出典:EPGの番組情報
英雄たちの選択「渋沢栄一 七転八倒の青春」[字]
日本資本主義の父といわれる渋沢栄一。実は、彼は、幕末、同志を集め、幕府を打倒する作戦を練り、実行目前だった。若き日の栄一の青春に、スポットをあてる。
詳細情報
番組内容
倒幕計画を断念した渋沢栄一は、一橋家重役・平岡円四郎の計らいで、一橋慶喜の家来になる。領内を駆け回り、500人の農兵を組織し、他方、一橋家の財政を強化するなど、栄一の活躍は目覚ましいものがあった。ところが、慶喜が、15代徳川将軍に就任することになった。栄一は悩む。倒幕の志を捨てて、幕府の家臣となるのか。去年、新たに復活した渋沢栄一のアンドロイドが、その七転八倒の青春時代を振り返る。
出演者
【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】高橋源一郎,鹿島茂,中野信子,【語り】松重豊ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
日本資本主義の父といわれる…
生涯で
500もの会社を立ち上げ
日本経済の発展に
多大な貢献をした渋沢。
晩年は 国際交流にも尽力し
ノーベル平和賞の候補者に
2度までも推薦された。
ところが 渋沢の青春時代は
平和とは 程遠かった。
時は 幕末。
来航する外国船を打ち払えと
攘夷が叫ばれ
日本国内は騒然とした。
若き日の渋沢も
攘夷を実行しない幕府を倒すために
同志を集め 倒幕のテロを計画する。
これを発端に 幾多の出会いが
渋沢を思いがけない運命に導く。
去年 70歳代の渋沢栄一が
精巧なアンドロイドとして復活した。
人生を振り返り 明治維新前後の数年が
とても長かった心地がして
忘れようにも忘れられません。
後年 渋沢が語った記録をもとに
その七転八倒の青春時代を振り返る。
動乱の時代に 己の信念を追い求めた
渋沢栄一の原点に迫る。
♬~
皆さん こんばんは。
こんばんは。
歴史のターニングポイントで
英雄たちに迫られた選択。
今回は 日本資本主義の父と呼ばれる
渋沢栄一を取り上げます。
渋沢栄一といえば
経済人として知られていますが
今日は 渋沢の青春時代に
焦点を当てていきます。
磯田さん 幕末の渋沢は 磯田さんにとって
どういう印象でしょうか?
いや~ 私 渋沢の若い時分の
伝記を読んだ時は ハラハラしましたよ。
だから 後年の経済人
丸っこくなってる渋沢の姿からは
ちょっと想像はつかない。
ええ。
渋沢 若い頃は 本当に…
まあまあ テロに近い。
だから ハラハラ時代を持ちながら
後には 豊かな日本を作っていく。
だから 渋沢さんを生む風土や
時代背景っていうのを
今日は 是非 見たいと思いますね。
では 若き日の渋沢栄一
ご覧いただきます。
埼玉県深谷市。
かつて 武蔵国と呼ばれた
この地に
渋沢栄一は生まれた。
栄一の家は 麦の栽培や養蚕のほかに
藍染めに使う
藍玉の製造販売で
財を成していた。
栄一は 6~7歳の頃から
親戚の尾高惇忠のもとで学問を始めた。
読書に熱中した当時を
自伝「雨夜譚」で
こう振り返っている。
『里見八犬伝』のような
小説や軍記物の類いが至って好きで
正月の挨拶回りの時も
本を読みながら歩いていて
溝に落ちてしまい 晴れ着を汚して
大層 母親に叱られたことがありました。
そんな栄一に 父は厳しかった。
父から 家業にも精を出すよう言われ
13の年には 一人で
藍の葉の買い付けに行ったもんです。
後に大実業家となる渋沢栄一の商いは
藍の葉を買い集めることから始まった。
初めて栄一が 藍の買い付けに出た年
江戸は大変な騒ぎに見舞われた。
ペリー提督率いる 黒船の来航である。
栄一が暮らす
武蔵国の近国
常陸国 水戸では
外国を打ち払えと攘夷が叫ばれ
既に軍事演習まで行われていた。
16歳になった栄一にも
政治に不満を抱く事件が起こる。
それは 血洗島村を治める
岡部藩の代官から
御用金差し出しの命が下ったことに
始まる。
御用金とは ひっ迫した藩の財政では
賄えない出費を
領民に供出させるというもので
当然 返済されることはなかった。
裕福な栄一の家には
事あるごとに御用金が要求されていた。
この時 横柄な代官は
父の代理で出向いた栄一に
500両差し出すよう命令した。
「父の承諾を得た上で
改めて ご返事に参ります」
と答えた栄一を
代官は子供扱いして ばかにした。
無性に腹が立った私は
その根本をよくよく考えました。
あんな下劣な男が 代官を務めているのは
本を正せば 藩がだらしなく
藩がだらしないのは 幕府がいけないのだ
と思い至ったのです。
結局 渋沢家は御用金を引き受けたが
栄一の心には
暗い わだかまりが残った。
21歳になった栄一は
農閑期に江戸に出て
最新の情報に触れた。
その結果 攘夷を実行しない幕府を
倒すしかないと思い詰め
師匠の尾高惇忠や いとこの喜作と
ひそかに倒幕の策を練った。
その策とは 横浜を焼き打ちして
外国人を片っ端から斬り殺すという
乱暴なものだった。
藍玉の売り上げから流用した金で
刀や やり 100本余りを準備したという。
幕府に攘夷などできない。
もはや徳川の政府は滅亡するに違いないと
いちずに思い込んでいたので
自分たちが 目覚ましく血祭りになって
世に騒動を引き起こす
引き金になろうと考えたのです。
この血気盛んな決意を
尾高惇忠が
「神託」と題した檄文にしたためた。
神に託された計画の正当性と
外国人の打ち払いを
激烈な言葉でつづり
人々を扇動するものだった。
集まった同志は 総勢69人。
江戸で知り合った憂国の士と
惇忠や栄一に感化された農民たちだった。
決行の日も近づき
栄一らは尾高家の2階に集まった。
京都の情勢を探索してきた
惇忠の弟 長七郎が帰郷したのだ。
長七郎を交え 倒幕計画の詰めが
この座敷で行われた。
剣術家として知られた長七郎だったが
栄一たちの計画に強く反対した。
長七郎は 京都で攘夷派の反乱が
力ずくで押さえ込まれる様を
目の当たりにしてきたのだった。
意見の対立で興奮した 栄一と長七郎は
お互いを殺してでも計画を止める
いや 決行すると激論を交わし
夜を明かした。
ここまで長七郎さんに言われ
よくよく考えてみたところが…。
百姓一揆のように見なされては
あとに続く志士もなく
犬死にになるかもしれないと
悟ったのです。
長七郎さんが命懸けで
私らの命を救ってくれたのです。
倒幕計画は断念したが
うわさが幕府方に漏れると
捕縛されるため
栄一は喜作と共に
故郷 血洗島村を出奔する。
目指すは動乱の中心地 京都だった。
故郷 血洗島村での渋沢栄一を
ご覧いただきました。
高橋さん
「神託」という檄文が出てきましたけど
栄一は 本気で 仲間と
この倒幕のテロを考えていたと。
これね 僕 ちょっと
繰り返し読んでみたんですけど
もう まあ 何て言うか アジビラですよね。
アジビラ!
アジビラです 完全に。
で これね
実は アジビラって
まあ 面白いのは
本気で
書いてるかどうか
分からないってとこが
あるんですよ。
これ 今 読むと
こんなこと書いて
大丈夫? って
思うんですけど
これね まず
仲間内に向かって
書いてるんですよ
基本は。
結束を固めるとかね。
まあ アジビラのことに関しては…。
アジビラってね
書き方があってね
え~っと
まずね
書いてある
内容じゃないんですよ。
書いてある内容に
優れたこと
書いてあるとね
逆にね
アジビラとしての
効果なくなっちゃうの。
理性的に
なっちゃうからね。
そうじゃなくて
エモーショナル エモーションを
高めるっていうことがね
アジビラの第一原理だからね。
いや 確かに
鹿島先生のおっしゃるとおりで
内容そのものの合理性とか論理性とか
そういうとこよりも
音楽性なんです。 思考を
止めなきゃいけないから 読んでる人の。
(高橋)考えさせちゃ駄目なんだよね。
ロックンロールなんですよ。
そうそうそう リズム リズム。
…種族なんですよね
人間という生物そのものが。
で それを
何か どこか
勘で見抜いていて
そこを
刺激するように
書いてるんですよね。
自分たちは
選ばれた者
神に選ばれた者だ。
俺たちと共に戦おうではないかという
気持ちをあおってるんですよね。
あの~
深層心理は出てると思うんですね。
奉ってるものは何かっていうと
これ 大きく書くんですよね。
「神」とか
上の方に「皇天子」とか 天皇ですよね。
ところが一方で
一番小さ~く書いてるのは
「当所年寄り共へ」と書いている。
「年寄り共」っていうのは
これは村役人。
あの 幕藩の手先と
考えている人に
「共」っていう
すごい上から目線の
呼びかけ方で
自分たちは
神の使いであると
言ってるわけですよね。
それで下に置くんですよ。
ものすごい下の方に
小さく書く。
で 見下す。 これが いかに
ふだん腹が立ってたか。
あと 本当に じゃあ
天皇を敬ってるのかっていうと
普通 今のビジネスレターとかでも
元号は一番上に
置いてくるようになってますけど
文久の年号の上に自分で
年号を付けたみたいに
「天地再興文久三年」。
だから やっぱりね
攘夷とか尊皇とか言ってますけどね
実際には幕府への不満とか
村落の中における
村役人 年寄り共に対する
若者のいらだちとか
そういうのが やっぱ
背景にあるんだなっていうのは
これ やっぱり 史料を
こういうふうに読めば読めますね 多分ね。
いや~ 若いよね。
若い…。
文久3年11月末。
栄一と喜作は
情報と策謀の渦巻く京都にいた。
道中の安全は 一橋家重役の
平岡円四郎の助けを借りた。
一橋家は
徳川家の身内 御三卿の一つだった。
攘夷倒幕にはやる栄一と違い
平岡は 開国派だったが
栄一を見どころある若者と評価していた。
平岡は 既に 主君 一橋慶喜に従い
京都にいた。
だが 栄一たちが江戸の留守宅に来たら
家来の身分を与えて
京都へ来るようにと言い残していたのだ。
京都に着いた栄一たちは
もとより家来になる気はないため
平岡への挨拶も そこそこに
諸国から集う志士たちとの交流や
物見遊山に時を過ごした。
明けて 文久4年2月。
栄一のもとに驚愕すべき便りが届いた。
倒幕計画を命懸けで止めてくれた
尾高長七郎が
殺人事件を起こして捕らえられ
懐から栄一の手紙が出てきたというのだ。
それは
栄一が京都から幕政批判を書き連ね
長七郎も上洛するよう誘った文だった。
これにより 長七郎は
倒幕派の嫌疑をかけられているという。
翌朝 栄一は
平岡円四郎から呼び出しを受けた。
長七郎の一件で 江戸から一橋家に
問い合わせが来たのだった。
栄一は 事のいきさつを
包み隠さず話した。
聞き終えた平岡は
栄一たちに思いがけない提案をした。
考えの違いは脇へ置いて
一橋家に仕官しないかというのだ。
予想もしなかった平岡からの誘いに
栄一は戸惑った。
宿に戻り 栄一は悩んだ。
倒幕の意志を貫くのか
あるいは
幕府を支える一橋家に身を寄せるのか。
その心の内に分け入ってみよう。
私らに目をかけてくださった平岡様には
申し訳ないが
一刻も早く攘夷を実行し
夷狄を打ち払わなくてはいけない。
そもそも徳川の政への不満から
倒幕を思い立ったのだ。
いつまでも攘夷を実行しない幕府など
倒して
新たな政治の形を
生み出さねばならない。
志を同じくする者たちは
各地に数多くいるのだ。
幕府を支える立場の
一橋家の家臣になれば
ふるさとの同志たちにも
変節したと思われてしまう。
ここは 潔く断るのが筋だ。
だが 幕政を批判した手紙が
明らかになった今
我らの身に危険が及ぶのも時間の問題。
一介の農民にすぎない身分ゆえ
捕らえられれば命も危うい。
そうなれば
幕府を倒す望みも消えうせてしまう。
果たして それでよいのか。
ここは 一旦 一橋家に仕えながら
志を貫く道はないだろうか。
それに 一橋の家臣となれば
命の恩人の長七郎殿を
救い出す道が開けるかもしれない。
思い悩むうちに 夜は白々と明けた。
渋沢栄一 この年 24歳。
人生の岐路となる選択を迫られた。
倒幕の志を持った栄一は
徳川の親戚にあたる一橋家から
誘いを受けました。
しかし これ なぜなんでしょうね。
開国派の平岡円四郎は なぜ
攘夷倒幕派の栄一を誘ったんでしょうか。
あの~ 一橋家ってね はっきり言って
バーチャル一橋家なんですよ。
リアル一橋家にならなきゃ
この時 いけなかった。
それは何かっていうとね
あの~ 一橋家っていうけど
厳密に言うと これ 家じゃないんですよ。
江戸城のお城の中にいる
将軍家のお身内家族で
お堀の中のお身内家族だから
そこに独立した
すごい軍事集団なんていたら
クーデターになっちゃうでしょ。
ですから 職員はみんな 家臣団は
幕府の家臣からの出向。
出向社員。
ほいで 領地も
もう全国に
バラバラに散らばってて
領域でもってるっていうような
状態じゃない。
だから バーチャルなの。
ところがですよ こんな…
一から作んなきゃいけないよ
家臣団と軍隊をってなると…
これね できる人 いないわけですよ
なかなか。
そこへ来たわけですね 渋沢が。
思想は関係ない?
関係ない。
で それらに対して真剣で
しかも 能力があったら… 要するにね
この平岡ぐらい さばけたというか
理解がある人だと そういう…
何て言うか違いっていうのは
表面的なものだってことも
分かってると思うんですよね。
これ 平岡円四郎はね
江戸にいた時からね
大体 スカウトに
相当 力を入れてるんですよ。
で 多分 この平岡円四郎ってのは
我々の時代のあれだと
もう典型的なオルガナイザーね。
お~。
オルガナイザーってどうするかっていうと
まず 見込みのあるやつがいるとね
そいつに 全部 話させるの。
ほうほう 話させる。
いろんな自分の考えてることを。
で それ こっちの考えてること
全然 反対とか
そういうことを構わないのね。
どれぐらいに
論理的なことを思考ができるかとか
情熱があるかとか
その点でしか判断しないで
思想は こっちの自信はあるからね。
いくらでも ひっくり返せるっていう。
このオルガナイザーの自信ってのは
すごいんですよ。
もう おお そうか そうかと。
(高橋)優秀だよね 平岡っていう人。
その点で
まあ 天性のオルガナイザーでね
非常に早く亡くなってしまった…
暗殺されちゃったからね。
これが平岡が暗殺されなかったら
また 政局変わったと思いますよ。
では 栄一が迫られた選択を
もう一度 見ておきましょう。
選択1は倒幕の志を貫いて
一橋家への仕官を断る。
徳川方には つかないというものです。
選択2は変節と見えても
一橋家の家臣になって活路を開くです。
まず 中野さんはどちらを選択しますか?
はい 私は
2の「一橋家の家臣になる」を選びます。
まあ 命あっての物種というのが まずは
最初に来るんじゃないでしょうかね。
倒幕をいかに こう 高まいな理想として
こう掲げていたとしても
自分が生き残ってなければ絵に描いた餅に
なってしまうということは
やっぱり 合理的に
判断できたんじゃないでしょうか。
というのと 新しい世の中を
作るっていうことなのであれば
その体制の外側からでなくて
内側からもできるだろうというふうに
考えたんじゃないだろうか。
では 高橋さんはどちらを選びますか?
えっと まあ… 2なんですけど。
一橋家の家臣になる。
自分たちがやろうとしたことを
え~ 最終的に成し遂げるためには
生き延びるしかないっていう。
それは初期の自分とは違うものになって
生き延びて いつかやろうとしたことに
たどりつくっていう。 遠回りだけど。
鹿島さんは どちらを選びますか?
やはり 断固として2の方ですね うん。
自分が あの~ 1を選んで
死ぬというようなことに関しては
こういう時代のテロリストっていうのは
意外と たやすいんですよ。
俺の命なんて もう軽いもんだ
というふうに考える。
だけど
長七郎の命が懸かってるわけでしょ。
分かりました。
それでは渋沢栄一の選択をご覧ください。
議論の末 朝を迎えた栄一たちは
平岡円四郎のもとに出向いた。
そこで 栄一は 平岡の申し出を受け
一橋家への仕官を願い出た。
だが 召し抱えられるにあたり
条件をつけた。
あろうことか 慶喜本人に
直接 思いの丈を伝えたいというのだ。
数日後
平岡苦心の差配により
慶喜の宿で拝謁が実現する。
身の程知らずにも
慶喜公に
幕府の命脈も
既に滅絶したと
なんとも無遠慮に
申し上げたのです。
幕府が潰れるのを
取り繕われるようでは
一橋のお家も もろともに潰れます。
あえて好むことではござりませぬが
幕府を潰すのは
徳川家を中興する基でありますと
正直に申し上げたところ
慶喜公は ただ
ふむふむと 聞いておられました。
慶喜との出会いで 栄一の運命は
またしても大きく動き出す。
一橋家仕官後の栄一の活躍は
目覚ましかった。
栄一は 一橋家の武力強化のため
農民から成る歩兵の編制を目指す。
西国の一橋領を巡って勧誘し
志願者500人という成果を上げた。
続いて取り組んだのは
一橋家の財政強化だった。
勘定組頭となった栄一は
藩札を発行して
播磨の木綿を買い上げた。
これを特産品として販売し
一橋家の財政を改善していく。
ところが またしても 栄一に
時代の大波が押し寄せる。
14代将軍 徳川家茂が死去し
慶喜の15代将軍就任が
取り沙汰される事態になったのだ。
幕府は やがて倒れるという
栄一の危惧をよそに
一橋慶喜は
幕府老中からの懇請を受け入れ
徳川家を相続して徳川慶喜となった。
栄一は 失望の極みにあったという。
この時は また元の浪人になろうか
いや いっそ死んでしまおうかとまで
思い詰めた次第です。
長年 渋沢栄一を研究してきた…
桑原さんは この時の栄一の心境を
こう分析している。
通常ですと喜んでもいいようなふうに
今だと思ったりもしますけれども
栄一自身は もう…
潰れていく幕府のトップを
継いでしまうということになりますと…
しかし このあと またしても 栄一に
大きな転機が訪れることになる。
栄一は 徳川家を支える側の
一橋家の家臣になることを選びました。
鹿島さん その結果 また
新しい展開に巻き込まれましたね。
そうですね これ
よもやよもや 本来ですね
あの一橋家で 幕府が倒れたあとに
支えようと思ってたのが
将軍になっちゃった。
どうしよう。 こういう時にはね
やっぱりね 何て言うかな。
自分が一義的に生きるっていうね。
これ まあ この時代の人は
激動の時代を生きる人は
みんな そういうふうに考えるんだけど
一義的に生きるためにはね
本当に考えなきゃいけないのね。
何で お前 そんな悩んでんだよって
ほかの人から見たら そうなんだけどね。
もう論理が見つかんないんですよ
自分を納得させてくれる。
それはね 大変だったと思うね 渋沢はね。
あの~ 人間というのは
すごく不思議な生き物で
明日食べていく米があれば生きられる
っていう種じゃないんですよね。
まあ 明日は
生きていけるかもしれないけども でも
3年後に自分が生きている意味
10年後に自分が生きている意味
100年後に自分が生きていた意味
っていうのがないと
簡単に死を選んでしまう。
…っていう特性がある。
この時代は もっと
大きな物語の力があったでしょうから
それを失ったというふうに感じた
栄一の喪失感たるや
想像するに
余りあるものがありますけどもね。
もう一つ
あの~ これ慶喜の選択でもあったわけ。
そもそもね。 つまり 慶喜が
あそこで引き受けたっていうのは…
それは渋沢栄一ごときには
まだ理解できなかった。
(笑い声)
多分ね あの~
僕 「論語」を読んでて思ったんですけど
あの孔子… まあ
この慶喜も そうなんですけど
はっきり言ってないことが多いんですね
いっぱい。
要するに
弟子が想像するしかないんですよ。
渋沢栄一が見てたのは
リアル慶喜というより
そもそも しゃべらないのね。
(中野)そうか
バーチャル慶喜なんだ これも。
そういう慶喜に仕えてたのに
だから 自分のいわば
思想体系みたいなものは壊れちゃう。
だから そういう主従関係なんですよね。
あと あれですね。
面白くなくなってくるんですよ
渋沢にしてみると。
なぜか 何でかっていうとですね
0から1作って
いっぱい いろんな仕組み作っていくと
みんなにも感謝されて喜ぶんですよね。
それで 一橋家の中の
地位も上がってくんですけど
ところが 取り立ててくれた
平岡円四郎は
暗殺されていなくなっちゃうわけですよ。
所詮 あれは もう
平岡円四郎が見立てて
もう 格外の農民から
取り立てたっていう扱いを
思いっきり思い知らされたと思いますよ。
(鹿島)ああ なるほどね。
結局 そうか 勘定で俺の算盤能力を
使いたかっただけか
こいつらはと思って… 死にたくなるよ。
浪人してやるよってなりますよ そりゃ。
これだけ 自意識 強いんですからね。
彼はね。
倒すべき敵だった
幕府の家臣となってしまった栄一。
もう 死んでしまおうかと考えていた
やさき
なんと フランスに行かないか
という話が舞い込んできた。
1867年 パリで開催される万国博覧会に
幕府は慶喜の弟 昭武を将軍名代として
派遣し
その後もパリで留学させることにした。
栄一は 昭武の世話係として
庶務と会計を担うことを期待されていた。
多くの家臣の中から
栄一を指名したのは 慶喜だった。
これを聞き 栄一はパリ行きを即答した。
パリ滞在中 栄一は昭武に仕えながら
ヨーロッパの習慣に なじんでいった。
だが 翌年…。
日本では戊辰戦争が勃発。
栄一が
2年足らずのパリ滞在から帰国した時
年号は明治に変わっていた。
帰国後 栄一は駿府へ向かった。
かつて行き場を失った自分を召し抱え
活躍する場所を与えてくれた主君 慶喜が
そこで謹慎していた。
栄一は
慶喜との再会を こう回想している。
慶喜公は 貧相なお寺に
蟄居していらっしゃいました。
畳が破れて 薄暗いあんどんのともった
小さな一室に
一人で ひょろりと入ってこられ
しょんぼりとお座りになりました。
あまりのお変わりように
感極まって涙がこぼれました。
慶喜は フランスでの昭武の様子を聞き
栄一の労をねぎらったという。
明治以降 経済界で
華々しい業績を積み上げる栄一。
だが 老境に至っても
倒幕に思いをはせた
血洗島村の生家に度々帰郷した。
ふるさとの家族たちも
栄一のための座敷を作り
温かく迎えたという。
私は 特に人よりも優れた才能が
あったわけではありませんが
真心一つで
万事にあたってまいりました。
まるで夢うつつのようですが
忘れ難いことばかりでありました。
渋沢栄一は
パリに行くことで命拾いして
また新たな人生が開けました。
磯田さん いかがですか?
うん やっぱり声かかるんですね。
あの卓越した
実務能力… まあ 当時の言葉で言うと
周旋家なんて言ったりしますけどね。
便利だから みんな 欲しいんですよね。
一家に一台 渋沢くんみたいな感じで。
いや~ 救われましたよね 鹿島さん。
渋沢にとっても強運だし
日本にとっても強運だったね。 うん。
渋沢という人材
え~ これ まあ 最後の幕臣ですよね。
それで その人が まあ
新しい明治を作る最初の人になるわけね。
ああ~。
全部洋服で
もう完全に 成りきっちゃうの。
だから 要するに最初の近代人なのね。
そう その辺の
柔軟さ 恐るべしっていう感じで。
渋沢の場合は 何て言うのかな。 こう
自分の考えに こだわるわけでもなく
かといって
周りに流されてるわけでもなく
いいあんばいで
時代を味方につけてるんですよね。
時代と人を。 これは すごいことで
なかなか できるもんじゃないですよね。
あと やっぱりね
慶喜が 僕 すごいと思うんだよね。
あの~ パリにやったのも もちろん
昭武のお目付けでやったんですけど
これは やっぱり 渋沢栄一には パリ
フランスを見せておこうということで
選んだと思うし。
要するに名君っていうのは
何か かっこいいことを
言うんじゃなくて人事ですよ。
ああ~。
適材適所。
ただ その 慶喜ということに関しては
すごい やっかいな問題を
「論語」と算盤の栄一に起こすんですよ。
それはね あの…
ですね。
ところが これがね
一致する場合はいいんですよ。
あの~ 一橋慶喜のために
この家をよくするために
算盤をはじいてあげるという
それで自分も登用されるって時は
対立がないんです。
そうですね。
ところが問題はですね
慶喜のためにはよくないんだけど
日本と自分のためにはなるっていう
場合が起きてくる。
これが あの~ パリに行く時の話ですよ。
つまり 「論語」の考えで栄一からすると
幕府は もう 余命いくばくもなくて
その将軍に慶喜がなったら
慶喜の命は危なくなるわけですよね。
忠義からしたら どこまでも
一緒に死んであげるぐらい
忠義を尽くして 同じ道を
歩まなきゃいけないわけですね。
確かに はい。
しかし それは捨てて…
そうすると 相当
申し訳ないことをしたっていうふうに
この算盤と「論語」の相反っていうのが
栄一の中に起きて
そりゃ 慶喜に会いに行って あの
狭いお寺の一室で泣きますよね それは。
だけど 反しても こうやって…
後で ごまかしたりせずにね。
ハハハ…。
いろんな 若き日の
渋沢栄一の姿が見えてきたと思いますが
中野さん どんなことを感じましたか?
テロリストだった割には 社会正義と
平和ということを考えるわけです
道徳ってことを考えるわけですよね
この人。
面白いなと思いますけど でも まあ…
やり方が違っていただけで。
やっぱり そのあとを知ってるので
生き延びた過激派精神青春。
渋沢の場合には
まあ 体制側に入るわけです。
これが 完全に入ってないんだよね。
つまり あの~ もっと いわば…
で 結局 よくあるじゃない
その お前… 渋沢 裏切ったなと。
多分 どっか 10代のどっかで
20代のどっかで
みんな思ってたかもしれないけど
最後まで戦ってたのは渋沢で。
つまり 資本主義を ある意味 独力で
いわゆる修正資本主義ですよね。
もうちょっと優しい
人に優しい資本主義で
日本に根付かせたっていうのは
過激派がやるより すごかったよね
まあ そういう意味では。
だから 彼は
そういう意味で
少年時代 青年時代に思った
変革の気持ちを 結局 捨ててなくてですね
それを絶えず変化させながら
妥協も… 時には妥協するけども
でも ちゃんと
大筋では曲げずに最後まで貫いた。
最後まで ぶれてないよね。
ぶれてない。 全然 ぶれてないよね。
やっぱし 栄一って
江戸人の よい 美しい徳目を持って
やっぱり 明治近代を生きたことは
間違いないと思うんですけど
この人を登場させた力っていうのは
何なんだろうと。
渋沢がやらなかったら もっと駄目な
日本の経済社会になってたはずで。
で これはね
渋沢を登場させたのは間違いなく
肖像も残ってない円四郎なんですよ 平岡。
平岡円四郎 はい。
もう暗殺されて 歴史家しか知らない人に
なっちゃったけど。
やっぱりね
目ん玉一つでね 人材はいると思って
一生懸命ね 人を探す。
人材が探せる人材っていうのが
やっぱ とっても大事で。
あの… 才能を愛して 人が ちゃんと
出してこれるっていうことを
やらなかったら
いくらも 人間は 血筋とか仲間内とか
ただ長くいるとかで 人を使って
どんどん社会が劣化する。
で 人間は もう どうせ死ぬので。
あの… こんないいことないですよ。
次の世代でいい才能は…。 僕 時々
手帳にね ある年から「愛才」って書いたの。
愛才家になるって。
それは才能を愛するの愛才。
妻じゃなくて。
妻じゃない。
愛才っていうことを心に留めなきゃなと
つくづく思いました 今回。
愛才。 まあ奥様の方も
愛妻家になっていただいて。 あ そうか。
フフフ…。
十分 愛妻家だとは思いますが。
皆さん 本当に
今日は ありがとうございました。
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