100分de名著 ハイデガー“存在と時間”[終](4)「“存在と時間”を超えて」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

100分de名著 ハイデガー“存在と時間”[終](4)「“存在と時間”を超えて」[解][字]

1933年、ハイデガーはフライブルグ大学の学長に就任。その就任演説でナチスドイツへの支持を表明する。なぜハイデガーはナチスに加担してしまったのか?

番組内容
「存在と時間」で人間の本来性を追求したハイデガーのナチス加担は世界に衝撃を与えた。政治哲学者アーレントは「孤独な決断」を称揚したハイデガーには「公共性」という概念が欠落していたと指摘。哲学者バンス・ヨナスは「何に対して責任を取るのか」という視点が欠けていたという。第四回はハイデガーには何が足りなかったかを考究し、次世代の哲学者たちが考え抜いた「存在と時間」のもつ限界を乗り越える方法を模索する。
出演者
【講師】関西外国語大学准教授…戸谷洋志,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】野間口徹,【語り】声優…加藤有生子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格

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  20. 批判

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

ドイツは
ファシズムへの道を突き進みます。

その中に
哲学者 ハイデガーの姿もありました。

「100分de名著」
「存在と時間」。

第4回は 弟子たちの言葉を手がかりに

ハイデガーの残した課題を乗り越え
未来へとつなぐ生き方を模索します。

♬~
(テーマ音楽)

♬~

「100分de名著」
司会の安部みちこです。
伊集院 光です。

ハイデガーの「存在と時間」を
読んでいます。

ここまでで 自分の人生に
責任を持って生きていくためには

何が必要か 教えて頂けましたね。

さあ 引き続き
指南役は 哲学者の戸谷洋志さんです。

よろしくお願いします。
お願いします。

よろしくお願いします。

今回は 著者であるハイデガーの
負の歴史に迫っていきます。
はい。

ハイデガーは ナチスに加担した
という事実が残っているんですね。
え~!?

1933年 ナチス政権が成立すると
すぐに入党しているんですよね。

ハイデガーは フライブルク大学の
総長に就任して 約10日後にですね

ナチ党の 正式な党員になりました。

ただ 実際には…

総長就任自体がですね 周到に準備された
計画であったといわれています。

なぜ ハイデガーは
ナチスに加担してしまったのか。

それは 「存在と時間」で語られた哲学と
どのように関係するのか。

今回は こうしたことが
どのような問いを投げかけているのかを

紹介していきたいと思います。

さあ それでは まずは
「存在と時間」が刊行された当時の

ドイツの社会状況から
見ていきましょう。

朗読は 俳優の野間口 徹さんです。

第一次世界大戦で敗戦したドイツは
巨額の賠償金を抱え

政治的にも経済的にも
混乱していました。

1920年代半ばすぎには
改善の兆しが見え始め

国際連盟にも加盟します。

ところが 世界恐慌が起こると
ドイツ経済は再び破綻。

そこに台頭してきたのが
アドルフ・ヒトラー率いる ナチ党です。

「存在と時間」は
第一次世界大戦後の混乱と

ナチスによって ドイツが
暗黒の時代へと突入する はざまに

世に送り出されたのです。

入党後 ハイデガーは
連日のように 党の行事に参加。

ヒトラーの演説後に
壇上に立つこともあったそうです。

フライブルク大学総長就任演説では
学生に向けて こう語りました。

「決意性」も出てきてましたね。
ありましたね。

ハイデガーは ここで 全ドイツの学生が
ドイツという国の命運

運命ですね …を引き受ける
必要性を説いています。

ただ これは
普通に考えれば おかしな話で…

一般的に これは
学問の自由と呼ばれているものです。

しかし ハイデガーは こうした…

ハイデガーは こう述べています。

ドイツの学生に求められているのは
何よりも まずですね

ドイツという民族共同体への
献身であって

それが
どんなに苦しいものであったとしても

学生たちに課せられた義務だと
ハイデガーは言っています。

この第一の務めを
彼は 「勤労奉仕」と表現しておりまして

この本のですね 続く文章では…

まあ でも
ここまでくると めちゃくちゃですよね。

ああ 国粋主義っていう
においですけれども。
そうですね。

確かに そういう印象は受けますし

実際 そうした内容のことを
ハイデガーは言っているわけですが

ただ 彼の最終目的は ナチスの勢力拡大に
あったわけではないというところに

注意をしていきたいところですね。

さあ では ハイデガーの目的は
では 何だったのでしょうか。

聞いていきましょう。

自分が属している「民族」や

「国家のさだめ」を
深く知ることによって

初めて
「学問」の本質に迫ることができる。

つまり 学問の本質を創造するために

国家の命運の中に 自分自身を
見いだすべきだと説いているのです。

ハイデガーにとって大切だったのは
ナチスそのものではなく

自らの哲学的な理想の実現でした。

ヒトラーに心酔していたわけではなく

自らの理想をかなえるために
その波に乗ろうとしたのです。

ところが ハイデガーの訴える教育政策が
大学で 大きな支持を集めることはなく

むしろ 徐々に
反感を買うようになっていきました。

更に ナチスのイデオロギーに
染まり切らないハイデガーは

ナチ党からも 邪魔な存在として
遠ざけられていきます。

結局 僅か1年で フライブルク大学総長を
辞任することになりました。

ナチスに加担したハイデガーは
教職追放となります。

その後 処分は緩和されましたが

大学でのエリートコースからは
外れてしまいました。

そして ナチスに加担したことに対する
謝罪の言葉は ついにないまま

他界したのです。

ハイデガーは 結局1年で
総長を辞任してますけれども

そのあとは もう ナチ党との関わりは
切れたということですか?

実はですね 1935年に行われた講演でも

ナチスのイデオロギーを
賛美していますし

そのあとも
彼は 党員であり続けていました。

しかし…

この変わり身の早さは見抜かれてしまって
教職から追放されてしまいます。

3夜までに勉強してきたワードの中に
世人に流されるんじゃなくて

これは 自分のやった選択なんだ
っていうことは

ちゃんと分かるべきだというのを
ちょっと学んだので

そういう意識もあって
あんまり弁明しないのかなっていう…。

まあ ドイツを何とかしたいという
気持ちが

まあ 一つは
あったのではないかなと思います。

自分が所属している国のことを
何も考えない人々が

あまりにも多すぎるが故に
世の中が荒廃してるように

彼には 恐らく見えたんだと思います。
なるほど なるほど。

で 本人が語らなかったこともあって…

本当に ナチスの内にですね
自らの哲学の理想を見ていた

まあ少なくとも ナチスを ちゃんと
利用しようとしていたということは

明らかになってきてしまうわけですね。

で そうなりますと…

彼の哲学の 一体…

ハイデガー哲学と
ナチスへの加担の関係について

取り組んだ哲学者の中には
ハイデガーの弟子もいました。

まず ご紹介したいのが
この番組でも 以前取り上げました

「全体主義の起原」の ハンナ・アーレントです。

同時に ナチスの犠牲となった
ユダヤ人の政治哲学者になります。

戦後 著書をですね
ドイツ語版で出版する時に

「ほとんどすべてを
あなたに負っています」と

手紙を書くほど
ハイデガーから大きな影響を受けました。

さあ では ハイデガーの弟子である
ハンナ・アーレントからの言葉

読んでいきましょう。

ハンナ・アーレントは
マールブルク大学における

ハイデガーの教え子でした。

第二次世界大戦が勃発すると

ユダヤ人として強制収容所に送られますが
混乱に乗じて 脱走。

以降 全体主義の脅威に注目し…

気鋭の政治思想家としての地位を
確立しました。

アーレントは 「存在と時間」における
人間のあり方

特に その他者との関係に
疑問を呈します。

彼女が問題視したのは
ハイデガーが 全ての他者を

「世人」として
ひとくくりにしたことでした。

ハイデガーにとって 世人とは
現存在 人間を支配し

非本来的な状態に陥れるもの。

こうした図式に従うと
仲間までもが 「私」を堕落させる

つきあうべきではない者と
なってしまいます。

その結果
「存在と時間」で論じられる 「自己」は

孤立していることが特徴となります。

孤独こそが 「人間らしい」生き方であると
見なしているのです。

「仲間」から引き離され
独りぼっちになった時 忍び寄るのは

全体主義の脅威。

アーレントは こう指摘します。

アーレントによるとですね
ハイデガーは…

そうした 他者とのつながりから
切り離された 「原子化された自己」は

親しい仲間と意見を交わしたり

連帯して 活動したりすることができない
存在として捉えられていると。

…というのが アーレントの考えです。

アーレントは じゃあ どうしたら

全体主義の脅威には抵抗できると
考えていたんですか? はい。

アーレントが提示したのが
人間の複数性の重要性です。

複数性とは 一人として この世界に
同じ人間が存在しないということですね。

…と考えていました。

他者との関わりを 世人からの支配
つまり 非本来的なこととして捉えて…

はあ~ 勉強になるなぁ…。

空気を読む 読まないの中で
嫌な思いしちゃうと

孤独がいいって結論は
個々に みんな出す。 俺も出しますけど。

でも その時に
そんなこと 可能なのか? っていう。

まさに 空気を読むことが
本当に全部 悪いことなのかと。

アーレントは 共通感覚 コモンセンス
という概念を とても重視するんですね。

相手に何かを伝えるためには
自分の感覚だけではなくて

相手に どう伝わるのかというのを
ちゃんと想像できないといけないと。

また ハイデガーは
本当の自分 自分らしさというのは

孤独になって 考えないといけないんだ
というふうに

考えていたわけなんですけど
アーレントは そうではなくてですね

むしろ…

…というふうに言うわけですね。

そうやって考えると SNSで 大量の人と
この ぎゅっとした形で

その コミュニケーションを
とり続けるのって

その両方の
悪いとこ取りみたいなところがあって

会わずに短いメールでたたえ合う感じとか
たたき合う感じとか。

…というふうに アーレントは言います。

で そうだとすると まあ SNSというのは

人とのコミュニケーションを
もたらすけど

リアリティーは
もたらさないような感じがしますね。

本当に話し合ってるのかな みたいな。

間違った空気は作りそうだけど。
そうですねぇ。

何か 自分を確認するための
コミュニティーが

きちんと作れるのかというと これ 相当
難しいなって ちょっと思っちゃった。

で ハイデガーを批判した弟子は
もう1人 います。

こちらの ハンス・ヨナスです。

彼は どういう人物ですか?

アーレントと同様に
ドイツ系のユダヤ人で

生命倫理や環境倫理と呼ばれる領域の

代表的な論客として知られています。

この生命倫理というのは
例えばですね

クローン技術などの
新しい医療技術に対して

どういう秩序とか規範が
あるべきなのかというのを

論じる学問になります。

…という概念です。

さあ それでは
ヨナスからの批判を読んでいきましょう。

「決意性」とは 現存在が
自らの「良心の呼び声」に

耳を傾けようとする意志です。

それは 「みんなも こうしている」という
生き方をやめて

自分の人生を選び取ること。

ハイデガーは それこそが

現存在が 本来性を取り戻すことだと
考えていました。

ところが ヨナスは
ここに 一つの疑問を抱きます。

「良心の呼び声」は
人間を 世人の支配から解放はするが

何を決意すべきかは 教えてくれない。

それでは 「私」が間違った選択をしても
暴走しても

「良心」は
「私」を止めてくれないじゃないかと。

ヨナスは ここに ハイデガーが
ナチスに加担したことへの

一つの答えがあると考えました。

ヨナスの批判は
「存在と時間」の哲学に従ってしまうと

ヒトラーを支持してですね
ナチスに加担するという決断さえも

人間の本来性として 擁護されてしまう
ということを指しています。

ハイデガーが決断する時
彼の良心は 決して

「それは さすがに
やめておいた方がいい」と

そうした語りかけをしてくることは
ありません。

だからこそ ハイデガーは…

…ということが ヨナスの解釈です。

なるほどねぇ。

このヨナスの視点に立った場合は
「存在と時間」の哲学というのは

どのように補われるべきだと
言っているんでしょうか?

ハイデガーは 「存在と時間」の中で

自分の人生に責任を負うべきだ
ということを強調したんですが…

その傷つきやすさを気遣うことである
ということになります。

彼が そうした…

泣き叫んでいる子どもを
目の前にした時に

その子どもを気遣う責任を
私たちは 自然と負ってしまうんだと。

もしもですね 本来性が重要なのだ
というのであれば 私たちは…

だからこそ ヨナスは

私たちの未来への責任を強く主張した
哲学を展開しました。

でも ハイデガーが 流されない弟子を
育てたのだけは 間違いないよねって

思いません? 何か。
思いますね。

ハイデガーの弟子たち
特に ヨナスとかは そうですけど

もう ハイデガーのことを
決して許してなくて

それぐらい燃え上がっているからこそ

彼ら自身も
大哲学者に成長していくわけですよね。

だから ある種…

あと 第1回で
先生が「存在と時間」という作品の中には

ハイデガーが ナチスに加担したことを
批判する内容が含まれているんだと

おっしゃっていたんですけども
どの部分だったんでしょうか。

「存在と時間」では
そうしたメカニズムが書かれています。

この本は 同時に…

…とも説いています。

これは まさに…

…と思っています。

これは
21世紀を生きる 私たちにとっても

決して 他人事ではない課題なのかなと。

むしろ この時代だからこそ

より 気をつけなければならないんじゃ
ないかな みたいなものを

話の途中途中 感じたんですけど。

読んでいく最中に いろいろなことを
考えさせてくれるというのが

この本の すごく面白いところかなと
思っています。

畑仕事みたいに
毎日 数ページみたいに読んでいくと

読破できるのかなと思いますね。

いや 伊集院さん
今回は いかがでしたか?

ちょうど今 こう
自分で迷ってることが結構あって

人間関係とか
人と価値観を共有することは

難しいとは知ってたものの
やっぱ 難しいな。

だったら もっと少ない人数でやれる
範囲のものにした方がいいんじゃないか。

漠然としてて ごめんなさい。
そういうものを思ってた時に

最後の最後に
アーレントに あれを言われちゃうと

いや やっぱり
もう一回 考えようっていう。

戸谷さん ありがとうございました。

ありがとうございました。
ありがとうございました。

♬~

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