徹子の部屋 瀬古利彦[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 瀬古利彦[字]

~34歳で旅立った愛息からの“金メダル”と共に~瀬古利彦さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
日本マラソン界のレジェンド!瀬古利彦さんが番組初登場。寡黙に走るイメージとは違い、冗談を交え明るく話す瀬古さんに初対面の黒柳さんは…!?
◇番組内容
高校から本格的に陸上を始め、両親の支えもあり国内外で15戦10勝という世界的な選手になった瀬古さん。しかし、オリンピックではいつも涙をのみ…9位に終わったソウル五輪のあと家に帰ると、当時2歳の長男がお手製の“金メダル”をくれたという。その長男が、今年4月に34歳の若さで亡くなった。長く病と闘っていた愛息と家族との秘話を明かす。最期の電話で息子が言ってくれた言葉は…。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  8. 最後
  9. 瀬古
  10. マラソン選手
  11. 一緒
  12. 家族
  13. 随分
  14. 選手
  15. 電話
  16. 拝見
  17. 病気
  18. イカンガー
  19. オリンピック
  20. お父様

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

♬~『徹子の部屋のテーマ』

(黒柳)わあー! わあー 懐かしい。

この角刈り。 わあー。

きっと お懐かしくお思いの方も
多いと思います。

日本マラソン界のレジェンド
瀬古利彦さんです。

どうぞ
こちらに おいでくださいませ。

はい こんにちは。
どうも。 こんにちは。

黒柳さん はじめまして。
ねえ。 はじめましてなんですよ。

そうなんですよ。
申し訳ないですね。

昔から もう
会いたくて会いたくて

恋い焦がれて
今日 やってまいりました。

そんな冗談おっしゃらないで。

どうぞ お座りください。
いいですか? はい。

どうぞ お座りください。
もう 私は本当に

走ってらっしゃるところのお姿が
よくて

ずっと
いつも拝見しておりましたけど

頭の毛の刈り方が違うので…。
あっ 昔はね スポーツ刈りで。

角刈りっていうんですかね?
そうなんですってね。

瀬古カットっていわれてね。
そうです そうです。

あれ 早稲田の選手は
みんな あれやってたんです。

そうですよね。
なんか 走る人は みんな

ああいうふうにするもんだって…。
この頭ですね。

そうです。 これ
空気抵抗がなくなるんですよ。

あっ やっぱりね。
ええ。 だから 最高なんですよ。

これがね 走るのにはね。
宗兄弟は

髪の毛いっぱいあったでしょ?
あれ やっぱり

空気抵抗があったんで
その分 僕が勝ったんです。

フフフフ…。 それで 瀬古さん
お勝ちになったのね。

そうなんですよ。
今の拝見してたら 毛がないから。

どっちがいいですか? 今と昔と。
あのね…。

ノーコメント?
いや あの… 前は前で…。

前は前でね。
今は今で。

さすが 上手ですね。 僕は
今の方が好きなんですけどね。

これも悪くはないと…。
悪くはないね。

でも よくもない?
いや そんな事は申しませんけど。

あっ そうですか。
前は細長いお顔だったじゃない。

すいません。 ええ。
細長いというか

あれ 走るとですね
痩せるんですね。

あっ そうなんですか。
ええ。

本当は
僕は こういう顔だったんだけど

練習して ああなるんです。
本当にですか?

だから 今 20キロ太りましたもん。

あっ 当時から?
そうです。

でも そんなふうに
太ってらっしゃるとは見えません。

でしょう? だから 昔は
めちゃくちゃ細かったんです。

じゃあ
随分痩せてらしたんですよね。

だから 痩せたものだからね 昔

三遊亭円楽さんと
間違えられたんです。

円楽さん よく言ってますよね
「瀬古です」なんて。

そうなんですよ。 ねっ。 はい。
フフフフ…。

『徹子の部屋』
初出演でいらっしゃいます。

でも 本当に明るくて
お元気な方なんで。

何しろ 国内外のマラソンで
15戦10勝っていう もう 本当に…。

15戦で10勝っていうと
もう すごい勝ち方ですよね。

マラソン選手では
やっぱり 多い方ですね。

すごい。
だから 10回 勝つと…

なかなかいないですよね。
そうです。

だって 15回やって
10回 勝ってるんですから。

その他 東京の他に…
この写真も そうですけども

ボストンとか ロンドンとか
そういう… シカゴマラソン。

わあー すごい。

それで 世界選手権

福岡国際マラソン3連覇を含む
4度の優勝。

ちょっと VTRがございます。

福岡国際マラソンで
お勝ちになった様子

ちょっと 皆さん ご覧ください。
わかりました。 はい。 じっくり…。

すごい!
これ…。

走ってる 走ってる。
早稲田の学生の時ですね。

あっ そうなんですか。
はい。

これ 中村監督… 私の恩師の。

あっ そうなんですか。
監督。

あっ 来た 宗兄弟。

あっ 勝った 勝った 勝った。
また 中村監督 来た。

これ 2連覇ですね。 2連勝。
すごい。

若いですね。
これ 22ぐらいか 23ぐらいですね。

すごい。
で これが… 80年。

これ もう 社会人になりました。
福岡ですね。

ああー 3連覇ですね。

当時は これ 世界歴代
10桁に入ってましたね。

ねえ。 すごい。

これがロサンゼルスオリンピックの時の
予選会ですね。

おーい。
最後 100メートル

イカンガー選手に勝ったって…。
勝った 勝った 勝った。

これ 最後の100メーター
13秒ぐらいで走れるの。 13秒。

最後の100メートル 13秒って
すごいですよね。

はい。 で 終わったあとにね
イカンガーっていう選手に

怒られました。
なんて?

「せこい」って言われました。
また…。 フフフフ…。

「そんな事しちゃイカンガー」って
言われましたからね 本当に。

イカンガーって 私も…。

タンザニアの人じゃないですか?
そうです そうです。

私 その年 ちょうどね
ユニセフの親善大使でね

私がタンザニアに行ったんですよ。
あっ そうなんですか。

そしたら そこの時にイカンガーが
ちょうどね 向こうでね…。

お会いしました?
飛行場で…。

あっ そうですか。
飛行場で お会いしたんですけど

向こうで もう大スターでしたよ。
みんなが迎えに来てた。

そうですよね。
うん。 すごかったです。

でも
瀬古さんは三重県のご出身で

実家は鉄工場?
鉄工所ですね。 はい。

高校から
本格的に陸上をお始めになって。

これ お母様とお父様と

それから お兄様と。
そうですね。

この小さい子供…
抱かれてる方が

あなた…。
そうなんです。

丸々してますね。
本当ね。

今の私みたい。 そっくり。
本当 真ん丸。

自分だもんね。
フフフフ…。

可愛い。 真ん丸。
可愛いですね。

こんな時あったんですね。
そうです。

「そうです」って
私が言うのも変ですが。

それで 高校を卒業なすってから

アメリカへ留学なさって。

そうなんですよ。
早稲田 受けたんですけど

落っこちたっていうか… ええ。
入れなかったんです。

そんなに走れても
大学は入れてくれなかった…。

当時は そうだったんです。
ほうー。

で やっぱりね 早稲田に行きたい
っていう気持ちがあったんで

勉強は
あんまりしてなかったんだけど

大丈夫だろうって
言われたんですよ。

そうですよね。
みんな そう思いますよね。

で 言われたんだけども 受けたら

あまりにもね
英語の勉強ができなさすぎて。

フフフフ…。 でも…。
で 英語が0点に近かったんです。

駄目ですかね? 0点近いと。
駄目ですね。 うん。

なので
受かる事ができなかったんですね。

それで アメリカへ
いらっしゃる…。

アメリカ行ったら
英語ができるだろうっていうので。

でも 僕は
行きたくなかったんだけど

行かされてしまった。

留学費用を
ご両親が出してくださった。

そうですね。 はい。

行けば なんとかなるだろう
と思って 行ったら

なんとかならなかったんですね。
フフフフ…。

ならなかったんですか?
ならなかった。

向こう行ってですね

ホームシックに
かかっちゃってですね。

あら。 男の子で。
男の子でも女の子でも

ホームシック
かかるんじゃないですか。

フフフフ…。
そうですか。

そう。 だって ねえ おふくろと
初めて別れたものだから

寂しいじゃないですか。
何歳ですか? その時。

18… 18です。
そうですか。 可愛いわね。

可愛いでしょ?
すごく可愛い。

それで お母様が
その時に お手紙をくだすった

その手紙…
私 びっくりしたんですけども

まだ
持ってらっしゃるんですってね。

これぐらい もらいましたかね
親父とおふくろから。

ここにあります。
ご覧ください 皆さん。

そうそう。
すごいの。

昔のエアメールっていうのは
こういう封筒にね 入れて。

これ もう 見ると
また泣いてしまうんですよ。

泣いちゃう。
お父様とお母様から?

そう。 また 帰りたいなと
思いながらね…

それの繰り返しだった。
あっ そうですか。

ご両親は 大会は
見に来てくださったんですか?

アメリカには来てませんけど
日本で大会がある時は いつも。

これは高校時代ですね。
こういう感じでしたよね

真ん中の。
そうです。

瀬古さんっていったら。
これ 高校時代ですね。

大学の時もね 試合があると
いつも来てました。

あっ そう。 やっぱり 可愛いから。
私の下宿に。

下宿って どのくらいの大きさの
下宿なんですか?

6畳一間ですね 昔ですから。

そうすると ご両親
そこにいらっしゃって…。

それで 僕のために
食事を作ってくれたり 朝と夜と。

泊まるのは?
一緒に寝るんです そこで。

6畳で?
6畳で。

3人で?
そう。 3人で並んで 川の字で。

でも いいですよね。
はい?

いいじゃありませんか
そういうのって。

だから よくないんですよ。
何が?

おふくろがね
いびきが すごいんですよ。

あっ お母様が?
いびきが すごくて

僕は寝れないんです。
あら。

でも すごいって ねえ
大きな声で言えないから

おふくろ ごめんね
俺 明日 試合だから

あそこに… 押し入れに
頭だけ入れてくれって。

フフ…。 本当?
本当。 押し入れに頭入れて

寝てもらったっていうの
ありますけど。

でも 押し入れの中の
反響がすごくて

もっと大きい音に
なりませんでした?

そうでした。 ハハハハ…。
そうでしょうね。

やっぱりね 息子と一緒に寝たい
っていうのがあるんですよね。

いくつになっても
息子は可愛いっていうね。

一応 三男坊だし。
離れて暮らしてらしたしね。

僕も家族 大好きで。 本当は
一緒に住みたかったんだけど

なかなか ねえ 東京にいるから…。
そりゃそうですよね。

来てもらうしか
ないじゃないですか。 はい。

だからね 向こうから
いらっしゃるんですから

泊まるっていうのも当然で。
そこで いびきかいたからって…。

「もう来るな」なんて
言えないじゃないですか。

そんな… もちろんですよね。
いつも来てほしい。

だけど 試合は
なかなか思うように走れなかった

寝不足で。
寝不足で? かわいそう。

お母様 それ お聞きになったら
なんと思います?

今頃 天国で
怒ってるかもしれないけど。

そうでしょう。 なんだ? って。
ハハハハ…。

世界的な選手になるって…。

ただし
オリンピックでは涙をのみ…。

はい そうですね。 オリンピックは
駄目だったんですよ。

どういうわけなんですかね?
それは。

どういうわけか… やっぱりね
プレッシャーに弱いんですね。

ロサンゼルスとね
ソウルオリンピックに

出たんですけど。
14番と9番だったんですけど。

そうでいらっしゃった…。
もう 日本のね…

まあ すごかったの 期待が。
そうでしょう。

もう お出になれば勝つと
みんな思ってましたからね。

一日中 「頑張れ 頑張れ」って
言われてね。

ソウルはケガもあって

結果 9位でいらしたのね。
そうですね。

でも 家に帰ったら… そうだ。

2歳の長男が
いいものをくれたんですってね。

あっ 2歳の長男とね
うちの家内がね

お父さんが
やっぱり オリンピックでね

縁がなかったんですよ。

縁がなくて 運がなくてね

9番になりました。

本当ならね
モスクワオリンピックがあったら

メダル
取れてたかもしれないんだけど

取れなくて。 で 家に帰ってきた。

そしたらね
メダルセレモニーがあったんです。

うん。
ええ。

2歳の息子がね…。
あら。 そこにあるんですか?

かみさんに抱っこされてね
「お父さん メダル」とか言ってね。

可愛い。
金メダル 作ってくれたんです。

あら… 何十年も
取っておおきになったの? それ。

これ 30… だから 33年ですね。

可愛い。
そうなんですよ。

うれしかったですか?
これ もらった瞬間に

もう 涙が うわー!
「ありがとう ありがとう」ってね。

家族って大事ですね。
そうですよね。 本当ね。

本当。
なんて ありがたい。

ありがたい。
だけど また…

ごめんね 1位になれなくてって。
えっ?

金メダル取れなくて ごめんねって
なっちゃったでしょ?

だけど 取れないから
これ もらったからね…。

だから いいですか?
僕 下手な金メダルよりは

この金メダルの方がね…。
そりゃ いいですよね 大きいし。

だけどもね ちょっと
気に食わないんですよね。

金じゃないですよね これね。
そりゃそう…。

しょうがないじゃないですか
小さい子供に…。

聞いたんです うちの家内に。
うん。

「なんで 金じゃないの?」って
言ったらね

お父さんはね オリンピックに
「ん」がなかったんだって。

だから 「きん」じゃなくて
「き」なんだって。

き… 黄色の「き」?

黄色の「き」。 「ん」がなかった。
あっ そう。 「き」なのね。

これ 笑うとこなんですけどね。
あっ そこで笑うんですか。

ここで 講演会では
ちょっと 笑わすんですけど。

「き」。
徹子さんには伝わってなかった…。

もう一回おっしゃってください。
ちょっと 笑ってみますから。

笑ってみます? えっと
なんで 金じゃないの? って。

お父さんは「ん」がなかった。
だから 「き」。

「ん」。

面白い話を2回しても
全然面白くないですね。

でも まあ 笑いましょう。
ありがとうございます。

義理笑いでね
ありがとうございます。

でも いいと思います。 そんな…
だって 可愛いじゃないですか

そんなの作ってくださって。
本当 もう 可愛いけど…。

この2歳のね 息子 この4月にね
天国に ちょっと…。

そうなんですってね。

その坊ちゃんは2歳から
すごく大きくなって

三十何歳?
34歳で。 そうなんです。

じゃあ 本当だったら

今日だったら
見ててくださって

お父さん
金メダル 首にかけて…。

25歳の時に
血液がんの一種の

ホジキンリンパ腫っていうのを
発症なさって。

そうなんですよ。 そう。

本当にね… 本当に
いいヤツだったんだけどね。

うん。 本当ね。
いかにも 見るからにね 清潔で。

そうなんですよ。 お父さんにない
清潔さがあるんですよ。

フフフフ…。
本当に。

真面目そう。
そう。 だから 真面目だからね

色んなものをね こう…

世の中の悪っていうか
そういうものが大嫌いで。

あとね ピースボートが好きで。
あっ そうだったんですか。

世界を回ってですね…。

貧しい国とかも
行くじゃないですか。

ああいうのを見ると

すごい 心の中が
葛藤するらしいです。

なんで 誰も助けないんだ
っていうね。

本当 本当。
そうなんですよ。

ピースボートにも
参加なすっていたんですけど

帰国後
病気が出始めたんですって?

えっと… そうですね。
帰ってきて半年ぐらいでね

なんか ちょっと
息が苦しいとか言いだして。

なんか とても痛みが激しくなって
入退院 繰り返す事になったって。

いや そうですね。
もう 大体8年以上…。

そんなに。
苦しんでましたから。

やっぱり 年々 体も

こう ねえ
がんですから

むしばんでくるじゃ
ないですか。

すると
悪くなっていくのは

目に見えてるんだけど

なかなか 僕らもね
息子に ねえ やっぱり

前向きな事を
言わなきゃいけないので

すごく
言葉に気を付けたり…。

そりゃそうですよね。
ええ。

絶対大丈夫だってね
思いながらもね。

でも なんとなく
悪くなっていくの わかるので…。

あっ そうですか…。
だから 絶対…

マイナスな事は絶対 子供には
言わないって夫婦で決めて。

泣き言は言わないように 絶対に。
ええ。 そうですね。

本人もね 一回も

苦しいとか 痛いとか
そういう言葉

あんまり言わないんですよ。
すごいですよね。

親に迷惑かけないと
思ったんじゃないですかね。

随分 過酷な治療だったんだけど

その時も なんにも
おっしゃらなかったんですってね。

痛いっていうのは
ほとんど 僕 聞いた事ないですね。

だから 偉い子だなと思った。
本当ですよね。

マラソン選手になったら…
うちの息子の方がね

マラソン選手に
なれたかなと思います。

あれだけ我慢できるんだから。
でも あれですよね。

だんだん 息子さんが
具合悪くなってからでも

マッサージなんかを毎日
体中 してさしあげたんですって?

2年半ぐらい前からですかね
だんだん 体が悪くなってきて。

で 「お父さん 僕 肩が凝るから

マッサージしてくれる?」って
言われて

「あっ いいよ。
マッサージしてあげるよ」って。

で 次の日も また
「マッサージしてくれる?」って。

で それが習慣になってですね。

半年ぐらい経ってからですかね
「お父さん 話がある」

「僕 1日の中で
何が一番楽しみかっていったら

お父さんのマッサージが
一番楽しみだ」って

本人 言ったんですよ。
本当に…。

それ 聞いた瞬間に
「うわー ありがとう」

「よし 俺 じゃあ お前に
毎日 マッサージしてやるから」

「飲んで帰っても

やってやるから待ってろ」
って言ってね

それから 毎日 やりました。
そうですか。

だって 1日にね
一番楽しみなのは

お父さんのマッサージ
って言われたら やりますよね。

でも
その「飲んで帰っても」っていうの

私 気に入らないわ。
もう そういう時は飲まないで

真っすぐお帰りになったら…。
そんな事… いかないです。

それは僕の生活が
なくなっちゃうじゃないですか。

そんなんですか?
でも 本人ね 飲んで帰ってきて

お父さん フラフラ…
でも 待ってるんですよ。

うれしいじゃないですか。
そりゃ うれしいですよ。

うちのかみさん
もう 寝ちゃってるんですよ。

そうですよね。
息子は起きてるんです。

でも そのご長男が病気になって

そうなって 家族の時間は
随分増えたんですって?

増えましたね。 ちょうど
コロナもね ありましたからね。

色んな仕事も
こうね 制約があって

地方に行けない事もあって。

結構 家族と一緒に過ごす機会が

増えましたね。

向こうの…
左側の一番奥にいらっしゃる

壁際の方が昴さん。
そうです そうです。

亡くなった…。
全部 4人…。

男の子?
男の子なんですよ。

すごいですよね。 男の子ばっかり
4人っていうのは

随分ね。
いいでしょう?

いいですよね。
いい感じですね。

でも ご長男の気持ちが変化した
ひと言があるそうですけど

なんか お医者様から
「この病気のトップランナー」って。

ホジキンリンパ腫で
色んな治療をやりながら

治そうと思っててですね
なかなか治らない。

だけど お医者さんも
昴の病気を診てて

色んな勉強をしたんですって
新しい事がいっぱいあって。

で ある日 先生に
「昴君の病気はね 本当に

お医者さんにとっても

昴君はトップランナーだ」
っていう話が…

を言われて。

あっ そうか。
僕って トップランナーなんだ。

じゃあ これを
ちょっとね 残そうと。

で 本を書いてですね。
あっ 彼が?

そう。 自分の闘病とか思う事をね

将来の人たちに
役に立つようにって書いたのが

『トップランナー』
っていう本なんです。

自分の苦しみが
誰かのためになればいいっていう

そういう思いだった…。
ですね。

本当に優しい子でした。

ちっちゃい時からね…
歯ブラシあるじゃないですか。

でも 歯ブラシも
古くなりますよね。

捨てる時にね
「歯ブラシ君 ありがとう」

「いつも僕の歯を守ってくれて
ありがとう」って

こうやって捨てるんです。
なんていい子なんでしょう。

誰も教えてないのに?
教えてないです。 はい。

そういう優しい子だったんです。
お父様が そんなふうでも…。

お父さんなんか
ピャッと捨てちゃいますけどね。

そんな感じですけど。
ねえ。 そんな感じでしょ?

でも その坊ちゃんは
本を出版したその月に

最後の入院があったんですか?
ええ。 書いて

それで 2週間後ぐらいに
また ちょっと体調が悪くなって。

で 「お父さん 1週間ぐらい
病院に行ってくる」って言って。

そしたら 急に…。
なんか 電話がかかってきた?

あっ 電話かかってきましたね
入院中にね。

ちょっと
だいぶ悪くなりかけて…。

呼吸が苦しくなって…
モルヒネを打つ前だったんですね。

で 僕が
電話 出れなかったんですけど

5分後に電話をかけ直したんです。
そしたら 昴に怒られて

「お父さん 僕が こんな大事な時に
なんで 電話に出ないんだ」

「僕 お父さんに最後に言うね。
もう 声出せなくなるから言うね」

「僕 お父さんの事
大好きだよ」って言われた…。

もう泣いちゃった…。
「昴 ありがとう ありがとう」って。

「大好きだよ」って言われたの
初めてなんです。

そんな事ね なかなか 男の子は…。

言わないですよね。
恥ずかしくて言えないですよ。

でも そう思ってらしたんでしょう
きっと。

そうなんです。 だから 今まで
一生懸命 マッサージしてあげて

よかったなと思って。
だから 天国に行ってもね

全然 本当 悔いがないんです
もう やりきったんで。

そうですか。
家族で。 はい。 本当に。

でも
随分いい坊ちゃんだったんで…。

それ 作ってくださったのも
その子…。

昴です。
2歳の時に。

本当に。 だから もうね この…。
金メダル。

金メダルの中にね
昴が一緒に生きてるんです。

そうですよね。
私の宝物です。

さて
瀬古さんが大活躍なすった大会

今年が最後になってしまうんです
残念ながら。

福岡国際マラソンが12月5日開催。
中継の解説をなさる?

今度 やりますね。 はい。
そうですか。

ものすごいね… 最後ですからね
ものすごいメンバーが

たくさん出るんです。
あっ そうなんですか?

楽しみですよ。
そうですね。

2時間6分台 7分台 8分台がね
たくさん出ますから。

今までにない福岡マラソンに
なると思います。

その2時間6分 7分 8分
っていうのが

ギリギリのとこなんですか?
持ちタイムを持ってる選手が。

だから 日本記録もね
出るかもしれないです 今度。

どれぐらい速いか
わからないでしょ?

いや 私 だって 見てますもの
いつも テレビ。

見てます? テレビ。
拝見… ですから

さっき 申し上げたじゃないですか
拝見してますって。

わかりました。
だから 拝見してる方と

今日の方とが あまり違うんで…。
ハハハハ…。

まさか 瀬古さんがって
思ったんですか?

こんな人じゃないと
思ったでしょ?

もっと真面目な方かと
思ってたんで。

一応
基本的に真面目なんですけど

あまりにもね 現役時代と今が
ギャップがありすぎて

皆さんね「えっ 本当の瀬古さん?」
って言われますもん。

そうですよね。 だって…。
でも 違うんだけど…

でも ご本人ですよね?
はい。 紛れもなく…。

そうですよね。
三遊亭円楽さんではありません。

そうですね。
瀬古利彦でございます。

円楽さんには
似てらっしゃらないです 今は。

今はね。 そうそう。
私が太りましたからね。

でも 去年 次男の方が
ご結婚になって。

そうなんです。
そして そのお嬢さんのお父様も

野球の選手なんですって?
ああー そうです。

随分 偶然でしたね。

中日ドラゴンズのね
山本昌っていう投手。

そのお嬢様と結婚したんです。
随分 じゃあ うれしい?

だから
マラソン選手と野球選手とのね…。

何になりますかね?

そりゃ もう
オリンピック選手でしょう。

ああー そうだね。
だから 楽しみだなと思って 孫。

お孫さんは。
そう。

お孫さん スポーツ 嫌いだったら
どうしましょうね。

そんな事ないでしょう まず。
大丈夫でしょう。

でも 今度 孫もね
1月に生まれる予定なんですけど。

ちょうどね 昴が亡くなった時に
身ごもった…。

ええ。 身ごもった。
…ぐらいですね。

じゃあ ちょうど生まれ変わり?
生まれ変わりだと 僕は思ってて。

わあー そしたら…。
そう。

いいじゃありませんか。
本当に可愛がっちゃいますね。

可愛がっちゃいますよね。
うん。 そう。

これも縁ですね。
縁です。

で その子が
走るの 好きなんていったらね

もうね なんとかリードして…。

走らせましょう ねえ。
フフフフ…。

…ご紹介したぐらいなんですから

そのお孫さんは
なんとかしましょう。

そうですね。
マラソン選手にしましょう。

しましょう。 フフフフ…。
皆さん 今日は

ありがとうございました。 どうも。
本当 ありがとうございました。

『徹子の部屋』は

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