徹子の部屋 中川晃教[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 中川晃教[字]

~音楽界の大御所の逆鱗に触れ…~中川晃教さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
シンガーソングライターとしてデビュー。日本有線大賞新人賞を受賞するなど歌手として注目され、その後、美しい歌声を見込まれ演技経験ゼロながらミュージカルの主役に抜擢、大人気となった中川晃教さんがゲスト。
◇番組内容
幼少期から、元歌手だった母に「歌詞は語るように、台詞は歌うように歌いなさい」と言われて育ったため、ミュージカルの専門的な教育は受けずにデビューしてしまったという中川さん。だが、その表現に惹かれ、ミュージカルへ懸命に取り組むようになったと明かす。4月から挑むミュージカルの音楽監督・ミッキー吉野さんとは、バンド活動をしていた時期があったという。当時こだわるあまりミッキー吉野さんの逆鱗に触れたことが…!?
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

テキストマイニング結果

ワードクラウド

キーワード出現数ベスト20

  1. ミュージカル
  2. 本当
  3. baby
  4. ミッキー
  5. 一緒
  6. デビュー
  7. Sherry
  8. お母様
  9. 歌手
  10. 今日
  11. 自分
  12. 整理
  13. you
  14. ジャージー
  15. ボーイズ
  16. モーツァルト
  17. モテ
  18. 気持
  19. 出会
  20. 瞬間

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

created by Rinker
ハゴロモ
¥1,393
(2022/03/17 22:58:40時点 Amazon調べ-詳細)

♬~「Sherry baby」

♬~

♬~「Sherry 今夜おいでよ」

(黒柳)ミュージカルで大人気

抜群の歌唱力で
天使の歌声と称される

中川晃教さん。 今日のお客様です。

ミュージカルスターになるまでは
亡きおばあ様の

励ましや支えが
あったそうでございますけど

今日は歌ってもいただきます。
よろしくお願いいたします。

お願いいたします。
随分 若く見える…

39だったの? あなた。
そうなんですよ。 今 39歳です。

20代かと思いました。
ありがとうございます。

シンガー・ソングライターで
いらっしゃいまして

俳優でもいらっしゃる。

『ジャージー・ボーイズ』で
ミュージカル界では初の

読売演劇大賞 最優秀作品賞と

最優秀男優賞を受賞なさいました。

これ なかなか…
これをいただけるのは

難しいんですけれども。
そして 天使の歌声と呼ばれ

絶賛された舞台の様子を
ちょっと 見せていただきます。

♬~「Ooo-Wee-Ooooooh-Wa」

♬~「Walk, walk, walk, walk」

♬~「Ooo-Wee-Ooooooh」

♬~「Walk like a man」

♬~「あんな嘘で僕をおとしめ
君は得意げだね」

♬~「I love you baby 深い闇を」

♬~「I need you baby
越えてゆこう」

♬~「I love you baby
信じてほしい」

♬~「Oh pretty baby
やっと会えた」

♬~「Oh pretty baby
どうかそばに」

♬~「And let me love you baby
let me love you」

わあー!
『ジャージー・ボーイズ』なんですが

ちょっと特殊な発声法
なんだそうですけども。

はい。
どこのところ どう使うと

ああいう声が出るの?
はい。 あの… 例えば 地声。

この感じで歌う。
それから ファルセット。

♬~「ハアアアア…」

その もうちょっと上の音を
出す時に…。

♬~「Sherry」

♬~「Sherry」

「She…」「She…」。

この3つぐらいの音を使い分ける
っていうのが

このフランキー・ヴァリを
やるうえで

必要とされているという
声なんですね。

すごいですね でも 随分。
はい。 その中でも

このハイトーンボイスの
『Sherry』という曲

今 ちょっと歌ったんですけども

この 「She…」
ここを当てなければ…。

♬~「She…」

♬~「Sherry baby」

♬~「Sherry 今夜おいでよ」

最後 地声になる こういうのを…。
「今夜おいでよ」は地声になるの?

はい。 使い分けるという感じです。
でも そこのところの区別が

全然ついてないところが
いいですよね。

難しいところですよね 一番。
そうなんです。

トレーニング トレーニングで
この声を やっぱり つかんで

そして 30代 1つ 代表作に
なったなと思ってるんですけども。

すごいですよ でもね。
なかなか練習してもね

今のように
普通の地声のこの声から

その「ウワアー」って
上がるところのとこに

引っ掛かりなくシュッていって
シュッと帰ってくるの

ものすごく難しいですよね。
ものすごく難しいです。

よく 発声なんかを 僕は…
今日も楽屋で。

もう 他の方々に こう
ご迷惑にならないかと思うぐらい。

でも やっぱり ある程度
大きい声を出すので。

やっぱり 毎日 毎日 発声をやって
そのチェンジ…

声の変化がなく 滑るように こう

高いところから低いところまで
という… やってます。

それで 変な風になっちゃうと

「ヘララ ハララ ハーラララー」
みたいになっちゃうよね。

「ケロケロケロ」って
なってしまうんですよね。

そうですよね。
でも あなたの場合…

まあ 今日 ちょっと
楽しみにしていますけど。

とにかく異色の経歴の持ち主で。

大体 初め
歌手でデビューなすったのね?

はい。
何歳から?

18歳の時にデビューしました。
そうですか。

2001年に僕は
シンガー・ソングライターとして

『I WILL GET YOUR KISS』
という曲でデビューをしました。

あっ そうなの。
随分 若い写真が出てます。

18歳の僕です。
仙台から出てきたばかりの頃です。

あっ そうですか。 へえ…。

それで 『モーツァルト!』…
舞台で『モーツァルト!』っていう

ミュージカルが
あったんですけども

あれで声楽の勉強をしないで
主役に抜擢された?

はい。 もう 本当にそうです。

『モーツァルト!』
これ 本当に ヒットした…

ミュージカルって言っていいのかな?
ミュージカルですよね。

でも 声楽の勉強 全然してなくて

いきなり 主役に抜擢される
っていうのは珍しい事…?

珍しい事だったのかも
しれないです。

僕は 当時
シンガー・ソングライターとして

2001年にデビューをしていて

歌を歌うっていう事は
どこか… その 表現ですよね。

でも 自分で作った歌しか
歌った事がなかったわけですよね。

この『モーツァルト!』のお話を
いただいた時に

自分が作った歌ではない
という事が1つと

そして そこには劇がある…
お芝居がある。

そして お芝居からの歌になると。

このミュージカルという世界に
とても 心が動いたんですね。

やってみたい!
その 「やってみたい!」

この気持ち1つで飛び込んだのが
19歳の時でした。

見た事はあったんですか?
ミュージカルっていうものを。

はい。 母が連れて行ってくれて
小学校の頃

『ミス・サイゴン』っていう
本田美奈子.さん

市村正親さんのミュージカル…。
あっ 小さい。 可愛い。

その時に
ミュージカルを初めて見て

ミュージカルって
すごいなって

思った記憶がありました。

それで
小学校3年生ぐらいから

作曲も始めてたんですって?

はい。 僕
3人きょうだいなんですけども

兄 僕 妹と 実は年子なんですね。

ええー! すごいね。
母が… 母も父も

大変だったと思うんですけども。
大変 うん。

はい。 今の立場になると

その 3人を育てる
両親の気持ちっていうのが

ちょっと 想像がつくように
なってきましたけれども。

あの… ある日
レストランにですね

家族で みんなで こう
食事に行った時にですね

ピアノを弾いている…
生演奏で弾いている…

ピアノを弾いている方が
男性だったんですね。

その方を見て 「男の子が
ピアノ弾けるとモテるよ」。

「女の子にモテるよ」って言われて
その瞬間に

もう 全てのナイフとか
フォークとかを全部置いて

こう 聴き入るっていう。
あんな風に…?

モテるのか!
あんな風になれるのかって。

それがきっかけで
ピアノを習い始めたんですね。

そこから こう
曲を作るという事を始めました。

モテました?
全くモテませんでした。

本当に?
あの… もっと

ピアノが弾ける男の子が
周りに多かったんですよ。

いっぱいいたの?
ピアノ弾ける子が。

僕は どっちかっていうと
こう 即興で

その時 自分が感じたものを
弾くのが得意だったので。

作曲もできるっていう事でね。
やっぱり みんなは… 女の子は

みんなは 誰もが知ってる曲に
やっぱり 「キャー すごい」って。

僕はオリジナルなんだ! とか
思いながら弾いてました。

即興で自分の気持ちを…
まあ 弾けるっていうか

作れるっていう才能は
あるそうですけど

今 現在… よくわからないけど

「僕は
『徹子の部屋』に来てますよ」

みたいなの歌ってって言ったら
すぐ歌えるの?

はい。
本当に!?

もう…。

♬~「言葉 選ばずに言いますが」

♬~「僕は ずっと
この徹子さんの部屋が」

♬~「大好きで」

♬~「もちろん 見てました」

♬~「そして
今 ご本人を目の前にして」

♬~「この スペシャルモーメント」

♬~「最高です」

(拍手)

もう もともとある歌としか
思えない。

心が動く…
感動する瞬間に やっぱり

こう 言葉が
音になるっていうのは

ミュージカルやっていても
感じるんですけども

こういう瞬間にあります。
すごい。

すごいです。
もともと お母様は

古賀政男さんのお弟子さんか
なんかでいらしたの?

そうなんです。
あら…!

母も3人姉妹なんですけれども

長女… 母は次女
そして 一番下の三女と。

それぞれに… 芸能界に ちょっと
こう 携わっていた事があって。

母は歌手として。
また 母の妹も歌手として。

長女のお姉さんは作詞家として。

すごいわね。
はい。

お母様は歌手としては
どんな風だったんですか?

母は あの… 本当に もともと
洋楽が大好きだったそうで

ダイアナ・ロス
シュープリームスとか

ああいう音楽が好きだったけども
お父さん お母さん…

だから 僕からいうと
おじいちゃんですよね。

おじいさん おばあさんが
演歌を歌いなさいと。

古賀政男さん。
門下生に入りなさいという事で

演歌を歌っていたという事でした。
あっ そうなの。

それで あなたのお父様は

あなたのお母様の歌声に惹かれて

結婚なすったんですって?
そうなんです。

『新妻鏡』ってありますよね?
あれは…。

♬~「僕がこころの」

♬~「良人なら」

僕は歌えませんけど 完全に
リバイバルですよね 当時。

うん そうそう。
それを こう たまたま

お店の有線で聴いた父は

「うわっ! 歌がうまい この人」と
思ったそうです。

それが最初の出会い。
そこから偶然 出会う…

2人が出会う機会があって
こうなったという…。

あなたが生まれた
っていうわけよね。

でも 歌番組で あなた

『天城越え』を
歌った事があるんですって?

はい。 まあ これもまた
不思議なご縁なんですけれども

僕 ミュージカルという
フィールドで

今 頑張ってるんですけれども

山崎育三郎さん始め
井上芳雄さん始め

こういう ミュージカルシーンで
頑張ってる仲間たちが

どんどん お茶の間に出ていく。

これがまた
1つのきっかけとなって…。

まさか 僕も 演歌というものが
柱になる番組で

まさか 『天城越え』を歌うとは
思いませんでしたけれども。

ちょっと
『天城越え』歌ってもらえる?

伴奏がなくて悪いけど。

♬~「隠しきれない 移り香が」

♬~「いつしかあなたに
しみついた」

♬~「誰かに盗られる くらいなら」

♬~「あなたを殺して いいですか」

こんな感じ…。
すごい。 気持ちたっぷり。

やっぱり こう
女の人の情念っていうものは

もちろん
バックボーンにありますよね。

これを こう… ミュージカルを
普段 やらせていただいてるので

その歌の歌詞の内容
こういったものを やっぱり

読み解くっていう事は
1つあるのと

やっぱり
母の影響なんでしょうね。

古賀政男先生のもとで やっぱり
歌っていた母が

僕が子どもの頃
よく 歌を教えてくれました。

でも あなたが
歌っていらっしゃると

お母様 ちゃんと
チェックが入るんですって?

はい。 「歌詞は語るように」。

「せりふは歌うように」。
うん そうそう。

…っていう風に
教えてくれました。

じゃあ 今日 お母様
見てらっしゃるでしょうね

きっとね。
さっきも 前室で

母にLINEを。
あっ 打ったの?

打ちました。

お返事 来ました?
はい。 「頑張りなさい」と…。

18歳の時 仙台から上京なすって
一人暮らしだったんですけど

31歳の時 突然

東京で暮らしていらっしゃる
おばあ様と一緒に暮らし始め…。

豪快だった
おじい様が亡くなって

1人だと寂しい
っていう感じがあったから

やっぱり 同居の誘いは
うれしかった?

はい。
僕 もう 18で東京に出てきて

ずっと
一人暮らしをしてたんですよね。

でも どこかで こう 仙台から
出てきているっていう思いが

やっぱり ありまして。
東京で しっかりと

自分がつかんだ夢を
形にするんだって…。

やっぱり
歌手になりたいっていう…?

はい。
そして デビューはできても

それが果たして
どこまで息の長い歌手として…

そして やっていけるのか。

やっぱり そういう気持ちが
ありましたので

例えば 母が
東京に こう 来る時に

僕の一人暮らしの部屋なんかに

「泊まりたい」とかって
母が言うんですね。

そうすると 僕は「イヤだ」って。

なんか 弱いとこ
見せたくないんですね。

そうやって こう 一人暮らしを
ずっとしてきた僕が

やっぱり
おばあさんからの その一言で

一緒に住む… 家族って

大事だなって思わせてくれました。
あっ そうなの。

僕が仕事柄 遅く帰ってくると…

もう 80過ぎてましたけども

「あんた ごはん食べたの?」
とか言われて。

「早い時間に食べたから ちょっと
おなかすいた」って言うと

チャチャチャチャって
「あるものだけどね」…

チャチャって作って…。
フフフ…! いいわね。

一緒に ごはんを食べて ワインを
ちょっと飲んでっていう

そういう日々でした。
キレイなおばあ様。

ありがとうございます。
ねえ。

それで おばあ様は
舞台をご覧になる時は

なんか
お出かけお洋服があって…?

あなた プレゼントしたり
したんですって?

そうなんです。

本当に 銀座とかで…

仕事柄 帝国劇場とか
シアタークリエとかが多いので

ちょっと フッと通った瞬間に

あっ これ おばあさんに
似合いそうだなとか。

この洋服は 実は
台湾のデザイナーの

ジャスパーっていう人が
いるんですけども。

僕 台湾でも 実は デビューを
させていただいていて。

あっ そうなの。 へえー!

その時に出会った
デザイナーの洋服を

おばあさんにプレゼントしました。
このグリーンのレースが

付いてるような。
はい。

それで おばあ様の所に ずっと
住んでいらしたんですけど

おばあ様が亡くなったんで

とっても なんか
寂しくなったんですって?

はい。 あの…

ついこの間 全部を
リフォームしたんですけども

リフォームするまでの間
あの… なんていうんでしょうね。

コロナ禍にも突入していたので
いろんなものを…

家のものを整理する時間が
たまたま できたんですよね。

おばあさん よく 生前から

「私は逝ったら もう
ここのものは あんたにね…

こんなね 荷物もガラクタもね
邪魔になるだろうから」って。

「私が整理するから」って
よく 気丈にしゃべってて。

「いや おばあさん…」なんて。

「そんなね
整理するなんて言わずに

僕は 長生きしてほしい」って。
「一緒に住みたい」って

そんな事を
よく やり取りしてたんですよ。

でも やっぱり
いなくなった途端に

ポカーン… って。

で ものが捨てられないんですね。
おばあさんといたものが はい。

よく おばあさんも言ってました
そういえば。

おじいさんが亡くなった時に…
僕 おじいさんが亡くなったあと

おばあさんと
一緒に住んでますから。

「ねえ おばあさん そろそろ
おじいさんの このね…」。

小さい小物とか集めるの
好きだったので

「こういうものも そろそろ
整理しようか」なんて言ったら

「そうだね あと半年」とか
「あと3カ月」とか言いながら

やっぱり 1年 2年…。
そうですか。

でも その時に おばあ様も…

前からの整理しなきゃ
ならなかったものもあったし

おばあ様のものもあったしで

トラック なんだか すごい
いっぱいだったんですって?

はい。
3トントラック…?

トラック
もう 何往復も何往復もして。

大きいタンスから… もう 本当に
いろんなものを整理しました。

あっ そう。
大変でしたね それはね。

くたびれる事ですもんね。
でも おばあさんは

よく 家に1人でいると
チクチクやってるんですよ。

縫い物が大好きで。
うん。

つるし雛を
1人で全部 作るんですよ。

すごい! こういう風に
いっぱい いろんなものが…?

はい。 で 3姉妹って
先ほども…。

母も 「3人分のつるし雛を
私は作る」って言って

作っていたりとか。
あっ そう!

そういうものは
さすがに やっぱり

僕 大切に取ってますね。
そりゃそうですよね。

茶箱に入れて。
そうですか。

どのくらい おばあ様と
一緒に暮らしていらしたの?

約3年。
あっ そう… ええ。

一緒に住んでいました。

先ほど 徹子さんが
紹介してくださった

フランキー・ヴァリ
『ジャージー・ボーイズ』。

これは 僕 30代に
やっぱり 突入して

初めての1つの 自分の…
なんていうんですか

運命を感じる役だったんですね。
10代にデビューをして

20代で 『モーツァルト!』っていう
作品に出会って そして 30代で

『ジャージー・ボーイズ』
フランキー・ヴァリと。

こういう過程の中で
おばあさんに

このフランキー・ヴァリは
見てほしかったな

って思いましたね。

今 ちょっと お話に出ましたけど

今日は
そのおばあ様への思いを込めて

思い出の曲 『君の瞳に恋してる』を
歌っていただくんです。

これは おばあ様には
見せられなかったけど

「今度 こんな曲を歌うんだ」
って言って

うちでは ちょっと おばあ様に
聴いておもらいになった事も

あるそうですけども。

じゃあ この辺で ちょっと
ご準備 お願いできますか?

お願いいたします。

それでは おばあ様との思い出の曲
ご披露いただきます。

舞台『ジャージー・ボーイズ』の
中でも歌った

『君の瞳に恋してる』です。

では お願いいたしましょう。
どうぞ。

♬~

♬~

♬~

(拍手)

どうもありがとうございます。
ありがとうございました。

本当ね キレイな声なのね。
ビックリしました。

おばあ様も きっと 天国で
聴いてくださってたと思いますよ。

これからも
頑張っていただきたいと思います。

そういうわけで ミュージカルに
引っ張りだこっていうのも

わかるんですけども
なんか 今度

『銀河鉄道999 THE MUSICAL』
っていうのを やるんですって?

はい。 星野鉄郎を
やらせていただきます。

すごい! わあ すごい!

もう 僕 39歳なんですが
16歳を演じるという事で。

どうですか?
16歳の主人公 星野鉄郎は。

本当に…

こういう子 いたなと
思うんですけども

真っすぐに こう
物事に向かっていくって…。

忘れさせてくれないですよね
こういう

「生きる」っていう事に対する
執着とか

「今」っていうものに対して
無駄にしちゃいけないんだって

こういう事を
忘れちゃダメだっていう事を

鉄郎が教えてくれる気がします。
そうですか。

おばあ様に聴かせたいでしょ?

はい。

ゴダイゴのミッキー吉野さんが
音楽監督なすって。

ミッキーさんは
テーマ曲も監修なさった?

はい。 ミッキーさんは
本当に こう…

僕にとって

とても尊敬する音楽家であり…。

ミッキーさんと僕
すごく ご縁があって

実は 20代前半の頃に
ミッキーさんと

ご一緒させていただく機会が
あったんですね。

その時 BOBっていう ちょっと
ユニットを結成したんです。

ミッキー吉野さん
浅野孝已さん… ゴダイゴの。

そして 僕。 3人で

そういう 音楽を
やってた頃があるんですね。

ええー!
ミッキーさんから いろんな事を

僕 教わったんですよ。

ある日 ミッキーさんの逆鱗に

僕が触れてしまうような瞬間も
あって。

それは 僕が
すごくこだわったんですよ。

何か 音楽のアレンジとか
そういうものに。

「もっと ここは
こう歌いたい」って。

そしたら ミッキーさんが
やっぱり

「否定から音楽は生まれない!」
っておっしゃったんですよ。

今でも その言葉は
焼きついていて。

やっぱり 肯定から
ものは生まれるんだって…。

なんか そういう事を教わった
ミッキーさんと なんと 今回

『999』で夢がかなう
という感じなんですよね。

よかったですよね
でもね これで。

お互い よく
わかり合えるわけでしょ?

はい。
お母様は あなたのミュージカルを

見にいらっしゃるでしょ?
もちろん。

はい。 最近は
やっぱ コロナになってしまって

仙台から東京には
なかなか来れないですね。

でも 今 配信が
すごい充実してますもんね。

仙台から見てくれていると…。

お母様 なんか
感想 おっしゃいます?

この間 それこそ
『天城越え』なんかを

母が聴いてくれて。 ちょっと
僕 自信がなかったんです。

母に
「どうだった?」って聞いたら

「よく歌えてたよ」って
言ってくれました。

そう! じゃあ よかった…。
本当に よかったです。

よかったですよね。
これから ますます…。

本当に よかったです。
ありがとうございました。

徹子さん
ありがとうございました。

ありがとうございました。
おばあ様も

見守ってくださると思います…。
ありがとうございます。

『徹子の部屋』は

Source: https://dnptxt.com/feed/

powered by Auto Youtube Summarize

おすすめの記事