インタビュー ここから「サッカー元日本代表 大久保嘉人」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

インタビュー ここから「サッカー元日本代表 大久保嘉人」[字]

サッカー元日本代表の大久保嘉人さん。J1通算191点の最多得点。イエローカード104枚の最多記録を持つ。その原点、長崎・国見高校で若者たちへのメッセージを聞く。

詳細情報
番組内容
サッカー元日本代表の大久保嘉人さん。昨シーズンで21年間のプロサッカー選手の生活にピリオドを打った。野性味あふれるプレーでJ1通算191点の最多得点。同時にイエローカード104枚の最多記録を持つ。熱きストライカーの原点が長崎県立国見高校だ。今年1月に亡くなった小嶺忠敏さんの下で選手としての自信を育んだ。久しぶりに母校を訪れた大久保さんは後輩たちの練習に参加。今を生きる若者たちへのメッセージを聞く。
出演者
【ゲスト】サッカー元日本代表…大久保嘉人,【出演】国見高校サッカー部監督…木藤健太,【きき手】木花牧雄

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論

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  14. 妥協
  15. ストライカー
  16. チャンス
  17. プロ
  18. 監督
  19. 気持
  20. 決勝

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

熱きストライカー 大久保嘉人さん。

奪ったゴールは…

アグレッシブで
闘志をむき出しにするプレースタイル。

もらったイエローカードも…

今回 サッカー選手としての原点
長崎 国見高校を訪れました。

このグラウンドで自信をつけ

日本を
代表するサッカー選手に育ちました。

懐かしいね。
懐かしいね 思い出すね。

これからを担う若者たちに
どんな思いを託すのか。

やんちゃで 優しいストライカーからの
メッセージです。

長崎県の島原半島にある
雲仙市 国見町。

ここは 至る所にサッカーボールがある
サッカーの町です。

その象徴が 国見高校サッカー部。

全国高校サッカー選手権では
戦後 全国最多の…

黄色と青の
ストライプのユニフォームが

高校サッカーを席けんしていました。

全校生徒189人の…

よろしくお願いします。
お願いします!

どうぞ!
お願いしま~す。

よいしょ。 おはようございます。

母校です 大久保さん。
いやあ 懐かしいですね。

いや本当に いつぶりだろう。

今日は
国見高校でお話を伺いますんで

是非 こちらに参りましょうか。
お願いします。

卒業式の時
ここで写真撮ったな みんなで。

ここで 卒業式の時?
ここに みんな座って。

へえ~。
ここから 本当 原点ですから。

現在の部員は100人以上。

全国から選手が集まり

レギュラーの座を目指して
日々 切磋琢磨しています。

大久保さんも このグラウンドで
練習に明け暮れました。

思い出しますか?
いや 思い出す かなり。 懐かしい。

分かります? この…

土煙 バーッと。
そうですね まさに あっちの方とか。

そうそうそう。
それがねえ すごい懐かしい。

ここで
ずっと走ってましたから みんなで。

ずっと走って 本当に苦しかった。

あ~ 懐かしいっていうか…

今の国見高校サッカー部は
大久保さんたちの世代が率いています。

よろしくお願いします。
先輩。

現在の監督 木藤健太さんも その一人。

大久保さんの1つ上の先輩です。

木藤監督から見て 大久保さんは
どんな高校プレーヤーでしたか?

そういうのが… いないですよ
やっぱりこういう選手って。

そんな 先輩とか
相手にも食ってかかってっていうのが。

プラス やっぱり…

ずっとやってたよね。
ずっと やってた!

福岡県 苅田町で
生まれ育った大久保さん。

小学5年生の時
Jリーグが始まり

プロサッカー選手を
目指すようになります。

伸び伸びと育てる家庭でしたが

自らやりたいと始めたサッカーについては
厳しかったといいます。

大久保さんのご両親は
どんなご両親でしたか?

厳しかったですね。
サッカーに対しては。

絶対 人に負けるなと
常に一番になれ

ヒーローになれって
言ってたんで

点を取れなかった試合とかは
本当に厳しく 怒られましたね。

怒られた? すごい怒られました。
今じゃありえないぐらい。

大久保さんのプロ生活にも関わってくる
ところでもあるんですけども

その 野性味あふれるアグレッシブな
プレースタイルというのは…?

やっぱり 親なんですよ。

負けるな 人に負けるな
何でも一番になれ

ヒーローになれって
言われたことで。

負けるなって言われたことで

絶対負けたら駄目なんだっていう
思いから

そこから
負けず嫌いになったっていうか

ああいうアグレッシブなプレーヤーに
なりましたね。

本当に小学校から
そういう気持ちを出すプレーヤーでした。

それは やはり お父さんが
つけさせてくれた自信というか…?

そうですね はい
つけさせてくれましたね。

小学校の5年生までは
そうじゃなかったです。

全く自信ない。 で 自信がないってことは
言葉が出ないんで

要求もできないっていうことで

監督から 「お前は 声を出さないから
試合に出さない」っていって

そこからずっと出れなかったです。

でも 声を出すっていっても
自信がないから言えないんですよね。

声出せない。
何て出していいかも分からない。

それを言ったとこで 間違えてることを
言ってるかもしれないって

多分思っちゃうから
本当に黙って 黙々とやってましたね。

それぐらい やっぱ 自信というのは
大事なんだなっていうのは

それぐらいから やっぱ 気付いてたんで。

Jリーガーになる夢をかなえるため

親元を離れ 長崎県の国見中学に入学。

名門 国見高校への進学を目指して
全国から選手が集まっていました。

中学校に来て その時
僕たちの年代は 8人ぐらい県外から

名古屋だったり 東京だったり…
から来たんですけど みんな うまくて。

で 国見町… もともと
国見町出身の子たちも うまくて

これ 僕 やっていけるのかなと

一番最初に思ったのが
今でも思い出せますね。

まず ここに来て じゃあ
その同級生たちとの ちょっと…

差を感じたということでしょうか?
感じましたね。

もう すごい差を感じました。
やばいって思いました。

入学時の身長は 136センチ。

小柄な体格でも
負けん気の強さで練習に励み

ライバルたちと
競い合ってきました。

そして 国見高校へ。

当時 全国高校サッカー選手権では
3回の優勝を誇っていました。

率いるのは 今年1月に亡くなった
名将 小嶺忠敏さん。

全国に知れ渡る猛練習で選手を鍛え

小さな町の学校を
強豪校に育て上げました。

大勢のライバルがいる中で

大久保さんは
トップチームに上がることができず

厳しい練習をこなし続ける毎日でした。

練習というのは きつかったですか?
きつかったですね。

もう 走りの時期
っていうのがあるんですけど

本当に ひたすら ここを走るんです。
ず~っと。

もうね 5時になったら
「エーデルワイス」の音が鳴るんですよ。

流れるんですよ
5時ですよっていう。

それが鳴った時に 小嶺先生が

「ランニングシューズに履き替えろ」
って言われて

そこから歩きながら
あそこに履き替えに行くんですけど

その時の走りが 一番嫌でした。

本当に嫌で… 毎日が怖かった。

学校終わった5時から ずっと
というのは

具体的に
どのくらいの ずっとなんでしょうか?

2時間…
2時間ぐらい… 2時間ないぐらいかな?

…は 走り続けてましたね。

本当 倒れて 記憶飛ぶ人も
何人も いましたから。

そういう まあ… 時代も時代でしたし
それだけ怖いっていうか 嫌でしたね。

その嫌な練習っていうのは
どういうモチベーションというか気分で

大久保さんは これ 耐えていた…

耐えていたのか ちょっと分からない
ですけど こなしていたんですか?

いや 僕はですね 走りながら
どこで妥協しようかなとか

ここで妥協したら もう走らなくていい
って思いながら走るんですけど

何だろう? プロになるためには

これは やっぱ 通っていかないと
いけない道なんだなって思いながら

絶対 俺は プロになるんだ
これが あとあと 自分のためになるんだ

って思いながら ひたすら走ってましたね。

だから 簡単には 妥協はできない。
妥協は 本当 一回も したことなくて。

プロに行きたいっていう
強い思いがあってのというところ?

妥協するっていうのを
考えるぐらいだったら

まだまだ いけるなっていう。
なるほど。 はい。

多分ね 駄目な時は 本当に もう
体が勝手に止まると思うんですよ。

…か 倒れるか。

そこまで いこうって思いは… 思うし

プロになりたいっていう気持ちを
持っておけば。

小嶺さんの猛練習に食らいつき
1年が過ぎたころ。

大久保さんに ついにチャンスが訪れます。

僕が2年生の時に まだ応援でしたね 僕は
応援やってたんですけど

「嘉人 一回 出れるか?」と。

「Aチームで 出れるか?」
って言われた時に

「はい やれます」
っていうふうに言ったんです。

大久保さん スタメンで? スタメンで。
スタメンで出て。

でも 「やれない」って言ったら
違う選手を使われるわけ…

うそでもいいから「やれる」って
その時 言っちゃって。

それが きっかけで…

もう そこからですよね。
その4点を取ったことによって

自分に自信がついたっていうか。

俺 やれるっていう自信がついて
そこから 一気にいきましたね。

その試合で 4点取れた理由
まさに自信がついた理由っていうのは

ご自身が積み上げてきた練習というもの
大きいところを占めてますか?

大きいですね。
本当に 中学校から親元離れて

コツコツやってきたことが

そのチャンスというのを
ものにできたので。

本当に 1回しかチャンスが…
多分 あんだけの部員がいて

1回しかチャンスがない中で
つかめたのは

本当に 練習をやってきたからこそのもの
だったと思います。

自信がついていく中で 動きっていうのは
変わってきましたか?

変わってきますよ。

サッカーに 正解は ないんですよ。

正解は ないんですけど
自分が思ったように動けるようになる。

その前までは
ここに動いて 大丈夫なのかな

ここで いいのかなっていう
思考になってたんですけど

それが 自分から そこに行くっていうか
ここが いいんだっていうのを

示せるようになりましたね。

国見高校で大久保さんが自信を持って
活躍できた理由は もう一つあります。

それは 小嶺さんの人を見る指導方法です。

大久保というのは 動物的な感覚。

これは 我々が教えても
なるようなプレーじゃありませんし

非常に感覚的なものを持ってますね。

小嶺さんは 性格を理解し

長所を伸ばすやり方で
選手を育ててきました。

負けん気の強さゆえ

時として 退場にもなってしまう
大久保さんに対しては

試合を離れると
繊細な心を持っていることも

知っていました。

群馬遠征だったんですけど…

怒られるわって思って バスに帰って
試合が終わって 待ってたら

「嘉人」って言われて。
やばい これ もう 怒られると思ったら

先生は お前…

あれ? それだけで いいんだと思って

「はい 食べます」って言って
食べたんですけど。

先生は 人を 多分 見るっていうか
見る目っていうか

僕 本当に 怒られたりすると
しゅんってなるんです。

プレーに影響して 全然駄目。

でも 褒められたりすると
本当に 何だろうな?

う~ん…
普通じゃないぐらい自信持って

うわっていけるタイプなんで

多分 それを先生は 分かっていて
その時 怒らなかったっていうね。

じゃあ その高校の小嶺先生の
退場への接し方がなかったら

大久保さんの 後の191得点というのにも
つながって…。

あ~ 多分 そのあと…

その時 本当に 自分が
いい波に乗れてた時だったんで

ああいう接し方じゃなかったら
これ 分かんないですよね。

本当に プレーが
落ちていってたかもしれないし

話しかけられなかったら
逆に 嫌じゃないですか。

怒られるのも 嫌。

だけど 先生は
「弁当 2つ食え」だけだったんで

何か 自分の中で
ちょうどよかったんですよ。

そして 迎えた
大久保さんが高校3年の年。

国見高校は
圧倒的な強さを全国に示します。

夏のインターハイ 秋の国体

そして 冬の選手権を制し 3冠を達成。

中でも 大久保さんは 8得点を挙げ
得点王に。

長所を伸ばす指導と
猛練習でつけた自信あふれるプレーで

存分に実力を発揮しました。

得点王にも こうね 大久保さん
なられているわけですから

点は もう 入る気しか しないような
そんなゾーンとかあったんですか?

打てば入るかなって。

でも 本当に 何本打っても入んなくても
何か 1本入るかもしれない。

絶対 入るんですけど…。
フフフフフ…。

だから 僕 選手権の決勝とか

めちゃくちゃ
多分 シュート 打ってるんですよね。

だから それだけ自信はあったと思います。

だから ここで ずっと ドリブルからの
シュート練習をしてたのは

国立の決勝で 全く
同じようなゴールを決めてるので

これ 練習の成果だなって。

それは どの試合…
決勝の何本目のゴールが

まさにイメージどおりだったんですか?

国見高校の3点目ですね。

ミドルシュートが
もう完璧に そのとおりでしたね。

結構 遠めからのシュートですよね?
遠かったですね。

あれが まさに
ここで練習していたイメージの…。

そうなんですよ。
練習していたからこそ 自信があった。

自信がなければ 絶対 決勝とかで
あそこから打てないんで

本当に 行く自信を持って
これ 入るなと思って 打ちましたね。

国見高校で自分のスタイルを確立し
栄冠をつかんだ大久保さん。

その後
小さいころからの夢を かなえ

偉大な記録を残す
ストライカーになりました。

多くのJリーガーを輩出し
黄金時代を築いた国見高校。

ただ ここ10年以上

インターハイや選手権などの
全国の舞台からは 遠ざかっています。

プレーに自信がなく
判断が遅れてしまうのが 今の課題です。

ああ… いい?
いいよ。

え… ちょっと…

大丈夫だよ。

(笑い声)

大久保さん 自ら練習に加わり
後輩たちの奮起を促します。

♬~

(拍手)

♬~

そうそう そうそう…!

♬~

現役を引退した大久保さんが
これから先 目指すものとは?

これからサッカーとは どんなふうに
関わっていきたいと お考えでしょうか?

やっぱり サッカーで
自分は 育ててもらったので

その恩返しをしたいな
っていうのもありますし

監督とかもね やっぱ
やってみたいなっていうのも

今は持ってますね 気持ちとしては。

そうすると
自分が まさに 接してきた監督…

小嶺先生も そうだと思いますけれども
小嶺さんの指導方法っていうのは

ご自身の今後に生かしていこう
っていうところは ありますか?

いや もう… あれですね やっぱり
長所を伸ばしなさいって言われたことは

めちゃくちゃ自分の中で
大きかったですし

一人一人の個性だったり
っていうのを見抜いて

やっぱ 伸ばしてやるっていう指導者に
なりたいですよね。

今の この高校生…

結構 おとなしい子も 結構いるかな
っていうところがあるんですけども

大久保さんのようなストライカーの
負けん気の強さをつけるためには

どんなところが これ
大事になってきますかね?

ガツガツいく強さっていうのは。
何だろう?

どんなことにも…。

だから 全部…

そういう気持ちの持ち方というのは 大事。

みんなね 思いますね。

その負けん気を出して
もし選手が退場したら

大久保監督だったら
どんな声をかけますか?

いや もう…
「弁当 2つ食え」と言いますよ。

僕が言われたように 言いますね。
怒ることは ないと思います。

まあまあ 感じたことは言いますけどね。

けど そんな怒った感じでも
言わないし

とりあえず 「弁当 2つ食え」って言ったら
気が楽になると思うんです。

僕と一緒ですよ。
経験されてますもんね。

はい。 だから それを使いたいなと
思いますけどね。

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