徹子の部屋 井上公造[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 井上公造[解][字]

~芸能リポーター卒業…“昭和のスター”との交流話も~井上公造さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
今年3月で36年の“芸能リポーター”人生にピリオドを打った井上公造さんがゲスト。
◇番組内容
9本のレギュラー番組を持っていた井上さんは、不規則な生活がたたったのか自律神経の調子が悪くなり、生放送中めまいがして病院に運ばれたこともあったという。65歳の今、リポーター卒業を決心したのは、恩師である梨元勝さんへの思いもあったと語る。今日は、井上さんの心に残る“昭和のスターたちとの交流話”も披露。勝新太郎さんとの思い出や、美空ひばりさんとの秘話を明かす。そして、最後に黒柳さんへの思いも告白する。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  17. 全部
  18. お金
  19. タレント
  20. バンド

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

(黒柳)「やはり
歌謡界の女王とかね

皆さんが なんか
どういう口を利いたらいいのか

っていうふうなものを
目の前になさる時って

あるでしょ? やっぱり」
「でも 私は 逆に そういうの

なしにして頂きたいなと思って
時々」

「あっ そう」
「普通に見ててもらいたいなと

思うんですよね」

「ちょっと 美空ひばりの
モノマネがうまいなぐらいで…」

芸能リポーター歴36年。

一番感動したのは
ひばりさんを取材した時。

私 井上公造が今日のゲストです。

黒柳さん よろしくお願いします。
どうぞ。

ようこそ おいでくださいました。
ありがとうございます。

失礼致します。
どうも。

実は井上さんは 今年の3月で

芸能リポーターのお仕事を
全て卒業なさいました。

今日は 今だから言えるっていう
昭和のスターたちの秘話を…

興味津々ですけども。

色々と貴重映像を交えて
伺わせて頂きます。

まあ ご本人とは
はじめましてですかね?

取材では何度か…
たくさんの人数の中で

インタビューをさせて頂いた事は
あるんですが

こうやって 一対一でっていうのは
初めてで。

何か 自分が
リポーターを辞めたあとに

黒柳さんと お話しできるって
もう 本当に光栄で

ちょっと 興奮しています。
そうですか。 どうも。

3月で 36年間続けたお仕事に
区切りをおつけになった。

その卒業の理由は あとで

また詳しく
伺わせて頂くんですけども。

まず プロフィルを ちょっと…。
福岡のご出身。

はい そうです。
九州です。

地元 めんたいこ会社に就職して
東京勤務になったけど

すぐ退社しました。

そして 雑誌の編集者…。
そうですね。

それから 新聞記者なんかを経て

そこで梨元さんに
スカウトされて。

そうですね。

自分が
新聞記者やっている時に

梨元さんと
お食事している時に

ちょっと 会社の愚痴を
言っていたら

「だったら
うちの事務所に来る?」

って言われて
えっ? って思って。

僕 テレビの世界に
行くなんて

正直 思ってなかったので。

で 「今 いくら
給料もらってるの?」

って言われて その時の
お値段を言ったんですよ。

そしたら 「あっ わかった。
じゃあ 倍払うから」って言われて

すぐ決めました。
すごいですね。

すごい認められた
っていう事ですね。

いやー もう 光栄でした 本当に。

何人ぐらい取材なさいました?

6000~7000人は インタビュー
させてもらったと思います。

一番感動なすった方
とかっていうのを

伺っても大丈夫?
はい。

それは やはり
美空ひばりさんですね。

ああ そうですか。

はい。
ひばりさんのレコーディングに

一度 立ち会わせて頂いた事が…
取材で。

僕 驚いたのは 普通
レコーディングっていうのは

音は音で オケで録っていて

そして それに
自分だけが あとで歌うという

そういう作業だと
思っていたんですよ。

ところが ひばりさんの場合は

当時 コロムビアの
大きいスタジオに

バンドが用意されていて
生バンドが演奏するんですよ。

そのバンドに合わせて…。
バンドはリハーサルやっていて

で ひばりさんがやって来られて
「じゃあ よろしく」って言われて。

そしたら もう バンドさんが
緊張してるんですよ。

ええー。
自分がミスしたら駄目なので…

2度目 3度目になりますから。

それで テイク1で
サラーッて歌われて

「はい 終わり」で

そのまま スタジオ
去っていかれたんですよ。

相当 すごいですね。

いや たくさんの 歌のうまい方は
取材させて頂きましたけど

ひばりさんを上回る方は
ちょっと 僕は

一度も会っていないですね。
なるほどね。

ちょっと 美空ひばりさんが
『徹子の部屋』に

お出になった時の貴重な映像が…
VTRがあるそうなので

ちょっと
ご覧頂いてよろしいですか?

「もうね カラオケ大好きで」
「フフフフ…」

「よそ行って歌いますとね
もう とにかく…

もちろん ギャラをもらうつもりで
歌っているわけじゃないですから」

「そうするとね
自分の歌じゃなくて

やっぱり 人の歌を
どんどん歌いたくなりますね」

「安全地帯の歌とか…」
「ええー」

「ああいう新しいものを?
“ええー”なんて言ったら

失礼ですけども」
「今 そういう時間が

一番楽しいんです 私」

「カラオケバーみたいな所
いらして

あなたが20曲も
どんどん お歌いになったら

お客様がお喜びでしょ?」
「だから お客様ね

ちょっと 帰りかけますね」

「だけど 私が歌い始めるから
おっ? っていうわけで

また座っちゃうんですよ」

「で また ずっといるわけですね」

「いつまで経っても
すかないんですね そのお店が」

「フフフフ…。 そうか」
「非常に 私がやったら

もうかるんじゃないか
このお店をと思って

帰ってくるんですけど」
「循環が悪いから」

「ええ。 そうなんですけどね。
ずっと聴かれちゃいますからね」

「でも どんどん
平気で お歌いになっちゃう?」

「ええ。 もう。
全然わからなくなるんですね

楽しくなると」

ああいうふうに ご自分でも
おっしゃっていましたけど。

この3年後に
東京ドームの公演…。

「不死鳥コンサート」ですね。

僕も現場で取材をさせて頂いて

ちょっと 舞台袖の方で
見ていたんですけども。

あの時 驚いたのは

ひばりさん 決して 体調が
よかったわけではないんですよ。

で ステージから
一番近い出口の所には

救急車も
スタンバイさせていましたし

歌と歌の合間なんかは

立っていられないような状況でも
ちょっと ピアノに手をつけて

こうやって
もたれたりとかしながら…。

でも 全く客席は気付きませんし

もう 完全燃焼とも
言っていいぐらい

すばらしい歌声を
全曲 聴かせて頂いて。

ところが 幕が下りたあとは

そのスタンバイしていた救急車で
病院に運ばれているんですよ。

いや もう 僕
プロ中のプロを見た気がして。

お客さんを楽しませるっていう事

自分の歌を聴きに来てくれている
ファンを喜ばせるっていう事を

ここまで徹底的におやりになる
アーティストは

他にいないんじゃないかって
思うぐらいでした。

なるほどね。

ひばりさんは他にも
こんな話もしていらっしゃるので

ちょっと ご覧頂いていいですか?
はい。

「子供の頃から ずっと
おふくろと一緒に

芸能界 育ったもんですから

あんまり 子供の時に
大人の人相手に

ペラペラ ペラペラ
しゃべるのはね

嫌いだったんですね」

「おふくろが 新聞記者であっても
誰であっても 代わりに…

“じゃあ ひばりの代わりに
私がお話し致します”って

おふくろが全部
代弁をしてくれるわけですね」

「そこら辺が ちょっと
誤解を受けて

美空ひばりは威張ってると」

「女王だから誰とは会わないと。
誰とも会って話をしないと」

「だから 無口という事に
取ってもらえないで

偉いんだっていう事に…」
「しゃべりたがらないとかね」

「代わりに お母様が
今度 前に… 前面に出て…」

「前に出ちゃってるから
っていう事を言われて

随分 おふくろも
悩んだらしいんですけど」

「“あなたのためなら
私は鬼ババアと言われても

平気よ”って
言ってくれましたけどね」

「でも 私としては すごく
つらい部分はありましたね

親が やっぱり
悪口 言われるっていう事は」

「だんだん ショーやなんかの間に
お話を交ぜるようになさって

この頃は随分 お話を…」
「もう その無口だった私が

おしゃべりの方が
有名になってきまして」

「ある人は 無口というのは
6つ口があるんだと言われたし」

「すごい。 6つ口がある」

「私の事も それほどの事は
言われた事ないですよ」

フフ。 面白いお話を…。

こんなお話をされる ひばりさん
珍しいですね。

そうですね。
私も びっくりしました。

でも
とてもユーモアのある方でね。

そうですね。
なんか 女学生時代の

お友達みたいな感じで
いいなと思いましたけどね。

ああー だから やはり
心を開かれると

すごく そういうところが
打ち解けて…。

あんなにお話の面白い方だとは
思いませんでしたので

びっくりしましたね。

僕らは やっぱり
ひばりさんっていうと 本当

ほとんど 口を利いたという記憶が
ないんですよ。

そうなんですか。

でも コンサートとか
レコーディングとか

そういう時には 本当に
たくさん感動をもらいましたね。

でも お仕事とは言いながら
そういう色んな感動をいっぱい

胸にね ためていらっしゃれる
っていうのは よかったですよね。

そうですね。
僕らは そういう意味でいうと

ひばりさんであったり
裕次郎さんであったり

勝新太郎さんであったり
そういう方々と

触れ合う事ができた世代だった
っていうのは

自分が仕事を辞めた今 改めて
いい時代だったなと思います。

まあ 私みたいに
相手が私を怖がらないで

ここに来て頂くっていうのとは
違ってですね

もう なんて言うのか…。

怖いって思われる
っていうお仕事は

懐に入るの 大変だったでしょ?
そうですね。 だから

割と 自分の弱みとかを
最初から さらすように心がけて

僕は決して あなたの敵では
ありませんというような形の

接触の仕方をしてたと
思うんですね。

だから そういう中で
結構デビューしたての

長嶋一茂さんと親しくなって

今でも
結構 交流あるんですけども。

あっ そうですか。
僕が… 5年前ですか。

還暦を ちょうどハワイで…
今 写真 出てますけども。

あら。
これは一茂さんが主催して…。

もう2人っきりの
僕の還暦パーティーです。

すごいですね。
毎年のようにハワイで年末…

僕は取材に行ってて
一茂さんは

ハワイで家族旅行をされていて。

で よくお食事したり

ゴルフしたりみたいなのは
ありましたね。

リポーターって…
あなたのような方は

煙たがられる事が
多いんじゃないかと

思うんですけど どうですか?
うん。 そうですね。

やはり この仕事を
始めた時代っていうのは

なんか 芸能リポーターと芸能人は
バーサスで。

そういう関係だって
言われたんですけど。

実は このテレビ朝日の番組に
僕が出ていた時に

まあ ある ちょっと
スキャンダラスな話をしていたら

番組に出ている人が

「いや こういう取材は
よくないと思うよな」って

本番中に
生放送で言われたんですよ。

そしたら ちょうど たまたま
映画のキャンペーンかなんかで

勝新太郎さんが
出ていらっしゃって。

で 勝さんが 「いやいや
そんなもんじゃないですよ」

「芸能人っていうのはね
こうやってマスコミから

追われているうちが華なんだ」と。

「やはり そういう要素もある
っていう事は

わかった方がいいですよ」って
言われて。

僕は ちょっと
救われたと思った事があって。

なんか 恩人だなって
その時は感じましたけどね。

でも よく 勝新太郎さんは
そんな事を

おっしゃってくださいましたよね。
そうですね。 なんかね

色んな事 勝さんもあったけど
それを全部

乗り越える方でしたからね。
そうですよね。

勝さんは この番組でも
色んな面白い話

していらっしゃるんですけど。
こんなお話

していらっしゃるの。
ちょっと ご覧ください。

「面白いよね。 つまり 潰れ方が」

「勝新太郎っていう城の潰れ方が
ガサッ ガサッ ガサッて一遍に

ドサッと一瞬にしてなくなると」
「うん」

「そうすると まるで
ノックアウト食ってる選手のように…」

「半分は 立ち上がるのを…
勝新太郎が

どうやって立ち上がるのか見たい
っていうファンもいるだろうし」

「いや もっと
もう2~3発殴って

グシャグシャに
ノックアウトにしちゃって

それから
立ち上がってくるんだったら

許すけども まだ もっと

たたいた方がいいという
神の命令なのか…」

「どこのあれか知らないけども」

「そういう事が なんか
この体の中にね

とっても強いものが
生まれてきたような

気がするわけですよね
自分の中には」

勝さんらしいですね
なんか 今のお話を聞いていても。

僕 勝さんはですね
忘れられないのは

僕 六本木の
おそば屋さんに入ったら

偶然 勝さんが1人で おそば
食べていらっしゃったんですよ。

ええー。
夕方なんです。 そしたら

「井上 お前 今日 空いてるか?」
って言われて

「はい 空いてます」って言ったら
「ちょっと 飲みに行くぞ」

って言われて
それから 銀座や六本木を…

多分 僕の記憶じゃ
7軒なんですけど。

7軒 行ったんですけど。
うん。

勝さん 全部キャッシュで
払っていかれるんですね。

キャッシュで?
はい。 途中でお金足りなくなって

付き人の方が
お金 持ってこられたんですけど。

朝方までに 本当に目の前で
1000万円使ったんですよ。

すっごい。 じゃあ
チップみたいにあげちゃう。

もうもう チップも含めてです。

知らないお客さんも
一緒に飲みに…

次の店で… 本当に連れて行って。
それは見た事あります。

そうでしょ?
知らない人 誘っちゃうのね

一緒に。
みんながファンになっちゃって。

で 面白かったのは別れ際に

「今日は どうも 勝さん
ありがとうございました」って。

「井上 すまん。
ちょっと お願いがある」。

「みんなに全部
お金を渡しちゃったから

1円もないから
タクシー代だけ貸してくれ」って

言われたんです。
フフフフ…。 面白いですね。

貸すどころか こちらは もう

どれだけね ごちそうになったか
わかんないんですけど。

それを普通にされるスターの方が
勝新太郎さんでしたね。

でも あとで そのお金 ちゃんと
返してくださったんですって?

あっ そうです。
それが 私 やっぱり

すごいね なんかね
普通の人だなと思いますよね

そういうところは。
そう。 だから なんか

非常識の中に
生きていらっしゃるような

部分もあるんですけど

ものすごく常識的なところも
おありになる方でした。

そう。 だから あなたから

1万円だか いくらだか
タクシー代 借りた。

あなたにとっては
大金だろうからと思うので

それは ちゃんと返そうと
お思いなるところが

あの方の 本当に人に好かれる
ところかもしれませんね。

色んな事あったけど 周りの人は…
みんな 接した人は

勝さんの事 好きでしたからね。
そうでしたよね。

私も何人かを
誘ってるところも見ましたし

誘われた事もありますけどね。

本当に知らない人
誘っていっちゃうのね。

で また 誘われた人は
みんな ついて行くんですよね。

そうですよね。
ぞろぞろ ぞろぞろ。 フフフフ…。

もう ああいう方は
この頃 ちょっと あんまり

いらっしゃらないかも
しれないんですけども。

まあ スターも大変ですけど
あなたのお仕事も

考えたら 本当に大変ですよね。

まあ 心を痛める事が
なかったといえば

ウソになりますけどね。
絶対そうだと思いますよね。

でも 僕は 心がけていたのは
やはり どんなタレントさんにも

自分の年下であっても
後輩であっても

「さん」付けで
呼ぼうというのだけは

心がけていました。
こんなちっちゃい子には

「ちゃん」付けになる事は
ありますけれども。

まあ それ以外は。
私も 『ベストテン』で久米さんに

何も2人でやる時に
決めないけど

私は ちゃんと
敬語を使って話しますからねって

言ったんですね。
やっぱり そういうふうに

どんな方でも そこに出てくる事が
すごい事なんだからと思って。

そうでしたよね 確かに。
今 記憶がよみがえりました。

フフフフ…。
そういう黒柳さんを見ていました。

やっぱり それは
大事な事だと自分も思って。

でも あなたを拝見していると
やっぱり とても丁寧に

対応していらっしゃるのでね。
難しいところだと思いますけども。

でも 芸能リポーター
っていう仕事は

やはり 芸能人がいるから
成立する仕事だと

僕は常日頃から思っていて。
だから どんなケースであっても

一定の敬意は持っていないと
いけないなというふうには

常々考えるようにしていました。
そうですよね。

だけど 今 みんな 割と

本人たちが 自分たちで…
なんていうの?

SNSっていうんですか?
ああいうので

自分で
どんどん言っちゃったりなんか

する時代になったんで
随分 立場が

変わってきたんですって?
そうなんですよね。

自分で全部を
発信されちゃうとですね

正直 言っちゃうと
僕らの出る幕が

だんだん
なくなってくるんですよね。

そうですよね。
だから やはり ちょっと

腹八分ぐらいで止めといてくれ
って言いたいんですけど。

本当ね。
それはそれで まあ それぞれの

タレントさんの考え方なんでね。
ただ なんか

ご本人が言っている事は
正しい事で

芸能リポーターが言っている事は
いやいや どこかに こう

色眼鏡で
見ているんじゃないかとかね

思われがちなので。

まあ ちょっと厳しい時代に
なってきたなというのは

ちょっと感じていましたね。
そうですよね。

井上さんは ご両親が2人とも

学校の先生で
いらしたんですって?

父は高校で 母は小学校で。
で 教師の息子で

教師になってほしかったのか
と思ったら

「公造」っていう字は
公を造るって書くんですけど。

父親は どうも 僕を
公を造る人… いわゆる

政治家になってほしかった
みたいなんですよ。

でも 政治家と真逆の仕事に
なっちゃいましたけど。

ただ… そうですね。

でも なんか こう
テレビに出るようになった事は

ちょっと 親は どこかで

喜んでくれていたような気は
します。

楽しみもあったでしょう きっと。

なんか 離れて…
福岡にいますから

離れていても
子供の姿が見れるっていうのも

あったと思いますけどね。
福岡じゃね。

でも 中学2年生の時に

もう すでに
芸能人に取材なさったって。

それ 本当?
そうなんですよ。 はい。

九州朝日放送という
そこのラジオの番組で

ゲストコーナーの
インタビューするというのを

本当に偶然で
やる事になったんです。

だから その時にね
五木ひろしさんとか

瀬川瑛子さんとか 南沙織さんとか
天地真理さんとか

なんか そういう方々が
毎週 来ていて。

多分 番組側の
プロデューサーの狙いは

中学生が聞くと 何聞いても
多分 タレントにとって

なんか 罪な事にはならない
というような

イメージだったんだと
思いますけどね。

ギャランティーは
もらっていないんですよ。

その代わり
レコードの試聴盤っていうのを

好きなの持って帰っていいって
言われて

それがうれしかった
っていう記憶はあります。

随分 安上がりだった…。
いえいえ そんな…。

でも あれですかね。
やっぱり 皆さんに聞きたい事は

聞けました? その時。
ある程度 聞けましたね。

だから 今 考えてみれば…

先日も 五木ひろしさんに
お会いしたりしたんですけど。

五木さんは その当時の事 全く
覚えていらっしゃらないんですよ。

…なんだけど
『よこはま・たそがれ』の頃の

五木ひろしさんに
インタビューしている

っていうのは ちょっと 自分では
光栄だなと思って。

そうですよね。
あれが あの方の…

なんていうんですか。
出発点ですもんね。

そうですね。 五木ひろしという
名前になられてからの

出発点ですよね。
そうそう。

リポーターの方って
あれ 給料みたいなものは

どこから出ているの?
あのですね…

今は番組から頂くんですね。
だから

自分が出演している番組から
1本いくらで。

だから そういう意味でいうと
タレントさんと一緒です。

あっ そうですか。
だから

取材に行くっていうのには
お金を頂かないケースもあるし

その番組のために 誰かを
インタビューするんだったら

別途いくらか頂く
という事もあります。

なんだか 歩いていて
いきなり誰かに会っちゃって

その人にバーッて聞いた
なんていう事は…。

あのですね
自転車に乗っているおば様が

僕に向かって
「井上さんだよね?」って言われて

今 そこを
誰々と誰々が歩いていたよって

言われたりした事はあります。
面白い。 で いらしたの? すぐ。

僕は 割と プライベートで
芸能人の方と会ったりしたら

それは 僕は
声をかけたりするべきではない

っていうふうに…。
あっ すごく偉い。

思っていたんですね。
正直 言うとですね

これを持つと
割と ズケズケいけるんですけど

これを置いた瞬間に

全く武器のない兵隊みたいに
なっちゃうんです。

あっ そう。
うん。

もっと続けてみようとは
お思いにならなかった?

いえ。 もう
次のステージに行こうと。

だから 仕事を全く辞めようとは
思っていませんでしたけど。

前々から ある程度
色んな事を考えていたんですけど

もう 芸能リポーターは
そろそろ潮時だな

自分の中の気持ちとして。

だけども なんか 健康面で
本番中にめまいがしたりとか

色々なすったんですって?
ありました。

本番の途中で病院に運ばれたとか
そういう事もあって。

あら。
お医者さんに相談すると それは

「いや その仕事しているからだよ」
って言われたんです。

なるほどね。
で 変な時間に緊張感 高めたり

変な時間に緩めたり
というような事がある

不規則な仕事だから
治す方法は

一番は仕事を辞めるという事
って言われて。

まあ そう言いながら
ずっと月日は流れたんですけど。

でも やはり あれですね。

自分が そういう意味では
レギュラー番組 全部降りたら

やはり 体は
相当 楽になりましたね。

何本ぐらい
持っていらしたんですか?

辞めた時は9本です。
うわー すごい!

そんなにおありだったんですか。
まあ… はい。 ある程度

東京だけでなく 地方の色んな局
合わせてですけど。

でも それを全部
辞めちゃうっていうのも 大胆…。

はい。
でもですね 1年前の春に…

僕は妻と2人の家族なんですけど。
妻に相談したら

「いや あなたの人生だから

あなたの好きにしたら
いいと思うよ」って

言われましたね。
いい奥様だわね。

それは感謝していますね。
あっ この奥様? 可愛い。

彼女が うちの事務所の社長を
やっているんですけど。

もう この人に任せておけば

大丈夫だっていうのが
あるから

僕は自分のわがままが言えた
っていうのは…。

あっ そう。
本当に そういう意味では

感謝していますね。
でも 色々あったでしょうけど

36年 続けられたのは
どういう事だったでしょう?

決して なんで 芸能リポーター
やっちゃったんだろうって

辞める今
自分では全く思わなかったです。

やってきてよかったな この仕事。

だから 辞めたあとも
色んな人とお食事に行けたりとか

電話で話したりとかいう事も
できていますし。

よかったですね やっぱりね。
やったかいあったと思います。

本当ですよね。 お仕事として
おやりになったんだけど

やっぱり
みんなを傷つけてはいなかった

っていう事ですよね 考えたら。
…だといいですね。

でも 僕 辞める時に1つだけ
自分の中で心残りがあったのは

僕 色んな番組 ひととおり

バラエティー番組も
出させて頂いたんですよ。

で 本当に これは 嫁と2人の時に
話していたんですけど。

「ああ 『徹子の部屋』だけ
お呼びがかからなかったね」

って言っていたんです 本当に。
えっ 本当に?

はい。 そして そのあとに…
その数日後に

スタッフの方から
お誘いの電話を頂いて

本当に小躍りして喜んだ
っていうのが…。

本当に? 今日の事?
はい。

そうでしたか。
それはそれは光栄でしたわ。

いやー ありがとうございます
本当に。

うわー。 そうですか。

今 振り返ってごらんになって

自分の仕事について
どう思います?

いや やってよかったと
思いますし…。

これからなさるお仕事がね
成功して みんなが… 日本人がね

また立ち上がって

明るくなればいいなと思います。
お元気で。

本当 ありがとうございました。
ありがとうございました。

『徹子の部屋』は

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