徹子の部屋 坂東彌十郎[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 坂東彌十郎[解][字]

~今 話題の“父上”66歳の素顔は孫にメロメロ~坂東彌十郎さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
大河ドラマで主人公の父を演じ、今注目を集めている坂東彌十郎さんが初登場。話題の彌十郎さんの意外な素顔に迫る。
◇番組内容
歌舞伎俳優として初舞台を踏んでから49年。身長が183cmと高く、若い頃は必要以上に目立ちすぎて演出から怒られるなど苦労の連続だったという。亡き十八代目中村勘三郎さん、十代目坂東三津五郎さんとは幼馴染で、よく3人で飲んでは冗談を交わしていた。早くに亡くなった2人への想い、そして勘三郎さんとの思い出を語る。私生活では、最近は4歳の初孫との時間が一番の癒やし。公園で疲れ果てるほど一緒に遊ぶという。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  12. スイス
  13. 一番
  14. 海苔
  15. 写真
  16. 日間
  17. お芝居
  18. テレビ
  19. パスタ
  20. 猿之助

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

(黒柳)大きいお体に優しい笑顔

今 大河ドラマで
話題の方でいらっしゃいます。

歌舞伎俳優の坂東彌十郎さん。

どうぞ こちらにおいでください。
ありがとうございます。

今は亡き中村勘三郎さん
坂東三津五郎さんとは

幼なじみで
いらしたそうでございますが

お料理好きでも
いらっしゃるそうでございます。

どうぞ
よろしくお願い申し上げます。

どうも。

昔 森光子さんに
紹介して頂いたんでしたね。

楽屋で紹介して頂いたんですけど。
そうでしたね。

すいません。
どうも 随分前で。

こちらこそでございます。
でも それにしても お背がお高い。

そうですね。 歌舞伎界…

僕 49年になるんですが
役者になって。

ずっと身長は一番です。
身長だけですけど 一番。

今 何センチぐらい?
183センチあります。

ああー じゃあ 随分ね。
そうですね。

それに 色んなものを
おつけになったらね

相当大きく…。
そうですね。

そうでいらっしゃいますか。

でも 今 すごく
話題になっていらっしゃって。

ありがとうございます。
今 北条時政?

はい。
注目の的で。

いえいえ…。
大変ですね おたくは。

あの辺りは 今ね…。

自分では
あまり実感がないんですけど

皆さんに よく
「父上」とか「パパ」って

声をかけて頂いています。
あっ 本当にパパで…。

パパですものね。
はい。

あれですね。
お父様の坂東好太郎さんは

歌舞伎から一回出て
映画の方にいらっしゃって。

はい そうです。
30年間 行っておりましたね。

あっ そんなに長く
行っていらしたんですか。

まあ お美しい方だったんで。

また歌舞伎へ
お戻りになったんですけど。

彌十郎さんが
小学1年生ぐらいの時?

そうですね。
私が小学校1年の頃に

歌舞伎へ戻ったんですね。
そうでいらしたんですか。

彌十郎さんは 歌舞伎のデビューは
遅かったんですって? 割と。

17でした。

父が そうやって 映画
行っていたのもありますけれども。

歌舞伎へ戻った頃は もう…

僕 もう その頃から
大きかったものですから

子役に出られる大きさじゃ
なかったんですね。

で 中途半端で

大人の役ができる年まで
待とうってなって

その17の時に ちょうど

七代目の三津五郎のおじの
追善だったんですけどね。

それで 初舞台をさせて頂いた…。
あっ そうですか。

でも そういう場合は
おさらい… お稽古とか…。

そうですね。 お稽古事は

僕が役者をやりたいって
言ったんで

父は 「じゃあ
踊りのお稽古と三味線だけは

やっておきなさい」って言うんで

やらせては
もらっていましたけども。

お背がお高いっていうのは
歌舞伎にお出になった時は

どんなもので… 得?
そうですね。 最初の頃は もう

箸にも棒にもかからない
っていうんですかね。

まず 着物が合わないし…
寸法がないですね。

で 衣装屋さんには怒られるし…。
フフフフ…。

で 何人で一組っていうような
舞台の出方しますと

1人だけ飛び抜けているんですよ。
そうですね。 お背がお高い。

すると 演出の方に

そこの でかいの邪魔だ。
端っこ行かせちゃえとか言われて

随分悔しい思いしましたね。
そうですね。

十八代目の中村勘三郎さんの
お友達?

まあ 友達って
おこがましいですけども

1つ年下で。
そうですよね。

小学生の頃から 本当に
よく可愛がって頂いた

大先輩… 役者として
大先輩ですし

年は1つ違いで…。
子役からやっていたからね。

そうですね。 はい。

よく遊んで頂きました。
そうですか。

子供の頃は もちろん
いっぱい遊んで頂きましたし…。

あっ これは あれですね。
どこですか? これ。

ベルリンです。
ええ~?

後ろに扇雀さんもいますが。
ベルリンで

お芝居を見に行ったんですね。
お芝居というか

ショーのようなもの
だったんですけど。

自分たちの公演のあと

見に行ったんですけども
楽しかったですね。

そうね。
本当に。

それから
十代目坂東三津五郎さんとも

同世代でいらして。
そうですね。

年は一緒で
あっちが早生まれで

親戚なものですから。
あっ そう。

子供の頃から一緒に
お兄ちゃん お兄ちゃんって…。

あっ 本当ね。 可愛い。

で このお二人が また そろって
早く亡くなっちゃって。

そうですね。
残念ですね。

本当に残念です。 舞台の事も
いっぱい まだまだ

怒られたり教わったりしなきゃ
ならない事があったんですけど。

お寂しいでしょう?
みんな いなくなって。

そうですね。

「俺たちが
葬儀委員長をやってやる」

とかって言っていたんですって?

よく 二十歳過ぎぐらいに

勘三郎さん 三津五郎さんと一緒に
飲みに連れて行って頂いて。

で 酔っ払うと

「大体 体の大きいヤツは
早死になんだから

お前は一番先に死ぬから

俺と寿で
葬儀委員長やってやるから」って。

「お願いしますよ」って
言っていたんですよ。

そしたら 逆になっちゃったんで。
本当ね。

2人とも いなくなって。
そうです。

ですから お二人とも お葬式の時
お焼香させて頂いて…。

誰にも わからないように
「ウソつき」って言っておきました。

本当ですよね。 ウソつきですよね。

勘三郎さんは
本当に9つぐらいの時からか

ずっとテレビでも
ご一緒でしたし

そのあともね 随分 色んな事で…。

もちろん 歌舞伎も
見に伺いましたけども。

色んな話 したりして
面白い方でしたんでね。

そうですね。
本当 すてきな方だったですね。

なんか VTRがあるの?
なんでしょう?

ちょっと 見てみましょう。
はい。

「でも 何しろ あなたが
そんなふうに

とてもお芝居好きで
いらっしゃったように

あなたのお子様お二人は それに
輪をかけているんですってね」

「例えば 東京駅のホームで
転びそうになるとね

“おっと 危ない 剣の舞”とか
言うんですよ」

「だから 時代がかった子でね。
これはね 環境ですよ」

「家中で それやっているから
そうなるわけですよ」

「でも やっぱり
そのお芝居好きというのがね

やはり…」
「そう。 うれしいですけどね」

「それ いいんです。
それは いいんですよ」

「だけど 『女殺油地獄』という
お芝居を…

与兵衛をやらせて頂いて」

「あれは 油の中で立ち回りして
殺すというお話でしょ?」

「油が… 布海苔みたいなのを
敷いているわけですよ あれ」

「家には布海苔なんかありません。
何やったと思いますか?」

「水浸し 家中」
「フフフフ…」

「お家に帰ったら水浸し?」
「水浸し」

「水の中で2人でもって
転げているわけ?」

「やっているわけです。
怒るに怒れないしね」

「床は なんなんですか?
お宅の床は」

「床は普通のじゅうたんで
ビチョビチョになりましたよ」

「それでね これは もう 駄目だと」

「この間 9月にね
『檻』という芝居…

これ 長谷川伸先生の」

「これ 酒乱の役でね
家をぶっ壊すんです 僕が」

「ハハハハ…」

「これはね ちょっと…
とにかく これは いけないと」

「やられたら
たまらないですから 家」

「“これは 芝居なんだから
いけませんよ

これは
絶対やっちゃいけませんよ”って」

「“どうして?
やってんじゃないよ”って」

フフフフ…。
「やってんじゃない」…。

「面白いね」

面白い。 「やってるじゃない」って。
懐かしいですね。 そうですね。

今の… だから
勘九郎さん 七之助さん。

小さい頃とか 僕 よく
お家で立ち回りの相手して

斬られ役もやりましたね。

斬られ役なの?
はい。

特に勘三郎さんとは
思い出が深いんですって?

そうですね。 知り合ったのが

私が
小学校3年の元旦なんですけど。

正月の挨拶に行ったら 奥から
バーッて走って出て見えまして。

私は ご一緒…

テレビに出ていらした頃とか
知ってますから

よくわかっているんですけど。

「君 いくつ?」って
いきなり おっしゃったんですよ。

勘九郎ちゃんが?
はい。

その時から
僕が大きかったですから。

「僕 7歳です」って言ったら
「僕 8歳」って。

それが最初のひと言の…
言葉 交わしたんですけど。

負けず嫌い? フフフフ…。

で それから
「じゃあ 遊んでいきなよ」って。

その日 お正月の挨拶回り…

僕が人生で初めて
父に付いて挨拶回りに行くんで

お年玉 今年は いっぱい
たまるだろうなと思ったら

1軒目で
中村屋の家だったんですね。

そこのお家に
ずっといる事になっちゃって。

そうなんです。
「遊んでいきなよ」って言われて。

で 夜まで
ずっと一緒に遊んで頂いて。

でも 楽しかったですね。
そうですか。 よかったですよね。

それで あれですってね。
6年生の時には

勘三郎さんに誘われて
同じ中学にいらしたんですって?

はい。

小学校の時も
そうやって遊んでくださって

まだ 役者になるか ならないか
わかっていない頃ですから 私が。

で 「お前 中学受験

俺と同じとこ来いよ」って
おっしゃるんですよ。

小学校6年の夏
ぐらいなんですけど。

結構 大変な学校ですから。
ええ。

急に父に言って
家庭教師を付けてもらって

で 必死に勉強して
補欠で受かりました。

ハハハ…。
でも 受かったんですね。

ようございましたね。

猿翁さんが…
まあ 猿翁さんといっても

昔の猿之助さんですかね。

猿翁さんが恩師とか。
そうですね。

三代目の猿之助さんと父が

舞台を一緒にする事が
多くて。

私 とっても
ファンだったんですよ。

猿翁さんのね。
はい はい。

で 父が亡くなる半年前に
倒れた時に

猿翁さんの所…
猿之助さんの所で

勉強したいって言ったら
「わかった」って言って

電話して
くださったんですね。

病院から
電話してくれたんですけど。

そしたら
快く引き受けてくださいまして。

で その年の11月に
一門に入れて頂いて

役を抜擢して頂いて…。
梅田コマだったんですけど。

その千秋楽に
父が亡くなったんですよ。

あらー。

だから 父には
会えなかったんですが

千秋楽の次の日に帰って…。
あっ そうでしたか。

でも そのあと 猿之助さんが
電話もらって

「あんたの面倒 見るって
お父さんと約束したんだから

遺言だと思っているよ」って言って
面倒を見てくださって。

そうですか。
これはベネチアですね。

海外公演 その頃
よくいらっしゃって。

ベネチアの船で
ご一緒に写真撮って頂いて。

なるほど。

随分 色んな所…。
あの頃 歌舞伎俳優でね

外国 行く人なんてね…。
そうですね。

これ 『ヤマトタケル』ですね。
あっ そうですか。

あれ 大変なんですってね。

猿翁さん
おっしゃっていたけど。

そうですね。 これ 衣装が
本当に重たかったんで。

重くて。
僕 これで 背中 捻挫して

救急車で運ばれましたから。
本当に?

そんな事ってあるんですか?
そうなんです。

この顔で 一応 客席…

エレベーター 乗ったりするのに
隠さなきゃなんないから。

で 病院 着いて パッて外したら
看護師さんが 「キャー!」って。

そうですよね。
驚きますね これだとね。

へえー。
そうでしたね。

猿翁さんにおもらいになった
言葉があるんですって? なんか。

そうですね。 とにかく 一生懸命

頑張ってやるのは
当たり前だと。

夢中になっている自分を
冷静に見る目を持ちなさい。

世阿弥っていう方が書いた中に
「離見の見」という…。

離れて見る?
はい。

それを常に自分で持っていなさい。

冷静な目を持つ事っていうのを
教わりましたね。

なるほどね。 ええー。 「離見の見」。
はい。

うーん。 やっぱり 離れていても
客観的に自分を…

どんなに どんなに熱狂していても
それを見られるように

っていう事ですかね。
はい。

なかなか それ 難しい…。
難しいですね。

僕は すぐ興奮しいですから
ガーッてなっちゃうんで

その度に思い出すようには
していますけど。

「離見の見」。 そうですか。

今度 テレビ 拝見したら…。
フフフフ…。

「離見の見」と思って
拝見していましょう。

さて ここから ちょっと
プライベートのお話に…

伺わせて頂きたいんですけども。

息子さんと お嬢さんをお持ちの
4人家族なんで。

息子さんは女形でいらっしゃる。
はい。

注目株 女形の本当に…
坂東新悟さんとおっしゃる。

奇麗な女形で
本当に奇麗な…。

そうですね。
ねえ。

結構 スーッと
してくれているので。

本当に。

本当に 芝居が
好きなんですね 彼も。

あっ そうなんですか。
ええ。

そうですね。
すっきりしていらしてね。

で お嬢さんは結婚して
お子さんがいらっしゃるんで

そのお子さんと一緒に
会いにいらっしゃるのが

一番の癒やしなんですって?

孫が一番の癒やしです。
何歳?

孫は4歳です。
あっ そうですか。 4歳。

いや もう メロメロです。
フフフフ…。

本当に 僕の弱いとこ
知っていますから

甘え上手ですよね。

なんでも言う事を
聞いちゃいますね。

娘にも息子にも 小さい頃は
厳しかったもんですから

だから みんな 子供たちは

なんで あんな 僕たちに
厳しく言っていたのにっていう。

いいじゃないか
子供なんだからって

今は もう…。
でも 2時間ぐらい遊んでいると

遊んでいる時は いいけど
あとで大変ですね

くたびれて。
筋肉痛になっちゃいますね。

あっ そんなに?
はい。

僕の事 ジャングルジムだと
思っていますから。

乗るの?
もう 登ってきて 大変です。

あら 可愛い。 あっ そうですか。

でも 一番 可愛い時ですよね
4歳なんてね。

それで お料理をなさるので

孫は じいじのお料理
大好きって…。

元々 娘と息子も パスタは
お父さんのっていうのが

あったんですね。
どんな種類のパスタですか?

まあ 色々 作っていたんですけど

これは 最近 よく作る
きのこのクリームパスタって…。

うちの家内が
キノコが好きなもんですから。

あっ そうでいらっしゃる。
それで これは よく

リクエストがあるんで
作りますね。

ええー いいんだ。
見た目は あんまり

よくないんですけど。 これも
色みは変わんないんですけど

海苔なんですよ。
海苔。

焼き海苔を
生クリームで溶かすんですね

細かくしてから。
ええ。

それで
ゆずこしょうを入れました。

ええ。
ちょっと 辛いんですけど

癖になるんです。
おいしい?

これ おいしいです。
なるほどね。

簡単なのに おいしいんですよ。
ちょっと もう一回 作り方…

これの作り方…

クリームパスタは。
これ 生クリームに

焼き海苔を
細かく ちぎって入れて

火 入れると
溶けて混ざりますから。

それに ゆずこしょうを
ちょっと入れて。

入れて。
パスタ ゆでる時に

塩味 つけときますから…。

で あえたら もう それだけです。
あっ そうですか。

そういうのは ご自分で
考えていらっしゃるんですか?

食べに行くのが
好きなもんですから

そこのシェフとか
仲良くなって

一緒に酒飲んで
聞き出しちゃうんですね。

あっ そうか。 どうやって…。
難しいのは

「ああー」って聞き流すんですけど
できそうなやつは

一生懸命 覚えといて…。
海苔なんていうのは ちょっとね

できそうな感じですね。
そうですね。

でも それは
奥様は お喜びですか?

まあ 楽したい時は
「今日はパスタがいい」って

言いますね。
フフフフ…。 そうですか。

なんか 海外のある国に
すごく お気に入った国があって

そこにハマって 何度も
いらした国があるんですって?

僕ですか?
そうです そうです。

スイスです。
スイス? ほうー。

これも 猿翁さんの海外公演で
行ったのが最初なんですけど。

わあー すごい。
これ どこですか?

これ マッターホルン…。
あっ そうですよね 形がね。

これで 上までは行きませんが

根元に 登頂する人たちが泊まる
山小屋があるんですけど

そこまでは 3時間ぐらいかけて
歩いて上がる。

歩いて上がるんですか。 うわ。

これ ゴルナーグラート
っていう所ですね。

へえー。
もう 大好きで 毎年…。

ええー。

これ
ラウターブルンネンっていう…。

これはグリンデルワルトに
近い方なんですけど。

あっ そう。
この滝の高さが

100メーターぐらい
あるんですかね。

うわー すごい。
あそこの右の方にある。

すごい。

向こうに見えていますよね
白いのが。

そうですね。
こういう所

空気 いいですか? やっぱり。
最高です。

あっ やっぱりね。

星も… 見えますか? この星。
ほうー。

ですから
山の上のホテル 泊まると

寝不足になっちゃうんですね。
ずっと 外 見て…。

日の出は見たいし
夜の星は見たいし。

本当に 癒やされますね。
そうですか。

それは いいですよね。

普段 お忙しくていらっしゃるから
こういう所 いらしたら

きっとね…。
そうですね。

もう ただただ なんにも考えずに

前の日の残ったワインを
ペットボトルに入れて

途中でワイン飲みながら
歩いているんですが。

でも スイスに その…
なんていうんですかね。

ぞっこんっていうのは
どういうきっかけからですか?

それこそ 猿翁さんの
ヨーロッパ公演があって。

チューリッヒ公演が
あったんですけど。

5日間 お休みが
あったんです そのあと。

で みんなで
グリンデルワルトっていう所へ

行ったのが最初なんです。
あっ そうなんですか。

まあ 気持ちよかったですね。
ええー。

それまでは海派だったんですよ。
あっ そうですか。

潜ったりもしていたんですけど

山に魅せられて
山歩きするようになりましたね。

ふーん。 それから だんだんに?
そうですね。

毎年… コロナになって
3年間 行っていないですけど

それまでは毎年…。
かなり お歩きになるの? それで。

そうですね。
1日 どんな事をしても

5時間以上…。
うわー 大変。

歩くんですけど
筋肉痛になりますよね。

そうですよね。
最初の4日間ぐらいは。

そうですよね。
でも あとは 4日ぐらい過ぎると

大丈夫で。
慣れて。

体調 よくなるんですよ。
ほう。

体脂肪率も下がって…。
あっ そうですか。

でも 一度 いらっしゃると
何日くらい滞在なさる?

行くと 大体
最近は20日間ぐらいです。

そんなに長く?
はい。

それ すごいですね。

我々は 舞台 1カ月公演ですから

休みっていうと
1カ月なんですね。

お休みの時はね。
次の月のお稽古が始まるのは

20日過ぎからですから。
そうですね。

それまではあるので
20日間は使えるんです。

それは 相当いいですね。
20日間 いらしたらね。

奥様も お連れになる?
いや それが いくら言っても

付き合ってくれないんですよね。

最初の頃は 景色の写真を見せて。

向こうは 景色のいい所に
ベンチがあるんですよ。

ご年配のご夫婦とか
座っていらっしゃるんで…。

こういう…。
あっ こういう…。 いい。

これ ベンチの写真を
いつも撮って…。

しかも このベンチから 向こうが
見えるようになっているんですね。

いつか このベンチに
一緒に座ろうなって。

もう ベンチの写真 何百枚あって

どこだか
わかんなくなっているぐらいです。

ええ。
でも 全然効果ないですね

一緒に
行ってくれていないですから。

駄目なの? 残念。

そのうち ベンチの写真が

いっぱいストックが
できまして…。

そういう どこかで
ベンチの写真の展覧会…。

写真展が
できるかもしれないですね。

できるかもしれませんね。

でも 今 こんなふうですから
次は いつ頃 行けそうですかね?

そうですね。
やっぱり 向こうへ行くと

リフレッシュできるし
帰ってくると

しばらく機嫌がいいので
家内も文句言わないんですよ。

フフフフ…。
機嫌 悪くなってくると

「そろそろ スイス行ったら?」って
言いますから。

そう。 スイスが恋人。
来年は行きたいですね。

そうですね。 皆さんも そう思って
いらっしゃるでしょうね

山の好きな方はね。

話 変わるんですけど
七月の大歌舞伎は 大変な…。

『風の谷のナウシカ』をやる…。
そうですね。

どうなっちゃうんですかね?

前に 演舞場で一回
やっていらっしゃるんですけど。

あっ そうですか。
僕は その時は出てないんですが

今度 やらせて頂くので。

テレビでは
拝見したんですけれども

もう 随分 それも 前ですし

もう一回 ちょっと
勉強し直そうと…。

なんか ユパ役?
はい。 ユパって…。

立ち回り
結構 あるんじゃないかなと。

剣の達人の役ですから。

えらいご老人なんでしょ?
そうなんです。

もう 66ですけど

それで動けないって言われると
悔しいんで

なんとか 体力つけとこうと
思っていますけど。

なんでも
立ち回りは大変ですけど

歌舞伎の立ち回りも
本当に大変ですよね。

そうですね。
本当にやらないで

形だけのもあるけども
本当のもあるじゃありませんか。

ありますね。
ああいう時 やっぱり 大変…。

今度のは 多分 そういう… 少し
スピード感もあるんだと思うので

肉離れしないようにしようと
思っています。

そうですね。 それは大変。

そうですか。
スイスが大好きな彌十郎さん。

でも やっぱり 山もいいけど
歌舞伎がおやりになりたいでしょ。

そうですね。 歌舞伎は…。
この大河の撮影で

15カ月間
舞台を離れたものですから。

あっ そう…。
そんなのは 今まで なかったので

早く舞台は戻らないと
心配ですね 自分自身が。

でも 今度の夢は
まあ そういう事もあるけど

ヨーロッパが…。
はい。 そうですね。

猿翁さんに ヨーロッパ
いっぱい連れて行って頂いた

っていう事もあるんですけど

日本では オペラとかは
しょっちゅう公演するのに

歌舞伎の公演が海外で少ない…。
そうですね。

で 何年に一回しか行かないので
一回 行って ウケても

次 また ゼロから
やらなきゃならないみたいな。

そうですね。
もう 向こうで

年に 少なくとも一回はできる…
定着するような

歌舞伎の公演ができないかなって。

なんか 回り舞台なんかが
あったりしてね。

そうなんです。
そういう劇場が1つあれば

もっと頻繁に行けますし。

僕は その劇場が1つ…
生きている間に

歌舞伎の主要の劇場が

ヨーロッパに
1つできればいいなと。

で そこで 向こうのお芝居を
やってくれても面白いですし。

新しい演出で
ユーロ歌舞伎なんか できても

いいと思いますからね。
そうですよね。

まあ そういうふうに
できる事を祈って ねえ。

でも いつ そういうふうになるか
わかりませんからね 突然ね。

ぜひ 付き合ってもらいたいと
思っています。

ぜひ ご一緒にという

また ご報告 お待ちしております。
よろしくお願い致します。

本当に 今日は
ありがとうございました。

『徹子の部屋』は

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