徹子の部屋 段田安則[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 段田安則[字]

~母は今年100歳に!“京男”の私生活は~段田安則さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
『ドクターX』『半沢直樹』『カムカムエヴリバディ』など、近年の大ヒットドラマに続々と出演する人気俳優・段田安則さんが19年ぶりに登場!
◇番組内容
今年100歳になった母のことや、およそ40年前に若くして亡くなった父が遺した書についてなど、家族の貴重な秘話を語る。また、杉村春子さんの名演で知られる舞台『女の一生』を演出する段田さんに、主演を務める盟友・大竹しのぶさんから愛のこもったメッセージが届き…。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  19. 素晴
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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(黒柳)さあ 今日のお客様は

19年ぶりのご出演です。

朝ドラ
『カムカムエヴリバディ』での

好演が記憶に新しい

段田安則さんでいらっしゃいます。

こんにちは。
どうも こんにちは。

よろしくお願いします。
ご無沙汰しておりました。

今 大ヒットドラマに この人あり
という名優でいらっしゃいます。

京都のご出身で
今年100歳になった

お母様のお話なども
伺わせて頂きます。

『ドクターX』 『半沢直樹』
もう 大ヒットのドラマ

そういうものに
この人ありという

段田安則さんでいらっしゃいます。
ありがとうございます。

どうも どうも。
どうも。

フフフフ…。 でも あれですよね。

ずっと前にお会いした時
こんなに たくさん

ドラマに どんどん
お出になるようになるとは

思って
いらっしゃらなかったでしょ?

そうですね。
ですから これ 最初に

『徹子の部屋』に
呼んで頂きましたのが

もう20年近く前らしいんですけど。

はい。 その時は もう これで…

もう これが頂点かなと
思っていました。

そこから まあ そこそこ
仕事もできるようになりまして…。

こうやって
昔見ていた『徹子の部屋』を…。

京都で それこそ
二十歳ぐらいの時に

大体 僕 夜型人間なものですから
大体 起きて ちょっとしたら

NHKのニュースと
『徹子の部屋』を見るというのが

毎日のサイクル
だったものですから。

あっ そうですか。
それに こうやって

何十年もして
出させて頂けるっていうのは

ちょっと感慨深いものが
ございます。

朝ドラの
『カムカムエヴリバディ』は

足袋会社を築いた厳格な父親。
はい。

そういう方を熱演なさいました。

でも おじい様が京都で

手描き友禅の
職人をしていらしたので

撮影の時には
おじい様の事を思い出しながら

おやりになったとかって。
そうですね。

その朝のドラマの場合は
それは もう

繊維会社の工場の
社長だったものですから

職人というのではないんですが。

仕事によっては そういう…
その時々の役柄によって

自分のおじいさんを想像したり
なんか

そういう事はございます。
なるほどね。

小学生の頃は
おじい様のお手伝いなんかも

なすったんですか? それ お家の。

じいさんが そういう 着物に
絵を描く仕事をしていて

それで 母親も そういうのを
やっていたものですから。

おじいさんと実際に 一緒に
やった事はないんですが

母親も家に持って帰ってきて

こんな枠組みを作って
そこに反物を通して

手で絵を描くという事を
母親もやっておりましたので。

その頃は まだ 着物も
よく売れていた時代だったので

僕も中学生ぐらいの頃からは

たまに 遊び半分で
手伝いで 着物の…。

僕のやるようなのは
塗り絵みたいなもんですけど。

それをやると 一反塗ると

1000円とか
1500円くれたような気がして。

ちょこちょこ手伝っていました。
そうですか。

でも まあ いいお値段ですよね
1000円なんか。

そうですね。 中学生にしたら…。

一反 塗るのに やっぱり
結構 時間かかりますけど。

中学生にしては
いいお値段でございました。

でも お母様が買ってくださった
帯と着物

それは 今も
大事にしていらっしゃるって。

そうです。 浴衣なんですけど。

あっ そう。
今 出ました。

これが 私が
二十歳ぐらいだったでしょうか。

芝居とかを
始めるようになった頃に…

京都に まだ
いる時だったんですけど。

あの浴衣と帯を母親が…。

日本舞踊を ちょっと
習うとかいう事があったんで

本当 かじった程度なんですけど。

その時に母親が買ってくれました
帯と浴衣。

で 稽古で使ったりは
しているんですけども

袖とか もう
ビリビリになったりして

自分で また縫ったりして。

でも だんだん
貴重な気がしてきて

あんまり 稽古でも
今は着ないように

大事にしているんですけど。

お母様は大正11年のお生まれ。
そうなんですよ。

これがね 100歳になりまして。
そうですよね。

今年。
すごい。

まだ 存命でおります。
すごい。

今 介護施設にいるんですけど
京都の。

ほんの数日前も…。

今 コロナで なかなか…
これ 本当に 今のご時世

介護施設に入っている方とか
ご家族の方が面会できないとか

2週間に1回しか駄目とか
10分しか駄目とかいうので

皆さん ご苦労なさっているし

不便を感じていらっしゃると
思うんですけど。

僕の場合も そうで。

僕が行っても
最近では半分ぐらい

僕だと わかっている時も
あるような…。

どこの誰? っていう感じの時も
ありまして。

フフフフ…。 そう。

これがね かえって ちょっと
寂しい気もするんですけど。

ただ 逆に楽な…。
いや 楽と言いますか

もしも
ずっと 俺の事がわかっていて

次は いつ来てくれるんだ
いつ来てくれるんだってなると

これは つらいんですけど。

「こんにちは。
誰でしたっけ?」の方が

ちょっと こっちとしても
楽な気は…。

そうですよね もしかしたら。

お母様 何歳まで
お一人暮らしをしていた?

90… 3年前…。

97ぐらいまで1人で。
すごいですよね。

お母様の家系は長生きの家系?
これが長生きなんですよ。

母親から言うと おばあさん。

僕から言うと
大ばあさんも長生きしまして。

これも90代でしたですけど。

これもっていったらあれですけど。
怖い 嫌なおばあさんでしたけど。

フフフフ…。
それで 僕のおばあさん…

母親の母親は
これも 九十いくつまで

生きていまして。
そうですか。

テレビを見ながら…
冬 テレビ 見て

夏の プールで
泳いでいるシーンを見ると…

まあ 冬ですから。

でも ドラマですから

プールで泳いでいたって
いいんですけど。

「こんな冬に泳いで寒ないのかな」
とか言っている おばあさん…

面白いおばあさんでしたけど。
これも 長生きでしたです。

そうですか。

お母様は舞台を
見に来てくださった事は

しょっちゅう?
はい。

東京にも見に来てくれた事も
ありましたし

何度か母親は見に来てくれました。
そうですか。

褒めてくだすった事あります?
はい。

声が…
私 顔には自信ないんですけど

声は
割と自信があったものですから。

声は よかったんですね。

まあ ちょっと 今は
もう 駄目になっちゃったんです。

母親は それを見て
やっぱり 声の…

「声のええ子に生んどいて
よかったな」

「私のおかげやで」と

こういうふうには
言っておりましたですね。

そうですか。 で お母様 詩吟が
趣味でいらしたんですって?

はい。 いつの頃からか
詩吟をやっていまして。

あれは大きい声 出しますから
体にもいいのか

詩吟を やっておりましたね。

お母様は40年以上 お一人で生活。

お父様は割と若くして
お亡くなりに…。

はい。 僕が東京へ
出てまいりました22歳の時に

父親が59で亡くなりました
大みそかの日に。

あっ そうなんですか。
はい。

青年座の養成所に入った年に…。
そうです。

心臓のご病気で。
心臓でしたね。 はい。

でも お父様は 亡くなる日
書き初めの練習で

ある言葉を
お残しになったとかって。

そうなんです。
大みそかでしたものですから…。

そんな書き初めとか あんまり…。

字を よく書く人では
なかったんですけど

何を思ったのか新聞紙に

明日 書こうと思っていたのか
新聞紙に練習していたみたいで。

「我が生涯 最良の年」みたいな…。
あっ 「我が人生に悔いなし」だ。

「我が人生に悔いなし」
みたいな事を…。

すごい。
明日 書こうと思っていたのか

練習していたのが
残っていましたけど

今 どこ行ったのか
母親が持っているのかも

わかりませんけど。
あっ そう。

多分 それは
お父様の本心じゃないですかね。

だったらよかったなとは
思いますけどね。

まあ ちょっと…。 ですから
僕が東京 出てまいりましたんで

舞台をやっている姿とか

テレビに ちょこちょこ
出ている姿っていうのは

父親は見ていないものですから。

もうちょっと
生きていてくれればと…。

それは残念でしたね。
ああー そうですか。

なんか 反抗期で
お父様と口を利かない時期も

あったんですって?
そうですね。

ずっと可愛がっていて
仲のいい親子だったんですけど。

可愛がってくれましたけど。

やっぱり 高校 大学となりますと
これが やっぱり

ご多分に漏れず 反抗…。

反抗するほど…
ケンカするほどじゃなかったです。

あんまり しゃべらなく
なりましたですけど。

ちょうど その頃に亡くなって。

もうちょっと年を経たら
もっと色んな話を…

戦争中の話とか
色々 聞いてみたかったな

っていうのは
今になって思いますけど。

立命館大学でいらして
そこを中退して上京したら

突然 お父様が訪ねていらした。
ええ。

六畳一間の祖師ヶ谷大蔵…。

祖師ヶ谷大蔵は
別に言う事ないんですけど。

祖師ヶ谷大蔵の下宿に
いたんですけど。

そこへ もちろん 布団ぐらいしか
持ってこなかったものですから。

父親がテレビがないと
寂しいだろうっていうんで

白黒の これぐらいの
ちっちゃいテレビを

風呂敷に包んで 京都から
持ってきてくれましたですね。

ええー。
で これ…。 急に話 あれですけど。

えっと 時計を…。

これは
父親が買ってくれた時計で…。

いい時計ですね 随分。
これが1万1500円なんですけどね。

これが 私 中学生の頃に…。

中学に上がった時に
時計が欲しくて。

時計をすると
なんか 大人びたような感じで。

それで言ったら 父親が
「よし」とか言って

四条河原町の時計屋さんを
家に呼びまして。

そんな事するような家じゃ
ないんですけど。

貧乏なのに 時計屋を家に呼んで

カシャッて こうやって…
こんなアタッシェケースみたいな。

ダラーッて
時計が並んでるんですけど。

で 「さあ」とか言って。

僕 欲しかったやつがあって。
そこには なかったんです。

ほんで
「じゃあ これがいい」って言って

僕が… 中学1年生の僕が
これを選んで

「よし。 じゃあ それを買ってやる」
とか言って

時計屋さんが 「ははあ」とか言って
おおー かっこいいなと思ったら

「これ 月賦にできる?」って
言われて。

ハハハハ…!
ちょっと待ってくれよって。

今ではね ローンとか分割って
別に普通でね

カードで支払うんですけど。

当時は やっぱり
月賦って ちょっと恥ずかしい…。

そうです。 ちょっとね あんまり。
お金持ちはキャッシュ…。

1回…。

父親が「これ 月賦にしてくれる?」
って言うから

ちょっと かっこ悪って
思った記憶があるんですけど。

それが
13歳ぐらいだったですから

これは もう 五十何年
持っている時計…。

でも よくもちますね。
はい。 全然 修理しない…。

ベルトは何回も
替えましたですけど

いまだに…。
そうですか。

これを使っております。
いいお父様ね。

でもね 買ってくださったんでね
よかったですよね。

何百万の時計よりも
僕には 今 大事です。

そうですよね。 お父様がね

そうやって買ってくださった
っていうのがね。

でも 今になると
もっと お父様と

あれこれ 話しておけばよかった
っていう事ありません?

いや これは もう本当に
悔いが残るばっかりで。

もっと 本当に色んな話を
聞きたかったなっていう…。

父親の子供の頃とか
それこそ 兵隊に…。

兵隊に行きましたので。 兵隊の…
中国 行ってましたんですけど。

その頃の話とか…。
ちょこちょこ まだ…。

ちょこちょこは
聞いたんですけど。

もっと 色んな話を… そうですね。

なんで
聞いておかなかったんだろうなと

思いますね。
ある年齢になると…。

現在は 奥様と2人暮らし。

はい。 そうでございます。
そうですか。

奥様とは なんか 交際期間が
随分長かったんですって?

同じ劇団にいて 26歳ぐらいで
知り合ったんだと思うんですけど。

一度 それで… 離れました。

けれども それから なぜか
なんとなく長かった…。

ちょこちょこ…。
フフフフ…。

テレビで説明すると長くなるんで
あれですけど。

はしょりますけど。
なんだかんだで

結局 40過ぎに結婚致しました。
あっ そうですか。 ええー。

で 現在は もう
夫婦ゲンカとかは なさらない?

いやいや 冷たい戦争ですね。
ハハハハ…。 冷たい戦争。

もっと 何かがあったら
言い合いする… ねえ。

「駄目じゃないか!
なんだ? 君は」とか言って

ケンカすりゃいいんでしょうけど

あまり… お互い 何かありますと

スッと冷たく離れていく
みたいな状態があって。

それが ちょっと 続くと…

それぞれ お互い
思うとこあるんでしょうけれども。

どうしようもない…
宅配便が来た時とかに

どうしようもない用事とか

回覧板が来るとか…。
回覧板?

そういう
業務連絡がございますわね

一緒に住んでいると。
そうですよね。

それで なんとなく解けていく
というような事があります。

なんか 畳のある家にこだわって
畳の部屋をお作りになった。

あっ そうですね。
家を作る時に 畳の部屋…。

今 もう 畳がないお家も
たくさんあると思うんですけど。

畳があると 本当 落ち着くので。

4畳半なんですけど
自分専用で 何も置かずに

畳の部屋がありますね。
この間… そう。

ドラマで 正座するのがつらそうな
子役の方がいて

「君は正座した事ないのか?」って
言ったら

「はい。 初めてです」って
言うんですよ。

「えっ? 君の家 畳ないの?」って
言ったら 「はい ありません」って。

そりゃ そうか 最近はと思って。
ですから 法事とか

そういう事もないと

やっぱり 正座するという習慣が
子供 ない子もいるみたいですね。

これから先も あれですよね。
ドラマで

子供が正座するっていうのが
出てきた時は 大変ですよね。

一応 確認しておいて
「君 できるか?」って。

そんな時代になったんですね。
そうですか。

奥様も関西のご出身?
はい。 神戸です。

あっ そうなんですか。
じゃあ ご夫婦そろって関西だと

召し上がりものは 味が…。

味は似ていますですね。
いいですね。

西の方の味ですね。
あれですって?

関西風の冷凍うどん
っていうのがあって?

冷凍うどん… そうそう。

これはスーパーでも
売っているんですけど。

結構 東京でも 最近は
関西風とか 讃岐うどんとかの

割と西の方の
ダシの利いたうどんが

割と冷凍うどんでも
今 スーパーで売っていまして。

それで 気に入ったのは
自分で買ってきて

鍋に入れて食べるっていうのは
あります。

なんか それで おいしすぎて

本当は そういうものを
夜中に食べちゃいけないのに

夜中に
召し上がったりするんですって?

これがですね… はい。
私 また 今… 仕事がないと

どうしても
夜型人間でございまして。

晩ご飯 家内が作ってくれて
食べても

なんか 11時とか12時に ちょっと
おなかが すいたりしますとね

ちょっと 作って
自分で食べたりしています。

で それには
それが とてもいいんですか?

それ うどん… やっぱりね…
そうですね。

西の人間だから
うどんっていうのは 割と

ご飯でもなく おやつでもなく
中間っぽい感じで ちょうど…

消化にいいんだか…。
おそばじゃなくて おうどんね。

どうしても温かいものは
うどんになりますね。

なるほどね。
趣味は草野球ですって?

草野球がね…
これが一番楽しかったんですが

前は みんな 暇なもんですから
メンバー 役者さんもいりゃ

洋服屋さんとか
色んな人がいたんですけど。

みんな 仕事… 役者なんか特に
仕事ない時は 暇なもんですから

年間 30試合とか

チームを組んで
やったり

練習…
合宿だとかいって

1泊で合宿行ったり
していたんですけど。

みんな 忙しくもなり
ケガも怖くなり

ほとんど この十何年
活動休止状態で。

この間
久しぶりにやりましたけど。

本当に たまに…。

2年に一回かぐらいしか
もう やらないんで

趣味と言えるほどのもんじゃ
ないんですけど。

でも なんか 走ると 体が

バラバラになっちゃう
みたいな気に…。

はい。
気持ちは 走っているんですけど。

前は 気持ちと体がついて
一緒に行ったんですけど

気持ちは
どんどん行くんですけど

体がなんにも…
全然 追いつかないんで。

フフフフ…。
これ 危ないなというのは…。

運動会でこけるお父さん
みたいな状態…。

そうですよね。
でも 芸歴41年 2007年に

読売演劇大賞の最優秀男優賞を
お取りになりまして

本当に おめでとうございました。
ありがとうございます。

俳優として高く評価され

で 舞台の演出も挑戦なさって。
はい。

『女の一生』を2年前に
大竹しのぶさんで演出なさった。

はい。
『女の一生』っていうのも

杉村春子さんで ずっとね
おやりになったものですけども

おなじみの。

文学座の宝みたいな本ですし

『女の一生』といえば杉村春子と…。
そう。

完成された 文学座の宝みたいな
お芝居ですから

こんなものを…
こんな素晴らしいものを

私などが手をつけていいのかって
思ったんですけども。

松竹が これを大竹しのぶ主演で
やるという事になって

ははーって言いながら…。

こっそりやりゃ わかんねえかと
思いながらね。

こっそり?
こっそりやるかと思って

えいってやったのが
2年前なんですけど。

黒柳さんも 『女の一生』は…。
あっ そう。

文学座の養成所にいる時には

みんな やるんですよ。
アメリカが なんです

イギリスが なんですとか
言ってね。

覚えていらっしゃいますね。
セリフ 覚えています。

それで 杉村春子さんが
ここのとこで

こうやって手をここに置いたとか
なんとかってね。

文学座の養成所ですから
やっぱり 杉村先生が

どうおやりになったか
なんていう事をね

そこで
たっぷり習いました。

僕 杉村さんのは
『欲望という名の電車』とか

『牡丹燈籠』とか
何本か見ているんですけど

杉村さんの
『女の一生』だけは

実演を
見ていないもんですから。

あっ そうですか。
でも それを今さら…。

ええー? そんな なんか…

よその家宝に手を出していいのか
っていう気持ちはあるんですけど。

これが 2年前にやって 改めて
本を読んだりなんかしますと

本当に いい本ですね。
ええ。 そうですね。

出る… やる方は… 自分は もう

映像じゃないから
やっている方は

うまいつもりでやりゃ
過ぎていくんですけど。

演出となりますとね

これ 責任…
やっぱり かかる感じが…。

別物ですので。

ええー? 最初は ちょっと
尻込みしたんですけど。

そういう… こんな名作ですから
したんですけど。

なんとかなるかと思いながら
ほとんど…

新しい自分なりの解釈とか
余計な事をする必要がない本で。

このまま そのとおり…
本のとおりやれば

もう 素晴らしいものになるだろう
と思いますんで。

あまり 私が演出したから…

演出の力で どうこうっていう
お芝居ではないなと思いまして。

あっ いいですね。 いいですね。

はい 素晴らしい。
はい オーケーみたいな…。

ハハハハ…。
いい加減な演出。

あっ まずい。 みんなに聞かれたら
まずいんですけど。

すごい。
そんな感じで…。

この本の素晴らしさ
俳優の素晴らしさにすがって

やっております。
そうですか。

今年も 『女の一生』の再演がある
という事ですね。

何本も大竹さんとは 舞台も

ご一緒しているんですけど。
あっ そうですか。

10月18日からですね 新橋演舞場。

女優さんとしての
大竹しのぶさんは いかがですか?

まあ 日本を代表する四番バッター
みたいなものですからね これが。

それを補欠の監督が

コーチしている
みたいなものですから

あんまり偉そうな事
言えないというか…。

それでオーケーだなと
思ってしまうんですけど。

まあ そこは演出として
言わなきゃなと思う事は

言うんですけど。

いや 本当に
集中力の高さといいますか

その役の解釈の仕方とか…。

大竹しのぶさんも
もう60過ぎましたですけどね。

過ぎて
もう そこそこになりますけど。

それが まあ 16からやる…。
まあ もちろん 杉村さんも

80代で16をやって
いらっしゃいましたけど。

名女優っていうのは…
森光子さんも そうですけど。

若い頃から晩年までやっても

全然 無理がない…。
そうですよね。

あんまり近くで見ない方が
いいとは思うんですけど。

フフフフ…。
舞台で見るのは 全然オーケー。

テレビのアップは ちょっと
きついものがありますけど。

そうですよね。
はい。 舞台では やっぱり

心情が16歳なら16歳になると。
なっていたら もう 全然…。

逆に それが面白く見える
っていう感じですね。

ちょっと 大竹さんから
メッセージが…。

えっ?
ごめんなさいね 突然。

やばい やばい やばい。
ああー やばい やばい やばい…。

ちょっと ご覧ください。

「楽屋でも ああー… って
いっつも2人でやっている事」

「だけど 舞台に出ると…
まあ 私の事は置いといて」

「段ちゃんは

「とにかく…」

「フフフフ…」

「そして…」

フフフフ…。

ああいうふうに
おっしゃっていますけど。

いや あんなふうに ねえ

思っていらっしゃると
知りませんでしたけど。

何しろ 熱心ですし 真面目だし
本番が始まっても

あそこは どうだろう?
こうだろうとかっていう。

僕は割といい加減な方で
「まあ いいじゃん」

「始まっちゃって幕開いたら
もう いいじゃないの」

っていうところは
あるんですけど。

本当に ちょっとでも
芝居をよくしようって…。

自分の芝居だけじゃなくて
全体を見ながら…。

そういうふうな方ですね。
あっ そう。

なんか この演出をなさる時に

こんな宝に
手を出していいのかという

思いがあるとかって。
そう…。

いまだに それはね 思うんです。
本当に この芝居を…

それこそ 杉村さんは
お亡くなりになりましたけど

文学座の方々も

大事に大事に この芝居を ねえ
引き継いでこられた中で

急に 横っちょから
訳のわからない男が出てきて

演出なんかしやがってなんて

思われているんじゃないかなと
思って。

文学座の人に申し訳ないなと
思いながら やっておりますけど。

そんな事は大丈夫ですよ。

フフフフ…。
やりたいと思います。

北村和夫さんやなんか
いい加減な人が

やっていたんですから
大丈夫ですよ。

大丈夫ですか?
フフフフ…。

ありがとうございます。
舞台のご成功をお祈りしています。

ありがとうございました。
どうも。

『徹子の部屋』は

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