徹子の部屋 毒蝮三太夫[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 毒蝮三太夫[解][字]

~9歳で…空襲の猛火を母と生き延び~毒蝮三太夫さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
「ジジイ」「ババア」の毒舌がなぜか愛される「中高年のアイドル」毒蝮三太夫さんがゲスト。黒柳さんとは古くからの友人であるが、今回は初めて戦争体験を語る。
◇番組内容
毒蝮さんは終戦当時9歳。年の離れた兄2人は出征していた。日本軍の施設で働いていた父は、「戦争で家族全滅したら1人残ってかわいそうだ」と毒蝮さんを集団疎開させなかったため、空襲が激しくなっていた東京にいることになったという。当時住んでいた品川に大空襲があったのは5月。炎の中逃げるが、あまりの熱気に「もうだめだ」と諦めた時、母が持っていたある物によって難を逃れることができたと語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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キーワード出現数ベスト20

  1. 兄貴
  2. 戦争
  3. 空襲
  4. 戸越
  5. 疎開
  6. 強制疎開
  7. 焼夷弾
  8. 大変
  9. 徹子
  10. 当時
  11. 本当
  12. お兄さん
  13. 荏原中延
  14. 革靴
  15. 洗足池
  16. バラバラ
  17. 元気
  18. 日本
  19. 兵隊
  20. 防空壕

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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(黒柳)うれしそうなお兄さんに

抱かれているお坊ちゃんが

今日のお客様です。

毒蝮三太夫さん。

随分 お坊ちゃんだったんですね。
ハハハハ…!

じじい ばばあっていう毒舌が
なぜか愛される

中高年のアイドルです。

私とは
古くからのお友達なんですけど

今日は ちょっと 初めての
戦争体験を伺わせていただきます。

よろしくお願いします。
はい はい。

まあ 全国元気じじい代表連盟から
来ました。

ハハハハ…!
元気ばばあというかね。

ばばあ… そうね。
本当に いつまでも お元気で。

おかげさまで なんとか。
うれしい… はい。

今年は 太平洋戦争が終わって
77年という年でございます。

蝮さんが 戦争体験を
お話しになるようになったのは

この10年ですってね。
そうですね。

やっぱりね あの…

まあ もう
年も八十半ば過ぎましたけどね。

結構 戦争の事をお話しする

先輩の芸能人やね 元気な人が
たくさんいらしたでしょ。

前はね。
それが だんだんと少なくなって。

そうするとね
「あれ? 俺 しゃべらないと…

あれ? 他に しゃべっていく人が
少なくなったな」

というような気がしたのが
7~8年前ですね。

それから 至る所で

「空襲 経験してるんですね」

「お兄さん
兵隊 行ってるんですね」とか

「東京で大変だった」。
いろんな事を言われるように…。

あっ これは 言っていかなきゃ
いけないっていうんで

事あるごとに 講演会とか

それから 大学の講義やなんかでも
言うようにしたのが

10年ぐらい前ですね。
そうですか。

でも 今 ウクライナの
あの映像を見たりすると

いろんな事を思い出すって。

それは あれですよ…。

今 変な話

テレビで戦争が映る時代ですよね。
そうです。

あれ? これ
テレビゲームじゃないんだ。

本当に人が撃たれて 倒れて

死んでいってるんだっていう…
それが映ってる。

子どもが泣いて わめいて
逃げてるというのが…。

あれ? これ 今の写真だ。
そうだ。

戦争… この前の戦争。

私たちが… 空襲やなんかが来た
あの戦争の時は

大体 いくつぐらいだったんですか
あなたは。

えっとね 9つです。
昭和11年生まれだから。

だから
戦争が始まったっていう…

昭和16年12月

「戦争体制に入れり」っていうのを
ラジオで聴いたのも

なんとなく覚えてます。
そうですか。

その時は だから ええー…
5歳ぐらいだったんでしょうね。

その時 覚えてますよ 中延にいて。

これ… これは まあね…。
随分 あなた

いいとこの坊ちゃん…。
ハハハハ…!

「いいとこの坊ちゃん」
って…。

生まれた所は 意外に…

育ってる所は
似てるんだけどね

徹子さんと…。
あっ 荏原中延!

わかります?
懐かしい!

私 洗足池
っていう方だからね

ここら辺の所 挟んで…。

通ったでしょ? 電車でね。
うん!

荏原中延 旗ヶ岡…
今 旗の台に…。

長原 それから洗足池ですよ。
洗足池。

そこは よく遊んだとこ?
そう 私のいた所。

大岡山の方にお住まいだったの?

北千束っていうとこです。
北千束か!

洗足と北千束の間です。
そうそう!

古い家が
たくさんありましたね。

そうです。 昔の家が
いっぱいありましたね。

ねっ。 ああ そうですか。

だから 荏原中延とは
えらい違いなんですよ。

そうなの? あなたは どうなの?
荏原中延…。

同潤会のアパートにいたんですよ。

有名な?
「有名な」って言うけどね…。

徹子さんが知ってるのは
原宿にある…。

そうそう そうそう。
そうでしょ?

コンクリートで

当時 関東大震災のあと
できた住宅で

中庭があって

水洗トイレが付いてた。
そうなんですか。

そのぐらいオシャレな
住宅なんです。 同潤会…。

でも 我々の…
荏原中延にできたやつは

木造で長屋なんです。
へえー! そうなの?

だから 大変だったんです。
ああ そう。

そこで 戦争を迎えたり
終戦を迎えたりしたんですよ。

でも あの辺 建物疎開というので
お家が壊されちゃって

なんか 大変だったんですってね。

よく知ってますね 建物疎開。

俺たちはね 強制疎開って…。
強制疎開です。 そう。

そうでしょ?
そう 強制疎開。

一応 強制疎開っていう言葉が
変わって

今 建物疎開って
いうようになっちゃった。

強制疎開はね 要するに…
同潤会のアパートで

何棟も… 今 マンションに
なってるんですけどね。

何棟もあるけれども

火よけの地帯を
作らなきゃならないんですよ。

江戸時代と同じです。

要するに 木と紙の住宅だから

焼夷弾でやられたら
みんな燃えちゃうから そこを…。

間引きするの?
そうそう! 間引き。

それで その間引きの所に
うちが当たっちゃったんですよ。

あら!
それで 兵隊さんが来て

ロープで引っ張って
家 壊しちゃったの。

あら!

家がね 壊されるっていうの

こんな悲しい事ないですよ。
そうでしょうね。

それで 「よいしょ よいしょ」…
引っ張ってるうちに ダダダ…!

だから コンクリートじゃないから
そのぐらい やわなんですよ。

それで ドーンと壊されて

「ああ 行くとこないな」
っつったら

おやじが 「戸越の方で
空き家があるから」って…。

空き家が
当時 たくさんあったんですよ。

人がいなくなって…。
みんな疎開して 空き家…。

で 引っ越して。

それまでにも
空襲があったんですよ。

空襲があってね それで…。

おふくろは 日蓮宗の
熱心な信者だったんですよ。

だから よく 「空襲に遭ったら
洗足池に逃げろ」っつった。

ねえ そうですってね。
ええ。

私は
洗足池の すぐ近くでしたから。

それで あの…

まあ 空襲が何回かありまして

強制疎開で戸越へ越しました。

その時に
3月10日の大空襲を見たんです。

そこで?
うん。 それで その時にも…。

下町が焼けた時ね。

大変でしたよ。
そうだったね…。

徹子さん 疎開ですか?

私は疎開しましたけど
下町の方が大変だった

東京大空襲の次の日に
疎開したんです。

えっ! じゃあ あれは…。
見ました 私 空を。

真っ赤だったでしょ?
真っ赤でした 空が。

そう…。
それはね 戸越で見たんですよ。

同じ時に見てたんだわ。
見てたんだ。

じゃあ
北千束と戸越から見てたんだ。

真っ赤になってたでしょ?
そう 空がね。

風がビュービュー吹いてきて。
それで 本がね…

ランドセルからね
本 出して見たらね

夜なのに 本が読めたの
あんまり 空が明るくて。

ああ… 燃えてる明かりで?
燃えてるから 明かりで。

B-29が たくさん飛んでるのを
見たでしょ?

その時はね もう 見ません…。
いたんでしょう。

わかんなかった
もう なんか 大変で。

3時間の空襲で… 3月10日は
10万人 亡くなってるんですよ。

あの時はね 下町の方でね。

人口が多いからね。

あっ すごい!
こんなだったのかしら。

うわー…。
これですよ。

怖いね。

あっ これ 爆弾! これは 爆弾…。

焼夷弾です。
焼夷弾。

(ナレーション)「日本の主要都市を
灰にしていく」

「国民は その威力を目の前にし

アメリカの底知れぬ力を
ひしひしと感じた」

これは 結局
油をね 下に投下して…。

だから 水でも消えないんですよ
油だから。

なるほどね。
これで…

3月10日で
10万人 亡くなったでしょ。

それで ああ これで
空襲はなくなるかなと思ったら

5月24日に
今度は 戸越の 俺が越した…

そば屋に越したんですよ。
その2階で

夜中… 23日の夜中ですね
空襲警報が鳴って。

そしたら
バラバラ バラバラ…。

その時… あとで聞いたら

3月10日の空襲よりも 爆撃機…
B-29の数が多いんです。

あら 怖い。
徹子さん その時

もう疎開してらしたから。
私は もう疎開してました。

それで フッと見たら
B-29が 空が見えないくらい。

うわっ いっぱい?
ブーン…。

で バラバラ バラバラ
落ちてくるんですよ。

で 消してたわけ。

俺は なぜかっていったら
学童疎開に行かなかったんですよ。

なんで 行かなかったんですかね?

っていうのは これはね
おやじが…

前の連れ子の2人の兄貴が
中国に戦争に行ってるんで

「死なばもろともで
お前は残れ」っつって。

俺は 学童疎開に行く連中を…。
1人になっちゃうから。

うん! そうそう そうそう!

親が死んだらね
戦災孤児になっちゃうんだから

死なばもろともだって
残っちゃったんですよ。

だから 戸越にいても

子どもたちはいないんですよ。

子どもは みんなね
疎開したりなんかして…。

それで 残ってるのは

小さい子どもか
女性か おじいさんですよ。

うん。
ねっ。

で うちのおやじは 戸越から

恵比寿の
海軍技術研究所っていう所に

大工の仕事で行ってたんで
いないんですよ。

「お前たち…」。 言ったのは

「お前たち 空襲が
ひどくなったら逃げろ」って

言い残して行ったんです。

逃げちゃいけないんですよ。
決して…

最後まで消えるのを見届けて
逃げろっていうのが

国の方針なんですよ。
すごいわね でもね。

バババッて
焼夷弾が落っこってきて

焼夷弾の直撃で

火だるまになってる人も
いるんですよ。

見たの?
ええ。

それで 消したって消したって
消えませんよ。

それで おふくろが
「お前 逃げよう」。

近所の人も
「もう 逃げた方がいいですよ」。

「逃げましょう」。
で おふくろが…

このおふくろが
すごかったですね。

あのね ものすごい
風と火ですよ。

それで こう…。
すごい。

9つですしね
引っ張られてるんだけど。

「こんなに目がね 痛いんだったら
俺 死んだ方がいいよ」って…。

目が痛いんですよ。
そしたらね おふくろがね

「バカ! 死ぬために
逃げてるんじゃないよ」

「生きるために
逃げてるんだからね

頑張って逃げなきゃダメだよ」って
怒るんですよ。

それで
「お前 これをしな」っつったのは

水中眼鏡ですよ。
それがすごいと思ったのね 私。

水中眼鏡っていったって
今みたいに

いいやつじゃないんですよ。
セルロイドのね… ゴムで。

そしたら
おふくろが持ってたんですよ。

それをしなっつって
それを持ったら

すっかり
目が楽になったんですよ。

何時になったんですかね
だんだん静かになって。

そしたら 周りで

「空襲 終わりましたよ」
って言う人が

何人かいたんですよ。

そして おふくろ…
「ああ 終わったわね」

「じゃあ そば屋のとこに
帰ってみましょう」。

行ったんですよ。
死体がゴロゴロ ゴロゴロして。

そんなとこ 通ったの?

ブスブス ブスブス
道路が焼けてるんですよ。

それで 自分の家が焼けて
ないから

目印がないんですよ。
そうだわね。

銭湯の電信柱が目印なんですよ。

「ああ… どこら辺かな?
この辺かな?」。

歩いて こっちだろうと思って
歩いていくうちに

防空壕があったんですよ。

防空壕…
まだ ブスブスいってる。

防空壕 ふたしてあるから
ふた開けたら

4人ぐらいが
下からのぞいてるんですよ。

にらみつけてるんですよ。

「空襲 終わりましたよ」って
声かけたら

なんにも言わないんですよ。
目 ぱっちり開いてるんですよ。

全員 窒息死なんですよ。

うわー… そう。

我々は
防空壕に入らないで逃げて

結果的に助かったわけですね。

で 傷ひとつない。

ああ… こんな事が
起こるのかなと思って

自分ちの方を歩いて。

足が だんだん…
下が焼けてるから…。

熱い?
うん。

履いてるゴムの靴が
焼けちゃうんですよ。

あれ? と思ったら
靴が落っこってる。

革靴なんですよ。

当時 革靴は貴重…。
なかった。 本当にね 貴重。

ズックの靴だって貴重ですよ。

大抵 草履か げたですよ。
そう。 げた。

俺の靴が
ちょっと焦げちゃってるし

フッと… 革靴が落っこってる。
「革靴だ!」。

ちょうど 俺ぐらいの年の子が
履いてた革靴で。

「あっ!」。

もう1つ あったんですよ。

「あっ!」。
フッと見たら 重いんですよ。

「あれ?」。

足首が入ってるんですよ。

ああ… そう。

不思議だなと思ったんですけど
その足首が

鋭い刃物で切ったように
血ひとつ出てないんですよ。

それをね あとで
戦争の詳しい人に聞いたら

焼夷弾が不発かなんかで
地面にたたきつけられた時に

爆弾と同じように
猛烈な破裂をするんですって。

すると
強烈な爆風が飛んだ時には

人間が裂かれちゃうぐらい
威力がある事がある。

きっと そういう事で
その子は飛ばされたんでしょう。

その時は
あんまり考えなかったな。

その足首を抜いて 取って
履いたんですよ。

おふくろ それ見てましたよ。

叱るかなと思ったんですよ。

そしたら 黙って見てましたね。

あとから聞いたら

「結局 作った職人さんも

生きてる人に履いてもらったら
本望じゃないの?」と。

「そう思ったら
いいんじゃないと思った」って

言ってましたね。

「生きるんだから 靴が」。
そうね。

だから その靴履いて…。

ちょうど サイズが合ってたの?
合ったんですよ。

だから 今… その子
もちろん 亡くなってますよね。

だから 俺は…。
履いてた子はね。

そう…。

何カ月か履けましたよ
いい靴なんだから。

だから まあ
人のものを盗んだような形だけど

そんな… 悪いとかなんとか
考えませんよ。

まあね 履くものないんだからね。
ないんだからね。

でも 履いてあげる方が
その子も喜んでくれるかなって

今になって思うけどね。
そうね。

だけど
おふくろは黙ってましたよ。

でも お兄様2人は
どうなったんですか?

戦争に行ったお兄様。
兄貴2人ね

無事に帰ってきたんですよ!

ああ そう!
うん 無事に。

あら よかった…。
2人とも。

うん! ああ よかったね。

これ 2番目の兄貴です。

次兄です。

日光へ…。 戦争中だと思うんです。

一番上の兄貴は
もう 兵隊 行ってたんですね。

で 俺は…。

小さいのは あなたね?
ええ。

6つか7つじゃないですか?

だから
兄貴と すごく 年が違うから

随分 可愛がられましたよ。
なるほどね。

それで 昭和22年頃に

俺が 台所で
顔かなんか洗ってたんですよ。

そしたら
台所のブリキの隙間の所に…。

「おい! いよ坊!
俺だよ。 いよ坊!」。

伊吉だから
いよ坊っつったんですよ。

長兄が ざんばらで
戦闘帽かぶって

背嚢を背負って 軍靴履いて

そこの窓口… 小さいとこから
俺を呼んで。

「あっ!
あんちゃん 帰ってきた!」。

うれしかった!
うれしかったでしょ。

よくわかりましたね
お兄さんも そこがね。

それがね 品川で空襲に遭って

その通知が…

佐世保かなんかに上陸した時に
来たんですって。

あっ そうなの。
それで

確か 龍泉寺という…
台東区に越してると。 ねっ。

だから そこへ行きなさい。

訪ね 訪ねてきて 俺を…。
見付けたの?

うれしかった。
うれしかったでしょうね。

でもね 兄貴はね
マラリアで苦しみましたね。

突然 震えだすんですよ 寝てて。
ガクガクッ…!

キニーネという特効薬が…。
そうそう 昔はね。

ないんですよ それが。

だから それが あの…
手に入るまでね

兄貴は苦労してましたよ。

それで 兄貴は あの…
1人目は帰ってきてくれて。

もう1人のお兄さんは?
これが…。

あの… さっき
日光に行ってた写真の兄貴ですね。

でね 兄貴2人はね
絵がうまいんですよ。

うん。
絵を描いてるんですね よく。

中延にいた時から 2人とも。

兵隊… 侍の絵とかね

女優さん 当時の…

水戸光子とかね 三浦光子とかね
原節子なんていう人のね…。

絵を描いてた?
うん。 そういう絵が上手だった。

これ そうですか?

あっ これは 一番上の兄貴…。
上のお兄さんの絵?

絵です。
うまいわね。

なんだかね わかんないけど。
ペンで描いてるんですよ。

へえー!
こういう絵をね

当時の… 小松崎茂さんとか
山川惣治さんとか

そういう人の絵を見ながら
描いたんじゃないですか。

あら うまい。 ふーん…!

よく だけど その戦争の中
この絵が残りましたよね。

そう。 それがね 兄貴が
残しておいてくれたんですね。

それで あの…

兄貴… 2番目の兄貴は あのね…

リンドバーグ ご存じでしょ?
うん。

あれは郵便飛行なんですよ。

軍隊の飛行機じゃないんですよ。
郵便飛行。

英雄ですよね アメリカのね。
まあね うん。

それで 兄貴が
「飛行士になりたい」。

逓信局に勤めてたから

郵便飛行士になりたいと思って
飛行士の試験を受けたんです。

受かったら
仙台の航空機の操縦のとこへ

月謝 タダで入れた。
うん。

そして 訓練してる時に

それが陸軍に転用されて

特攻隊になっちゃった。
あら… うん。

特攻隊で どうしたんですか?
それで。

特攻隊で訓練して… 中国で。

それで あと1年… 半年
戦争が続いてたら

知覧から飛んでたんですよ。

ああ そう。
それで 生き残ったんですよ。

それで 中国で終戦。

それで 一番上の兄貴が
すぐ帰ってきたの 1年目で。

だけど 兄貴は貨車に乗せられて
ずーっと移動ですよ。

2番目のね お兄さん。
うん そうそう。

それで 大きな海が見えたんで

あっ 日本に帰れるぞと
思ったんです。

そしたら どんどん どんどん
どんどん 山奥 入っていっちゃう。

だから ソビエトのレニンスク
っていうとこで降ろされて。

要するに その海が
バイカル湖だった。

うわー! そう。
それが なんていうの…

東シナ海かなんかの
日本海… 海に見えたの。

だから 乗ってる連中は みんな
帰れるぞ! と…。

そうそうそう。
で 抑留生活が4年ですよ。

ソ連でね。
4年か5年。

この時に 200人ぐらいの仲間は
7割ぐらい死んじゃった。

みんな パン1つで。

栄養失調とか。
そう。

あの… 食料不足… 栄養失調ね。

それで 働いて 働いて。

だけど 兄貴は

「結構 俺は 黒パンを
2個もらったりなんかした」と。

「どうしてだ?」っつったら

絵が描けたから

トルーマンをやっつけろとか

アイゼンハワーをやっつけるとか

マッカーサーをやっつけるとか

そういう絵を
描かされたんですって。

スターリンに続けとか
レーニンに続けって

そういう絵も描かされて

それで 結構

パンを2つもらったりなんかして。
ああ そう。

それで
よかったって言うんですよ。

よかったですよね でもね
助かってね。

だから そういう…
なんていうんですか

特技があると ロシアっていうか
ソビエトでしょ 当時は。

大事にしてくれるんですね。
そうでしょうね きっとね。

うちの父は
バイオリン弾けたんでね

ソビエトから
バイオリン渡されて

「日本の収容所を回って

みんなを慰めろ」って
言われて。

あっ お父さん?
そう うちの父は。

それで 遅く帰ってきましたけど
とにかく生きて帰ってきました。

あっ そうですか。
そうです。

本当に 小学校低学年の時に

そういう戦争のひどい目に
遭った事もあるんだけど

最近 写経を
していらっしゃるんですって?

フフフ…! いや あの…

コロナになったでしょ?
ねえ 2020年。

もう 3年目になりますよね。
それで…。

あっ これ そうですか?
あっ これです。

石井さんっていうんだもんね
あなたね。

そうそう そうそう…。

仕事が全部ね 中止になったり…
空いてるので

1日2時間ぐらい。

やっぱり 気持ちがね
集中しないと

うまく書けませんね。
そうですよね うん。

写経っつっても

全部 手本を脇に置いておいて
書いてるから ほとんど…。

覚えてる?
覚えて書いてるんですよ。

このコロナでね
お家に暇な人があったら

写経をオススメしたいですね。
そうですか。

そんな お金もかからないし。
そうそう。 ただ 墨でね…。

そうそう。
筆で書く…。

人に迷惑かけないんだから。

でも まあ あれですよね。

自分たちで 戦争を絶対に…
知ってる人はね

二度と戦争を起こさないように
しなきゃって。

徹子さんみたいな年頃の人も
そう思って

しゃべりたいけど
いつ しゃべれなくなるか

わからないじゃないですか
我々は。

だから 本当は
こういう機会を与えてくれたら

どんどん
しゃべりたいんですけどね

しゃべりたくても
しゃべりたくないっていう人も

たくさんいるんですよね。
まあね そうですよね。

だけど 戦争っていうのは

77年間 なかったわけでしょ?
日本は。

だから ないと思ってたんだよ。

そしたら あるじゃないですか。
そうよね 本当。

起きるじゃないですか。
でも 簡単に終わりませんよね。

ねっ。 だから
そんな事で 俺たちは…

元気なうちは
言い続ける事が大事だなと。

それで お伺いしたんです。

そうですね。
よかったです お話 伺えてね。

でも 平和だから 俳優の仕事も
できるんであってね。

そうそう。 だから コロナが

早く収まってほしいですね。
そうですよね。

早く 人を許し合う
平和な世界にしたいんです。

『徹子の部屋』は

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