ブラタモリ「大名屋敷と東京~大名屋敷は東京に何を残したか~」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

ブラタモリ「大名屋敷と東京~大名屋敷は東京に何を残したか~」[解][字]

霞が関・丸の内・六本木…東京は大名屋敷の痕跡がいっぱい!2階建てバスでめぐる「江戸の大名屋敷ツアー」でタモリさんが旅のお題「大名屋敷は東京に何を残したか」を探る

番組内容
2回にわたって江戸時代の大名屋敷の跡地をめぐるブラタモリ。その後半となる「ブラタモリ#201」ではオープンバスで都内をめぐる旅を送る▽「築地」「赤坂」など地名に隠された秘密を探る▽タモリさんが語る日比谷野音の思い出とは?▽六本木に残る毛利家の屋敷跡をたどる▽江戸の大名は“ワークライフバランス”を実現していた!?▽タモリさんも大好きな坂道をトゥクトゥクで行く!▽六本木ヒルズ屋上から見下ろす東京の街
出演者
【出演】タモリ,野口葵衣,【語り】草彅剛

ジャンル :
バラエティ – 旅バラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
趣味/教育 – 旅・釣り・アウトドア

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  13. 南部坂
  14. 大名屋敷ツアー
  15. 築地
  16. 幕府
  17. 理想
  18. トゥクトゥク
  19. 一体
  20. 銀座

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

(後藤)
やります やります。

ないです。

(笑い声)

始まりました 「ブラタモリ」!

2階建てバスに乗って 都内を巡ります。

旅のお題は 前回に引き続き…

タモリさんが最初に訪れたのは

東京 千代田区にある
ホテルニューオータニ。

ここには 江戸時代
彦根藩 井伊家の大名屋敷がありました。

大名たちは
いくつも屋敷を持っていたので

なんと…

実は 今の東京は

大名屋敷の跡が とてもうまく
引き継がれて出来た町なんです。

ホテルニューオータニは
井伊家の屋敷の跡を

どう引き継いだんでしょう?

(吉橋)そうですね
よくご存じですね。

(吉橋)よくご存じで…。
(笑い声)

(タモリ)そう聞いておりますが。
はい。

井伊家のあとに ここに住んだのは

明治維新で京都からやって来た
皇族でした。

戦後に 実業家の大谷米太郎が
買い取り

1964年の東京オリンピックを機に
ホテルを建設しました。

だから 明治天皇が
こちらに来られたってことは

もう その…

(後藤)そうです はい。
それで…

これを 私…

…と呼んでる。
(後藤)まさにそうです。 居抜き物件です。

居抜き物件ですよね。 だから…

こんなに…

(笑い声)
そのとおりでございます。

国会議事堂も 大名屋敷の跡に出来たもの。

東京には 大名屋敷の痕跡が
いっぱいあるんです!

江戸から東京へと移り変わり

大名屋敷は東京に
一体 何を残したんでしょう?

タモリさんが
大名屋敷バスツアーで解き明かします。

今日は東京で「ブラタモリ」!

♬「ハロー ハロー お元気?」

♬「今夜
なにしてるの?」

♬「TVなんか 見てないで」

♬「どこかへ
一緒に行こう」

♬「だからもう I love you so」

♬「I’d love to be
back in your heart」

♬~

大名屋敷が東京に残した痕跡を探る
江戸の大名屋敷ツアー。

バスは 官庁街である
霞が関へと向かいます。

前回に引き続き
案内してくれるのは

後藤宏樹さん。

今回も
お得意のバスツアーで

江戸の歴史を
教えてくれます。

(後藤)まず最初 この…

(後藤)こちらの絵が
「名所江戸百景」なんですけども

霞が関の絵になります。

ああ はいはい。
(後藤)この風景です。

ここから見た風景。

(後藤)そうなんです。

(後藤)そうですね。

今ではビルしか見えませんが…

江戸時代は
坂の上から海が見える名所でした。

霞が関の風景を描いた浮世絵は

他にも たくさんあるんです。

こちらは 坂の下から見た一枚。

存在感があるのは
やはり大名屋敷!

右は 広島藩の浅野家

左は 福岡藩の黒田家の大名屋敷です。

(後藤)はい。

いわゆる官公庁の中心部です。

あれ その…

そのまま使って はい。
え~。

(笑い声)
また居抜きで。

はい。 そのまま使ったんだと思います。

江戸時代の福岡藩 黒田家の大名屋敷の
写真が こちら。

明治3年 この屋敷をそのまま利用して
外務省を置いたんです。

まさに居抜きですね~。

あ~ はいはい そうですね。

残ってますよね。

まあ 野口さんも この辺り…

え~。
(笑い声)

(後藤)ブラっと はい 石垣散歩。
石垣散歩。

タモリさんたちが話している石垣は
先ほどの浮世絵にも描かれています。

この石垣が 今は どうなっているのか
ご紹介しましょう!

ジャジャジャジャーン!

外務省の周りに 見事 残っています!

この石垣が 大名屋敷があったことを
物語っているんですね~。

さあ バスツアー再開です。

霞が関を ぐるっと巡ります。

(後藤)そうです はい。

(笑い声)

えっ…

そうです はい。

40年代初期 すごいビルだと思ったんです。

完成した当時の写真が こちら。

高さ147メートル 36階建て。

これはタモリさんも びっくりですね~。

超高層ビルの代名詞ともいわれた
霞が関ビルディング。

実は このビルも
大名屋敷の跡に建てられたものなんです。

ここには 宮崎 延岡藩
内藤家の

屋敷がありました。

大名屋敷の痕跡は
まだまだ ありますよ~!

バスは かつての江戸城中心部
皇居へ!

この先が 内堀通りです。

江戸城の中でも
本丸に近い中心部を。

今…

そうですね。 地図見ると
全部 大名屋敷ですね。

松と芝生の公園 皇居外苑。

ランニングコースでもおなじみの
この場所には…

官邸だったんですか この前のところは。
そうです はい。 だから…

社宅みたいなもんですからね 役職の。
そうです はい。

公邸ですかね。 社宅と言っちゃいけない。
そうですね はい。

ここは
内堀の中にあり

江戸城の本丸に
とっても近い場所。

幕府の重要なポストにつく大名が

入れ代わり立ち代わり住んでいたんです。

確かに 数年で
住む人が かわってますね。

ポストが変われば引っ越しだなんて
大名も大変だったんですね~。

バスは 皇居の目の前にある
東京駅へ!

(後藤)ちょうど…

見てみると。
え~。

(後藤)まあ大体 その…

タモリさんも 以前
丸の内のオフィス街を歩きましたよねぇ。

タモリさん 詳しいと思うんですけど。

そうなんです。
大大名の屋敷です。

ですから 実はですね
こういうように重ね合わせますと…

丸の内は 有力な大名の屋敷が
集まっていた場所。

その整然とした 広い町割りは 今も残り

ビルが立ち並んでいるんです。

丸の内のオフィス街は

江戸時代の大名屋敷街が
ベースだったんですねぇ。

そして バスは銀座へ。

へえ~。

(笑い声)

そうですねぇ。

ドトールも
銀座だけは色が違いますでしょ。

(笑い声)
黄色っぽいですもんね。

「ドトール」の前に
「ル カフェ」が付くんだからね。

(後藤)へえ~。

あれが新橋のドトールになると
普通のドトールの色になるんだ。
へえ~。

この銀座の角だけはね 違うんだ。

やっぱ みんな
銀座となると襟を正すんだろうな。

あぁ~。

そんな銀座を東に進むと
皆さんご存じ あの建物が!

(後藤)そうです。 この歌舞伎座 実は…

あ ここ そうですか。
へえ~。

江戸の文化を受け継ぐ 歌舞伎座も

大名屋敷があったおかげで
建てることができたんですねぇ。

バスは さらに東へ。
築地に向かいます。

広いですね! 何もなくなってみると。

わあ~ 広いですね。

え~? 考えたこともなかった。

築地…。

(後藤)そうですね。

(後藤)そうです はい。 そうなんです。

ああ~。

そう! 築地は 江戸時代
海を埋め立てて つくった町。

ここには 国元から船で運んできた
物資を保管する

「蔵屋敷」と呼ばれる
大名屋敷がありました。

わざわざ海を埋め立ててまで
幕府が築地に町をつくったのには

あるきっかけがあったんです。

そのきっかけになった事件が
あったんですが

一体 何だったか ご存じでしょうか?

何だ…。

そう。 はい そのとおりなんです。

「明暦の大火」があって
まあ このとき 江戸の…。

ほとんどが焼けたっていう。
そうなんです。

江戸の大半を焼いたという 明暦の大火。

この大災害からの
幕府による復興計画の一つが

人口過密を避けるために
江戸の町を広げることでした。

こちらは 明暦の大火から
およそ20年後の地図です。

火事の前に比べると 江戸の範囲が
広がっていることが分かります。

このとき 海をがれきで埋め立てて
つくられたのが築地なんです。

そして大名屋敷も 万が一に備え

江戸の至る所に置かれました。

その結果 江戸は
1, 500軒もの屋敷が立ち並ぶ

大名屋敷だらけの町になったんです。

江戸の大名屋敷ツアー
続いては 築地のお隣へ!

浜離宮。
(後藤)はい。

この公園 浜離宮公園。

ふ~ん。

(後藤)あ~ 是非!
えっ。

浜離宮も 埋め立てでつくられた場所。

最初は大名屋敷がありましたが

後に 将軍家の別邸となりました。

歴代の将軍がこよなく愛した日本庭園は
ほぼ当時のまま。

大都会の中で伝統の美を堪能できる
憩いの場は

江戸時代から
名所だったんです。

(後藤)はい。

(後藤)実は ここにも…

それこそ…

浮世絵をよく見ると
立派な石垣が描かれていて

確かに 城のようですねぇ。

海から江戸城本丸に
つながる水路を

守るように位置する
浜離宮。

ここは 江戸における
海の防衛拠点だったんです。

江戸の防衛 そして 災害対策。

大名屋敷は 幕府の都市計画のもとで
つくられていったんですねぇ。

まだまだ続く 江戸の大名屋敷ツアー!

ここからは
幕府から与えられた場所で

大名たちが どんな暮らしをしていたかに
注目します。

(後藤)次に これもまた
「名所江戸百景

虎の門外あふい坂」って
見えますでしょうか。

はいはい はい。

(後藤)歩いているのが
お分かりになると思いますが。

ちょうちん持ってます。

(後藤)そうですね お祭り…。
いや 実は…

ちょうちんを ちょっと
アップにして頂くと

分かるんですが…。

(後藤)そのとおりです。

こんぴらさんに参詣している。
はい。

(後藤)はい そのとおりなんです。

タモリさんが今いる場所は
江戸時代の地図だと この辺り。

すぐ近くに 香川の大名である
京極家の屋敷があります。

敷地の中には
「コンピラ」の文字が。

京極家が治める香川の藩内で
祭られている神様が

金毘羅大権現でした。

この地元の神様の分身を
江戸の大名屋敷に迎え

祭る場所をつくったんです。

一度 お参りしたことありますよ。

え~。 すごい。
ここですね。

(後藤)これです。
場所も ずっと このまま…?

(後藤)場所も ずっと このままです。
すごい。

大名屋敷の ちょうど裏っかわの
奥のところになります。

じゃあ これも全部 大名屋敷だった…。
そうです はい。

そうです はい。

そうなんです。 江戸の金毘羅詣でも
大ブームが起きました。

すごい人出ですねぇ。

へえ~! すごい。

(後藤)そうですね。

いろんな形で収入を得るということを
してたんでしょうね。

ここを毎月公開して得た収入は
大名の暮らしを支えた面もありますが

実は その多くが
国元のこんぴらさんに送られていました。

大名は 江戸にいても
地元のことを思っていたんですねぇ。

豊川稲荷もそうですか。
豊川稲荷もそうです。 はい。

あれが… 西大平藩という。
あぁ~。

それ そのまま残ってるんですね。
はい。

ごめんなさい…。
(笑い声)

すみません 花粉…。
話 気にくわないの?

(笑い声)
ごめんなさい ごめんなさい
ずっと我慢してたんですけど。

豊川稲荷 嫌いなのかと思っちゃった。

(笑い声)
ごめんなさい…。

花粉症です。
もう飛んでますよ 2~3日前から。

失礼しました。

ごめんなさい。

バスは再び 皇居の近くに
戻ってきました~。

はい そのとおり。

はい。
仲間内で。

で それが評判になって…

(笑い声)

それで…

へえ~。
(後藤)そうですか。 へえ~。

(笑い声)

楽しそう。

タモリさんも思い出深い
日比谷公園ですが

昔は どんな場所だったのか

去年の江戸城バスツアーで
探りましたよね。

(後藤)はい。
家康の。

(後藤)そうです はい。

タモさん そのとおり!

日比谷公園は
かつて海でした。

江戸幕府が開かれた頃の地形は
こんな感じ。

幕府は日比谷入江を
埋め立て

大名が住む土地を
つくったんです。

江戸城の目の前という 大事な土地。

そこに住んだ大名といえば…?

(後藤)そうです はい。

上杉と毛利。

実は伊達もいたんですけど。

(後藤)いやもう そのとおりなんです。

今 日比谷公園にある池は

かつて ここが海だった
名残でもあります。

低地の じめじめした場所での
江戸暮らしは

思わず 逃げ出したくなりますよねぇ。

さあ ここからが 今回の本題です!

そうすると…

そうなんです。 江戸時代の初期
ここに屋敷を持たされていた毛利家は

じめじめした
日比谷住まいに
我慢の限界を迎え

必死で
理想の大名屋敷を
手に入れたんです。

一体どんな屋敷だったのか
その痕跡を見に行きましょう!

左に曲がります。
(後藤)はい。

左に曲がると… はい。

「赤坂」って…

赤土。 はい。

(後藤)というところで「赤坂」という名前が
付けられたといいます。 うん。

(後藤)はい。

(後藤)ひょっとすると。

(後藤)はい! そのとおり。

ここは この辺り。

はぁ~。

そうすると あれですか…

そうです はい。
あ~ そうなんですか。

はい 上っていったんです。
なるほど。

(笑い声)

毛利家が理想の江戸ライフを実現した
高台の場所とは一体…?

(後藤)はい そうです。

そう。

(笑い声)

六本木ちゃん。

毛利家が手に入れた
理想の大名屋敷があったのは

六本木エリアにある…

オフィス ホテル 美術館をはじめ

さまざまなお店や緑地まである
広大な施設です。

この辺り一帯が
毛利家の大名屋敷があった場所。

広さは なんと およそ4万坪。

日比谷の屋敷の5倍ほどもあったんです。

これは でも…

(後藤)そうです はい。

はぁ~。

そうですね はい。

…とか言ってね。
(笑い声)

(笑い声)

逆転人生ですよ。
ねえ。 カビからの。

カビからの。

東京ミッドタウンに隣接する公園は
大名屋敷の庭園があった場所です。

それでは 毛利家の大名になった気分で
散策してみましょう!

(笑い声)

先ほど 日比谷公園の屋敷と比べて
どんな感じを持ちますかね?

いや~ これは喜んで
うれしかったでしょうね。 ここに。

家臣も うれしかったでしょうね。
(後藤)ええ… あ~ 確かに。

これだけの広さを。
う~ん。 う~ん。

すごいよ この広さは。

結局…

(笑い声)

(後藤)ご推察のとおりなんです。
確かに ここに住めたら

もう戻りたくないですね。
戻りたくないよ。

もうほんとに 日比谷と比べたら
雲泥の差ですよね。

この広い庭に
あの辺に建物があるんだよね。

いいよね。
いいな~。

(笑い声)

(後藤)そういう意味で…

あ~! そうです はい。
今風で言うと。

今風で言うと そうですね。

毛利家の大名は 江戸時代に早くも

ワーク・ライフ・バランスを
実現していたんですねぇ。

実は こうした庭園をつくったのは
毛利家だけではありません。

大名たちが郊外に広い屋敷を持ち
つくり上げた見事な庭園。

今も見られる場所が 東京にはあるんです。

どちらかというと…

あるいは
いろんなものを接待をするとか。

まあ そういうような活用のしかたが
こちらと。 うん。

ここで会談をする。

いろんな
政治的なものを取り決めをするとか。

そういう役割も
実は この庭園にはあるので。

はい はい。 人目もあるし。

(笑い声)

そうですね はい。

そういうことをしていた
というのが こちら。 はい。

郊外の屋敷は
大名同士の密談にも うってつけ!

大名は こうして理想の江戸ライフを
手に入れていったんですね~。

これだけ。
えっ ここじゃ満足できない。

(後藤)
ワーク・ライフ・バランスだけじゃない

もっと暮らしやすさを 続けていこうと。
ほぉ。

まだまだ あるんです。

もう一つ ちょっと
エッセンスがあるので

その痕跡を探しに行こうと。
ああ 行きましょう。

え~ これ以上 何だろうな。
もう… いいですよね。

いいよね。
はい はい。

タモさん まあ そうおっしゃらず。

ここからは少し狭い道を走るので
アレに乗ってみましょう!

登場したのは トゥクトゥク!

去年放送した「渋谷」の回で

狭い道を走るときに大活躍した
トゥクトゥク。

大名屋敷ツアーにも登場です!

こんにちは~。

ふふふふ…。

こんにちは よろしくお願いします。
こんにちは。

同じ方! そうだねぇ。

(笑い声)
そうなんですよ。

そういえば前回…。

(ドライバー)ワイヤー切れちゃった…。

そんなトラブルもありましたが
今回は大丈夫!

トゥクトゥクに乗って
大名屋敷ツアー再開です!

タモリさん タモリさん。
はいはい はい。

久しぶりの このトゥクトゥクの
乗り心地は いかがですか?

(笑い声)

(笑い声)

トゥクトゥクに乗ったタモリさん
見られるの レアですね。

(笑い声)

これ また

坂道 上っていく感じですかねぇ。
上ってますね。

多いですよ うん。

そうなんです。
目的地は狭い「坂道」。

坂道学会副会長のタモリさん
お気に入りの

ある坂を目指します。

(後藤)はい そのとおりなんです。
そうそう。

タモリさん 好きなんですか? その坂が。
好きですね ここ。

ここ入っていく… そうですね。

(後藤)「忠臣蔵」でも… 場面で出てくる。

…ということを申し上げる。 ウソですよ。

絶対バレないように。 そうすると…

というようなことで 失礼しますって…

はぁ~。
で しばらくして…

何にです?

それで…

あっ これが。
うん。

ここを下りていくんですよ 雪の日に。
へえ~。

「亡き殿への忠義を貫き 命かけまする」。

そう ここは
「忠臣蔵」の名シーンで有名な「南部坂」。

大石内蔵助の主君 浅野内匠頭は
この坂の近くに住んでいました。

タモリさん。
はい。

はい。

はい はい。

(後藤)
そうです そうです そうです そうです。

(後藤)そう そうなんです。
だから両方 言うようになったんだ。

南部坂が2つ? 入れ替え?

一体どういうことか 説明しましょう!

江戸時代初期
タモリさんがいる近くに

南部藩の大名屋敷があったので
ここは「南部坂」と呼ばれました。

その後 南部藩が
引っ越したので

その近くの坂も
「南部坂」と呼ばれ

南部坂は
2つになったんです。

南部藩が引っ越す前の
地図を見てみると

今 タモリさんがいる場所の
近くには

確かに 南部藩の屋敷が
ありますね。

一方こちらには
「忠臣蔵」でおなじみの

浅野内匠頭の
祖父の屋敷があります。

このあと
南部藩と浅野家は

屋敷を入れ替えて
引っ越したんです。

だから 「忠臣蔵」に登場する
浅野内匠頭は

この南部坂の近くに
住んでいたんですねぇ。

南部坂が物語る
大名屋敷の「入れ替え」。

実は これこそが

大名たちに さらなる暮らしやすさを
もたらしたんです!

わざわざ
集まってきたわけですね。
そうなんですね。

ああ…。
はい。

そうです はい。

(笑い声)
実は今…。

まあ こういうように
江戸の中頃以降

結構その
親戚っていうんですかね

集まってくるっていう大名も
結構あったんですね。

他にもあったんですか。
はい。

そうですね はい。
あぁ~。

浅野家だけではありません。

東京ミッドタウンがある場所で
理想の暮らしを手に入れた あの毛利家。

その親戚もまた 近所に
移り住んでいたんです。

(後藤)はい そのとおり。

(後藤)
はい ご推察のとおり。

これ そういうことは…

これ全部 毛利です。

屋敷ですね こっから。
こっちも入ってたのかな。

へえ~。 そっか…

面白い。

六本木ヒルズと
東京ミッドタウンという

2つの巨大施設は

毛利家の親戚同士が
近所に集まって住んだ痕跡。

大名が江戸で理想の暮らしを求めた
証しだったんですねぇ。

江戸の大名屋敷ツアー
最後は そんな六本木ヒルズの屋上へ。

ここから大名屋敷の痕跡を
探してみましょう!

これ すごいでしょ。

すご~い 広い!

この緑。 はい。

うぇ~! すごい 広大な土地。

広大な土地でしょう。 それから あの…

青いやつ ありますね。

(後藤)内藤家のお屋敷。
お屋敷ですよ。

すごい!
さらに あの…

最初にご紹介した…

(笑い声)
みんな行ってますね。

みんな行ってる。

(笑い声)

すごいなあ。

大名が暮らしやすさを求めて
つくり上げた 広大な大名屋敷。

その痕跡は 現代の東京のど真ん中に

心地よい場所を
もたらしてくれたんですねぇ。

タモリさん。 はいはい。
今日のお題 何でしたっけ?

はい。

「大名屋敷は東京に何を残したか」。

う~ん… いかがでしたか?

さまざまなもの残してますね。
ねえ そうですね。

癒やしの空間をね。

まさか あの低い土地で
嫌だ嫌だって言って

解放感を求めて移っていったとは
ちょっと知らなかったです。

俺も知らなかったな あれは。

いや 毛利はあるんで

別に ここにこだわる必要ねえじゃないか
と思ったら 実は違ったんですね。

嫌で嫌で 越していったんですね。
(笑い声)

この他でも 大小合わせて いっぱい

郊外にも大名屋敷があるんで

それね 何となく残ってるんですよ。
う~ん。

それを巡って散歩するのも面白いですよ。
ええ ロマンがあると思いました。

この辺か この辺だったんだなとね。

面白いですよ 東京の街は
こうやって歩くとね。

面白いですね~。

♬「未来の あなたに」

♬「幸せを 贈る」

♬「記憶と 想い出を」

♬「花束に 添えて」

♬「ひとときの 夢を」

♬~

「突撃! カネオくん」。

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