知恵泉「明治維新 大奥の再出発 幕府崩壊 失職女性のたくましい生き方」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

知恵泉「明治維新 大奥の再出発 幕府崩壊 失職女性のたくましい生き方」[解][字]

慶応4年江戸無血開城。この日を境に大奥の女性たちは、職も住居も失った。どんな環境でも“生きる醍醐(だいご)味”を忘れなかった女性たちから、人生再出発の知恵に迫る

番組内容
予期せず訪れてしまった人生の転機…困難をどう受け止め、乗り越え、その後をどう生きる? 今回は明治維新後、逞しく生き抜いた徳川の女性たちにスポットをあてる。慶応4年4月江戸無血開城。この日を境に500人ともいわれる大奥の女性たちは、職も住居も失った。名もなき奥女中から大奥のリーダーのひとり篤姫まで、どんな環境でも“生きる醍醐味”を忘れなかった女性たちの「底力」から、人生再出発にのぞむ知恵に迫る
出演者
【出演】俳優…真飛聖,IT企業役員…石田裕子,作家…鈴木由紀子,【司会】高井正智

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸

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  19. 仕事
  20. 彼女

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

♬~

五代目新店主の高井正智です。

ちょっと堅いかな~。

さあ 今日のお酒は どうするかな…。

おっ! 何だ これ。

「四代目推薦!」。

「大奥」?

東京・神楽坂にある 圓福寺。

ここに大奥ゆかりの鬼子母神があります。

こちらが江戸城 紅葉山から
圓福寺に奉安された

夜光鬼子母神です。

江戸城内にまつられていた
夜光鬼子母神像。

大奥の女性たちが
あつく信仰していました。

将軍の子どもを産み育てるために
200年以上続いた 女の園。

御台所をトップに 側室や

彼女たちに仕える奥女中などが
暮らしていました。

しかし 幕末 暗雲が垂れこめます。

(砲撃音)

慶応四年 鳥羽・伏見の戦いで

徳川率いる幕府軍は

新政府軍と激突し 惨敗。

徳川の世は 急速に終焉へと向かいます。

幕府崩壊に伴い 大量の武士が失業。

男たちは新たな仕事探しを始めます。

大奥も終焉を迎えます。

500人いたといわれる女性たちは
仕事も 住む場所も 一気に失います。

この時 大奥から持ち込まれたのが
夜光鬼子母神でした。

目に水晶が入ってると思うんですね。

その水晶が入ってるために
暗いところでも光ったと。

そういうことで…

そのような気持ちで
お参りしたんじゃないかと思うんですね。

混乱のさなか

新たな生きる道を
見いだしたいと願った 大奥の女性たち。

数少ない資料から
浮かび上がってきたのは

たくましく再出発した女性たちの姿。

子孫が語る
西郷隆盛と勝 海舟ゆかりの店を守った

奥女中とは…。

しもさん1人で
明治30年ごろまで酒蔵を全部

女性の腕一本で賄ってきた
っていうふうに聞いてますけれども。

十三代将軍 徳川家定の御台所 篤姫。

大奥の権力者が実践した
時代の変化を楽しむ極意とは?

人生のリスタートで大切なものとは何か。

明治維新後 たくましく生きた
大奥の女性たちの人生に迫ります。

今回 知恵を読み解くのは2人の女性。

宝塚のトップスターから
俳優として再出発。

テレビ 映画 舞台と
幅広く活躍しています。

そして IT企業で

社内初の女性人事担当役員となった
石田裕子さん。

女性が活躍する働き方を提案し
注目を集めています。

幕末 維新と時代の荒波を乗り越えた
大奥の女性たちから

再出発の極意を探ります。

今日もお客さん いっぱい来てほしいな~。
こんばんは~。

あっ! いらっしゃいませ。

真飛 聖さん よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

どうぞ そちら おかけ下さい。
ちょっとお邪魔します。

こんばんは。
いらっしゃいませ 石田裕子さん。

こちらのお席 おかけ下さい。
ありがとうございます。

こんばんは。
鈴木由紀子さん。

よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。

そちらのお席 おかけ下さい。

いや~ 今日は女性3人 お迎えできて
うれしいです。

お店が華やかになりましたけれどもね。

今日は よろしくお願いいたします。
(一同)よろしくお願いします。

たっぷり楽しんでいって下さい。

早速ですが テーマは「大奥」。

まずね 大奥のイメージから
伺っていきたいなと思うんですけれども。

もう完全に 映画とかドラマの
イメージなんですけど

美しく着飾った女性たちが何百人もいて

将軍のちょう愛を受けて

何て言うんでしょう
ドロドロした感じですよね。

その地位を争って 人を蹴落としたり
何だりっていうようなイメージです。

ドロドロしたイメージ。
ドロドロした感じ。

私も本当にそのとおりで
もう本当に女だけの世界。

男子禁制。

そして 何かこう
女の感情が渦巻いてるっていうような

本当に ドロドロというイメージしかない。

鈴木さん これ 実際に大奥っていうのは
どういう場所だったんでしょうか?

もうね そういうイメージですよね。
ドラマの影響が大きくて。

でも私も調べて
本当にびっくりしたんですけれども

やっぱり大奥って

特に将軍とか御台所に お目通りできる
っていう上の方のクラスは

もう終身雇用の
キャリアウーマンなんですよね。

キャリアウーマン。

それで引退後も生涯年金いただける。
手厚い保護があったんですよ。

そうなんだ。

その大奥の女性たちが
明治維新後 どんな人生を迎えたのか

そして 再出発をしたのか
見ていこうと思うんですが

その前に このお店の名物であります
メニューご紹介 いきますよ!

こちらです。

う~ん。

「おお! オクラのネバネバサラダで
ネバーギブアップ!」。

2回言いましたね。
(笑い声)

こちらですね。

ネバネバサラダ。
おいしそう。

ネバネバ おいしいです。
ほら ネバネバして…

ネバネバサラダで再出発の

ネバーギブアップ。 諦めない。

それでは 本日最初の知恵
早速 味わってまいりましょう。

皇居東御苑にある
江戸城本丸跡。

この本丸の一角にあったのが
大奥です。

三代将軍 家光の頃に確立した
男子禁制の場所。

奥女中たちは 住み込みで働き
終身雇用が原則でした。

こちらは 江戸時代に はやった

「奥奉公出世雙六」。

奥女中の20を超える仕事をマスにした
出世すごろくです。

水くみなどの雑用 「御半下」から始まり

将軍や御台所の裁縫係 「呉服之間」。

役人の応接係 「表使」。

そして 「老女」こと「御年寄」は
大奥の最高権力者です。

実は大奥は 人気の就職先。

農民や町人でも働くことが可能で
能力次第で出世も望めました。

徳川家というセレブな世界で働ける
女性にとって憧れの職場だったのです。

そんな大奥の女性たちの立場が
一転したのが明治維新。

職を失った奥女中たちの運命は…。

明治初期 大奥や大名屋敷の奥女中たちが
一斉にリストラされ

町のあちこちで見かけられたといいます。

元奥女中たちを
町の女性たちが どう見ていたのか

興味深い証言が残されています。

町家に育ったものとは
際立って違いましたよ。

三十歳がらみでしたかね。

どこか品があって
身だしなみもよくて

町でも よく目につきましたよ。

ちょっと世間知らずでね。

子どもからも 親しみがないと
言われたものです。

だから 縁談もなかなか
決まらなかったようですよ。

水づかいは荒いし

たくさんの白粉や紅を
使うんで

びっくり
させられるんです。

ご近所どころか
何だか家族からも やっかい者扱い。

大奥流の習慣が抜けなかった
奥女中たちは

浮世離れした人と
町じゅうで うわさの主。

身の振り方に行き詰まった彼女たちが
たどりついた再出発の知恵とは。

明治維新後の奥女中については
こんな証言も。

中には 茶道や生け花など

習い事の師匠として
自立した者もいたというのです。

そもそも 大奥は
大名や公家のお姫様がトップ。

奥女中たちも和歌や生け花 茶道など

高い教養が求められました。

彼女たちは書状の代筆もこなし

秘書の仕事や対外交渉もする
キャリアウーマンだったのです。

時代が変わっても
自立した生き方に こだわりました。

そして見いだしたのが
自分のスキルを生かした習い事の師匠。

それまで上流階級のたしなみだった
生け花や茶道が

庶民に広まる きっかけにもなりました。

一方 結婚して
嫁ぎ先で力を発揮した奥女中もいます。

彼女の名は「しも」。

ということで店を飛び出して

東京タワーのおひざ元
港区芝にやって来ました。

しもさんの子孫が
この近くにいらっしゃるということで

訪ねてみます。

ここでしょうか。

ここの建物ですね。

しもが嫁いだのは
東京・芝にある造り酒屋。

こんにちは。

こんにちは。
「知恵泉」店主の高井と申します。

しもの子孫 七代目当主の
齊藤俊一さんです。

都心で醸造する唯一の造り酒屋。

4階建てのビルの中で

東京の水道水を利用した日本酒を
造っています。

大奥と こちらの関係
ちょっと改めて教えて頂けますか?

大奥とね。

1枚だけ写真がありましてですね
しもさんが写ってる写真があって

これが ひいおばあかな?
なんていう写真なんですけども。

こちらが奥女中だった しもさん。

かなりしっかりした女性に見えますね。

実は しもが嫁いで5年後
夫である三代目当主が若くして死去。

後継ぎは生まれておらず 経営状態も悪化。

倒産の危機に直面します。

ここで しもは 大奥出身の
女将ならではの才覚を現します。

江戸時代の頃は どぶろくとかっていう
お酒だったんですけども

明治になって しもさんになってから…

お酒造りには杜氏が必要なんですけども…

…っていうふうに感じてますけども。

大奥では さまざまな年齢や
身分の人とのつきあいを

円滑に進めることが求められました。

この時の経験と人脈が
客商売で生かされました。

しかしなぜ この酒屋に
嫁ぐことになったんでしょうか。

その訳は
店の場所に関係しているということで

幕末の地図を頼りに 外へ。

港です。

すぐ今 線路 山手線とか 新幹線
走ってますけど

そこから先が全部 海だったんですよ。

向こうは もう海だった?
もう海です はい。

そうですか。
海岸線です。

2人がいるのは星印の場所。

西に向かって歩いていきます。

じゃあ ここは
川か何かが流れてたという。

(齊藤)堀みたいな感じで。

酒屋から歩くこと数分。

薩摩屋敷跡ということですけど

ここに薩摩の屋敷があった?
屋敷がありましてですね。

ここに「西郷」って
書いてあるじゃないですか。

まだ下級武士だった頃
うちの裏座敷っていうのがありまして

そこで ずっと寝泊まりをしていた。

こちらが店に伝わる西郷隆盛の書。

しもは 大奥から薩摩藩御用達の
酒屋に嫁いだのでした。

薩摩藩といえば幕末の大奥の実力者

篤姫の実家です。

しもさん 大奥が解体になった時に
篤姫の女中をしてたんだと思いますから

信用ある うちの酒蔵に
嫁がないかっていうふうに

しもさんは言われて

うちの三代目
茂吉っていいますけれども

…に嫁いできてくれたんだと思ってます。

大奥 薩摩藩 御用達の酒屋
この三者を結ぶ意外なご縁。

歴史散歩は まだまだ続きます。

ここに薩摩の蔵屋敷が昔あった。

(齊藤)ここで 無血開城の
会見の場っていうのがあるじゃない。

無血開城というのは江戸城無血開城?
(齊藤)はい そうですね。

西郷隆盛と勝 海舟の会見をした場所
ということなんですけども。

じゃあ日本の歴史が変わった
その舞台が…。

舞台が ここだった。

しもは 篤姫や西郷ゆかりの この店を
明治42年まで守り続け

61歳で亡くなりました。

その後 更に時代は変わり
酒屋は廃業しましたが…。

2011年 現在の当主 俊一さんが
造り酒屋として復活。

そこには幕末 維新を生き抜いた
しもへの思いがありました。

この先ですか。

ちょうど しもさんが亡くなって
ちょうど100年ちょっと たつんですね。

よくぞ明治42年まで つなげてくれたなと。

また しもさんが残した酒蔵を
復活させましたよって言いたいですね。

奥女中たちの中には 外国人家庭の
メイドに転職した女性もいます。

彼女の名は「よし」。

よしは 大奥で身につけた
行儀作法や教養が見込まれ

横浜に住むアメリカ人宣教師の
ジェームス・ヘボン夫妻の

住み込みのメイドとなります。

ヘボンは布教だけでなく
医師として医療活動も行いました。

日本人が英語を学ぶために
日本初の英和辞典も出版しました。

日本語のローマ字の表記法
ヘボン式ローマ字は

この時 生まれたものです。

よしは メイドの仕事のかたわら
英語を学ぶようになります。

僅か数年後には英語の私塾 ヘボン塾で
教師として教壇に立ち始めます。

そして ヘボン博士が
帰国するまでの30年間

医療や教育活動を
手伝い続けました。

ヘボン塾を起源とするのが
東京・白金の明治学院大学です。

学長の村田玲音さんは

ヘボン博士のもとで暮らした日々が

よしを更に変えていったと考えています。

ヘボン先生のとこに飛び込み

非常に英語の上達も
早かったっていうふうに

伺ってるんだけれども

単なる何を学んだ 英語を学んだ
何を学んだじゃなくて

やっぱり生き方とか ものの考え方。

その多分 ものの考え方の中には

「Do For Others」も含まれるんだと
思うんだけども。

自分のことだけじゃなくて

一緒に社会で
暮らしていく人のためのことを考える

ゆとりを持っていきましょう。

結果的には それがやっぱり
自分の道 開いていくわけですよね。

明治25年にヘボン夫妻が帰国すると
よしは 自ら 塾を開きます。

子どもたちに英語と和裁を教えながら

88歳で亡くなりました。

よしが残した歌があります。

時代が変われば
人も変わる。

そんな時
自分は どう生きたいか。

「再チャレンジは仕事ではなく
生き方を選べ!」。

大奥の女性たちは
思いも寄らぬ運命に嘆くだけでなく

より深い生き方を
選び直していったのです。

改めてですね 彼女たちの生き方を
振り返ってみたいと思うんですね。

こちらです。

まず 生け花の師匠。
スキルを生かして自活する。

そして 酒屋に嫁いだ しもさんです。
与えられたポストでスキルを生かす。

更には英語教師になった よしさん。

誰かのためにという生き方が
新たな仕事になると。

3人とも自立してますよね
共通してるのは。

もともと やっぱり
大奥に入ること自体も

家を助けるためっていう
人もいたでしょうし

それから親が世間を
知らせたいなっていう

結婚する前に。

そういうために大奥にやった家庭も
多いんですよね。

すみません 世間を知らせるって

大奥って逆に
閉じられた世界のような感じ…。

いや 全然違いますよ。
いろんな女の人たちがいて

そこで
いろんなものを学べるじゃないですか。

それで すごい
すてきだなって思う先輩がいれば

このようになろうっていう見本もあり。

だから勉強の場ですよね。

しかも 習い事的なもの
それから 行儀作法が まず学べる。

そういうことで本当に結婚前の
特に大奥は 箔が付くわけですよ。

大名家の奥よりも 大奥にいたっていう。

石田さん ご覧になって
この3人の中で気になる人いましたか?

人を採用するっていう立場でもあるので

もし何か こうやって

誰か採用するっていうふうになった時に

パッと しもさん。

やっぱり与えられたポスト
置かれた その環境の中で…

…っていうのは組織の中では

チームの中では すごく貴重なんですよね。

私 ちょっと採用されてみたいんですけど。

(笑い声)
こんな立派なお店を…。

ちょっと面接って
どんな感じで進むのかなっていうのを

試してみたいんですが。

よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

御社に志望いたしております
高井正智と申しますが。

高井さん お願いします。
お願いします。

今までで人生の中で
一番 大きな変化って何でしたか?

一番大きな変化…。

まさに今日であります。
(笑い声)

私はですね ずっとニュース番組を
やってきたんです。

今日 居酒屋の店主ということで

ちょっと第2の人生が始まったな
というのが まさに今日でありますね。

この第2の人生を
スタートしなければいけないって聞いて

今日までの間 どういう工夫をして
どうやって準備をしてきましたか?

ドキッ。
(笑い声)

すごい!

みたいな感じなんですよ。
そういう感じなんです。

ドキドキしてきた。
ちょっと緊張 今 手に汗かいてますけど。

採用して頂けそうですか?

まだちょっと お答え聞いてないですけど
はい でも採用…。

こういうふうに
面接が進んでいくっていう…。

見てても何かドキドキしてきます。
私も答えられないですけどね。

自分なら どうやって答え…。
うわ 自分じゃなくてよかった。

これ 質問のポイントというのは
あるんですか?

特に私 IT企業に勤めておりますので
変化が とにかく激しいんですよね。

そういう中で…

変化対応力がある人というのを
ぜひ採用したいなと思ってますので。

そういう視点で見てます。
対応力ね。

対応力ですね。

重要ですよね。
だから ああいう幕末

もう なくなっちゃってっていう
感じのところで

一番のそれが大きな力ですもんね。
まさにですよね。

再出発っていうことですけれども

真飛さん ご自身の再出発っていうと
どの辺り?

再出発… 私 16で宝塚歌劇団に
入っているんですけど

34で辞めてるので

そこから自分で第2のスタートって時に
何ができるのかな? みたいな。

何ができる?
芸事しか やってこなかったので

ほかには自分に何ができるのかなって
すごい考えたんですけど

やっぱり心を動かすこととかが
好きだったから

これからも
お芝居だったり歌ったりっていう

そういうことが
できる仕事に就きたいなと思って

また こちらの道に
新たに リスタートしたので。

やっぱり自分が好きなことだったんだって
思えるのって

本当に すてきなことですよね。

19年間 宝塚歌劇団に在籍してたんで
で 男役をやってたんですね。

なので その再出発で
役者として女優という道を選んだ時に

女役? 女なのに

女性として演技をしたことが
ほとんどなくて。

男の美学とか

男の心の機微みたいなことだけを
研究してきたので

女性として芝居をする時に

えっ 女って
どういう生き物だっけ? みたいな。

風切って こうやって歩いてきたから。

オラオラオラって歩いてきたから

何か そこが
キュッて やんなきゃいけないとか

ちょっとだけ しおらしいとか
背中に哀愁 感じちゃったりとか

何か タイトスカートなのに

歩幅が大きすぎて
ここのスリット破けちゃったりとか

本当に
そういうドジばっかり踏んでたんで。

それ どう変えてったんですか?

役者の先輩たちにも 何かちょっと
もっと自由でいいんだよみたいな。

自由でいい?
うん。

そういう女もいるから! みたいな。

それがお前だろ? みたいな。

何年かたって やっと

あっ 別にそんなこと
性別にとらわれることじゃなくて

自分の心が動いたように

演じていけばいいんだっていうのを
思ったりとか。

ありますよね 女性だからとか

女性とは こうあるべき
男性は こうあるべきっていう

固定概念なんだと思いますけど

それがある以上は
自由に振る舞えないというか

自分らしさを出せないっていうのは

かなり日常生活の中でもありますよね。
感じます。

外側の規制だけじゃなくて
自分の内側にもあるんですよね きっとね。

そうなんですよね。

それが思いますね。

出てきた知恵ですけれども…

石田さん この知恵 どう思われます?

生き方ですよね。

まさに本当にコロナ禍で今

働き方が これだけ多様化してますので

そういう意味でいうと
自分の働き方を見つめ直す機会に

コロナって なったと思うんですよね。

なので例えば どういうふうに働くのか
例えば ワークとライフだったら

どういうバランスを
とっていけばいいのかとか

逆に手に職をつけて

スキルアップしていきたい
っていうふうに考える方もいますし

副業したいっていう人もいますし

これだけ価値観が
今 多様化してるんですけど

本当に どう働くかって

どう生きるか
っていうことなんじゃないかなと

思ってるんですよね。

根本 好きだからやっている
っていうことだけは

失わないようにしてて

何か それが働き方が生き方
その人の生き方に変わるから

それは周りが絶対おのずと見てて
この人の生き方って

まっすぐで かっこいいな
っていうとこにもなるのかなとは

思うんですけども。

やっぱり何か女性は柔軟ですよね
えてして。

男性は過去にとらわれて
前に進めないっていうのは よく。

(笑い声)
何も言い返せませんね。

そういう意味では
この生き方が もう自分には合わないな

駄目だなって思ったら
チェンジできるっていうね。

そういう変化を恐れないっていうところも
女性の方が強そうな気がします。

英語の先生になった方もね
いらっしゃいましたけれどもね。

あれこそ やっぱり
違う世界に身を投じたら

全然違った才能が
磨き上げられたわけですよね。

いろんなことに気付かされて。

だから
そこに飛び込めるっていう勇気が

あるかどうかですよね。

42歳 再出発 大丈夫ですか?

大丈夫ですよ。
全然ですよ! 全然!

何か温かい気持ちになりますね。

幕末の大奥のトップ 篤姫。

彼女の再出発は どうだったのでしょうか。

篤姫は 和宮とともに
大坂にいる徳川慶喜に代わり

江戸城を預かっていました。

新政府軍と旧幕府軍が鳥羽・伏見で衝突。

更に 新政府軍は

江戸城総攻撃に向け 京から進軍します。

篤姫は実家 薩摩藩の西郷隆盛へ

「私の一命に代えて」と
徳川家の存続を嘆願。

皇族出身の和宮も
朝廷に攻撃延期を働きかけます。

その後 勝 海舟と西郷隆盛との話し合いで
攻撃は中止され

江戸城は無血開城となります。

徳川家を守りきった篤姫は
江戸城明け渡しの通達を受け

34歳で人生の再スタートを
切ることになりました。

この時 篤姫には2つの道がありました。

一つは嫁ぎ先の徳川家に残ること。

もう一つは 実家の薩摩に帰ること。

維新の立て役者である薩摩に戻れば
望めば どのような再出発も可能でした。

篤姫が選んだのは江戸残留。

徳川宗家を新たに継ぐことになった
9歳の家達の養育に

自ら乗り出します。

当時の徳川宗家は
駿河府中藩70万石が与えられたものの

生活費は 10分の1に。

見かねた薩摩藩は
三千両を援助しようとしますが

篤姫は 実家の申し出を
きっぱりと断ります。

窮乏の中の再出発。
さて 篤姫 どう乗り切る?

暮らしは一転し
さぞ 苦労の連続… と思いきや

なんと篤姫は
新生活を楽しんでいた節があります。

ある時 篤姫を
下町散策に連れ出した勝 海舟。

その時の様子を
こう語っています。

これはよい!

料亭の柳屋へ行った時は…。

風呂上がりに気持ちがよさそうじゃ。

篤姫が興味を示したのは

鉄瓶や浴衣といった 庶民が使う生活道具。

一方 こちらは

大奥時代に篤姫が実際に使っていたもの。

まき絵が施された化粧道具。

着物といえば絹。

金糸も ふんだんに使われています。

御台所にふさわしい
高級品に囲まれていたのです。

大奥での思い出に浸るのではなく
鉄瓶や浴衣 シャツや こうもり傘など

便利で心地よい生活道具を
暮らしに次々と取り入れていきました。

自らの五感でよいと感じたら
どんどん吸収し

明治という新しい時代に
順応していったのです。

大奥で嫁姑として
火花を散らした和宮とも

勝 海舟の家に遊びに行き

お昼どきは 互いに相手の茶わんに
ごはんをよそい合って食べ

一緒の馬車で帰ったとか。

勝 海舟いわく…

楽しみながら
質素を取り入れる篤姫の姿勢は

徳川宗家全体に
質素な暮らしを浸透させていきます。

篤姫の夫で
十三代将軍 家定の生母 本寿院とは

亡くなるまで
一つ屋根の下に
暮らしました。

熱海へ湯治に出かけた篤姫に
本寿院が送った手紙が残されています。

どんな境遇になっても
生きるだいご味を忘れなかった篤姫。

「環境の変化を五感で楽しめ!」。

幕府崩壊を大奥の中心で体験した女性は

変わりゆく時代を

自らの意志と感性を
よりどころに 生きました。

鈴木さん 篤姫の実際の人物像
どんな人だったんでしょう?

本当にすばらしい女性だなと思います。

いろんな歴史上の人 見てきましたけど

こんなにすごい人がね
大奥の最後の御台所で

幕引き役の勝 海舟とともにね

本当に江戸無血開城に
導いていった功労者は

この篤姫と和宮だったと思いますよね。

だから 幕府の最後を本当に見苦しくなく
締めくくることができたのは

救いだなっていう感じがする女性です。

大奥のトップの篤姫ですけれども

トップといえば
真飛さんも宝塚のトップスター。

違います…。

宝塚のトップって
どういう役割なんですか?

偉そうには言えないんですけど
80人ぐらいはいるので 1組に。

やっぱり いろいろな… 女性だけなので
いろんな感情というか

情緒があるんですよね その時その時で。

なので やっぱり それを

きちんと 一人一人の…
正解ってなくて 本当に。

この人は今 何を考えてるかなとか

どういうふうに言う方が
この人には分かるかなとか

そういうことを…

トップの資質として
最高じゃないですかね。

女性のリーダーって やっぱり 人の感情に
寄り添わなきゃいけないですし

女性ならではの感性を生かして

ちゃんと的確に その人
マネジメントする人の…

もう絶対欠かせないので
そういう意味で言うと

すごく共通する部分ってあるなと
思いました。

篤姫は… その知恵ですけれども

環境の変化を五感で楽しんだ。

楽しめるって どんな環境でも

何か最強のスキルなんじゃないかなと
思います。

最強のスキル?
今までの成功体験とかにとらわれず

そこを いい意味で捨てて

新しい環境に順応していくって
楽しむっていうのって

すてきだなと思いましたね。

あの シャツね。
我々が今 下着で着てるやつ。

それを初めて見た時
「あれは何だ?」って聞いて

そういうものだって海舟が説明したら
買っていったらしいんですよ。

しばらく 何か おかしいけど
でも すごくいいって。

もう手放せないって
言ったっていうんですよね。

だから あの時代の御台所まで
いった人ですよ。

そういう感じの適応力っていうのかね
すごいですよね。

恵まれて生活してきたはずなのに
なお 何かね…

すばらしいです。

そこに勝 海舟みたいな人の
存在っていうのも大きいですよね。

海舟は だって あの人
絶対 人なんか褒めないですよ。

でも篤姫に関しては すごいですよね。

そうやって連れ出していくっていうのは
本当に苦労してる篤姫を

多少でも やっぱり
慰めてやりたいなっていう思いが

海舟には あったんだと思うんですよ。

だから まだ江戸の風情が残る
隅田川に連れてって

船宿に連れていったり
いろんなことを見させる。

見ると そこからまた学ぶわけですよね。

海舟は もう本当に
びっくりしたんじゃないですか。

自分がとにかく楽しいとか
ワクワクしてるっていう状態って

周りにも伝播していくんですよね。

そうすると やっぱり
チームで もし働いてるとかであれば

そのチームが
ポジティブな人が中心にいると

周りもポジティブになっていって

より大きな成果が
残せるようになってくるっていう

この楽しむって
本当に大事かなと思います。

大事です。
ありがとうございます。

楽しんでますか?
だんだん楽しめてきてる気がします。

よかった~。

石田さん 一方で 変化の時にね

必ずしも自分は適応できないなと
落ち込んでしまったり

ちょっと自分を見失ったりっていうことも
あるかと思うんですけど。

合わないところは
どこなのかっていうのを

ちゃんと自分で分かった上で 一回…

自分らしさというか

自分が大切にしてる軸とか
好きなこととか やりたいことって

それ自体が とても価値があることだと
思ってるので

それは変えずに適応していく

一歩ずつっていうことなのかなと
思います。

自分にとって失敗って思っても

周りから思ったら
失敗じゃないかもしれないし

そもそも失敗と思うっていうのは
自分を過信しすぎだと。

できるって思っちゃってるから
あっ 失敗したってなるから

その程度だったんだな 自分は
っていうのと

まあ いっか! 楽しかったしっていう

無責任に聞こえるかもしれないんですけど
そのぐらいでいた方が

自分の性格上 何か安定するというか。

そのぐらいの方がいいのかな…。
駄目ですか? そのぐらいでいいですか?

「まあ いっか!」を持てる人の方が
すごいと思います。

よかった じゃあ。
捨てられるっていう

いい意味で
自分で折り合いをつけるっていう

これもスキルだと思いますけどね。

今日はですね 大奥の女性たちの再出発を
皆さんには味わって頂きましたけれども。

何か楽しかったです。

再出発って
ちょっと 捉え方によっては何か駄目な

一つの時代が終わって
もう一度っていう

ゼロからのっていう
イメージがあるんですけど

ゼロからでも 自分の過去の経験とか

マインドの持ち方によっては
ポジティブに捉えて

前に進んでいけるって
すごく 何か勇気づけられました。

鈴木さんは?

この… 何て言うのかな
逆境に立たされた時こそね

その人の真価が問われるっていうか

やっぱり 歴史調べて
つくづく思うんですけど

女の人って強いなって思うんですよ。

そういう時こそ底力発揮するのね。

何か時代が変われども
やはり女性の その生き方

女性の しんの強さっていうのを
改めて感じれて

うわ~ 何か やっぱり 皆さんね
強くて かっこいいなって思うし

自分もそうやって 楽しみながら
物事 何かが来ても

本当に 五感で いろんなことを感じながら
ちゃんと生きていくっていうことが

いい人生の過ごし方なんじゃないかなって
感じました。

いや~ 初日から すてきなお客さんを
迎えられて幸せだな~。

お疲れさまでした。

おっ!

先代もいいこと言うよな~。

おお 一句浮かんだぞ。

五代目新店主 高井正智でした。

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