徹子の部屋 ピアニスト・反田恭平[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 ピアニスト・反田恭平[字]

~ショパンコンクール日本人最高位の快挙を!~ピアニスト・反田恭平さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
昨年ポーランドで行われたショパン国際ピアノコンクールで、日本人最高位となる2位に輝いたピアニスト・反田恭平さんがゲスト。スタジオではショパンの名曲を披露。音楽界の未来を担うピアニストの素顔を、どうぞお見逃しなく!
◇番組内容
21歳でのデビュー時には会場を満席にし「最もチケットの取れないピアニスト」とも呼ばれる反田さんだが、海外からの評価には自信が持てなかったという。コンクール出場のため5年前にショパンの祖国・ポーランドに留学、プレッシャーに打ち勝つため様々な努力を積み重ねた。ピアノを始めた12歳の頃は「指揮者になりたい」と思っていたと話す反田さん。当時、テレビ番組でオーケストラを指揮する体験をした際の貴重な映像を…
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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(黒柳)去年
ショパン国際ピアノコンクールに

お出になって 2位に輝いた

反田恭平さんです。

51年前に内田光子さんが

やはり
2位という事でしたんですけど

大変な世界の大舞台での快挙。

おめでとうございました。
ありがとうございます。

12歳から本格的に ピアノを
お始めになったそうですが

これまでに
色々な苦労がおありになって…。

今日は演奏もして頂きます。

よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。

去年の1月に
指揮者の佐渡裕さんとご一緒に…。

で 佐渡さんが
「いいピアニストなんだよ」って

おっしゃって
その時も演奏して頂きましたけど。

前回は
佐渡さんのお友達という事で

招待して頂きましたが
今回は1人なので

また改めて緊張しております。
そうですね。

で その後
10月にポーランドで開かれた

ショパン国際ピアノコンクールに
お出になって

そして
日本人としては最高位の2位。

今は もう チケットの取れない
ピアニストという事で。

2位入賞という時は
どんなお気持ちでした?

そうですね。 ファイナル…
本戦まで行って

オーケストラと
実際に弾くっていうのが

僕の小さな夢で。
ねえ。

やっぱり それを目標にして
頑張っていたところもあったので。

結果は
あとから ついてくればいいかな

っていうぐらいの
スタンスだったので

実際に2位と言われて
率直に ラッキーだなと…

うれしかったなと思ってますね。

母はポーランドに
ファイナルの時は来てくれて。

で やっぱり ある種の…

母親も ちょっと
憧れていたと思うので。

その姿を見せてあげられた事は

ちょっと 僕としては
ホッとしてましたし…。

よかったですよね。
ファイナルの結果が出る前に

もう ポーランドに来ていたので

これで駄目だったら
見せられないっていう

少しのね 葛藤もありましたが
喜んで…。

僕が演奏してる時は 40分間
ずっと泣いてたみたいですね。

あっ そうなの。

お父様の感想は どうでした?
父はですね まあ…。

母親経由で 頑張ったんじゃないの
みたいな感じを

ちょっと
伝えてもらいましたけども。

父は そもそも 1年ぐらい
連絡を取っていないので…。

あっ そうなんですか。
そうなんですよ。

どういうふうに思ってるのか
わからないですけど。

ただ テレビとかは
本当に大好きな人ですので

こうやって出ているのも 恐らく

嫉妬してるんじゃないかなって
思いますけどね。

嫉妬してる?
お父様も出たい? テレビに。

いやいや いやいや…。 でも
うらやましがっている感じは

ありましたね。

母親がテレビで 僕が出ている時に
チャンネルを こう

そろえてくれたり
するらしいんですけど。

父親は寝たふりをしているのか
寝てるのかわからないですけど

携帯で遊んでたりして

見て見ぬふりをするみたいですね。
あっ そうなの。

父親は どうなんですかね。

昔から
反対をされていたものですけども

いまだに そういう話は
もう しないので

率直なところは
聞いてみたいですけど

でも いまだに
コンサートも来ないですし…。

そう。
このままでいいんじゃないかな

とも思いますね。
そうですか。

今日は せっかく
テレビ 出ていらっしゃるから

お父様に ひと言
なんか おっしゃったら?

本当ですか? ハハ…。
どうぞ このテレビで。

あの まあ…。
「お父さん」とかって…。

本当に 産んでくれてありがとう
という事ですね。

感謝をしておりますし

高校にも入学を認めてくれた事も
すごく感謝しておりますし。

もしかしたら たまに
コンサートに来てくれても…。

「来てくれても」っていうのは
おかしいけど。

来たいと… 寝ないのであれば
ぜひ 来てください。

そうですか。 どうも。
恥ずかしいですね。

ところで
私 びっくりしたんですけど

12歳から
お始めになったんですって?

そうですね。 元々は
サッカー大好きな子供でしたので

11歳の頃まで続けていました。

あっ そうなんですか。
ただ 試合中に

手首を骨折しまして。

骨折?
骨折をしたんです 手首を。

手首を?
はい。

で ものすごく痛くて。

当時 ワールドカップで
宮本恒靖選手が

鼻にギプスをされている頃で。
そうですね。

お医者さんに
「手より鼻の方が痛いよ」と

言われまして
僕は この痛い職業は

向いてないのかもしれないなと
思って。

で まあ その水面下で 趣味で

ピアノをたしなんでいたところも
ありまして。

ピアノだったら
ケガしないなというところで

ピアノを始めてみようかな
っていうのが

一つのきっかけでもありましたね。
でも これ…

もう これで
弾いていらっしゃるって事は

12歳から
始めたわけじゃないのね?

はい。 4歳の頃にエレクトーンを
初めて触りました。

で 本当に…
なんていうんですかね。

地域ごとにある音楽教室に
通いまして

で 音当てクイズ
みたいなところから入って。

でも 4歳の頃から どうやら
僕は ずる賢かったみたいで。

なんか こう… 目を手で隠す…
やるらしいんですけど。

僕は その隙間から「ド」とか見て。

先生が何を弾いているか
鍵盤の位置を隙間から見て

「ミ」とか言って
天才だと言われて。

で この子は本当に才能があると。

転勤しても ピアノだけは
続けてくださいという事で

母親も うのみにしたのか…。
あっ そうで…。

そこから こういった人生が
少しずつ始まっていったかな

という感じでしたね。
それこそ 先ほどの写真の

12歳の頃に
ショパンコンクールの

ドキュメンタリー番組を
見たんですね 2005年の回の。

僕はワールドカップに出たいとか
思っていた少年だったので

ピアノの鍵盤一つで
こんなに世界が沸くのか。

そういう場所があるんだ
っていうのを教えてくれたのが

テレビだったんですね。
ええー。

で そこから
ショパンコンクールっていうのは

憧れに変わっていきまして。
ええ。

で 活動していくうちに
一生で一回…。

年齢制限もありましたので。

人生 後悔のないように
生きていくためには

受けるべきなのかな

というふうに思い立って
受けましたね。

それで 12歳から
本格的に お始めになったの?

はい。

同じテレビ朝日の
『題名のない音楽会』で

一般視聴者の方が応募して

プロのオーケストラを
1分間 振ってみようっていう

企画があったんですよ。
すごい。

本当に大舞台で
オーケストラがいて

カメラも 8台 7台ぐらいあって。
すごい。

そこのステージでは僕 ピアノは
まだ弾いた事なかったので

指揮者として先に大舞台で…。
すごい。

拍手を浴びさせて頂いたんですね。

その時に ある種の…
一振りをした瞬間に

風が吹いたといいますか。

あっ クラシック音楽って
すごいかっこいいって

初めて思えたんですよね。

ピアノは好きだったけども

サッカーのような
かっこよさっていうのが

あんまり
わからなかった頃でしたので。

あの瞬間に僕の人生が

変わっていったかな
という感じでしたね。

その『題名のない音楽会』で
指揮をするという企画があり

それで なんと
ご出演なすったんですけども

その貴重な映像が
テレビ朝日に残っておりますので

ちょっと
見て頂いてよろしいですか?

恥ずかしい…。

(ナレーション)「続いては
東京都の反田恭平さん 12歳」

「今日の意気込みを
教えてもらえますか?」

「元気にやっていきたいと
思います」

「(一同 笑い)」

「♬~(演奏)」

すごい。

「♬~(演奏)」

すごいです。
これ 練習なすったんですか?

これは… 特に 先生に
習っていたわけでもないので

本当に 自分が思ったとおりに

好きなように
振っていたっていう…。

そうやっていらして
21歳の時にデビューなさって。

それで コンサートで

サントリーホールを
満席にしたという。

これが そうですかね?
ああー そうですね。

サントリーホールで。
はい。 2016年1月の23日でしたね。

これが僕のデビュー日に
なるわけなんですけども。

今 考えてみれば
よく埋まったなと…

満席になったなと思いますね。
すごいですね。

なかなかね クラシックで…。
無名といっては…。

そうですね。
失礼ですけど 無名に近い。

そういう方が…。
これからっていう時でしたから。

それで ショパンコンクールに
出場なさろうという…

コンクールに
お出になるという事で

5年前にポーランドに…。

ショパンの国ですけど。
ポーランドに留学なすって。

今もポーランドに
お家があるそうですけど。

あっ ポーランドって…
私 行った事ないのね。

あっ そうですか。 奇麗ですよ。
ねえ。 奇麗ね。

建物が全体的に低いんですよね。

で 青空が
すごくよく見える地域ですので。

治安もいいし 人も温かいので
僕も好きな場所です。

これは どこですか?
これは僕が通っています

ショパン音楽大学…
旧ワルシャワ音楽院ですね。

ああー すごい。

やっぱり こう
ショパン大学っていうだけあって

ショパンも通っていた
学校なんですよ。

えっ?
そうなんですよ。

そうなんですか。
で 僕は もう

留学して5~6年ぐらいに
なるんですけども

ずっと研究科というところにいて
ショパンの演奏を勉強したり

スコアを… 楽譜を読んで

先生と話してみたりっていう事を
やっていますね。

なんか 過去15年分の4000曲を
研究なさったっていうのは

本当なんですか?
はい。

ショパンコンクールに出ると
決めた頃なんですけども

やっぱり… うーん…。

まあ 言ってしまえば
プレッシャーというか

周りの期待も
少なからずありました。

で 勝負するからには
絶対に目標のファイナルまで

行きたいというところが
ありましたので

過去2回分ですかね。 2005年と…
あっ 2010年 2015年分の

予備予選の参加者から
ファイナルまで

もう 全員… 何人…
400名ぐらいでしたっけ?

忘れちゃった…。
あっ 800名分ですかね。

で 4000曲分ぐらい
「正」の字を書いていって

このコンクールは1次予選で
どんな曲を弾かれていたのかとか。

で どういう傾向で コンクールが
動いているのかというのは

自分の中でデータ化して。
すごい。

そこの中から 自分の…

今回 コンクールで弾いた作品を
選んでいきましたね

プログラミングとか。

ちょっと心配性なところも
あったので

絶対 勝ちにいきたいっていう
強い気持ちを持って…。

面倒だったかも
しれないですけども

やってよかったなとは
思ってますね 今。

でも 1次予選のあと
なんか もう やめたいって

先生宛てのメールを
お書きになったんですって?

想像の8倍ぐらい
結構つらいコンクールでした。

で 1次予選が終わった頃に
もう くじけそうになって

先生に 棄権してもいいかな
っていうメールを

長文で書いてたんですけど。

でも 一応 友達に
相談してみようと思って。

そしたら 絶対送るなと。

ファイナルまでは
いけると思ってるから

頑張りなさいって
友達たちに励まされて

メールを削除しましたね。
あっ そうなんですか。

よかったですよ
お出しにならないでね。

持つべきものは友だなと
思いましたね その瞬間。

でも 練習しすぎて なんか

調子が悪くなるぐらい
だったんですって?

そうですね。

恥ずかしい話なんですけど

日頃から毎日 9時間 10時間
練習されてる方は

多分
苦じゃないと思うんですけど。

この時期だけ
毎日9時間とか弾いてると

同じ音符を見てても

これ どういう音符だっけ?
みたくなってきまして。

で 弾きすぎて ショパンなのに

ジャズを弾いてるみたいに
なってきちゃったんですよね。

で また 友達に相談して。
そしたら 弾くのをやめなさいと。

で 1日半
2次予選まであったので。

1日半 ずっと もう
映画を見たり

サッカーのゲームをやったり
漫画を読んだりして

ピアノを…
そもそも 音から離れました。

でも それがあって

楽しく予選で弾けたっていう時も
あったので。

あっ そうですか。 やっぱり
そういう事ってあるんですかね。

でも コンクールにお出になって
ポーランドの先生に

恩返しをしたいという気持ちも
おありだったんですって?

結局は演奏って誰のために…

もしくは なんのために
弾くのかっていうのが

とても大事だと思うんですけども。

今回のコンクールは
誰のために弾こうと考えた時に

家族のため
友人のためとかありましたが

僕にとっては
ショパンというものを

教えてくれた先生の…。
この方ですか?

はい。
先生のために弾こうと思い…。

ピオトル・パレチニ先生
という方なんですけども。

まあ 余談ですけど 先生は

52年前に3位になられたんですよ。
あっ そう。

という事は 内田光子さんが
2位の時の3位なんですよ。

ええー。 同じ年の?
そうなんですよ。

で コンクールが始まる直前に
プログラムを見てて

僕のエントリー番号が
64番ぐらいだったんですけど

「52年前 僕も64番だったよ」って
言われまして。

「何かあるかもね」って。
「なんか 縁を感じるわ」って

先生から
コンクール直前に言われて

「じゃあ いってらっしゃい」って
言われましたね。

あっ そうですか。
非常に難しかったですが

ただ… でも
今回 ショパンと向き合えて

すごく コンクール終わってから

一つ… 二回り
大きくなったんじゃないかなと…

成長できたなと思ってます。

今日は ショパンの名曲を
聴かせてくださいますけど。

じゃあ お願いしても
よろしいですか?

それでは 曲は
コンクールでも お弾きになった

ショパンの『マズルカ』です。
どうぞ。

♬~(ピアノ)

♬~

♬~

♬~

♬~

♬~

♬~

♬~

♬~

♬~

♬~

(拍手)

どうも。
ありがとうございました。

ちょっと
目をつぶって聴いてたら

なんか ショパンが弾いてるかな
っていう感じがしました。

ありがとうございます。
すごかった。

でも まだ 実は夢がある?
そうですね。

これから 指揮を ちゃんと
勉強しようと思っています。

先ほどのVTRにも
ありましたけど

小ちゃい頃から夢見ていた
オーケストラを振る…

あそこの指揮台に立つという事は
いまだに諦めてもいませんし。

で ならば 昔 指揮者の先生に

「指揮者になるためには
どうしたらいいですか?」と

質問させて頂いた頃

「まず1つの楽器を極めなさい」
という事を言われました。

で 今日まで
その言葉を胸に刻んで

活動してきた感じなんですね。

ですので いったん… ピアノも
これからも弾き続けますが

指揮の方も ちゃんと
勉強していきたいという事で

ウィーンへ これから渡ります。
で ヨーロッパを拠点にして

どんどん
演奏活動をしていきたいなとも

思ってたりしますし。

昨年 Japan National Orchestra
という会社を立ち上げました。

すごい。

オーケストラの…
みんななんですけど。

すごい。
同世代の音楽家をはじめ

先輩方 後輩方の
みんなの力を借りて

既存にない新しい形の
オーケストラを作りたいなと。

なんか これ
株式会社になってるんですって?

そうなんです。
財団法人とかではなくて

株式にした理由の一つとして
みんなで頑張っていって

生み出したお金だったり
利益だったりで

次の目標へいこうよ
っていうところを

モットーに掲げていて。

で やっぱり
コロナ禍でもありましたし

勉強したくても なかなか存分に…
例えば お家の家賃でしたりとか

心配事が増える事もあります
留学していると。

そういったところも
カバーできればなという事で

給与制にしたりしています。
なるほど。

やっぱり みんなで作り上げる音楽
っていうのが とても大事ですし

これから このオーケストラを

海外に連れていきたいな
っていうのも

僕の一つの夢です。
なるほど。

ところで ちょっと
話 変わるんですけど

なんと 今年の
「徹子の部屋」クラシックが

これからあるんですけど。
6月15日でございます。

反田さんも ご出演くださる
という事で楽しみにして…。

で 出演はKOBUDO-古武道-

それから
N響のコンサートマスターの

篠崎史紀さん。

そして 今日の反田恭平さん。

そして LE VELVETS
4人 下にいらっしゃる方と。

こういう方々のご出演で

すばらしい曲を
皆様に聴いて頂けると思います。

じゃあ その時にも
よろしくお願い致します。

よろしくお願いします。
楽しみです。

本当。 でも その間にポーランドに
いらっしゃるんでしょ? 一回。

そうですね。 またポーランド…
お家もありますし

で ウィーンの新しいお家も
探さなければいけないですし

これから また

より忙しくなってしまう可能性も
あるんですけども

体には気を付けて…。

ありがとうございました。 また
今度 よろしくお願い致します。

ありがとうございます。
「徹子の部屋」コンサートでも

よろしくお願い…。
はい。 楽しみに…。

『徹子の部屋』は

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