徹子の部屋 中村江里子[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 中村江里子[解][字]

~フランス在住22年!パリの自宅と南仏の別荘を公開~中村江里子さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
2001年にフランス人男性と結婚、パリに住んで22年になる元フジテレビアナウンサー・中村江里子さんがゲスト。夫婦で内装を話し合って決めているというこだわりの自宅を、長男が撮影した動画で紹介。さらに、南仏に購入した別荘の写真も!
◇番組内容
現在18歳、15歳、12歳の3人の子どもを育てているが、18歳の長女はこの秋から進学のため海外へ。愛娘の巣立ちに、涙なみだの日々を過ごしていると明かす。中村さんの実家は、銀座の老舗楽器店。78歳の母がいまも家業を切り盛りしている。幼い頃は曽祖母を含めた4世代の大家族で暮らしていたという中村さん。にぎやかな家庭で育ったためか、フランス暮らしでホームシックを感じてしまうこともあると語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  18. 彼女
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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(黒柳)21年前に

フランス人の男性と
結婚なさいまして

パリに住んで22年。

元フジテレビのアナウンサー
中村江里子さんです。

どうぞ お入りください。

まあ どうも。
こんにちは。

相変わらず お奇麗だこと。

現在は 3人のお子さんを育てて

多忙な毎日を
過ごしていらっしゃいます。

パリのご自宅を
拝見させて頂きながら

お話 伺います。

どうも しばらくでございました。
お久しぶりです。

よろしくお願い致します。
お元気?

元気にしております。
すごい うれしいです。

今日は ありがとうございます。
いいえ。 どうですか? パリは。

本当に もう
住んで22年になるんですけど

まだまだ戸惑う事も多くて。

あっ そう。 ふーん。
なかなか…

随分たくましくなったつもりでは
いるんですけれども

まだまだです。
そうですか。

でも 私 前に伺った時に

道の こう… ちょっと
マーケットみたいなのがあって

果物やなんか いっぱい売っていて
よかったですよね。

で すごく覚えているのが

徹子さんが
「私 くにゅくにゅっていう

やわらかい柿が好きなのよ」って
おっしゃって

マルシェで 本当に一つだけ
ホテルで食べるために

買われていたのを
よく覚えています。

干し柿じゃなくて 柿がね
もう駄目になりそうなギリギリ。

本当にやわらかい。
スプーンで食べられるぐらいのね。

パリのお宅を

私が訪問致しました時の
ちょっと VTRを

ちょっと 拝見させて頂きます。

私が パリのお宅…。

「その節は どうも」
「おはようございます」

「おめでただって?」

「そうなんです。
今 ちょうど6カ月」

「どうぞ どうぞ。 お入りください」
「ごめんくださいませ」

「あらららら。
うわー これは絵ですか?」

〈夫のバルトさんと2人で

話し合って決めたという
インテリア〉

〈赤をインパクトカラーに使った
モダンなものです〉

〈天井の絵はジャン・コクトー〉

〈オシャレです〉

(中村)「ここがキッチンなので
キッチンに続く廊下は

もう 赤と白で…」
「うわー すてき」

〈天井が高く
開放感あふれるキッチン〉

〈中村さんが最も大切にしている
家族の憩いの場です〉

「これ いわゆる…」
「カプセル?」

「カプセルなんですけど。
だから 多分 普通は

お薬を入れるんだと
思うんですけども」

「おいしそう おいしそう」
「よいしょ」

「大丈夫ですか?
熱くないですか?」

「熱いです」
(中村)「熱い…。 ハハハハ…」

フフフフ…。
懐かしい。

ねっ。 15年前。

そうです。 だから ちょうど
息子を妊娠中の時だったんですよ。

そうね。 私 ちょっと おなか
触らせて頂いたりしたのよね。

懐かしいです。

あの時と お家の内装
少し変わりました?

はい。 変わらず あそこを借りて
住んでいるんですけれども

キッチンは
かなり大掛かりに変えました。

あっ そうなんですか。
今 とってもカラフルになっています。

そういう色を変えるのも
ご主人と相談なんかして?

そうなんですよ。

あっ すごい。

(長男)「待って」

(長男)「うーん」

随分カラフルになりましたね。
はい。

(中村)「こうやって ほら

子供たちも大きくなって

なんか こう 色々と みんなで…。

あっ 本当だ。 奇麗。

(中村)「ここが…。 フフフ」

「すごいよね。 はい」

(中村)「“ジュセパ。 ドゥソン”とか
言ってたから…

200とか言ってたから なんか…。
靴好きなので」

(長男)「250だ」
(中村)「250… 本当?」

「見てください 見てください。
ここ 見て 見て 見て。 ほら」

あら。

(中村)「こうやって…」

洗いながら?

これ とっても便利な
モップの水切りなんですけど。

「こうやってね

水拭きしていきます」

床が あれですもんね
日本とは違って。

そうなんですよ。 なので
タイルだったり 木の床なので

本当に 雑巾がけというよりも

モップが
もう 生活に欠かせなくて

掃除機をかけたあとには
ああやって モップで こう

バーッと
拭いていくんですけれども。

それも 今までは
手でギューッとして

水を絞っていたのが
ああいう便利なものができてきて

それで 足で踏みながら
水を切って掃除しています。

でも お家が大きいと
やっぱり 大変ね お掃除もね。

大きいわけではないんですけど
やっぱり 子供たちも3人いて

それから 猫も犬もいるので
家の中が にぎやかで

常に ホコリが舞っているような
感じなので

まあ
気付いた時には できるかぎり…。

でも 随分
お子さん 大きくなりましたね。

はい。 それこそ だから
おなかにいた長男が

今 15歳ですし

次女が今 12歳
長女が18歳で。

すごい。 あら みんな 可愛い。

これ ちっちゃい時ですね。

ねえ。 道路 渡っているの。
はい。

ご主人も あんな事なさる?

そうです。 本当に 彼は
とっても明るくって

楽しい事が大好きなので
「何かポーズ取ろう」って言うと

真っ先に こう
ポーズを取ってくれる感じです。

すてき。
みんなでね ああやってね。

あれ 何年も経つと…

みんなが大人になっちゃうと
懐かしい写真になりますよね。

そうですね。 だから
本当に 写真を撮った時には

みんな 小さくて
私が夫の次に大きかったのが

もう 今は 私より
ちょっと小さいのが次女だけで

背を… 並ぶと もう

夫 長男 長女 私 次女
っていう感じ…。

これが いつの日か
完全に また抜かされて

私が一番端っこで写真を撮る事に
なるのかなって思っています。

たくさん食べる?

食べます。 食べます。

もう だから
常に こう 買い出しに出かけて

常に 冷蔵庫を
満杯にしておくようにしています。

そうですか。
でも フランスは あれですよね。

エアコンがついていないから
お家に

暑かった時は
どうなすっていたんですか?

いや 本当に大変で

1台だけ ようやく買った
エアコンがあったんですけども

それは
こんなに太いチューブなんですね。

だから それを 窓を開けて
そのチューブを窓から出して

家の中を冷やす感じなので。
結果的には窓が開いているんで

よっぽど エアコンの前にいないと
結構熱い空気が入ってくる…。

窓から空気が入ってくる…
熱い空気が入ってくる。

あとは もう 雨戸を閉め切るとか
やっぱり そういうふうにして

色んな対策を我が家に限らず…。
扇風機なんか どうですか?

扇風機も…。
でも 今年に限っては

扇風機を買いに行ったら
もう売り切れていて。

やっぱり
ものすごく暑かったので。

暑かったんでしょうね。

でも コロナ禍で
旅行ができないし 暑いから

南仏に別荘をお買いになったって。

これは ちょうど コロナ禍で

移動ができなくなった時に…

夫の両親が
南仏に住んでいて

やはり 体調の事とか
色々気になる事があって

そばにいてあげた方が
買い出しとか

色んな事が対応できるかな
という事で探していて。

本当にご縁があって 初めて…

私たち… 夫と私にとっては

初めての大きな買い物をしました。
あっ そうなんですか。

でも 随分 なんか 広そうな…
奇麗。

これは 写真の感じで
そう見えますね なんか。

でも お庭もありますし 私の…

例えば 日本の家族なんかが
遊びに来ても

それぞれが
プライベートを守りつつ

過ごせるような感じです。
これは わざわざ

こういうふうになっているの?

これは もう 地下の…
地下なんですけれども。

地下のカーヴって言われたから

ワインセラーとかにできるような
カーヴなんですが

もう 元々
こういうふうになっていて。

この建物は
1500年代の建物なんですね。

なんか 16世紀の国王の

フランソワ1世っていう方が

狩りの際に お立ち寄りになった館
っていう事に…。

…っていうふうにいわれていると
聞いています。

そういうお家だから 時々
見知らぬ人がピンポンなんて…

見せてくださいなんて…。
そうなんです。

ピンポンって鳴ったんで
誰だろうと思って…

車で入っていらしたんで。

「あれ? どんなご用ですか?」って
言ったら

「ちょっと 中を見せてください」。

「うちは 見学はできないんです
完全にプライベートなんで」と。

そういう方も いらっしゃるのね。
いらっしゃいます。

でも もう お子さん3人
随分大きくなって。

何語でお話しになるの?
お家の中では。

本当は… 本当は

日本語で話し続けなければ
いけないんでしょうけれども

つい 日本語で話しかけても

子供たちが
フランス語で返事をしてくると

結局 そこから
フランス語でしゃべってしまって

一番やってはいけないと
いわれているような事を

してしまっています。
あっ そうですか。

で 長女は この秋から

海外の大学へ
いらっしゃるんですって?

そうですね。
長女は フランスを出て

ちょっと
体験したいという事なので

海外の方に行きますね。
すごい。

子供が旅立つのは寂しい?

もう 今も その話になったら
泣いちゃいそうなんですけど。

やっぱり そうですね

本当に すごく…。

多分 私… なんていう…。

私は 多分 すごく こうやって
育ててきてしまったと思うので

やっぱり
彼女が離れていくっていう事が

まだ いまだに
なかなか準備ができなくって。

彼女が ちょっと
友達と旅行に行くっていうだけで

もう 涙 涙って…。
本当?

その涙 涙していると
息子と次女が

「ママ まだ
僕たち 私たちがいるから

大丈夫だから」って
声をかけてくれる。

フフフフ…。
でも 結構 慣れているのね。

もう 私が涙しているのには
子供たちが慣れていて。

でも 随分… 長男とか…。
15歳です。

随分大きいね。
181センチとか182センチぐらい…。

すごい。 あなたより大きいもんね。
大きいですね。

すごい。 秋から高校生ですって?
そうです。

秋から高校生で
この大きさですよ。

やっぱりね 大きいわね。
だから 多分

もっと大きくなるので 色々
頼っていこうと思っています。

いいですよね。
で 次女は水泳を頑張っている。

そうなんですよ。
すごい。

すごく 彼女は今
一生懸命 水泳をやって…。

何歳?
今 12歳ですね。

随分大きいわね やっぱりね。

大きいです。 足が長いです。

ねえ。 足が長そう。
同じ足の長さで。

彼女も
将来 選手になるとかではなく

やっぱり 今 一生懸命
頑張っている事を私は…。

ご主人は あなたは どこで
お会いになったんでしたっけ?

一番最初の出会いは 都内の…。
東京?

東京なんです。
あっ すごい。

彼が出張で来て…
初めて日本に出張で来て

東京のホテルに着いて

そのエレベーターの中で…
というのが

初めての出会いですね。
ええー!

初めてエレベーターで
お会いになって

どうやったの?
多分 乗り合わせていたのが

1~2階分 一緒に
乗り合わせていただけなので

時間にして 数秒とか
数十秒だと思うんですけれども

それが最初の出会いで。

別に名前も お互い… ねえ。
名刺を交換したわけでもなく。

そこから 半年後に私が1人で…

まだ 会社員で
会社に勤めていたので。

半年後に1人でパリに行った時に

偶然 お店で出会って。
本当? 偶然?

たまたま知ってる方と
一緒にいたんですけど

その方の同僚だったんですね。

で えっ? っていう事で
話をして。

でも 社交辞令で じゃあ
また今度 パリに来た時には

ご飯でも食べましょうっていって
終わったんですけれども。

そこから さらに8カ月後に

東京で また 再会をして。
随分 不思議ね。

不思議ですね。
なんか 本当に偶然が重なって

3回目に 初めて
お互い 自己紹介をして

連絡先を交換したという感じです。
あっ そう…!

当時は フジテレビの
アナウンサーでいらした…。

そうです。 はい。
わあー 奇麗。

フランスに渡って…。
これは どこですか?

これは
サン・ポール・ド・ヴァンスですね。

南仏のニースから
ちょっと上がっていった所に

なるんですけれども。
奇麗。

若いですね。 多分 子供たちは
この夫の写真を見ると

「ええー パパの髪の毛が
グレーじゃない」って言って

すごい びっくりしてます。
すてき でもね。

なんて 奇麗な旦那様で…。
あなたも すてきで。

ありがとうございます。
夢のような… 結婚式。 すてき。

でも フランス人っていうのは
夫婦の時間を

とても大切にするという事が
あるんで

バレンタインには
ご夫婦で お食事とか

そういうふうに
なんか とても…。

そうですね。
私は どうしても すごく こう

いいのか悪いのか
わからないんですけど

やっぱり とても
母親になってしまう…。

外出なんかしたくないし

やっぱり 子供たちの事を
全部やりたいしって

こうなってしまうところを

夫が 「いや 君は
子供たちのママだけれども

僕の奥さんでもあるんだよ」って。

「僕の妻なんだよ。 こっちにも
ちょっと戻っておいで」って

こう 戻してくれる。

だから
メリハリがあるというか…。

だから 子供たちも 私が普段
一生懸命やっている事を

多分
わかってくれていると思うので

夫が 「今日は ママと2人で
ご飯 食べに行くよ」って言うと

「いってらっしゃい」って
笑顔で送り出してくれますし。

それは 私たち夫婦に限らず

多分 そういう社会なんだと
思うんですね。

やっぱり 夫婦といえども男と女で
お互いを尊重し合って

愛し合ってっていうのが
大事なので

そういう時間を持つ事も
っていう…。

なんか 周りからも
そういうメッセージを

頂く事も多いです。 はい。

旦那様
サプライズ好きなんですって?

これは
時々 疲れるんですけれども。

もういいよって…。

毎回 だまされる自分にも
嫌になるんですけれども

本当にサプライズを色々と
仕掛けてきますね。

上手です。 とても上手なんです。
例えば どういう?

色々あるんで… でも ここ数年で
最大だったのは

私が50歳の誕生日を迎えた時に…。
フランスって 50歳

とても盛大に
お祝いをするんですけれども。

私自身は出不精で そんなに
外に出て 何か大きく…

パーティーをしたい
タイプでもなく

本当に家族とか
親しい人だけでご飯…

食事ができればいいっていう話を
いつも していたんですね。

50歳の大きなパーティーは
必要ないって。

でも 夫として
やっぱり 50歳は節目だから

何かをしてあげたいと
思ったみたいで。

誕生日の日というか ちょっと

数日前になるんですけれども。
夫が急に

「ちょっと 今日 急に ごめん。
ビジネスディナー 入っちゃったから

付き合って」って言われて。
「ええー 土曜日なのに

ビジネスディナーなんて嫌だ」って
言いながら

ブツブツ文句を言いながら
レストランに着いたら

なんと 母と妹と
日本の親友とか友達が もう

ワッて そこにいて。

ウソ? さっき LINEでさ
「元気?」って

メッセージしてなかったっけ?
っていうような人たちが…。

日本から?
日本から… ここにいたんですよ。

もう 本当に わからなくて。

最初 固まって
そこから もう 大号泣ですよね。

だって 母は その当時

飼っている犬が
とても年老いていたから

心配で とてもフランスなんか
行けないって言っていて

旅行を全部
キャンセルしていたぐらい。

子供の卒業式が近い友人がいたり
妹がいたりって もう…。

結局 夫のサプライズは

私が お誕生日に
日本に行けないなら

日本の彼女の大切な人たちを
フランスに呼んできちゃおうって。

それ すごいわね でもね。
すごかったですね。

そこから3日間
パーティー尽くしでした。

もう 彼が全部
レストランとか予約して

本当に楽しい楽しい
3日間を過ごしました。

随分お優しい方ね。
優しいですね。

だから 何が… 多分
フランスに来てくれて

こんなに頑張っていて

じゃあっていう事を
しょっちゅう言ってくれるので。

あなたに対して
何ができるんだろうっていう事を

いつも考えてくれている人なので。
じゃあ 随分ラッキーでしたね。

ラッキーなのか…。
そうかもしれないですね。

でも あなたのお宅も
銀座の老舗の楽器店…。

そうですね。
十字屋さんって…。

はい。 そうですね。
まもなく創業150年になりますね。

有名ですよね。

今 お母様が 会社
継いでいらっしゃるんですって?

そうです。
母が頑張っておりますね。

小さい時の…
これ 写真で。

これは
タイで撮ったもの…

タイのバンコクに
住んでいた事もあったので。

あっ そうなの。
はい。 そうです。

そうですか。
お父様は?

父は 随分前に
亡くなったんですけれども。

なので 今
母が1人で…。

十字屋さんを
やっていらっしゃる…。

弟と共に
家業を こう…。

これから先も継承していくために
頑張っていますね。

でも 帰国なさったら
もちろん実家に滞在なさって。

お母様と子供たちは
何語で話す?

日本語です。
あっ すごい。

これは 本当に子供たちも
一生懸命 聞くし

母も一生懸命話すしって
お互いが一生懸命だと

通じるんだなと
思いますね。

子供たちも やっぱり
母と話したいから

最初 こう 日本に来ると

ちょっと やっぱり
なんとなく耳が慣れていなくて。

時間がかかっても 2~3日すると
普通に話をするようになっていて。

すごい。
なので やっぱり こうやって

日本に子供たちを連れてくる
という事は

すごく大事な事なんだな…。
3人 ぞろぞろ連れて行くの…。

3人ぞろぞろ連れて大変…。
でも 子供たちは幼稚園から

本当に ずっと毎年 こう
夏は通わせて頂いてるんですね

幼稚園 小学校 中学って。
あっ そう。

なので 日本人のお友達も
できているし…。

こっちに来た時には
学校に行けるの? ちょっと。

行けるんですね。 はい。

ちゃんと
区役所に手続きをしたりして。

そうすると
給食当番というものがあるんだ。

掃除当番というものがあるんだ。

日本の学校って
上履きがあるんだとか

色々 授業の様子も全く違うので。
面白いわね。

とても楽しんでいます。

時々 ショックも受けているし
あまりにも違うので。

あっ そう。 でも 面白いわね。
はい。

でも 子供の頃は

あなたは大家族で
暮らしていらっしゃったんで

大家族の日本のお正月とか

そういうのは懐かしいと
お思いですか?

私は4世代 一緒だったんですね。
相当すごいわね。

明治 大正 そして 昭和が
一緒に住んでいて。

だから 曽祖母 祖母 両親
私たち きょうだい

4世代が一緒だったので
大家族が当たり前だし

人が老いていくという姿を
間近にも見ていたので。

で やっぱり 生活の様式も当然

明治 大正の曽祖母や祖母に
合わせていた部分もあるので。

なので
なんか 家族の温かさとか…。

大家族だから
それぞれが役割を持って…

小さな社会の中で
生きてるという意味で

それぞれが役割を
家族の中でも持っていたし

それが当たり前だった…。
多い時は

何人ぐらいになるんですか?
そうすると。

7人から だんだん人数が
減ったりするんですけれども。

今度は 私をはじめ

きょうだいが…
子供たちが生まれて

今 また こうやって実家に集うと
だから…。

あっ えっと… 1 2…。

そっか。 3世代に
なってしまうんですけれども。

いっとき 4世代の時は
もう 祖母が驚きました。

ちっちゃい子が
家中 駆け回っていて。

で もう みんな 祖母の
こういう… ほっぺた 引っ張って

やわらかいって やってたりとか。
なんか そういう にぎやかな…。

あの時は もう 家の中
10人とか… もっとかな?

なんか すごい人数で
一緒に住んでいた時もあります。

そうですか。
でも 楽しいわね それもね。

楽しいですし
そこで みんながケンカしたり

仲直りしたり 色んな こう…。

色んな事を やっぱり
学ぶんだなって。

色んな言葉とかね。
言葉も そうですね。

そうですか。 年末になると
ホームシックになるんですって?

なんか お正月とか。

もう これは…
フランスは やっぱり

クリスマス… ノエルは
家族のイベントなので

みんな 会社もお休みになって

きっと ご実家の家族のもとに
戻るんですけども。

新年って… 年越しって

友達と何か騒ぐイベントみたいに
なっているので。

でも 私は やっぱり 年越しって

お掃除をして 色んなお節料理を
ねっ 家族で作って

除夜の鐘を聞いて
年越しそばを食べて。

で お正月
気持ちも新たに迎えるっていう

なんか 厳かな感じ。 それから

家族と なんとなく 一緒に
ずっといられるっていう

この穏やかな時間が
好きだったんですけれども。

フランスは もう なんか
いきなり カウントダウンで

わー わー わー!
みんなが大騒ぎしているので

いや 私の大好きなお正月の風景と
違うなって。

やっぱり そうすると こう
家族に会いたいな

やっぱり また あのお正月の…

みんなが そろっていた
あの時間に戻りたいなって

ちょっと こう なんとなく
気持ちが うんってなって。

大体 そんな時は
昔の日本の曲を聴きながら

アイロンをかけて

ホームシックを乗り切っています。
フフフフ…。 そう。

パリのファッションとか
暮らしとか

そんな事を紹介する雑誌を
あなた 年に2回

出していらっしゃるんですって?
そうなんです。

もう8年目になるんですが。

年に2回で
『セゾン・ド・エリコ』という…

まあ パーソナルマガジンに
なるんですけれども。

こちらを
発行させて頂いていて。

でも いわゆる

今の流行りのものを伝える
というよりも

もう 私も53ですし
何か こう…

フランスにいても 日本にいても
大切な事って変わらないと思うし。

だから どういうふうに
生きていくかとかっていう…。

なんか こういうものの見方もある
こういう考え方もあるって

ちょっと 読んだ方が
何か感じてくださったらいいな

というような
発信の仕方をしている雑誌で。

なので ファッションのページも
あるんですけれども

全く 今のファッションではなく

私が ずっと愛用していて
20年とか使っている服が

どんどん登場してくるような
そんな感じです。

そうですか。
でも 昔から 50代になるのを

とても楽しみに
していらしたんですって?

これが 本当 20代の時からですね。

ええー。
20代の時から

50代からが 女性が一番輝けるって
思っていて。

なので 早く50代になりたいなって
思っていたし

いい50代を迎えたいなと
思っていて

本当に50代に憧れていました。

なので やっぱり 私が20代の時

母たちが50代で
生き生きとしていて。

でも すごく穏やかだったり
温かかったり

社会のために
貢献しようとしている姿を見て

あっ
ああいう50代になりたいなって。

じゃあ そのためには
どうするんだろうっていうふうに

考えて生きてきて
50代に突入して。

今 だから すごく楽しいです。

そうですか。
体とか 結構

あちこち痛くなったり
しているんですけれども。

でも
なんか 望んでいた50代になって

まだまだ 色々やれるし
楽しみだなって。

そうですよね。
はい。

今は もう 子供たちの巣立ちが

寂しい?
寂しいけれども その先に…。

そうですよね。
ご主人も お元気で?

はい。 元気にしております。
何よりですね。

ありがとうございます。

それでは
皆様に よろしくお伝えください。

どうも ありがとう。
ありがとうございます。

『徹子の部屋』は

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