徹子の部屋 満島真之介[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 満島真之介[字]

~体育教師の両親に育てられ…上京して人生観に変化~満島真之介さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
ドラマや舞台、映画などで活躍する俳優・満島真之介さんがゲスト。
◇番組内容
両親は中学の体育教師で、幼少期から特に挨拶や礼儀に厳しく育てられたという満島さん。今でも身についている毎朝5時起きなどは、生活指導の先生でもあった父から叩き込まれたという。高校3年生の時に教師の夢を諦め、卒業後に思い切って上京したあと新たな出会いが…。20歳を迎える前には自転車で日本一周を決意し、自分探しに出たその旅先では沢山の人に助けられた経験も。これまでお世話になった方々へ感謝の思いを伝える。
◇おしらせ
☆10/7(木)よる8時からは『ドラマスペシャル ドクターY~外科医・加地秀樹~』
手術ミスに失恋!?“老いの荒波”にのまれながら…“腹腔鏡の魔術師”こと加地秀樹が帰ってきた!!
まさかの戦力外通告-!?「ドクターX」のスピンオフドラマ第6弾!
【出演】勝村政信、満島真之介、武田玲奈、手塚とおる、小林隆、風吹ジュン
【特別出演】内田有紀、遠藤憲一
◇番組HP
【ドクターY~外科医・加地秀樹~】
 https://www.tv-asahi.co.jp/doctor-y/
【徹子の部屋】
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  14. フフ
  15. 沖縄
  16. 感謝
  17. 勝村
  18. 多分
  19. 二十歳
  20. 母親

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

(黒柳)2人とも楽しそう。

私と一緒に写ってるのは
どなたでしょうか?

今日のお客様
俳優の満島真之介さんです。

どうぞ こちらに。

はい 失礼します。

ところで さっきの写真の私は

私に扮した
お姉様のひかりさんでした。

という事で
どうぞ お座りください。

よろしくお願い致します。
今日は沖縄のご両親だの…

色んなお話とか
デビューのお話とか

色々 伺わせて頂きます。
よろしくお願いします。

お元気そう…。
あなた 前より背伸びたわね。

2センチぐらい伸びたと思います。

そうでしょ。 前より大きくなった。
なんかね もう8年ぐらい…。

そう。 8年前です。
8年前ですか。

そうね。
あの時に 覚えてるのが

まだデビューして2年目か
3年目ぐらいだったんですけど。

まだ沖縄のなまりも
抜けてなくて

で 隣に姉もいたので…。

きょうだいでは 結構

沖縄のなまりがあって
しゃべってるので

「えっ 標準語でしゃべらんと
いけんの?」とかって

ずっと なんか… すごい
緊張してたのを覚えてるんです。

そうそう。 この写真ね。
そうそう。

いやー
今の方が若いですね 僕ね。

そうね。 そうかもしれない。
ハハハハ…。

わかります。
先週 ちょうど…。

ん?
先週 ひかりと連絡をして

徹子さんに会うよって話をしたら
すごい悔しがってまして。

「私の方が会いたいのに」って
言って。

うん。 そう。
言ったら もう なんか…。

すぐ出れるんじゃないですかと
話はしましたけど。

そうですか。 恐れ入ります。
「ついに あなたも

一人前になりましたね」と
言われて。

あっ 本当? うれしい?
うれしいです。

沖縄県のご出身で
いらっしゃいますけど。

現在32歳で
俳優でいらっしゃいます。

朝ドラの『梅ちゃん先生』

それから
蜷川作品にお出になったりして

舞台 数多く… 映画 CMで
おなじみでいらっしゃいます。

それで 満島ひかりさんの
弟さんでいらっしゃいます。

で 今年は大河ドラマにも
出てらっしゃるでしょ?

そうですね。
ねっ。

ひかりさんって…
あなたのお姉さんは

『トットてれび』で
私を演じた事があるもんだから。

そうなんですよ。
さっきの写真は その時に…。

これ 本当に 私としか

思えない感じが
するんですけど

これは あなたのお姉様と
あなたが写ってるのね。

そうですね。
ちょうどですね この時に

僕が『夏目漱石の妻』という
ドラマで…

NHKのドラマでやっていて。

で ひかりも『トットてれび』
やってたじゃないですか。

それで 緑山スタジオ
というとこで撮影してて

隣同士だったんですよ
スタジオが。

ええー。 偶然ね。
偶然に。

で 同じ日の撮影がありまして
これ 僕の楽屋なんですけど。

2人 隣同士の
楽屋だったんですよ。

その時に 母と祖母が

社会見学というか
撮影見学に来まして。

で 2人の部屋を見たんですね
お母さんが。

「あっ ここ ひかりの部屋なんだ」。

そして
「あっ 真之介の部屋なんだ」。

「なんで 真之介の部屋の方が
広いの?」ってなって。

で そこから
おばあちゃんとお母さんは

僕の部屋に入りまして

お茶 飲んだり
お菓子 食べながらいるんですよ。

で 僕も撮影してるんですけど
休憩時間 楽屋に戻ったら

なんか
実家に帰ってきたみたいな

気分になっちゃって。
そうでしょ。

それで ゆっくり
お茶 飲んでると

徹子さんの格好した
ひかりが入ってくるんですよ。

そしたら
そこ自体が『徹子の部屋』に

なっちゃってですね
なんか すごい盛り上がって。

面白いね この頭がね
写っちゃって。

ちょっと 手が写ってるんですけど
あれ 母親なんですよ。

あっ お母様なの。

実は この写真
母親とおばあちゃんも

写ってるんですけど。
あっ そうなの。

ちょっと 出すと恥ずかしいなと
思ったので 切りました。

あっ そうなの。
そこで 私の頭だけにしたのね。

でも これ 本当に
私かと思っちゃうもんね。

そうなんですよ。
笑っちゃう。 フフフフ…。

だから もう ひかりと…
ひかりが この格好をしてるのが

すごく 僕の中で
心に残ってるので

8年ぶりに徹子さんに
会ってるんですけど

なんか そんな感じが
しないんですよね。

ずっと会ってるような感じが…。
うん。

で ひかりが 多分
年を重ねていくと

こういうふうになるんだろうなと
思いながら 今 見ております。

だいぶ 年 重ねないとね。
そうですか。

でも まあ 面白い事が
あるもんですよね。

そうですね。
本当に なんか仲良くやってます。

最近は きょうだい…
なかなか会う時間がなくて。

4きょうだい。
4きょうだいです。

妹もいて 弟もいて

で ひかりが一番年上でですね

本当に母親のような存在というか。

あっ そうだったの。

僕よりも4つ上なんですよ。

なので もう生まれた時には

お姉さんというか

お母さんというか。

それで ずっと背中を追いかけて。

僕 本当に
引っ込み思案だったんですよ。

今は なんか それの反動なのか
すごいおしゃべりになっちゃって。

ちょっと この写真でも
ちょっと引っ込み思案ね。

鼻ほじくってますからね これ。
そうそうそう。

でも これは
ちゃんとしてるじゃない。

そう。 この時は
七五三だったと思うんですけど。

ちょうど妹が1つ下で
年子で生まれたもので。

なので あまり
母親に甘える事もできず

自分は もう
お兄ちゃんだっていう…。

そして 姉に甘えてたんですね。
なるほどね。

で 姉も なんか すごく
僕を可愛がってくれて。

これは誰?
これも僕なんですよ。

あなたなの?
この時はね 本当にね…

本当に可愛かったんですよ。
リボンつけて…。 フフ…。

これがね ひかりが
いつも つけてですね…。

あっ そう。
女の子っぽかったので

いつも 髪で遊んだりとか
ゴムをつけて

髪を結んだりとかしてくれて。
フフフフ…。

で 保育園に行った時の
写真だと思うんですけど。

可愛いわね。
そうなんですよ。

ねっ 女の子みたいで。
フフフフ…。

でも ひかりが ちょうど…

僕が小学校2年生か
3年生ぐらいの時に

もうデビューしてまして
東京に上京しちゃったんですよ。

あらら。
そこからなんですよ

僕の人生が何か こう
不思議な動きになっていったのが。

どうしたの?
結局 お姉さん…

お姉ちゃん…
ひかりがいなくなった瞬間に

長男で一番上っていうのが
こう…

自分の頭の中に…。
のしかかってきた。

でも 4きょうだいの一番上が
満島ひかりさんで

そして あなたで

その下に妹さんと
弟さんがいるっていう

そういう感じなんですって
4きょうだいなんですがね。

それで あなたのご両親は
元中学校の教師をお二人とも…。

そうなんです。
しかも 体育の先生なんです。

あら 大変。
なので 本当に厳しくてですね。

特に親父は まあ 僕が長男だし
ひかりも上京してしまって

なんか 多分 責任を色々感じて

すごい厳しくなったんですよ
そこから。

急に。
いやー もう本当に…。

朝5時起きが当たり前なんですね。
大変だわね。

はい。 もう だから…
今でもそうなんですけど

あの時 5時に起きてたのが
ずっと染みついていて

今でも 朝 早起きなんですけど。
あっ 本当。

なんか でも こう 寝てて
起きるっていうのが…

僕の親父からすると
目を覚ましたっていうのは

起きるじゃないんですよ。
うん。

立ち上がらないと
起きるじゃないんですね。

まあね。
だから こう

ああー もう少し眠りたいとかって
思ってると

もう すごい指導が入るんですよ。
フフフフ…。

ご両親とも体育の教師って
すごいですよね。

だから ほぼ 僕は

机に座って勉強したという記憶が
なくてですね。

フフフフ…。
だから 体育館 運動場 プール

そして 柔道場
っていうんですかね。

そういうところで
ずっと育ったような感じですね。

突然 お父様が
赴任してきた

っていうのは
どこなの?

ごく普通の
地元の中学校に入学した時に

お父さん 全然 違う学校に
いたんですけど

その学校に
赴任してきちゃったんですよ。

あら。 びっくりしたでしょ。

人生終わったと思いましたね。
フフ…。

いや もう… しかも 体育教師で
生徒指導の先生でですね

そういう一番怖い先生が
来ちゃったもんで。

で 小学校の時から
みんな 仲間たちは

知ってるわけじゃないですか。
急に… 僕のお父さんだったのが

急に 生徒指導の先生に
なっちゃったもんで

3年間ですね 僕の家に
誰も遊びに来なかったですね。

フフ…。 でも ご両親が2人とも
中学校の先生っていうのもね。

体育のっていうのが
珍しいと思います。

だから やっぱり
礼儀とか 挨拶とか

そういう上下関係もそうだし

年上の人を敬って
しっかりと話を聞く。

そして ちゃんとしっかり目を見て
話をするっていうのは

すごい鍛えてもらったので。

それは ご両親からの教えでね。
そうですか。

それは すごく
今でも力になってますし…。

そうですね。
いつも あなた お行儀いいものね。

ありがとうございます。
フフフフ…。 そうですか。

体育教師を
目指していらしたんですけども

高3で
違う夢を探そうと思い立った。

それで 上京を決意。
そうですね。

もう 僕は物心付いた時から

体育の先生になるという事しか
考えていなくて。

というか それ以外ないと
思っていたんですよ。

夏ですね… 高校3年生の夏に

オープンキャンパスに
体育大学に行ったんですよ。

で すごく厳しく育てられてるので
髪も丸坊主ですし

ポロシャツと短パンと
白ソックスと…

もう 教科書に描いたような
体育少年で

ちゃんとインしてですね
行ったんですよ 大学に。

そしたら そういう人が
一人もいなくてですね。

フフフフ…。
どういうわけ? それ。

大学生の受付の子が
いたんですけど。

で 受付で こう
受け付けをしてる時に

二度見されてですね。

「どの体育大学生よりも
体育大学生っぽいけど

どうしたの?」って
言われたんですよ そのひと言を。

その時に あれ?

何かが…
今まで積み上げてきた こう…

体育の先生になるっていう思いが

ガラガラガラッて
崩れちゃったんですよ。

そこで?
そこで。 あれ?

俺 ここじゃないかもしれないと
思ったのが

結構きっかけなんですよね。
ほうー。

で あなたは東京に行ったら
何しようと思ったんですか?

それで。
何も本当に考えてなくて。

どうしよう。
でも 日本の中心に行く…。

沖縄で育ってるので。
まあね。

あまり こう
本土の事も知らないし

どういう人たちが
そこにいるのかっていうのは

すごく興味はあったんですけど

明確に何かをするっていう事は
決めていなくて。

でも そこで 突然 特別支援の…
学童保育施設っていうの?

そう。 ちょうど 住んだ所の…。

で 何をしようかと。
アルバイトもしなきゃいけないし。

どうするかって

近くを散歩してたんですね
1人で。

そしたら こう ある施設のドアに
「子供と遊んでくれる人募集」って

手書きの絵と文字で書かれている
貼り紙を見つけて。

何か わかんないんですけど

スッと吸い込まれるように
そこの中に入っていったら

特別支援のというか

ダウン症の子とか
自閉症の子たちが

学校帰りに通う
学童施設みたいな…

NPO法人が
やってる所だったんですけど。

そこに吸い込まれるように
入っていって

僕が先生になりたかった思いとか
色んな思いを話したら

「明日から ぜひ 来てくれないか」
って言われて

「あっ いいんですか?」
っていう話をして

そこから 僕の また第2章が
スタートした感じだったんですよ。

じゃあ ちょっと 思ってた事が

いつの間にか
そこに出てきたっていう感じよね

偶然とは言いながら。
そうなんですよ。

すごい。
だから そこで やっぱり こう…

小学1年生から高校3年生まで
通ってる所だったので。

僕も 高校を卒業したてなので

ほぼ同年代の子たちが
いるんですよ。

で また この世の中で
ハンディキャップがあるとか

ハンディがあるって
いわれたりしますけど。

すごく素直で
自分のやりたい事が明確だし

好きな事に こう
猪突猛進で進んでいく姿を

毎日 見て 一緒に過ごして

すごく刺激されてですね。
よかったね。

僕の中では だから その子たちの
生きる表現というか 生き方

色んな話をした あの時間が

僕の今を
作ってくれてるんですよね。

でも 突然
そこで 自転車に乗って

日本一周しようって
決めたんでしょう?

そう。
多分 ねえ もう 学童もやって

色んな子供たちも見て

で 東京も 2年間ぐらい
色々なバイトもしながら…。

で 映画の助監督もやったりとか
結構色々な事をやってたんですよ。

その上で 日本をまだ知らないなと
思ってですね。

全国は どうなっているんだろうか
と思って。

で 自転車のパンクも直せない
自転車の知識もない 何もない中

携帯も全部 解約して。
うん。

そして ひかりと住んでた部屋も
もう 出ていきまして。

で 何も持たないまま…
厚い日本地図があったんですよね。

その地図だけ持って
飛び出しちゃったんですよね。

7カ月間 200日。
すごい それ…。 それで

新しい自転車にしたの?
そう。 新しい自転車にして。

パンクが直せないので
自転車だけは

こう なけなしのお金で
買ってですね

で テントを持っていって

こういうふうにテントを立てて
野宿して。

これ テントなのね。
そうなんです。 これに…。

これが僕の家というか
部屋というか

そういう時間だったので…。

それで 200日間…。
とられるといけないから

自転車は ちゃんと付けてるのね。
そうなんです。

それで 大雨続きで
泣きながら走ったんですってね。

そうなんですよ。

ちょうど この年の夏が
本当に 雨が多い年で。

2009年でしたかね。
ちょうど12年前… 一回り…

干支が
一回りするぐらいなんですけど。

でも 僕自体が まだ19歳で

二十歳を
どこで迎えるかっていうのが

すごく自分の中で なんか

一つテーマとしてあったんですね
その時に。 で 19歳で

二十歳になる2週間前に
出発をして…。

でも 話は違うんですけど
これ 今 何してるとこなの?

これは かっこつけてます。
フフ…。 かっこつけてるの。

これもね… 写真も 一人旅なので

誰も撮る人がいないんです。
そうよね。

だから これも
なんか 台に乗せて

セルフタイマーで撮ってるんですよ。
セルフタイマーで撮ったの。

はい。 一応
自分が自転車と走ってるのを

残しておかなきゃと思って。
そうそう そうそう。

これもね…
こんなのも やっぱり

最南端なんてね すごいね。

そう。 もう この時が
一番きつかったんですよね。

三重県の尾鷲という…
尾鷲とか

そういう熊野古道とかっていう
すごく 山の道も

走らなくちゃいけなくて。
大変。

それが ちょうど19歳の最後の
3日間ぐらいだったんですよ。

で お誕生日は
どこで迎えたんでしたっけ?

和歌山県のですね 日置海岸
という所があるんですけど。

ウミガメとか そういうのが

すごく有名な場所だったり
するんですけど。

そこまで
ずっと雨だったんですよ。

で 二十歳になった日の朝

ついに快晴になったんですよ。
おおー。

その時に もう 涙があふれてきて。

何か わからないんですけど
今までの思いだったりとか

ここまでこれた喜びと
20年間 生きてきたっていう

なんか 感謝と…。
感動ね。

なんか 色んな感動が
自分の中を駆け巡って

大泣きしながら

20代 頑張っていかなきゃ
いけないんだな

っていうふうに思ったのを
今でも覚えてますね。

でも 道中で
随分 人に助けて頂いて…

なんだかさ おなかすいたって
どうしようもない時

おはぎもらって食べた…。
そうなんです。

島根県?
そう。 島根県の

出雲大社の近くのですね…。

昔の旧大社駅という
昔に使ってた

まだ蒸気機関車だった頃の駅が
今 残されてるんですよ。

あるお父さんに声をかけられて。

「おう どこから来たんだ?」って
言われて

「今 日本一周してます」
「なんか食べたのか?」

「いや すごくおなかすいてます」
っていう話をしたら

「うち 近くにあるから

残りものだけど
ちょっと おいでよ」って言って。

でも おじさん
勝手に行っちゃったんですよ。

「いやいや 荷物 ちょっと
やらなきゃいけない」って言って

勝手に行っちゃったので
僕 じゃあ

どこに この人の家があるのか
わからなくて ずっと待ってたら

女性の方が来て。

「さっき 話しかけられた
おじさんの奥さんだけども

うち こっちだから
じゃあ 来て」って言われて

行きまして。 そこで おはぎと

なんか 昨日の多分 残り物の
野菜炒めみたいなものと

そして おにぎりも作ってくれて。

うれしかった?
そこも 涙ながらに食べてですね。

おはぎ おいしかった?
おいしかったですね。

あれ以来 あんこが大好きです。
あっ そう。

わかるわ 気持ちね。
本当にね ホッとするでしょ。

そうなんですよ。
だから そういうのも

この… 今 持ってきたんですけど。

この古くなっちゃった
ノートなんですけど。

これに なんか
自分のメッセージをですね…。

「楽しく 笑顔で 全力で
一歩ずつ前へ」

っていうのをやって。

このノートに みんな こう
お世話になった人たちの

お名前と住所と…。
ああー そういうの…。 偉い。

中は名前と住所が
入ってるんですけども。

それで これ 旅が終わったあとに

全員に手紙を…。
出したの?

出して。
偉ーい。

それを やっぱり こう

無事にゴールしました
っていうのを手紙書いて。

で その時に ちょうど
デビューが決まった時には…。

舞台でデビューだったんですけど。
あっ そうなの。 うん。

そのフライヤーを…
チラシを手紙に入れて

もう一度 みんなに送って

こういうふうなお仕事を
する事になりましたっていう…

これ 皆さんのおかげです
っていう…。

あら 偉い。
話をしまして。

なんか そういうのが…。
よかった。 じゃあ みんなも…

受け取った方たちも
きっと 喜んだでしょうね。

そうですね。

でも どうせだったら
今日 カメラがありますから

カメラに向かって
あの時 お世話になった方々に

お礼をおっしゃったら どう?
そうですね。

そうよ。 それがいいと思う 私。
いや 本当に

まさか 僕が こういうふうに
デビューしてるとも

思わない人たちも
いたかもしれないし。

もう12年前ですけど
あの時 本当に痩せ細って

なんにも食べるものがなく
力のなかった僕にですね

全国のたくさんの人たちが
僕にエネルギーを与えてくれて

今 ここに 元気に生きております。
それは もう皆さんのおかげです。

なかなか 今 一人一人に

手紙を送る事が
できてないんですけれども

この場を借りて 本当に

あの時の感謝を伝えたいなと
思います。

こんなに大きくなりました。
もう32歳になりました。

何歳ぐらいだったの? その時は。
二十歳なので

ちょうど もう12年になります。
12年経ったのね。 そうですか。

話 変わるんですけど
明日 放送のドラマ

『ドクターY』 あなた ご出演。
そうなんです。

勝村さんが主演している…
また『ドクターX』とは違う

スピンオフの
スペシャル番組なんですけれども。

政信さん。
そうなんです。 勝村さん…。

ちょっと VTR見ましょう 先に。
おっ!

〈今年も あの男が帰ってきた〉

(加地秀樹)「個人資産は推定…
3000億!? マジか」

(江頭早苗)「彼 死ぬの」
(植地正人)「必ず入院させろ」

(六車航平)「まだ やりたい事が
たくさんあるんです」

(加地)「今の君の体を考えたら

医者としては
とても認められないよ」

(海老名 敬)「おおー! 加地君」

(城之内博美)「グズグズ続けてんなら
スパッと辞めちゃえば?」

(加地)「君が最後に
やりたかった事って…」

(六車)「俺に死ねって
言ってんのかよ!」

「俺は君の主治医だよ」

うわー。
すごい。

主演の勝村さんは
どういう方でしたか?

勝村さん 本当に すてきな方で。

あの…

ああ見えて すごく
真面目な方なんですよね。

ああ見えて。
はい。

なんか すごく
ユーモアにあふれているし

ちょっとふざけてるようにも
見えるんですけど。

僕 8年前に

ちょうど 蜷川幸雄さんの
演出の舞台で

ご一緒させて頂いて。
あっ そうなの。

それ以来だったんですよ。

色々な感謝の気持ちと
僕の成長した姿を

見せられる場を作って頂いた
この縁はね

すごく うれしかったですね。
そうですか。

今後… まあ 色々 伺ったけど
夢はあります?

あの… 愛を与え続けられる人間に
なっていきたいですね。

徹子さんと こういうふうに…
まあ 1人で

こういうふうに面と向かって
しゃべれるような機会の時に

僕は言いたかった事が
一つありまして。

あっ はいはい。

この番組自体を
毎日 見てるんですけど

色々な
アーカイブ映像だったりとか

今は亡き先輩たちの
心だったりとか

思いだったりとか 生き方を

この番組が 僕たち若い人たちに
見せてくれてるんですよ。

なので 僕は そういう意味では
今回 ここに来させてもらって

たくさんの大先輩方に
愛してもらって

今 ここにあるので。

何か こう 役者としてどうとか
これから 仕事

こういう事をしたいんです
っていうよりも

この愛情を ちゃんと持って
未来に向けて

一歩ずつ進んでいきたいので…。
いいじゃない。

若者の代表として 徹子さんに

ありがとうを伝えたいです。
いいえ。 何よりです。

うれしい 私も。
本当に 感謝してます。

でも まあ… 頑張ってください。
はい 頑張ります。

楽しく明るくハツラツと。
本当よね。

ありがとうございました。
いければいいなと思います。

お姉様に
よろしくおっしゃってくださいね。

伝えときます。
フフフフ…。

何よりで。
いや これからも元気に…。

そうですね。
それが一番ですもんね。

どうも ありがとう。
ありがとうございました。

どうも。

『徹子の部屋』は

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