NHK地域局発 知るしん 信州を知るテレビ「報道写真家・石川文洋」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

NHK地域局発 知るしん 信州を知るテレビ「報道写真家・石川文洋」[字]

ふるさと、命、人生…諏訪市在住、ベトナム戦争取材で世界に知られる石川。今年4月、震災10年の被災地を撮影する旅に出た。「命こそ宝」が信念の石川が見出したものとは

番組内容
被災地で、かつて取材した高校生と45年ぶりの再会、住民が吐露する原発と国への怒り、失われた“ふるさと”への後悔と葛藤、津波で娘を亡くした父の思い。20代で弾丸が飛び交う戦争の最前線で写真を撮り続けた石川も現在、83歳。石川は旅先の人々と震災10年を語りあう中で、「伝え続ける」という自らの責務について思いを新たにする。石川の写真と言葉で紡ぐ、ふるさと、命、人生の意味に思いを馳せる旅物語。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – ローカル・地域

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  12. 人間
  13. 当時
  14. 年後
  15. 標語
  16. 未来
  17. イカ
  18. お前
  19. カレイ類
  20. コガレイ

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

NHK
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次回の
「みみより!くらし解説」です。

すいません フリーカメラマンの
石川といいますが

どちらから見えたんですか?

う~んとね 宮城県。
宮城県。

私は長野県の諏訪市から来ました。
今 83です。

元気ですね。 すご~い。

震災前までは富岡に住んでたんですか?

私は その前には
引っ越しちゃったんですけど

家族は暮らしてました。
あっ そうですか。

富岡 長いんですか?
富岡…

富岡は私 どれぐらい住んでたんだろ。
25年ぐらいは いたのかな。

あっ そうですか。

すいません お名前を教えてください。
原稿を書きます。

ここだけではなくて 今度の旅を。

私は
侵している側からの取材を続けていた。

私は自ら選んでベトナムへきた。

自己追求のつもりであった。
戦場で人生を知ろうと思った。

そんなことを人に言ったら

お前は なんと甘い考えを持ったやつだと
笑われるだろう。

しかし 私のような頭の悪い人間は

体験から
自分で それを知るしかなかったのだ。

そこで見た光景は地獄だった。

村が攻撃される。

農民は壕へ逃げ込む。

地上で
砲弾が炸裂する。

地獄のような時が過ぎる。

家は燃え 傷ついた子供を抱えて
母親が泣いていた。

倒れた母親に取りすがって
子供が泣いていた。

泣いている少女を見ると

思わず抱きしめて なぐさめてやりたい
衝動にかられた。

私の視点というのはですね
やっぱり 平和ですよ。

みんなに平和になってもらいたい。

「間もなく 巨大地震が発生した
午後2時46分になります。

東日本大震災で亡くなった方と…」。

東日本大震災が
その人の人生に どう影響を与えたか。

どうしてるか。

今 どういう考えを持って
そこに生活をしているか。

その人たちの考えというのは
私は ここにいては分からないわけですね。

その考え方を知りたい。
状況を写真に撮りたい。

それを第三者に伝えたい。

あっ そのまま上がってください。
これ あの ほこりが…

10年分のほこりがありますので。
このままですか?

あっ どうぞ どうぞ。

あの時のままですけど。

駅前は緩和されたけど
全く人が住む状態じゃないわけですね。

そうです。
住める状態ではない。

まあ 私も やっぱり 子育てして

今 茨城県が子供にとってのふるさとに

なってしまったので。

ある時 この封書が届いたんです。
これ 本物なんですけど。

原子力の表彰に選ばれたから
表彰されますということで。

「誠におめでとうございます」と。

町の玄関口に掲げられていた
PR看板です。

「原子力 明るい未来のエネルギー」。

学校の宿題だったので

ノルマとして出さないと
怒られるということで

それで原子力を推進する内容で
3つ考えてきなさいと。

標語が選ばれた時は
すごく誇らしくてですね。

町民の人たちも やっぱり その言葉を見て
信じてきたと思うので…。

23年後に この言葉に苦しめられるとは
当時は思ってもいなかった。

画用紙に「破滅」と書いて
「明るい」のとこにかぶせて

コラージュして標語を訂正したんですね。

当時の小学生の自分に対してというか。

原発事故によって
ここは誰も住んでないんだと。

僕たちの この人生というか
それまで批判されてるみたいで

何だろう やっぱり こういう時代が
本当にあったんだということを

そのまま伝えるべきだと。

原発と共にやってきたくせにとか
いろいろ 冷たいコメントもある中で

それでも残すべきだという強い思い。

それを信じてきました。

やはり 二度と同じ失敗を
起こしてほしくないんですね。

原発事故 もういいな。
そろそろ しんどいなって思いながらも…。

そういう10年ですね。

ふるさとっていうのは 勇治さんにとって
今 どういう感じですか。

看板と標語が考えたからこそ

ふるさとと向き合う時間でもあったので

双葉町は 自分好きなんだなと。

やっぱり 当時の町は 僕にとって

大事な時間だったんだなっていう
気付きがありました。

本当に当たり前だったことが
当たり前じゃなくなるというのは一瞬で

物事が変わるのは
一瞬だなという感じですかね。

今 取れてるのは ヒラメと イカと…。
イカ タコ。 タコでしたね。

アンコウも取れてるし あとはね
これ マガレイっていうんだけど

この辺では
アカジガレイっていうんだけど

カレイ類が多いね。
あっ カレイ類…。

私らも 子供の頃 海水浴やってっとね

本当に波打ち際ギリギリん所で
小さな魚がいっぱいいたんです。

あれが多分 ヒラメの稚魚だったり…。

この辺も全部 両側は
漁師の住まいだったんだよな。

そのまんま…
はい ちょっと こっち見てください。

マスクしたままで…。

それは やっぱり 国内でも
そういう雰囲気があるわけですか。

うん あるんですね。

ほかのね 日本中いろんな産地の魚が
豊富な時はね

てきめんに売れなくなるそうですよ。
福島の魚は やっぱりね。

人が持ってる印象っていうのは
なかなか消えないですからね。

ええ。

子供の頃 釣りに行ってよ。

海の底きれいで 3メートルから
5メートルぐらい水深があるはずなんだけど

その底で コガレイが泳いでるのが
見えるんだよな。

そこにね おもりをつけて 餌をやって
そこにね

餌に食いつく コガレイが見えるの。

あっ 食ったなんつって 釣ってるわけね。

そうしたね 水の色とかね
太陽が反射して キラキラする光まで

それが 一塊になってね
自分の海なんだよな。

そういうものがね 全部一気に
ぼかっと なくなるって

そこに魚は まだいるよ。

海はあるんだけど
今は海 濁っちゃってるけど

かつてのような海と比べれば。

だけどね かつてのような海は
何としても取り戻したいなっていうね

野心は いつもあるわけね。
何でかっていうと

それが自分の大事な
誰にも手をつけてほしくない宝物だから。

壊されたくないし なくされたくないの。

それで その裁判ですね。

中島さんが原告団長になって あれした…
それは今 最高裁に。

そうです はい。

国の責任を明確に断罪しました。

目の前にあるゴミをね
どっかに持ってって見えなくなったから

ゴミはないんだっていうことが

いかに でたらめかっていうことを
政府は分かってないよな。

あるいは
あえて 目を塞いでるんだろうな。

やめてくれと思うね。

恥だよ そういうのは。 日本人の恥。

世界に対する恥だと思うよ。

見えなくたって 隠したって
そこに現実はあるんだって。

汚染はあるんだし 放射能はあるんだよな。

それを我々が 子供や孫が食うわけだよ。

目に見えないだけで あるんだから。

だから そういうことをまた繰り返すのか。

再稼働して また地震が来たら
どっかで また爆発するじゃない。

みんな 日本中 住めなくなるよ。

みんな この放射能で死んじまうんだ
それこそ。

そんなことを なぜ今から
すぐ止めようとしないんだろうな。

だから 本当に自分の宝物を

ふざけるな 勝手にね 壊すな
取っていくな。

うん… っていう思いだよな。

だけど 福島の場合は
これは非常に戦争より長いですよ。

…と 私は思うんですね。

早く戦争をやめてくれと叫びたくなる。

農婦の顔と
涙と泥にまみれた子供の顔が

私の目にかぶさるように はいってくる。

しかし 私の仕事は
そういった状況をフィルムに収めて

ベトナムの現実を訴えることである。

少女がじっと私を見つめていた。

結局 私は 戦争の傍観者でしかないのか。

取材してる時 手帳で取材をしてね
ノートに写し書いたりね。

心臓止まってね
電気ショック5回で生き返ってね。

管を口や鼻から こっちの… 腕の動脈
あちこちから入れて

動かないように
ベッドに固定されてたそうです。

「写真撮った?」って かみさんに聞いたら
「とても撮れなかった」って。

見たかったな…。

ベトナム戦争のことも
伝えることができる。

これは もう 私の生かされた命の
私の義務だと思ってる。

ここで立ってるだけでは申し訳ない。

あの日は家に帰ったら
中学校の制服を着て見せる日。

ああ… 制服見てないわけですか。
見てないです。 もちろん。

見てない。
はい。

大津波警報 受けて 今 俺らが来た所に

ここに来れば 1分で逃げられた ここに。

でも ず~っと 校庭に
とどまってしまったんですね。

ここに ず~っといて
動き出したのは 最後の1分です。

震災前に宮城県が
津波が来る 地震が来るって

いろんな対策を立てなさいって
言われた時に

その中に 私は 娘のことは
思い浮かべてなかったですもん。

娘 入れてないんだよね。

すごい災害が来る 犠牲者が
たくさん出るって言われてるのに

大事な娘を入れてなかった。
自分も入ってなかった。

もしかしたら 亡くならないで

3月12日も 13日も
1年後も 10年後も

生きていた日々があったんだろうな。

そういう日々が 今日なんです。

地球が ちょっと震えただけで
あんなに簡単に人は死ぬんです。

だから 命は とても小さくて弱い
はかないというのが分かりました。

これで いいのかって思うし
それで伝わってるのかと思うし

俺自身も 違和感 感じる時も
すごく多いし

結局 分かんないでしょ 誰も。
誰も分かんない。

今は普通に 車通っていて
あそこには ランドセルも残ってないし

子供たちが並べられていた所も
説明しなければ

ただの砂利が敷かれているだけなので。

でも あそこに立つと
ああ ここで 10年前

そうだったんだなって
俺は思うわけですよ。

ここで名前を叫んで 体 揺り動かして
でも 全然動かなかったなって。

あれから 10年…。

大川小学校で未来の教訓を
って言うけれども

未来の教訓のために あの子たちを産んで
育てたわけではないわけですよ。

だから やっぱ
子供たちが帰ってきてほしいし

でも 帰ってこないじゃないですか。
だから せめてなんだよね。

無駄にしてほしくないとか 防災が
どうのこうのっていうのは せめて。

せめて そうでもしてくれないと
あの子たちの命の意味づけというか

そういうことなんだろうなと思うんです。

それから 戦場行ってた人が
本当にもう いなくなってですね

一緒に 戦争のことを話し合える人が
いなくなったんですね。

そういう体験者のですね
言葉っていうのは

説得力がありますからですね
それは是非 続けてほしいな。

町全体が なくなってしまったと。

私が 45年前に撮影した町は
どこへ行ってしまったんだろう。

古い町並みがあって
ちょうど冬でした。

1月だったかな。 小雪が降ってね。

でも 道には 魚を売ってる人たちが
並んでいたりね 野菜を売ってたり。

この人 実千代さんですね。
菅野実千代さん。

和光堂という写真館のお嬢さん。

まだ 高校生で。

今 仙台にいるから来ますと。

兄が見つかったのが あの辺なんです。

兄が見つかったのは あの辺。
ああ そうですか。

母の第一声が ごめんでした。

お前の兄貴を助けられなくて
ごめんというのが

母の最初の言葉です。

兄が高台の方まで車で逃がして

その後 兄は 自分の妻
奥さん 迎えに行ったけれども

間に合わずに亡くなったという。

同級生というか 友人は
何名ぐらい残って…。

学年で言えば
亡くなったの いるんですけれども

クラスで言ったら 全員助かりました。

今でも会うことはありますか?

震災後の方が会うようになりました。
ああ そうですか。

誰かに会うのを
あまり苦にしなくなったというか

それまでは いいやって断ってたと
思いますけども

震災後かえって そういう つながりとかは
大事にしようかなと。

また今度なんて言うのは
すごく ぜいたくな話。

震災がなければ 恐らくは
会ってはいなかったと思いますし。

震災で失ったものもあるけど
つながっていくものもあるなと。

はい カメラの方を見ててください。

報道写真というのは
人間は どう生きていくんだろう。

やっぱり その 人生を追求してる。

人生を取り巻く社会の変化というものを
記録していくんだ。

だから いつも 撮ってるのは社会

ある意味 建物を撮っていても
報道カメラマンは

そこに 中心には人間がいるわけです。

シャッターを押すということは
やっぱり 自分がそこで生きていると

仕事をしてるというですね
そういう実感が伴ってくる。

そういうふうにして 一年一年
過ぎていけばいいなと思いますね。

♬~

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