出典:EPGの番組情報
先人たちの底力 知恵泉 スペシャル「占いが歴史を動かす!?」[解][字]
日本の歴史は、古代から現代に至るまで“占い”とともにあった。年の初め、この1年をどう過ごせばいいのか、占いの歴史をひもときながら、占いとの付き合い方を考えていく
番組内容
日本の歴史は“占い”とともにあった。動物の骨を使った「太占」が古くから行われ、天武天皇は「式盤」を使った占いで、壬申の乱を勝利に導いた。中世に入ると、軍師が易学や天文学を使い出陣の日の吉凶を占うなど、占いは戦に欠かせない要素となり、江戸時代なると、人相占いや夢占いなどが、民衆の生活にも浸透していく。年の初め、この1年をどう過ごせばいいのか、占いの歴史をひもときながら、占いとの付き合い方を考えていく
出演者
【出演】中園ミホ,宮澤エマ,加来耕三,【司会】新井秀和,【リポーター】井上二郎ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
年が明け 初めて神社や寺院に参拝する…
一年の初め 皆さんは…
(せきばらい)
え~っと
さて 初詣といえば「おみくじ」ですよね。
これ 自分の運勢を
神や仏に伺う 一種の「占い」です。
科学万能といわれる現代ですが
おみくじ以外にも ちまたには
さまざまな占いがあふれています。
実は この占い
日本の歴史を長きにわたり
ひそかに動かしてきたというのです。
華麗な宮廷文化が花開いた
平安時代。
恋人たちの逢瀬は いつも
「占い」次第でした。
終わりなき戦いが続いた戦国時代。
戦地に赴く武将たちは 出陣の日を
占いによって
決断していました。
そして なんと!
天皇を くじ引きで選んだことも。
新年最初の「知恵泉」は
日本の歴史と深く関わってきた
「占い」の世界と
そこに秘められた知恵に迫ります。
これだけ そろってれば
今年の運勢は どうかな?
いっぱい回しとこ。
どうかな? 運勢が上がりますように。
運気が上がりますように。
どうも。
おっ!
これはこれは加来先生。
これはこれは。
あけましておめでとうございます。
あけましておめでとうございます。
あっ 宮澤エマさんも…。
あけましておめでとうございます。
あけましておめでとうございます。
いや~ お待ちしておりまして。
すてきな お召し物で。
ありがとうございます。
銅鏡柄っていう
鏡の裏なんですって この柄が。
ちょっと華やかなものを選んで
着てまいりました。
鏡の裏側の その柄になってるわけですね。
そうです。
ちょっと一年の始まりに
ぴったりかなと思って。
どうぞ どうぞ お掛け下さい。
お邪魔します。 よいしょ。
ゆっくりどうぞ。
ありがとうございます。
それより あの 正直入った時から
ず~っと気になってるんですけど…
この一年を占おうと思って
古今東西 いろんな占いグッズを
集めてみたわけなんですよ。
宮澤さんの すぐ横の
その目立つ棒ですよね。
いわゆる易占いで使う筮竹ね。
ですとか その下の きれいでしょう。
水晶ですよね。
水晶。 うん。
あとね カレンダー。
はい。
あれも 一見 何の変哲もない
カレンダーと思いますけれども
あの「六曜」なんて言いますけれども
それも書いてあるっていうことで
広い意味で占いグッズかもしれないなと
思ってですね。
確かに。
あの 私のマネージャーが
すごく占い好きでして
初めてタロットとか
いろいろ占って下さるところに
連れていって頂いた時に
すごく はまってしまって。
それからは一年に1回 年末に行って
来年を占ってもらうっていうのを
ここ4~5年ぐらい行くようにしてます。
なるほどね。
いや でも 加来先生
日本人の こう 何て言うんですかね
歴史的に見て
昔から占いが好きだったとか
何か そういうのってあるんですか?
多分ですね
いわゆる宗教的なバックボーン。
そういう信条みたいなものを
日本人は持ってませんから。
多くの人がね。 だから つい やっぱり
その日常生活の中で不安になること
どうしようかと思うこと 悩むこと
そういう時に ちょっと
きっかけが欲しいわけですね。
確かにな。
実はね もう一方ね もう そろそろ
いらっしゃると思うんですけどね
さっき そこの角を曲がったって
連絡があったもんですからね。
あら もう本当 すぐそこ。
そろそろね お見えになると
思うんですけどね。
ちょっと足音が聞こえた?
こんばんは。
あけましておめでとうございます。
あけましておめでとうございます。
おめでとうございます。
脚本家の中園ミホさんです。
ようこそいらっしゃいました。
はじめまして よろしくお願いします。
脚本家 中園ミホさん。
90年代から
数々の人気ドラマを生み出してきた
当代きってのヒットメーカーです。
現代劇のみならず
大河ドラマ「西郷どん」や
連続テレビ小説「花子とアン」なども
手がけてきました。
その中園さん 実は「占い」と
大きな関わりがあるんです。
元占い師でらっしゃった?
そういうことなんですよ。
脚本家になる前は
これで ごはんを頂いてました。
飯を食ってました。
そうだったんですか。
あの14歳から占いの勉強を
ちゃんとしていて
これあの14歳の時から使っている
占いの手帳なんですけれど
もうボロボロなんですけれど。
私を?
えっ なんと。
わ~! こんなことありますか?
ドキドキしちゃう。
宮澤さんはね あの
すごくあれですよね 華やかな星で
大勢の中で何かを作ったりするものが
お好きで
とてもアクティブな星なんですけれど
今年はね それがもう最高にいい…
えっ!
お仕事もいいし
恋愛も すごい方に出会いの運もあるし
結婚もいいですし
もう何やっても 最高の本当に
大河も大成功なさって
すごく注目されると思います。
私 お支払いした方がいいんでしょうか。
このまんま帰りたいです。
これを持ち帰って。 え~。
何やってもいいって。
今こそ ためた力を
ブワッと出す時なので。
今なんですね。
皆さん 聞きましたか? 今です。
私 今年 私の年です。
よろしくお願いします。
お仕事お待ちしております。
日本で 占いは
いつから行われていたのか。
こちらは 弥生時代 3世紀頃の
集落の跡とされる 奈良県の…
2015年 ここで
イノシシの肩甲骨と見られる
動物の骨が出土しました。
骨には 火のついた棒を
押し当てたような痕跡が。
これ実は 占いを行った跡なんです。
動物の骨を炎で焼き
入ったヒビの形状で
吉凶を判断する。
これは「太占」と呼ばれる占いで
各地で行われていたと
考えられています。
この太占の風習を
今も続けている場所が
東京・青梅市にあります。
武蔵御嶽神社は 毎年1月3日
その年の農作物
25品目の出来不出来を占う
「太占祭」を行ってきました。
太占祭は秘事とされ
関係者以外が立ち会うことは
決してできません。
そこで 今年の1月3日に使う予定の
鹿の肩甲骨を特別に見せてもらいました。
(須崎)これはまだ
肉がついてることもあるから
これで ずっとつるしといて
まず腐らして
それから水につけて きれいにして
それから こういう状態になる。
こちらが 去年の太占の結果です。
これをもとに
儀式の手順を説明しましょう。
当日の朝
骨の形を紙に写しとり
更に「こより」を使った
くじ引きによって
農作物ごとの
方向を決めておきます。
そして 骨を金網にのせ
斎火と呼ばれる神聖な炎で焼き…。
骨に生じたヒビ割れが
中心から遠ければ遠いほど
その方向に定められた作物は
今年 不出来とされます。
例えば 「そば」の方向には
ヒビが入っていないので
10段階のうち 評価は10。
よい出来が期待できます。
一方「人参」は
真ん中にヒビがあるので
評価は5。
幾分 不出来の見込みでした。
結果は 一覧表にまとめられ
参拝者に配られます。
やってて
当たってるって おかしいけどね。
ヒビが かなり入って 一番 25の中で
一番 悪い結果が出たんですけど
やっぱり…
何か やっぱり そういうのはね…
だから神秘的って 今の時代
「何がどうの」って言うかもしれないけど
その辺が…
はい。
いかがでした? 宮澤さん。
いや~ やり方は ある意味
至ってシンプルですけど
これだけ歴史があると思うと
当たるから これだけ続くんだろうなって
何となく思ってしまいますね。
なるほどね。 いや でも 去年は
ちょうどジャガイモが不作だった
っていうふうに宮司さんも
おっしゃってましたけれども
見て頂きたいのがね 1993年の
コメの不作だったんですけれども
冷夏でね 稲が育たなくて
コメが取れなかった
っていう時で
スーパーなんか行きますとね
このタイ米とかね
輸入米が並んでた時
ありましたよね。
実は 宮司の須崎さんによりますと
この時の この不作も
的中させていたということなんですね。
何か ゾワッと ゾクッときますけどね。
どうなんですか? この太占っていうのは
結構 昔から盛んに…。
もともと そういう文化は
全てだと言っていいぐらい
中国大陸から入ってきたわけですね。
あるいは朝鮮半島から
入ってきたわけですけども。
当時 日本は 後進国ですからね。
一生懸命 その海外の
先進の文化をですね
学ぼうとしたんじゃないかな
という気がしますね。
いや 何か 日本の歴史
さまざまな占いが いろんなところでね
顔をのぞかせそうですけれども
ここからはですね
その占いに込められた
先人たちの知恵を
味わって頂こうと思います。
まずは古代からいってみましょう。
こちらなんです。
すごく甘い天むす
っていうわけではなくって。
ねっ 先生ね 「大あま」で「天むす」。
あっ あっ まだ…
まだそこまで言わなくても…。
(笑い声)
舞台は 1, 350年前の
飛鳥時代のお話でございます。
飛鳥時代後期 全国の豪族を
朝廷の身分秩序に組み入れたり
体系的な法制度を
整えようとしたりするなど
絶大な権力で
国の体制の基礎をつくった
古代きっての実力者です。
天武天皇が まだ大海人皇子と
名乗っていた頃
甥 大友皇子との間に
皇位継承を巡る争い
「壬申の乱」が起こります。
この時 劣勢にあった大海人皇子を
勝利に導いたものこそ
「占い」だったのです。
大海人皇子 その人柄が
現存する最古の歴史書「日本書紀」に
記されています。
「天文甲」とは 太陽や月や星
そして
雲などの気象状況を観察することで
天の意思を伺い 不吉な事柄から逃れる術。
すなわち「占い」を意味すると
考えられています。
この記述は 大海人皇子の
極めて先進的な姿勢を表していると
歴史学者の松尾 光さんは言います。
最先端の知識を学んだ 大海人皇子。
その視線の先には
兄 天智天皇の後継者として
「ゆくゆくは自分が国のトップを担う」
という思惑がありました。
しかし その期待は裏切られてしまいます。
兄の天智天皇は 息子の大友皇子を
後継者に指名し
そのまま亡くなってしまったのです。
この決定を大海人皇子は よしとせず
反乱を決意します。
この時 朝廷のある大津から
遠く離れた吉野にいた 大海人皇子。
急ぎ吉野をたち
反乱に力を貸してくれる
豪族などの勢力を探し始めます。
しかし 心の中は不安でいっぱい。
強大な力を持つ朝廷への反乱に対して
簡単に加勢を得られるとは思えません。
付き従う部下たちが恐れをなし
裏切る可能性もありました。
そのため 一刻も早く大義名分をつけ
反乱に正当性を
持たせることが必要不可欠でした。
一行が 伊賀国 現在の三重県を流れる
名張川にさしかかった時
大海人皇子が待ち望んでいた
出来事が起こります。
突如 空に巨大な黒い雲が
湧き立ったのです。
大海人皇子は「式盤」という
占いの道具を取り出し
すぐさま この現象を
占い始めました。
(松尾)彼は…
(松尾)…ということを
言いたいわけですよね。
天の意思は
大海人皇子の勝利を望んでいる。
占いによって
反乱の「大義名分」が示されたのです。
この結果は 付き従う部下たち
そして 加勢を促された豪族たちの
背中を押す結果をもたらしたと
松尾さんは考えています。
一番…
少なくとも ここから…
そういう気持ちに
なってくるんじゃないですかね。
ところで 大海人皇子は「式盤」を用いて
どのように占いを行ったのか。
残念ながら
それを示す史料は残っていません。
ただ 同じ「式盤」という名前の道具は
平安時代の占いにも使われていました。
盤面には 月日や方角などを表す
十干十二支などが記されています。
大海人皇子も黒い雲の出た
日時や方角などを式盤に落とし込み
天の意思を
読み取ったのかもしれませんね。
うん。
ともかく 占いによって
大義名分を得たあと
美濃国に拠点を定めた 大海人皇子は
東国の豪族を味方に引き入れ
数万ともいわれる兵力になりました。
そして 朝廷軍を破り
大友皇子を自決に追い込みます。
こうして権力を掌握した
大海人皇子は即位し
天武天皇となります。
勝利の陰には ちょっと自信がなくても
大義名分をアピールして
味方を増やす知恵がありました。
そして それを可能にしたのが
「占い」だったのです。
分かって頂けましたかね これね。
大海人皇子ね。 天武天皇は
占いによって
皆の心をわしづかみにしたと。
あの式盤 もう見た時に
何と言うか ちょっと
高度な感じがするというか。
何か自分の知らないことを
知っているっていう
説得力みたいなものは
抜群だったろうなっていうのは
すごく感じましたね。
そうですよね。
さあ ここの知恵がですね…
…ということだった
わけなんですけれども。
私 あの もろに本当に
自分の人生 占いで決めてきた人間なので。
大義名分っていうのは 私にとっては
まさに脚本家になるとき
そうだったんですけれど。
私 脚本書きたいという
気持ちはありながら
努力もせず 書いてもみず
だけど ある日 占いの私の先生に
「あなた 今 自分を占ってみなさい」と
言われたんですよ。
それで 真剣に占ったら
まさに その12年周期の
2年 四柱推命だと空亡期っていう
低迷期に入る
そのギリギリの瀬戸際のところに
いたんですよ。
で 今 これやらないと
今 夢追いかけないと
恐らく ここから低迷していくので
「私 ちょっと1回
頑張ってみます」って言って
それで あの そこから1週間
人に誰にも会わずに
必死にシナリオ書いたんですよ。
それが 実はデビュー作になって。
もう完全に あの…
空亡期っていうのが 12年に1回
2年間 やって来るっていうのが
29歳 30歳の時だったんですよね。
私にとってはそうだったんですね。
で その直前の28歳の時に
グッと馬力をかけて。
すごい。
まあ だから あえて
自分の背中を占いで押しました。
いかがですか?
宮澤さん 何か そういう経験。
そこまで分かりやすくはないんですけど
年末に占いで見て頂いた時に
今は こう とってもいい時期なんだと。
なるほど。
何か いろんなことをやると
いろんなふうに うまく
事が運んでいく時期に入っていて
それが36までだ
というふうに言われたんですね。
本当に。
今の でも 天武天皇も
そうやって人を動かしたわけですよね。
「これ のっかろう」って
きっと思ったんじゃないのかなと
思いますけれどね。
いい結果が出たら
そこに自分を当てていく。
これもまた一つの知恵ですね。
知恵ですね。
その あの天武天皇が登場して以降も
その占いっていうのが政治の体制の中に。
はい。 特にあの天武天皇はですね
陰陽寮なんか作ったりしてるわけですね。
陰陽寮。
はい。 いろんな説
言い方はあるんですけれども
天文を見ること
あるいは その
不思議を明らかにすること。
それを全部 司るのが
陰陽寮なんですけれども。
これ…
ふ~ん 公務員。
国で育ててたってことですね。
で その中で一番有名なスターが
安倍晴明ですね。
へえ~。
いや でもね
その後のですね
武士の時代になっても占いというものが
重要な役割を果たしていたということで
こちらです。
どんな事件があったのか
まずは こちらです。
まあ 歴史の中で
伝説のスピーチといったら
北条政子さんですよね。
鎌倉幕府 初代将軍
源頼朝の妻ですけれども
スピーチといいますと承久の乱でね
朝廷側が攻めてこようとした時に
尻込みする配下の武士たちを
スピーチで奮起させたという。
実は そのスピーチの前に こちら
陰陽師に
相談していたってことなんですよ。
情勢を占ってもらって
勝利を確信していたので
あのスピーチを行ったっていうね。
北条政子といえば 宮澤さん ねっ。
今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では
政子の妹のね 阿波局を
演じてらっしゃるということで。
姉上 そんなこと言ってなかったな。
まだ ちょっと そこまでは
おっしゃってなかったんですけれども
特に私が演じます 阿波局は
幼少時代
実衣という役名なんですけども
彼女は 結構 占い好きなんですね。
なので 占いと縁が
すごく深い一年になりそうで。
そうですね。
源平合戦の時代というのは もともと
占いが全盛期なんですよね。
もう何をするにも占いですね。
そういう時代の中に
どっぷりつかってたと思いますね。
「源氏物語」なんかでも 今日は
日が悪いから会いに行けないとかね
たくさん出てきますよね。
恋愛も ほとんど
デートも占いで決めてたんですね。
要するに その占いでですね
やめた方がいいっていうふうになったら
やめるとかですね。
ほとんど…
言うがまま。
占い事件簿 続いては
こちらいってみましょう。
なんと…
どなたかといいますと…
鎌倉時代中期の天皇なんですが。
くじ引きで選ばれて即位した
っていうことなんですね。
天皇だけではありません。
将軍もいたんですけれどもね
こちらなんです。
いや あの そもそもですね
くじ引きっていうのは神聖なんですよ。
神の前で引くわけです。
引いて 結果が出たら逆らわない。
一切 これに従うということですから。
ある種 命懸けの世界ですからね。
今 我々が引く くじ引きとは
違うと思います。
全然 レベルの違う話していいですか?
神様に選ばれて…
いや そう思われるべきですね。
天命だという。
そうですよね。
そういうふうに気持ちを持てば
私は 天に選ばれたんだと思えば
もっと頑張れたかもしれないですね。
どう思うかですから。
そうですね。
ポジティブですね。
いや ここまで 飛鳥時代から
室町時代まで見てきましたけれども
続いて訪れるのが
戦国時代ということになるんですが
知恵のお品書きは こちらです。
おお。
「お好み焼き」。
まあ ひっくり返すのは当たり前。
決め手じゃないですよ。
ひっくり返さなきゃ。
ひっくり返すもんですよね。
実はね…
…が占いにまつわる知恵を駆使して
勝利したということなんです。
あまたの英雄が
血で血を洗う戦いを繰り広げた
激烈な時代には
武芸以上と言っても過言ではないほど
「占い」が重視されていました。
武将たちは 「軍配者」と呼ばれる
占いに通じた者を雇い入れ
出陣の日や進軍する方角の吉凶を
占わせていたのです。
栃木県足利市の足利学校は
当時 軍配者の養成機関として
全国に人材を輩出していました。
もともと足利学校は
古代中国の思想家 孔子の教えに基づく
「儒学」や その一部である易学を
教える場所でした。
戦国時代 占い師の需要が高まったことで
注目されたのです。
易学に基づく占いは 50本一組の竹の棒
「筮竹」などを使って行われます。
最後のこれを覚える学問だった
ということのようなんですね。
ですから…
この時代 「占い」が勝敗を決した
有名な合戦があります。
戦国随一の知将として名高い
毛利元就が
瀬戸内海に浮かぶ厳島を
舞台にして戦った…
安芸国 現在の広島県を支配する
戦国大名 毛利元就のもとに
危機が迫ります。
周防と長門を支配する大大名 大内。
その実験を握る 陶 晴賢が
大軍を差し向けたのです。
その数 2万。
一方 元就の兵力は
4千にすぎません。
絶望的な戦力差がありました。
晴賢は 瀬戸内海の交通の要衝であり
当時 毛利の支配下にあった
「厳島」を押さえようとします。
9月22日 軍勢は厳島に上陸。
毛利方の城「宮尾城」を取り囲みました。
周りにあった堀を埋め
城を丸裸としたのが 9月27日。
落城は もはや時間の問題と
目されましたが…。
なぜか晴賢の軍勢は
城を攻めようともせず
そのまま動きを止めてしまいます。
一体 なぜか。
戦国時代の西日本を描いた軍記物語
「陰徳太平記」に
その理由が記されています。
晴賢が
城攻めのための作戦を思案中
軍配者 平井入道が歩み出て
占いの結果を告げました。
明日 明後日は悪日でございます。
城攻めは 来月の1日にするのが
よろしいかと。
悪日とは 物事を進める上で
よくないとされている日。
占った結果 28日と29日は
悪日のため
城攻めは延期すべき
というのです。
なんと。 う~む…。
対する元就にとっても この日は悪日。
しかし…。
なんと出陣して厳島に渡っています。
実は 元就は「ある道具」を使って
悪日を吉日に変えたといわれています。
それが山口県防府市 毛利博物館に残る
元就が用いたと伝わる扇。
裏はですね これは逆に
銀の地に
三日月が描かれています。
この扇を使って 元就は
悪日を吉日に変えたと推測するのは…
ちょうど私も 扇子持ってきましたけど
これは普通の扇子なんですけど
こっちに太陽の絵が描いてあって
後ろに月の絵が描いてある。
で こうやってて ガラッと変えると
その大将の…
…という捉え方をして それで
いわゆる…
…ということで 全員に納得させて
それで強引に瀬戸内海を渡って
厳島に行くっていう。
だから 占い まじないというのも
結構 そういった意味では
何と言うのかな
当時の武将たち…
悪日である29日の夜。
まさか敵が攻めてくるとは思っていない
陶 晴賢を尻目に
元就率いる本隊は 厳島の北東部に上陸。
急しゅんな山肌を登り 尾根に到達します。
そこが「博打尾」と
呼ばれていると聞いた
元就は このように
うそぶいたとか。
博打尾とは 打つ(討つ)には
よい地名であるぞ。
明日は必ずや
敵を討ち果たすであろう!
悪日を強引に
吉日に変えてしまったかと思えば
今度は地名で験を担ぐ。
元就にとって 占いの類いは
都合よく解釈するものだったようです。
奇襲は大成功。
晴賢の軍勢は なすすべもなく
壊滅に追い込まれてしまいました。
兵力の差をものともせず
厳島の戦いで 見事勝利を手にした元就。
その結果を呼び込んだのは
占いの結果に頼らず
むしろ利用してしまう
積極的で前向きな姿勢だったのです。
中園さん どうご覧になりました?
私も大賛成です。
例えば 私は 悪い時期といわれた
悪日は 何か あの
天の何か宿題を出される日だと
思っていて。
それ頑張ってやれば 必ず その分
今までやったことない経験をして
人生歩いてく足腰も強くなるし
そういうのが 私は厄とか
悪日だと思ってるんですよ。
発想の転換ですよね。
そうなんですよ。 「やまとなでしこ」
っていうドラマなんですけど
他局ですいません。
私の一番のヒット作なんですけれど
それの時に顔合わせで
ちょっと青ざめたんですよ。
主要なキャストの方とか
あと自分自身も あとプロデューサー
演出家 皆さん
悪年に入っていたんですよ。
それで まあ 確かに
いろんなこと起きました。
あの ロケの天候が悪かったりとか。
まあ 何か いつもの何倍も
いろんなことが起こるんですけど
そこで やっぱり みんなで
なんとか知恵絞って
そこ乗り越えていくわけですよ。
何か そうやってるうちに ちょっと
計算できない
エネルギーみたいなものが出て
それで 私 あれヒットしたんじゃないかと
思ってるんですよ。
むしろ みんな いい吉年の人ばっかりで
作ったドラマって
まあ うまくいくんですけど
大して当たらないみたいな。
「あれ?」と思って これは むしろ
厄の人が何人か入ってた方が
そしてトラブルが起きた方が 人って
どんどんエネルギーが湧いてきて
何かを乗り越えていく力って
すごいんじゃないのかなと
今は思ってます。
それが私の持論なので
元就 大賛成です。
(笑い声)
ちなみに その
よくない結果になりそうだって
占いが出た時に
そのドラマの出演者の方々には
お伝えしたんですか?
いやいや 言えないですよね。
プロデューサーだけは言いました。
「ちょっと これやばいんだけど」って。
でも 本当に結果は みんな
すごくいいドラマを作れたと思えたし
頑張ったねっていう感じで終われたので。
占いで そういう悪いことが出てて
それを知らなくても知ってても…
そうだと思います。
さっきね まさに
この元就のようにですね
占いを自由に解釈してしまう
武将というのは
実は ほかにもいるようで
占い事件簿でございます。
さあ まず登場して頂くのは…
明智光秀を討つために
城で出陣の支度をしていた時
秀吉に対して部下がですね
占いの結果を
報告に来たということなんです。
明日は日が悪いと。
「出陣すれば
二度とこの城には戻れません」
というふうに部下が言ったと。
これに対して秀吉は何と言ったか。
それならかえって
よい日であると。
脳天気とも言いますね。
(笑い声)
いいですね。 明るいですね。
そうですね。
さあ 続いては こちらの方です。
武田信玄さんでございます。
もともと信玄 晴信っていう
名前だったんですけれども
出家して この信玄という
名前になるんですが
出家のきっかけというのがですね
占い師に言われた
こんな言葉だったんです。
運勢は 今がピーク。
じゃあ どうすればいいかと。
ちょっと待てよと
満ちていた太陽が欠けていく?
「満ちていた」「欠けていく」
ここに注目したんですね。
満ち欠け… 満ち欠け みちか…
みじかげ…
みじか… 短い毛? おっ 短い毛。
てい髪しちゃおっかということで
出家したという…。
ちょっと冗談みたいな話に
聞こえますでしょ。
これ でもね「甲陽軍鑑」という
武田家の歴史を書かれた史料にも
ちゃんと書いてあるというね。
その 本人が納得すれば
何でもいいのかな
という感じはしますけどね。
ねえ。
でもね 占いっていうのが
中国とかから渡ってきたって考えますと
中国での占いの見られ方と
日本での見られ方ってのは
だいぶ違うんですか?
違いますね。
中国は割とその
「この日は悪い」と言われると
武将たちは やっぱり出陣しないんですね。
日本人ってのは その
勝手に解釈を変えるわけですね。
例えば「方向が悪い」と言われれば
「ああ そうか」と。
逆方向へ行って 進軍してから
逆に戻るわけですね。
そういう 何と言いますか
何とでも言えるようなやり方を
特に天下取りに近ければ近いほど
多いですね そういう人が。
まさにね ここの知恵が…
何か こう 今も昔も変わらないかな
っていう感じがしますよね。
今日は 何か ものの考え方の
何か変えれば
全然 それは悪いニュースじゃないんだな
っていうふうに
ポジティブに考える勇気を
もらいましたね。
あと占い師さんによっては
「あなたは孤独死する」とか
怖いことを言う占い師さんいますけど
そういうのには
まず耳を傾けなくていいと思うし
そう言われて ちょっとつらくなったら
別の占い師さんのとこに行ってほしいし。
そんなふうに 本当に自分を励ますために
活用してほしいと思います。
はあ~。
すごい。
おめでとうございます
おめでとうございます。
いやいやいやいや
もう さっき そこのね 神社で
おみくじで 吉の方向
ず~っと歩いてきたら
たまたま この店に行き当たって
もうびっくりしてるところなの 今。
いやいや。 いやいやいやいやいや。
私 申し遅れましたけれども
初代 知恵泉店主の
井上二郎と申します。
呼ばれているのかいないのか。
毎年 この正月の時期に
一度だけ お目にかかっております。
よろしくお願いいたします。
逆にめでたい。
さあ 正月ということでですね
皆さんには このように
お年賀をね 持ってまいりましたよ。
はい こちらなんですけれども。
これ 辻占せんべい
というものなんですよね。
これ せんべいの中に
運勢を書いた紙が
挟んであるんです。
それで 今年の運勢を
占って頂こうという
お年賀なんですけれども。
気が利くじゃないですか 先輩。 たまには。
これね 今のフォーチュンクッキーの
原型というかね
そういうふうに
言われているんですけどもね。
こんなところに いつの間に
知恵の巻物が。
ちょっと どうしたのかしら。
先輩 今年も変わらず
わざとらしいんだから。
知恵のお品書き こちらです。
これ 実は 私 この知恵泉に来る前に
江戸時代の占いを体験してきたんですよ。
その占いを体験してみますと
この「むく」っていうことが
いかに大事なことかっていうことがね
分かったんです。
年間を通して悩み続けている私が
超個人的な悩みを相談してまいりました。
超個人的な悩みは
外でやってほしいですよね。
(笑い声)
(井上)<ということでやって来たのは
大阪府東大阪市にある…>
ごめんください。
はい。
すいません あの こちらで
何か昔ながらの占いをして頂けるって
聞いてきたんですけど。
(井上)辻占判断?
はい。
(井上)辻占判断って あんまり こう
聞いたことがないんですけれども。
<江戸時代から続くという 辻占判断。
宮司の山畑阿登視さんに教えて頂きます>
大体 江戸時代の幕末の頃から当社で
占っていたという形がございまして
で 簡単に申しますと…
(井上)私が?
はい そうです。
辻 つまり 外に立って…。
(山畑)そうですね。
通行する人を見る?
どんな人を見たかっていうのを
私に告げて頂きまして それに基づいて
占うという形でございます。
はあ~。
<古来 辻は 異世界への境界線だと
考えられてきました。
偶然 辻を通った人の声を
神様のお告げとして受け取り
占いを行ったのが
辻占判断の起源とされています>
<まず 占う内容を決めます。
私の悩みは
「人生100年時代を見据え
資格を得るための試験に
挑戦するべきか どうか」>
ただ やっぱり あの
踏み切った方がいいのかどうか。
でも 年は取っていくので
勉強するんだったら
早めの方がいいしということで
悩んでいるという状態なんです。
(山畑)はい 分かりました。
<続いて 観察する通行人を決めるため
くじを引きます>
(井上)出ました。
え~ 2ですね 2。
<引いたのは2番のくじ。
そこで 占場という場所に立ってから
2番目に通った人を観察することに>
<では スタートです>
あ~ ここを…。
あっ…。
今2人目でしたよね。
ちょっと早かったな。
<観察するのは 性別 年齢 服装
向かった方角など。
私が観察したのは こちらの方。
一瞬の出来事でした>
え~ 男性でした 男性。
年齢は え~っとね…
え~ 25歳ぐらい。
<観察内容を記録しますが
大切なのは主観でどのように見えたか。
事実と異なっていても
かまわないそうです>
こういうの 何か不安だな。
<さまざまな手順を踏みましたが
こうした過程こそ
占いには大切だといいます>
<戦国時代が終わり
天下太平の世になった江戸時代>
<庶民の間で
占いブームが起こりました。
手相 人相 男女の相性を占うもの。
また「大雑書」と呼ばれる
さまざまな占いを掲載した
百科事典のような本も
出版されていました>
<そんな中に歌占という
和歌を神様のお告げとして受け取る
占いがあります。
くじを引いて 出た数字に対応する…>
<歌占本には 和歌のほかに
吉凶の記載もあります。
現在 神社で用いられている
おみくじのルーツといわれています>
<おみくじの歴史を研究する
平野多恵さん。
本来 おみくじは吉や凶よりも
そこに書かれた和歌の内容を
重視するものだったといいます>
…っていうのが
おみくじのもともとの在り方ですね。
<吉凶は あくまでも一つの指針。
大切なのは 内容を読んで解釈すること。
そのためには…>
<さて いよいよ私も占いの結果と
向き合う時がやって来ました>
え~ 試験 資格試験に
挑戦すべきでしょうか
ということなんですけども。
え~? これは 私が想像して?
(山畑)そうです そうです。
それで結構です。
<想像した内容も
判断の材料となります>
あっ 郵便局に
楽しみにしていた小包を
受け取りに行くところだった。
とても楽しみにしていたので
とても急いでいた。
はい。 はい 分かりました。
お待たせいたしました。
はい。
井上さんの見られた方っていうのは…
凶… そうなんですね。
(山畑)はい。
そういうことか。
(山畑)はい。
<私が観察した人が向かったのは
凶の方角。
ただ 運勢を良くするための方法も
あるといいます>
一つ 気になることがあるんですけれども
井上さんは…
(井上)います。
ほう…。
<観察した人は 自分に影響を与える人物を
投影しているとのこと。
今回 息子がキーパーソンであるという
アドバイスを頂きました>
(山畑)お子さんと そういう話って
なかなかされないと思うんですね。
特に自分の将来のことなので。
そうですね。
妻は もちろん
たくさん相談してますけど
真っ先に子どもに相談するっていう
視点は なかったですね。
(山畑)そうですね。
はあ~ 深いな。
気になったのは 何の資格を
一体 取りたいんだろうなと思って。
いや まあ 何て言うか その
アナウンサーとして飛躍していけるような
何か こう プラスになるような。
あれですよ あれ あの
「ハケンの品格」の大前さん。
たっくさんの資格を持ってる
スーパー仕事人ですから。
そういうふうになりたいなということで
いいかな?
うまくまとめましたね。
でも どうでした?
いや 私もやってみて
思ったんですけれども
辻に自分で立ってみる
で 観察して記録して
自分のことを整理して話をしてみると
何か そのつどつどで 自分の悩みに
向き合うっていうんですかね
自分って 何に悩んでたんだっけ
じゃあ どういうふうに話したら
いいんだっけっていうことを
何か 考えるんですよね。
向くというのはね 向き合うというのは
やっぱ大事なんだなっていうふうに
思いましたね。
初代店主のリポートをご覧になって
いかがでした?
フフフフ いえいえ
あの 私 占い師時代は
相談にいらっしゃる方に
まず1年後 5年後 10年後
どうなっていたいですかって
なりたい自分をありありと
思い浮かべて下さいって
言ってたんですよ。
それこそ どこに自分が向かっているか
っていうことが
ふだん あんまり考えないでしょうけれど
それを毎日意識して生きるのと
そうじゃないのは だいぶ こう
毎日の豊かさが変わってくる気がして。
今 現状 自分はどこにいるのか
っていうことを把握するって
すごく大事なんだなあって。
こうなりたい ああなりたい
幸せになりたいってことだけじゃなくて
じゃあ 今の自分は幸せなのかとか
幸せじゃないんだったら
どうしたら幸せになれるのかとか
そういうことを考えることも
占いの一つなのかなって思いました。
ちなみに江戸時代の占いといえば
こんなお話もあるんですよね。
江戸時代のおみくじを引く時の作法。
え~? え~?
ちょっと もう一回
言ってもらっていいですかね?
いや これが手順ってことなんですね。
こういった大変な段取りを踏むことで
ようやく自分に向き合いながら
おみくじを引くことができるんだと。
そうそう気軽に自分の運試しを
してはいけないということなんですかね。
いや でも 加来先生
あの 江戸時代っていうのは
占いの歴史の中で どういう位置づけと
考えたらいいんですか。
現代もそうなんですけどね
占いがはやる時代というのは
やっぱり幸せな時代なんですよ。
戦争がない 戦乱に巻き込まれることが
ないわけですね。
自分を見つめることができる時間がある。
それと 江戸時代は
出版文化が非常に発達した時ですから
占い本というのは一つの定番ですんで。
これは現代でもそうですけれども
間違いなく売れる
一つのジャンルですからね。
まあ でも 確かに 何て言うんですか
占いの時ほど
何か自分のことを
赤裸々に他人に話すことって
あんまりないかもしれないですよね。
そうですね。
私は あの 占い師をやってたから
今 脚本を書けていると思っていて。
というのは それこそ 本当に
占い師の前では
弱みとか綻びとか そういうものを
皆さん見せて下さるんですよ。
私のドラマって ちょっと あんまり
完璧な人とか出てこないんですけど
人間って みんな
いい時ばっかりじゃないし
どんなに立派に見える人にも
綻びがあるし
そういうことを学べたのはね
本当に人生って
無駄なものないなと思うんですけど。
なるほどね。
自分と向き合うって
すごく大事なんですけど
やっぱ 向き合い続けてると 何か こう
袋小路に入っていっちゃう時って
ないですか?
井上さん 本当 やんなきゃ駄目です。
えっ?
私も占ってきたんで
結果を申し上げますけど。
あら。
…っていう時期にいらしているので
必ず…
言い訳しないで 自分に。
これによって すごく人生が
ダイナミックになっていきますから。
これ逃すと…。
逃すと 結構 まあ ほどほどっていう。
やっぱ踏み出す時は
グイッと踏み出すべき時です 今年は。
それは踏み出して
勝ちを収められるんですか?
結構 あの あれですね…
(笑い声)
(宮澤)もう見抜かれてる。
何か見抜かれてますよ 先輩。
そういう人こそ 本当 占いをつかって
自分で自分を幸せにしてほしいです。
自分で自分の背中を押して…
しみてますね 今 言葉が。
でも こうやって自分に向き合う時間って
何か いいなっていうふうに
今 思ったんですけれども。
ええ もう本当に占いによって
何かを閉じていくんじゃなくて
本当に開いてほしいし
そのために占いを活用してほしいし
あと恐れないでほしいですね。
恐れすぎないでほしいですね。
本当 自分で自分を幸せにするために
占いってあると私は思っているので。
本当 自分の人生 大事に生きていくことに
つながっていくと思うんで。
そんなふうに 私自身もそういうふうに
これからも占い使いたいと思ってますね。
(笑い声)
皆さん 今回の占いの知恵
ご堪能頂けましたか?
先人たちは 占いによって
目の前のピンチを切り抜けたり
未来へ向けて夢をはせたり
自らの道を切り開いてきました。
不安な社会状況が続く現在ですが
今日お届けした占いの知恵が
皆様の日々の暮らしを
少しでも豊かにすることを
願ってやみません。
本年も歴史居酒屋 知恵泉は
知られざる歴史の側面にスポットを当て
現代にも通じる知恵を
どしどしお届けしていきます。
どうぞ ごひいきに
よろしくお願いいたします!
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