出典:EPGの番組情報
林修のニッポンドリル 学者と巡る昭和遺産!第2の軍艦島&給食・団地の歴史[字]
軍艦島を超える炭鉱の島!まるで“ラピュタの世界”池島で立ち入り禁止エリアに潜入▽こんなに違う?昭和・平成…歴代給食を巡る▽ニッポンを変えた!団地の歴史
番組内容
今夜の『林修のニッポンドリル』は「学者とめぐるシリーズ」。今回の舞台は「第二の軍艦島“池島”」と「昭和の遺産“給食”&“団地”」!長崎県にある“第二の軍艦島”とも言われている池島について、学者と学んでいく。「池島では、火力発電所から出た高温の蒸気で島民が使う○〇を温めていた!?」「当時の池島の人々の暮らし」についてなど、意外と知られていない池島を学者とめぐり学んでいく。
番組内容2
また「20代~50代の年代別の給食の違いは?」「学校給食のおかげで〇〇が日本文化に根付いた?」など、昭和の“遺産”とも言うべき[給食]が担った役割などについて学ぶ。そして、昭和の“遺産”である[団地]についても学んでいく。「団地はなぜ団地と言うのか?」「団地がなかったら普及しなかった可能性があった設備とは?」など、学者だからこそ知っている団地の驚き情報満載!
番組内容3
大人から子どもまで家族みんなで楽しめる『林修のニッポンドリル』を、ぜひお楽しみいただきたい。
出演者
【MC】
林修
【副担任】
ノブ(千鳥)
【学級委員長】
風間俊介
【パネラー】
池田美優(みちょぱ)
井森美幸
川島明(麒麟)
※五十音順
スタッフ
【チーフプロデューサー】
武田誠司
【プロデューサー】
大和田宇一 五十嵐元 高橋陽平 中村倫久
【演出】
疋田雅一
【制作協力】
ワタナベエンターテインメント ハイホーTV ほか
【制作著作】
フジテレビジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
テキストマイニング結果
ワードクラウド
キーワード出現数ベスト20
- レッド
- 出水
- コカド
- 給食
- 当時
- 田中
- 池島
- 寺田
- 大月
- 団地
- パン
- 子供
- 日本
- 時代
- 石炭
- 井森
- 場所
- コッペパン
- 現在
- 年代
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
[長崎県の沖合に 浮かぶ…]
[日本の高度成長に欠かせない
石炭を採掘するために
造られた…]
[現在は…]
[この 日本経済を支えた島の…]
(レッド)あれですか?
(出水)あれです あれです。
[そう。 この島が…]
[今にも 朽ち果てそうな
巨大建造物の数々]
[軍艦島より
規模 石炭の産出量も
桁違いに多かった 池島]
[今なら…]
[さらに
学者と巡ることで 許された
立入禁止エリア]
[そこにあったものとは?]
[海に浮かぶ 炭鉱の島 池島]
[広さ…]
[空から見ると…]
(出水)上陸!
(レッド)着きましたよ。
(出水)着きました とうとう。
(レッド)あと…。
[池島で
石炭の採掘が 始まったのは
1959年]
[当時は 石炭から
石油に変わっていった時代]
[しかし
その石油が われわれ…]
[1970年代に起きた…]
[勃発。 これにより…]
[トイレットペーパーや
洗剤などの 買い占め騒動が起き
高度経済成長期も 終焉を迎え
マイナス成長に]
[そんなオイルショックに
日本政府は
石炭の見直しを 発令]
[火力発電所を…]
[などの
対応策が取られることに]
[当時 日本有数の
石炭採掘場だった 池島は…]
[大量の石炭を
送り続けることで…]
[その池島も…]
[現在は まだ 池島への
上陸自体は 許されているが
建物の老朽化などから この島も
いずれ 軍艦島のように
立ち入りが 制限される島に
なるかもしれないと
土木学者 出水は
危惧しているのだ]
(レッド)そうなんですか!
(出水)そうです そうです。
(出水)そうです そうです。
[そんな池島を 今回は
立入禁止エリアを含む
6つのエリアに分け
土木学者 出水が解説]
[まずは
上陸したポイント…]
[一見すると 普通の港だが
土木学者である 出水にとって
実は 大興奮の場所]
(出水)レッドさん。
[そう。 池島という名前だが
写真を見るかぎり…]
[実は…]
[それでは
井森さん お答えください]
(井森)炭鉱業を始める際に 池を?
え~ 分かんない! もう…。
(ノブ)あ~! なるほど。
なるほど なるほど。
[写真を見るかぎり
池は ないように見えるが…]
(出水)それが…。
(レッド)
ここが 池だったんですか!
[そう。 実は 現在 池島港として
湾になっている この場所こそ
池島の由来となった
鏡ヶ池があった場所]
[実は 炭鉱業を始めるために
池を 港にしたというのだ]
[石炭を積み込む船は…]
[当時 池島には 港がなく
こんな大きな船を
止める場所など ない]
[そこで
海の近くにあった 池を
ショベルカーなどで広げ
港にする
土木学者 興奮の
大工事を行ったのだ]
(出水)大工事ですよ。
(レッド)え~!
ここの池だけで 軍艦島!?
えっ!
(川島)
池島って めっちゃ でかいんやな。
[そして
港から 徒歩で 30分]
[いよいよ 池島の心臓部
立入禁止エリアへ]
(出水)そうなんです。
(レッド)すごい。
(出水)見えました?
(レッド)立入禁止!
(出水)入っていきます。
[そう…]
[今回は…]
[池島炭鉱を管理する…]
(レッド)うわ~! もう 何か…。
(出水)
可能性あります。 これは もう…。
(レッド)マジですか!?
(出水)だから…。
(レッド)いや でもね…。
(出水)そうなんですよ。
(レッド)うわ~!
(出水)きた きた きた。
怖いですね。
[この…]
[炭鉱員が
石炭採掘現場まで 向かう際の…]
[と呼ばれる 建物の跡]
[危険なため
建物の中には 入れないが
炭鉱に必要な ある物を
辛うじて 見ることが…]
(レッド)えっ!? どれですか?
(レッド)あれですか? あの中の!?
(出水)そうなんです。
[よーく 見てみると
黄色い階段の奥には
ケージのような物があり
小さな窓も]
[池島の炭鉱では
この第二立坑から
エレベーターで
720m 地下に降り
そこから 何と
海の下を 横に掘り進めていく…]
[その距離は 何と…]
何これ!?
怖過ぎる!
[当時の様子が分かる
貴重な映像が 残っていた]
[朝…]
[こちらが あのエレベーター]
[実は…]
(レッド)100人ぐらい
乗っけることができたと。
[そう。 より多くの炭鉱員を
効率良く 運ぶため
エレベーターを 3段重ねにした
一度に 最大90人も
乗れる物だった]
[さらに それが 2基もあり
片方が上がる際に
もう片方が 下がるという
つるべ式と呼ばれる システムを
採用]
相当 忙しかったんだろうね。
(風間)とんでもない人数 いた…。
[短時間で 大量の人員を
地下に運んでいた エレベーター]
[3交代制で
24時間 稼働していた 池島炭鉱]
[そして 土木学者 出水が
見てほしいという この…]
(レッド)そうか。
(出水)過酷ですよね。
でも…。
たぶん いろんなこと 思いながら。
[エレベーターで
地下720mまで降りた 炭鉱員]
[その先 アリの巣のように
広がった 坑道を
効率良く 移動するために
用意されたのが…]
[海底下に 張り巡らされた…]
[その速さは 当時の炭鉱電車で
世界最速だった…]
[しかも この炭鉱電車…]
[その場所は
島の中心部にある 修理工場跡]
(出水)こちらです。
(レッド)うわ~! なるほど。
(出水)そうです。 けど…。
(レッド)素晴らしい。 やっぱ…。
[この場所も
崩壊の危険性があると
立入禁止にされているエリア]
(レッド)ですね。
(レッド)これも そうじゃない?
もう これ…。
(レッド)はぁ~!
[そして…]
(出水)そうですね。
(出水)レッドさん。
(出水)電車です。
(出水)走ってました。
(レッド)すごい!
[老朽化はしているが…]
[ドイツ製で 当時 世界最速の
時速50キロメートルを誇った
高速移動を 実現するための…]
(レッド)でも…。
(レッド)似てますね。
(出水)4人でしょうね。
[この炭鉱電車で
移動できたのは
坑道の半分 5kmまで]
[その先は 驚きの方法で
炭鉱員たちを輸送]
[その方法が…]
[何と 物ではなく
人を運ぶ ベルトコンベヤー]
[その名も…]
[これらを使い 10kmにもなる
移動の 時間短縮を実現]
マンベルト。
(林)だから…。
結局…。
え~!? ラストの たばこ1本から。
よう われわれ TMCの…。
やめた方がいいよ。 ホント 最低。
[そして 島内には
当時の炭鉱内を
知ることができる
貴重な施設が]
[池島港 近くにある
炭鉱場跡地]
(レッド)トロッコ列車に乗る!?
(出水)はい。
[ここは 先に見た 第二立坑より
以前に掘られていた…]
[2人が乗るのは 当時 実際に
使われていた物を 復元した…]
(レッド)よいしょ。
(出水)
では よろしくお願いします。
(男性)発車しまーす!
(ホイッスル)
(レッド)んっ?
(レッド)お~!
(レッド)意外と…。
(レッド)あっ いいですね。
(レッド)きた きた!
(レッド)うわうわっ! お~!
(出水)続きますね。
[日本を支えた炭鉱を
後世に伝えるため
一般公開もされている…]
[終点地には…]
[地下坑道で行われた…]
[この後…]
[さらに…]
♬~
(上戸)ハミガキ選びはここに注目!
(女性)酵素!?
≪「クリニカPRO」は
歯垢を分解 除去できる≫
日本で唯一の 有効成分配合!
≪7大リスクもケア 誕生「クリニカPRO」≫
(新垣)
《「アロマリッチ」しよ》
《この瞬間が》
好きだ~ 離れられん
《好きな香り ずっと
そのままなのはただひとつ》
やっぱり離れられん
《「アロマリッチ」》ピンクのフローラル出た
[トロッコに乗り…]
(出水)
大きさも 何となく イメージが…。
(出水)広いですね。
(出水)使ってたんですよ。
(レッド)これ そうなんですか?
(出水)これです これです。
[こちらは…]
[当時の体験が できるそうで…]
(ドリルの音)
(レッド)ほぉ~!
[そして 坑道内には
復元された
当時 使われていた 重機の姿も]
[オイルショックで
日本中が パニックになっていた
その裏で…]
[炭鉱で
日本経済を止めないために
当時 考えられる…]
[池島炭鉱]
[その方法は…]
[まず せん孔機で…]
[その 一つ一つに…]
(爆破の合図)
ホントに
危険と 背中合わせの仕事だな。
[その後 ドラムカッターという
当時 最新だった 採掘マシンで
掘り進める]
[石炭採掘面を 何度も往復し
合計距離で…]
[これにより…]
[石炭の採掘が 可能に]
[さらに 削り出された石炭は
直接 ドラムカッターの
下に付いた コンベヤーへ]
[驚きなのは
ダイナマイトの爆破以降
ほぼ 人が関わらない…]
[このスピードで…]
[という 当時の国内炭鉱では
最高クラスの産出量を 記録]
[そして
2人がいた 炭鉱跡の奥には
当時を知る 炭鉱遺産が]
(出水)レッドさん…。
(レッド)うわ~。
(レッド)よろしくお願いします。
(レッド)うわっ!
(レッド)うわ~!
[実は こちら
当時 実際に使われていた
石炭を 外に運び出す トロッコが
通っていた通路]
[今は ふさがれて 行くことは
できないが この先は…]
(出水)そうです。
(レッド)うわ~! 感動!
[地上に運び出された 石炭は…]
[ベルトコンベヤーで…]
[ジブローダーと呼ばれる…]
(レッド)うわっ!
(レッド)満載して。
満タンにしてから こう…。
[そして 池島には
炭鉱以外にも
未来に受け継ぐべき
日本初のものが
眠っているという]
(出水)こちらです。
(レッド)すごいですね。
(出水)レッドさん
ちょっと いいですか?
(レッド)何なんすか?
(出水)あれ…。
[こちらは
海に囲まれた 池島で
島内で 電力を発電するために
造られた…]
[なのだが…]
[究極の多機能発電所
その すご過ぎる能力とは?]
(出水)これですね…。
(出水)当然 出ますよね。
(出水)なので その熱を使って…。
(出水)この火力発電所にも
備え付けられたんですよ。
(出水)すごくないですか!?
[そう。
池島は 水道が通っておらず
各家庭に 真水を届ける 当時…]
[造られていたのだ]
(出水)はい。
[当時は このパイプを通じて
各家庭に 真水が届けられていた]
[そして 土木学者 出水が
注目してほしいというのが
水道パイプの上にある
もう1本のパイプ]
(出水)パイプが。
(出水)はいはいはい。
(出水)あれは…。
(レッド)じゃあ これは…。
(レッド)ちょっと待って。
(出水)これも…。
(レッド)無駄がない?
(出水)はい。
(レッド)それ 何のために?
[池島では…]
[果たして
何を温めていたのか?]
[川島さん お答えください]
難しいね。
「使う」っていうのが 難しいな。
飲むとかじゃないんだ。
(出水)島の中に 幾つか あって。
(レッド)あ~ なるほど!
(出水)そうなんですよ。
(レッド)うわ~! すげえ!
[そう。 正解は…]
[島内に 5カ所あった 銭湯]
[その全てを 火力発電所の蒸気で
沸かしていたというのだ]
(出水)火力発電所…。
(出水)1個目ですね。
(出水)2つ目 それですね。
(出水)これ 3つ目。
(レッド)すごいっす。
(レッド)すごいですよ。
[最後は 池島の
象徴ともいえる場所へ]
(レッド)もしかして これ…。
(レッド)うわ~ すごい!
(レッド)住んでない もう。
(出水)これが 池島…。
(出水)アパートですね。
(レッド)すごいな~。
(レッド)住んでらっしゃった?
(出水)池島 最盛期…。
(レッド)多いんだ。 なるほど。
(出水)にぎわってました。
[そう…]
[7, 700人もの炭鉱員と
その家族たちが 住んでいた
池島]
[当時は
人が にぎわっていたはずの
この場所も 静寂に包まれた…]
(出水)これが もう…。
(レッド)
そういったことも ありながら。
(レッド)悲しいっすね。
(出水)何か こう…。
[そして 当時の生活を知るための
展示用の部屋を
見せてもらうことに]
[当時の様子を
そのまま 再現した
間取り 2DKの部屋]
[レッドが
まず 気になったのは…]
(レッド)いや もう…。
使ってましたね。
(レッド)うわっ!
えーっと 何でしたっけ?
(レッド)音楽番組 ありますよね。
(レッド)テレビの音です。
(レッド)で それを…。
(レッド)
ていう時代でした。 これですよ。
(レッド)すごいですね。 もう…。
(レッド)これは…。
(レッド)でも…。
(レッド)付けといてくれりゃ
いいんだけども…。
(レッド)そうなると…。
そうっすね。
言ってるよ。 違う 違う。
[そして…]
(レッド)あっ! これ…。
(出水)そうです そうです。
[そう! かつては 炭鉱員たちが
つかの間の休息を 楽しんだ
スナックや バーなどの…]
(レッド)あっ! これ 飲み屋の。
絶対 そうだ。
(レッド)深夜。
長崎県公安委員会からの届出済。
(レッド)ここ そうだ。
[さらに 周辺には…]
[そこには 炭鉱員たちが…]
[島内では 餅つき大会や
花火大会まで
行われていたという]
(レッド)ですよね。 だから…。
(レッド)そんな感じだったんすね。
いや いいっすね。
[しかし その池島も
2001年11月29日
その役目を終え
廃鉱に]
[オイルショックから
日本を救った 池島炭鉱]
[その…]
[しかし 池島には…]
(出水)そうですね。
(レッド)小売センターなんすね。
[果たして この場所は?]
(レッド)あ~ いらっしゃった!
こんにちは。 失礼しまーす。
(出水)レッドさん
この おばあちゃんが…。
[そう。 池島の
軍艦島との大きな違いは
廃鉱になった後でも
元炭鉱員たちなどが…]
(池田・風間)え~!
(井森)そうなんだ。
[脇山さんは
池島に訪れる人のために
島唯一の 食事を提供できるお店を
続けている]
(脇山)ここの…。
(レッド)
あっ 閉山後に やられたんですか。
(レッド)でも…。
(脇山)うん。
[買い物は 本土からの…]
[お年寄りが増えているが
池島から離れない理由 それは
自分たちが育った 池島を
軍艦島のような…]
[島に住む
元炭鉱員の 尾崎さんは…]
(レッド)今現在は もう…。
(レッド)この町 見て。
(尾崎)という言葉が 適当かどうか
分かりませんけれども…。
(尾崎)できればなというふうには
思いはあります。
(レッド)
尾崎さんの言葉っていうのは…。
(レッド)最後…。
[かつての日本を支えた…]
[そこには 石炭産業の威信を
懸けて 闘った 人々の思いが…]
[続いては…]
[学校給食を研究し続け 45年]
[淑徳大学
田中 延子客員教授から学ぶ…]
[昭和の学校で起きていた
懐かし給食エピソードと共に…]
[4項目を 調査]
[まずは…]
[実は 給食
その長ーい歴史の中で…]
[早速
研究歴45年 田中先生と…]
[先生に連れられ…]
(田中)こちら…。
(コカド)ここだけですか。
[給食の進化を 50種類もの
歴代サンプルを並べて
展示している
日本で 唯一の資料館]
[給食の進化を 時代を
さかのぼっていきながら…]
[まずは 20代 みちょぱ世代が
食べていた
2000年代の給食から]
2000年代!?
この間じゃん!
これ? ハーブチキン!?
(風間)ハーブチキン!
[2000年代の給食は
食に 関心を持ってもらうため
食育が
色濃く 打ち出された時代]
マジで!?
(池田)何か もう…。
[地域でとれる食材を使って
給食を作る
地産地消が盛んに]
(コカド)いや 何か…。
(コカド)僕らのときより。
(コカド)
あっ 春日部の黒大豆やって。
(田中)いろんなことを
学ぶことができますんで。
[さらに 2002年に
日韓ワールドカップがあったときは…]
(田中)つながるということで。
オリンピックとか 結構 やってますね。
確かに!
そんなジンクス?
[そして…]
(田中)増えてきたりとか。
(コカド)アレルギー対策。
そうですよね。
それ…。
普通というか…。
アレルギーの人も!?
そうそう。
厳しい時代やったら…。
俺 それ あんま いらん いらん…。
大盛りもね。
[続いて 30代の 風間君世代]
[昭和から 平成へと変わる
90年代ゾーン]
[風間君世代は
給食が 多様化した時代]
[フランスパンを筆頭に
メロンパンや クロワッサンなど
バラエティーに富んだパンが
出たり…]
[土用の丑の日には
うなぎご飯が出たり
給食のバリエーションが
広がった時代]
それ 知らんわ。
コッペパンで いいとこ…。
イチゴジャム あった!
レーズンパン あった!
初めて食った!
あそこだけ ちぎって。
それを…。
あったなぁ。 レーズンパン そこで
初めて 食いましたよね。 給食で。
あと 季節によって 結構…
何ていうんですかね。
あっ そう!?
ソーメン あったかも。
ひなあられ あった!
ひなあられだけ 出た。
あと…。
豆 出た。 あれを…。
急に 元気になってましたね。
[さらに…]
[こちら!]
(田中)パンにしようか。
あ~ そうなんや。
いや 夢やん。
[そして アラフォー ノブさん
川島さん コカドさんが
当てはまる がっつり 昭和世代
80年代ゾーン]
グラタン うれしかったっすねぇ。
[80年代は 給食に
洋食おかずが増えた時代]
(田中)出た?
[さらに 給食に ビビンバなどが
出るようになったのも この時代]
[そんな中 子供たちの…]
(コカド)うわ~!
[この大人気カレーで
巻き起こった…]
豆ご飯みたいな。
[日本人が変わった?]
[給食に
取り入れられた物とは!?]
[給食の世代間調査]
[ノブさん 川島さん世代の…]
(コカド)うわ~!
(田中)そうそう。
(コカド)ほんで…。
(田中)それで その日だけ…。
(コカド)ほんで…。
入ってた 入ってた 入ってた!
誰が 入れたんやって。
あ~!
そうそう そうそう!
もう 余って 余って。
豆ご飯みたいな。
あれ 結構…。
何か…。
うまいよね。
結構 給食では レギュラーで…
まあまあ 栄養価 高いんか。
わかめご飯
むちゃくちゃ 人気だったけど
グリンピースご飯は
全然 人気ないっていう。
[そして アラフォー…]
[あのデザート]
(田中)デザートとしてね。
[そう! 実は…]
[再注目されているんだとか]
[そして 大トリ!]
[昭和中の昭和]
[アラフィフ
林先生 井森さんが食べていた
70年代ゾーンが こちら]
がめ煮!
[アラフィフ世代は…]
[実は 給食に
ご飯が出るようになったのは
林先生が 小学校中学年ごろの
1976年から]
[それまでは
給食の主食は パンだったのだ]
僕ね…。
パンですか?
[みちょぱ世代と比べると
明らかに違う
色みと 質素感]
[そんな 色みが少ない…]
[パンと同じ
小麦粉で作れたため
ご飯より先に
給食に登場したのだ]
[そして
当時のテレビで 大流行した…]
[誰しも 自分に
超能力があると信じて…]
[この世代]
[そして いよいよ…]
[それが…]
[そこに並べられている
器に よそわれた…]
[そう。 給食の歴史を
語るときには 欠かせない…]
マッコリやん。
確かに マッコリっぽい。
[そう…]
こうやって 飲むんだ。
うわ~…。
(田中)いかが?
(コカド)やっぱり。
[実は 当時…]
[そして…]
[いったい なぜ ここまで
おいしくないと 分かっていた
脱脂粉乳を
給食に出すようになったのか?]
[そこには…]
[関わっていた]
[日本は 深刻な…]
[その被害を
最も 受けていたのが
育ち盛りの子供たち]
[何と…]
[その証拠の写真が 残っている]
[研究のために撮られた…]
[痩せ細り 肋骨が浮き出ていた]
[当時の小学6年生は
戦前の小4ほどの体格しか
なかった]
[そんな…]
[子供たちが…]
[しかし 当時は 国内に…]
[輸入しようにも…]
[そんな近藤教授の元を
訪ねたのが…]
[近藤は 彼から…]
[何と 日本の子供たちの…]
[申し出てくれたのだ]
[この後の…]
(大佐)えっ!?
[そう…]
[いっときの満腹感ではなく
子供には カルシウムと
動物性タンパク質を 多く含む
脱脂粉乳の方が 必要だった]
[子供たちは
まずい脱脂粉乳を
耐えながら
飲まなければならなかった]
[しかし…]
[この写真に撮られた
4カ月後の子供たちは…]
4カ月後!?
(井森)同じ子たち!?
[がりがりに浮き出た
肋骨は消え
見違えるような 子供たちの姿]
(コカド)さまさまですね。
[近藤教授が推奨した考えは
国内の酪農業が
盛んになったこともあり…]
[日本人の平均身長は
戦後から 何と 10cmも伸び
今では
メジャーリーグを席巻する…]
[世界に通用する 体格の持ち主も
出現]
[そう…]
[ちなみに…]
[歴史あり]
[地域によって
今でも 瓶の学校はあるが
テトラ・クラシックと呼ばれる
三角形のパック
そして
四角形の牛乳パックへと 変遷]
われわれ 瓶でしたね。
(風間・井森)瓶。
川島さん 瓶じゃなかった?
僕は…。
えっ!? 同年代で 岡山 京都で
そんなに違うんだ。
京都でも 四角パックで…。
取りあえず…。
廊下とかで…。
パーン! っていうね。
あった! 三角のやつとかでもね。
(コカド)
めちゃめちゃ 重たくて…。
[そんな…]
(男の子)なあ!
[ひそかに…]
[つくれることも]
(コカド)ほんで…。
(コカド)給食当番で。
(コカド)みたいなの ありました。
(コカド)雑巾戦争…。
(コカド)みんな…。
はいはいはい! ずんどうを。
隣のクラスに…。
いた いた いた!
(川島)2人で 謝りに…。
戦犯みたいな顔で 「カレーが
余っていたら 分けてください」
[さらに…]
[風圧で 相手のフタを
ひっくり返すと 自分の物になる
1円もかからない 遊び]
[なぜ そんなに フタが
欲しかったか 今となっては
分からないが…]
(コカド)すごい! これ…。
(コカド)あ~… あ~!
(コカド)うわ~! でも…。
(コカド)こうやって 持ってる
この感じが 今の。
(コカド)こうやって やってた。
こうやって。 こうやって。
[難易度 高め…]
懐かしっ!
できたから 何やってん。
どこが おもろかったんや。
[そんな 昭和の子供たちを
楽しませた…]
[瓶は 割れると 危険など…]
[口周りに 牛乳が付き
ヒゲが目立つと…]
[というのだが 女の子代表
みちょぱさん お答えください]
ヒゲ以外?
何だろう?
ヒゲ以外。 男子に見られると…。
さあ どうだ?
[思春期の女心が ストローを
望んだといわれているのだ]
そんなこと 気にすんの!?
こんなとこ 見てないって。
(池田)
小学生だから 気にするのかな?
[そして…]
[こちら ミルメークを
ご存じですか?]
知らない 知らない。
通ってきてない。
[給食思い出話をすると
出た 出なかったで
大盛り上がりする…]
(池田)イチゴ味もあった。
(井森)あった あった!
牛乳 苦手だから
これ あった方が うれしかったな。
(田中)あっ 一気。
[最近では ストローぐちから
入れるタイプもあり
世代間ではなく 地域ギャップで
盛り上がること 間違いなし!]
確かに。
あった あった あった!
ちっちゃいエレベーター ありました。
そう!
これで…。
とか言ってた。 あった あった!
乗ろう みたいな話になるけど…。
2段ぐらい 入れれるやつね。
[続いての
日本を変えた 給食のおかげは…]
[そう。 学校給食が 日本に…]
[果たして…]
(田中)給食のおかげって
何だと思います?
(コカド)何か…。
[そこで その…]
[果たして…]
(コカド)はいはいはい 分かった。
(田中)何でしょう?
(コカド)嘘でしょ?
(田中)コッペパン。
(コカド)すごい量。
[そう! ここは…]
[何と…]
[給食パンを製造]
(コカド)パン文化か。
[今では 朝食は パンに
決めているという人がいるほど
日本に根付いた パン文化]
[しかし それが…]
[その…]
[こちらが 戦後始まった…]
[アメリカから もらった
缶詰を使った…]
[何と 最初の給食には…]
[当時は
今では 考えられない…]
[そのため 生まれたのが…]
[それを解消したいと…]
[脱脂粉乳に続き 無償で
小麦粉を 提供してもらうことに]
[こうして 1950年に
初めて 給食に登場した 主食は
何と コッペパンだったのだ]
(田中)どうして コッペパン
っていうか 知ってますか?
(コカド)考えたことなかった。
コッペン…。
(田中さんの拍手)
(コカド)当たり!?
(田中)実を言うと これは…。
(田中)こういう…。
(コカド)そうか。 車のクーペ。
[ちなみに 数あるパンの中で
コッペパンだったのは
型に入れたりせず…]
[今回は…]
(コカド)これ コッペパン?
ちょっと 違いますよね。
(コカド)僕の…。
(田中)茶色い。
(コカド)ぎゅっと…。
歯には 良かったかもな。
まあね 確かに。
歯を鍛えるという意味では。
(田中)そうですか。
(コカド)一瞬で。
(田中)ちなみに…。
(コカド)全然 違う。
(コカド)うん!
(コカド)こんなに…。
[その後 給食に…]
(女の子)ユウちゃん。
[昭和の学校では…]
[行われていた]
(母)わざわざ ありがとう。
[そう…]
[今では 衛生上の問題で
ほとんどの学校で 禁止に]
[しかし…]
[今でも…]
[昭和ならではの この習慣が
伝説の給食パンを 生み出したのを
ご存じだろうか?]
[それは パンが
給食に出始めてから 4年後の…]
[多くの欠席者が出る事態に]
[友達が
コッペパンを届けてくれるが
ただでさえ 硬かった
当時のパン]
[喉を通らなかったのだ]
[その事態を知った
大田区の小学校の…]
[もともと レストランで
働いていた 篠原は…]
[時間がたっても
硬くならなくするために
煮たり 焼いたり
あらゆる…]
[そのときに…]
[何と コッペパンを…]
[さらに…]
むちゃくちゃ うまい!
(井森)そうだったんだ。
[そう。
篠原が作り上げたのは…]
そうなんすよ。 今でも 食べたい。
[油で揚げたことにより…]
[まるで
ドーナツのような おいしさに]
(女の子)おいしい!
[これなら…]
[篠原が作った…]
[時代を超え 令和の小学校でも
人気メニューに]
[そして 給食のおかげで
定着した パン文化は
あんパン クリームパン
カレーパンなど
日本発祥のパンを 生み出し…]
[焼きそばパンや コロッケパン
カツサンドなど…]
[さらに 世界のパン…]
[世界トップクラスの
パン王国になったのだ]
あ~ あった!
きな粉だったかも。 確かに。
牛乳もか。
そうか そうか そうか そうか。
でも そうやって 届けたり…。
あった あった。
うわ~! ヤダ~!
しょっちゅう 起きてましたよね。
あ~! そう!
あの巾着ね。
[そして…]
[実は ほとんど コッペパンと
同じ材料で 作られると
登場は 給食に お米が出るより
11年も早い
1965年]
あ~!
田舎うどんとか あった。
[なぜか
和食にも 洋食にも合う
学校給食用に開発された
不思議な麺だが…]
[昭和の子供たちは これを
4分割にして 食べるのが
大ブーム]
(コカド)
正規の食べ方じゃないですよ。
(田中)すごく おいしいですか?
(コカド)すごく おいしい。
[さらに…]
[理屈としては 麺と よく
交ざるようにしていたのだが
今ほど 給食メニューが
豊富じゃなかった世代の
子供たちは 独自の工夫で
給食を楽しんでいたのだ]
[続いての
日本を変えた 給食のおかげは…]
(田中)パンと 牛乳以外にも
給食が きっかけで
浸透してきたものが
あるんですけれども。
(田中)行ってみましょう。
(コカド)お願いします。
[ということで
早速 給食のおかげで 普及した
主婦の味方が…]
(コカド)うわ~! 何か…。
(コカド)あ~…。
(田中)当たり!
(コカド)それも 給食から…。
[田中先生いわく…]
[中でも…]
[子供たちに 大人気]
[そして 井森さん世代が
大好きな あのおかずも…]
[そう…]
[今回 特別に
当時の給食を 再現]
(田中)試食してください。
(コカド)
て言われて 食べてました。
(コカド)全然…。
(田中)昔はですね…。
[まだまだ ある 給食のおかげ]
[続いては…]
(田中)日本人が…。
(コカド)何だろ?
[やって来たのは…]
(チャイム)
(田中)チャイムが鳴りました。
[こちらの小学校では
給食当番以外でも…]
[ここで 子供たちが行っている
良過ぎることとは 果たして?]
(田中)気付くこと ありませんか?
(コカド)これ自体が… 何だろう?
[果たして…]
え~!
[この給食の配膳で
日本人の良くなったこととは?]
(田中)気付くこと ありませんか?
(コカド)これ自体が… 何だろう?
(コカド)そうですね…。
(田中)実は…。
(コカド)へぇ~。
[そう…]
[田中先生いわく…]
[世界でも 称賛された…]
[田中先生は 言うのだ]
[しかし…]
(女の子)はい ケンタ君 どうぞ!
[確かに 給食のおかげで
日本人の生活は
大改革を遂げていた]
[続いては みちょぱも
高校1年まで 住んでいた…]
[最近では
老朽化で 取り壊しなどが]
[徐々に…]
[実は
われわれが 今 住む家には
団地がなかったら
普及しなかったものが
たくさん ある?]
[そこで 東京大学 大月教授と
歴史大好き
中学2年生になった 心君が
団地が起こした…]
心君!
寺田先生!
この間 ロケ 行ってください
って言ったら 早速!
[まずは 大月教授から
挨拶代わりの基礎テスト]
[団地って
何で 団地というの?]
[さあ 風間君 お答えください]
団地。 何だ?
地が分かんない。
(大月)
もともと 団地という言葉は
一団の土地っていう…。
[1950年代になり
高度経済成長期とともに
東京の人口が
急激に膨れ上がり
深刻な…]
[そこで…]
[それを
一団の土地を略した 団地と呼び
広まったのだ]
(寺田)めっちゃ 思うんですけど。
[今回
ロケで お邪魔しているのは
1959年に
何と 2, 714戸が建設され
日本初のマンモス団地と
いわれた…]
[ちなみに あの 大手…]
[もともとは ひばりが丘団地に
あった 商店から始まり
企業名に使われている…]
うわ~!
[集合住宅といえば ほとんどが
木造アパートだった時代に
整然と並ぶ
鉄筋コンクリートの建物は
当時の日本人にとっては
あたかも…]
(大月)他の人に。
(寺田)なるほど なるほど。
(大月)ちょっと 古いかも
しれないけれど 都心の…。
(大月)あれと おんなじだよね。
[そう。 当時の雑誌には
ヒルズ族ならぬ…]
[という言葉が生まれ 流行語に]
[さらに
あまりの関心の高さから
何と ひばりが丘団地を
舞台にした
プロモーション映画が
製作された]
[その名も…]
この当時 ナレーター
1人しかいない。
[そんな内容で…]
(女性)あらっ! お兄さんたち
テレビの他に ステレオも買ったのね。
(女性)すごい!
(大月)あ~ 私も…。
[そんな…]
[現在…]
[実は スターハウスと
呼ばれる棟が 保存されており
今回…]
(寺田)ヤバいですね これは もう。
(大月)ヤバいです。
(寺田)これ あった!
(大月)あったんだ。
(寺田)これ ありましたね。
(寺田)これ これ!
[玄関の横に付いている
シルバーの小さい扉]
[現在のマンションでは
まず 見掛けないが
当時の住宅には 欠かせない設備]
[それでは
みちょぱさん お答えください]
え~? でも…。
ありました?
置き鍵ね。
置き鍵。 当たってんのかな?
(大月)毎日 お世話になります。
(寺田)昔だから…。
(寺田)おしっ!
[そう。 給食で出るようになり
日本人の生活に 浸透した…]
[当時の玄関先には
牛乳入れがあり
毎朝 配達してもらうのが
常識だったので…]
[造られていた]
(大月)まあ たぶんね…。
[そう。
現在の 玄関ドアの高さは…]
[ひばりが丘団地では
181cmのドアが 使われているが
1950年代 成人男性の平均身長は
およそ160cm]
[じゅうぶんの高さだったのだ]
[さらに…]
(寺田)これが
何で 2つもあるんだろう?
(寺田)のぞき穴みたいなの
あるじゃないですか ここに。
(寺田)誰が来たかな みたいな。
(大月)ほぼ ほぼ
のぞき穴なんです これは。
[心君も驚いた 玄関ドアに付いた
謎の 2つの小窓]
[下は 新聞受けだが
上は 今で言う…]
こんな直で 見んの?
見てることが バレる。
怖い!
[しかし これも…]
[こんな…]
[これが 当時の
のぞき窓だったのだ]
さすがに もう これになってた?
(池田)もう これでした うちは。
だって…。
[そして…]
(寺田)おっ!
(寺田)あっ!
(大月)あ~ そうそう。
(寺田)木の 材質のにおいがする。
[部屋の間取りは…]
[1950年代から
60年代初頭の団地は
この間取りが…]
[玄関を入ると すぐに…]
[4畳半と 6畳の和室が
2部屋]
(寺田)うわっ!
[そう。 アルミサッシが
登場し始めるのは
およそ5年後の 1960年代半ば]
[ひばりが丘団地の窓は まだ…]
[さらに…]
(寺田)ホントだ。 見たことない。
[そう。 部屋に ガス栓があるのも
当時の団地の特徴]
[これは
冬に ガスストーブを使うから]
[そして 心君が…]
(大月)そうですね。
(大月)これは…。
[こちらが…]
私 高1まで 団地だったんで。
[中には…]
[するタイプもあり…]
[ちなみに こちらは…]
[もともと
団地に付いていたのは…]
[まるで 時代劇!]
[ひばりが丘団地を紹介する
映画にも 木製お風呂が登場]
[簡単だという
湯沸かし方法を 説明]
[しかも
昭和時代は 直火だったため…]
[ではなく 井森さん世代は
お風呂の湯沸かし
何と言ってました?]
何と言ってました?
あ~ 風呂 焚くね。
[そう…]
だから…。
あった。 ボコボコなってね。
あ~ あった あった。
あった!
こうね
ガッコン ガッコン やるやつ。
それで いってましたけど。
そうそう。 水 無理やり 入れてね。
[そして 続いては トイレ]
[一見 和式という以外は…]
[大月教授は言う]
[皆さん 分かりますか?]
[果たして
団地のトイレ革命とは!?]
[さらに…]
[それでは
みちょぱさん お答えください]
え~!?
これ ヒント 映ってます?
はい 映ってます。
流せるトイレットペーパー。
そう。
これ 当たり前じゃないからな。
[もともと…]
[そこで 当初は 各団地が…]
[その優れた汚水処理法を 参考に
国も 本格的に…]
[そのおかげで…]
[さらに やって来たのは
八王子にある…]
[団地など 集合住宅の間取りを
再現した この場所には…]
[展示されているというのだが
果たして!?]
(寺田)そんな発達してる?
(大月)これは…。
(大月)これはね…。
(寺田)ご飯 これで炊くんですか!?
(寺田)これ 手 洗うやつ?
(大月)これも 相当 うんと…。
(寺田)難しいな…。
(寺田)へぇ~! それは…。
[正解は…]
[実は 団地ができる以前は…]
[従来の木造建築と比べ…]
[ひばりが丘団地を紹介する
映画にも 注意喚起が]
[と 結構…]
[そこで…]
[現在の…]
[当時のパンフレットにも…]
[と 団地前提の
キャッチフレーズが]
[それが 後に
一般家庭にも 普及]
[つまり 団地のおかげで…]
[起こったのだ]
[さらに…]
[他にも。 まずは…]
[こちら 団地ができる前
戦前の住宅]
[そして
公団が 1957年に建てた団地
板橋区にあった
蓮根団地を見てみることに]
[この中にある われわれの…]
(ルルちゃん)「ルル」の季節です。
かぜをひいたら 子どもも大人も このひと瓶。
ということで…
<日本のかぜには ルル3錠>
(ピエール)だね!
<ピンポーン>
♬~おわんわーん おわんわーん
(斉藤)みんな大好き あの味が
オワウェウィ~!
おかずに!おやつに!お夜食に!
おなじみの味で間違いないよね! ね!
(ジャングルポケット)
<このサイズがちょうどいい!「お椀で食べるシリーズ」>
[この中にある われわれの…]
(大月)ベランダから 入ってきました。
(寺田)ベランダから。 お~! うわっ!
(寺田)いきなり…。
(大月)一緒になっている。
[そう。 かつての 畳に座って
食事するスタイルから
ダイニングテーブルでの食事に
変わった]
(大月)つまり…。
[分けた方がいい]
[これを実現するために
団地では 食堂である
ダイニングルームと
食事を作る キッチンを
一緒にした
ダイニングキッチンを
造ったのだ]
[そう! ダイニングキッチンと
普段 使っている この言葉は
団地が始まり]
[そして…]
(大月)そう。 じゃあ…。
[現在 当たり前に使う
1LDKなどという
間取りの単位も
団地の入居応募のときに…]
だいたい…。
すごく うらやましかった。
そこの…。
へぇ~! そうなんや。
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