出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 父・慎太郎さんと母が逝き…石原良純[解][字]
~偉大な父・慎太郎さんと母が逝き…裕次郎さんと父の兄弟秘話も~石原良純さんが今日のゲストです。
◇ゲスト
今年、還暦を迎えた石原良純さんが登場。今年2月に元東京都知事の父・石原慎太郎さん、翌月に母・典子さんを亡くした心境を告白する。
◇番組内容
コロナ禍で仕事の休みが増えた良純さんは、晩年の慎太郎さんとは頻繁に会えたという。亡くなる直前まで執筆を続けるなどエネルギッシュだった父に圧倒されたという驚きのエピソードを語る。そして、父が逝った翌月に亡くなった母・典子さん…ベールに包まれた両親の関係についても明かす。さらに、戦後の日本を駆け抜けた昭和の大スター・叔父の石原裕次郎さんと父・慎太郎さん兄弟の知られざる秘話を、貴重映像と共に振り返る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- お父様
- お母様
- ザーッ
- マジ
- 季節
- 兄貴
- 今日
- 慎太郎
- 大変
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(黒柳)今年2月
石原慎太郎さんが
お亡くなりになりました。
更に 翌月には
お母様の典子さんも
お亡くしになりました。
今日は 石原家の次男 良純さんに
ご家族との思い出や
お父様 それから 裕次郎さん
そういった
ご兄弟の秘話についても
伺いたいと思います。
よくいらしてくださいました。
よろしくお願いします。
まあ 今
良純さん 大変お忙しくて
なんと
情報番組 バラエティーとか
そういった いろんなもので
レギュラー8本
持っていらっしゃるんですってね。
まあ おかげさまで いろんな事を
させていただいてますけども
それこそ
うちのおやじなんかには
「お前は何屋なんだ。
一体 何してんだ お前は」って
言われてましたからね。 ええ。
でも まあ テレビっていうのは
いろんな事をするのが
テレビだと思ってるので。
まあね。 そうですよね。
最近は 長嶋一茂さんと
コンビになっちゃって…。
いや コンビじゃないです。
コンビではないです はい。
コンビのように。
「ように」と… うん まあ はい。
今年の2月に
お父様の慎太郎さんが
お亡くなりになりまして
89歳で
いらっしゃいまして
元東京都知事でも
いらっしゃいましたし
それから 芥川賞作家で
いらっしゃって。
晩年のお父様には
たくさん
お会いできたんですか?
コロナの影響もあったので
僕が地方に行く仕事が
あんまり なかった事もあったし
それから あの…
実は 母の方が先に
ちょっと 体調が悪かったので…
施設に入ってたので。
家の中の事をやる人間が
いなかったのもあったので
僕が ちょっと こう
面倒を見るわけじゃないですけど
中に入ったので。
なかなか大変な人ですから。
大騒ぎの中で… 僕は おやじに
はっきり言ったんですよ。
「多分 意に沿わない事を
たくさん言うけども
恐らく 僕は
ベストな状況をキープするために
いろんな事をするから」って
言ったら
まあ ガンガン ガンガン
えらい風当たりでしたね。
フフフ…! そう? やっぱり?
まあ やり合いましたから。
もう それは 何かにつけて
こう… なんていうんですかね。
まあ 僕
やっぱり わかったんですけど
生命力っていうか
エネルギーっていうかね
それが ものすごく強い人で。
そうね きっとね。
それで 本当に すい臓がんが
再発したっていうのが
わかったのも…。
あっ そうだったの?
それが また うちのおやじが
「良純 病院行く」って言うから
「もう やめな」って
「みっともないから」って。
また 便秘とかなんとか…
「それは しょうがないじゃん
運動してないから」。 「行く」って
勝手に行っちゃったんですよ。
ああ 勝手に行っちゃった。
しょうがないなって
強引に 医者の段取りして
予約入れて 勝手に行って
それで 勝手に
すい臓がんだって診断されて。
今のお医者さんって
スパッて言うんですね。
誰も付き添い いないんですよ。
そこで 「あっ 石原さん
すい臓がん 再発しました」
「3カ月です」って言われて
帰ってきました。
えっ! 本当に?
はい。 もう1人で帰ってきました。
それで 「おい 大変だ 良純。
お前 見たか… 見たことか」
「俺は本当に病気だった。
死ぬぞ 3カ月で」って言うから
さすがに 僕も
「いや えっ? いや…」。
さすがに
ちょっとビックリしてね。
「あら そうですか」とも
言いようがないので
さすがに その時は
ちゃんと謝ったのですが…
「どうも すみませんでした」って
謝ったんだけど。
で どうなるのかなと
思っていたら
まあ 最初は ちょっと
動揺もあったんですけど
まあ 全然… 本当に
そこでもペースが変わらず。
ちょっと さっき
写真出てましたけど。
ええ。 なんか書いていらっしゃる。
はい。 書き物をして
あとの時間はDVDを見たりして。
もう お酒も飲んでたし…
まあ たくさんは飲まないですけど
そうやって暮らして。
まあ 本当に…
看護師さんを怒鳴り
家政婦さんを怒鳴り
僕を怒鳴って…。
最後 まあ あの…
3カ月… 最後の方になって
まあ 人と会う時は
機嫌がいいんですよ。
人が たまに
訪ねてくださったりすると。
そうすると
まあ 自分の89年の生涯は
いい人生だったよな
っていうような話をしてて
すごく こう 朗らかにいて。
ただ やっぱり 最後の…
僕の感覚なんですけど 1週間は
これは
俺は死ぬかもしれんなって
やっと思ったんじゃないですかね。
あっ そうなの。 最後の1週間で。
だって 言ってましたからね。
医者に向かってね
「お前… 俺は たかだか お前と
1年しか付き合ってないんだ」
「俺は自分の体と
80年付き合ってるんだから
お前に何がわかる」って。
いや そんな事
言わなくてもいいじゃない…。
お医者さんに?
そんななので…。 だけど
やっぱり 最後の1週間は
死っていうか 闇っていうか
夜が怖いんですよね。
あっ そう。
うちの父はヨット乗りだったので
やっぱり 夜の怖さみたいなものが
身に染みてるんだと思うんですよ。
闇の中に入ってしまったら
もう抜け出れない。
それが死だみたいな 自分の中に
思いがあったんだと
思うんですよね。
ヨットで夜になったら
大変ですもん。
怖くて 日が明けると… 昇ると
ほっとするみたいな。
やっぱり 夜が明けると
生なんですよね。
だから 寝るのを怖がって…。
だから その付き添いの人に
「お酒飲まないか?」とか
ええ… あと なんか 本当に…
「書き物するから起こせ」とか
言ってて。
そういう…
最後の1週間だけ… ねえ。
病院にいらしてたの?
施設と家とを行ったり来たりして
最後は施設だったんですけど。
でも その施設でね
忘れもしない 大みそかですよ
大みそかの晩ですよ。
もう 早く…
9時ぐらいに「寝る」っつってね。
もう 本当に あの… あれですよ
『紅白歌合戦』も興味ないし
私が出てた『ザワつく!』も
全然興味なく
「寝る」って騒いで 寝たんですよ。
寝れるわけないじゃないですか。
「睡眠薬の量を増やせ」とか
介護士さんに
「起こせ」とか言うから
「もう お父さん やめようよ」と。
「今日は大みそかなんだから
みんな みんな
楽しくね 最後 年末…」。
穏やかにね。
「穏やかに 今日は しようよ」と。
「そんな事 言わないでさ
たまにさ… たまになんだから
めったにないんだからさ
お父さん いろいろさ
僕も聞きたいしさ
話でもしようよ」って言ったら
うちのおやじに
怒鳴られたんですよ。
その時に あまりにも
そのせりふが あれなんで
これ 書き留めなきゃいけないと
思って
俺 すぐ… 起きて
書き留めたんですよ。
すごいんですよ。
「お前 偉そうなんだよ」
「ちょっと成功したからって
説教じみた事 言うんじゃねえ」
「てんぐになって!」
バーッて…
すっ飛んできましたよ。
これが 死を目前にした人間の
言う事ですか?
すごいね。
第一 やっぱり 語彙が多いね。
語彙が多いんですよ。 それがね
ああ… おやじらしいなって
もう うれしくなっちゃって
書き留めたんですけど。
なんか そういう…
なんていうのかな。
生きていくエネルギーの
強い人でしたね。
だから 最後の1週間だけです。
でもね 89年 生きて
最後の1週間だけって
まあ すごいっていうか
うまい事やったなっていうかね。
だから 僕は 亡くなったっていう
電話がかかって
ロケに… 千葉に行く途中に
電話がかかってきて
弟から電話があって
「どうも おやじの容体
おかしいよ」って言うから
「そうなの?」 「うん」。
「でも 昨日も
そうだったぜ」って言って
1時間後に 亡くなったと。
僕も 口ついて出た言葉
「マジ?」って。 「マジ?」。
なんか ちょっと
笑っちゃったっていうか
なんか あっぱれというか
人の こう…
自分の死まで
そこまで踏み込んで こう…
なんていうのかな…
差配しようとしたのかな
っていうか
まあ
死は怖かったでしょうけども。
でも やっぱり がん再発の時に
話したんです ちょっと。
やっぱり うちの叔父のね
やっぱり 死ぬまでの闘い…。
それ 裕次郎さん?
はい。 裕次郎叔父の
死ぬまでの闘いっていうのを
僕は 当時 石原プロにいて
社長と一番下っ端という事で
見てたんですけど
あの闘い方を…
そこは やっぱりね
うちのおやじはね
「俺はね まねできない」って
言ったね。
あっ そう。
「あの強さは まねできない」。
裕次郎さんは
どうだったの?
本当に こう…
なんていうんですか。
うおー! って怒鳴るでもなく
こう いて… うん… って いて
それで
周りの人間がいる時は
「はい うん はい わかった。
はい 夕飯… 飯ね」って…。
それが食べられなくても
食べられても 静かにしてて…。
そのはけ口は おばちゃまと…
小林専務っていう方が
石原プロにいらっしゃって
その人には その…
なんか こう 打ち明けてたのかも
しれないですけど
他の人には 全く何も見せないで。
じーっと こう
死を待ってるみたいな…。
裕次郎さん?
はい。 で その…
なんていうのかな あの闘い方と
また うちの父親の
その最後の闘い方は
違うけれども
やっぱり なんか 最終的には
ああ さすがに…
そうやって
人は亡くなるんだっていうのは
見たかなっていう気がしますね。
でも あの… 4月に
石原家にゆかりの葉山で
散骨式なすったの?
そうですね。
やっぱり
海が好きだったおやじが
やっぱり その…
骨を葉山にまいてくれと。
この葉山…
逗子 葉山沖っていうのは
うちの叔父… 裕次郎叔父も
裕次郎灯台ありますけど
あの辺りの近くの海に
散骨したので…
散骨をしたんですけども。
その時に
葉山から船を出したんですけど
葉山に船を出す前
僕が着いた時に
雨がザーッと降ったんです 突然。
ザーッて降って おいおい
雨降ってきちゃったよって。
ザーッて…
雨 イヤだなって思ったら
出艇するぐらいには
サーッて上がったんですね。
で ああ… あれは
裕次郎叔父ちゃんの雨なんだ。
石原裕次郎って人は
亡くなった時もそうだし
法事とか
あと 大きな撮影とかある時に
必ず雨が…。
手術とかも?
はい。 必ず雨が降るんですよ。
昔 總持寺で法事やってても
ザーッと本堂に雨音がすると
叔父ちゃん来たなっていう思いが
あったんですけども。
その時に ああ 雨降ったなって。
あれ 裕次郎の雨だ。
久しぶりだな…。
あっ 叔父ちゃん来たな。
恐らく なんか…
「おい 兄貴 久しぶりに
船 出すか」っていうようなね
そんな事だったんじゃ
ないのかなと思うと
本当に 葉山の海に
出て行ったって事は
うちのおやじも
あの葉山の海には来てて
そういう瞬間… そういう
1日だったのかなと思って。
だから あれは いい1日でしたね
皆さんのおかげで。
ちょっと 葉山の散骨式の
VTRがあるんだそうで
お持ちいただいて… ちょっと
見ていただいてよろしいですか?
これは慎太郎さんですね。
はい。 遺影が…。
息子4人なのね。
はい。 兄弟4人で。
(鐘)
今は そんなに ザーッと お骨を
まいていいわけじゃないので
ちゃんと こういうのは
もう 大体
いろいろ 許可とか
そういうのが決まってて。
花も こうやって投げますけど
皆さんは投げるといけないので
花びらだけ投げるとか。
あっ なるほどね。
海は いろいろ…。
本当に男の子ばっかり
4人だったんだわね。
でもね 黒柳さんね
父が亡くなった時に
NHKのニュースが
あったんですよ。
「残された子どもたち4人は…」
って いってるんですよ。
慎太郎さんは 23歳の時に
『太陽の季節』という小説を
お書きになって
それが大ベストセラーになり
そして これ 芥川賞を
受賞なすったんですが
その時
慎太郎さんという方は
最年少だったんですってね
芥川賞をとった。
最年少だし ある種 その…
文脈といいますか
作品自体も
センセーショナルだったし
やっぱり なんか 一つ
戦争から 少し…
やっと世の中が変わって
みんな楽しい事しようよっていう
昭和31年ぐらいなんですけども。
そうでしたね。 それで
裕次郎さんは その原作で
初めは せりふのないので
ちょっと お出になったんだけど
次に 本当に
お兄様のお書きになったもので…。
はい。 あの…
『狂った果実』っていうので
それも 本当に…。
『狂った果実』 そう。
それで デビューなすったの。
それが裕次郎さん。
ちょっと 裕次郎さんが
『徹子の部屋』にいらした時の
ちょっと
見ていただいていいですか?
「一番最初に 映画というものに
出会ったのは
いつの時ですか?」
「えっとね これが もう
変なきっかけでね うちの兄貴の
『太陽の季節』っていう…」
「もうちょっと大きいお声で」
「『太陽の季節』という
映画じゃなくて…
小説がありましてですね」
「あれをね 日活で
映画化をするっていうので」
「湘南地方っていうのは
今こそポピュラーですけどね
その頃の湘南っていうのは
海岸があるのは知ってるけど
知らないわけですよ 皆さんね」
「それでね その監督さんとね
キャメラマンと
制作主任の人がね 来ましてね
いわゆる
兄貴が書いてる現場をですね
油壺とか
いわゆる 葉山のとこの
ナントカ岩だとかっていうのを
ロケハンしたいっていうのでね
それで 来て…
大変簡単な仕事ですからね
連れていきゃいいんですから」
「水先案内人?」
「ええ。 そのうちに
そのキャメラマンの
もう亡くなった伊佐山三郎さん
っていう
古いキャメラマンの方が
“お前さん やってみろ”と
言うので
“本当に 映してくれるか?”と
言ったら
“クローズアップも撮る”と。
クローズアップも撮れば
それが映画館でかかればですね
やっぱり 後輩どもに
また顔が ひとつ売れると」
「じゃあ やってみようじゃないか
というので やったのが
きっかけというか。
変なきっかけで
今日までなっちゃったんですかね」
まあ でも あの… 本当に
うちの父と やっぱり 叔父は
仲良かったですね。
仲良かったの?
うん。 ああいう風に
照れながら言ってるけど
やっぱり そこに その なんか…
おやじは 裕次郎を
こう なんとかしてやりたい
世に出してあげたい
っていうのがあるし
やっぱり うちの叔父は
その中で活動していって
そのあと いろんな事で おやじ…
うちの父を助けるといいますか
政治活動を始めたら
選挙に… 手伝ったりとか。
選挙の時にね。
はい。 だから それは
やっぱり 二人三脚でやってきた
っていう自負があったので
うちの父親も
一番つらかったのは やっぱり
あまりにも若く うちの叔父が
亡くなった事じゃないかな…。
裕次郎さんがね。
はい。 52で亡くなりましたので
そういう意味では
もし叔父がいたらって…。
これ 選挙の時ですね。
はい。 これは 多分
昭和43年の
初めての
参議院選挙か…
かな?
北からは慎太郎 南から裕次郎が
石原慎太郎の
選挙運動したみたいなね
それぐらい その…
やっぱり うちの叔父は
じゃあ 兄貴が
やりたいんだったら手伝う
っていう事はしてましたね。
でも
随分 あなたは あれでしたね
お父様の亡くなった次の月に
お母様も
お亡くなりになったんですって?
そうですね。
あれはビックリしましたね。
僕は
母親が亡くなる前の日にも
母親の
その… 施設というか訪ねて
それで あんまり食欲ないって
言ってたので
じゃあ… 結構 よく
プリンを持っていってたんで
プリン持っていったんですよ。
ちっちゃいプリンを
4つ持っていって。
それで 今…
当時 コロナだったんで
あんまり…
本当は面会できないんですけど
ちょっと まあ
時期が時期なので
施設の方が会わせてくださって。
「それじゃあね」って言って
僕は そのまま羽田空港から
大阪に行って
朝6時に電話が鳴ったんで…。
いい事ないですよね
朝6時に 旅先に電話ね。
取ったら うちの家内が
「お義母さん亡くなられたわよ」
って言ったんで
ここでも
また 思わず口をついたのは
「マジ?」。
フフ…。
「マジ? えっ マジ?」。
なんかね その… 普通は
奥さん亡くなって
お父さん死んじゃうって
よくあるらしいんだけど
普通は こう なんか まあ…
僕も母と言ってたんですよ。
じゃあ 落ち着いて
それこそ 今の季節みたいに…。
一番いい季節じゃないですか
梅雨前の時に
「じゃあ
コロナも収まってるだろうから
みんなで田園調布の中庭で
ごはん食べようね」って。
「ランチでもしようよ」と
「ブランチでもしようよ」
って言って 「そうね」って
言ってたんですけど
全く それを
楽しみにしてなかったんですね。
結局 やっぱ 母は
おやじの近くにいたかったんです。
すぐ 後を追うように?
すぐ。
こんな事があるんだろうかって。
本当 数カ月ですものね。
はい。 もう 35日です。
あっ 35日?
だって 前の日まで 全然
普通に話してたんですよ 本当に。
「プリンありがとうね」って
「じゃあ また来るよ」って言って。
で 亡くなって すぐ
僕 ちょっと 施設の…
翌日か その翌日に
施設を こう
ちょっと
部屋を片しに行ったんですけど
プリンなくなってましたからね。
召し上がったの…?
食べたんですよ。
夜 食べたんです。
僕が行ったのは 6時で
そのあと 夜 食べて。
そのあと
体調が ちょっと悪くなって。
で そんなに
苦しくなかったみたいで…。
ちょっと 動脈瘤みたいな事で
それで 血圧が下がって
ふーって亡くなった
っていう事なので。
ええー…
まあ ビックリしましたね。
35日で後を追うっていうのは
すごいですね。
でね うちの母がね あの…
「良純 ごめんね」って
面会に行くと言うんです。
「良純 ごめんね」。
僕 なんの事だか
よくわかんなかったんですよ。
「良純 ごめんね」。
「いや 別に いいよ」。
「時間あるし そんな
忙しくないから来るよ」って。
忙しいのに なんか
時間使わせてて ごめんね
みたいなつもりなのかなとか
思ってて。
で これも やっぱり
亡くなったあとに考えたら
何を謝ってたのかっていうと
本来は うちの父の面倒は
全部 母親が見てたわけですよ。
それが生きがいという部分も
あるし
それが まあ…
最大の慎太郎ファンですから
うちの母が。
そうですってね。
ねえ。 で その時に…
要するに 僕が「いや 今日行ったら
また おやじが怒鳴っててさ」
「怒鳴られちゃってさ」って
言った時に
本来は それを
自分がやらなきゃいけなかった。
それを あなたにやらせてしまって
ごめんなさいねって。
多分 イヤな思いしてるでしょうね
っていう
本当は それは私がやる役目だ
っていう事を
うちの母は 僕が行って…
「また おやじが わがまま言って
大変だったんだよ 今日」
って言うから
それに…
あっ それを謝ってたんだ。
「ごめんなさいね」って。
…っていうのは
僕 亡くなったあとに
気が付きました。
ああ その事を謝ってたんだって。
そうか。
ちょっと… 普通 ちょっと
そう思いませんよね。
ねえ。 だから
なんの事か わからない…。
だから その辺は
変わってました…。
変わってるっていうか まあ…。
だから うちの母は
84で亡くなったので…。
お若いのね。
はい。 だから…
女性の84は ちょっと早いんだけど
でも やっぱり
天寿を全うするっていうのは
別に長生きする事ではないから。
まあね うん。
自分の思いのままに生きた
という事では ええー…
うちの父親と同じでね
いい人生を
歩んだんじゃないですかと。
それが 終わり方も そこで
自分の人生が終わるって事は
本当に母にとっては
早く おやじの方に
行きたかったと思う…。
お母様という方は小学生の頃に…。
知り合った…。
知り合ったんですってね
お父様と。
もう それから ずっとですからね。
だから まあ…。
17歳で結婚なすったのね
それで。
だから 僕が これが
幼稚園ぐらいですけど
まだ若いですもんね
うちの母親ね。
お母様 キレイ。 うん
すごくキレイ。 おキレイ。
だけど 私
どう わがままだと言って…。
朝ごはんの時だかなんだか…
なんだかさ あの…
和食 洋食 中華 なんだか
何種類か作らなきゃ
いけなかったんだって? お母様。
3つ用意しといて…。
イタリアンなんかも入ってる?
どれかって言って。
だから それを まかり通って
そうやって好きに生きてきたから
まあ うちの父親なんかね
よかったんじゃないですかね。
でも あの…
家に お骨があるじゃないですか。
そうすると…
「何食べる?」。
「そんなにね 思ったものは
出せないからね」。
「じゃあ 僕のこれね」とかって
イヤじゃないですか。
怒ってるかなっていう話になって。
で そのお骨が 今度
兄貴のとこに移動する日。
最後の日だけは あの…
卵 あの…
目玉焼きが好きだったんですよ。
トーストと目玉焼きが 最後…
すごい好きだったんで
それ 「はい」って言ったら
喜んだかなって。
それで まあ お骨でも
なくなると寂しいもんで。
ところが そのあと
また母が亡くなったもんで
戻ってきたんですよ うちに。
おやじのと お母さんのと。
あっ そうなの?
まあ ほら 一緒に…
別々に納骨するのも
なんだからって 一時期…。
一緒にしようっていう事…。
一緒に納骨しようってね
うちのおやじ
また帰ってきたなって
お骨 2つ並んで…。
これは お骨 2つ並んでる時って
飯は2人前作るのかな?
どっちかな? とかね。
いや なんか こう
笑い話じゃないんですけど
なんか まあ…
それはそれで久しぶりに
親と一緒に住んだかなっていうか
ちょっとの時期でしたけど
それは
1週間もなかったんですけど。
なんか こう… 2つ
ちょっと 大きさ違うんだけど…。
普通は そういう事ないもんね
だって。
でも こう…
2つの骨壺というか
箱に こうした時に なんか
ああ 久しぶりだね
こうやって 飯を食べたというか
時間を過ごしたのはっていう。
なんか 僕は
そんな感じもしたし。
で まあ…
納骨も もう済んだんで
そういう意味では
2人とも いい人生を歩んで
いい終わり方だったのかな
っていう思いだから。
だから あんまり なんか
悲しいっていうとかは…
まあね もう いい年ですし
僕 60ですからね。
60ですからね。
でも 良純さんは なんか
結婚なさって
いろんな事の価値観が
変わったんですって?
もう おかげさまで
やっと まあ…
石原家の呪縛からは
解けておりますので
多分 全然 今の方が
いい人だと思います。
ちょっと テレビ見てみます。
もっと ますます
良くなっていくと思います。
そうですか。
ハハハハ…!
本当 ありがとうございました。
ありがとうございました。
『徹子の部屋』は
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