100分de名著“金子みすゞ詩集”(2)「視点の逆転、想像の飛躍」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

100分de名著“金子みすゞ詩集”(2)「視点の逆転、想像の飛躍」[解][字]

金子みすゞは20歳になると、港町下関に出て、書店員となり、童謡詩を書き始める。雑誌の懸賞欄に投稿すると多くが誌面を飾った。名詩の数々がここで生まれたのだ。

番組内容
雑誌上で金子みすゞはライバルの投稿家と切磋琢磨(せっさたくま)し、優れた表現方法を獲得していく。特にみすゞに影響を与えたのは、みすゞが敬愛した詩人・西條八十。「視点を逆転して、想像を飛躍させる」八十の手法を、みすゞはさらに発展させ、傑作を生み出す。第二回は、視点の逆転から書かれた「蜂と神さま」などの代表作から、みすゞの表現の巧みさ、みすゞ独特の想像力の飛躍と、その魅力を紹介する。
出演者
【講師】作家/翻訳家…松本侑子,石橋静河,【司会】伊集院光,安部みちこ,【語り】加藤有生子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格

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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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7年間で 500篇もの詩を作った
金子みすゞ。

やさしい言葉で
壮大な世界を描いた詩人でした。

第2回は 代表作から 視点の逆転
そして 想像力の飛躍を見せる

みすゞの詩の魅力を探ります。

♬~
(テーマ音楽)

♬~

「100分de名著」 司会の安部みちこです。
伊集院 光です。

今月は 「金子みすゞ詩集」を読んでいます。

言葉は分かりやすいんですけれど
読んでいくと 深いですよね。

詩を朗読してもらってる時に
目をつぶっています。

リラックスして聴くと
いろんなもの 見えてくる感じが

僕は 個人的にはしてます。
うん。

指南役は 引き続き
作家で翻訳家の松本侑子さんです。

よろしくお願いします。
お願いいたします。

松本さん 第2回は
どんなポイントで読んでいきますか?

はい。 みすゞさんの詩の大きな特徴である
「視点の逆転」から書かれた傑作を

たくさん ご紹介します。
はい。

では まずは 詩を作り始めた頃の人生を
振り返るところから始めましょう。

みすゞは 女学校を卒業したあと
実家の書店で働いていましたが

二十歳になると 仙崎を離れて

下関に行くようになりますね。

お兄さんが結婚して
お嫁さんが同居するようになりまして

昔は 家制度というのがありまして
お兄さんが戸主ですので

もう そのうちは お兄ちゃんのおうちに
なっちゃったんですね。

で まあ お嫁さんもいて
また 子どもも生まれると

もう みすゞさん
居場所がなくなるということで

家を出なくてはいけない。

といっても なかなか仙崎ではね

女の人の自活するような仕事場もない
ということで 下関に行きます。

当時は大きな街だったんです。

でも何か その前向きな側面と ちょっと
居場所がなくなっちゃう側面と

両方あるんですね。

それに下関にはですね 結婚していった
お母さんがいますしね

また 養子に行った
弟の雅輔さんもいますので

みすゞさんは 下関の上山文英堂に行って
一緒に暮らして 働くようになります。

さあ では 金子みすゞの詩を読みながら

都会へ出た頃の人生
振り返っていきましょう。

朗読は 俳優の石橋静河さんです。

すみれの花は 芸術の象徴。

田舎の道では 石ころのように
馬車の車輪に ひかれていきます。

一方で 都会の道では
すみれの花を摘むように

子どもが
きれいな石ころを拾い上げます。

芸術というものに対する
田舎と都会の対比が さりげなく

しかし 明確に描かれているのです。

二十歳で下関に出た みすゞは

都会での新しい暮らしに
期待を抱いていたはずです。

しかし 身を寄せたのは母の嫁ぎ先。

みすゞは 居候のような立場でした。

仙崎の家を去る前に みすゞは
古い手紙や帳面を燃やしました。

その時の悲しみや
寄る辺なさを書いた詩があります。

あの「おとむらい」
お葬式ですよね。

仙崎時代の まあ ノートとか
古いお手紙とか

そうして 過去と決別をして
みすゞさんは下関へ出ていきます。

まあ でも逆に言えばですね
やっぱり 村という共同体にいるとね

「海の魚はかわいそう。」なんて書くと

あの 金子文英堂のみすゞがね
漁師町のくせに

魚は かわいそうだなんて書いちょったで
なんて 言われてしまいますけど

下関は大きな街ですから…

…というふうに私は考えています。

やっぱ いいなと思うのは
何か 号泣しながらとか

こんちくしょう
こんちくしょうとかじゃないんだよね。

ただただ 灰になっていく みたいな。

そういう こう…
炎の温度感みたいなものとか

空気感みたいなものは
やっぱり よくできてる。

下関は 当時
かなり都会だったんですか? はい。

明治 大正 まだ この 飛行機になる前の
鉄道と船舶の時代は

まず 対岸が関門海峡があって
九州につながってます。

釜山と下関を結ぶ船も出てまして
世界への玄関口ということで

交通の要衝で
経済的にも重要な位置がありまして

日銀は 大阪に次いで 日本で
2番目の支店を 下関に作りますし

いろんな国の領事館 英国領事館とか
そういった 外交の施設もありました。

まあ 非常に華やかな都会だったようです。

すごいですね。 そこでまた本屋さん
大きいんですもんね。 そうなんです。

もう あの支店がですね
市内にもありますし。

その大きい書店に住むようになって

自然に
こう 書くようになっていくんですか?

自然にというよりは まあ
一つは 弟の雅輔さんの存在が大きくて。

このね 雅輔さんがね ひと言で言うと
芸術家気取りの お坊ちゃまで。

この大金持ちのうちに 跡取り息子として
もらわれていきましたから

溺愛されて育ちまして
もう蓄音機 レコード買ってもらう

マンドリン買ってもらう 音楽大好き。

本屋の息子ですから もちろん 文学も
雑誌も小説も大好きということで

そういう弟がいたことで
やっぱり みすゞさんも影響を受けて

刺激を受けて…

で あの 雅輔さんという人はですね

もう 戦前 戦中は
昭和の喜劇王 大スターだった

古川ロッパ一座の脚本家。
え~!

また 歌謡曲も
たくさん書いてるんですよ。

レコードに たくさん なってます。
はあ。

まあ そうして みすゞは
詩を書くようになるんですけれども

雑誌への投稿を
このあと 始めていきますね。

で 判明しているかぎり 金子みすゞという
名前が載った 最も古い雑誌が

大正12年7月発売のものなんだそうですね。

で 同じ年の8月に このように
たくさん掲載されるんですね。

その一つが 第1回で読んだ 「おさかな」で
これも 西條八十さんの選なんですね。

で どういう選評がついたかというと…。

当時の詩は文学的な 文語の難しい言葉で
格調高く書く詩が多かったんですが

一方 みすゞさんは 口語体の話し言葉で
やさしい言葉で書いてますので

その辺りの工夫を
促したのかもしれませんが

逆に言えば…

それから もう一つ
「閨秀の童謡詩人」

これ 女性の 文芸に秀でた人
という意味ですけれども…

いつも 選に入るのは
ほとんど みすゞさんだけという状況で

みすゞさんは 残念なことに…

芸術の表現者として 女性というものが
認められにくい時代であったと

言えると思います。

僕は すごく思うのは
この西條八十さんは

ちゃんと 一人前の詩人として
扱ってるというんですかね。

おだてっぱなしでも いいんですよ
いいところだけ書いて。

ましてや 女性投稿者を増やしたい
というだけだったら

いいとこだけ書いて終わりでいいところを
多分 才能を認めてる。

もしくは
ライバル視でもあるかもしれない。

多分ね 自分にない才能の片鱗を
感じたんだと思います。

西條八十さんというとね
詩人とか 作詞家として

非常に高く評価されてますが
実は こういう大正時代に

雑誌でですね
若い詩人の育成をしたというね

大事な仕事を
もっと評価されるといいなと思ってます。

もう みすゞさんなんか
まさしく 西條八十の指導によってね

詩の才能を磨いていった詩人です。

その後 精力的に詩作を続けて
投稿も どんどん するんですけれども

現在判明している中で
雑誌に載った作品が およそ90作。

大正12年から 昭和4年
大体7年間ぐらいですね。

掲載された雑誌も もう
いくつもありますが 結構な数ですよね。

今のメールとかに比べるとさ
お金もかかるしさ 書く手間もかかるしさ。

そうやって考えると
相当なもんだと思うんですよね。

もちろん 選ぶ方も
もう覚えてたでしょうね。

やっぱりね 常連投稿者という人は

ラジオとかにも
いて下さるんですけれども

あの 自然と その人に期待すると同時に
厳しくもなるんだよね。

へ~ 厳しくもなりますか?
なる。

何か もう
半分読者みたいなところがあるから。

この人にしちゃ この程度じゃ…
っていうのが。 へ~!

まさしくね おっしゃるとおりで
この「童話」の投稿欄ってね

入選 推選の他に 佳作って ちょっと
順位が下がるところがあるんですね。

八十さんはね 「今月は 金子みすゞさんの
才能にしては さえがなかった。 佳作」。

うわ~。 へ~!
はっきり書いてます。

いや だから ほんとに
一作家として見てるっていうことですね。

で だんだん みすゞは独特の作風を
身につけていくんですよね。

まあ やっぱり みすゞさんの
この詩の魅力の一つは

前回も見ました
「大漁」ですね。

浜辺の うわ~っと歓喜に沸く
朝焼けのですね 真っ赤な浜辺から

一転して 暗い海中の
寂しい鰮のね とむらい。

こういう 「視点の逆転」というのが
みすゞさんの詩の魅力ですので

そういった詩をね
今日は ご紹介したいと思います。

はい。 視点の逆転を感じる詩の数々
朗読でお聴き下さい。

第一連では 船を降りる子が
海に さよならを

船に乗り込む子は
山に別れを告げます。

第二連では岸を離れていく船とさんばしが
互いに さよならをします。

三連目は 船の去った町の情景。

寺の夕暮れの鐘の音が 鐘から離れ

夕餉の家々から立ちのぼる淡いけむりは
町と別れます。

そして 暮れゆく町は昼間に別れを告げ
夕日は空にさよならをして 沈む…。

こうして 一日が終わり
「私」も 今日の「私」と さよならをする…。

一連ずつに 視点の逆転があり
時間の推移も描いているのです。

次の詩も 視点の逆転を感じさせる詩です。

読み手の視点と意識は
小さな蜂から… 花へ。

庭へ。

土塀へ。

町へ。

日本へ。

世界へ。

その全てを創った神へ広がり

最後に
また小さな蜂の体内へ おさまります。

詩の技巧を超えて
宗教的な荘厳すら感じさせます。

更に こんな作品も…。

まあ どれもこれも ほんとにいいですね。
この3つの中でいうと

「さよなら」が 一番
どぎも抜かれたかもしれないですね。

けむりが 町と さよならするっていう視点
すごくないですか?

上空からですよ。 ドローンから。
ハハハハ ドローン。

けむりが ず~っと上がってく その
けむりに ず~っと乗ってる視点だから

あ この視点 持ってきたかとか。

で もう一つ こちらご紹介した
「もういいの」。

この詩の中で 視点の移り変わり
というのは どう解釈されてますか?

はい。 これは 3つのパートに
ご覧のとおり 分かれてまして

1つ目のパート これは あの
子どもたちが かくれん坊をして

遊んでるという
現実の世界なんですね。

で 2つ目のパートはですね

視点が今度 木の上に上がるんですね。

枇杷の青い実と
小鳥ちゃんがですね かくれん坊をしてる。

これは まあ 比喩とも言えますし

いかにも
童謡らしい ファンタジーの世界ですね。

そして 3つ目はですね
大空 青い空と 黒い地面の土の中で

これから やって来る夏と春が
かくれん坊をしていると。

やっぱり この夏の
真っ青なね 空がある日もあれば

かすみが かかるような
春の日もあるしっていう

そういう 夏と春のかくれん坊を
描いたんじゃないでしょうか。
そうか。

今 春で 少し暑い日は 夏が
ちょっと隠れてるの見えるし みたいな。

そういうことか。

でね こういう詩はね
なかなか 書けるものじゃないですよ。

みすゞさんの詩は
この世の成り立ちというか

何か そういうところの 大きな世界への
哲学的な まなざしみたいなものが

かなりの作品に入ってますね。
はあ~。

さあ みすゞの生きた大正時代は

次々に新しい文化が 西洋から
もたらされた時代でもありました。

都会で働く みすゞには

モダンな都市文化を描いた
作品もあります。

何か しゃべったら かっこ悪い気がする。
もう出来上がってますもんね。

もう全部が ちゃんと通じてるし

でも これは でも明らかに
漁村の少女の思いではないですよね。

そうですね。 この大都会の下関に
出ていったからこそ 書けた詩ですね。

下関の港町の情景を
何かね 幻想的に

かつ この都会の孤独といったものも
にじませて 描いている。

これ 金子みすゞと書いてなかったら

みすゞさんの詩だと分からないような
詩だと思います。

この「キネマの街」で
とても成功してると思うのが

僕の中での金子みすゞ像
全然 変わっちゃったし…。

彼女は ほんとに
いろんな詩を書いてまして

当時 この走っていた
フォードの自動車が出てきた頃で

自動車の詩とかですね
飛行機の詩なんかも書いてるんですね。

あと やっぱり
型に はめられたくないって。

クリエーターはね 「あなたは こういう詩
書く人でしょ」って言われると

嫌ですよね?
それは嫌です 嫌です 嫌です。

もう そうじゃないものも書けるんだ
あるいは書きたい! っていうね。

レベル違うけど 落語家時代に
お相撲の噺ばっかり

師匠が教えてくれるんだけど
嫌なんだよね。 アハハハハ。

あの 太ってるから
俺は面白いんじゃないんだって。

いろんなやつ できんだっていう。

レベルが違いすぎる…。
でも何か そんな感じしますね。

やっぱり これは…

まあ 成長期という感じですね
やっぱりね。

まあ こうして金子みすゞは
都会で働く女性として頑張っていました。

現代にも続く ジェンダーの問題を
意識した詩も詠んでいます。

木のぼりをして 竹馬乗って
打ち独楽をして 叱られたと。

だから 女の子ってものは しないのよ。

みすゞさんは多分 しなかったと思います。

ここでね 大事なのは
こういうことをすると

女の子らしくないよっていうのを
当たり前だと思ってる人は

こういう詩を書かないんです。
うん うん。

やっぱり 何か おかしいと思ってるから
詩に書いてるんですね。

でも みすゞさんは
まあ そのあとの生き方を見てますと

大変 聡明で おとなしい
控えめな女の方だったようですので…

これを書いて
「でも 私は木のぼりするわよ」って

「打ち独楽したかったら するわよ」って
言ったら

多分ね みすゞさんは とっても
生きやすかったと思うんですけれども。

いや おっしゃるとおりで
この最後のところに

おてんば お馬鹿 いいじゃないぐらいに
書ける人だったら ちょっと違いますよね。

で またね そう書ける人の詩は
今度 響かないっていう

デリケートな人に
響かなくなってくるんだよね。

こうしておかなきゃいけない
世の中なんだなっていう感じの諦めとか

いろんな風味 ここ 入ってますもんね。
諦め。

そうなんです 諦めですね。

その 決まりに従って生きていくっていう
諦めの境地もありますね。

まあ でも 本当に多様な視点を持って
作品 作っていた人なんですね。

そうですね。 この漁師町の風景から
ジェンダーの問題までね

本当に みすゞさん
幅広いテーマで書いてますので

また次回も いろんな作品を
ご紹介したいと思います。

松本さん ありがとうございました。
ありがとうございました。

ありがとうございました。

♬~

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