にパンダ…。

そうなの。 そこで また
中に小さい袋があってですね…。

この クジラが付いた袋。
可愛いの。

それも ハワイアンキルトの…。
可愛い。 中にね 飴がいっぱい。

これ 全部 飴?
どうもありがとう。

舞台をおやりになったり
いろいろなさるので… と思って。

キレイでしょ。
なんつっても可愛いパンダ。

こういうものを作るのが
楽しいって事を

皆さんに伝えたいのと
できれば 学校教育の中も

針を持って
ものを作るっていう喜びを

皆さんで こう
やってほしいと思って

キルト協会を立ち上げました。
なるほどね。

勝野さん これから
やってごらんになりたい事って

なんかありますか?
いや 別に…。

そうですね 芝居でいうと

本当に悪いヤツ
やってみたいですね

悪役っていうか。
ああー!

それは面白いかもしれないね。
僕 悪い人の気持ちが

わからないんで。
いい人なので…。

やった事ないでしょ?
やった事ないので ちょっと

やってみたいと思いますね。
うん。 でも あなた

悪い人をやったら
いいかもしれない。

これ プロデューサーが見てたら…
悪い役 やりたいそうですから

この方。
私 ちゃんと教えておきますので

悪い事を。 ハハハハ…!

キルトを皆さんに どんどん
教えていきたい。 それが夢です。

これも ありがとうございます。
洋輔さんに

よろしく おっしゃってください。
ありがとうございました。

じゃあね
ありがとうございました。

『徹子の部屋』は

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