こころの時代~宗教・人生~「悲しみと寄り添う~スピリチュアルケアの仏教者~」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

こころの時代~宗教・人生~「悲しみと寄り添う~スピリチュアルケアの仏教者~」[字]

医療の進歩で死と向き合う時間が増えている。最期の別れに私たちはどう向き合えばいいのか。死への悲しみを和らげようとする、いま注目を集めるスピリチュアルケアとは。

詳細情報
番組内容
多くの人々と最期の時を過ごしてきたのは、僧侶の大河内大博さん。終末期の医療現場などで、欧米で普及しているスピリチュアルケアを実践。スピリチュアルケアとは人生の困難に直面したとき、生きがいをもてるようにサポートすること。大河内さんは日本で早くから取り組み、あまたのいのちを見つめてきた。誰もが迎える最期、そして大切な人を亡くす悲しみにどう寄り添うのか。答えのない問いに向き合い続ける僧侶に聞く。
出演者
【出演】願生寺住職…大河内大博,【きき手】武田真一

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
福祉 – 社会福祉

テキストマイニング結果

ワードクラウド

キーワード出現数ベスト20

  1. 自分
  2. 人生
  3. 大河内
  4. 時間
  5. スピリチュアルケア
  6. 大事
  7. 意味
  8. 言葉
  9. 僧侶
  10. 経験
  11. 患者
  12. 最期
  13. 現場
  14. 今日
  15. 大切
  16. 出会
  17. 仏教
  18. 昨日
  19. 地域
  20. 病院

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

NHK
created by Rinker
エンスカイ(ENSKY)

♬~

♬~

医療技術の進歩で
のびる 寿命。

その一方で 死と向き合う時間が
長くなっています。

多くの人々と
最期の時を過ごしてきた僧侶がいます。

20代の頃から 終末期の医療現場などで
スピリチュアルケアを実践してきました。

スピリチュアルケアとは

人生の困難に直面した時 生きがいを
持てるようにサポートすることです。

欧米の病院では 広く普及しています。

大河内さんは 仏教者として

スピリチュアルケアに
早くから取り組んできました。

死への悲しみや苦しみを
どうすれば和らげることができるのか。

全国で その経験を伝えています。

大切な人を失った悲しみにも
寄り添います。

大河内さん自身も 5年前に父親
2年前に母親を 自宅でみとりました。

誰もが迎える最期。

そして 残される家族は その悲しみに
どう向き合えばいいのか。

スピリチュアルケアを通して

多くの悲しみに寄り添ってきた
大河内さんに伺います。

♬~

大阪の中心部から 電車で
15分ほどのところにある 大阪市住吉区。

ここに 大河内さんが住職を務める
願生寺があります。

南無阿弥陀仏と唱えれば どんな人も
極楽浄土に救われると説いた 法然。

その教えを受け継ぐ 浄土宗の寺です。

では 改めて よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。

ここが 大河内さんのお寺
ということですよね。

はい そうです。
ふだんは こちらで
お仕事なさってる。

そうですね。 まさに ここの本堂で

朝のお勤めから
ご法事 また時に お葬儀とかですね

そういった
あの~ 宗教の まさに念仏道場として

はい ここで
暮らしながら お守りいたしております。

私たちが普通にイメージする お坊さんの
お仕事を 日々なさってるわけですよね。

そうですね はい。

しかし 大河内さんは それだけではない。

僧侶の仕事というのは
それだけじゃないというふうに

思ってらっしゃる
ということですよね。 はい そうです。

え~ 病に苦しむ方であるとか
障害を持っている方。

それから檀家さんではなくとも 独居

高齢者の方で
孤独を感じていらっしゃる方

いろんな方が
地域の中には 人の数だけの

それぞれの 悲しみ 喜び 苦しみが
あると思うんですけども

できるかぎり そんな方と いろんな方と
交流できれば うれしいなと思ってまして。

私が 外に出ていった時に どんな人と
出会えるだろうか っていうところで

それが病院という場所かもしれませんし
そのほかの高齢者施設かもしれませんし

たまたま道で会う方かも
分かりませんし。

この 医療の現場に出ていく あるいは
社会の中で苦しむ人たちに寄り添う。

そういった場に 宗教者である
大河内さんが 出ていく 関わっていく。

そのことは どんな意味が
あるんでしょうか。

そうですね。 死とか 死にゆく 自分の命が
あとどれくらいであるかとか

そうした こう 自分自身の人生 生き方
生きざまに向き合わざるをえない時の

いわゆる こう
魂の叫び…。

それらに対する問いの答えっていうのは
容易に他者が用意できるものではない。

医師 看護師含めて
やっぱり誰しもに

その方に容易に答えをですね
提示することはできない。

宗教者っていうのは そうした まさに
答えのない問いに対して

向き合い続けるということ。
それから 逃げないでいるということ。

そして その方が そこに向き合っていく
その人の力を信じるということ。

そういうふうな こう
足腰 体力を持ったうえで

関わり続ける 寄り添い続ける
ということが

宗教者の非常に重要な役割ではないかと
思っています。

大河内さんが初めて臨床の現場を
訪れたのは 2001年 22歳の時。

院内に僧侶が常駐する
ビハーラ病棟でした。

ビハーラとは
仏教の教えを心のよりどころに

安らかな死を迎えてほしいと提唱された
ターミナルケアのことです。

この病棟は 1992年に できました。

院内には 釈迦菩薩像が安置され

日々 お勤めが行われています。

大河内さんは ここで
ボランティアとして活動を始め

あまたの命と向き合います。

初めて ビハーラの現場をご覧になって
どんな風景だったんですか?

え~とですね たまたま私が
一番最初に病棟に行った時が

お昼の
3時ぐらいだったんですね。

で 3時ぐらいは
あの~ あとから聞いたんですけども

ティータイムといって
ボランティアさんが やって来て

体調のいい患者さんは
談話室に出てこられて

で お茶を飲んで そして まあ 談笑して

で 体調のすぐれない方は 病室に
あの~ お茶を運ばれたりとかですね。

医療者ばっかりに囲まれてるのでなくて

いわゆる普通の方たちがですね
エプロンをつけて

で 3時の
まあ おやつのような時間をですね…

和んで帰って頂くっていうようなですね。
たまたま その時間に 寄せて頂いて…。

そういうのがあるっていうのは 私も
知識として分かってたんですけども

行ったらですね
お酒を飲んでるんですね。

あ~。
で…

まあ いいわけですよ 別に
お酒を飲んでも。 普通の病院だったら

そういうことは控えなきゃいけないか
分かりませんけども

ビハーラ
ホスピス 緩和ケアっていうのは

最期まで その方が その人らしく
生き抜く場所である。

だから できるかぎり その人が

やりたいような 過ごしたいような 空間を
こう 用意していく。

そこに お酒があるっていうのは

その方にとって 日常であれば
それは 当たり前の風景である。

終末期の患者さんは 静かに こう
死を待つということではなく

まだ人生が そこにある
ということですね。 そうですね。

死ぬ場所ではなくて
生き抜く場所としての日常の延長。

たまたま その場が
ビハーラ病棟であったっていうですね

そのことに すぎないっていう感じ。

そういったビハーラの現場に
飛び込んでいかれて…。 ええ。

大河内さんご自身は
どうでしたか?

何かこう… 役割をうまく果たせたのか
手応えがあったのか いかがでしたか?

やっぱり… まだまだ甘かった。

人生も 経験としてもそうだし

そういう場に 僧侶として関わる時の

ある種の専門性を身につけなければ
ならないってこともそうだし

非常に 自分としては
大きな経験をさして頂きましたけども

足らなかったこと 足りないこと
未熟なことを 何か ほんとにこう

教え込まれた経験だったなっていうふうに
振り返っては思いますね。

だから
失敗も いっぱいしました。 ハハ… はい。

心に残ってらっしゃる 大事な出会いが
あったそうですね。 そうですね。

ある80代の女性で
肺がんの末期で

ご入院されて
いらっしゃいました。

その方はですね ただ 少し こう
精神的な ご不安があられて

あまり部屋から
出られない方だったんですね。

で ある日ですね 私が 夕方
一日の活動を終えて

帰宅しようと思って

ナースステーションの前を
通ったらですね

一人で談話室にですね

ポツンと 座って
いらっしゃったんですね。

私は てっきり
気分が良くて 外に出て

談話室に座ってらっしゃるのかな
というような

そういうふうな
思いを持ってですね

家に帰ろうとしてたんですけれども
足をですね そのかたのほうに向けて

「ああ 珍しいですね こんなところで」って
いうようなことで声をかけて

「何してるんですか?」
というような話をしたらですね

「別に何もしてないよ」って
話を しつつ

「この時間の病棟は慌ただしいね」って
おっしゃったんですね。

で 私はですね 「そうですね
この時間の病棟は慌ただしいね。

日勤の人と夜勤の人とが入れ代わるから
みんなバタバタしてるよね」

っていうようなことを応答したんですね。

で 「いつものように部屋にばかりいないで
こういうところにいても

こういうところにいる方が 気分が晴れて
いいでしょう」みたいなことを

私が申し上げたらば 「どうかな
しんどいからね」って こう おっしゃった。

で 私はですね もう既に半分
家に帰ってるような

まあ 心持ちだったものですからですね

「しんどいんですか 無理しないで下さいね
じゃあ 私は これで失礼しますね」って

もう早々に
会話を切り上げようとしたらばですね

その方が
「あしたまで生きていられるかな」って

ぼそっと こう おっしゃったんですね。

で 私は 一瞬ドキッとしたんですけれども
「ここだ」っていうふうに こう思って

その方にですね
「あしたまで生きていられるかどうかは

誰にも分からないんですよ
僕だってね」って… こう話し始めたら

「そんなこと言ってるんじゃないのよ」って
いって 途中で話を遮られて

私は そのあと 何も言い返せずにですね
ただ沈黙のままで

その沈黙にも耐えられずに

頭を深々と下げて 「失礼します」って
いって帰ったという経験がありました。

大河内さんの その言葉の
何が どう こう 悪かったんでしょうか?

気分が良くて部屋から
出てきたわけではなかったかもしれない。

むしろ 部屋にいることさえ 孤独感や
つらさで 耐えられなくなった その方が

決死の思いで
もしかしたら 部屋から出て

談話室に
座っていらっしゃったかもしれない。

でも その自分の前を
何人もの看護師が こう 行き交う中で

もしかしたら みんな
姿は見えてたかもしれないし

姿さえも見えてなかったかもしれないし
声をかける余裕がなかったかもしれない。

そんな中で「誰も私に気付いてくれないね」
っていう孤独感を もし持ってたならば

「あしたまで生きていられるかな」って
いうのは ある種 私に対する

「もう少し そばにいてほしい」という
メッセージだったのかもしれない。

でも それに対して私は
「ここぞ」ということで返したのは

「諸行無常の教えで
この場を乗り切る」っていうですね…。

がんの
末期の方がいらっしゃる病棟ですから

「あしたまで生きていられるかな」っていう
ようなことを

もしかしたら
聞かれるかもしれない ということを

ある種の想定問答で
私の中では 準備をしていて

そう言われたら 僧侶なので

「あしたまでの命 あしたの命は

それは がんの末期の方であろうと
若い大河内であろうと

皆 平等に分からない」っていうですね

そういうようなことをですね 説明して

「だから 今の時間を大切に生きましょう」
みたいなふうにですね

まさに説法ですよね。 それを
「ここぞ」という時に返したわけですね。

その言葉の最後まで待たずに 「そんなこと
言ってるんじゃないのよ」って こう…。

「そりゃそうですよね」っていうふうに
思うんですね。

つまりこう 用意してきたような
マニュアル的な言葉っていうのは

そういう
まさに 命の場面では 通じるはずがない。

もっともっと私が もし言葉として
伝えるものがあるならば

その時に自分の腹から出てきている言葉

自分の血肉になっている言葉ならば
届くかもしれない。

それが その方にとって
必要かどうか分からないけども

とりあえず届くかも分からない。

今のお話は まさに 人として
どう他者と関わっていくかっていう

根本的な部分ですよね。
そうですね。 そうだと思います。

その~ まあ まさに 「僧侶として
どうあるべきか」っていうことが

一番 私の中での命題では
あるんですけれども

その前に人としてって意味での
大河内の

私という人間が
ある種 丸裸になるようなですね

そういうような経験といいましょうか。

なぜならば 目の前の方も
そんな自分をさらして…

さらさざるをえない状況ですよね。

車椅子の状況であるとか
ベッドで横たわっているとかですね

いろんな意味で
その方の こう尊厳からすると

「元気であれば そんな姿は あなたに
見せないのよ」というような中で

でも精いっぱい生きていらっしゃる方に
関わっていくっていう時の

こちら側のこう 姿勢としてですね

何か小手先でといいましょうか
技術的なところで

ましてや心に関わっていく

更に
その心の 更に奥底といいましょうか

その方の生きる意味とか 生きがいとか

今のまさに存在価値みたいなところまで
こう 関わっていこうとするならば

私自身のありようってことも
非常に こう あの 問われていく。

その病棟では当時
3日に1人が亡くなっていきました。

懸命に生きようとする
患者の姿。

そこに見えてきたのは
仏の教えでした。

80代の方だったんですけれども

女性の方で がんの末期で
入院されておられまして

こう… その方の病室からですね

あの~ 山々が きれいな山々が こう
見えるような

こう ロケーションでして

その方のテーブルの上に カメラが
置いてまして

で 私が そのカメラ 「あ
カメラ撮られるんですか」ってな話で

カメラの方にですね 話題を振ったらば

カメラで撮っているのを
何枚か見せて下さって

その中には あの~ その まさに山々を

毎日 同じところから パシャ パシャッと
こうですね 撮っていらっしゃって。

で 「あなた これをご覧なさい」と。
で 「あなたにとっては

これ今日の写真 これ昨日の写真」って
いうふうにしてですね

毎日 撮っていらっしゃる写真の
今日と昨日の間で

ぱっと見
私には 違いは分からないんですね。

でも その方が それを私に
見せて下さりながら 「あなたには これ

この写真と 昨日の写真の違いは
分からないかもしれないけれども

私には その違いは分かるのよ」と。

「昨日と今日は違う」っていうことを
教えて下さって…。

まさに仏教というのは
「刹那を生きる」。

昨日の自分と
今日の自分の中で

昨日の自分は死んだ 今日の自分を
新たに生きるっていうですね。

まさに そういう こう 刹那刹那の
こう 諸行無常の中で

こう 生かされているっていう
ことをですね

まさに頭で分かっていて
そういうことを言っていながら

いざ その方が まさに見ている風景の中で
昨日と今日は違うということは

実は 私自身は まったくもって体感なく

「昨日のような今日があって 今日のような
あしたが また来る」っていうふうに

ある種
思い込んでいる自分に気付かされた。

がんの患者さんたちが
まさに人生の師となった

そんな瞬間だったんですね。
そうですね。

どのような患者さんで
あられても

決して患者さんたちは 私の学びのために
そこにいるわけではない。

その方々たちに関わるのであれば 私は
僧侶として出会ったり

何かしらの専門職として

しっかりと役割を果たさなければいけない
ってことが

もちろん前提にあるわけですけども

一人一人の患者さんのありよう
下さった言葉

そんなことって
いうのは

私にとっては 人生の師。

まさに 信仰は違えども
「仏教とは どういうことか」とかですね

「お前が僧侶として生きるってことは
どういうことだ」っていうことを

常に こう 問いかけて下さるような

まあ そんな時間
経験だったなっていうふうに思いますね。

3人きょうだいの長男として生まれた
大河内さん。

450年続く寺の跡継ぎとして
9歳で仏門に入りますが

決められた道に葛藤がありました。

そこで 寺を継ぐ前に
社会を知りたいと

親元を離れ
東京の大学へ進学します。

学生生活を満喫していた ある日

僧侶としての生き方 その原点となる
言葉を 友人から投げかけられます。

大学の授業の帰りにですね
あの~ 女性のお友達だったんですけど

同じ授業をとっていて 駅まで歩いている
最中にですね その友達が

「キリスト教は愛で 仏教は死って
感じだよね」っていうようなですね

そういう こう ニュアンスの言葉を
私にかけてきたんですね。

前後どんな話をしてたかって
正直 覚えてなくて

その言葉だけが ズトーンとですね
私の こう 心の中に残って…。

その時の私の感覚は 「やっぱりそうか」
っていう感じだったんですね。

「やっぱりそうか」。
うん。

いわゆる社会からですね お寺が
どんなふうに見られているんだろうとか

僧侶が どんなふうに
見られているのだろうか というのは

お寺で生まれ育ったが故に 非常に こう
過敏であったように思います。

そんな中で 当時から 「葬式仏教」という
言葉が言われていたりしました。

で 葬式仏教っていうのは 日本の仏教の
在り方を示しているという言葉よりも

どちらかというと やゆする
ちょっと批判的な…。

つまり
「葬式しかしない」とかですね

「死んでから お坊さんには
用がある」っていうですね

そういうような
こう 捉えられ方がしていて…。

キリスト教っていうのは
あったかかったり こう 生きてる間に

こう何か 楽しいことをですね
用意してくれていたり

もちろん 悩みを聞いてくれたり
というような

こう コミュニティー ネットワーク的な
イメージがあって…。

「このまんまでは
いけないんじゃないかな」っていう

私自身の より具体的な問題意識として
こう残って…。

じゃあ 「死んでから」って言われる僧侶が
あるいは お寺が

その前から人々と関わるってことが
どういうことなのか。

それって 実際に実践なされているのか
っていうようなことにですね

少しずつ関心が向いていくように
なりました。

その~ 「死」というものの前に 仏教が
どんなこう ことを提供できるのかという。

その時は 何かこう
イメージがあったんですか?

いや 全くなかったですね。

お寺に生まれ育った中で
何も培ってないなっていうことを

まあ 突きつけられたみたいな
まあ そんな経験だったかもしれませんね。

そんな中で
大学の授業の中で

その後の道を定める
大変重要な出会いがあったそうですね。

2年生の時に
生命政治論の授業に出会って

その授業が進んでいく中で
終末期医療の単元がありまして

日本には 大体1980年代ぐらいに 欧米から
ホスピスというものが 入ってきて…。

ホスピスというのは キリスト教の
流れの中で日本に入ってきたもの。

でも日本では 多くの方が
いわゆる仏教徒といいましょうかですね

どこかしらのお寺の檀家さん 信徒さん
門徒さんっていう方が圧倒的に多い中で

日本では やっぱり 仏教の方が

この活動に関わって取り組んでいくことが
大事なんじゃないかっていうことで

仏教版のホスピスとして
ビハーラっていう言葉が

1985年に 田宮 仁先生という
先生が提唱なされて

仏教の精神による
ホスピス ターミナルケアの
呼称 理念としての

ビハーラというものが
1985年に提唱されて

1990年代の最初に

長岡西病院 ビハーラ病棟というのが
できますっていうことを

当時 私は 1999年の時に
初めて聞いたんですね。

で それが非常に衝撃的で
「これだ!」っていう感覚…。

いや でも 待てよ。
1985年に既に提唱されていて

1990年代前半に
病院も もう既にできている。

で 当時の1999年の私は
それを 今 初めて知ったっていうことに

「なぜ 広がっていないんだろう」とか

「なぜ これまで ビハーラに出会って
こなかったんだろう」っていうことに

こう 「これだ!」っていうことと同時に

ある種の こう 生意気なんですけども
危機感のようなことも覚えて

自分が興奮している この感覚を

他の方は あまり持たないのかな
みたいなことをですね 思った時に

自分が これを広めていこう。

大河内さんは 僧侶として
臨床の現場で活動を始めますが

ある思いが湧いてきます。

特定の宗派や宗教に関係なく 多くの
患者に寄り添うには どうしたらいいのか。

そこで出会ったのが

人生の困難に苦しむ人々が
生きがいを持てるようにサポートする

スピリチュアルケアでした。

スピリチュアルケアは
欧米で 1960年ごろから普及。

今では 多くの病院に 専門機関で
研修を受けたスタッフがいます。

日本では 2007年

医師の日野原重明さんらによって
スピリチュアルケア学会が設立されるなど

医療の現場で重要視されています。

大河内さんは
学会の立ち上げから参加。

スピリチュアルケアの研究を
しながら

大阪の病院などで
終末期の患者と向き合います。

そのスピリチュアルケア
どんなものなんでしょうか?

私たちがですね 自分自身の人生でですね
何のために生きてるんだろうとか

順調に自分の人生がいってたらば
そういうことは考えないけども

どっかで つまずいた時に

これで よかったんだろうかとか
何が駄目だったんだろうとか

まさに こう
終末期のがん患者さんっていうのは

もう少し生きたかったけど 生きられない
とかですね そういうことも含めて

人生のいろんなところで私たちは ある種
つまずきながら 自分自身の人生を問う。

そういった時の こう
自分の存在の枠組みとか

培ってきた意味とか
価値観とか 優先順位。

そういうものをですね
少し丁寧に こう ひもときながら

その方の一番大事にしていること。

その大事にしていることが
通用しなくなった時に

じゃあ どういうものを
大事にしていこうっていうようなとこの

プロセスにですね こう 寄り添っていく。

そういう こう のが スピリチュアルケア
っていわれるものとして

医療現場の中 特に 緩和ケア棟ですね

そういったところでは
チームの中の一員として

重要視されているケア
というふうにされています。

じゃあ単に その
悲しみや苦しみに寄り添う

あるいは
それを緩和するというだけじゃなくて

その人が何を大切にしていくべきか
ということを見つける。 そうですね。

例えば その悲しみということ
悲しいという状況を

悲しみが消えるようにしたら
どうしたらいいかっていうのは

実は まあ スピリチュアルケアとも
いえるんだけれども

むしろ もう少し スピリチュアルケアが
大事にしてるのは

その悲しみに込められている意味を
一緒に大事にしていこうっていう

そういう こう 伴走していく 寄り添…
一緒にですね 歩んでいくっていうですね。

だから 悲しみは
実は 悲しみのままかもしれない。

でも 悲しみの質が変わっていく。

悲しいということが
そもそも いとおしかったり

悲しいということが
そもそも大事だっていうような

そういうようなことによって

私たちは それを引き受けながら あるいは
折り合いをつけながら 生きていく。

そういった
こう 人間観が ベースにあるのが

スピリチュアルケアだというふうに
思っています。

そのスピリチュアルケアを
実践していかれるわけですけれども

患者さんと心を共鳴し合う 寄り添う。

真の意味で 寄り添えるような
体験っていうのは どうでしたか?

最初から できたものですか?

いやぁ~ どうでしょうね~。

それは 私が お浄土に行って
ご本人から答え合わせをしなければ

永遠に分からないことではないかなと
思ったりもしますが…。

あの 60代の男性でした。

私が勤めていた緩和ケア病棟に
ご入院されてきて

そして… 症状は まあ 比較的 落ち着いて
いらっしゃったんですけれども

ご病気のこと ご病状のことを しっかりと
頭で理解して… 理解されていて。

ただ一つ 予後 自分は あとどれくらい
生きられるのか っていうことは

明確には お医者さんからは
聞いていらっしゃらなかったんですね。

正直 聞くのが少し怖いということを
お話しされました。 怖いというのは

もし自分が思っているよりも
短い期間を言われたならば

せっかく こうして
落ち着いている気持ちが

また乱れてしまうんではないかという
ようなことを心配されておられて…。

まあ 何か いいアドバイスを
頂けないかというですね

そういう こう
お話でした。

で 私は もちろんのことながらですね
そんなところでですね

「こうした方がいいです」とかいうような
アドバイスが できるはずもないので

「もう少し お話 聞かして頂いて
いいですか」っていうふうに お伺いして

「どうして予後を聞きたいんですか?」って
ことを尋ねました。

スピリチュアルケアで非常に大事なのは
その方に聞かなきゃ やっぱり分からない。

「世間一般的には こうだよね」とか「自分の
場合は こうだったよね」ってことで

安直に その方を自分の理解の枠組みに
はめるのではなくて

聞けるならば 聞かして頂けるならば

きちんと その方の言葉で
あの~ 聞かして頂くっていうことが

スピリチュアルケアの
非常に大事な関わりだと思っていまして

私自身その方に 「どうして

予後を お聞きになられたいんですか?」
っていうふうに聞きましたらば

「かくかくしかじかだからだ」って
いうような明確なものではなくて

奥さんの話に なっていったんですね。

で その方いわく「妻は 自分がいなければ
電球も替えられないぐらいの

自分は亭主関白で やってきた。

家庭のことは妻に任せて
自分は仕事に打ち込んできた。

で 自分のたくさんの趣味もあって

ガレージには
趣味のものが たくさんあって

そんなものも
ちゃんと整理しなきゃいけないし。

あと自分の中で
どれくらいの時間があるかによって

そういったことを
ちゃんと整理していきたい」

っていうような お話を こう されて。

私は その方に

「残りの時間は
奥様のための時間なんですね」って

お返ししましたらば

大粒の涙を流されて 「そうなんです」
というふうに 深く うなずかれました。

その方にとっては
あとどれくらいかっていうことは

お医者さんに聞けば もちろん
答えて下さることも あるかもしれません。

でも私の役割は

それが 聞くべきか聞かないべきか
ということの答えを出すのではなくて

その問いの奥底にあるその方の自分の命を
どう生きるかっていうところの中心に

その奥様が
いらっしゃる。

でも奥様に聞いたら 奥様は 「ちゃんと
自分で 電球 替えれますよ」とかいって

現実は違ったりするんですけども

全部を大切にすることはできないし

「元気だったならば こうしていこう」
みたいなことは

全部 崩れてしまったかもしれない。 でも
崩れてしまった中で でも 何とか最後

自分の手の中に握りしめた 妻との時間
家族との時間っていうものを

どんなふうに過ごしていくかってことを

ある種
その方の中で大事にして下さったならば

あと どの選択をしたとしても

きっと その方にとって

大事な選択をしていって下さるだろうって
ことを信じて

あとはもう 私としては役割を終えて

こう…
引いていくというんでしょうかね

そういうような関わりだったというふうに
私は思っています。 はい。

その方の
ある種 人生の選択の場面に立ち会う。

そうですね。
しかしですね

その死を目前にして
どう生きればいいか分からない。

何を大切にして 選び取っていけば…
分からないっていう方も

いらっしゃると思うんですよね。

決して 最後がですね
丸印で終わるような人生ばかりではない。

むしろ私が関わらせて頂いた中には

何かしらの悔しさとか
う~ん 悲しみとか

もう少し生きたかったという思いである
とかっていうことを どっか残しながら

ある種 未完成の中で死んでいくのが

私は人間の当たり前の自然な姿ではないか
っていうふうに感じさえします。

そういう場に こう 立ち会っていると
ほんとに無力です ほんとに無力です。

う~んと…
何もできないことは無力ですし

申し訳なさもあるし

「何やってんだ」って こう なげやりに
なったりすることもあります。

僧侶であるからということで
救えるわけではない。

むしろ 救える人なんて
一人もいないかもしれない。

でも その方を一人にしないということの
アクションは できるかもしれない。

その方にとっての
最後のよりどころとなる信仰であったり

何か自分の中の人生の意味を
見いだすことができなくっても

それでもなお その方を
そのままに受け止めて下さる方が

いらっしゃるっていうことを信じて
関わり続けるということですね。

大河内さんは 病院で 患者のケアに
当たりながら その経験を講演するなど

活動の幅を広げていきます。

そんなやさき 予期せぬ出来事が起きます。

住職を務めていた
父 良廣さんに

すい臓がんが
見つかったのです。

医師から 「治療という選択はない」と
告げられます。

これなんですけどもね。

(取材者)
これは どういったものですか?

これは… カレンダーなんですけども…

何か そんな感じがするんですけども…。

そのままになってて…。 はい。

臨床の現場では味わったことのない
悲しみを体験します。

お父様をみとるまでは
どう過ごされていったんですか?

いよいよ もう 恐らく 週単位から
日単位になってきたな。

それから もう 日単位も
今日 明日 あさって

そんなぐらいに
なってきたかなっていうのは

私の経験からもですね
こう 分かってきて

姉から連絡があって 「ちょっと呼吸が
おかしい」っていうので起こされて

で 見ると
いわゆる最期の呼吸になっていたので

「これ 最期の呼吸だから」ということで
家族みんな起こさせて

私の娘なんかも起こして 最期
ほんとに家族でベッドを囲みながら

最期の時間を過ごすような あの~
時間を持つことが できたんですね。

その時に やはり
「いよいよ」っていう思いがありながら

「いよいよ来てしまったか」っていうですね
そういう こう 思いもありつつ

父がですね 亡くなる
ほんとに 息を引き取る数分前に

2回 手を こう あげたんですね。

で 目をあけることは
なかったんですけども

何となく表情は 「おお 久しぶり」っていう
ような こう 何て言うんでしょうかね

こう… 口角が上がったように
見えたっていうのを こう 見てですね

「あ もう たくさんの人が

迎えに来てるんだ」っていうふうなことを
思った時に

残ってる私たちは 何としても
何とか 向こうにいこうとする こう

父の手を離したくない 手放したくない
引き止めたいっていう思いが

それぞれに こう ありながら

でも向こうには
「おお よう頑張ったな」っていうですね

父の 父親 母親とか
父が え~ たくさんの人を…

お葬儀で送ってきたですね
檀家さんとかですね 竹馬の友とか

いろんな人が
やっぱり向こうには たくさんいて

で え~ 残ってる私たちは
やっぱり手放したくないけれども

でも もうそろそろ 「お疲れさん」って
いって 手放してあげなきゃいけない。

何か そういう感覚に
ふと こう なれる こう…

お迎え現象なのかどうか
分からないんですけども それが

お迎えのようなことがあって

信仰では 阿弥陀様という仏様

極楽浄土という お浄土っていうような
ことをですね 日々 言いながら

でも 実際に父を見ながら
この世に とどまってほしい。

でも ちゃんと向こうに待ってくれてる
人がいるんだねってことを

まさに体現してくれるような時間の中で

少しずつ手放すことができて

最期の最期の息を引き取る その瞬間まで
家族で見守ることが…。

これは ほんとに ありがたいことでした。

それから あの~ まさしく…。 はい。
あの~…

最初の住職のお仕事としては
あの~…。 そうですね。

葬儀を取りしきるということに
なるわけですよね。 はい。

まさに こう… もう すぐに やるべきこと
というのはですね

あの~ 感傷に浸ってる暇も
ないような格好で

次々と
やらなきゃいけないこと
っていうのは ありまして。

そこに え~と 数時間後に ドクターが

みとってくれた ワタナベ医師という
先生がですね

あの~ 死亡宣告にですね 来てくれて
死亡宣告っていうのをしてもらった時に

どっかこう
すごく それは寂しいんだけれども

一方 自分から
遠くに行ってしまったというか

遠くに行った父っていうのを
感じたんですね。

で これって 冷静に考えると
すごく大事な場面だなと思っていて

つまり家族だけだと どうしても
べた~っとした気持ちが中心なので

やっぱり 離したくない。

何とか 揺らしてでも起きてほしい。

でも そこに 死亡宣告っていう

まあ 極めて
もしかしたら え~と 誰でしょうかね

作業的かも分からないけども
第三者が入ってきてくれて

次に進んでいかなければ
いけないというところに

こう 背中を
押してくれるような感じですね。

で そのあと 父をですね

え~ 座敷に寝か… に移動して

枕経という お経であったり

それから弔問の人が
来て下さったりっていう中で

え~ 少しずつ少しずつ また やっぱり
冷たくなっていく 硬くなっていく

父の
頬とかですね 額に手を当てていくと

「あ やっぱり生きてないんだな」
っていうようなことを突きつけられる。

その父が ひつぎの中に納まることに
よって また少し遠くなっていく。

それが 葬儀…
通夜 葬儀の中で 安置されていくと

またもう一つ 簡単に触れることが
できなくなっていく。

そうやって 儀式っていうのは
もしかすると 少しずつ少しずつ

私たちが現実として受け止めきれない
大切な人の死から

いい意味で
引き剥がされるために必要な

ある意味 パワーといいましょうかですね
あの~ 力を持っているもので

これがなかったら 私たちは いつまでも

もしかしたら
抱え込んでしまうかもしれない。

父を みとって
あるいは父の葬送儀

葬送儀ですね
関わって

新たな気付きと
いいましょうかね。

「葬式仏教では駄目だ」っていう思いで
現場に飛び込んだ私がたどりついたのは

「本気で葬式仏教しよう」っていうですね

何かそういうような あの~ ことをですね
父を みとった経験から

更に こう… 思いを強くした
みたいなところが 何かありますね。 はい。

大河内さんご自身の悲しみ
それは どう乗り越えられたんですか?

今 父をみとって 5年になるかと思う…
なるんです 5年になるんですけれども

悲しみは 恐らく
まだ乗り越えてないかなと思っていて

この先も恐らく
「乗り越える」という表現では

どこか常に 違和感が残ってくるかなって
いうふうに思っています。

きっと 折々に 父を思い出して
「悲しい」であったりとか 「ほんまに

もうちょっと長生きしてくれてたら
よかったのに」とかっていう恨み節とか

いろんなことは 恐らく
私の人生の この先も

折に触れて出てくる。

時間とともに 何か忘れ去られていく
ような時間の方が増えていくけれども

それは 完全になくなったわけではなくて
ちょっと奥の方に おさまっただけで

ぽ~んと こう
出てくるものじゃないかなと思います。

「あ きっと このことを
父が生きてきてたら

こんなふうに
言うだろうな」とか

「こんなふうに
喜んでくれる
だろうな」とか

「あ きっと
こうやって怒るだろうな」
とかっていう父は

常に こう 出てくる。

あの~ 私は あの 8年前に
父を まあ 急に亡くしまして

あの~ やはり 今でも
その 「会えない でも会いたい」という

その~ はざまの中で
やっぱり苦しんでるんですね。

夢にも 時々 出てきますし。 そうですか。
はい。

夢に出てくると やはり こう
会えたということと 会えな…

でも 「これは夢だ」と分かってますから

やっぱり こう 涙で目が覚めるってことが
今でもあるんですね。

で やっぱり その悲しみっていうのは
乗り越えられてないなと

あの~ 意識することが多いです。

で あの~ やっぱり会いたいんですよね。
う~ん そうですね。

その 亡き人と会いたいっていう思いを

誰もが簡単に こう 折り合いつけられる
ものじゃないと思うんですよね。

そういう中で 話をする あるいは話を聞く
そのことは どんな意味がありますか?

私たちの中で
大切な人を失った その瞬間で

止まってしまった時計
というものがあって

でも 生きていかなければいけない
という現実の中で

確かに生きてきた時間というのがあって

これは 止まってしまった時計を
動かすのではなくて

その両方の時計を持った人生が
始まったっていうふうに

受け止めていくことの方が
私は自然ではないかと思っています。

まさに そうした 止まってしまった時計に
ある種 こう 戻りながら

それが どのような ご経験であったか

そして それでもなお 動いてきた
自分の人生の 動いてる方の時計の中で

あなたは 何を大切にしてきたか。

あるいは その中で 亡き人は どんな
存在として立ち現れていらっしゃるか

どこにいらっしゃるか どんな思いを
持っていらっしゃるかっていうのを

スピリチュアルケアと同じく
やはり物語として 大事に聞かして頂く。

そして 物語って頂くことを 他者としての
聞き手として立ち現れた時に

実は 話しながら自分に返ってきている。

私は そういった時に
「いや 父は こういう人でね」とか

「夫は こういう人でね」っていうふうな
話をしている時に

その方と出会い直しをして下さっている
っていうふうに思っていて…。

この出会い直しを私たちは大事にしていく
ってことが重要ではないかな…。

つまり 不在とか 止まったっていう死者は
でも実は生き続ける。

変化していくんですね。

よく… 聞くのは ご主人が いかに
私にとって 理想な ご主人だったか

いかに私は愛されてたかっていう
話をですね さんざんしたあと

最後に慌てて 「でも 主人は そんな
いい人じゃなかったんです」って…

何か慌てて 否定される方が
結構いらっしゃるんですね。

で よく おっしゃるのは

「なぜか分からないけども
いいことしか思い出さない」。 へへへ。

お父さんも
そうじゃないですか?
そうですね。

嫌なこともあったか分かりませんけども

あの~ いいこと いい…
これは不思議で ある意味 私は それは

何か 何か… 与えられてる
プレゼントな気がするんですよね。

父の死後 住職となり 僧侶としての
仕事が忙しくなった大河内さん。

スピリチュアルケアの活動を
臨床の現場から地域に移しました。

これまでの経験を生かし
訪問看護ステーションを立ち上げます。

もう そろそろ そういうこと
考えとかなあきませんよねってなって…。

毎月100軒の檀家を回り 大切な人を
亡くした悲しみにも寄り添います。

こんにちは どうも。

地域の人が
気軽に何でも相談できるようにと

月に数回 本堂を開放。

ボランティアの協力のもと 子ども食堂や
看護師による健康相談など

さまざまなイベントを行っています。

それこそ いてた時は
それこそ そうせんと…。

これまで 臨床の現場で 活動されてきた
大河内さんが

地域に目を向けるようになったのは

これ なぜなんでしょうか?

住職になってですね

地域の方と
触れ合う時間も 増えていきました

機会も増えてきました。

で これまでは その 病院というですね
ある種 特殊な 閉じられた場所

そこに来る方は
病になっていらっしゃって

がんと闘ってらっしゃったり
がんの終末期であるっていうですね

そういう ある種 ピンポイントな方の
ところに伺うっていうことがありました。

実際に今 今… 住職になって
檀家さんとの関わりもそうですし

地域に こう 目を向けていった時に

地域もまた臨床場所で

人の数だけの
それぞれの悲しみ苦しみがある。

それは 今までのスピリチュアルケアの
取り組みの 一環として

新たに始められた この地域で ここに
根ざしてということですね。 はい はい。

高齢者とか独居とか
え~と 大切な人を亡くされた方

それから 子供たちもいるし
障害を持ってる方もいるし

障害を持ってる お子さんを
育てていらっしゃる親御さんもいる。

そういった こう 一人一人の当事者性
というところに目を向けていった時に

できることは限られているけれども

できることは何でもしようっていうような
思いがあって。

訪問看護を立ち上げながら

他にあるんじゃないかなってことを
考えまして

それで 次から次と 実は いろんなことを
今 場づくりをしているところなんです。

今日は あの~
たくさん お話を伺いましたけれども

死ですとか悲しみと向き合う。

これは あの~ すごく後ろ向きの
ことのように思えますけれども

結局は 生きるということに
向き合うことなんだなと

改めて感じました。

いろんな意味で こう

命が操作されてきているような社会に
なっているようにも感じたりします。

つまり どう生きるのが望ましいかとか
どのような最期が理想的かというですね

混とんとしていたり
いろんな選択肢があればあるほど

私たちは理想的な死であったり

理想的な最期を
追い求めていく傾向にあると思います。

でも 仏教が伝えるべきメッセージは

「とはいえ 思いどおりに
ならないこともあるよ」ということと

それから 理想的な死とか理想的な命とか
理想的な人生を設定した時に

そうならなかった
自分の人生 命 死というものは

不幸な死 不幸な人生 不幸な命に
なっていく。

その二者択一の中に自分をかける。

で 結果として自分のものになった
よかった よかった

思いどおりに ならなかったから
自分の人生 不幸だったか

「あの人の
人生は かわいそうね」っていうですね

そういう まあ レッテル貼り
ジャッジっていうものの こう …を

明確にして
いきすぎているような気がします。

私たちが
理想を持つというのは自然なこと。

でも 大事なのは
どのような結果になったとしても

まさに ありのままを受け止めるっていう
ことを大事にしていく社会の方が

私は それぞれに寛容であって

それが 人生の中の 私たちのある意味

生きていくうえでの修行なんではないかな
と思ってたりします。

♬~

♬~

♬~

Source: https://dnptxt.com/feed/

powered by Auto Youtube Summarize

おすすめの記事