こころの時代~宗教・人生~「かわいい民藝(げい) 救いの美」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

こころの時代~宗教・人生~「かわいい民藝(げい) 救いの美」[字]

名もなき作り手たちの“かわいい”民藝に宿る平和な心。富山の民藝運動に受け継がれた人々が語る他力の思想。いのちをゆだねることで生まれる“救われた”美の世界とは。

詳細情報
番組内容
素朴な沖縄の湯呑みにアフガニスタンの謎の生き物が描かれた大皿など、1000以上の世界各地の民藝品が並ぶ、富山県南砺市の大福寺。名もない作り手たちの手仕事から生まれた民藝品を手に語るのは住職の太田浩史さん「民藝はかわいくて平和。作った人も物も救われている」と話す。南砺の地に根付く民藝運動の“他力”の心や、美しい風景に抱かれて今も健やかな美を生み出す作家との交流から、かわいい民藝の奥深い世界を伝える。
出演者
【出演】大福寺住職…太田浩史,【語り】永作博美

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
福祉 – 社会福祉

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  11. 大変
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  13. お寺
  14. 言葉
  15. 作品
  16. 取材者
  17. 宗悦
  18. 人間
  19. 生活
  20. 曹長

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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♬~

これは 陣がさ。

♬~

♬~

♬~

(トンビの鳴き声)

富山県南西部 南砺市に
そのユニークなお寺はあります。

目を引くのは
入り口にある大きな山門です。

普通 お寺の
山門というのは

いろんな装飾が
ついてるんですよ。

彫刻があったり。

でも これは一切
何もないですね。

その分 中のキャパシティーが
大きいんですよ。

どうぞ お入り下さい。

築150年のこの門は
農家から譲り受けたもの。

そこには 数々の民藝品が
並んでいます。

民藝とは 名もない作り手たちが

ふだんの生活に使う道具として
作り出したもの。

陶器や織物 宗教の儀式で使う祭具
農作業に使う道具など

世界各地から集めた民藝品は
1, 000点以上にものぼります。

この部屋は…

これが何かというとね
ミツバチが ここ通るんですよ。

この向こうが巣になってて 蓋なの。

それで いっぱい重ねてあって
一種のアパートになってるわけよ。

どれもね 同じように
鳥の絵が描いてあるんだけれども

一つ一つは 人間の手が入ってるから
微妙に違うの。

蜂はね その微妙な違いを
ちゃんと覚えてて

間違いなく ここに戻ってくる。

これ 哺乳類なのか昆虫なのか
よく分からない。

どうでもいいの。 フフフフッ。

今 イランとかアフガンっていったら
すごく殺伐とした感じがあるけど

大の男が こういう絵を描くの。

こういうもの見てるとね
これを描いたやつは信頼できると思う。

顔にね 個性がないの。

みんな なんか同じ顔してるの。

大事なのは 心の在り方というかね。

だから みんな丸い線で覆われて
角張ったとこは どこにもない。

穏やかだね。

だからやっぱり そういう穏やかなものに
憧れてきたんよね 人類は。

僕は このかわいいというものの
大本の心というのは

もうちょっと根源的なもんだと思う。

この北陸にはね
富山弁と言ってもいいかな。

…っていう言葉があるのよ。

で 「あ~ら かわいや」っていうのはね

ちょうど… 子どもが
つらい目に遭ってるときに

母親がね できたら代わってあげたい
というような気持ちのときが

「あ~ら かわいや」と。

迷う幸せってあるんですよ。

民藝品は使われてこそ生きる。

太田さんは 日々の生活の中で
使っています。

ドンドンドンドンドン。

そしたら こういう模様ができるの。

だんだん この しっとり感が
増してくるんですよ。

やっぱり こういう焼き物は

使えば使うほど 力が出てくるの。

この焼き物が持ってる命がね
だんだん強くなってくる。

私たちが使って育てていくんですよ。

(取材者)育てていく?
うん 育てていくの。

(取材者)これ あえて蓋を替えてる…?

(奈々代)蓋がなかったんです。
見つからなかったの。

あるはずなんだけど。
(奈々代)ちょっとあるもので。

エッグベーカー?
うん。

(奈々代)おしょうゆ 入れました?
うん。

こうすると おいしそうやけどね。
(奈々代)うん。

うん。
(奈々代)どうです?

いいんじゃない?
(奈々代)そう?

(取材者)なんか壊しちゃうかもっていう
緊張とかってないんですか?

(笑い声)

ちょっと昨日は派手にやりましたけど。
フフフフッ。

…の おばあちゃん。

食事中に 親しくしている門徒の方が
亡くなったという電話が入りました。

それから…

浄土真宗のお寺に生まれた太田さんは

10代の頃から 先代住職の父と共に
法事にも立ち会いました。

しかし 当初は
寺を継ぐことに抵抗がありました。

太田さんは 1955年

大福寺の長男として生まれました。

父親の利雄さんは
そんな太田さんを叱りもせず

ありのまま受け止める人でした。

ある日 届け物を理由にして

利雄さんは 自分が
親しくしていた人のもとに行くよう

太田さんにすすめます。

それは この地に民藝運動を根づく
きっかけをつくった僧侶でした。

吉田龍象という人のところに
行ったんですよ。

何をやっても面白くないときは
どうしたらいいんですかって。

そしたら いきなりあの人がね
僕の上へ飛び乗ってね

むちゃな話やけど首絞めるの。

そのときに
ふすま ちらっと目に入ったんですよ。

そのふすまに なんと
四体の観音様が描いてあるの。

いやあ それがね なんとも自由でね。

輝いてるよね。 美しいし。

もう ほれぼれとしたんですね。

そこに書かれていたのは…

…という言葉。

人の身の上に降りかかる
乗り越え難い不条理な出来事。

しかし その中にこそ 救いの道がある。

観音の絵と文字を
書いたのは

版画家の棟方志功でした。

棟方は 戦時中に
南砺の寺に疎開して

仏教の思想の深さを知ります。

以来 人生の転機となったこの地で
数々の作品を彫ってゆきました。

棟方志功は生まれつき目が不自由だった。

お医者さんから
もうすぐ失明するなんて言われて。

これは
あなたが持って生まれた運命だから

これは どうしようもねえんだ
ちゅうわけだね。

それはもう絵描きさんにとっては
とても耐え難いことなんで。

そのときに 宿業というものと

向き合わざるをえなかったんだろうと
思うんですよね。

宿業以外に
お前の居場所はないじゃないかと。

それ以外に あなたという存在は
ないじゃないかという

そういう呼びかけですよね。

そしたら これまで ずっと その
失明の運命なんていうようなことに

強いね わだかまりみたいなものを
持っておられた棟方先生が

そこで 感動して叫んで
転げ回ったっちゅう。

やった~ やった~ これだってね。
これだ これだって。

父 利雄さんもまた 棟方と親しく交わり

仏教の教えに通じる民藝の心を
大切にした僧侶でした。

太田さんは 父に連れられて
棟方に出会います。

その出会いは 太田さんにとって
仏教の道へと進む後押しとなりました。

棟方志功さんはね
ものすごい度の強い眼鏡で

こうやって 私をこうやって見てね

「ああ~ しょうなの」っていうわけだね。

「あんたが太田しゃんの息子しゃんなの」。

左の手を がばっと取ってね
「しょれは よかったね」っていうの。

おやじの息子として生まれたことが
「しょれは よかったね」ちゅうて

何と比較してよかったとか
そういうことじゃないんですよ。

まさに宿業なのよ。

私のそういうオリジナルそのものを
押さえて よかったというわけだ。

よかったということは
尊いってことだよね。 うん。

だから あれで 本当に自分はなんかね
自由になれた感じがするんですよ。

「不二」とは何か。

太田さんは 大福寺の山門を
「不二門」と名付けています。

だから
そういう迷いが起こる以前の状態ですね。

だから そこへ帰ればいいわけだね。

門に掲げられた この「不二門」の文字は

父の利雄さんが亡くなる直前に
書いたものでした。

利雄さんは 物事を単純に二つに分けて
区別するのではない

「不二」の生き方を歩もうとした人でした。

その原点は戦争体験にあります。

陸軍士官学校の航空科で学んでいた
利雄さんは

特攻隊として
次々と友人が出撃していく中で

生と死という二つのはざまで揺れ
苦しみました。

もう当時 不治の病ですからね。

もう それ 不思議なことに その
死ぬことばっかり考えてた人間が

今度は死ぬことが恐ろしくなるのね。

そんな恐れと苦しみの中で
利雄さんを救ったのは

「民藝」との出会いでした。

民藝とは 思想家であった柳 宗悦が
生み出した言葉です。

柳 宗悦は
生活のためにつくる実用品の中に

本当の美しさを見いだす「民藝運動」を
この南砺に伝え 根づかせた一人です。

利雄さんは そうした活動が広がる中で
いつの時代も変わることなく

人々に脈々と受け継がれてきた民藝の力に
ひかれていきました。

そういう意味でのね
ブレないということが

やっぱり信頼感とか安心感に
つながりますよね。

そういうものから
いつの間にか解放されてた。

だから父親にとっては
民藝の道というものの出会いというのは

救済だったんでしょうね。

太田さんは民藝に教えられてきたことを

学生時代から続けている弓道の中にも
見いだしてきました。

寺の境内の真ん中につくった弓道場。

そこで 妻の奈々代さんと仲間と共に
今でも週に一度 弓を引きます。

自らに言い聞かせているのは

テクニックや力に頼って
矢を放たないこと。

(笑い声)

(女性)なんでですか?

だから…

全くこんなもの 何の変哲もない。

だから美しいものが宿るとしか
言いようがない。

こっちから追いかけると逃げる。

お前みたいな傲慢なやつには
捕まらないぞっていって逃げる。

やっぱり ちょっとでも作為を出したり

そうすると その美というものは
すっと消えてしまうんですよ。

しかし そこに自分の心の持ちよう
というんですかね。

そういうものが 態度が決まると

今度は その美というものは
喜んで宿ってくれるわけです。

喜べば 集まる。

南砺で民藝運動が育まれた背景には
この地に根づいた仏教の思想があります。

南砺は 室町時代に

蓮如の布教活動によって
浄土真宗が盛んになった地域です。

浄土真宗が説くのが 仏のはたらきに
一切をゆだねて生きる「他力」の教え。

民藝運動を進めていた柳 宗悦は

この他力の思想こそが 民藝の美を
生みだしているものだと考えました。

柳は 南砺の寺で
代表作「美の法門」を書き上げます。

そこで…

これを土徳というわけですわ。

だから この 自分たちは
そんなこと意識しなくても

やることなすことが
その土徳によって力を与えられ

かつ また支えられているわけです。

だから そこの 作られる手仕事も
やはり土徳を帯びてる。

そういうものの上で
その人の個性が現れてるわけですよ。

土徳とは その土地の風土が持つ
目に見えない力。

柳 宗悦が名付けた言葉です。

その土徳の力に ひかれるようにして

今でも南砺にやって来る人たちがいます。

太田さんは そうした人たちとも交流し
民藝の味わいを伝えてきました。

この日 訪ねたのは 25年前に
韓国からやって来た 金 京徳さんの工房。

太田さんが手に携えてくるのは

世界各地の
名もなき作り手たちの民藝品です。

(金)ああ 面白いですね。

土器です。

あぁ ありがとうございます。
ほんとに よかった。

金さんは 太田さんが持ち込む民藝品を
ヒントにして

さまざまな作品づくりに挑戦しています。

中には こっちから
こういう角度つけたやつもあるね。

ありますよ。
もう さまざま いろんなことが。

ありがとうございます。

太田住職は いつもこう 例えばこう…

韓国人だから 韓国のものを作ったほうが
いいとか そういうことなく

それはそれとして もっと自由に
私が自由に

私が自由に飛ぼうとするときに
もっと自由に飛ばせるような

金さん こんなこともあるよ
こんなこともあるよ

これをしたらどうだ ああしたらどうだ
いろんなことが

私が素直に 素直に受け入れるような

そういった言い方であり
いろんなことが

いや ほんとに… ありがとうございます。
(笑い声)

金さんもまた 若い頃 陶芸家として
自らが進む道に悩んでいました。

若くして韓国の陶芸界で
頭角を現した金さんは

自分が作りたいものではなく

売れる作品を求める周囲に
抵抗を感じていました。

ここ。 ここも…。

ゼ イ タ クだ。

ゼ イ タ クだ。

これ コミンっていうのは悩み。

「悩みも贅沢だ」って書いてある。

子どもたちの落書きも
そのまま残ってる。

いつもこんな感じですよ。
こんな感じ。

戸を開けて パアーッ 見て ここで。

仕事の在り方に悩んでいた頃
訪ねたのが

妻となる真由美さんの実家
富山の南砺でした。

8年間
ずっと探してたような気がしますよ。

富山に来て自分が好きな場所。
ず~っと。

金さんは この南砺で
陶芸家として再出発しようと決意します。

これ たんぽぽ見たりとか。
たんぽぽとか。

こうやって見たりしたら
なんか かわいいんですけど

よく見ると これもすごいんですよ。
この一つ一つが…。

(息を吹きかける音)

今 ちょうど飛ぶときなんですけど

なんか うま~いことできてるもんですよ
やっぱ。

なんか うま~いことできてる 本当に。

この なんかこう…
ほらほら ちゃんと飛べるように

そんな仕組みになっている これが。
で それが

とても美しくない?

作ろうとして作るんではなく
一生懸命 生きる姿。

生きる姿が この美しさになる。

別に誰かに見せることもなく
誰かに喜ばせる…

何のあれもなく ただ生きる。
ひたすら生きる。

その生きる姿が美しくなる。

とっても柔らかいものが
どうやって こんな固い地面を

広げていくんだろうって考えると

いや その力は一体何だろうって。

金さん 生きることって
こういうことですよって

それが伝わる。

私も その花のような作品を作りたい。

それを陶芸に
どっかに表現できないかなって。

だから 自然が私の先生であり
勉強の場でありますよ。

もう そのまんまやもん。 うん。

そのまま。

太田さんは 土徳とは 閉じられた
その土地だけのものではなく

外から来る人たちによって更に育まれ
開かれていくものだと考えています。

そういう人たちが入ることによって

沖縄の特色が失われるかと思いきや
逆に深まっていくんだね。

その人たちは
沖縄らしいものを作るよりも

むしろ自分らしいものを
作ってると思うんですよ。

その自分らしいものを
素直に作っていくところに

土徳が働いて
その土地らしいものになっていく。

そこの土地に敬意を払って

そして その敬意の中で
自分たちの持ってる文化も

また そこの土地に貢献するように
もってってですね。

そして お互いが敬意で結ばれて
支え合っていくことになれば

それはね 新たな もっと
より力強い土徳が生まれるはずです。

♬~

親戚づきあいで
こっちのほうに来ることがあって

来るたんびに 「ああ 何ていいとこやな」
っていうのは 毎回感じてて

あ ここで農業したいな
っていう気持ちになって…

なかなか割り切れないものって
ありますよね。

(取材者)自分の自宅に こんなにたくさん
人が しょっちゅう集まるって

大変じゃないですか?
大変です。

だけども 多分ね それは僕
小さい頃から こんな調子やったんで

多分ね… 多分 僕の大変さよりも
嫁の大変さのほうが大変だと思います。

絶えず人が来てる家やったんで
僕も若いとき 近寄れなかったんですから。

いっつも宴会してる いっつも飲んでる。
下手すると昼間ごろから飲み始めて

次の日の昼間まで飲んでる人いると思うよ
ねえ。 (笑い声)

あ うまい! 濃い 濃い。

おいしい。

ここから先は
ちょっと民藝とは趣が違うんですけど。

民藝とともに力を注いで

太田さんが 人々に
伝えようとしていることがあります。

いわゆる戦争中に出版された
出版物ですね。

太田さんは 富山の住職たちと協力して

戦時下の人々の生活を伝える
展示会を準備していました。

昭和19年の11月だから…。

一同 可憐な膝小僧を並べて
おのが部屋前の廊下の雑巾がけである。

娘 美しく働いて。

こういうことを書けば 売れたんだよね。

あるいは こういうふうに その当時
新聞をスクラップしてた人がいるの。

この10年間で集められたのは

門徒の方や地元の人たちの家で眠っていた
身近なものです。

これは 少女雑誌の付録なんですけど
すごろくです。

いろんないいことやってると

最後 日本軍が 敵の
まあ これ多分 南京だろうけど

そこを占領できる。

だから いいことっていうのは

最初は 皇居遥拝

千人針 勤労奉仕。

軍用動物の愛護とか国旗掲揚。

いいことするとね 飛行機で一気に
ここまで飛べるとか何とかしながら

最後は 上がり。

まあ 南京陥落で。

こういうので遊んだわけ。

そういうふうに遊んで
軍国少女を養成しようと。

当時 少女雑誌っていうのは
すごく強烈なものがあるよね。

フフフフッ 一輪挿しとかね…

こん中 火薬が入ってて爆発するんですよ。

これが…

鉄がないもんだから 全国の陶器の産地に
これを作らしたんですよ。

これは多分 有田焼かなと思う。

だから そういう上質な土を利用して
こういうのを何十万個と作ったんですよ。

こんなものを職人さんが喜んで作ったと
思いますか?

まあ 痛ましいね。

一人の このお寺の
役員さんだったんですけども。

私が月忌参りに行ったら

その人は ちょっと体がもう病気で
出てこれないはずだったのに

のこのこと はい出してきて
仏間に座ったんです。

で 私が お経をあげて 終わるとね
「若はん」言うて

私は まだ若はんだったんですけど。

今まで誰にも言うたことがない。

で それをちょっと仏さんの前で
言わしてもろていいかというわけ。

何だか分かんないから いいですよって。

そしたら座ったままですけど
直立不動になりましてね。

チャッとかって。
まあ 敬礼をしてね。

で その人は 「○○曹長…」
自分は曹長だったんですね。

「昭和何年
南京城近郊の ある村において

女 子ども 年寄り 全村民127名を
機関銃にて殺害いたしました。

以上」。

あとは その… うん…

阿弥陀さんに対してね
「申し訳ありませんでした」とかってね。

それで まあ…。
(せきこみ)

帰っていきましたよ。

それから1週間で亡くなったですね。

やっぱり そういう体験をね
やっぱり自分の中でしまったまま

終わりたくなかったんだね。

その人は殺したくて
殺したんじゃないんですよ。

上官の命令ですよ。

だけど やっぱり ず~っと
あの命令を実行しなくて済む方法は

あったんじゃないかちゅうことを
一生涯 考えてた。 うん。

でも それは答えが出なかったけど

仏壇に向かって
「申し訳ありませんでした」と。

そういう例がね いくつもあるんです
私はね。

もう山ほどある。

そうすると
そういうことを聞かされた私は

それをまた何らかの形で
誰かに伝える責任がある。

何を感じるかは その人の問題で。

でもね 見れば必ず どこかに残る。

いつか何か感じるはずだということで。

この宿業というもんがあって 初めて

ある意味では
本当の悲しみ みたいもんが出てくるんで。

で 正直さも出てくるんで。

曹長がこうして 阿弥陀さんの前でね

自分が体験した事実を
阿弥陀様に報告してる。

それはね 自分だけではね
抱えきれない不条理なんですよ。

でも それをね 見事に阿弥陀さんは
無言で包み込んでる。

だから それはね なんかこう
解決したんじゃないんです。

解決したんじゃなくて

まあ 抱き締めたんですね。

だから あの曹長は
抱き締められたわけです。

苦しみや悲しみは消えなくても

ありのままの姿で
自然のままに生きていけばいい。

他力の教えは 民藝の精神と深く結び付き
今も南砺の土地に息づいています。

南砺で暮らす韓国人の陶芸家
金さんの工房。

この日は 太田さんの提案で
金さんが作った白磁と共に

太田さんのおよそ400年前の
李朝の白磁を並べてみました。

でも なんか…。

あのね ちゃんとうまく…。
なんか ええ なんか…。

違和感なく収まってますね。

時代を超えて一緒になってる。
あ~ なんかうれしいですよね。

なんか… 不思議。

自分が目で見てるんですけど 不思議。

一体どういうことなんだろう。

だから 古いものと新しいものを
僕ら どうしても分けて 見るんですよね。

こういうとこへ来るとね
時間を超えて一緒になるよね。

同じ血が流れてるんだ。

それ 間違いないですよね。
うん 間違いない。

ほんとに昔のままのものも
いかに近づけるか それもやってみたい。

そこで自分でまた心が どう動くか
何を感じるか。

常に自分の心がどう感じるか
何をしたら豊かになるのか

それを試すというか 確認してみたい。

もう色が 白磁の色が変わってきたね。
ええ。

夕方の色になってきた。
ああ…。

どんどん変わっていく。

見え方も変わっていく。

ある意味では
人間以上に生きてるんですかね。

物が動かない分
周りの動きを受けてるような感じ。

自然の変化の中に
ああいう品物を置くと

静物じゃなくて動物になるわけですよね。

動物として生き生きと躍動してるのを
まあ 私たちは見たわけです。

こういうのを…

単なる物だというのは
私たちの傲慢ですよ。

物も生きてる。

そしたら私たちが息を引き取るときに

生き物が 生きてる人間が

物になっちゃった
なんて思うかもしれないけど

あるいは お骨になったら
物だと思うかもしれないけども

いや 物は生きてんですよ。

そういう命の連続ですよね。

だから金さんは
あの空間をつくり上げたわけですね。

もっといい材料 欲しいとか あるのにとか
そういうこと考えずに

目の前のものを大切に生かして

実は すてきな空間を
つくり上げることができる。

それ やっぱりね いろんな材料の中に
ちゃんと救いがあるわけですよね。

そういう救いと救いを うまく連結して

そうすると 全体が救いの空間になる。

ちょうどね 私が
私ら こういうものを見ると

例えば民藝なんかでも
救いの象徴だと見るんですよ。

違うんです。 救いそのものなんです。

だから…

そういうものとの出会いというかね。

山ほどあるわけですね。 周り中に。

単に物に限らず
人間との出会いだろうが何だろうが

まあ よくよく…
よくよく感じてみれば

これは 救いじゃないだろうか
ということは 随分あるわけ。

♬~

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