SWITCHインタビュー 達人達「UA×中島岳志 EP2」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

SWITCHインタビュー 達人達「UA×中島岳志 EP2」[字]

個性的な歌声と芸術的な世界観で存在感を放ち続ける歌手・UAが会いたいと願ったのは、政治学者・中島岳志。同じ大阪出身で同世代のふたりが、ジャンルを超えて共鳴する。

番組内容
思想的には「リベラル保守」を自認し、ユニークな言葉選びでわかりやすく解説する中島。「永遠の微調整」も保守を説明するのに用いる言葉でUAの心に響き、歌詞にも取り入れられたほど。テレビが大好きで、家では意外にもバラエティ番組ばかり見るという中島だが、どのようにして政治に関心を持つようになったのか? 競争や格差で疲弊する今の世を救うのは「利他」の精神という、その真意とは? UAが中島の考えにせまる。
出演者
【出演】歌手…UA,政治学者…中島岳志,【語り】満島ひかり,岡田将生

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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  10. 日本
  11. 保守
  12. 利他
  13. インド
  14. 興味
  15. 世界
  16. 対談
  17. 大学
  18. 微調整
  19. HEY
  20. ジャンル

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

今年 デビュー28年目を迎え

6年ぶりに新作をリリースした…

1996年に発表された「情熱」が
空前の大ヒット。

音楽ファンのみならず お茶の間に
鮮烈な印象を与えた。

以降も 個性的な歌声と

芸術的な感性で
独特の存在感を放ち続けている。

自然や命を感じさせるような力強い楽曲が
特徴の一つだが…。

この春リリースした最新作は
現代的でポップな仕上がり。

ふと口ずさみたくなるような
キャッチーな楽曲で

ファンを驚かせている。

そんなUAが対談したいと望んだのは
意外にも…。

南アジアや近現代日本の政治思想を
専門とし

数多くの著書を発表している。

その立ち位置を

「リベラル保守」と
自認する。

伝統や慣習に
固執するのではなく

大切なものを守るために
変わるという思想だ。

一般的に言えば
この「保守 対 リベラル」っていうふうに

対立するというふうに 特に日本では
思われがちなんですけれども

むしろ…

独特な思想に加え

ユニークな言葉選びで
分かりやすい解説にも

定評がある中島。

KYみたいな圧力が
強くなってる社会を…

今 さまざまなジャンルから注目される
異色の政治学者だ。

実は UAも 中島の考えに
感銘を受けた一人。

最新作の歌詞に 中島の言葉を
取り入れている。

歌手と政治学者という異色の対談。

前回は 中島が
歌手生活28年目のUAの世界観に迫った。

そうなんです。 私は…

そういうのがあって
「ウー」と「ア」っていう不思議な…。

「ウー…」ですよね。
あと「ア~…!」って真反対の音。

それが…

でも…

そういったプロフィールには…

今回は いよいよ UAが中島を訪問。

歌詞に取り入れるほど共感する
中島の言葉。

その発想の源に迫る!

♬~

対談の舞台は
中島が教授を務める東京工業大学。

ふだんは ここで
政治学の授業を行っている。

ここですね。
(ノック)

≪は~い。

お邪魔いたします。
どうぞ。

ああ どうも こんにちは。
中島先生だ~。

うわ~…!

まずは 政治学者 中島の
ふだんの生活とは?

書籍を読ませていただいても
いろんな…

立川談志師匠だったり

時には お料理家の
土井善晴さんだったり

時には
「It’s automatic」…

宇多田ヒカルさんのヒット曲を
紹介されていたりとか

すごく こう 例えが
面白いといいますか

引っ張り出してくるところの箱が
広いと思うんですけれども。

忙しい中で 余白といいますか…

ええ~…! テレビ見てるのが
すっごい好きで。

よく「テレビ 好きです」って言うと…

なので 今でも
バラエティが大好きで。

僕 だから UAさんのことを
一番最初に知ったのは…

…って話を
「HEY!HEY!HEY!」で見たのが

一番最初だった気が…。
そうですね。 もう…

お笑いが お好きってことです?
お笑いばっかりです。

お笑いばっかり見てます。
なるほど。 そこは でも

分からないですけれど もしかしたら

私が惹かれた理由の
強い点なのかも分からないですね。

何か面白いんですよ 中島さんのお話。

別に笑わそうとしてらっしゃるわけでは
ないと思うんですけど…

…っていうのは思います。

その おっちゃんとか おばちゃんには
今も お会いすることあるんです?

実家に帰ると 時折…。

…って言うてくれます?

ハハハハ…!
すごい もう 大体 その…。

…って聞かれるんですよ。
そんな感じの。

飾らないトークが魅力の中島。

大学での研究や授業に加え

多くのメディアに
解説者として引っ張りだこだ。

特徴は その独特な言葉選び。

世相をユニークに表現し
聞く人に強い印象を残す。

KYみたいな圧力が
強くなってる社会を…

バラエティ番組で いわゆる ひな壇
っていうふうにいわれる芸人さんが

何段かに ずっと座って
それぞれの役割を果たし合ってる。

あそこは 非常に…

最初に 中島先生の存在を知ったのは
「中村屋のボース」のことで

お話をされてる番組を
拝見したんです。

ちょっと 歴史の話になったんですね。
それで…

「でも 自分としては 実は…」

「永遠の微調整」という その表現自体に
何か 驚いてしまって

ずっと 私も
メモに残したまま いたんですが。

で 今回 新作 作るにあたって…

ありがとうございます そんな…。

中島の言葉に感銘を受け

UAが 歌詞に取り入れたという
最新作は こちら。

歴史の話をされていたけれども
何事にもおいて

愛にもおいて
人類において 世界において

どんなジャンルでも 実は
その永遠の微調整をしているってことが

本当に的確な表現で。

いやあ びっくりしました。 僕は…

普通 こう くっつきにくいワード
っていうんですかね。

けども しかし 何か 僕は… 何だろう…
人間の過信っていうんですかね。

「永遠の微調整」とは 中島が
保守を説明するときに よく用いる言葉だ。

僕自身が…

…ので
困ってるなあと思ってるんですけど。

もともとは 革命家たち… 例えば
フランス革命とかが起きたときに

いや ちょっと待ってくれと。
そんなに…

それよりも… 何か 頭のいい人が
考えた設計図なんかよりも…

けれども 世の中は変わっていくので
ちょっとずつ 変えていくっていう。

大切なものを守るためには
やっぱり こう…

調整をしながら変えていくというのが
重要なんだっていう考え方が

保守という考え方だと思うんですが
僕 それを…

え~っとね
19歳のときかな …に知って

そっか…! と思ったんですよね。

自分を過信せず

他者の意見に耳を傾けながら

微調整を続ける態度を「保守」とする中島。

そこで登場するのは
死者の存在だ。

今だけでなく
過去の人々が重ねた失敗や経験を

大切にすべきだという。

保守の思想っていうのは
伝統とか慣習とか

長い間 みんなが重ねてきた
集合的な経験知とか

そんなものを大切にしながら

ちょっとずつ変えていきましょう
っていう思想なんだと思うんです。

やっぱり…

こういうことが
強く反映されているんですね。

私 父が早く亡くなってるんです。
生まれて すぐに

がんで亡くしているんですけども。
やっぱり うまく言えないけれども

すごく そういった見えない力に
保護されてきていた自分というのを

今頃 いろいろ
思い返せたりすることもあり…。

…言葉だとすると
やっぱり 今 私たちが

ここに こうしているのは やはり
ものすごい この歴史の中で…

非常に ロマンティックでしかないと
思えるんですけれども。

僕たちは 大切な人が亡くなると
すごい大きな喪失感を

味わうわけなんですが それは…

亡くなった人とも
やっぱり 僕たち 会話をしますし

お墓に行ったら
「どう?」っていうふうに言ったりとか。

あるいは 亡くなって初めて その人に
「ありがとう」って言えたりとか

「ごめんね」っていうことが
言えたりとかっていうことは 僕たち

墓前とか あるいは 仏壇の前で
いっぱい経験してきてると思うんですね。

それは…

…とか ちゃんとしないといけないな
っていうふうに思ったりする。

それは…

…っていうのと
つながっていたりする。

僕たちは その…

…っていう感覚を
忘れてるんじゃないかと思うんです。

1975年 大阪に生まれた中島。

なんと 子どものころから すでに
死者に対する関心が生まれていたという。

そもそもはですね 歴史に ずっと
興味のある子どもだったんですよ。

小学校2年生のときに
父親が

静岡の登呂遺跡っていう
弥生時代の遺跡に

連れて行ってくれたんですね。

別に 遺跡に何にも興味なかったんですよ。
あっ そうですか…!

けれども 何か 博物館の中で…

…っていうのがあったんですね。

何か こうやって動かすと
くるくる くるくる回って…。

それで 火がおきるっていうのを

学芸員の方が実演とかをしていて
やらせてもらえたんですね。

それでね 「どうしても これが欲しい」
って だだをこねたんですよね。

で ミュージアムショップだったと
思うんですれけども

模型みたいなのを売ってて
それをね 何か 買ってくれたんですよね。

「もっとええもん あるんちゃうか?」
とかって言われながらですね

これを買ってもらって家に持って帰って
ず~っと これをやってたんですよね。

この子 何やってるんやろう? と
たぶん 親は思ってたと思うんですけど。

延々と?
ず~っと こればっかりやっていて。

それがね たぶん…

…とか どんなことを
考えてたんだろう? っていうのに

たぶん 関心を持ったんですよ。
なるほど。

その後も 歴史が大好きな少年だったが

中学生のときに 初めて
政治を強く意識する出来事が起こった。

一回ね 政治に対して すごく
自分で引いてしまうことがあって

それは 冷戦の崩壊のときに 最後…

革命が成立をして

ルーマニアの独裁体制が
崩壊するんですが…

捕まって何が起きたかっていうと…

それが この独裁者が
もう死んだんだっていうことを

ちゃんと見せないといけないと たぶん
革命側は思ったんだと思うんですが

その…

1989年 冷戦の終盤

ルーマニア独裁政権の
チャウシェスク大統領は

革命派により
追い詰められる。

捕らえられ 銃殺された瞬間の映像は
当時 日本でも放送された。

いやあ… うんうん うんうん はい。
でね それはね

何か こう 亡くなった人を見た
っていうショックよりも

端的に言うとね…

ああ~…。 つまり 革命 いけ~!
みたいな感じで

「あんな…」

集団意識として
参加してしまったっていう…。

僕みたいなやつ… あるいは
そういうエネルギーみたいなのが

ちゃんと この人は
歴史の裁判にかけて

そのあと 死刑になるんだったら
一つの何かだと思うんですけれども

それもなく 銃殺されてしまった。

それに みんな
歓喜してるっていうのに

ちょっと…

…と思ったんですよ。

政治に距離を感じてしまった中島は

大学で外国語学部へ進学。

インドの言語や文化を学んでいた。

在学中に その後の人生を
大きく変える転機が訪れた。

どうだったでしょうか…
同じ大阪でいらっしゃるので。

それで 僕は 大阪の 比較的
神戸に近いエリアだったもんですから

すごく揺れて 家の中
ぐちゃぐちゃになっちゃったんですね。

幸い 家族は大丈夫だったんですが。

それがあったのと もう一つ
この阪神・淡路から2か月後に…

1995年 当時の日本は

バブルの崩壊に続き 震災によって

経済成長のシンボルが次々と倒れ

戦後の神話が崩れ去った。

地下鉄サリン事件では

宗教団体の無差別テロという
未曽有の事態に

日本中が混乱に陥った。

常識が崩れていく中 中島は

これからの指針となる思想が
日本にあるのか 考え始める。

この年に
僕 ちょうど二十歳だったときに…

…が ざっと浮上してきたんですよね。
なるほど。

こういう2つのものに
自分は どう対応していいのか

どう考えていいのか
分かんないと思ったときに

初めて関心を持ったんですね。

人間の…

これを どういうふうに

私自身が考えたらいいのか
っていうのに興味を持ったときに

ちょうど インドが…

…っていう現象が
起きてきたんですね。

でね これに興味を持ったんです。

それで 行きたくまでなって…。

中島は
宗教対立が激化するインドで

フィールドワークを始める。

現地の人と じかに触れ合いながら

愛国心や宗教の問題に向き合った。

インド研究をもとに書いた
ノンフィクション

「中村屋のボース」。

日本に亡命したインドの革命家の
苦悩を記した作品で

高い評価を受ける。

その後も 中島は
宗教や政治についての著書を多数発表。

政治学者としての地位を確立していった。

インド研究から
一貫して中島が考えてきたこと。

それは 異なる思想を持つ人々が

どう折り合いをつけて
ともに生きていくか。

その答えを 大学で学生に
政治を教えることになった中島は

実際に試してみることにした。

政治学者として思うのは…

…を考えたほうがいいと
思ってるんです。

僕 30代は まるまる
北海道に住んでたんですね。

商店街に…
シャッター通りになった商店街に

学生と 商店街の人たちと一緒に
カフェをつくったことがあるんですね。

で 何を考えたのかっていうと

何か…

人が集まると
いろんな会話が起きて…

…っていうことが
何か 起きてきたんですね。

ですから 民主主義とか あるいは

国を大きく変える…
もちろん 大切なんですけども

僕たちは もっと 日常のところから
集まって 人と対話をし

そして 異なる人の意見っていうものを
尊重しながら合意形成をしていく。

40代で
住まいをカナダの島に移したUA。

以来 自然に囲まれた暮らしを送っている。

島での生活を経て
この春リリースした新作は

近年の 祈りを感じさせる世界から
一転

ポップな曲が並び
音楽ファンを驚かせた。

その心境の変化を
前回の対談で こう語っていた。

カナダに行って ようやく

いろんな 自分の理想の形っていうのが
形づいてきたところで。

本当 何か…

人の感情とか…

やはり…

そのときに やっぱり あとは 本当…

もう いいか! っていうね…

いやあ それは 何か
分かる気がします。

僕も…

そうじゃなくって…
「思いがけず利他」っていう本

書いたんですけれども
やっと この世界の…

それまで もう
ネガばっかり書いていたんですけど

それは 何か…

…部分があるのかなというふうに
僕も 最近 思うようになりました。

中島が去年出版した
「思いがけず利他」。

UAと同じく 自身の利己的な欲求を
なくしたときに見えてきた世界を

書いたという。

自分のことよりも他人の幸福を願う
「利他」。

そこに 競争や格差が広がる世の中を

救うヒントがあるのではないか。

でも 実際は 何かと難しい。

中島は 大学で

「利他プロジェクト」を立ち上げて

研究している。

利他って 結構 やるのは難しくて。

私が 例えば
UAさんのためにと思って

「これ 食べてください」っていうふうに
何かを差し上げたとして

それが UAさんにとって 食べると

体に変調が起きるような
食べ物だったりすると

「困ったな…」ってなるわけですよね。

「どんどん食べてくださいよ ぜひ!
おいしいですから」って言えば言うほど

僕の言葉は
暴力的になっていくというのがあって。

つまり…

いろいろ こう 何ていうんですかね…

そんな中島が 最も影響を受けたのは

意外にも 昔ながらの家庭料理の考え方。

おいしいものを作ろうということは
和食では考えないんですよ。

独りよがりにならず

素材の良さを信じて 力を抜いてみること。

ここに
利他的になるためのカギがあるという。

ああ そういうことかと思ったのは

何か じゃあ 人から受け取ろう
って思うんじゃなくて…

…っていうことに気付かないと
いけないと思ったんですね。

それは何かっていうと 例えば

先ほど 僕 サンドイッチ
頂きましたけど その中には

野菜が入ってて それは もう
大地の恵みなわけですよね。

あるいは 土とか
僕たちを超えたものによって

僕たちは…

与えられていることに気付き
力まずに 身を委ねてみること。

異なるジャンルの2人は
偶然にも 同じ境地に至っている。

最後に 中島は 自身のありたい姿を
得意の例え話で こう話した。

利他っていうのを考えるときに 僕は…

…と思ったんですね。

そして…

僕ね すっごい好きな番組が…

「カンカンカンカン カンカンカンカン」…。 はい。

ええ はい。
で 何でかっていうと

時折ですね ご高齢の方で

全然 イントロと違うとこで
歌い始めちゃったりとかする人

いるじゃないですか。
緊張のあまり。
うわ~! って歌って。

けども
あのバックミュージシャンの人たちは

そこ イントロじゃないよっていう演奏
しないですよね。

もう 歌い始めたら
それに合わせていくんですよね。

何か こう
ピッチがずれてたりとかすると

それに合わせてあげるんですよ。

そうすると サビの辺りで
すっごい その方 のってきて

で 会場も
すっごいあったまってですね

うわ~! って すごい
笑顔に みんななって

「カンカンカン」とかしか
鳴らないんですけど

けども 何かね
歌って すごいなと思うのは…

それは あのバックミュージシャンが
うまく この人の

個性というか在り方に沿うことによって
発揮された何かなんだと思うんです。

なので 僕…

その人の中から
おのずから出てくるものというものを

どう拾っていくことができるのか
そういうのができたらなあというふうに。

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