英雄たちの選択「追跡!古代ミステリー “顔”に隠された古代人のこころ」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

英雄たちの選択「追跡!古代ミステリー “顔”に隠された古代人のこころ」[字]

「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界文化遺産が決まり、日本列島の古代に注目が集まっている。今回は、土偶やハニワの顔の研究から、古代人のこころに迫るスペシャル。

詳細情報
番組内容
東京大学名誉教授・設楽博己さんは、顔にイレズミとみられる表現が、縄文から弥生、古墳時代にかけて、形を変えて現れることを発見した。縄文的なこころが、形を変えて、弥生時代や古墳時代に伝えられているのだろうか?最新の考古学の知見をもとに、「顔」が語る古代人の「こころ」をひもとく。そこから、弥生時代後期から古墳時代にかけて、大和地方に顔をめぐる驚くべきミステリーが浮かび上がってきた。
出演者
【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】いとうせいこう,設楽博己,松木武彦,【語り】松重豊

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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今年7月 日本の考古学界に
待望のニュースが舞い込んだ。

北海道・北東北の縄文遺跡群の
世界文化遺産決定。

1万年以上続いた 採集狩猟を基盤とする
定住生活の痕跡と

独自に発展した 高度な精神文化。

長年の発掘調査が明らかにしてきた
縄文人たちの独特の営みに

今 世界が注目し始めているのだ。

そんな考古学の最前線で
解明が進められている

摩訶不思議なものがある。

土偶をはじめとする
古代の顔の造形物だ。

それとも 人の姿をした…

見る者の想像力をかきたてる
これらの顔から

古代人のこころを読み解いていく。

日本の考古学っていうのは…

土器に刻まれた 無数の線刻を持つ顔。

これは 古代人のイレズミ文化
黥面を表しているという。

縄文時代から古墳時代に至る
数千年もの間

列島の人々の間で
受け継がれていったとされる 黥面。

なぜ 顔に イレズミを施す必要が
あったのか?

更に 30年以上にわたり 顔のイレズミの
真相に迫ってきた研究からは

新たな古代 日本の謎が
浮かび上がってきた。

資料をたどると
3世紀の大和地方は
ほかの地方と異なり

イレズミ文化の空白地帯だった。

これは 一体 なぜなのか。

大陸から 黥面をしてない人たちが
大量に ここに入ってきたのかなとか

まあ あるいは ここで 本当に
宗教改革みたいなものが行われて

じゃあ もう 一代かけても
これを変えなきゃいけないというような

運動が起きたのか…。

顔の造形から 古代人のこころに迫る。

社会が顔を変えたのか。

はたまた 顔が社会を変えたのか。

♬~

皆さん こんばんは。
こんばんは。

歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。

いつもは
歴史上の人物を取り上げますが

今回は 取り上げる度に
ご好評をいただく 考古学の世界です。

主人公は 土偶やハニワといった
古代の顔の造形物たちなんです。

磯田さん
磯田さんは 永遠の考古学少年ですよね。

ああ もう 考古学中年になっちゃった。

いやいや まだ少年のこころかと
思いますが。 永遠のってね。 はい。

いや~ 縄文の土偶とかね うん。

ただ あれ 顔に 普通は ありえないような
突起とか 文様とかがあるでしょう。

あれ見てね これ何なんだ
人間に なかなか見えにくいようには

子供の頃は 思ったりして。
ええ。

だけど これが人間の姿だと
思ってた人がいるっていうことは…

遠い。 自分とは 遠いこころを
持ってる人たちなんじゃないか。

もどかしいですよね
理解できないんでね。

同じもの見ても
いろんな受け止め方する人たちがあって

多様性なんてことも
よく最近言われるようになりましたけど…

まあ 他者を理解するという
他者理解ということを考える時に

考古学って とても…
何せね 1万年ぐらいの長さですから

考えてみたいなと思ってますね。
はい。

まあ その古代の顔の造形物を見て

いろんな想像力を
膨らましていければと思っていますが

さあ 顔から見えてくる
古代人のこころとは。

縄文時代の摩訶不思議な顔に迫ります。

今から およそ3, 000年ほど前の
縄文晩期の遺跡から

1個の土偶が見つかった。

丸い目や 丸い耳が
みみずくに似ていることから

その名が付けられた。

全身に きれいな文様が刻まれ
縄文人の豊かな表現力を示している。

…土偶じゃないかと
思っています。

一つ一つ…

このみみずく土偶から
縄文人の生活史をひもとこうと

長年研究しているのが
考古学者の設楽博己さん。

主に関東で発掘される みみずく土偶。

各地のデザインをつぶさに観察すると
興味深いことが浮かび上がってきた。

注目したのは 頭部のデザイン。

みみずく土偶には
いろいろと装飾があるんですけれども…

今の髪をとかす櫛というよりは

髪を結い上げて そこに挿してですね
留めておく道具なんですよね。

それを結った髪の
みみずく土偶であれば

真ん中のところに挿している表現が
見られるということですね。

こちらは 埼玉県の後谷遺跡から
出土した櫛。

細い櫛の歯は 赤く装飾された部分で
接着 固定されている。

この絵のように 長い髪をまとめる際に
使われていたと考えられている。

装飾された この部分が
みみずく土偶の額に

表現されているのではないか。

赤い装飾。

ここには 漆が使われている。

漆は 樹液を精製することで
塗料や 接着材になるが

9, 000年前には
既に利用されていることが分かっている。

関東や北陸
北海道の遺跡からも発見されており

東日本の縄文人の文化を指し示す
重要な出土品とされてきた。

この櫛の装飾が発達する時期は
縄文後期から晩期にかけて。

これは みみずく土偶の額に
櫛の表現が現れる時期と一致するのだ。

改めて みみずく土偶の頭部を見てみよう。

後頭部にかけて流れるような文様は
結い上げられた髪形のように見える。

関東一円で出土する
みみずく土偶を比べてみると

確かに櫛や髪形の表現は
共通して施されているようだ。

同じように櫛をつけた表現 あるいは
髪形の表現があるということですね。

その表現ですね。

竪穴住居に住んだり それが
たくさん集まって 一つの村を作る。

そうすると村同士のつきあい
あるいは 人口が増えますから

村の中の人々の関係性というのが

複雑になってくるわけですよね。

そうすると やっぱり
帰属意識というのは

自分が どういう集団に属してるんだろう。

あの人は どこ出身だなという…
出自というふうにも いいますけれども…

もう一つ みみずく土偶には

当時の帰属意識を
表現しているパーツがあるという。

それが 耳の部分。

この丸い耳は 縄文人がつけていた
耳飾りを表していると 設楽さんは考えた。

出土した
縄文時代の遺骨からも

耳飾りを装着した人骨が
発見されている。

更に みみずく土偶が発見されたのと同じ
千網谷戸遺跡から

耳飾りや そのパーツが
1, 000以上も見つかっている。

文様のないシンプルなものもあれば

渦巻き状の模様をあしらったものなど
種類はさまざまだ。

縄文人は 耳たぶに開けた穴に

少しずつ大きな耳飾りを
装着していったと
考えられている。

耳飾りには 特別な装飾を施したものも
見つかっている。

透かし彫りを大胆に施した 耳飾り。

この華やかな耳飾りは

共同体の中で
高いステータスを獲得していた

限られた人物しか装着できなかったと
考えられる。

設楽さんは 次に
みみずく土偶を年代順にたどってみた。

その結果
一つの傾向が浮かび上がってきた。

時を追って頭部の装飾が
巨大化していく。

明らかに 耳飾りや髪形の頭部が
より強調されていくのだ。

土偶の顔に 縄文人が重要なメッセージを
託していったことが うかがえる。

それは 何を物語っているのか?

磯田さん あの 土偶って
いろんな土偶があると思うんですが

今回 このみみずく土偶に注目して
見てみるだけで

これほどにも 何か 変化とか共通点とか
いろんなことが分かるんですね。

やっぱり あそこへ出てきた
赤い漆塗りの櫛ですよね。

あるいは 赤ってのは
出産の時だとか 赤い血だとか

やっぱり 生命力を
意味してるのかなとか
思ったりもするし

赤の漆を使ったのを
みんなで こう チームで

挿してるような状態っていうのが
やっぱり 共通の理解になってて

何らかの意味を持ってる社会だと
思うんですよね。

あと 相当 あれ だんだん

髪の毛に こだわる社会だっていうことも
分かりますよね。

人間大事なところが だんだん だんだん
大きくなってくるわけですから。

目では見えない こころの移り変わりが

目で見えるもので もって
見えてる姿ですよね。

というわけで 今回はですね
「英雄たちの選択」の考古学シリーズで

毎回 熱いトークを
繰り広げていただいてる皆さんに

お越しいただいています。

まずは 縄文大好きという
いとうせいこうさん

よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

先ほどのみみずく土偶 ご覧になって
いかがでしたか?

やっぱり 意味の塊というふうに
やっぱ 感じてしまいますよね。

普通の人間の形ではないからこそ

すごく ヒントが
いっぱいあるような気がして

ついつい やっぱり
読み解きたくならせるっていうかね。

こういう土偶を作ったっていうことは

僕は外に向けて 例えば自分たちは

こういうファッションなんですよとか

あと こういう まあ 漆の技術を
持ってるんですよとかっていうことを

まあ 言ってみたら
ファッション雑誌みたいに

見せるような意識もあったんじゃないかな
っていうふうに思ったりして。

そうすると やっぱり
社会 社会の在り方みたいなものに

想像が こう… まあ わくわくしますよね
やっぱりね。

もう あれ 櫛だったんだと思って。

うわっと落ちたんですよね。

認知考古学の視点でいうと
とにかく人間が こころで想像して

自分たちとかけ離れた
強い力を持ったものだ。

それが 土偶なんだ
というような解釈なんだけれども

それが 櫛つけてるっていうのが

これ どう解釈したらいいのかなと思って。

そうすると やっぱり
あの 櫛っていうのは 自分たちの持ち物。

自分たちの身近なものなので
土偶に櫛をつけることによって

これは 全然 自分たちと
かけ離れた存在じゃないんだと。

自分たちの
メタモルフォーゼなんだとかね。

…ということを
やっぱり 強調してるんだなと

いうように思いました。

そして あの 先ほど
映像にも ご登場いただきました

考古学者の設楽博己さんです。

よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。

人が作った顔の造形に注目された
一番の理由は

どういうところなんでしょう?

縄文時代はね そういう摩訶不思議な
遺物が いっぱいあるんですよ。

そういうね あの 何に使ったか
よく分からないようなものを

考古学では
第二の道具と呼んでるんですね。

第二の道具は
あの… 実生活を 裏から支えている。

そういう精神的な営みをね
表すもんじゃないかといわれてるんです。

ですので あの…

そう思いまして
その研究を進めてったんですね。

こころの考古学っていうのがね
やられ始めたの

僕 すごい面白いと思うのが

どこの社会でも これ 簡単にできるか
っていったら そうでもなくて

日本っていう この考古学のフィールド
とっても有利なのが

もう世界中でね この島ほどね
こんなに丁寧に発掘が

地面が 密度で掘られてる場所って
あんまりないんですよ。

その点でもね
日本の考古学っていうのは…

場所なんですよ。
そうなんですね。

ちなみに設楽さん自身は
このみみずく土偶が

櫛をつけたり 耳飾りをつける
っていうことは

どういう表れだと考えてますか。

先ほどね 千網谷戸という遺跡が

群馬の桐生ですけれども
紹介されましたよね。

千網の中に その村で 作って 使ってた
耳飾り たくさんあるんですけども

その中から 山梨県で
作ったんじゃないかと思われる耳飾りが

入ってるんですよ。
何かみんなで同じような共同のね

装身 身体装飾をするという
その帰属意識ですよね。

それが やっぱり 大きかったんじゃ
ないかなというふうに思いますね。

でも 松木さん 何か そう聞くと

例えば耳飾りを
交換してたかもしれないですし

うちの櫛 いいでしょって言って
渡しに行ったりとか…。

そういう何か 古代人の
交流みたいなところも見えてきますね。

見えてきますよね。
まあ だから 村によって 地域によって

産物も違うし 得意分野も違うから
そういうものを交換し合って

全体が こう 豊かになるような

そういう仕組みが
恐らくあったんじゃないでしょうかね。

あの いや すごい広い範囲で

おんなじデザインのものが
共有されてるってことが

かなり古い時代から あるっていうのが

このホモサピエンス
という生き物ではあって

赤い櫛なども そうだし
私なんか注目してるのは

人類史上 バスケット形のビーズ
っていうのがあるんですよ。

これはね 中近東からイベリア半島まで

うわ~っと広がるんですよ。
何万年も前なのに。

共通のデザインを みんなで一緒に
広範囲にやって 安心するっていうか

それが必要な生き物なんだってことだと
思うんですよ。

はあ~。
なるほど。 ええ。

さあ もっと ちょっと深く
見ていければと思うんですが

縄文時代のある時期を境に

それまでにはない特徴の顔の造形が
登場するんです。

集落の大型化が進んでいた 縄文時代中期。

ある模様が 土偶や土器の顔に現れ始めた。

目の周りに
特徴的な線が刻まれているのだ。

まるで カタカナのハの字が
二重に引かれたような線。

一体 これは 何を表現しているのか。

考古学者の寺前直人さんは

縄文人たちの風習に由来するものだと
考えている。

抜歯とは
あえて健康な歯を抜いてしまう風習。

古代の社会では
痛みを伴う通過儀礼として

成人や結婚など 人生の節目で
男女共に抜歯が行われていた。

同じ目的で 縄文人たちは
顔にイレズミを施しており

集団で生き延びる 秩序や結束の
証しとして 機能していたと見られる。

土偶や土器の顔に刻まれた線は

その表れではないかと
寺前さんは 考えている。

では なぜ 自らの顔に傷をつけて

秩序や結束を示す必要が
あったのだろうか。

その謎を解くカギは
縄文人たちの暮らしぶりに隠されている。

今年7月 世界遺産に登録された
北海道・北東北の縄文遺跡群の一つである。

今から およそ4, 000年前

縄文時代中期後半ごろの遺跡で

およそ800年にわたって
人々が定住していた

大規模な集落だったと考えられている。

ここに ある遺構が再現されている。

木で組んだ囲いに
水を引いて作った水場だ。

こうした水場を使い 縄文人たちが
水をさまざまに利用していたことが

同時期の遺跡の発掘調査から
明らかになった。

水場の遺構は
全国で50例ほど見つかっている。

加えて水場の周囲からは

彼らの生活がうかがえる
あるものが発見されているのだ。

それは トチノミ。

トチノミとは
トチノキになるクリに似た種子。

だが 強いあくが含まれているので
そのままでは食べることができない。

長期間 水にさらしたあと 熱を加えて
丹念にあくを抜く必要がある。

つまり 水場の遺構の周囲で
多数見つかるトチノミは

縄文人たちが水場を使い

あく抜きなどの加工を 集団で行っていた
痕跡だと 考えられている。

植物考古学者の佐々木由香さんは
彼らの営みを このように分析する。

縄文人たちは 水を制御する技術を持ち

それを何世代にもわたって
維持していたということが

近年の発掘調査から判明している。

更に 最新の研究によって

彼らの豊かな暮らしぶりが
浮かび上がってきた。

土器に残るくぼみに
シリコンを注入して型を取り

縄文人たちが利用していた
木の実などを特定する レプリカ法。

この方法で 興味深いものが見つかった。

土器のくぼみから かたどった
レプリカの分析から

現在 栽培されているダイズと
ほぼ同じ大きさのものが

縄文時代に存在したことが分かった。

縄文人たちは
植物を利用するだけではなく

何世代にもわたって
管理や栽培を繰り返して

小さな野生種から マメ自体を
大型化させていたと考えられるのだ。

このような長い年月をかけた
植物利用を行うために

集団の中に ルールや秩序が
存在した可能性があると

佐々木さんは考えている。

縄文人たちが
あえて顔にイレズミを入れた理由…。

それは 豊かな営みを
守るためだった可能性が考えられる。

そして このイレズミが

後の日本列島の歴史に
大きな影響を与えていくことになる。

松木さん
顔にイレズミを入れるというのは

現代の私たちからすると

なかなか大変なことだなと
思うんですけれど…。

体のどこよりも
顔にイレズミ入れるということが

大切だったんだと思うんですね。

生物学的に言うと 痛みっていうのは
生存とは 逆の方向のことですよね。

痛覚があるから
これ以上続けると死ぬぞというような

これあの信号ですからね。

だから 痛みというのは なるべく
忌避していくもんなんだけれども…

だから フェイスペイントじゃなくて
イレズミなんですね。

フェイスペイントだと
意味がないと思いますね。

消せるし 痛くないし。

これは もう 必ずイレズミだっただろうと
思います。

今の時代の人よりもね
ずっと死の不安にさらされてるんですよ。

死の不安がある時に 仲間があるって
誰かとつながっていたいっていうのが

やっぱり 強くあると思うんですよね。

だから 死の不安になったら
「お母さん!」とか

叫んだりするのもそうです。
一人じゃ やなんです。

一番近いと思われる自分が
おなかの中から出てきた

お母さんのことを叫ぶっていうことで…

生き物の僕は 本性だと思うんですよね。

集団の中の仲間だと
俺が思ってることで

自分をしっかり
不安でぐらぐらさせないようにして

なんとか不安から逃れて
生きていくっていうのが

こういうのは
やっぱ あるように思いますね。

そして 痛みを伴う
顔のイレズミの背景に

想像以上に豊かに発展した

縄文人の営みがあったのではということも
説として紹介しましたけれど

これについては
いとうさん どう思います?

あの 豆は
びっくりしましたけども。

豆… はい。 大きいですね。
大きいですよね。

僕も ベランダ園芸
すごい好きだから

そういう仲間たちと
いろんな話する時に

まあ あれは いわゆる 選抜育種
っていうやつなんですね。

まあ 遺伝子を
操作できたわけはないので

いくつか育ったものの中から
大きいものを 次に植える。

また 中から大きいものを植える
っていうことなんだけど

次の豆が とれるまで
1年かかるんですよね。

何世代にもわたって あれをやってきた
自分が それを 壊すわけにはいかない。

しっかりと受け取って
更に大きくして

次に渡す選抜をしなきゃいけない
ということを考えていくと

そういう帰属意識は
あったんだろうなっていうことは

すごく実感的に分かりますよね。

縄文農業試験場があって

それで ものすごく大きくまで成功した
種を持ってる部族っていうのは

すごい誇らしかった。
そうですね。

お嫁に… ほか集落へ行く時に

この種を持っていかせるかどうかとか
というような物語さえ 想定できます。

やっぱり 縄文人っていうのは
その採集狩猟のシステムの中で

自分たちの生活を維持していくと。

すごい生活の知識 技術 そういうものは
しっかりと身につけている。

なぜ じゃあ それ 痛い思いを
しなくちゃいけないのか

ということなんですけれども…

トチだとか そういった 木の実の
あく抜きの技術 それを覚える

あるいは 土器や バスケット作りの
ノウハウを 身につけるわけですよね。

それによって 初めて
大人になることができると

社会の中から認められる。

その時は
子供であってはいけないわけですよ。

もう大人になったわけですから
子供には 戻れないし

だから その子供の自分というものを
一旦 殺すんですよね。

実際 殺すわけじゃ
もちろん ないんですけれども…。

それが イレズミであり
抜歯の意味 意義なんですよね。

さあ 人々の結束の証しにもなった
イレズミを持つ顔と その造形。

しかし 時代が縄文から弥生へと進むと
古代の顔に 激変の時が訪れるんです。

卑弥呼や 邪馬台国が
登場することでも知られる

中国の歴史書「魏志倭人伝」。

弥生時代後期 日本列島の西側に
住んでいたと見られる人々の習俗が

事細かに記録されている。

実は その中に イレズミについても
言及されているのだ。

「魏志倭人伝」の記述には
縄文時代にはなかった

イレズミのありようが表れていると
寺前直人さんは推察する。

そうした 時代の変化を
如実に感じさせる土器も発見されている。

愛知県安城市で見つかった

弥生時代後期の壺形の土器。

顔全体に細かく刻まれた無数の線

更に 瞳のない目で
敵を威嚇しているかのようだ。

外からの災いを防ぎ
壺の中身を守るため

イレズミが
施されたのだと考えられている。

弥生時代になると 各地でこのような
出土物が報告されている。

つまり イレズミは
縄文時代の結束の証しから

弥生時代には 邪悪なものや
外敵を寄せつけない力の証しへと

変化していったと考えられるのだ。

稲作の収穫物という富を巡っての争いが
本格的に始まり

より強い力が求められていた この時代。

同時期の出土物の中に
極めて興味深い土器の文様があると

寺前さんは 指摘する。

龍というのは
もちろん想像上の生き物ですが

既に 当時の中国の中では

さまざまなアイテムに
龍の文様が採用されていました。

中国文明において…

中国では古くから 龍は 水や天候を
制する力があると考えられてきた。

そのため 治水を行って 国を治める者
つまり 皇帝のシンボルとなっている。

龍の文様は 新しい文明の象徴。

今までにはなかった
新たな力の証しとして

人々のこころを引きつけていったのだと
考えられている。

その一方で 弥生時代の人々は

縄文時代から受け継がれてきたイレズミを
完全に捨て去ることもしていない。

脈々と受け継がれてきた
イレズミを選ぶか

それとも 新たな文明の象徴とも言える
龍を選ぶか…。

弥生時代後期

日本社会は 大きなターニングポイントを
迎えていた。

かなり松木さん ここは
こころの変化がありそうですね。

ありますよね
特に縄文と弥生の間ではですね。 自然を。

それまで縄文人たちが 恵みを得て
大事にしていた 森を切り開いて

水田化しますよね。

そうすると もう あの 自然に対して
コントロールするという意識。

それと同じ意識が
周りの人たちにも 対しても

持つようになったものが
戦争なんですね。

だから 我々と彼らとを区別をしていく
というようなところが始まって

我々の中でも いろんな区別を
また つけるようになるという。

いや 私もね 縄文時代と はっきり
違ってきてるような気がするんですよ。

「魏志倭人伝」
弥生時代辺りのイレズミ記述は…

はっきり 人間の間に
こう 線を引くっていう。

身分も 地域も 階級も 男女もっていう。

これ分け隔てるっていう発想が
非常に強く出てる社会だっていうふうに

イレズミについても感じます
私 この記述から。
本当ですね。

そして もう一つですね。

弥生時代後半に
大陸から日本へ流入してきた

龍の文様も
紹介しましたけれど

この龍の文様と
縄文からのイレズミの顔。

ここには
どういう関係があると
読み解きますか?

土偶の櫛のようなね
人間世界との

このファクトのつながりもないようなものが
やっぱり 来るわけですから

それは やっぱり
驚きだったんでしょうね。

だから 非常に
古いものを守ってるところ

新しいものを取り入れるところ
その両者が混じってるところ。

そんなふうに…

龍は もともとね
伝説上の生き物なんですけれども

水をコントロールする生き物なんですね。

特に弥生時代になると
水稲農耕を始めてるわけですから

水が一種の非常に重要なものとして
祭りの対象にもなってるんですよね。

弥生稲作って 私
龍を信じてないと

お米が食べられないような社会だと
僕は 実は思ってて。

その龍が 王様とかを象徴してて
これ何でかっていうと

弥生稲作って ものすごい
組織的にやんないといけないんですよ。

大量に木材加工したり
鉄器持ってこないと木材加工できない。

それで すごいインフラ投入して

それで あの 水田の圃場を作って
用水引いてきて 作るわけです。

ところが それだけやってもですよ
日本の気候を見てください。

台風と水害で 一発でどんなにコストしたって
稲は 全部やられるんですよね。

水を象徴する 龍と太陽と水っていう
もう 稲にとっての命。

まあ 鏡を太陽で象徴してね。

こういったものを組み合わせたような
文様や王の存在を信じながら

お米をひたすら待つという
そういう社会ですよね。

まず その それ…
龍のこれ見ると

ものすごい分かりやすい
超自然的なキャラクターじゃないですか。

モンスターというか
スーパースターというか

そういうものだから。

でも これが 全部を支配しなかった
っていうことが 僕は すごいと思う。

こんな分かりやすいものが
ボ~ンと入ってきて

みんなも こんなに わ~って
土器に入れたりしてるのに

それでも まだ 黥面みたいなものが
あったことの方が

すごい これは。 足腰強いなっていう。

やられないんだ その思想にはっていう。
そっか。

これは翻って
それを考えますね。

しかも あれですよね 生活に一番大事な
この土器というものに

それを描く どちらも描くっていう
面白みがありますよね。

だから さっきから言われてる
そのイレズミという縄文的な習慣。

それと大陸の新しい文化
それが まあ ミックスして

混在状態になってますよね。

だから どっちを選ぶか。
まさに これがね

「英雄たちの選択」
ということになるんでしょうね。

どっちを選ぶか。
まあ そういう だから…

さあ そして 時代は
古墳時代へと進んでいきます。

縄文時代から受け継がれてきた
古代の顔は

その後 どうなっていったんでしょうか。

古墳時代中期初頭に築造された
茅原大墓古墳。

ホタテ貝のような形をした
古墳のくびれ部分から

2010年に 1体の埴輪が見つかった。

くりぬかれた目と口。

その表情は
笑みを浮かべているかのようだ。

しかも
口元には
線刻の表現。

日本古来のイレズミが
埴輪にも見られるのだ。

胴体は 攻撃から身を守る
盾を表現したもの。

盾を構える姿をモチーフにした
盾持ち人埴輪といわれる種類だ。

…んじゃないかと
よく言われております。

茅原大墓古墳で見つかった
盾持ち人埴輪

まあ 古墳の築造年代が
4世紀の末ということで…

盾持ち人埴輪は

埴輪の中で 顔をかたどる表現が現れた
最初のタイプ。

茅原大墓古墳の埴輪は
その中で 最も古いものだった。

その埴輪に表現された イレズミ。

これは どのようなことを意味するのか。

イレズミをした埴輪は
盾持ち人埴輪以外にも見つかっており

特に 畿内地方での出土例が多い。

弓を持った 兵士の埴輪。

顔の輪郭をなぞるような
イレズミ。

こちらは 目尻に特徴的な模様。

肩に楽器を乗せたと考えられている
埴輪。

こちらも 目の周りを印象づける模様。

脚が太く まわしを着け
前に手を突き出したポーズから

力士の埴輪と考えられている。

鼻の上に翼のような形で イレズミがある。

馬をひく姿をした埴輪。

こちらも輪郭に沿うような模様。

兵士や芸能 動物に関わる職業など

さまざまな人物に
イレズミがあることが分かる。

一体 なぜだろうか。

その謎を解く手がかりが

日本を代表する歴史書の
「古事記」と「日本書紀」だ。

この2つの文献の5世紀までの記述に

イレズミに関して
興味深いことが書いてある。

阿曇目。

目に特徴的なイレズミを施したとする
この記述。

埴輪のイレズミも
目尻から模様が始まるものがある。

部民というのは
当時の身分の低い人々のこと。

罪を犯した罰として
イレズミが描写されている。

ほかにも
4つのイレズミの記述があり

権力者に仕える身分の人々や

王権の支配が及ばない地域の人々に
言及されている。

罰とか罪を犯したっていうのは
やっぱり よくないニュアンスですよね。

そりゃ そうですよね。
罪人ですから。

それが イレズミをしている。
逆に言えば…

差別的な要素がね
あるんじゃないかなと思うんです。

縄文時代に端を発し
長い年月をかけて受け継がれたイレズミ。

その意味合いが 古墳時代を境に
負のイメージに変わったのは なぜか。

設楽さんは その謎を解くため

30年以上 黥面の資料を
つぶさに調査してきた。

研究ノートを見てみると…。

各地で発掘された 黥面の資料の数々が
書き写されている。

このどこかに
見逃された歴史のかけらがないか。

そして 一つのヒントを見つける。

こちらは 弥生時代から古墳時代への
過渡期である

2世紀から4世紀前半の黥面の資料。

これらの分布を
日本地図に落としてみる。

すると 興味深いことが分かった。

吉備地方と濃尾地方に
黥面の表現が集中しており

間に挟まれる位置関係の大和地方には
ほとんど見られない。

イレズミ文化の空白地帯があったのだ。

3世紀には 吉備と それから濃尾では

イレズミの習慣が
ずっとね 引き継がれていた。

その一方で 大和地方からは
ほとんど 一切ですね

そういった表現が見られない。

これは やっぱり…

そう考えました。

3世紀 すなわち 「魏志倭人伝」や
邪馬台国の時代に見られる

大和地方のイレズミ文化の空白。

それは 一体 何を物語るのだろうか?

はい。 空白の地帯があるという
説明がありましたけれど

設楽さん 長年の研究の中で
お気付きになられたということですが

特に どういうところに
注目されましたか?

濃尾にしても 吉備にしても

3世紀には
巨大な墳墓を作ってく地域なんですよね。

それが古墳へと
つながってくわけなんですが

だから すごく 政治的な
有力な地域だったわけです。

同じ有力な地域でありながら
真ん中の大和だけ

もう 黥面はいいやと
なっていったんですよね。

だから 何か大きなことが

大和で
起こっていったんじゃないかと。

大和地方にね まあ これ 恐らく中国に
由来するんだろうと思うんですけれども

通常の人は イレズミをしない
というような 思想というかね

習慣が伝わってきたことを
示すんじゃないかと思うんですね。

イレズミが残る
吉備とか濃尾とかはですね

土器自体のね 結構 吉備は
お墓の上に立てる

特殊器台っていわれるですね

スタンド状の土器と
その上に載せる壺に

煩雑に模様を描くんですよね。

空白を恐れるがごとく
煩雑に模様を入れた土器を

弥生の終わりギリギリまで
発達させるんですよ。

そういうようなものが 例えば
吉備の文様を 細かくつけた土器を

大和は 受け入れるんですけれども

大和が受け入れると
文様消しちゃうんですね。

形だけもらって
文様を消しちゃうんです。 ええ。

恐らく 吉備とか濃尾は
物にも 細かく文様を入れて

物のアイデンティティーを
こう… 演出してやろうというような

そういう文化的な伝統とか 世界観の
演じのしかたが ずっと残ってるのが

大和には そこに恐らく 中国起原で
そうでないものが スッと入ってきて

それで 空白部分をね
作ってるんじゃないでしょうかね。

何か こう すごい謎ですよね。

なぜならば
大和の人たちが 急に変わることは

つまり 黥面をしてたはずだから

急に変わるには 一代 少なくとも
かかるわけじゃないですか。

では 何が起きたのかって
なぜ そんなこと可能になったのかって

やっぱ 考えると…

まあ あるいは ここで 本当に…

じゃあ もう 一代かけても
これを変えなきゃいけないというような

運動が起きたのか。

そこが ものすごい日本の起原になってる
っていうことは 確かですもんね。

ものすごい 何か ワクワクしますね。

あと やっぱり 気になるのが
ホタテ貝式の古墳のね

くびれたところに
あれが埋めてあるという… 黥面のが。

やっぱり 何かね あの場所っていうのは
古墳のくびれたところって こう

下から首長を見上げて
お祭りして

あがめ奉るような
儀式が行われるような場所だから

そこに置かれてるっていうのは
やっぱり 何かね

ガードマンとか
サービスマンにされてたような人

その経緯が分かんないけど
ひょっとしたら

遠くの地方で
捕虜になった人だとか

そういう やっぱり
服従っていう問題があっての

やっぱり 男だったんじゃないか
っていうのを

何となく感じるんですけど
先生どうですか? これ。

3世紀には 近畿地方からは
イレズミの絵がなくなるわけですよね。

ところが4世紀
さっき見た 茅原大墓もそうだし

5世紀の四条古墳も
あれ みんな畿内地方なんですよ。

そこで イレズミの埴輪が
いっぱいあるんですよ。

だから 磯田さん おっしゃるように
それは

よその地域からね…

阿曇目とかいったりする場合も
あれは 海で

海洋で 非常に航海技術があるような

そういう人たちを思わせるような
表現だから

普通に稲作をやっているというよりは
ちょっと別の 海で働いているとか

そういう 生業も違うような人たちの

文化のようなことを におわせるんですよ
やっぱり。

いや~ 面白いです。

設楽さん 今日 いろんな研究のことも
教えていただきましたけれど

今日 改めて 皆さんで話してみて
どんなこと感じましたか?

伝統的な文化と それから
新しい文化のせめぎ合いですよね。

それ やっぱり 非常に面白いことで

弥生文化っていうのも
全然 一枚岩じゃないんですよね。

地域的な違いが すごく大きくて

中国を起原とする文化によって

イレズミの性格も
変わってくるわけですから

だから そういう揺れ動くせめぎ合い
一つ一つを

これから 顔の考古学を通じてね

別の視点から 研究していってみたいな
というふうに思いました。

松木さん 今日 どんなこと感じましたか?

やっぱりね ホモサピエンスというのは

本当に 社会を変えたり守ったりするのに
物を使いますよね。

その物の物理的機能とは
全く関係のない意味を盛り込んで

それを利用して 社会を変えていったり
守ったりするんだなということで…。

社会が変わるから
物が変わるんじゃなくて

やっぱり その逆なんだと。

これからの考古学は
そこに一つの力点を置いてですね

物の研究を極めていきたいなというように
思いましたね。

松木さんのベクトル
設楽さんのベクトルで

より考古学が 何か私たちにとって
立体的に

本当に 当時の人たちの生活が

立体的に見えてくるなっていう感じが
すごくしました。

いや~ 本当に人間っていうのは
意味の動物だなと つくづく思いました。

だって ここにね こう
ヒュッと イレズミが入ってたら

これが縄文人は いや みんなと一緒と
思ったかもしれないし

弥生人になったら
これ 水から守られるとか言ってね。

それで 古墳時代だとか
もっとあとの時代 大陸の影響受けたら

これは罪人であったり
そういう意味でも 意味なんですよね。

ここに こういう線が入ってたものに
何らかの意味を作り出したり

それに基づいて行動するっていうのが

我々の本質だと思っていた方がよくて

それが本当に時代と場所と

ふとしたことで
いろんなものを作り始めると。

できれば みんなが
幸せになるような方向に

意味を使ってほしいなとは思いますよね。

いや~ 本当にそうですね。

皆さん 今日は ありがとうございました。

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