出典:EPGの番組情報
プロフェッショナル「自分を変えることは無限~依存症回復支援・栗原豊~」[解][字]
年間10万人以上が発症するアルコールや薬物、ギャンブルなどの依存症。その克服を支援する“最後の砦”と呼ばれる男がいる。自らも酒や薬物に溺れ、やり直してきた人生。
番組内容
アルコールや薬物、ギャンブルなどの依存症からの回復を支援する“最後の砦”と呼ばれる男、栗原豊78歳。全国最大規模の支援施設の代表として他の施設や病院で断られた人も含めおよそ300人を受け入れ、さまざまな回復プログラムを行い社会復帰させている。実は栗原自身も60歳まで酒や薬物に溺れた依存症の当事者。その経験から独自の支援策を構築し、依存症で苦しむ多くの人たちにとことん寄り添ってきた。密着3か月の記録
出演者
【出演】依存症回復支援…栗原豊,【語り】橋本さとし,貫地谷しほりジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
その男は 二十歳で酒に溺れ
25歳からは薬物依存。
60歳まで 延べ20年 服役した。
しかし今 男は 自分と同じ
依存症で苦しむ人々に
とことん寄り添う。
依存症回復支援の
最後の砦と呼ばれる。
栗原は 依存症に苦しんだ
自らの経験から
独自の支援策を構築。
800人の人生を支えてきた。
栗原には 譲れない こだわりがある。
それは 2週に1度の散髪だ。
横は6ミリ。
上は20ミリの ソフトモヒカン。
活動拠点は 茨城県鹿嶋市にあるNPOの
依存症回復支援施設だ。
ここでは アルコールや薬物
ギャンブルなど
依存症の当事者
およそ300人が共同生活を送っている。
さまざまな回復プログラムを通じて
酒や薬物などを断ち
社会復帰を目指す。
栗原は この全国最大規模の施設の
代表として
他の施設や病院で断られた人も
全て受け入れている。
新たな相談が入った。
アルコール依存症の40代男性の母親から。
息子がコロナ禍で
家に籠もる時間が長くなり
酒の量が急増しているという。
早速 スタッフと共に向かう。
母親によると 男性は ここ数年
仕事のストレスから酒量が増加。
依存症の診断を受け 入院するも
すぐに飛び出してきたという。
栗原は最初に こう伝えた。
栗原自身も依存症の当事者。
18年前までアルコールや薬物に溺れ
服役も繰り返した。
依存症は 脳の働きに異常が生じ
欲求をコントロールできなくなる病気だ。
本人の力だけで回復するのは難しい。
だから 栗原は…。
男性は 栗原たちが運営する寮に移り
回復プログラムに取り組むことになった。
だが 翌日。
異変が起きていた。
依存症の患者が酒を断つと
けいれんや おう吐などの
離脱症状が出る。
その苦しみから逃れるため
また 酒に手を出してしまう。
栗原は 施設内の診療所で
応急処置の鎮静剤を打ってもらった。
2週間後。
栗原は 男性の離脱症状が
落ち着いた頃を見計らい 声をかけた。
男性は 早く施設を出て
働き始めたいと言いだした。
だが 今 ここを出れば
再び酒に走ってしまう可能性が高い。
栗原は男性を諭し
自分を見つめ直すよう 促す。
その後も栗原は こまめに声をかけ続けた。
共同生活を始めて3週間。
男性に 少しずつ変化が見え始めた。
男性は 引き続き施設にとどまり
回復に専念することになった。
依存症と闘う人たちを支える栗原さん。
この日 ミーティングと呼ばれる
回復プログラムを開いていた。
参加者は 自分の経験や思いを
包み隠さず伝え合う。
苦しいのは自分一人ではないと
感じることが
回復に向けた気持ちを後押しする。
依存症は 孤独の病と呼ばれ
寂しさや不安からアルコールなどに頼り
それが さらに孤立を深めていく。
その負の連鎖を断ち切るために
栗原さんは 社会の中に
居場所や つながりをつくろうとしている。
例えば この農園。
依存症のために就職の難しい人が
働ける場になればと
栗原さんが10年前に開いた。
他にも 工務店や食堂など
国の助成金や地域の支援も受けて
次々と設立してきた。
6年前には 依存症の高齢者のための
介護施設を設立。
ケアが難しいからと
受け入れ先のない人たちを支えている。
さらに 地域とのつながりも育んできた。
(女性)いつもありがとうございます。
はい ありがとうございます。
(子どもたち)ありがとう!
おかえりなさい おかえりなさい。
そんな栗原さんの心のよりどころは
16年前に再婚した 妻のルミさんだ。
ルミさんもアルコール依存症の当事者。
お互い 悩みをぶつけ合いながら
支え合ってきた。
この日は 17回目の結婚記念日。
いっせ~の せっ。
(拍手)
栗原の姿は 北海道 帯広にあった。
訪ねたのは 刑務所。
この日 出所する男性を迎えにきた。
覚醒剤取締法違反で2年の懲役を終えた
46歳の男性。
実は 男性は10年前
アルコール依存症を克服しようと
栗原のもとで共同生活を始めた。
3年後には酒を断って自立。
しかし…。
依存症は完治しない病ともいわれ
欲求との闘いは 生涯続く。
一旦 克服したかに見えても
ささいなきっかけで元に戻ってしまう。
だからこそ 栗原は
ゴールのない支援を粘り強く続ける。
栗原は 服役中の男性に
何度も手紙を出し
出所したら
再び共同生活を送ろうと伝えていた。
1か月後。
男性は 栗原が就労支援のために
立ち上げた食堂にいた。
自ら 食堂での手伝いを志願した。
栗原は 男性の再出発を
我がことのように喜んでいた。
この日 栗原さんは
大切な行事に臨んでいた。
共同生活で亡くなった仲間たちの納骨式。
依存症の当事者の多くが
家族とのつながりを失っている。
栗原さんは共同の墓を造り
引き取り手のない遺骨を供養してきた。
社会から こぼれ落ちた人たちを
最後まで支え続けようとする栗原さん。
なぜ そこまで できるのだろう。
太平洋戦争中の昭和18年
埼玉で生まれた。
父親は出兵先で戦死。
家は貧しく 栗原さんは里子に出された。
そこでの生活は悲惨なものだった。
棒でたたかれながら
草むしりや水くみを強いられる日々。
唯一の救いの場は
学校での勉強の時間だった。
でも 高校への進学は許されず
人生の歯車が狂い始めた。
嫌な現実を忘れたい。
日に日に酒の量は増え 生活は荒れた。
やがて暴力団に入り
覚醒剤も使うようになった。
二十歳の時に家族ができたが
穏やかな暮らしには戻れなかった。
27歳 覚醒剤取締法違反で逮捕。
刑期を終えては また牢獄に入る
生き地獄が始まった。
服役は 延べ20年に及んだ。
そして 60歳。
7度目の服役を終えた時だった。
耐え難い孤独から逃れるため
また酒を口にした。
すると 記憶が途絶えた。
包丁を所持し
銃刀法違反で逮捕されていた。
出所から 僅か3日後のことだった。
その時 栗原さんに声をかけた人がいた。
担当検事の…
刑務所ではなく
依存症の回復支援施設へ行くよう伝えた。
栗原さんは 武藤検事の言葉に従い
回復支援施設に通い始めた。
そこでは 依存症の当事者同士が
それぞれの体験を語り合っていた。
仲間の話を聞くと
自分だけではないと慰められ
自分の経験を伝えると
「ありがとう」と感謝された。
やがて栗原さんは 施設の運営に
のめり込むようになっていった。
そのことを武藤検事に報告すると
誰よりも喜んでくれた。
そして62歳の時 栗原さんは自ら
依存症の回復支援施設を立ち上げた。
去年3月には 念願だった高校を
定時制で卒業。
20年以上 会っていなかった娘とも
再会を果たすことができた。
こんにちは。
暑くて遠いところ どうも申し訳ないです。
今年7月 栗原さんは
武藤検事の家を訪ねた。
実は武藤さんは 15年前に亡くなり
以来 消息がつかめなくなっていた。
あの日 社会からこぼれ落ちた自分を
許してくれた恩人。
その思いを 引き継いでいく。
栗原は新たな取り組みを始めていた。
依存症から回復してきた4人に
正職員として
施設の運営に携わってもらう。
生活保護に頼らず
自立した生活を送ることで
依存症からの脱却を
揺るぎないものにしてほしい。
正職員になる4人の中で
栗原が特に気にかけている人がいた。
施設内の診療所で相談員を務める。
勝美さんは
30代半ばで仕事のトラブルが重なり
酒に依存するようになった。
家庭内でのトラブルも増え 離婚。
以来 家族とは会えずにいた。
勝美さんは 今回
初給料の一部を家族に送ることで
償いの気持ちを伝えたいという。
勝美さんの代わりに
栗原が連絡を入れることになった。
勝美さんが家族への思いを強くしたのには
きっかけがあった。
それは3年前 施設のフォーラムで
栗原が娘と再会しているのを目にした時。
5日後。
もしもし… あっ 潮騒ジョブの栗原です。
うん… そうですよね…。
うん… はい…。
では 失礼します。
勝美さんの元妻は 仕送りを断った。
闇は。
家族との和解は依存症からの回復に
何よりも大きな力となる。
しかし それは何よりも難しい。
1週間後。
栗原が用意してきたものがあった。
家族と再会できる日が来るかは
分からない。
でも 一つずつ
思いを積み重ねることはできる。
♬~(主題歌)
1週間後。
栗原は自分が立ち上げた子ども食堂に
勝美さんを誘った。
(子どもの笑い声)
勝美さんは 少し父親の顔になっていた。
私はプロフェッショナルじゃないですよ
仕事してないんだから。
ただ 自分の過去の体験を
ひっくり返しているだけ。
う~ん… 1杯飲むか お茶!
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