出典:EPGの番組情報
ブラタモリ「国境の島・対馬~日本史最前線!国境の島が果たした役割とは?」[解][字]
今回は国境の島・対馬の後編。蒙古襲来の戦場はいずこ?外交問題を乗り切る奇想天外な知恵とは?美しく壮麗な城下町、石の秘密!タモリさんがブラブラ歩いて解き明かす!
番組内容
「ブラタモリ#219」は前回に続いて長崎県・対馬。「日本史最前線!国境の島が果たした役割とは?」いよいよクライマックス!▽激レア!対馬ならではの“石”で作った屋根▽蒙古襲来!対馬を襲った絶体絶命のピンチ…リーダー宗氏が見た壮絶な光景を体感!▽交易に生きる島が朝鮮出兵で万事休す!▽宗氏最後の奇策は国書偽造!イチかバチかの大胆な行動が対馬を救う!?▽朝鮮通信使も目をみはった宗氏の“白い石作戦”とは?
出演者
【出演】タモリ,野口葵衣,【語り】草彅剛ジャンル :
バラエティ – 旅バラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
趣味/教育 – 旅・釣り・アウトドア
テキストマイニング結果
ワードクラウド
キーワード出現数ベスト20
- 対馬
- 尾上
- タモリ
- 国境
- 日本
- 厳原
- お願い
- 朝鮮
- 場所
- 石屋根
- 野口
- 国書
- 宗氏
- 城下町
- 前回
- 堆積岩
- 舞台
- ミルフィーユ
- 屋敷
- 氏江
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
佐須。
(笑い声)
ぐらいのとこしか分かりません。
はい。
前回に引き続き
舞台は長崎県の対馬。
九州と朝鮮半島の間に
浮かぶ島です。
今 タモリさんは
島の南西にある
佐須という地域に
います。
はい お願いします。
え~…
こういうことです。
ああ~。
へえ~!
前回 国境の島ならではの
歴史にまつわる舞台を巡ったタモリさん。
対馬は 古代から現代に至るまで
大陸と日本とをつなぐ
重要な かけ橋でした。
何でしょう?
う~ん。 南のほうに来ましたけども。
え~ こんにちは。 西です。
あ こんにちは。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
西 護さん。
前回に引き続き
国境の島・対馬に起こった
ドラマの舞台に
案内してくれます。
はい ここで。 この佐須地域で。
(笑い声)
始まりました 「ブラタモリ」!
今日の舞台は…
古くから
国境の島であるがゆえの大事件に
いくつも遭遇してきた対馬。
前回訪れた金田城も
その痕跡の一つでした。
およそ1, 350年前
白村江の戦いに敗れた日本。
金田城は 大陸の脅威から国を守る
最前線基地という役割を担いました。
そんな国境の島・対馬には
さらなるピンチが!
一体 どう切り抜けたのか?
タモリさんがブラブラ歩いて
解き明かします。
今日は対馬で「ブラタモリ」!
♬「ハロー ハロー お元気?」
♬「今夜
なにしてるの?」
♬「TVなんか 見てないで」
♬「どこかへ
一緒に行こう」
♬「だからもう I love you so」
♬「I’d love to be
back in your heart」
♬~
国境の島ゆえの大事件が起こった
佐須という地域。
実は ここ 対馬ならではの独特な風景が
残っている場所でもあるんです。
あ?
あっ 家ではなくて倉庫の。
はい。
あぁ~。
(西)そうですね
ほかの地域ではですね なかなか。
珍しい石屋根の倉庫。
ちょっと近くで見てみましょう。
ありますね。
ちょっと ほっとする。
そうですね。
(笑い声)
これは。
こういうのは まあ…
はい。
そのとおりです。
ああ ミルフィーユのようなやつ。
堆積岩。
はい。
野口さん よく覚えてましたね~。
えっ…
あ この辺 全部 ミルフィーユですね。
前回 ミルフィーユに
例えられた堆積岩。
実は 対馬は ほとんどが
堆積岩でできています。
堆積岩は 対馬で最も
手に入れやすい石なんです。
屋根にもミルフィーユ。
(笑い声)
あっ お願いします。
ああ どうも。
(桐谷)おはようございます。
(タモリ 野口)おはようございます。
桐谷政実と申します。
どうぞよろしくお願いいたします。
(タモリ 野口)よろしくお願いします。
はい。
はあ~。
へえ~。
ほぉ~。
だから…
なるほど。
そうですね。
強風や火事に強い石屋根は
穀物や衣類 布団など
大切なものを保管する場所として
古くから利用されてきました。
この石屋根づくり
村じゅうの人がみんなで協力する
一大行事でした。
全員ですね。
こんな幼い 年下の妹か弟にも…。
(笑い声)
ちゃんと食べさせてるんだね。
優しいですね。
偉いね。
偉い偉い。
(桐谷)そうですね。
かつては 島の至る所で見られた
石屋根の倉庫。
最近 徐々に姿を消しています。
そんな中 この集落は
石屋根が比較的多く残っていて
昔ながらの対馬の風景に
出会うことができるんです。
(桐谷)私たちも…
そうですね。
そうですね。
ちょっと立ち寄り…。
あ そうですか。
あぁ ありがとうございます。
ということで いよいよ
歴史的大事件の舞台へ!
向かったのは 石屋根の集落から
ほど近い海辺です。
はい。
小茂田浜。 きれいな浜ですね。
(西)はい。
ここかどうか 私は初めて聞くので…。
(西)はい そのとおり。
そうです。
この浜に。
そのとき
最初にモンゴル軍が襲来した場所が
この小茂田浜だったと
考えられています。
あ どうも。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 お願いします。
村瀬です。
対馬の歴史に詳しい 村瀬達郎さん。
前回に続いての登場です。
ご覧頂きたいと思います。
はい。
(村瀬)「対馬の西の」…
これ「佐須浦」ですね。 佐須浦。
3万人がやって来たんだ。
(村瀬)はい。
なんで
こんなに来たのか
っていうことが
分からずに…
尋ねた。
何しに来たんだ?
と…
うん うん。
(笑い声)
はい。 フフフ… そうなんですよ。
意図は
もう分かってはいたんですけれども。
まあ どういう顔して…。
…とか言ってる場合じゃないですよね。
そうですね。
そうなんですよ はい。
はい そうなんですよ。
はい そうなんですね。 ここから。
実は 対馬には もう一つ
当時の様子がうかがえる伝承があります。
ちなみに あちらがですね
その 宗 資国の銅像になります。
へえ~。
戦いに赴いたときは
60歳をもう既に超えていた
というふうに
伝えられています。
(笑い声)
伝承の中には そんな宗 資国に
まつわる話があるんです。
宗 資国は 自ら親兵80余騎を従えて
府中… あの
現在の対馬市の中心地であります…。
厳原。
厳原から
この佐須地域のほうに
討って出て
この小茂田の海岸に近い
「ひじきだん」に
陣を備えたと伝わっております。
700年前の この佐須浦は
現在の地形とは異なっていて
川筋に沿って
かなり深い入り江であったと。
ず~っと入ってた。
はい。
今 私たちがいるのが こちらですね。
はい。
この辺りぐらいまでですね。 こう…。
おぉ~。
海だったんではないかというふうに
考えられております。
はい そうですね。
ふ~ん。 じゃあ…
「ひじきだん」というところに
なるんですけれども
今日は その…
ご覧頂きたいと思います。
ああ そうですか。 ほう。
え~っと 今 ここですね。
はい こちらですね。
えっ…。
これ。 「ヒシキ」っつうのがある。
はい そうですね。
はい そうなんですね。
明治時代の図と現在の航空写真を
比べてみると…。
「字 ヒシキ」は
この辺り。
ということは…。
はぁ~。 あの山のところをこう…。
そこもか。
そうですね。 そこも入りますね。
こう… ですね。
あの 奥のところ
少しコンクリートの壁が見えてるので。
今 あそこ
切り通しているんですけれども。
昔はつながってた。
はい。 昔はつながってて
あの先端
右手の お握りの形をした山ですね
あの下までが
「ヒシキ」と呼ばれる場所だったんです。
どういうことなんですかね?
実は 対馬ではですね
山の先っぽの
徐々に こう緩やかに
なっていってますよね。
あの…
はい。
あの辺り。 山の上辺りに。
ですね。
行ってみたいと思います。
地名と伝承から
「ひじきだん」と考えられる場所
実際に行ってみましょう!
はぁ~。
はい。
ほぉ~。
あの辺から こうカパッとはいで
持っていくんだね。 あぁ~。
おっ…
はい そうなんです。
ん? 神社あります?
あります。 鳥居があります。
はい こちらに。
あ ほんとですね。
はい。 のぼってみましょう。
はい。 のぼってみましょう。
(笑い声)
(笑い声)
はい。
はい。
神社がある高台に のぼってみましょう!
よいしょ… おぉ。
おお~。
はい そうですね。
はぁ~。
まあ ここに
宗さんが陣をひいたわけですね。
はい。
はい。
(笑い声)
「これは話にならん。 ダメだ」。
はい。
「無駄な死に方はするな」ということで。
はい。
いやぁ もう… はい。
タモリさんが おっしゃるように
逃げようか どうしようか。
まあ 思ったでしょうね。
はい。
…ってことになったんだよな。
(笑い声)
「聞くんですか?」。
はい。
ですから 向こうからすると…。
全然違う。
「やあやあ われこそは」ってやって
通じるわけがない。 はい。
(笑い声)
…とか言って。
(笑い声)
(笑い声)
まず ここに来たんですよね。
750年前 「ひじきだん」から見えたのは
こんな光景だったんでしょうか。
♬~
この地で 3万の軍勢を相手に…
皆 討ち死にしたと伝えられています。
しかし その後
宗 資国の子孫たちは
朝鮮との外交や交易を盛んにし
600年もの間
対馬を治めることになりました。
タモリさんが次に向かったのは
対馬の中心地 厳原。
かつて 宗氏の拠点だった町です。
元寇から300年後の安土桃山時代
またもや対馬と宗氏を
ある大ピンチが襲うことになるんです。
これは…
そうですね。
市役所などがあるところになります。
あちら見て頂くと…
あぁ~。
ほんと?
ハングルは。
免税店。
多分。 うふふふ。
へえ~。
では…
一体 何なのか。
これ やっぱ…
対馬とこの戦いとの関係を物語るものが
この先にあるというので
行ってみましょう!
はい。
(笑い声)
(笑い声)
端っこのほうばっかり
うろちょろしてたもんなあ。
町ですよね ここは。
そうですね。
うふふふふ。
へえ~。
(西)そうですね はい。
ここは中世から江戸時代にかけての…
立派だよね。
あっ そうなんですか これ。 へえ~。
あ ほんとだ…
普通にくぐって…。
ただですね…
はあ。
上に。
(西)はい そのとおり。
(笑い声)
あそこだ!
(西)はい。
あ~ はあ はあ はあ はあ。
あ~!
はあ~。
山の尾根に沿って
つくられた…
安土桃山時代に
秀吉の命で
宗氏らによって築かれたものです。
この城からの景色を見ると
秀吉が なぜ ここに城を築かせたのか
その理由が分かるんです。
(西)では ちょっと
村瀬さんを呼んでみましょうかね。 はい。
(笑い声)
(西)見えていますかね?
あ 今 パンしてます。
もうちょい
はいはい… おお~。
おお~。
おお 見えますね
一望のもとに。
うん そうですね。
ありがとうございました。
(西)ありがとうございます。
(笑い声)
ああ 今ごろ。
(笑い声)
秀吉による朝鮮出兵は
対馬に さらなるピンチを
もたらすことになります。
この出兵によってですね
朝鮮半島との…。
はい またまた。
はい。
はい。
朝鮮出兵以降 国交は断絶。
当時 朝鮮との交易で生計を立てていた
対馬の人々にとって
それは 絶体絶命の
大ピンチでした。
(タモリ 野口)よろしくお願いします。
(尾上)こんにちは。
(3人)よろしくお願いします。
20年以上
対馬の歴史について研究しています。
え~ では 改めまして…
あっ そうですね はい。
…いうようなことをやりますね。
(笑い声)
はい そうですね。
このとき
対馬を治めていた 宗 義智は
国交回復を目指し
日本の窓口として
朝鮮との交渉を重ねます。
朝鮮側が
国交回復の条件として
出してきたのは
「国書を日本から
先に送ること」。
しかし これは
日本が自らの非を
認めたことを意味します。
秀吉亡きあと 天下をとった徳川家康は
「朝鮮出兵は自分がやったことではない」
という立場。
応じるわけはありません。
向こうが こだわるわけですね。
はい。
こちら側としては やりたくない。
はい。
はい。
(笑い声)
そうですね。
…いうようなことを考えますわね。
そうですね。
(笑い声)
実はですね…
(笑い声)
はい そうですね。
(笑い声)
偽の国書を受け取った朝鮮は
それに応じて 日本に国書を送ります。
しかし そこに記されていたのは
「奉復」という2文字。
これは返信のときに使う言葉です。
書いてもいない国書に返信が来るのは
おかしいですよね?
偽造したことが
バレてしまいます。
でも 実際に将軍に届いた国書は
こちらでした。
あっ!
(笑い声)
えぇ?
「奉書」になって 「復」じゃないもんな。
(尾上)はい。
はい そうですね。
はい。
チクったやつがいるわけですか。
はい。
あら~。
あら~。 う~ん。
え~。
え~。
う~ん。
相当に…
はい。
国と国が接する国境で
言葉も文化も違う両者を取り持ち
国交回復を果たした宗氏。
対馬の生命線である
朝鮮との交易も復活させ
大ピンチを乗り越えました。
うん。
はい そのとおりです。
こちらをご覧下さい。
はい。
ほお…。
え~!
へえ~!
ほぉ~ そんなに多かったんですか。
日本と朝鮮との外交を担う
重要な使節でした。
これ?
はい。
(尾上)そうです はい。
宗のおやじが また書いたりするの?
(笑い声)
もう書かなくていい?
はい。
はい そうですね。
何泊も何泊もして。
はい そうですね。
江戸時代
朝鮮通信使が日本を訪れたのは 12回。
朝鮮を出発した彼らが
江戸へ向かう途中 必ず立ち寄るのが
ここ厳原の城下町でした。
実は 朝鮮通信使が目にした
その町並みにも
国境の島・対馬が果たした
重要な役割が秘められているんです。
それを探るため
タモリさんがやって来たのは
厳原の町なか。
手がかりとなるのが 江戸時代に描かれた
こちらの古地図です。
はい。
…といわれています。
ああ そうですか。 ほぉ~。
(尾上)ではですね…
お~ 分かりました。 はい。
はい。
朝鮮通信使が歩いた
厳原のメインストリートを
進んでみましょう!
おぉ…。
…というふうに いわれています。
はぁ~ そうなんですか。 へえ~。
え~と 振り返って頂くと
後ろのほうにも…。
あっ ありますね。
(尾上)これも…
はい。
この人。
(尾上)
はい。 ここの平田の屋敷が
今 われわれがいる この辺り
ということになります。
(尾上)そうですね
今 焼き肉屋になっています。
はい… そうですね。
(笑い声)
あっ そうですね。
そこですかね。
これ… あ~ 残ってるわ。
はい。
ここは氏江という家の屋敷になります。
氏江さん。
広いですね。 はい。
そうです はい。 門も残っております。
おぉ~。
へえ~!
へえ~。
(笑い声)
あ~!
ああ…
ああ…。
そうですね はい。
この氏江の屋敷の横にある この道。
この道ですね。
ちょっと行ってみたいですね。
あぁ~。
う~ん。
はい。
はい。 絵図にあるクランクが
ここにも残っています。
おぉ~。
あぁ~
そっくりそのままですね。
(尾上)はい そうですね。
氏江さんちは
あのクランクの先までありますね。
(尾上)はい。
そこまでだ。
(尾上)その角のところまでですね。
ほぉ~ 残ってますね。
はい。
ほら。
ず~っと残ってるんだね。
はい。 屋敷に沿って残っています。
そうですね。
この石垣 見てね。
当時 朝鮮通信使が実際に見た
町の印象が
記録として残っています。
おお。
フフン…
(尾上)そうですね はい。
大絶賛。
…というふうに思います。
…ということでしょうね。
はい そうですね。
これなんですね。
はい。
そうですね。
対馬の城下町を
見事な石づくりの町並みにした宗氏。
そうすることで 対馬は
「日本の顔」としての役割を
立派に果たしたんですね。
ネコちゃん ニャー ニャー。
ねえ?
(笑い声)
厳原の城下町が
華麗だと絶賛されたのには
実は もうひとつ 特別な理由があります。
やって来たのは 厳原のメインストリートを
さらに進んだ場所です。
えっ?
和菓子屋さん。
和菓子屋さんがヒントですか…。
(尾上)はい。
こんにちは。 ごめんくださ~い。
こんにちは。
(タモリ 野口)あっ こんにちは。
あっ こんにちは!
こんにちは。 どうも。
主人の渡邊と申します。
よろしくお願いいたします。
(タモリ 野口)よろしくお願いします。
(尾上)はい。 渡邊さん
ご案内して頂いてよろしいでしょうか。
あ ここ? はい。
(笑い声)
おいしそうな香りしますね。
はあ!?
おお…。
わあ~。
(渡邊)はい。 これ…
へえ~。
(尾上)そうですね。
ねえ? (笑い声)
(尾上)そしてですね…。
はい。
あ 上がっていいんですね。 よいしょ。
この辺りを…。
ああ~。
ご覧下さい。
はい そうですね。
切り取るときに使われた穴。
これが「矢穴」になります。
矢穴ですね。
もっと こうあったんだ。
そうです はい。
はい そうですね。
はい。
これは…
はい そうです。
そのとおりです。
石英斑岩になります。
こちらは
対馬の地質図。
ほとんど堆積岩の
対馬の中で
厳原の辺りは
石英斑岩や
デイサイトといった
地質であることが
分かります。
城下町の石塀は これらの石を切り出して
つくられました。
実は この石の見た目にこそ
町が絶賛された特別な理由があるんです。
タモリさん…
うん?
そうですね はい。
そうすると 今よりも
できたときは白い石塀だった。
そうです はい そうですね。
カッコいいね 白い石塀だよ。
割ってみましょうか。
(笑い声)
割ってみましょう。
はい。
(笑い声)
はい。
こっちのほうが…。
(一同)おお~。
お~ パツイチ。
え~!
(尾上)はい。
(尾上)そうですね はい。
きれいですね。
きれいですね。
あんまり見たことないもんな
真っ白い石塀は。
国境の島の華麗な城下町
ちょっと のぞいてみましょうか。
♬~
「日本史最前線!
国境の島が果たした役割とは?」
ということですね。
あんまり 日本で どこで暮らしても
国境って意識するとこは少ないですよね。
少ないと思いますね~。
これまでの対馬のイメージとは
変わりましたか?
変わりますね。
国境の島って やっぱ
こうやって見ないと分かんないね。
まあ 対馬といやぁヤマネコか?
ぐらいしか印象がなかったんですが。
アナゴがおいしいとかですね。
そう。
アナゴがうまいとか言ってますけど。
大変な島でした。 ええ。
♬「未来の あなたに」
♬「幸せを 贈る」
♬「記憶と 想い出を」
♬「花束に 添えて」
♬「ひとときの 夢を」
♬~
Source: https://dnptxt.com/feed/
powered by Auto Youtube Summarize