出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 柄本時生[字]
~人気の個性派俳優!“芸能一族”秘話~柄本時生さんが今日のゲストです。
◇ゲスト
個性派俳優として大活躍の柄本時生さんがゲスト。今日は、4年前に亡くなった母・角替和枝さんとの最期についても伺い、貴重映像と共に思い出を振り返る。
◇番組内容
父は俳優・柄本明さん、母は女優・角替和枝さん。俳優の兄・柄本佑さんは、10年前に女優の安藤サクラさんと結婚し1児をもうけた。初孫の誕生に父は喜び、現在は積極的に子守をしていると明かす。俳優一家に生まれたが、子ども時代の夢はプロ野球選手で、その後は宮大工になろうと考えていた時生さん。だが、14歳の頃に映画のオーディションを受けて合格し、自身も役者の道へ。デビュー当時には母からある教えがあったそうで…
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- 家族
- 多分
- 俳優
- サクラ
- ハンサム
- 学校
- 写真
- 母様
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(黒柳)
このお顔は テレビやCMで
最近 すっかり
おなじみだと思います。
現在 個性派俳優として大活躍の
柄本時生さんです。
どうぞ こちらへおいでください。
お父様は柄本明さん。
お兄様も 俳優の道に
進んでいらっしゃいます俳優一家。
どうも こんにちは。
しばらくでございました どうも。
よろしくお願いいたします。
お願いします。
お元気で何より。 どうも。
柄本家の末っ子で
現在32歳って… そう?
あっ はい そうですね。 32ですね。
なんか 最近 お父様に
顔 似てきたって言われる?
ああ… でも まあ 昔から
似てるとは言われてるんですけど
ちょっと
似てきてるかもしれないですね。
ああ そうですね…。
うん この方がお父様ですね。
似てるかもしれないですね
やっぱりね。
親子ですからね。
ハハハ…!
11年前に 3歳上のお兄様
佑さんとご一緒に ご出演…
それ 覚えていらっしゃいますか?
はい 出させていただき…。
これですね。
ちょっとご覧ください。
あの左側の茶髪の方が
今日の方だと思うんですけど…。
随分 あの頃 あなた
こういう風にしてらしたのね。
ちょっと まあ… 仕事の関係で
こういう
あれだったんですけれども はい。
そうですか。
この時は どんな感じでした?
ああ… 11年前だから 二十…
えっと
21とかだと思うんですけど。
そんな若かったのね。
そうですね。 いや でも
あまり変わってはいないとは
思います 今の状況と 僕…。
性格も あんまり変わりないのかな
とは思ってるんですけども。
でも お兄様は 随分
にっこり笑ってらっしゃるけど
あなた なんか
緊張してるみたいな顔してる。
僕 多分 だから これ…
うちのお兄ちゃん 笑うんだって
今 思いました こういう時に。
ハンサムに見えるね。
そうですね やっぱり。 ハハハ…。
でも まあ 柄本一家は俳優一家で
何しろ 今 申しましたように
お父様は柄本明さん。
もう 皆様 よくご存じの方で
いらっしゃいますが。
で この方が お母様で
角替和枝さんと
おっしゃいます。
残念なんですけども
本当に ついこの間…。
そうですね。
もう何年ぐらいだ…。
4年 5年とか…。
もう そんなになりますか。
はい。
で お兄様は
柄本佑さんとおっしゃるので…。
それで どういうわけだか
お兄様が
女優の安藤サクラさんと
ご結婚に
なったもんですから
あなたのうちは
もう なんか
全部が俳優っていう風に
なったのね。
そうですね なかなかの家系図には
なったかなとは思います。
ですよね。 だって サクラさんの
お父様が奥田瑛二さんで
お母様が安藤和津さん
っていうわけで。
うわ…。
そう これ お父さん。
どう思います? このお父さん。
いやあ 久々に こうやって…
久々に見るんですけれども
やっぱり 奥田さん 男前ですね。
奥田さんはね
ハンサムなんですよ あの方。
ハンサムですね やっぱり。
そうなの。
あっ 男前だな。
いいですよ。 それで
いろんな役ができそうでしょ?
はい そうですよね。
いいですよね 奥田瑛二さん。
親戚の交流はあるんですか?
うちは そうですね たまに…
でも ほぼほぼ年末ですかね。
あっ そう。
年末とか年始に
あちらが うちの実家の方に
来ていただいて
なんか 一緒に ごはん食べるとか
そういうので…。
あと うちのおやじと奥田さんが
あの… 兄貴夫婦の方に
子どもが生まれたので それで
あの… なんていうんですか
お守りで 2人で なんか…。
お父さん同士がお守りなの?
そうです。
お守りで おやじ同士が なんか
2人で歩いてるとかっていうのは
聞いた事がありますね。
相当面白いわね それね。
なかなか ないですよね。
ねえ。
どっちがベビーカー押してるのか
わかんないですけど
当時は なんか
そういう感じだったらしいですね。
初孫っていう事で?
はい。
お父様は どんなご様子ですか?
いやあ… あれだけ まあ
あやすんだなっていうぐらい
あやしますね。
あっ そうなの!
普段
そういう風に見えないのにね。
そうですね
見えなかったんですけど
やっぱり うれしいみたいですね
子どもがいる…
孫がいるっていうのは
かなりうれしいみたいで…。
あやしてます。
すごい率先して世話をしてますね。
ええー! 赤ん坊は
それも喜んでるみたい?
そうですね。
あっ そうなの?
それは何よりだと思います。
サクラさんとは お兄様より先に
共演なすったのね あなた。
あっ そうです。
僕が映画でご一緒して… はい。
2人が結婚した時は どう思った?
いやあ すごいうれしかったです
僕は。
サクラさん… うん。
すごい… お義姉ちゃんの事は
すごい好きだったので
うれしかったですね。
家族が増えるのは やっぱり
うれしいと思いますよね。
はい。
でも サクラさんは面白い方だって
聞いてたんだって?
ハハハ…! そうですね
面白い人ではありますね。
なんかさ
角替さんのベッドに
潜り込んで
寝てたんだって?
なんか… 前の実家の頃に
うちのおやじと和枝ちゃんが
あれなんですよ
2人 ベッドで こう寝てる間に…
2人が寝てる間に入り込んで
一緒に寝た事があるとかって…。
そうですってね。
なんか やったりしてたっつって。
そうだって。
俺 変な人と思って。
そう… ちょっと変な人だわね。
ですよね?
僕… やりたいなんて
思わないじゃないですか
そんな事 あんまり。
でも あなたは3人きょうだいで
お兄様とお姉様がいらっしゃる…。
小さい頃 お兄様の事が
大好きだったんですって?
そうです 大好きですね はい。
ずっと くっついてました。
あっ そう。
うわ! うわ… 恥ずっ!
ハハハハ…!
可愛い… これ あなた?
これ 多分 うちのお兄ちゃんが
初映画…
『美しい夏キリシマ』という映画を
撮ってた時に
お兄ちゃんが ちょっと
ホームシックになっちゃって
それで うちの家族みんなで
兄ちゃんに会いに行った時の
写真ですね これは。
どこまで会いに行ったの?
えっと 霧島ですね。
あっ 霧島まで 本当に?
はい 行ったんですよ。
旅行も兼ねて なんか。
へえー!
その時の写真で。
あなた まだ ちっちゃかったのね
割とね。
僕 チビでしたね。
フフフフ…!
これ 多分
小学校6年生ぐらいだった
記憶なんですよね。
でも ご両親が芸能人っていうのは
どんなものですか?
どう… そうですね…
あまり 深く考える事は
なかったかもしれないですね。
うちの…
自分の父親がっていうのを…。
僕 幼少期 なんか
どこの家族でも みんな
芸能人の仕事してると
思ってたんです。
みんなテレビに出るんだなとかね。
…の職業をやってると
思ってたんですよ。
だから なんか あんまり
そういうのを気にする事もなく。
でも
あなた自身の子どもの頃の夢
こんな風になりたいとか
っていうのはあったんですか?
僕は プロ野球選手でした。
ああ ねえ!
野球やってたの? それで。
野球やってました はい。
で 中学校2年の時に
宮大工になりたいなと
思ったんです。
野球は どうなったんですか?
野球は
中学校上がった段階で
ちょっと諦めてはいましたかね。
フフフフ…! で 宮大工?
宮大工になりたかったですね
途中から はい。
なんか 格好いいなと思ってて…。
うん そうですよね。
でも 14歳の時に 結局
俳優のオーディションなすって?
そうですね。
受けて。 で 合格したの?
合格を…。
なんの役だったの?
こんな顔だったの?
可愛いや。 小さいね。
ハハハハ…!
フフフフ…! あっ そう。
こうなると
角替さんに似てるとこあるわね。
そう。 僕 どちらかというと
和枝ちゃん似だったとは
言われてますね。
ねえ 本当。
あなた お母様の事
「和枝ちゃん」って
さっきから呼んでるけど
「和枝ちゃん」って呼ぶの?
「和枝さん」なんです。
さっきから… 勢いで 今
ボンボン ボンボン
「和枝ちゃん」って
呼んじゃってる…。
いいんです 和枝ちゃん。
初めてのせりふっていうの
覚えてます? その時。
いや もう すごい
簡単なせりふでしたね。
「よっ!」っていうせりふでした
最初は。 一番最初は。
「よっ!」。
「よっ!」って言うんです。
あの… 公園の…
公園の階段から
こう 顔が出て それで
「よっ!」って言うだけなんです
まず。
そこからスタートのお話で。
そこからでしたね 僕は。
そういう風体は…
頭なんか そういう感じ?
いや あの… 丸坊主です。
さっき 丸坊主のあった。
子どもの頃の写真のやつが
多分…。
ああ…!
ああいう丸坊主の人が
そこで 「よっ!」って言うと
やっぱり ちょっとね
怖いっていうか。
なんか
そんな感じだった記憶ですね。
あれ? なんだっけ? いや…
デビュー当時の写真と
同じ髪形だったかもしれないです。
どっちだったか覚えてないですね。
本当? そうですか。
4年前に お母様であり
女優の角替和枝さんが…
原発不明がん
っていうんですよね。
それで 64歳っていう若さで
お亡くなりになったんです。
原発不明がん。
お母様は お元気な方
だったんですけど…。
64歳。 若いですよね。
今 みんなね
八十何歳とかね
90ぐらいまで
女の人 みんな
生きるっていうのにね。
お母様との最期は
どんな風に
お迎えになったの?
これ 僕は
実は あの… そうですね。
なんていえばいいのか…
僕 仕事で
ハワイの方に行ってまして 当時。
その前から悪くはなかったの?
お母様。
いや もう 悪くて…
悪かったんですけども あの…。
ちょうど 僕がハワイのお仕事で
ちょっと 出て…
出た… 3日後ぐらいに
あの… 息は
引き取っちゃったんですけれども。
でも お出かけになる時は
そんな悪くはなかったの?
その時は寝てましたかね。
寝てたか… 起きてたのかな。
で なんか なんとなく
「行ってきます」ぐらい言って…
「行ってくるね」だけ言って
まあ あの…
ちょっと 寝たきりな状態では
あったんですけれども
普通に 返事から何から
できてた人だったので だから
「いってらっしゃい」みたいな
そんな感じだったとは思うんです。
それだったんすけど… はい。
うん…。 だから
あんまり 最期を看取るとか
そういう事は あんまり
できなかったんですけれども…。
でも その ハワイに
行ってらっしゃる時に
ご連絡があって
「お母様 亡くなった」って
お聞きになった時は どんな…?
いやあ…
なんていえばいいんですかね。
あんまり… 実感もあると同時に
やっぱり ちょっと
わからなかったですね。
そうでしょうね きっとね。
はい。
泣いたんですよ。
すごい泣いたんですけど
やっぱり 実感なかったですね。
うん…。
あと やっぱり 仕事に来てるので
やる事やらなくちゃいけない
っていうのが
すごい 頭の中にあったのは
覚えてますね はい。
うん…。
その時に
お兄様と なんか お話しした?
えっと 兄ちゃんは
本当に もう 電話だけです。
なんか…。
あなた ハワイにいるんだから。
そうですね。 電話だけもらって
「もしもし」って言って
何時何分まで はっきり
言ってくれたの覚えてますね。
「何日の何時何分に
和枝ちゃんが逝ったよ」
っていうのだけ。
…だけを言ってくれて。
えっと…
「とりあえず 待ってます」
っていうのだけ
言われたのを覚えてますね。
あと 会話はしてないです。
あっ そう。
そうです そうです。
「了解です わかりました」
っつって
「ありがとうございます
わざわざ」…。
でも それ いきなりの事でしょ?
そうですね。
多分 あっちのみんなは
ずっと見てたから
いろいろあったんだと…。
でも あなたは 別れて
ハワイにいらっしゃる時は
そんなじゃなかったんでしょ?
はい そうですね。
でもね やっぱり なんとなく
電話かかってくるって…
ハワイにいる間に
電話かかってくるっていうのは
ちょっと なんかあっただろうな
っていうのは
やっぱり 思っては…
電話には出てましたね 僕は。
覚悟はないですけど
「わかりました」とは言う
用意をしていたというか 自分が。
やっぱり…。
はい。
で とりあえずは なんか もう
それ以外に 話せる事が
あんまり 僕の気持ち的に
ないので やっぱり。
だから すぐ それだけで
終わったような気がします。
で 「何日に帰れると思うので
何日に帰ります」というのだけ
言ったのを覚えてます はい。
でも まあ あの元気なお母様がね。
はい。
たばこ吸う人だったんですよ。
お母様?
和枝ちゃんが。
すごい覚えてて なんか あの…
ハハハ…。
もう 結構 寝たきりの状態で
こうやって呼ぶんです 僕の事。
「どうした?」って言ったら…。
「持ってこい」って言うんですよ。
持って行ったら
グーッて立ち上がって
立てひざ立てて こうやって…
こうやって吸いだして。
この人 最後まで格好いい人では
あるんだなっていうのを思って。
なんか… 僕は なんか
そういう人に育てられたんだな
っていう感覚でしたかね。
ありがとうみたいな感じで
うなずいて…。
でも そういう風に あなたに
示したかったんでしょ きっとね。
そうなんだと思うんで…
そういう人でしたね だから。
あんまり だから 嫌がる事が
なかったかもしれないですね。
なるほど。
なんか あなたの事について
お母様が 出演の時に
話していらっしゃいます。
あっ 本当ですか?
ちょっと ご覧ください。
「次男の方は あなたと親子やって
『おひさま』のは
いつも見てましたけど
すごい個性的?」
「そうですね」
「なんか あんまハンサムとかは
思わないですけど
親なんで 可愛いですね」
「そりゃ 可愛いわね」
「あれなんですってね
次男の方は
なんか 可愛がって育てたから
なんか メロメロ ヘラヘラ
してるんだって?」
「可愛くて… 3人目だから
可愛くてしょうがないんですよ」
「そうか。
姉ちゃん いるんだからね」
「そう。 もう とにかく
可愛い 可愛い
可愛い 可愛いでいったら
いつの間にか
あんなになっちゃって」
「でも 可愛いわよ 本当にね うん」
「お勉強できないんですよ」
「まあ いいじゃない」
「勉強できなくても俳優できる
っていうの すごいじゃないの」
「でも 呼ばれるの? 学校に」
「本当に 1学期に1回は
呼ばれますね」
「そんなに?」
「本当に呼ばれるんですよ」
「へえー! すごいですね。
1学期に…」
「1回ぐらいは呼ばれますね」
「大変ですね 2人だから」
「そうなんですよ。 それで まあ
お勉強の事だけじゃなくて
ちょっと
やんちゃもしたりするので…」
どうします? やんちゃもしたの?
いやあ
どういう やんちゃだったのか。
うーん…。 はい そうですね。
怒られたりとかする事は
多々… ちょっとだけありました。
でも 今 お母様の事 ああいう風に
テレビでご覧になって
お母様が あなたのために
学校に呼ばれたりしたって事を
お聞きになると どんな感じ?
いやあ 僕 だから
学校の先生にも言われました。
「これだけ呼ばれるヤツいない」
っていうのは。
そんなに?
僕 勉強できなくて
本当に あの…。
高校と中学が同じ…
エスカレーター式だったので
同じだったんですけど 毎学期
全部 三者面談だったんですよ。
計何回 呼ばれてるんですかね?
だから 6年間掛ける3だから
…ぐらいは 呼ばれてるんですよ。
お母様が? 学校に。
はい。
でも あなたに
何も おっしゃらなかったの?
「もう 呼ばれないように
頑張ってくれないか」とか
そういう事 言われて
僕も なんか 普通に
「うん 頑張るよ 俺」って
言うらしいです。
フフフフ…! その時は言うのね。
はい。
その次の学期では
呼ばれるっていうのが
よくありましたね はい。
お母さんに悪いって思った?
フフフフ…!
あんまり思わない?
今だと… 今…
悪いとは思ってたんですけどね。
ちょっと あれですね。
今を楽しむタイプの子でしたね。
ハハハ…! 親からすると
どうしたらいいのかって。
でも 今 考えてみると
お母様っていう方は
どういう方でしたか?
今 ああやって見たら
可愛いですね やっぱり はい。
うちのおやじが
よく 話 してたんですけど
僕とか あの… 和枝さん以外が
みんな 東京なんですよ。
東京出身の人間なんですよね。
だから なんか
東京の空気感が強いから…
うちの母ちゃんだけ
静岡なんですよ。
へえー!
なんか 正直さに生きてる方
っていうのでいうと
やっぱり 和枝さんがすごくて。
純粋さみたいな?
純粋さがすごかったのを
覚えてますね はい。
でも お父様とお母様は
必ず 毎日一緒になって
喫茶店 行ったんだって?
必ず 毎日。
行きます 行きます。 毎朝。
どんな時でもらしいですね。
そうですってね。
大げんかしても 絶対 次の日には
一緒に喫茶店 行くって言って。
それで仲直りをするっていうのが
なんか…。
割と歩いてる時に見えるとこに
座ってるんだって?
そうなんです はい。
そうなんですよ。
昔 下北沢にある
アカって呼んでる…
アカって呼んでた喫茶店が
あったんですけど
そこで ずっと 犬の散歩がてら。
でも あれですよね。
そんな仲良しだった…
毎日 お茶を飲みに行くような
奥様をお亡くしになった
お父様っていうものの
寂しさみたいなものは
感じました?
うーん…。
そうですね。
やっぱり 寂しいと思いますね。
連絡って うちって 実は
そんなにしない家族で
やっぱり。
連絡を ほとんど
取らなかったんですけど
やっぱり 和枝さんが
いなくなってしまってから
半年ぐらいとか 1年ぐらいは
ずっと電話ありましたかね
うちのおやじから… やっぱり。
それで なんとなく しゃべったり
映画の話 したりとか。
あと なんか
「明日 お茶しようか」とか
そういう連絡は
取り合ってましたね。
最近もそうですし
なんか 「お茶しないか」っていう
連絡来たりとかして
お茶とか行ったり ごはん行ったり
とかするんですけど。
珍しいわね。 男の人で
「お茶しようか」なんてね。
そうですね。
普通いないわね あんまりね。
僕が あんまり…
僕が酒 下戸でして。
飲めないので ちょっと まあ
付き合えないから
コーヒーですかね。 うちは だから
コーヒー付き合いですかね
どちらかというと。
お酒の付き合いというよりも。
じゃあ 時々 今でも お父様と
お茶飲みに行く時あるの?
します します。
昨日もしましたね。
あっ そう…。
はい。
そういう時 どんな話するの?
話なんか 別にしない?
なんか たわいのない話 してます。
今 だから 僕がやってる舞台の
稽古であったりとか
「どう?」とかっていう話を
したりとかしてますかね はい。
そうだわね。
はい。
まあ 俳優同士だから
いろんな話はあるでしょうよね
そういう事でね。
でも あなたは俳優になったので
ご両親とか 何度か
お父様とお母様と
共演なすったんでしょ?
あっ してますね はい。
どう感じました?
そういう時… 共演の時。
いやあ イヤでしたね。
あっ イヤだ?
イヤだっていうのが
一番でしたかね やっぱり。
見られてるから?
見られてるっていうのと
家族で一緒に仕事って
やっぱり 恥ずかしかったですね。
うーん… なるほど。
ただ 役者を始めた頃に
お母様から ある教えがあった?
はいはいはい。
どんな教え?
えっと… これ うちの兄貴も
言ってるんですけど
「がっかりする事に慣れろ」
っていうのはありますね
言葉として はい。
「がっかりする事に慣れろ」。
うーん… まあ がっかりする事
ありますからね いっぱいね。
なんか この仕事は がっかり…
「待つ事と がっかりする事に
慣れる事だ」って言われました。
やっぱり 百戦錬磨だから
お母様 やっぱりね。
なんか いい言葉だなと
僕は すごい思いますね はい。
あの… お父様から
演技についてのメールが来た事が
あるんですって?
あります あります はい。
あの… 大体 メールが
仕事関係の事で言われると
怒られる事が多いので…。
お父様の。
そうです そうですね。
うーん…。 結構
「何やってるんだ バカ」とか。
あっ そんなのが来るの?
そうです… そういうのですね。
すごいわね。
ハハハハ…!
あっ そう。 それ
傷つかないようにっていっても
やっぱり どうでしょうね。
僕… うちのおやじは あんまり
傷つかないとかっていうの
考えないかもしれないですね。
もう…
もう 直球ですね。
あっ 直球。
「何やってるんだ バカ
やめちゃえ」とか そういうの…。
ところで 舞台の『パンドラの鐘』?
はい 『鐘』です はい。
『鐘』という舞台を…。
出演なさるそうですけど…。
はい そうですね。
なんか
野田秀樹さんが脚本されて
それで 昔なんですけれども
昔 蜷川幸雄さんと
野田秀樹さんが同時期に
演出をするという その本で。
えっ!
それで 物語としては
古代と現代の話が
交差していく物語で。
今の年代の僕らというのが
あまり体験しないような
せりふの数々を聞けるんじゃ
ないかなと思うので はい。
それ いいですね。
はい 見てもらいたいですね。
あっ そうですか。
6月6日から28日まで
Bunkamuraシアターコクーンで
おやりになります。
今後の目標とかあります?
挑戦したいものとか。
もう いろいろ なんか あの…
なんでも やらせていただける
といえば
なんでもいいというのですね
今は 僕ら… はい。
でも まあ お母様の事ね
残念でたまらないわ 私。
角替さんの事 好きだったからね。
いつもお世話になっておりました。
いえいえ。
ああいう女の人 私 好きなの
割と。
なんていうの?
お母さんらしいっていうかね。
はい そうでしたね。
そういう方でした…。
了解です。 伝えておきます。
そうですか。
じゃあ ついでに 佑さんにも
よろしくお伝えください。
どうも ありがとうございました。
『徹子の部屋』は
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