徹子の部屋 阿川佐和子[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 阿川佐和子[字]

~両親の遺品整理で見つけた宝物!結婚5年の夫とは!?~阿川佐和子さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
阿川佐和子さんがゲスト。今日は阿川節炸裂のトークをお楽しみに!
◇番組内容
9年続いた両親の介護が2年前に終わった阿川さん。それから始まった実家の片づけは1年以上かかったという。思い出の品を見つけると手が止まり…今日は実家で見つけた懐かしい宝物を紹介する。大好きだった母に認知症の症状が現れたのは2011年、その翌年には作家の父・弘之さんが誤嚥性肺炎で入院、両親の介護が始まった。兄弟や知人、夫の助けで乗り切った介護生活は…笑いと涙!?また、夫のある口癖…原因は亡き父だった!?
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  19. 手伝
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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(黒柳)今日のお客様の
小さい頃のお写真です。

それから60年以上が過ぎ

現在 68歳におなりになりました。

阿川佐和子さんです。
どうぞ こちらへおいでください。

どうも。 しばらくでございました。
ご無沙汰しております。

ありがとうございます。 68歳です。

68歳 失礼いたしました。
いえいえ…。

68歳です。 フフフフ…!
もうすぐ 69だけど。

もうじき 69?
そうですよ。

あっという間ですね。
あっという間ですか?

もう 80過ぎるのも
あっという間ですよ。

そうですか。
ところで

9年続いた介護生活
2年前に終わって…

それは ご両親のですね。

それで 5年前にご結婚なすった
ご主人との幸せの日々を

また伺わせていただきたいと
思っております。

ええー!
フフフ…! 何?

本当ですか?
そうよ。

先に ご両親の事
伺っちゃおうかな?

まあ 父が亡くなったのが
2015年なので もう7年経って

この間 母の三回忌を。
そうですってね。

もう 両親とも
いなくなっちゃって

しばし経ちました。

でも お父様 亡くなったの
94歳。

お母様 亡くなったの 92歳。

もう1人ね

母が亡くなって まもなく

広島に住んでる…

そこに子どもがいなかったから
私を孫のように可愛がってくれた

おばがいるんですけれども。

おばの亭主は
父の 年の離れた兄だったから

血は
つながってないんですけれども

一番近い親戚だった そのおばが
112歳で。

112歳?
そう。

それで 最期まで管をつけず
自分の口から…。

もう 認知症だったから 意識は…

あんまり交流できなかった
状態だったんですけれども

最期まで結構元気で。

コロナだったんで

ちょっと… 火葬場に 全員は
行けなかったんですけれども

火葬場の人が
おっしゃってくださった言葉が…。

運ばれてきたら そしたら

「112歳とは思えない骨でした」って
言われて…。

すごいね。
やっぱり みんな

やっぱり骨だ! 大事なのは骨だ!
っていう話になってました。

まあ とにかく
9年間続いた介護生活

ひとまず これで終了。

一応ね。 フフフ…!

それから始まった実家の片付け。
これが大変。

いや まあ 基本的には
ちょっと 相続の関係で

4人 きょうだいのいる
一番下の 一番若い弟が

全面的にやってくれたんで

私は そんなに大変じゃなかった。

時々 「自分の荷物ぐらい

自分で片付けてくれ」なんて
言われると

何カ月かに1回行って
やってたんですけれども

私が行くと
「本当に役に立たない」と

弟に言われて…。

弟は とにかく 捨てる事を…

未練を残したり 情を移したら
もう捨てられなくなるから。

父の事で言えば

本とか書類とか資料とか
山のようにあるし…。

そうね。
それだけじゃなく 母の方も

やっぱり 着物とか

あとは 昔の子どもたちの
なんか 思い出の品とか。

そういうのが とってもね…。

よだれかけなんか
あったんですって?

あったんですよ。
これが いろいろありまして。

私の小さい頃の洋服… あっ これ。

これ なんか 右の
オレンジと緑の洋服は 母が…

アメリカの型紙っていうの
あって

サイズによって 年齢ごとに
だんだん大きくなっていくから

同じパターンなんですけれども。
なるほど。

もう 私
何十枚 持ってたかしら?

冬場は もうちょっと
厚手の布で作ってくれると

ジャンパースカートみたいにして
着てたんだけれども

これを愛用して着てたのが
出てきて。

あとは 一番左の
あの変な帽子みたいなのは

父と母が 私が2歳の時に

アメリカ行った帰りに
ヨーロッパ回って

スイスで お土産に買ってきた

なんていうんですかね…
チロル帽みたいな こんなのとか。

それをまねして さっき言った
112歳で亡くなった おばが

グレーの帽子を
作ってくれたりしてね。

こんなの全部 取ってて。

まだ いっぱい
あったんですけれども。

これはね… これが
今回 実家を片付けた時に

いっぱい母の着物が出てきて。

これは大島なんですが
この たとう紙のところの外に

「さわこ 生れた時 買った」って。
すごい。

「くろ 大島 さわこ 生れた時」って
書いてある。

黒大島。

この黒大島は 私も
見覚えがあったんですけれども

私が生まれた時に買ったのかと
思ったら

ちょっと
捨てられなくなっちゃって

持ち帰りました。
それはそうですよね。

でも お母様が
お嫁にいらした時に

お父様がおっしゃった

「洋服は似合わない。
ずっと着物を着てろ」って…。

お父様 すごいわね。

どうして そう思ったのか
わかんないけれども

母も… だって 結婚前
洋服 着てたと思うんですよ。

だけど 「お前は着物だけ着ろ」って
言われて…。

でも キレイね お母様ね。
この頃ね。

だから 普段も
家の中で 着物 着て

割烹着を着けて

台所仕事もしてましたから。

だから 私も子どもの頃は

母の洋服姿は
ほとんど見た事なかったですね。

なので 100枚ぐらい
あったんですって? お着物。

100枚は
ないかもしれないけれども

ぞろぞろ ぞろぞろ 出てきて。
そうですってね。

半分
捨てようかと思ったんだけど

見るたんびに あら 懐かしい。
もったいない。

あら 素敵って思って。

だから ちょっと
自分でも着てみようかと思って。

あら お召しになればいいのに。

でも 自分で 着物を ちゃんと
着付けられないもんだから

とりあえず 自分で着て
慣れていこうかと思って。

いいじゃない。 あなた
よくお似合いじゃない。

これが うまく
着られてないんですよ

いろいろあって。
後ろ見ると

中心線は ずれてるし

お太鼓の上は
平らになってないし。

まあね。
帯は難しいもんですよね。

まあ なるたけ

前だけ見せれるようにして
横歩きして。

前だけ見せるようにして…。

横歩きしてればね 大丈夫。

なんとか 回数
重ねていこうかと思って。

今度は ちゃんと 自分で着付けて
ここにお邪魔しようかと。

あっ お母様のお着物だわと
思いますので。

でも ご両親の介護生活の
始まりというものは…

2011年に お母様が認知症に
おなりになったんですって?

ちょっと物忘れ…
普通じゃないなって感じたのが

確か 2011年だったような気が
するんですけどね。

例えば どういうような?

例えば 冷蔵庫に同じものが
いくつも入ってたりとか。

それから 銀行に行って
帰ってきた…

お金を これは
なくしちゃいけないと思って

しまうんだけれども

それをどこにしまったかが
わかんなくなって。

もう 一家大捜索になって。
フフ…!

そういう事が
ちょっと繰り返されてきて

あっ これは ちょっと 日常生活に
支障を来したなと思い始めて。

父は その頃 足が
ちょっと弱ってはいたけれども

頭は しっかりしてたし。

ちょっと物忘れが進んだ母と
父が

2人で生活してたんだけど
まもなく 今度は

父が転んで
誤嚥性肺炎を起こしたり

頭 ちょっと
切ったりしたもんだから

これは2人で
生活はさせられないなと思って。

私… 娘は きょうだいの中で
1人だったんで

これは娘の出番かと
一瞬 思ったんですけれども

父と母と同居して

仕事を半分辞めてと
思ったけれども

これをやって 私が犠牲になって

頑張ってるんだっていう
気持ちを持ったら

だんだん だんだん
こっちが こう…

キンキン カンカン
壊れてくるだろうと思ったんで

いや それは 自分を追い詰めちゃ
いけないなと思って。

それで 父を… その誤嚥性肺炎で
緊急入院した所から

今度 高齢者病院に移して。

父は帰る気満々だったから

「なんで こんな所にいるんだ!」
みたいな感じだったんだけど。

そこの病院が
食べ物が すごくおいしかった…。

おいしいの?
お酒も飲める。

ええー! すごい。
それから

外食も
元気だったらオーケーだし

うちへ帰る事も自由だし
っていうので。

最後の最後は 父が…

すごくおいしい
病院食なんだけれども

やっぱり 飽きるから。
で 冷たいっていう事に

文句を言い出したんで
そうかと思って…。

温かいものを食べさせるには
どうしようと思って。

その病院… 病室に

すき焼き鍋を持ち込んで
電磁調理器を持ち込んで

そこで ジャー! って
すき焼きを始めたら

えらく気に入りまして。
フフフ…。

もう 私が行く度に 看護師さんに

「あっ 今日も すき焼きですか?」
って言われるんです。

「申し訳ありません」。
もう 他の部屋にも

すき焼きのにおい
満々になっちゃって。

で ご迷惑になって
怒られるかと思ったら

もう みんな
「大丈夫 大丈夫」って。

「お父様が
待ってらっしゃるんだから」

って言って。
いい病院ね。

いい病院でしょ。
で すき焼きを作って

日本酒を
電子レンジでチンして。

亡くなる前の日まで

「おい ステーキが食いたいな」
とか言って。

ええー! と思って。
そうか ステーキか…。

「鯛の刺し身も食いたいな」
とか言うから。

もう 最期に近かったんで
必死になって

真夏に お刺し身 買って
持っていったりして。

で その時に

そうだ トウモロコシの天ぷらが
好きだったと思って。

いいかげんに 粉付けて 揚げて。

もちろん 冷めちゃったんだけども
病院に持っていって

「トウモロコシの天ぷらも
作ってきたけど

食べますか?」って言ったら
「うん」って言うんで

「じゃあ」って言って
こう 口に運んだんですよ。

そしたら もう 入れ歯なんか
こんなんなってね…。

で しばらく こうやって
咀嚼してたんですけど。

そのうちに ベッ! って
こう 口から出し始めたから

ティッシュで 「あっ もう
いらないって事?」って言って

こうやってやったら… そしたら

「えっ いらないの?」って言ったら
「まずい」って。 ハハハハ…!

あなたが作った…。
娘が作った…。

それが最期の言葉でした。

娘に残した最期の言葉。
「まずい」って。

「まずい」って言って終わった。
そうか。

でも 最初の頃は
仕事を全部断って 減らして

一緒に住んで
介護もしようなんて

お思いになったりも
したんですって?

ちょっとだけね
思ったんですけれども

やっぱり それは もう

両方のために
良くないだろうと思って。

で それで
たまたまなんですけれども

うちの近所… 実家の近所に

昔々 うちで
住み込みのお手伝いさんっていう

花嫁修業的な感じで来てくれてた
お姉さんが…。

そのお姉さんが
おばあさんになってて。

70半ばぐらいなんですけれども。

あっ この写真の一番左の…。

まみちゃん?
まみちゃんって。

で この頃 高校生だから
定時制の高校に通いながら

うちで 母に料理を…
手伝ってくれたり

育児を手伝ってくれたりしてた
お姉さんがいて。

もう 結婚して お孫さんもできて
手が だいぶ楽になったから

「なんかあったら
お手伝いに行きますよ」って

言ってくださってた矢先に

父が転び
母がこんな事になったから

私が まみちゃんに 「すみません。
手伝っていただけますか?」

って言って お願いして
結局 まみちゃんが

父が亡くなるまでの
3年半から4年にかけて

母の事も
もう ずーっと親身になって…。

ああ そう。
平日はね 泊まってくれて。

で 週末は きょうだいで
シフトで いろいろやって…

病院連れて行ったりとか。

あなたが
ご結婚なすったんでしたよね?

確かね。
その間 ご主人は どうしてたの?

うちの旦那は 割に優しい人で

母と… 結構 ケアしてくれて
私のうちに連れてきて

私が ごはん作ってる間なんかも
相手してくれて。

ああ そう。
うん。 そしたら

「あなたは どちらご出身?」
なんて言って。

そしたら うちの旦那が
「あっ 大分です」って言ったら

「あら 大分?
大分って どんなとこ?

行った事ないわ」って言って。
「大分は寒い所です」とか言って。

そしたら 2分後に

「あなたは どちらご出身?」って
また言って。

「大分です」「大分は どんなとこ?」
「暖かい所です」…。

「さっきと言ってる事
違うじゃないか」って言ったら

「うん 時々 変えた方が
飽きなくて済む」とか言って。

面白い方ね。 ああ 本当。

…って 手伝ってくれましたから。

だけども そのあと…
そのあとに まもなく

私が きょうだいに
結婚の報告をするために

食事会をするので
母も連れていくっていうので。

その時は 弟が連れて

「今日は 姉さんの
結婚の報告会だから」

って言ったら そしたら
それまで 随分会ってるのに

「えっ!」とか言って。

「佐和子が結婚するの?」って…。

母が 5分ごとに

「えっ! 佐和子が結婚するの?」
って…。

「佐和子が結婚…」。 フフフ…。

それだけはビックリしたらしくて。
フフ… 相当おかしいわね でも。

母も でも おかしくて

だんだん 記憶が こう
あいまいになっていく時に

私の事を忘れられたら
困ると思うもんだから 会う度に

「はい これは誰でしょう?」って
テストしますでしょ。

そうすると 「うん?」って言って

一瞬 名前
出てこないらしいんですよ。

そうすると 「うーん…
お鼻ちゃん」とか言うの。

なんか こうやってるから。
お鼻ちゃん…。

「違う 違う。 これは鼻だけど…
名前!」って言ったら

「ハナコさん」とか言ったりしてね
ごまかしてたの。

そのうちに だんだん
なんか 子ども返りをするので

私の事を 自分のお姉さんだと
思い始めたり

お母さんだと思い始めたりする。

そのうちに 「はい
これは誰ですか?」って聞くと

「私のおばあさん」って言うのね。
だからね

えっ! そこまでいっちゃった?
とか思って。

「おばあさんは ひどくない?」
って言ったらね

ジーッと私の事を見て
「だって シワシワじゃない?」。

でも お母様が亡くなった時は
どんなでした?

あの… 父が亡くなった時は

私 間に合わなかったんですよ…。
あっ そうなの。

臨終にね。
で 父の方が 結構 怖かったから

それでも やっぱり
いなくなっちゃうのかなと思って

涙が流れたんですけれども。

この分だと…
母の方が大好きだったから

母が亡くなった時には
相当 泣くだろうなって

覚悟を決めてたんですけれども

母も 同じ病院に 結局入って

最期をみとる事になった…。

コロナの最中では
あったんですけれども

もう 最期だからっていって
病院側が許してくださって

弟と私だけ
ベッドのそばで… いて

どうなるかなと思って
見守ってて

夕方の4時から…
5 6 7 8 9 10 11だから

7時間ぐらい 母のそばにいて。

で だんだん だんだん
こう 血圧が下がっていって

脈拍も減っていって。 で 最期に

あっ 亡くなっちゃったかな?
って思うと

もういっぺん
ハア… って息を吸ったりして

「あっ また生き返った」
なんていって…。

で それを何回か繰り返して
「臨終です」っていう風に

看護師さんと お医者様に
報告された時は

不思議に 弟と私 2人とも
涙が流れなかったんですね。

「これは どういう事かね?」って
弟と話したんですけども

やっぱり だんだん だんだん
死んでいくっていう事を

ゆっくり見送るっていうのは
こういう事かなと思って。

あっ こうやって
あっちに逝くんだなっていう事を

時間をかけて 自分の中でも
整理したっていう事は

あったのかなっていう気はします。
うん。

だから 見送りって
大事なんだなと思って。

うん。 でも お父様の死は

ジワジワくるって
言われたんだけども

7年経ったけども 一向に
ジワジワこないんですって?

これは 何人かの…

大石静さんにも
言われたんですけれども

大石さんも
そんなに お父様の事が

大好きではなかったと。
いろいろとあって。

亡くなられた直後も そんなに
悲しみは襲ってこなかったと。

ところが 何カ月か…
1年ぐらい経って

電車かなんかに乗ってた時に

突然 湧き起こるように
お父様の事を思って

号泣なさったんですって。

それで 「ジワジワくるのよ

父親の死ってものは」って
言われて。

「あなたも
今は そんなに悲しくないと

思ってるかもしれないけど
いつか ドカンとくる時がある」と。

ああ そんなもんかと思って
待ってるんですけど

全然こない。
フフフフ…! そうなの?

だって いまだに 時々
夢には出てくるんですよ 父。

ああ そう。
大抵 機嫌が悪いんですよ。

それで 「どうして
ちゃんと時間を守らない!」とか

「あれを持ってこなかったのは
どういう事だ!」って言って

私が バタバタ バタバタ…
走っていって

なんか 朝 くたくたになって
起きるっていう。

ハハハハ…! 夢の中でも?

全然 ジワジワこないんですけど。

フフフフ…。 そう。

でも 阿川さんのご主人は

お父様には
ご紹介していらした…?

いいえ それはね…。

結局 父は
もう とうに入院してたんで

なんとなく言いそびれて

それで…。
そう。

ええ。 まだ
結婚はしてなかったんですね。

だけれども たまたま

週刊誌に載っちゃったんです
2人で歩いているシーンが。

どうも阿川には男がいる
みたいな感じで載っちゃった。

でも 父 入院してるから

報告しなくてもいいかと
思っていたら

誰かが報告したんですね
入院中の父に。

突然 電話がかかってきて
いつものように

「チーズ持ってこい」とか
「ワイン持ってこい」とか

言うのかなと思って
「もしもし」って言ったら

「今日は別の話がしたい」って
言われたので

「はい?」って言ったら…
そしたら

「なんか 付き合っている人が
いるらしいが」って言われたんで

ギョッ! きた! と思って。

それで いや あの… まず
「独身です 独身!」とか言ってね。

相手がね。

それで
「ちょっと 一度 連れていって

お父さんに あいさつしようとは
思ってたんだけど」とかって

オタオタと言ったら
そしたら 父が

「来る必要はない」

「会う気はない」。

もう その頃 父は
入院中に お見舞いの人たちも…

随分 親しい方が 「お父様の
お見舞いに行きたい」って

おっしゃってくださっても
全部 拒否して

人に会いたくないっていう状況に
なってて。

まあ 面倒だからね。
面倒くさい。

疲れるっていうのもあった。

ましてや 娘が付き合っている
男なんかに会ったら

くたくたになるだろうと
自分で思ったらしくて

「連れてくるな」って言われたから
「あっ はい」って言ったら

「それで お前は幸せなのか?」って
言われたんです。

「えっ? あっ…
まあ 幸せです」って言ったら

「お前が幸せなら
それでいい」って言って

ガチャンって電話を切られて。
あっ そう…!

それは ちょっとね

ありがたい言葉だった
っていうか…。

うん。 その時 ご主人は
すごくユーモアのある方で

その話のあとで おうちで…。

どうして
そんな事 ご存じなんですか?

なんかに書いてありましたよ
それ。

そう。 それで 父が
そんな事を言ったっていう事を

私は感動的に思ってるのに
あの…。

「今日 ごはん 何にする?」なんて
私が言って

「モヤシしかないんだけど」
っていう風に言ったりすると

「お前が幸せなら
それでいい」って

いちいち言う…。
ご主人がね。

「今日 冷凍ごはんでいい?」って
言ったら

「お前が幸せなら それでいい」って
いちいち それを使って。

そう。 でも 面白い方じゃない。
ねえ。

まあ 静かで 父のような
ワンマンではないけれど

なんとなく おかしい言葉で
私の… 仕返しをしますね。

フフフフ…。 そう。

高校時代の友人と 今も
あなた 仲良しでいらっしゃって。

50過ぎてからかな…。

それぞれに
人生が分かれちゃった友達…

昔 仲良かった 中学 高校の友達が
一堂に会して集まったら…。

そしたら もう 亭主にも そんなに
気ぃ使わなくてよくなって

子どもも もう 独立して
主婦をやっていると…。

こっちも仕事も だいぶ慣れてきた
っていう感じになってるのが

再会したら 「お互い
全然違う人生を歩んできたけど

互いに よくやったわね」とか
言ってね

理解し合うっていう年頃に
なったなと 今は思います。

フフフフ…。 そうね。
そういう事もあるかもしれない。

そういう女友達の話を
私から言うのもなんですが

今回 小説にして…。
あっ そうなの?

まとめたんですけどね。

『ブータン』っていう。
なんていうの? 『ブータン』?

『ブータン』って…。
これを読んだ人が

ブータンの国のお話かと…。
そうよね。 幸せな国っていうから。

「ブータン人
1人も出てこないじゃない」

って言われたから
いや そうじゃなくて

「ブータン」っていう
あだ名を付けられた

ちょっと小太りの
丹野さんっていう女の子が

「ブタ丹野」って言われてるうちに

「ブータン」って みんなに
呼ばれるようになったっていう

その子を中心とした
連作なんですけれども。

だけど 確かに 昔は 女同士で

随分 残酷なあだ名付けてたなと
思って。

先生なんか 付けてたわよ…。
先生に付けましたね。

どんな先生が
いらっしゃいました?

言えない…。 フフフフ…!
ハハハハ…!

でも そういう感じでしたよね。
はい。

さて 介護が終わって

ご主人との生活に
なんか 変化はありましたか?

変化… まあ コロナになったんで
ずっと うちにいる生活だし

この… こちら様も
仕事がリタイアしたんで。

ああ そうなの?
一日中 うちにいるっていう…。

一日中 顔を突き合わせる
っていう生活になったら

3食作らなきゃいけない。

それは大変ね。
ですよね。

割に なんか きちんきちんと
おなかがすく人なんですよ。

朝8時頃に起きて ごはん食べて

9時ぐらいに片付けが終わって

私が書斎に入って
原稿の仕事とかしてると

なんか 12時ぐらいになると
ぬっと顔を現して

なんだ? って思うと

「昼ごはん どうするの?」
って言う…。

それで 「さっき
食べたばっかりじゃない!」とか

私が怒ると 「わかった わかった。
自分で作る」とか言って。

だけども そうすると
しばらくすると

「今日は…」って言って

私が 仕事 何時に帰ってくるか
っていう事を聞くんですよね。

それは 何よりも 晩飯は
どうなるかっていう事だと思う。

だから 夫婦関係って
食事をどうするかっていう

確認の会話ぐらいしか
なくなるんだなと思って…。

そう?
フフフ…!

それも また…。

「今日は何?」とか
「今日は何買っとく?」とかね

買い物は
行ってくれるんですけどね。

フフフフ…。 もうちょっと
話あるでしょ なんか。

文化的なね 人生についてね。
そうそう そうそう…。

ないな。
フフフフ…!

でも まあね
お父様の事 お母様の事ね

本当に大変でしたね。
いいえ。 ありがとうございます。

『徹子の部屋』は

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