出典:EPGの番組情報
NHK地域局発 きんくる沖縄金曜クルーズ「作家・大城立裕 沖縄を問い続けて」[字]
昨年10月、沖縄出身で初の芥川賞作家・大城立裕さんが95歳で逝去した。最晩年の未公開インタビュー、俳優・津嘉山正種さんによる作品の朗読などを通じ、その人生を描く
番組内容
昨年10月、沖縄出身で初の芥川賞作家・大城立裕さんが95歳で逝去した。大城さんの一貫したテーマは「沖縄とは何か」を問うことだった。芥川賞受賞作品「カクテル・パーティー」では米国統治下の沖縄を描き、小説「琉球処分」では沖縄と日本本土の関係の原点に迫った。番組では、最晩年の未公開インタビュー、関係者の証言、作品の朗読などを通じ、沖縄を問い続けた大城立裕さんの人生を描く。朗読は津嘉山正種さん(俳優)。
出演者
【ゲスト】大城貞俊,【出演】真藤順丈,【司会】津波信一,MEIRI,【アナウンサー】竜田理史,【朗読】津嘉山正種ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
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- 戯曲
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
担当は中村幸司解説委員です。
10月に95歳で亡くなった
作家 大城立裕さん。
幻となってしまった次回作への抱負を
語っていました。
1967年に沖縄出身者として初の
芥川賞を受賞した大城さん。
70年余りの作家活動で
問い続けてきたのは
沖縄とは何かでした。
大城立裕さんは
私たちに何を残したのでしょうか?
その人生と作品から
考えます。
♬~
(3人)こんばんは。
「沖縄金曜クルーズ きんくる」です。
今日は 10月に亡くなった
作家 大城立裕さんの人生を振り返ります。
はい こちらにあるのは
大城さんが手がけた
作品の数々です。
すごい。
すごいですね。
たくさんありますね。
まずは芥川賞の受賞作
「カクテル・パーティー」です。
那覇市内の書店では
文庫部門で売り上げトップと
再び注目されています。
そして お隣 アニメ映画にもなった
「対馬丸」です。
うん。 あの「対馬丸」は 小学校の頃とか
アニメ見たり読み聞かせとかで
沖縄の人で
知らない人はいないと思うんですけど
大城さんが書いたっていうのは
もう今回 知って
ちょっと恥ずかしいなと
沖縄の人として…。 あ そうですか
初めて 大城さんが書いたと…。
はい。 当たり前に「対馬丸」は
「対馬丸」っていうか 何かもう…。
何だろうな…。
私も小学校の時に上映会やりましたね。
あったよね?
はい。 私も見ました これ。
これから やっぱり こう何か
慰霊の日とか戦争とかを考える時とかには
やっぱ題材になってましたからね。
そうですよね。
まさに沖縄に関する
数々の作品を残した大城さん。
どのような人生を
歩んできたんでしょうか?
大城立裕さんは 1925年に
中城村で生まれます。
日中戦争のさなか 上海の大学に入学。
中国語を学び
現地で働こうとしましたが
敗戦により その夢は断たれたのです。
大城さんは 高校教師や
琉球政府の職員として勤めるかたわら
小説や戯曲を次々と発表。
沖縄とは何かを問い続けてきました。
一躍 脚光を浴びたのが 1967年。
沖縄出身者として
初めて 芥川賞を受賞したのです。
本土復帰を願う声が多かったこの時期
沖縄文学が日本本土から
認められたことに人々は歓喜しました。
受賞作の「カクテル・パーティー」。
アメリカ統治下の沖縄の置かれた
不条理が描かれています。
舞台は
アメリカ人が開いたパーティーです。
ある時 参加していた沖縄の男性に
悲劇が起きます。
娘がアメリカ兵に暴行されたのです。
男性は パーティーが取り結ぶ
国を越えた親善に 疑いの目を向けます。
「カクテル・パーティー」の原稿です。
アメリカ統治の時代
大城さんの苦悩の跡が残されています。
大城さんがしゅん巡していたのは
タイトルです。
「カクテル・パーティーの告発」
とすることも 考えていたのです。
実は…
大城さんは
この本で もう一つの告発をしています。
登場人物の孫という名の中国人が
日中戦争時代の体験を語ります。
妻が日本の兵隊に犯されていた。
沖縄とは何か。
それを問う作品を
世に送り出してきた 大城立裕さん。
度々 口にしてきたことがありました。
…ということをずっと書いてきましたね。
沖縄問題の本質は文化にある。
大城さんの考えが
凝縮された小説があります。
2011年に発表された 「普天間よ」。
普天間基地に隣接した地域で暮らす
家族の物語です。
♬~
琉球舞踊の稽古をしていた
主人公の女性。
恋人を思う激しい愛情を
描いた歌に合わせ
踊っていた時のことでした。
(ヘリコプターの爆音)
心の中で流れる歌に合わせて
踊った女性。
爆音がやんだあとも 踊り続けました。
そして 上空にいるヘリコプターの兵士に
思いを巡らせます。
♬~
大城さんの小説に
影響を受けた作家がいます。
沖縄の戦後を活写した小説「宝島」で
直木賞を受賞した真藤順丈さんです。
本土出身の真藤さんは
大城さんの作品を通じて
沖縄の苦難の歴史や 人々の胸に
秘めた思いを学んだと言います。
大城さんが70歳を過ぎ
力を入れたものがあります。
沖縄の伝統芸能
組踊の脚本を書くことです。
♬~
大城さんの組踊は
型破りな時代設定で知られています。
琉球王朝の時代を描く作品が多い中
沖縄戦を舞台にした
「花の幻」を発表しました。
(太鼓の音)
食い物にならず。
孫の手にもならず。
一つの挑戦を
またさせていただける機会を
先生の新作組踊に当たってはですね
たくさん頂いたのかなと…。
より組踊が 可能性が広がっていく
その魅力が増していくことに
つながるのではないかなと思います。
今年5月 遺作となった私小説
「焼け跡の高校教師」を発表した大城さん。
実は 次の作品を構想していました。
入院中の大城さんを
沖縄文学の研究者たちが訪ね
その姿を記録していました。
今ね 計画してるのは
今年いっぱいに もう一つ書いて
これで打ち止めにしようと
思ってるんですよね。
それちょっと説明していただけますか?
先生のこれからの作品…。
あんまり構想が まとまってないうちに
説明するのは ちょっと僭越だし
恥ずかしいけどね。
もう それを あえて言ってしまえば
首里城がああいうことになったでしょ。
琉球文化の代表だったわけだよな。
それが焼けてしまった
っていうことに対する…。
その後 体調が悪化した大城さん。
10月27日 帰らぬ人となりました。
沖縄とは何か
作品を通じて問い続けた人生でした。
あのVTR見て 立裕先生は やっぱり
文学を武器にした すごい挑戦者であり
やはり開拓者でもあったなという
改めて感じましたけど
嘉数さんが 国立劇場に行ってます。
やっぱり 組踊にも 新しい可能性を
広げてくれたっていうことでね…。
本当 そのあと新作も
どんどん出てきてますし
広がってるなっていうのは 本当
そう思いましたね。 MEIRIどうでした?
私は 何か この沖縄っていうことを
伝えるというよりは
もっと沖縄のリアルな部分
その時代 時代のリアルな部分を
すごい描いている感じがして
何か すごいストリートっていうか
ある意味 むっちゃヒップホップだなって
私は思ったんですけど
そういうかっこよさを
私は すごい感じました。
その時代 その時代 絶対…
目の前にしてますからね。 そうですね。
スタジオには
大城立裕さんと 30年近い親交がある
作家の大城貞俊さんです。
どうぞよろしくお願いします。
大城さんは 先ほどVTRでも病室でも
映像がありましたけれども
何か その時の印象的なエピソードとか
あったら 教えてください。
そうですね
2月にお見舞いに伺ったんですが
とてもお元気でしたよ。
ですね。
首里城を書きたいと
言ったことには驚きましたけど
もう一つ 記憶に残る言葉がありまして
実は 窓際まで私を引っ張っていって
「大城君 ここから慶良間が見えるよ」と
おっしゃってました。
立裕さんには 強制集団死を扱った
「神島」という作品があるので
それと合わせて
とても印象に残る言葉となりましたね。
大城立裕さんって 改めて
どんな作家だったと考えてますか?
やはり 沖縄の戦後史を体現した
沖縄を代表する作家だと思います。
先ほど ビデオでもありましたが
沖縄初の芥川賞作家である。
それから 90歳を過ぎるまで
創作欲 衰えることなく
70年以上もの間 作品を書き続けた。
そして 作品の題材は多様ですが
常に沖縄を考え
沖縄のことに思いを巡らしていた。
更に 組踊や戯曲 沖縄芝居 琉歌
そういうことにも挑戦をして
作品を書いてこられた。
大切なことは これらの作品を通して
大城立裕さんは 自らの自立と
アイデンティティーを
模索していたのではないかと思います。
そのことが 沖縄の自立やアイデンティティーを
考えることにもつながった。
私たちの共感は
そこに多くあったように思いますね。
大城さんのような作家は
なかなか これからも
出ないのではないかなと思いますよ。
組踊も すごい斬新だったですよね。
70歳を過ぎてから 組踊を取り組んだ
ってのは 何でだったんでしょうか?
そうですね… むしろ立裕さんは 沖縄を
とても愛していた作家だと思いますよ。
立裕さんは 沖縄問題は
政治問題であると同時に
文化問題であると
おっしゃっていますけど
その沖縄の文化である組踊
あるいは 沖縄芝居など
とても大きな関心を寄せて
そして 自分もまた変えてみたいと
思ったんじゃないですかね。
大城立裕さんは 聞くところによると
お芝居が大好きで
作品も出発の頃は 人間の対立がある
あるいはドラマのある
戯曲から スタートしていますのでね
やはり 舞台は
魅力的だったんじゃないですかね。
余談ですけど 僕 立裕先生の舞台の裏方
やったことあります。
そうだったんですか?
こんなんでした…。
畏れ多くて
お話もできなかったんですけど
さっき70代っていう話が
あったじゃないですか。
今 ビデオ見ると 90代超えても
新しい小説を書きたいっていうか
首里城のも 是非 読みたかったですよね。
大城さんね そこは やっぱ
ずっと挑戦し続ける方なんですよね。
大城さんの挑戦は
いくつかありますけど
まず一つはですね 沖縄を語るに
政治の言葉だけではなくて
生活の言葉 あるいは文学の言葉
振幅の広い言葉で
語りたいという思いが
あったと思いますね。
そして 沖縄に向かう そういう視線が
普遍的な作品世界を生んでいく。
これは もう 文学者にとって
大きな挑戦だったと思います。
こういう
たくさんの本になってますもんね。
また 立裕さんの作品は
世界を舞台にした作品もあって
国境をボーダーレスにする作品も
あったと思いますね。
選んでいただいたのが あるんですよね。
これから大城さんの作品を
読んでみたいという方のためにですね
今回は 大城貞俊さんにお薦めの本
作品を選んでいただきました。
3つです。 まず 一つが
「朝、上海に立ちつくす」という
これは自伝的な作品です。
そして もう一つ 「小説琉球処分」。
これは 沖縄と本土の関係の
原点に迫った作品です。
更に こちら 南米に移民した
沖縄の人たちの運命を描いた
「ノロエステ鉄道」。
こういった3作を挙げていただきました。
大城貞俊さん こういった本の内容や魅力
時間短くなってしまいますけれども…。
皆さんに読んでもらえればいいと
思いますけども…。
読んでみると分かる
ということなんでしょうか。
大城立裕さんが残した遺産は
大きなものがありますが
私たちが 立裕さんの作品を読み
沖縄を考え続けることが
私たちが 大城立裕さんの遺産を
引き継ぐことになるのではないかと。
そんなふうに思いますね。
そうなんですね。
この3作品を選んだ理由っていうのは
何かありましたか?
やはり 立裕さんの
文学の出発になった作品が
「朝、上海に立ちつくす」。
そして 「小説琉球処分」は
沖縄に とても寄り添った作品です。
涙が流れるほど 心を熱くする作品ですね。
長いですが
是非 読んでもらいたいと思います。
ありがとうございました。
「鬼滅の刃」もいいですけど
是非 立裕さんの… 買ってください。
今日は 大城立裕さんの人生を
大城貞俊さんと共に振り返りました。
どうもありがとうございました。
早速 読んでみたいと思います。
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