出典:EPGの番組情報
100分de名著 ヘミングウェイ(2)死闘から持ち帰った不屈の魂~老人と海2[解][字]
死闘の末にカジキを仕留めた老人の前に大きな壁が立ちはだかる。血の匂いを嗅ぎつけたサメたちがカジキを狙って殺到してきたのだ。危機の中、果たして老人はどう闘うのか?
番組内容
死闘の末にカジキを仕留めた老人の前に大きな壁が立ちはだかる。血の匂いを嗅ぎつけたサメたちがカジキを狙って殺到してきたのだ。死力を尽くしてサメたちと闘い続ける老人だったがやがて力尽きカジキは白骨と化す。それでも老人はその骨を引きずり少年の待つ港へと帰還するのだった。第二回は、老人がその闘いを通して少年に伝えたかった真意を読み解き、ヘミングウェイが未来の私たちに託したかったメッセージを明らかにしていく
出演者
【講師】早稲田大学教授…都甲幸治,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】寺脇康文,【語り】小口貴子ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
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- 英語
- 何回
- 頑張
- 疑問
- 結構
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
世界中で読まれ続けている
ヘミングウェイ 「老人と海」。
カジキをしとめた老人を待っていたのは
次から次へと襲い来る
サメとの闘いでした。
まあ 負け惜しみですよ それは。
負け惜しみなんですけど。
第2回は 老人とサメの闘いを通して
ヘミングウェイが 未来の私たちに託した
メッセージを明らかにします。
♬~
(テーマ音楽)
♬~
「100分de名著」 司会の安部みちこです。
伊集院 光です。
今回は ヘミングウェイの
「老人と海」 後半です。
伊集院さん 前半は いかがでしたか?
何かこう シンプルな中に いろんなことが
書かれてるっていうイメージですね。
指南役は 引き続き
アメリカ文学研究者の都甲幸治さんです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
では 登場人物と状況のおさらいから
まいりましょう。
主人公の老人
サンチアゴは漁師ですね。
1人で海に出て
3日目
長い闘いの末に
大物のカジキを釣り上げました。
あとは 港に帰るだけ
というところなんですが
都甲さん このあと
次の闘いがあるんですよね。 はい。
カジキから流れた 血の匂いを嗅ぎつけて
サメが襲ってくるんです。 はい。
カジキを釣り上げて これで
うわ すごく成し遂げたと
盛り上がったというふうに
思うんですけれども
実は これからが
すごく重要なところになってきます。
さあ このあと老人は どんなふうに
サメと闘うのでしょうか。
朗読は 俳優の寺脇康文さんです。
舟の横に カジキをつなぎ留め
老人は 港を目指します。
カジキから流れ出た血の匂いを嗅ぎつけ
サメがやって来ました。
老人は すぐさま銛を手にします。
サメが カジキに食らいついた瞬間…。
脳天に銛を突き刺し しとめました。
しかし サメとともに
銛も沈んでしまいます。
そこで オールの尻に ナイフをくくりつけ
次の襲来に備えました。
ナイフ付きのオールで
2匹のサメを撃退。
しかし カジキは4分の1ほど
食いちぎられてしまいました。
普通の展開だと
何匹も 雑魚キャラ倒してからの
ボスキャラのイメージなんだけど
ボス倒したあとに サメですね。
う~ん しかも 次々来ます。
老人も頑張ってますよね。
はい。
先ほどの ここ
朗読にあった部分ですけれども
襲われた魚のことを考えていたんですが
老人は
すぐに 「考えるな」って言うんですよね。
考えるというのは 言葉を使って
例えば 過去にあったこととか
未来のこととかを考える
ということなんですよね。
そうすると
現在にいられないんですよね。
しかも 言葉を使って
状況をつかんでしまうことで
感覚が すごく鈍くなっちゃう。
そうなると サメに負けるんですよね。
実は この 考えないっていうふうなことは
あのカジキと闘ってた間も
「考えるな」 「考えるな」って
何回も出てくるんですよね。
だから すごく大きい
テーマなんじゃないですかね。
未来 こうなるかも みたいなことが
むしろ 不安で 体を動かさなくしたり
楽観で 実際よりも
動きが緩慢になったり みたいなことが
あるのかもしれないって考えると
何でしょう あとはもう
反射に頼れ みたいなことなんですかね。
体の感覚っていうんですかね
身体性というか
まあ 現代の社会だと結構忘れがち。
何か スマホで 大体
全部済むんじゃないの みたいな感じの。
だから その「からだ」を
もう一回 見直すというところも
すごく強いんじゃないかな
というふうなことを思います。
さあ サメの襲来は まだまだ続きます。
そしてですね 3回目の襲来で
ナイフの刃が折れ
武器をなくしてしまいました。
日が落ちる直前 疲れ果てた老人の前に
またもや 2匹のサメが現れます。
夜の冷え込みの中 無理を強いた
老人の体は 悲鳴を上げていました。
「もう 闘うのはごめんだ」。
そう願う老人の前に現れたのは…。
サメの群れを撃退したものの
カジキの肉は ほとんど失われました。
老人の気力も限界です。
残骸となったカジキを連れて
老人は 港へと舟を滑らせます。
こうして 3日ぶりに
港に帰り着いたのです。
食べられちゃいましたね 全部。
何かもう つらいですね ここは。
それにしても 次々 いろんなものを武器に
老人は立ち向かいましたよね。
ナイフが折れても 棍棒で闘って
棍棒がなくなったら
舵棒 折れたやつで
グサッと刺したりして
次々 とっさの工夫をしていく。
その様は 結構 何かすごいな
っていうふうな気がしますよね。
いつもいつも そこにあるベストを
尽くしていくというふうなことをします。
そして サメとの闘いの中
この小説の象徴的なセリフを
老人がつぶやきます。
英語だと…
「destroyed」というのは
もう 身も心もバラバラですよね。
だから 客観的に見たら
負けてるんですよね。
まあ負け惜しみですよ それは。
負け惜しみなんですけど…
それぞれ やっぱり
みんな 抱えることだと思うんですよね。
結局のところ…
…ということが 更に この人が
何かまた出会うんだろうという感じを
何かこう 持たせてくれる感じ。
うん そうですね。
だから 一つ すごく素朴な疑問だったのは
サメが これだけ来るんだから
もう カジキを放してしまえば
無事に帰れるのになと思ったんですが。
これは やっぱり
放せない訳があると思うんですよね。
それ 1つ目はですね
カジキへの極端な思い入れですよ。
ある種の倫理観みたいのが
すごくあると思うんですよね。
この カジキ 対 老人っていうのは
まあ カジキからの もしくは海からの
お前は 俺を殺す権利があるかどうか
という死闘だと思うんですね。
そうすると
今度 次の挑戦者のサメに関しても
お前は 俺から このカジキを取り上げる
権利があるのかどうかっていう
闘いだから
その 不戦敗とか駄目なんでしょうね。
死闘の結果 サメが もぎ取るんなら
それは ある意味
自然の摂理なんだろうけど みたいな。
特にですね 自分の
いろいろ 世話をしてくれる
少年マノーリンという 非常に重要な
登場人物がいるんですよね。
彼に
自分の様を見せたいという気持ちが
すごく あるんじゃないかな
というふうなことを思っています。
では このあとは 少年マノーリンとの
やり取り 見ていきましょう。
港に帰った老人は
ベッドに倒れ込んで 眠りにつきます。
翌朝 少年マノーリンが
様子を見にきました。
マノーリンは 老人のために
コーヒーを買いに行きました。
店主は言います。
マノーリンは 小屋に戻ると
眠る老人のそばに座りました。
しばらくして
ようやく目を覚ました老人は言います。
これ カジキとの闘いに出る前に
ず~っと 実は マノーリンと一緒に
同じ船で漁をして
魚を取るための心構えみたいのを
ず~っと教える みたいなところが
あるんですよね。
で マノーリンは
魚が取れない期間が長すぎて
親に あの老人と一緒に船に乗るなと
言われて
老人と一緒にいないんですけども
老人の心の中には
いつもマノーリンがいて
「こんな時 マノーリンがいたら
助けてくれるのにな」って
何回も何回も思うんですよね。
だからこそですね
最後まで 死力を尽くして
いろんな工夫しながら 闘うんだと。
生き様みたいなものを教えて
伝えていきたい みたいな気持ちが
あるんじゃないかなというふうなことを
思うんですね。
彼は 何か そのプライドというか
勲章みたいなものを
どうも持ち帰ってますね。
それがいいなと思うのは もちろん
尊敬する少年にも伝わってるんだけど
もう そのコミュニティーの人たちが
もう とんでもないやつと
闘ってきたなって思うわけですよね。
あれ もし
一番安全に帰ることだけ考えてたら
あれはないわけだから 何か そこにも
ちょっとグッとくるものがあって。
あのコミュニティーの人たちは
やっぱり同業なので
言葉に出さなくても 何が起こったかを
かなり正確に
そのカジキの残された骨なんかから
読み取ることができるんですよね。
その中で ウワーッと…
そして あのあと 会話の中で
マノーリンの方から おじいさんに
また一緒に漁に出ようよと言うんですね。
それに対しての おじいさんの答えを
見ていきたいんですが…。
「穂先をおんぼろフォードの板バネで作る」
というのが すごく重要だと思うんですよ。
つまり だから いわゆるアメ車ですよね
フォードは
廃車になったやつだから
ゴミなんですよね。
アメリカの人たちから見れば。
でも そのゴミを使って 漁業の道具
武器を作って それを使って
高い精神性に到達するような
漁をやってるっていう。
これは舞台が カリブ海に浮かぶ
中米の島 キューバで
キューバ革命が
起こる前なんですよね。
そうすると アメリカの属国
みたいな感じで…
この1行で もう表してる。
さあ それでは
なぜ アメリカ人のヘミングウェイは
キューバ人の物語を書いたのでしょうか。
こちら ご覧頂きましょう。
ヘミングウェイが 「老人と海」の舞台を
キューバにした理由の一つに
アメリカへの批判精神が挙げられます。
第一次世界大戦で
大勢の死を間近に見たヘミングウェイは
技術の進歩で 世界が良くなるという
アメリカ的な考えに疑問を持ちました。
それは アメリカの支配から脱しようと
革命を起こした
キューバの人々への
強い関心にも つながったのです。
アメリカ的価値観にあらがう
キューバの人々の気骨を
ヘミングウェイは 高く評価したのです。
更に 日常の中に
自然や宗教が息づく
スペイン語圏の
文化にも惹かれていました。
そうしたキューバの精神性を
アメリカ人でも分かるようにと
「老人と海」を書いたのです。
しかし アメリカ人には
伝わらないだろうという
冷めた視点も持っていました。
それを象徴するのが
「老人と海」のラストシーンです。
老人が目覚めた日の午後
観光客の一団が
テラスで海を見下ろしていました。
一人の女性が 大きな尻尾のついた
白くて長い 巨大な背骨が
海に浮き沈みしているのに気付きます。
それは 老人が死闘を経て 持ち帰った
カジキの骨でした。
ふ~ん…。
観光で来て カジキのステーキは
食べるかもしれないし
ツナサンドは
食べるのかもしれないんだけれども
じゃあ果たして それが どういう形で
どこから来て どこに行くのかには
全く興味がないっていう。
その漁村の人たちは
カジキの その骨を見たら
何があったかも
全部 読み解けるわけですよね。
細かく説明しなくても。
じゃあ 観光客の女性はってなると
ああ あれ サメなんだって
全然 分かってない
っていうふうなところなんですよね。
…というところが
結構 ミソだと思うんですよ。
この 最初に説明しようとした人までは
俺 ギリあると思うんですよ。
これ すごく大事なことだから
一旦 いつも使ってるスペイン語で
サメのことを 多分
言おうとしたんですよね。
だけど ちょっと待って これはちゃんと
一から説明しようと思って
「シャークに食べられた
そのカジキが」っていうことを
言おうと思ってる この「シャーク」でね
「あ サメね」ってなっちゃうやつには
もう その輪に入る権利ないじゃんって。
そうですよね。
来ても 何も分からないじゃんっていう
感じしますね。
このスペイン語の
「ティブロン」というのと
それから 英語の「シャーク」で…
あ なるほど なるほど。 はい。
これはね。
言語が かわることによって
単に 何となく
表面的な意味だけ分かっても
そこにある精神性は
ちょっと分かんないよ みたいなところ
よく出てると思うんですよ。
英語というだけじゃなくて 何か
なんでも分かってる気になって
キューバのことを支配してる気になって
実は 何も分かってないじゃないかって
本当に痛烈な アメリカ批判にも
なってるかなというふうに思います。
はあ~。
でも ものすごく
表面に 批判を出すわけではなかった
ということですね。
そうなんですよね。
ジョー・ディマジオの話を
すごく老人はするんですけど
ディマジオは
イタリア系の移民で
キューバの人たちも
イタリアの人たちも
カトリックで ラテン系ということでは
文化が結構 近いんですよね。
しかも 漁師の息子なんですよね
ジョー・ディマジオって。
漁師の息子が頑張ってる。
だったら 俺も 海で頑張らなきゃ
みたいなふうに思ったり
アメリカの読者は
すごく親しみを持って
あ 何か キューバの漁師さんも
大リーグ 好きなのか
ジョー・ディマジオ 好きなのか
みたいな感じで
どんどん そんなに違和感なく
読めるようになってると思うんですよね。
一個一個 その
アメリカの普通の人が読むのと
解釈が こう ずれるようになってる。
巧妙な… 巧妙な。
だから その子どもの頃
学校の教科書で読みましたという人と
もう一回 今 読みましたという人で
全然 深さ違うでしょうね。 そうですね。
10代 20代 30代 40代…
まあ 今 50になりましたけども
やっぱり 今読むと そんなに多分ね
この 出てくる老人と
年 変わんないと思うんですよね もはや。
そうすると
もう やることなすこと 負け戦で
もう 負けるという形の勝ちがある
みたいのは 何かね しみちゃって。
何か 僕が今 特に
53になって 疑問を持ってる
割と 目の前に見えてるものだけで
構成される 合理的なものとか
効率的なものに対して
かなり疑うようになってきて。
何か
そういうことの話をしてくれてるような。
そうですね。
はい。
都甲さん ありがとうございました。
次回もお願いします。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
♬~
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