ハートネットTV 私のリハビリ・介護「がんを克服して“生きる” 宮本亞門」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

ハートネットTV 私のリハビリ・介護「がんを克服して“生きる” 宮本亞門」[解][字]

演出家の宮本亞門さんは3年前、ステージ2の前立腺がんと診断された。さらに去年、父が他界。闘病と見送りの日々で感じた「生きる」すばらしさとは。聞き手:落合恵子さん

番組内容
世界で活躍する演出家の宮本亞門さん。3年前、テレビ番組の出演をきっかけに前立腺がんが見つかり、ステージ2と診断された。治療法選択に悩みながらも、医師のある一言で全摘出手術の決断をする。退院後は後遺症の悩みを明るく世間に発信つづけた。去年、父が他界。最後まで「生きる喜び」を教えてくれたという。がんを克服し、父を見送る中で宮本さんが感じた「生きる」ことのすごさをうかがう。聞き手:落合恵子さん(作家)
出演者
【ゲスト】宮本亞門,【きき手】落合恵子,【司会】中野淳

ジャンル :
福祉 – 社会福祉
福祉 – 高齢者
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

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  14. お父様
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  19. 言葉
  20. 後遺症

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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世界の舞台で活躍する…

3年前 前立腺がんと診断されました。

それから続いた「がん」との闘病の日々。

後遺症にも悩まされました。

そして去年 父を見送りました。

父は 宮本さんに「生きることのすごさ」を
教えてくれたといいます。

こっちに軸は いっちゃうんですよね。

宮本さんの話に耳を傾けるのは…

長年にわたり 母を介護し
みとった経験があります。

前立腺がんとの闘病や父の「死」を通して
見つめ直した「生きることの意味」を

宮本亞門さんに伺います。

「私のリハビリ・介護」 今日のゲストは
演出家の宮本亞門さんです。

よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

宮本さんは 3年前に前立腺がんに
診断されましたけれども

今は お体の状態は いかがですか?
いや すこぶる元気なんですけども

昨年の年末に 急に また
鼠径ヘルニア…。

脱腸っていうんですか
言い方を変えると。

…になってしまって びっくりしてたら

「あっ これも 全摘出した人は
よくなるんですよ」とか言われて。

まあ そういうふうに やっぱり
体のね 一部を切るということは

いろんなことが起きるんだなと
思ってます。

そして 一緒にお話を伺うのは
作家の落合恵子さんです。

よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。

落合さんは お母様の介護の経験が
ございますけれども

宮本さんのがんのことっていうのは
ご存じでした?

会見をされたあとの コラムか何かが

どなたか書いてるのを
読ませて頂いたんで…。

早く よくなって下さいと思ったのと
私たち周囲から見るとね

例えば 前立腺のがんというのは
そういう意味では

回復率が とても高いですよね。
そうですね おっしゃるとおりです。

だから それはそれで
ある意味 よかったなと思って

見ておりました。
ありがとうございます。

そのがんと
どう宮本さんが向き合ったのか

今日 たっぷりと伺っていきたいと
思います。

宮本さんは自身が前立腺がんであることを
会見で発表しました。

詳しい診断が下りるまで
不安な日々を過ごしていたといいます。

診断の結果は ステージ2。

宮本さんは ここで 治療法の選択という
大きな決断を迫られます。

宮本さん がんが見つかったのは

テレビ番組の出演が
きっかけだったそうですね。

そうなんです。 健康番組というか
人間ドックに行ったら

どっか悪かった 食べ過ぎだねとか その…
ちょっとバラエティー番組だったので

まあ 変な つつかれ方して

みんなで大笑いして楽しめばいいや
っていうぐらいでいたんですが

人間ドックに行ったらば
次の日 呼ばれて

撮影クルーとか みんながいて とっても
真剣な顔して待ってるわけですよ。

で ここから もう 何かあった時に
撮影をストップしてもいいですか

それとも お続けになりますかって…
ちょっと待って下さい。

何が起きたか分かっていないので
まずはって言って

まさか 自分が がんとは 最も無縁な
人間だと思い込んでたんですね。

そんなとこから見つかって
あれよあれよと。

そして その腫瘍があり これは きっと
がんの可能性がありますといった時の

周りの人たちの顔。

「は~」っていう この息をのんだ瞬間が
こうやって がんに突然なられた方は

周りの様子が変わるんだということに
驚きました むしろ。

この先 どうなるんだろうという恐怖とか。
もう これからだって…

いつも これからだと思いながら
生きてるので

突然 押し寄せるということの準備は
していないし

ステージが まだ分からない時だったので
やはり 3 4になっていくと

前立腺がんといえども
だいぶ危険な状態になりますので。

どういうふうになるのか
先が見えない不安感というんでしょうか。

皆さん 起こることだと思いますけど。

分からない時が 一番不安ですよね。
そうなんです。

人間の想像力って そういう時

悪い方に悪い方に
転がっていくんですよね。

何をするかっていうと ネットを見て

少しでも安心できる情報はないかって
見るんだけど 人によって…。

そういう時 入ってくるのは
よくない情報…。

本当ね なかなか いろんな話がありすぎて
つい自分も 悪い方ばっかり見ちゃうと

どんどん 悲観的に
ものを考えがちになってしまって

まあ 寝る前なんて すぽ~んと
宇宙で一人 こう

宇宙飛行士が
突然 宇宙に放り投げられてしまって…

これ やばいと。 これは やばい。
夢を違うふうに変えなきゃって

もう一生懸命 音楽聴いたり 何かして
まだ何も決まってないんだぞって。

でも おかげで
だんだん変えていけるようになって

なんとか そこから また
次の希望を持つことができましたけど。

でも ステージ2だと分かったあと 今度は
どんな治療を受けるかというので

また悩みに直面したそうですね。

全く無知だし 本当に ネットで見ても
ネットが悪いわけじゃないんですけども

どう調べていいか分かんないし
先生に すがるしかないので。

先生は その病院はと言い方が
正しいかもしれませんけども

全摘出。 ダビンチという
新しい すばらしい機械もあって

それを やっぱ 推奨するわけですよ。

で でも ちょうど記者会見があった
夜なんですけども

急に電話かかってきて
安藤忠雄さんなんですよ。

「亞門さん 切っちゃ駄目
切っちゃ駄目」って言うんですよ。

「は~?」って言って
「もしかして全摘出考えてない?

駄目だよ 体切っちゃ」って。 安藤さん
すごい切ってるじゃないですか

自分のことも。 それで頑張って
生き延びてる方なのに

「切っちゃ駄目じゃないですよ
安藤さん」とか言ったら

「いやいやいや あのね 放射線治療で
いいのがあるし

重粒子もあるし いろいろあるから
あらゆるものを調べて

誰かに紹介するよ」みたいな感じで
電話を切られて。

何だ ちょっと
それもいいことなのかなと思いつつ

セカンドオピニオンがあると
初めて知ったという意味では

感謝してます。
大体 いろんな方が

もちろん 100%善意で
下さるじゃないですか 情報を。

こちらはこちらで もう頭の中いっぱいで
そこに 次々に入ってきてって…

ちょっと混乱はしますよね。
しましたね。

でも 見方を変えると
これほど皆さんが やっぱり いろいろ

人を助けたいという思いがあるんだ
ということには

すごい感謝をしましたし
で それと同時に

いろんな情報を頂くんだけど 結果的には
自分しか選ぶことができないんだと。

もちろん お医者さんとなんでしょうが。
そうですね。

そのうち まあ 本当に 治療の進化も
どんどん進化していく途中だと思うので

これが正しいとか これが間違ってるが
ないんですよね。

…っていうことを だんだん分かってきて。

何か その 患者さんの中には
やはり 後遺症を心配されて

選択を迷われるという方もいますけど
その辺は 宮本さんはいかがでしたか?

めちゃめちゃ心配しました。
やっぱり。

簡単に言うと 尿漏れが人によって違うと。

1か月の人もいれば 半年 もっと もう
1年 2年続く人もいるけど

何か月で止まりますっていうのは
その人によって違うので

そういうことは
お医者さんも言えないんですよね。

まず 尿漏れがあるということと
それから あと 勃起不全だと。

「うわ~ きついなあ。 俺 この年で
男 終わるのかな」みたいな

そんな感じです。 申し訳ないけど。

で やっぱり 男性に言うと
みんな 「ええっ? ええっ!」。

これ 男性の反応で
女性は 「生きてりゃいいじゃない」って。

こんなに差があるんだと。

多分ね 女性も ある年代になると
閉経 迎えますでしょう。

とても明らかに分かるんですよ。

で その時ね 私などは
うれしかったんですよ。

ホワイトジーンズを
何の心配もなくはける。

これはラッキーと思った時もあるし。
そうか。

割と その辺は 現実的に捉えることが
できる…。 そうなんですか。

男性は ずっと
ホワイトジーンズもはけそうですけども。

でも そういう考えが僕には分からないし。
だから 女性 そういう経験あるからね。

さまざまな治療法がある中で 最終的に
全摘出手術をするっていうふうに

決断したのは
これは どうしてだったんですか?

それは やっぱり 自分が演出家として…

ホルモン治療を
するかしないかっていうのが

ちょっと 僕に引っ掛かっていて。

ただ やっぱり その時に いろいろ
体がほてったりとか

感情が動いたりする可能性があると
おっしゃったんですよね 先生が。

そのあと ちょうど 僕 その…
4本ぐらい作品が続いたんですよ。

これをなんとかこなしたいと。

で ゆっくり こう 治療に
毎週行くっていうことが

まず できないだろうと。
海外も入ってきたりしてたので

とにかく早く結論をつけたいというと
やっぱり

全摘出の方がいいのかということと

あと やっぱり お医者さんが 「一緒に
頑張りましょう」って言ったんですよね。

うれしい言葉ですよね。 力強い。
そうなんですよ。

「これからも いい舞台作って下さい。

一緒に頑張りましょうよ」って
言った時に

「は~」っと こう 何か 「ほっ」と
緊張してたものが取れたというか。

まあ といって… 僕は 手術中
何もできないんですけども

だけど いろんなことが これから
後遺症があったとしても

相談に乗ってもらえるんではないか
という思いもあって

ちょっと ほっとしました。

執刀医が ロボットアームを操作する
最先端技術の手術に成功。

術後の経過も良好で
一安心した宮本さんですが

退院後は後遺症に悩まされます。

大変ですね 最初は 尿漏れって
僕も 体験したことなかったんで。

神経がないんで もう ぶわ~っと
稽古中も もう

量が多く漏れても大丈夫なパッドを
つけてたかな 最初は。

「うわ~ あったかい」と思うんですよ。

でも 一番 稽古中
いいシーンだったりするんですよ。

やっぱ 演出してる最中。
「あったかい。 いいね いい芝居ですね。

ちょっとすいません」と
お手洗い行ったりとか。

なんとか こう言いながら
ちょっと 僕も抜けたりとか。

でも そのうち だんだん
最初 大きかったんだけど

量が少なくて済むパッドに
なっていくとか。

だいぶ パッド研究家になりました もう。

もう パッドマンって
自分で言ってるぐらいですから。

パッドマン V.S. バッドマン…。
あれよりも これがいいんですよとか

もう 老後ばっちりですよ
僕 もう 本当に。

そこを やはり 笑いにというか

明るくポジティブに転換していくのが
宮本さんらしい。

でも きっと ここに来られるまでは
見えないところで

いろいろおありになったと思いますが
今 笑顔を見ているだけで

何か こちらの力も抜けていく…。
そうですか。 ありがとうございます。

いや でも これ やっぱり 僕も
こもって 一人で考えちゃうんだけど

考えて いいことないんですよね。

男性の下半身のことに あれすると
もう みんな とにかく やっぱ言わない。

で 言うと 男性 「いや… いや… はは…」
何か 笑いながら言ったりとか。

でも その気持ちも分かります。
僕も記者会見のあとに テレビ見たら

やってたんですけど 何か 急に
下半身の断面図ばっかり映るんですよ。

ちょっと 僕のサイズと
違うんだけどなとか思ったり…。

…ぐらい
やっぱり 案外 ショックですよね。

何でもないんだけど 自分が急に
さらけ出してるわけではないけども。

でも アメリカでは
男性の1番ですし がんの。

死亡率としても 2位ですし。

今 日本も やっぱり 食事の…
原因じゃないかといわれていますが

すごい勢いで 男性 多いんですよ。

でも これを しゃべったことで
街歩いてても こうやって寄ってきて

「亞門さん 実は僕もそうなんですよ。
いい病院 教えて下さい」とか

奥様が 「私の夫も 本当はそうなんで

実は 夫は それで亡くなった」
という人もいたりとか。

皆さん だいぶ 親近感をもって
話をして頂けたのは

かえって 言ってよかったのかなと
思ってます。

そうですね。
皆さん 多分 言葉にできない。

それを言葉にして頂けたっていうのはね

ここで
回路が出来上がったんですね きっと。

空いていたところにね。
本当にありがたいことだと思います。

もう僕なんかでは あれですけども。
皆さんも本当に こういうのもなるべく

何か 言ってはいけないっていうのは
ない方がいいですよね。

オープンで
がんが怖いとかいうんじゃなくて

誰でも いろいろ
なったりする可能性があるので

おおらかに話した方が楽かなと
思ってはいますが。

ある部位が 例えば なくなったとしても
その人は その人だっていうことが

とっても当たり前のこととして
皆さんに広がると うれしいことですよね。

子宮がんなどはね よく 男性たちは
小説なんかでもあるじゃないですか。

「摘出したら女性じゃなくなる」って
何言ってんだろうと思いますよね。

それより 私たちにとって大事なのは

今日を明日につないでいくことです
っていう思いもあるんですけどね。

そうなんです。
おっしゃるとおりなんですよ。

でも 本当 あと おかげさまで
やっぱり こう ねえ

僕の場合は 本当 前立腺がんで
早めの早期発見で

治りやすいですけども
いろんながんの方とも会ったんですね。

本当に がん患者の皆さんって
全員必ずとは言いませんけども

生きていることに…

もうね 目がね きれいな人が多いの。

何か 生き生き こう
まだ生きてるよねっていうことを

日々を大切にしようとする
こう 転じるんでしょうね。

死を知るがゆえに。 …っていうところに

なんて すてきなんだろうと思ったのも
事実です 僕は。

これ見るのが 生まれて初めてだったらと
思って 花を見て。

これを見るのが最後だったらと思って
また同じ花を見る。

違いますよね。 そうですね。
今まで通過していたものが

一つ一つ 立ち止まって
見つめていくってことできますものね。

本当におっしゃるとおりですね。

宮本さんは
21歳の時に最愛の母を亡くしています。

宮本さんを出産した時の輸血が原因で
肝硬変を患い

入退院を繰り返していた須美子さん。

母に教えられたのも
「生きることの喜び」でした。

おふくろが ずっと肝硬変で

もう いつ死ぬか
分からない状態だったことも…。

いつも朝起きて 「私 まだ生きてるのよ」
って言ってたんですよ。

よく そんなこと言えるなと。

毎日起きて 「まだ生きてる」って
こうやって…。

うち 喫茶店やってるんですけど
喫茶店に行く おふくろの姿見て

そんなに
毎日 生きてるって喜べるって…

全然 僕 喜べなかったんですね
自己否定型だったから。

あのおふくろの気持ちが
やっと少し分かってきたと思うと

うれしいなあというか…

その方が… 人生一回限りだしね。
そうですね。

死を本当に見つめる。

ちゃんと見つめるっていうのは
むしろ 生が見えてくる

生きることが見えてくることだと
本当に思いますね。

そうすると いろんなものが 何か
本当に さっき お話にもあるように

花だ 何だ 天気だ 雨でさえも
「わあ~!」とか

もう一回 新鮮にリセットできるんですよ
この中が。

去年 宮本さんは
一つの死と向き合いました。

6月 父 亮祐さんを見送ったのです。

酒や浮気で母を泣かせた父が大嫌い。
衝突したこともありました。

お久しぶり お久しぶり。

大丈夫?

生きるとは 自分なりに精いっぱい
充実した時間を過ごすこと。

父 亮祐さんは そう教えてくれました。

晩年は 認知症になり
最期は子どものようだったといいます。

いや~…。

去年6月 見送ったばかりという お父様。

まあ おやじは その どっちかっていうと
だらしなくて

借金するわ 女性に対して甘いし
いろんな浮気して…

すいません こんな話なんです。
なんで うちのおやじは正直言うと

もう おふくろと僕は いつも
本当に このお父さん

どうしようもないよねって言いながら
言ってて

おふくろは そのあと
僕が21の時 突然死んで

それから おやじ 僕が
世の中で一番嫌いなおやじだったのが

ふっと そのおふくろの死を
目の前で見て

自分のそばで死ななかったんですよね。
僕の下宿してたとこで死んだんですね。

脳いっ血で。
肝硬変と脳いっ血が重なったんですけど。

そのこともあって
自分は本当に悪かったなと

おやじは思いだしたのかもしれません。
それから 僕は やっぱり

このお父さんと僕と
今 生きていくんだと思って…

…って ちょっと意地に入りました。

大嫌いだったから。
できることは もう 後悔したくない。

だって おふくろが上から見てるから
っていうのが僕の考え方で。

で 意地で意地で愛して

もう ハグもしたり
「もう何やってんだよ」って。

「こんなこと恥ずかしくてできるかよ」って
言ってたおやじだけど

こうやってやると 「ああ この人は
僕のこと好きだったんだ」って

やっと分かってきて 親なんだから
好きなのは決まってんだけど

距離があったんですよ。
だんだん だんだん まあ 自分の…

失礼な言い方かもしれないけど
父親と思わなくなってきた。

一人の人間として見るようになったら
もう めちゃめちゃ 僕もそうだけど…

そうしたら もう 絶対
親孝行っていうか

この人が死ぬ瞬間まで幸せに
もう ハグも何でも…

「やめてくれよ。 これ以上いいよ」って
言うまでやろうっていうのが

僕の目標に変わったんですね。

なんで
ちょくちょく旅行連れてったりとか

死の数か月前も 軽井沢連れてったりとか
いろいろ行って もう動けないんだけど。

だけど おやじは すごかったなと思うのは
「ありがとよ」って。

「生きてるって すごいなあ
生きてる すごいなあ」って

もう 本当に おふくろ死んだあと
すぐ死にたいって

ずっと言ってた人だからね。

自分が生きてる価値ないのにって
言ってたのが もう。

あれほど そのあとに 体も悪くして
入退院繰り返して

転んでも いろんな 足が動けなくなっても
車いすになっても

それでも 「わあ きれいだね」
さっきのお花じゃないけど

「これ おいしいね」とか。 それで 僕も
あの時 ちょうど うなぎ持ってって

もう食べなくなり始めたって聞いたので

「お父さん!」って言って
「うなぎ大好きでしょ」って言ったら

「おう」って言って うなぎ食べ始めて。

ただ その時ね あの時初めてね
ふわっと うなぎの手を止めるんですよ。

いつも カ~ッ 食べるのに。
でね 窓の外を見た時に

すごいきれいな目で す~っと遠く見て
「お父さん」って言うと

「おう」って また食べて。
結局 半分は食べてくれたんだけど。

あっ この人は もう 生ききったと思った。

この写真の4日後ぐらいかな
亡くなりました。

でも 僕はね 変な言い方だけど
一切後悔はないです。

愛しきったと思ってるし
なんで お父ちゃん よう頑張ったねって。

いろんな 生きるって壮絶だし
修行を超えてね。

これでも生きるのかって
自問自答せざるをえないのを…

本当 愛してます。

でも あれだけ最初は
大嫌いという言葉もあったとおり

ねえ 嫌いだったお父様を
愛するっていうところまでの この変化。

僕自身は あまり 自分の父親と
あまり話せない方なので

向き合い方 難しいなあ…。
難しいですよね 父と息子ってね。

同性同士って…
まあ 人によって違うかもしれない。

母と娘も難しいかもしれないですね。

そう意地でも向き合おうっていうような

ある意味
自分に ハッパをかけたような感じで…。

そうです。
僕は 完全にハッパかけてました。

死んだおふくろのことが好きすぎたんで
おふくろのためにも ハッパかけて

で おやじ死んだら
しっかり また借金が大量に残ってて

また来た… また来たみたいな。

これもありだなというか
笑っちゃいけないけど。

とにかく みんなでどうにかしようねって
今 話してる最中です。

前立腺がんを克服し
父の死を見届けた宮本さんが

今 もう一度 演出したいと思っている
舞台があります。

がんが発覚する半年前に手がけた
ミュージカル「生きる」。

黒澤 明監督の映画を舞台化した作品です。

主人公は 無気力な役人。

胃がんの宣告を受け
余命数か月と知ったあと

まだ自分にもできることがあると気付き
公園作りに奔走するという物語です。

♬~「いのち 短し」

♬~

最初 演出した時に がん分かんないから
自分に むしろ罪悪感さえ感じるぐらい

演出家は 想像力がなきゃいけないんで
がんって こんなふうにつらくて

こんなふうに思うのかなと思いながらも
一生懸命やってたんですが

まさか 自分が がんになると思わなくて。

正直言うと 初演の時は
少し やっぱり悲劇的な

がんになって ガ~ッと混乱は
もちろん同じなんですが

そのあと いらだつことだとか
なんとかっていうのも

何か ちょっと
かわいそうな人の いらだちだとか

そういう感じを
どっか演出してたような気がして

がんになったら
もっと正直になっちゃって

いいんじゃないかと思ったんですね。
だから 失礼だけど

「お前に 俺の気持ちが分かるか」って

言ってもいいんじゃないかと
思っちゃって。 どなって。

だって 人間だから。 人間の根源が
もう一回 戻ってくると思えば

もう周りから見たら それ 「何で お父さん
そんなどなるのよ。 駄目」って

思うかもしれないけど 全部出して
喜びも出して そういうところも

がんによって発見して だからこそ
もう少し生きるんだっていうふうに

っていう意味では
だいぶ 少し変わったと思いますね。

ぜひ見たいです。
見て下さい。 見てほしいです。

おやじも 実を言うと
死ぬ前に見てるんですよ。

泣いてた。 おやじは 本当に
今まで 僕の舞台で

もう一回見たい もう一回見たいって
結局 3回見に来たのは

おやじ 初めてかな。 それはもう
自分のことも重ねていたと思います。

ご自身のがん
そして このお父様の死というのを経て

生きる意味っていうのを どう こう
今 考えるようになりましたか?

う~ん… まあ 僕は
「人生二度なし」だと思っていて

もちろん 輪廻転生
いろいろあるかもしれないけど

まずは この体と この顔と
この性格とで

僕たちは みんな
これで生きていくじゃないですか。

やっぱり その生きていることも 存分に
それぞれが役目があると思っていて

大小何にも関係なく
それぞれができることがあるんで

それを…

そして
人に できることは やっていきたい。

そんなことかなあ…。

みんな 尊敬しちゃいます
だから このごろ。

分かりますね。 分かります?
本当にそうですよね。

生きてて頂いてありがとうございますって
言えないけど 思っちゃいますよね。

生きてることが 本当に奇跡なんだなあ。

だったら 僕が がんをしようが
尿漏れが何だ

そんなちっちゃなことって
自分でも思います。

まだ生きてるじゃんって
こっちに軸は いっちゃうんですよね。

だから やっぱり 死ぬ瞬間まで 自分も
そうありたいなと思ってはいますけど。

いや 落合さん
今日は 宮本さんのがんのご経験

お父様との関係について
伺ってきましたけれども

いかがでしたか?
人っていうのは いくつになっても

変わりうるものなんだなって
しみじみと思いましたね。

お父様との関係性もそうだし
宮本さん自身もそうだと思うんですが

どうしても
一度 価値観が確立してしまうと

そのままいってしまいがちですよね
執着して。

でも 揺れながら揺れながら
どんどん どんどん新しくなれるって

すばらしいなと思います。

おっしゃるとおりですね。
ありがとうございます。

いや~ でも 宮本さん 今年もまた
アメリカに行かれるというのもあって

がんも経て
これからやっていきたいこと

どんなことがございますか?
う~ん… そうですね

僕 やっぱり まあ 今 コロナ禍もあって

いろんな分断だとか
いろんなことがあったり 誰が悪い…。

やっぱり 不安から そういうふうに
人間はなるの分かるんだけど

だからこそ
反対のことやりたいというか。

どこの国に行っても 生きてることがね
それこそ がんで教わったことも含めて

おやじから おふくろから教わったことを
こんなに生きてることが すばらしいし

いろいろね 人生 歯車合わなかったり
ドラマで いろんなことがあるけど

だけど こんなに 人はすてきなんだよ
っていうことを

舞台や いろんな表現を通して
伝え続けていくっていうのは

僕の やっぱり 役目かなと思ってます。

すてきな舞台を 私たちも これから
楽しみにしていたいと思います。

今日のゲストは 宮本亞門さんでした。

宮本さん ありがとうございました。
ありがとうございました。

Source: https://dnptxt.com/feed/

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