出典:EPGの番組情報
あいつ今何してる? 梅沢富美男菊池桃子三浦祐太朗2時間SP/消えた日本一カレー名店[字]
梅沢富美男・菊池桃子がそれぞれ「日本一」と絶賛した超絶品カレー&うに丼にスタジオ大興奮!▽友和&百恵の長男・三浦祐太朗…恩師&親友が明かす三浦家(秘)話
◇番組内容
①芸能界屈指の食通・梅沢富美男(70)が大絶賛!“日本一美味しいカレー”で“注文してから出てくるまでとにかく速い”という、突如消えた絶品カレー店…グルメな梅沢が唸った味に、スタジオも大興奮!さらに、かつて梅沢のMVで彼女役を演じてくれたという美女と再会!目を見張るようなナイスバディで女優としても活躍していたが、ある時から消息がわからなくなったという…現在を調査すると、驚きの場所で衝撃転身を遂げていた!?
◇番組内容2
②女優・菊池桃子(53)が涙…かつて菊池の愛犬を救った、命の恩人と再会!歴代の飼い犬を診てもらってきた獣医師で、20代の頃からお世話になっていたが、10年前に引っ越してから疎遠になってしまったという。愛犬の命を救ってくれた恩人が語る、10年越しの秘めた思いに涙…さらに、菊池が「日本一」「前世で良いことをした人しか食べられない」と大絶賛!自分へのご褒美として食べるという超絶品うに丼が登場!
◇番組内容3
③三浦友和&山口百恵の長男、歌手・三浦祐太朗(37)…三浦が小学生の頃、「歌うことの気持ちよさを教えてくれた」という恩師と再会!現在71歳となった先生は今?さらに、名門・成城学園で中学~大学までを共に過ごした親友と再会!三浦は歌手、親友は俳優の道へ…夢を打ち明け合い、二人で乾杯したという彼は、今でも俳優を続けているのか?恩師&親友が明かす、三浦家の(秘)エピソードも!
◇出演者
【MC】ネプチューン
【進行】林美桜(テレビ朝日アナウンサー)
【ゲスト】梅沢富美男、菊池桃子、三浦祐太朗 ※五十音順
【パネラーゲスト】池田美優、岡本夏美、久間田琳加、堀未央奈、横澤夏子 ※五十音順
【ナレーター】小林星蘭
◇おしらせ
☆番組ホームページ
https://www.tv-asahi.co.jp/aitsuima/☆番組Twitter
https://twitter.com/aitsuima☆番組Instagram
https://www.instagram.com/aitsuima/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
バラエティ – お笑い・コメディ
福祉 – 文字(字幕)
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- 自分
- 後藤
- お願い
- 横澤
- 先生
- 役者
- ホント
- 池田
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
まずは
大衆演劇のスターであり
梅沢劇団の創設者の父と
むすめ歌舞伎出身の母の元
梅沢富美男さん。
それが新聞に載ったのよ。
(一同)へえ~!
「天才子役現れる」って。
子役って 1歳7カ月…。
そうそう。
1歳7カ月だもん。
そうなんですけど
誰も言ってくれないからさ。
♬~「恋のからくり 夢芝居」
♬~「台詞ひとつ」
そんな梅沢さんを
全国区のスターにしたのが
1982年 32歳の時に大ヒットした
デビュー曲 『夢芝居』。
そして 今回は
数々の美女を見てきた梅沢さんが
絶賛する
思い出の美女と奇跡の再会!
(原田)美女?
(池田)美女!?
ご承知のとおり 僕は
小椋佳さんが作詞作曲した歌で
『夢芝居』っていう曲で
ありがたい事に
大ヒットしたけど…。
運が良かったのか悪かったのか
一発目が
大当たりしちゃったもんだから
連続に歌を出さなきゃならない
って話になった時に
俺が たまたまね
男と女のドロッとした歌を
歌いたいっていう
案を出して…。
その時に…。
っていう歌なんだけど…。
その時に
モデルさんが必要ですから…。
僕の彼女役。
色んな ある 女優さんを
ピックアップ…
みんな気に入らなくてね。
(スタッフ)ハハハハ…。
(岡本)ナイスバディ…。
えっ こんな子いたの? 世の中に
っていうぐらい。
その時にね
なんとなく幻想的だった。
しかし 麻恵さんは
当時は無名の役者。
そんな彼女に 梅沢さんは…。
お前さんだったら…。
梅沢さんのアドバイスどおり
(岡本)すごいメンバー。
リリー・フランキーさんも
その存在感を絶賛!
スタッフが
現在
(名倉)まさかの場所って
どこ?
一体 どこなのか?
このご時世という事で
リモートを繋ぎ
現地スタッフに撮影を依頼。
という事で 早速 現地スタッフに
麻恵さんとの待ち合わせ場所に
向かってもらうのですが…。
(池田)日本っぽくないぞ…。
(岡本)ない。
すれ違う人たちを見ると
外国の方ばかり。
そんな街中で ピンクのスカートを
はいているとの事なので…。
(原田)どこなんだ?
(スタッフ)すいません。
こんにちは。
(麻恵さん)こんにちは。
はい 大塚麻恵と申します。
(岡本)顔 小さーい!
(岡本)うわあ きれい!
(池田)変わらない。
(スタッフ)よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
オリエンタルな装いで
ナチュラルビューティーな
麻恵さん。
しかし 気になるのは この場所。
はい。 私は 今
バングラデシュの首都
ダッカに住んでいます。
バングラデシュとは
インドとミャンマーに隣接し
面積は 日本の4割ほど。
パハルプールの仏教寺院遺跡群は
世界遺産に登録されている
歴史ある壮大な遺跡。
国旗は
緑地に赤い丸を配したデザインで
日本の日の丸に
よく似ている事でも
知られています。
(岡本)ええ~ すごい!
芸能界から姿を消し
31歳からバングラデシュで暮らす
麻恵さんですが…。
実は 今
まずは 現地の人の足として
使われるリキシャで
仕事のヒントがあるという
麻恵さんのご自宅へ。
(堀内)人力車から きてるのかな?
(原田)あっ そうかもね。
(岡本)えっ お家…
えっ すごーい すごい!
中に お邪魔すると…。
(岡本)うわあ!
(堀内)立派なお家だ!
一体 これは?
芸能界で輝きを放ち始めていた
麻恵さんは
バングラデシュで
何をしているのか?
麻恵さんは
かつて 松平健さんも
デビュー前に所属した…。
そして 劇団員時代の…。
富美男さんのオリジナル曲の…。
私も 面接を受けさせて頂いて
そして 晴れて 富美男さんと…。
その後
お芝居で
ご飯を食べられるように
なりたいと
24歳の時
劇団を卒業し
芸能プロダクションへ。
すると
映画の出演や
グラビアで
誌面を飾るなど
徐々に活躍の場が増えていきます。
そして 27歳の時に参加した
ある
コンテストが
彼女の人生を大きく変える事に…。
というコンテストが
あったんですけれども
そこで優勝する事ができて。
で その動画の女王として…。
麻恵さんは
そこで
その時の
HISのボビーさんという
バングラデシュ人の方でした。
ボビーさんの話から聞く
バングラデシュが なんか…
すごく 行ってみたいなと
思うような国で…。
ホントに 外国人が
なかなか来た事がない国なので
みんな 外国人が来ると
心からのおもてなしをしてくれて
生きるエネルギーに
あふれている国なんだよ
っていう事を すごく
お話ししてくださいました。
バングラデシュへの興味が深まり
29歳の時
ボビーさんが企画したツアーで
バングラデシュへ。
そこで
一体 今 何をしているのか?
トレーニングをし そして…。
女性の…。
(スタッフ)ちなみに
机の上にありますけども
それは その商品なんですか?
(麻恵さん)こちらが…。
(麻恵さん)私たちの
メイン商品なんですけれども…。
バングラデシュの一部地域には
十分な教育を受けられない
子どもや
働きたくても働けない
女性たちが…。
そんな貧しい生活を
余儀なくされる
人々の生活を救いたい!
そう思った麻恵さんは…。
その後 現地の女性たちに
工芸品の作り方を教え
社会的に自立できるよう
サポートを行い…。
その結果 彼女たちは
自分の稼いだお金で
子どもたちを学校に行かせる事が
できるようになったんだそう。
しかし 一体 なぜ
日本で芸能活動をしていた
麻恵さんが
この仕事に就いたのか?
元々
麻恵さんの旦那様は
で 現地の人たちからも
一目置かれる人物。
日本では その活動が認められ
こちらが
私の夫の渡辺大樹です。
こんにちは。
よろしくお願いします。
(スタッフ)よろしくお願いします。
2人は バングラデシュでの
出会いをきっかけに
遠距離恋愛を経て
2012年に結婚するのですが…。
現地では 「日本から
女優の奥さんが来る!」と
新聞の一面を飾るほどの
ビッグニュースに。
その後 麻恵さんは
バングラデシュで
多くの人に知られる日本人と
なっていくのですが
実は
え~ すごい!
すごいな!
実は 麻恵さんには
この国で 色々な舞台やステージに
立たせて頂いています。
え~!
え~!
様々な農村や学校などで
披露していき…。
36歳の時に
外国人として初の
ある快挙を成し遂げます。
イベント…
すごく大きなイベント。
こちらで…。
そこに…。
(池田)え~ すごい!
(岡本)すごいな!
バングラデシュの『紅白歌合戦』
といわれる大イベントに
外国人として 初出場。
これをきっかけに知名度を上げ
人気者となった麻恵さんは
なんと…。
国内で
ちょっとした人気女優に。
こっちで
今年の3月には
大使館からの依頼を受け
建国の父 生誕100周年を記念した
国家プログラムで
首相や大臣の前でパフォーマンス。
そんな バングラデシュの発展に
大きく貢献する麻恵さんに…。
梅沢さんの思いが詰まった
(スタッフ)「ハハハハ…」
「彼女 売れたのよ」
(スタッフ)「へえ~」
「だから 俺は もう…」
いや もう…。
すごい 楽しい事ばっかり
おっしゃってたんですけど
ちょっと…。
麻恵さん。
一緒に
お仕事をさせて頂いたあとに
富美男さんの
(麻恵さん)で 私が大好きな
ごまたまごというお菓子を
買ったんですけど…。
確か 800円ぐらいの。
(麻恵さん)でも 劇場も もう
何千人も入る
すごい大きな劇場で…。
手には…。
(麻恵さん)で 私は…。
(麻恵さん)
私の番になって 最後
こんにちはって のぞいたら
「麻恵ちゃん 来てくれたのか!
麻恵ちゃん おいで」って言って
楽屋に
招き入れてくださって…。
たくさん
高価なお菓子の差し入れが
あったにもかかわらず
「すいません! これ 私が好きな
お菓子で…」っていうふうに
こう 差し出したら…。
って言って
その場でバリッて開けて
むしゃむしゃむしゃって
召し上がってくださって。
富美男さんの…。
さらに 梅沢さんから
(スタッフ)それは なんですか?
これは
その 富美男さんとの…。
私にといって
プレゼントしてくれた…。
これを これから 麻恵ちゃんが
色んな 大変な事があった時に…。
っていうふうにして
くれました。
洋服や装飾品は大体 友達や後輩に
あげてしまったんですけれども
やっぱり これだけは
お守りとして
バングラデシュに
持っていきたいなと思って…
今も
民族衣装の時に着たり…。
そして 今も大切にしている
梅沢さんからもらった
ある言葉があるそうで…。
(麻恵さん)すごく 富美男さんが
褒めてくださったんですけど
つい 「私なんて」
っていう言葉を
よく言ってしまっていたんです。
その時に…。
っていうふうに
私に教えてくれて。
で 「人間って 他の人から
何を言われても 何をされても
そんなにすぐに
ダメにならないけれど
自分が自分自身を
否定してしまったら
すぐにダメになってしまう
生き物だから…」。
っていうふうに
おっしゃってくれて。
(麻恵さん)やっぱり 自己肯定感が
すごく低い子もたくさんいて
そういう子たちが やっぱり…。
(麻恵さん)本当に そういう自分に
なっちゃうからって
あの時の富美男さんの言葉を
私も今
育てている子どもたちに
伝えています。
そして 最後に
梅沢さんに あるお願いが…。
そして あの時の…。
(拍手)
(名倉)素晴らしい。
すごい。
バングラデシュだよ!?
(岡本)してた~!
(堀内)すごい!
ちょっと 待ちなって。
ホントに いや それ…。
覚えてるでしょう。
また… いいじゃないですか もう。
(一同 笑い)
続いては 元人気アイドルで
現在 女優として活躍する
菊池桃子さんが…。
先生…!
恩人との再会に
涙が止まらない。
さらに 番組後半では
三浦友和さん
山口百恵さんの長男
三浦祐太朗さんが登場!
音楽の才能を開花させた恩師が
明かす
母 山口百恵さんの
知られざる親子愛とは?
へえ~ なんか すごい。
菊池桃子さんが
だけど…。
本当に この先生は
そんな木下先生に あかねちゃん
そして その子どものエスちゃん
ビーちゃんを
診てもらっていたのですが…。
だけども…。
彼女にとっては 自分でも
手伝える存在がいるっていう事は
かなり嬉しい事で。
自分を頼ってくれるビーちゃんを
とてもかわいがっていたという
娘さんだったのですが…。
みたいな年齢だったので。
っていうような事
言われ始めてきたら…。
多分 そこが…。
どうしていいかわからなくなった
菊池さんは
木下先生にペットショップを
紹介してもらい
ヨークシャー・テリアの
子犬を飼う事に。
ペリちゃんを迎え入れた事で
早速
そこで…。
で この子は奇形ですと。
…って言ったんですけど。
あと…。
しかし いつでも
動物ファーストの木下先生
実は ペリちゃんの事を
心配しており…。
そして ペリちゃんを
ペットショップから引き取った
木下先生は
自ら治療を行い
自宅でお世話する事に。
のかなと 今になると
思うんですが…。
よかった。
えっ?
でも 木下先生が
…って言ってくださって。
それから
およそ10年
菊池さんに
引き取られた
あっ 今のペリ?
ああ よかった…。
元々の その… なんらか
奇形のあった子なので
10年ほど前に
菊池さんが引っ越した事で
疎遠になってしまったため
ペリちゃんが元気な事と
改めて お礼を伝えたいという
菊池さん。
その思いを 番組が
お預かりして
先生にお伝えします。
木下先生と
ここですか?
変わってない!
(スタッフ)テレビ朝日の者
なんですが…。
あっ はい。 おります。
ちょっとお待ちください。
奥様も木下先生なんですけれど。
(堀内)おっ 来た!
はい 木下です。
(スタッフ)あっ すいません。
テレビ朝日の者なんですが…。
はい そうです。
(スタッフ)すいません 今日は。
よろしくお願いします。
(木下先生)よろしくお願いします。
(堀内)ねえ
変わってないね 雰囲気。
木下先生が院長を務める
夫婦坂動物病院は
犬と猫を専門とした動物病院で…。
木下先生は この道36年。
これまで 数千頭の
ワンちゃんや猫ちゃんを
診てきたという超ベテラン。
ちなみに
(スタッフ)がんとアレルギー?
(木下先生)多いですね。
基本的には…。
そんな木下先生と
菊池さんとの出会いは
病院を開業して1年
菊池さんが22歳の時。
そういう人なんだ
と思ってたんですけど…。
(木下先生)近所に
引っ越してきたんで
ゴミを出すのは
どうのこうのとか
そういうのがわからない
っていうか…。
(スタッフ)あっ そうなんですね。
そんな近所だったんだ。
そうなんです。
まだ
写真週刊誌とか
来たりするじゃないですか。
そういうのが ちょっと…。
(木下先生)お電話して
「いるみたいですよ」って
教えてあげたりとか。
マジで? すげえな。
(スタッフ)それ わかるんですか?
(木下先生)その荷台のとこに
箱があって
そこに レンズみたいなのがね
あるんですよ。
犬連れて散歩してる体で
僕がダーッて1周 回ってきたら
向こう側の通りに
セダンの車がとまってて
中に
おっさんが3人ぐらい座ってて
テレビ見てるんですよ。
まあ あと ねっ
色んな お土産とか
そういう ドライブ行ったから
買ってきたから
お裾分けみたいな。
これ 安心だね。
こういう人が近所にいたら。
本当に はい。
(名倉)素敵な人やね。
時に獣医さん
時にご近所さんとして…。
菊池さんの
しているといいます。
えっ!
これは… これは なんか
「For your baby」って
書いてあります…。
(木下先生)「誕生日
おめでとうございます」
(木下先生)「桃子」って
書いてあります。
(スタッフ)直筆の…。 へえ~。
(スタッフ)これは…?
うちの娘です…。
うちの娘…。
(スタッフ)こういうのも 交換すると。
(美幸さん)これ 桃子ちゃんの
直筆の絵ですね。
嬉しい!
取ってくださって…。
さらに 担当医として
菊池さんを
より深く理解するために
こんなものも…。
そうなんですか!? えーっ!
って書いてある…。
出てる 出てる みたいな感じで。
(スタッフ)ああ なるほど。
そんな 菊池さんに
真摯に向き合ってきた
木下先生に…。
菊池さんの
と思って…」
「放っておけなくて」
「普通のワンちゃんよりは
弱いのかなっていう覚悟が
私たちの中にもあって…」
(スタッフ)菊池さんの
VTRでしたけど
先生 いかがですか?
あの子は…
ちょっと待ってください。
先生…!
(木下先生)いたずら
大好きですね ホントに。
(木下先生)ここに
なんか膨らんでるでしょ?
どうにかしなきゃっていう事で…。
ヘルニアが。
まあ 元気もいいし…。
私は
まあ 僕として…。
当時 自分が紹介した
ペットショップのせいで
菊池さんに 悲しい思いを
させてしまったと
後悔していたという
木下先生。
(スタッフ)結果的には やっぱり
菊池さんの
ここで 菊池さんが撮影した
12歳。
(木下先生)ああ 12歳だったか。
たとえ どんな時でも
まず 何より
まさに
(スタッフ)あっ 目が?
(木下先生)目の色がね。
(スタッフ)なるほど。
そんな事…!
それでは 最後に
一応 ワンちゃん… ねえ。
働いてくださ~い!
いや~…。
勇気を出して…。
(名倉)そうですね。
これ きっかけにね。
(名倉)きっと喜ぶと思います。
…と私は思っています。
疎遠になった
頑張った時に食べるご褒美グルメ
今 どうなってる?
番組が徹底調査の末
その衝撃の味と奇跡の再会!
うわ~! なんや? これ。
食べた事ないです こんなうに。
まずは
それは
っていうお店が…。
(堀内)「うにむらかみ」?
たまたま
私
とかっていう言葉が
出てくるぐらい…。
で それは やはり…。
…だと思って
函館に… そのあと感動して
子どもたち連れて行きまして。
っていう事を言って
そしたら…。
えーっ! 違うの!?
(原田)やっぱり 全然違うんだ!
と私は思っています。
あっ! 日本って事は…。
唯一
…とかって よく聞くんですけど
私は「うに食べたい!」って
思うんです。 頑張ったあと…。
本当に頑張った時にしか
味わえない
とても貴重な
自分へのご褒美だったのですが…。
で その時も…。
菊池桃子さんが こよなく愛した
絶品のうに丼は今?
いや ちょっと…
そんなに違うんですか?
まずは 現在のご時世を考慮し
番組スタッフと
現地 北海道のカメラマンを
リモートで繋ぎ 撮影を依頼。
というわけで 早速
菊池さん思い出の店
(久間田)これだ!
これだ!
現在も
早速
(原田)あっ ここ
行ってみたいな。
いらっしゃいませ。
(原田)来た!
(堀内)来ましたよ。
(スタッフ)すいません。
テレビ朝日の者です。
よろしくお願いします。
よろしくお願い致します。
生うにを
始めとした
うに料理は
もちろん…。
様々な魚介類や
北海道産の食材を使った
絶品料理が味わえる
地元でも評判の名店!
しかし この
(村上さん)ホントに
なので まあ
お取り寄せで
少しでも うちのうにを食べて
っていう事で…。
それは ホントに
ありがたいなと思います。
それでは ここで
日本一と絶賛する
菊池さんの熱いVTRを
見てもらう事に。
「うにむらかみさん
っていうお店が…」
「私…」
(村上さん)ハハハ…。
フフ…。
(堀内)泣きそうになるよね。
ありがとうございます。
まさか うちのお店を
選んで頂けるなんて光栄です。
そんな菊池さんが
店を初めて訪れたのは
今から5年前。
でも すごく なんか
ソフトな感じの
感じのいいお客様で
なんか 運ぶ度に
「あっ ありがとう」とか
「ありがとうございます」
とかっていう感じで…。
って思いながら
お見送りして…。
っていう感じで
実は そのあと スタッフ一同で
盛り上がったっていう…。
だから テレビで見る度に
私たちも
すごく応援してますし…。
…と思って
時々 思い出してます。
そして このあと
菊池さん絶賛!
日本一のうに丼が登場!
うわ~! なんや? これ!
(堀)
食べた事ないです こんなうに。
そして 菊池さんが日本一! と
ほれ込んだ うに丼には
美味しさを際立たせる
ある秘密が…。
秘密があるんだ。
実は…。
そう うにむらかみでは
仕入れから加工までを一貫して
自社工場で行っているため
より新鮮な うにを
提供できるんです。
いや~!
ちなみに
お取り寄せも行っており
インターネットか電話で注文可能。
新鮮な分 消費期限は
出荷日を含め4日間ですが
自宅でも
うにむらかみの新鮮な生うにを
食べる事ができるんです!
(村上さん)
よく お客様は…。
っていう感じで 全然…。
っていう方も
たくさん いらっしゃいます。
(一同 笑い)
食べてみないと。
さらに 『ミシュラン』で
三つ星を獲得した日本料理店や
JALファーストクラスの
機内食に使われるなど
その美味しさは
まさに絶品!
そして 菊池さんが
(原田)うわあ これ食べれるの?
すごいね! こんなに…。
(林)芸術だ。
(堀内)いいなあ…。
こちらが 菊池桃子さん
No.1絶品グルメ
うにむらかみの うに丼。
きれい…。
この絶品うに丼を求め
新型コロナ前には
日本のみならず…。
ええ~!?
おお…!
そして 実は うにむらかみには
を食べた事があります。
(一同)ええーっ!?
と思ったし
なんか こう…。
っていうのは やっぱり…。
(堀内)うわ… え~ でかっ!
(久間田)うわっ 透けて見える。
(林)えっ そういう事?
(原田)うわっ 食べてみたい。
なんだ これ。
(堀内)食べてみてえ。
これは もう…。
こちらが
菊池さん絶賛の雲丹の天ぷら。
(原田)いや 贅沢だな これ。
(村上さん)お味が忘れられない
っていう事なんでしょうね。
やったー!
はい 必ず行きます。
お待ちしてます。
ありがとうございます。
(林)というわけで
うにむらかみさんの
うに丼 雲丹の天ぷらを送って頂き
用意致しました。
きゃ~っ!
いただきます!
抱きしめた。 抱きしめた。
(名倉)うわ~! なんや? これ。
ですよね ですよね。
食べた事ないです こんなうに。
続いて 菊池さんが
この世のものとは思えないと
称した 雲丹の天ぷら。
いただきます。
(原田)美味しい。 よかった。
(原田)甘い。 すっごいうまい。
天ぷらのうには甘い 美味しい。
(名倉)食感もすごい いいよね。
(原田)うん。
どう?
ない ないです。 ないです。
(原田)よかったね。
よかった。
なんか すごい
うにファンクラブみたいですね。
わかる わかる。
続いては 芸能界屈指の
料理上手としても知られる
梅沢さんが…。
僕ね
カレー好きなんだけど
カレーに対してうるさいのよ。
(スタッフの笑い)
それで
有名なホテルのカレーとか
なんか
自分の中では ホントに
俺は
そこ行くとね…。
これが不思議でね。
梅沢さん大絶賛。
当時食した南蛮カレーの写真が
こちら!
これはね
じゃあ どんな味ですか
カレー粉がどうで
ああのこうの こうのって…。
そういう
そう!
これが食いたいがために…。
(池田)へえ~。
そして そのお店
ちょっと個性的だそうで…。
それがね
何が不思議かってね…。
チケットを買って
ピンッて こう出てくる
チケットを持って
ここに出した瞬間に
パッと出てくる。
すごい…。
押すボタンをね。
押す位置を。
あっ カツカレー押したぞとか
普通のカレーだぞとか。
それで パッと出てくる…。
(堀内)嬉しいですね。
そんな
(スタッフ)あっ お店がですか?
そう。
(スタッフ)ある日 行ったら
なかったんですか?
そうそうそう。 だから
コロナでもなんでもない。
じゃあ お客さんが入らないから
赤字だから やめたの…。
全然… いっぱいだから。
常に いっぱい。
調査してみると
しかし
周辺店舗への聞き込みや
ネットリサーチで
その味を引き継いでいると
ネット上に複数の書き込みがある
お店を発見!
本当に 梅沢さんが
(スタッフ)今回ですね
南蛮カレーというものを
リサーチしておりまして
その南蛮カレーを探していたら
そちらのお店が ネットで
見つかったんですけれども…。
「そうですね。 あの…」
おっ すごい。
ついに 梅沢さん
(堀内)食べれるんだ まだ。
(池田)移転したわけじゃなく?
ちなみに電話に出てくれたのは…。
その味を引き継いでいる店主。
というわけで まず
ピンッて こう出てくる
チケットを持って
ここに出した瞬間に
パッと出てくる。
すごい!
(スタッフ)券売機を見て…
何を買うか ずっと見て…?
(店主)「そうですね」
「押した時点で
ご飯を盛り付けて…」
ああ すごい!
(池田)すごいな~。
(店主)「かけるだけだから…」
(店主)「早かったですねって言う」
と 思い出話に
花が咲いたところで
(スタッフ)ぜひ その
(店主)「取材は なるべく
お断りしてるんですけど…」
えーっ!
だよな…。
(店主)「私の年齢的なものと
体調も あまりよくない
っていう事と…」
(堀内)すごい事になっちゃうと…。
(店主)「常連のお客さんがいるんで
そのお客さんたちにも
ご迷惑がかかったりすると
いけないと思って…」
そうやな。
さすが! このご主人。
ここで まさかの
しかし…。
俺は
日本一うまいと思ってるから。
せっかく連絡が取れたので
梅沢さんの絶賛ぶりと
ずっと食べたいと思っていた
という事を伝えてみると…。
(店主)「ああ そうですか」
(店主)「前のお店の時に来られた
っていう話は
聞いたような
気がするんですけど…」
という事だったら…」
えっ!?
すげえ!
お店のロケはできませんが
梅沢さんたってのお願い
という事もあり…。
カレーを
スタジオに届けてくれる事に。
すごいですね これも。
それでは 梅沢さん
(林)では…。
いい番組だね!
(原田)ああ よかった。
最高じゃない!
(池田)熱々のうちに…。
(岡本)すごいですね
ボリューミー。
うん!
(名倉)どうですか?
(名倉)当時の味。
すごい!
うーん!
(名倉)うまい!
すんげえ。
(池田)なんだろう? これ。
これね…
ホントに これ 日本一だと思うよ。
(林)もう ひと皿…。
そうだよ。
(一同 笑い)
続いては…。
♬~「これっきり これっきり
もうこれっきりですか」
お父様は 俳優として活躍する
三浦友和さん。
お母様は 昭和を代表する
伝説の歌手 山口百恵さん。
弟は 俳優の三浦貴大さんという
華麗なる芸能一家の
長男として誕生。
どういうふうに 子どもの頃
学んできたのかなっていうのは
気になりますね。
(堀内)ある?
そうですね。 結構… なんだろう?
自分がやりたいって言った事は
全部 やらせてもらえたし…。
えーっ!? すごい!
…みたいな事で
ひと言で
終わった気がします。
(原田)すげえ!
(横澤)あっさり…。
あっさりでしたね。
小学校は 東京都国立市にある
私立の名門として知られる
国立学園に進学。
小学校では 1人の先生が
全ての科目を担当するのが
一般的ですが
国立学園では
科目別に担任を設置。
各科目の教師が
個々の才能に いち早く気づき
自主性を伸ばす事を
目的にしているんだそう。
ちなみに
付属の中学校がない事もあり
ほとんどの生徒が
卒業を機に中学受験。
毎年 開成や桜蔭
筑波大駒場など
名だたる名門校に
合格者を輩出。
まずは そんな国立学園小学校で
三浦さんの音楽的才能を
開花させてくれた恩師と
再会して頂きます。
えーっ!
この先生は ちょっと
音楽の授業が
終わったあとに…
うちの小学校って
そこに入ってみないか? って
言ってくれたのが丸山先生で。
そこから なんか いっぱい…。
なんか そういう
歌う事の気持ち良さ
みたいなものの
きっかけを…。
…っていうのを すごく
言われた覚えがあります。
…って事は 多分
そういう事だと思うんですけど。
(堀内)なっちゃんね。
(横澤)私…。
(岡本)ああ そうだ!
(堀内)こういう先生か 見て。
…って言う
先生だったんですけど。
(横澤)そうですよね!
(堀内)確かに。
ここから声出しなさいって…。
あと
母校 国立学園から およそ90キロ。
海を望める丘の上で待っている
との事なので…。
(横澤)やっぱ 姿勢がいい。
はい そうです。 丸山です。
(スタッフ)よろしくお願いします!
(丸山先生)
よろしくお願い致します。
(スタッフ)大変恐縮なんですけど
ちょっとだけ
マスクを外して頂いても
よろしいでしょうか?
はい。
パーマ姿ではなくなったものの
笑顔は あの頃のまま。
御年71歳になった 丸山先生。
歌う事の気持ち良さ
みたいなものの
きっかけを
教えてくれたのは…。
そんな 三浦さんの
音楽の原点ともなった丸山先生は
71歳となった今
千葉県 白子町で
何をしているのか?
さらに
へえ~ なんか すごい。
音楽の
卒業後は 国立学園小学校の
音楽教師として勤める事になり…。
三浦さんが小学3年生
先生が43歳の時…。
最初はね
私も だから
で 祐太朗くんが
4年生の時かな?
授業で その話をしたら
その時には 何げなしに
聞いてたみたいですけど…。
次の授業か その次の授業の時に
音楽室から
全然 祐太朗くんが
教室に
戻ろうとしなかったんですね。
終わったあとも…。
それで その辺り
モジモジ モジモジしながら
ずっと残ってたんで…。
(丸山先生)って言ったら…。
(丸山先生)色々 事情を聞いたら
お母様も
それはいい事だというふうに
おっしゃったみたいなので…。
モジモジしてたんだ…。
そして
そして なんと
中学3年生当時
文化祭で歌う
祐太朗さんを
お母様の
山口百恵さん自ら
ビデオカメラを持って
撮影した
(岡本)あ~!
画像が粗い。
♬~「君となら この嵐も」
(岡本)あっ でも ホント
すごい 本格的に…。
(堀内)おっ だんだん
ズームアップしてるな。
歓声を浴びながら
中学生とは思えない
堂々とした歌いっぷりを
見せる息子に
ゆっくりとズームインする
百恵さん。
♬~「そうさ
求め続けよう」
多分 ザワザワしてたんだと
思うんですけど。
なんだろう… なんか 当時
(原田)出たての?
(堀内)お母さんが?
『金八先生』に出演されてた頃の
上戸彩さんに似てるって
なんか クラス中で噂になってて。
それに めちゃめちゃ喜んでた…。
(一同 笑い)
その後 成城高校 成城大学へと
進んだ 三浦さんは
ライフセービングで
汗を流す一方で…。
バンドのライブや
レコード会社にデモテープを送るなど
地道に音楽活動を続け…。
♬~「こんなに溢れるよ」
大学卒業の翌年 2008年
念願のメジャーデビューを
果たします。
一方 丸山先生は
55歳の時 東京都多摩市にある
帝京大学付属の小学校に移ると…。
56歳の時には
帝京大学の専任教師として
教育学部の生徒たちに向けた
音楽科目を受け持つように。
そして
やって来たのは…。
こちらへ どうぞ。
(スタッフ)こちらの建物ですか?
(丸山先生)はい。
(スタッフ)お邪魔して
よろしいでしょうか?
(丸山先生)はい どうぞ。
マンションの一室へと
案内してくれた丸山先生。
(スタッフ)あっ すごいですね。
なんか…
オーシャンビューじゃないですか。
(丸山先生)そうですね。
(スタッフ)一面 海ですね。
(岡本)いいな~。
(横澤)いいな~。
(スタッフ)じゃあ ちょっと
改めてお伺いするんですけど…。
(丸山先生)
犬たちの世話をしたり
あと 自分の趣味の
料理を作ったり…。
(スタッフ)そうなんですね。
こちらは じゃあ
いわゆる
まあ 一応ね…。
65歳で定年を迎え
現在は
東村山市にある自宅に加え
千葉と山中湖に別荘を2軒所有。
(原田)2つあるの?
奥様と7匹のワンちゃんと一緒に
月に2~3回 遊びに行くなど
セカンドライフを
楽しんでいるんだそう。
そんな
歌う事の気持ち良さ
みたいなものの
きっかけを
教えてくれたのは…。
(スタッフ)「丸山先生… はい」
まあ 今
祐太朗くんが言ったように…。
と思って 一応…。
それが 彼に
そして 丸山先生は
合唱団に入ってからの
三浦さんの
ある大きな変化を
今でも鮮明に
覚えているそうで…。
うちの学校は あんまり
そういう事を気にしない
学校だったので…。
ただ 彼らたちが
付属の
祐太朗くんが入ってきてから
やっぱり… なんていうのかな
あんまり こう 目立ちたくない
みたいなところがあって…。
(丸山先生)もちろん
音楽だけじゃないですよね
授業にも当然…。
(丸山先生)そういうところでは…。
先ほど 祐太朗くんも言ってた…。
祐太朗くんだけだったかと
思いますけど…。
(原田)よく覚えてるな 先生。
(堀内)ちゃんと見てるんだな。
がいると思うんですよね。
それから それを…。
三浦さんの事を
そして 実は 24年間
ずっと
大切に保管していた
思い出の品も…。
えっ?
(スタッフ)ホントですか?
ええ もしよろしかったら…。
(スタッフ)ハハハッ ぜひ。
当時 小学3年生
合唱団に入る前の
少しシャイな三浦さんが
こちら。
怖い 怖い。
♬~(リコーダー)
(原田)うわっ!
ハハハッ…!
童謡『さくらさくら』を
リコーダーとオルガンで
演奏するという
授業の1コマを捉えた
こちらの映像。
♬~(演奏)
(堀内)すごいな。
(岡本)すごい必死にリコーダー。
(拍手)
緊張した面持ちで演奏する
なんとも
初々しい三浦さんですが…。
♬~「馬鹿にしないでよ」
その後
合唱団で歌う事の楽しさを知り
プロのアーティストに。
実は 丸山先生
デビュー前から 三浦さんが
(丸山先生)どうも 進む道を
自分で決めたようだと。
(丸山先生)その時に お母様
じゃあ どんな事ですか? って
私 聞いたんですけど
なんとなしに言わなくて…。
っていうのは
感じてましたね。
今は まあ 安心してますけど
一時は やっぱりね…。
(丸山先生)下手に
(スタッフ)出演されてる
歌番組とかですか?
(丸山先生)ええ。
(拍手)
(堀内)色々あるな。
(名倉)どうでしたか?
あれですね
僕 知らなかったです。
母と丸山先生が
母も ちゃんと
なんか こう…
濁したのが すごい。
(名倉)すごいね。
言わずに濁したのを…。
(名倉)にっこりほほ笑んでってね。
続いては 三浦さんが
中高大と青春時代を過ごした
東京都世田谷区に校舎を構える
名門 成城学園。
卒業生には
指揮者の小澤征爾さんや
歌手の森山良子さん
女優の木村佳乃さんなど
そうそうたる顔ぶれが。
ちなみに 三浦さんの
1つ先輩には
三四郎の2人がいたのですが…。
小宮さんは留年したため
なんと 同級生に!
当時は もう
めちゃめちゃイジられキャラで
まさに 今と…。
あんまり その…。
(堀内)本物だね。 本物の
イジられキャラだね。
そして 今回は
おおっ…。
みんな 愛称で
すごい仲良く…。
すごいコロコロした…。
するヤツだったんですよ。
それで こう…。
っていう記憶が
すごいあって。
そんな ごっちゃんから ある日
役者になりたいと
打ち明けられたという三浦さん。
基本…。
結構 友達にも あんまり
言ってなかったというか
ほとんど
言ってなかったんですよ。
でも その…。
確か そこで 僕も
「実は…」みたいな話をしたような
記憶があります。
と思って。
(スタッフ)言ってみたら
かなり
うーん… なんなん…
なんでしょうね…。
みたいな気持ちが
もしかしたら
働いたのかも
しれないんですけど。
もう そこから…。
うん それ以来…。
って思いますね。
(横澤)えっ!
(名倉)違うの?
(岡本)えーっ!
今 どうなってるんだろう?
見たい。 それも楽しみだね。
母校 成城学園から およそ10キロ。
東京都中野区。
(岡本)役者さんかな?
こちらの
(スタッフ)失礼します。
(岡本)おっ! なんか
スタイリッシュな感じ…。
果たして
(原田)髪形 どんな…。
(スタッフ)こんにちは。
こんにちは。
(スタッフ)すいません
テレビ朝日の者なんですが…。
(スタッフ)間違いないでしょうか?
(後藤さん)あっ はい。
(横澤)えーっ! かっこいい!
(岡本)イケメン…!
(名倉)ごっちゃん!
(横澤)かっこいい!
(岡本)イケメンじゃないですか!
(横澤)何?
役者になりたいと宣言した親友
ごっちゃんの今とは?
(スタッフ)こんにちは。
こんにちは。
(スタッフ)すいません
テレビ朝日の者なんですが…。
(スタッフ)間違いないでしょうか?
(後藤さん)はい 間違いないです。
(スタッフ)よろしくお願いします。
よろしくお願い致します。
イケメンじゃないですか!
(横澤)何?
あっ はい。
(原田)かっこいい!
(スタッフ)ありがとうございます。
後藤さん あの…
こちらのお写真…。
アハハハ…。 ああ はい。
あの… はい。
この時 一番 体重あって
94キロありました。
(スタッフ)ちなみに
今 何キロなんですか?
今が64キロとかなんで…。
(スタッフ)30キロ近く…。
(後藤さん)そうですね はい。
高校時代から
およそ30キロ減量。
衝撃の変身を遂げた
ごっちゃん。
成績優秀で
学年トップぐらいの
ヤツだったんですけど
役者になる
って言って…。
では
現在36歳となったごっちゃんは
今 何をしているのか?
中学から成城学園に進んだ2人は
高校の水球部 そして
ライフセービングの活動を通じて
意気投合。
そして
そしたら…。
(堀内)違うよ 話が。
(横澤)失恋じゃないの?
と言っていた三浦さんでしたが…。
実は ライフセービングの
トレーニングを通じて
見事な細マッチョ男子に。
やっててだったんだ。
えっ 違う 違う!
大学卒業後は
スキューバダイビングの
インストラクターを目指し
アルバイトをしながら
ダイビングスクールに通う日々を
送っていましたが…。
音楽の道へ進むっていう時に
役者になるって言って…。
突如として 役者になる事を
宣言した ごっちゃん。
実は そのきっかけには
三浦さんのあるひと言が。
僕の
その方が 今度
役者の事務所を作るから
お前 プラプラしてるし
興味あるなら やってみるか?
って言われて…。
ちょっと考えさせてください
って言って すぐ…。
祐くんに「相談があるんだけど…」
みたいな。 そうですね。
今の このご時世で
そんなに
出どころのハッキリしてる…。
って言われて。
だから…。
…って言ってくれて。
それを言われた時に
「わかった やる」って。
三浦さんの後押しもあり
23歳の時 役者の道を歩み出した
ごっちゃん。
互いの夢を語り合ってから
およそ13年
ごっちゃんは
今 何をしているのか?
(スタッフ)改めて
お伺いしますが
はい。
(スタッフ)そうなんですね。
(後藤さん)はい。
ごっちゃんは
三浦さんと疎遠になったあとも
後藤真一という芸名で
俳優活動を続けており…。
舞台やVシネマなど
様々な作品に出演。
最近では
これまでの経験を生かし
裏方仕事として
稽古のスケジュール管理や
役者さんとスタッフの間を
取り持つ
演出助手の仕事も
しているんだそう。
(原田)大事だよね。
そんな ごっちゃんの今を
知れたところで…。
三浦さんの
ぐらいの
ヤツだったんですけど」
いやあ!
っていうのは覚えてますね。
で その時に…。
(後藤さん)「いいの?」みたいな…
「それ 今 開けちゃって」って
僕 言った時に
「いや いいよ!」
「今日は めでたい日だから」
みたいな事言って…。
(後藤さん)まあ 将来…。
ビッグになるって言い方も
あれなんですけど
有名に もし なれたら
2人でテレビに出て
トークしようっていう…。
『徹子の部屋』じゃないですけど
僕と祐くんで 2人で ただただ
トークするっていう感じで
テレビに出れたら 多分
当時の友達とか みんな
すげえ喜んでくれるんじゃ
ないかなっていうのがあって…。
という あの日
三浦さんと交わした約束を
実現するため
たとえ つらく
苦しい事があっても
くじける事なく
乗り越えてきたという
ごっちゃん。
そして 親友として 三浦さんと
多くの思い出を共有している
ごっちゃんには…。
♬~
(新垣)《いままでの柔軟剤は 着るときには
香りが変わってた》 <そうなんです>
<香り変わらず続くのは ただひとつ>
ただひとつ? <「アロマリッチ」だけ>
おんなじだ
《「アロマリッチ」》
(二宮)あの大きな洗剤
の中身は約7割が水
(主婦A)ほとんど水!? (主婦B)重かったのに!?
はい ほとんど水です 《だから 脱!ほとんど水洗剤》
《「新NANOX」は濃い~の》
<5大汚れを最強洗浄!> 「ナノック~ス」
親友として 三浦さんと
多くの思い出を共有している
ごっちゃんには…。
水泳部のヤツらが集まって
っていうので…。
(後藤さん)そうですね!
祐くんち…。
(後藤さん)
…みたいなのが多かったですね。
ネタで
やっぱ そういうのには 結構
応えてくれるタイプだった…。
♬~「うす紅の秋桜が」
さらに ごっちゃんは
三浦さんからもらった
あるものを
今でも大切にしているそうで…。
(スタッフ)そうなんですか?
(後藤さん)ロンTと あと 今日
今 下にはいている
ジーパンも これ もらったやつ…。
僕が
背格好とか…。
(一同 笑い)
♬~「こんなに溢れるよ」
その後 仲の良かった三浦さんが
夢をかなえ
プロのアーティストとして
デビュー。
そんな親友の姿を
どうしても やっぱ その…
ご両親がご両親なので
必ず その事が
付いてまわるのも
仕方ないんだろうなとは
思ってて。
ただ 祐くん本人も
それはもう 絶対 自覚して
わかってる事で…。
それさえも 全部 もう…。
(後藤さん)自分の実力だけで
やってやろうっていう人なので。
やっぱ ああ見えて…
ああ見えてって言うのも
あれですけど…。
自分の音楽を
やっていくんだろうな
っていうのは
ありましたね。
そして ごっちゃんは 今回
ごっちゃん。
すごいオシャレ。
そして ごっちゃんは 今回
(スタッフ)こちらは?
あの 実はですね…
祐くんの結婚祝いという事で
昔…
もうなくなってしまった居酒屋で
一緒に行った時に
よく飲んでたワイン。
多分 ラベル見れば
わかるとは思うんですけど…。
(スタッフ)
じゃあ 2人の中での…。
(スタッフ)ああ…。
はい。 ワインと…。
(後藤さん)まあ
せっかく 結婚したという事で
こっ恥ずかしいんですけど
バラを…。
もし あの…
一緒に共演する時があったら
このワインで乾杯できたらなと
思います。
ねえ。 ねえ。
粋やね。
それでは 最後に
親友 ごっちゃんから
メッセージ。
ありがとうございます。
と思ってます。
なので その
うわ~。
(拍手)
そうですね。 よかった…。
でも ホントに その…
今まさに
こういうコロナの時期で
もう とにかく 役者さんって
大変じゃないですか。
舞台できなかったりとか…。
だから
もしかしたら 違う道に
行っちゃってるのかも
しれないなって
すごい心配だったので
続けてくれてたってだけで
すごい嬉しい。 嬉しいですね。
僕も やっぱ… まあ さっき
ごっちゃんも言ってましたけれど
もっともっと頑張って
とにかく たくさんの人に
歌を届けなきゃいけないなって
さらに強く思いました。
(堀内)よかった。
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