NHK地域局発 北海道道「停電の中で、あの時…胆振東部地震 営業したコンビニ」[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

NHK地域局発 北海道道「停電の中で、あの時…胆振東部地震 営業したコンビニ」[字]

3年前の9月6日、北海道全域が停電した中でも、セイコーマートは9割以上の店舗が営業を続けた。その秘密を、地震直後の本社を記録した貴重な内部映像から解き明かす。

詳細情報
番組内容
3年前の9月6日、北海道全域が地震で停電した中でも、セイコーマートは9割以上の店舗が営業を続けた。店頭に並んだ水と温かいおにぎりに、安心した方は多いのではないだろうか?予想できない緊急事態に、なぜセコマはそんなことが出来たのか?工場の生産がストップし、配送も困難になる中でどのように危機を乗り越えていたのか?地震直後の本社を記録した貴重な内部映像と資料から、不測を乗り越えた秘密を解き明かす。
出演者
【出演】鈴井貴之,多田萌加

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – ローカル・地域
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

NHK
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北海道中が停電に陥った
3年前の あの日。

真っ暗闇の中 あのコンビニに助けられた
という方も多いのではないでしょうか。

ありがとうございます。

地元北海道の セイコーマート。

電力がなくても
ほぼ全ての店舗が営業を続け

水や食料を提供しました。

車のバッテリーから電気を引いたうえに

温かいおにぎりも販売。

でも 不思議じゃありませんか?

セコマ自身 大きな被害を受けたのに…

取材を進めると その裏には

独自の災害マニュアルの存在と…

シンプルで力強い 一つの方針が
あったことが分かってきました。

はい。

今回 地震直後の社内を記録した映像を
初公開。

あのブラックアウトを乗り越えた
秘密に迫ります。

♬~

こんばんは。 こんばんは。
「北海道道」です。

今週は 胆振東部地震で
ブラックアウトした時に活躍した

あのコンビニの舞台裏です。

3年前になりますけども

ほんとに驚きましたね~。
はい そうですね。

まあ あの地震そのものの災害は
もちろんのことですけども

札幌市内ですと もう全域が
もうブラックアウトということで

北海道ね
もう 真っ暗な札幌市っていうのを

見たこと 経験したことが
なかったものですから

まあ 家の光はもちろんのこと
街灯 そして信号機もね

ほんとに ついていないということで。

あと もう買い物もできないような
状況でしたし

ガソリンスタンドには 車が長蛇の列で
こう並んでいるというね。

あの状況というのは 想像したことも
なかったものですからね 驚きました。

かなり印象に残ってますが そんな中で
大きな支えになってくれたのが

地元北海道の あのコンビニなんです。

「地元北海道の あのコンビニ」
というのは…。 はい。

いわゆる あの オレンジの。 そうですね。
コンビニですね。

オレンジのコンビニ。
青でもなく 赤と緑でもなく。

オレンジの。
オレンジの。 セイコーマートですね。

アハハ… 言っちゃった。
そうなんです。

そのセイコーマートさん

なんと 95%のお店が
停電の中でも営業を続けたんです。

これは驚きましたね。 95%。
すごい ほとんどのお店で。 はい。

しかも 営業しただけではなく
食べ物が不足する中で

こちら。
温かいおにぎりを提供したり

停電で溶けてしまうアイスを
無料で配ったりなど

そういった臨機応変な対応が
評判となりました。

これとかも もう手書きですもんね
「塩おにぎり」って。 そうですね。

塩おにぎりって そもそも…。

僕 ベーコンおかか好きですけど。
あ おいしいですよね。

私は めんたいこが好きです。
アハハ。

さあ このコンビニは 停電のさなか
なぜ営業を続けられたのでしょうか。

その秘密に迫りました。

全道を停電に陥らせた 胆振東部地震。

セイコーマートも
甚大な被害を受けました。

今回 入手したのは
地震直後からの社内映像。

暮らしに必要な物資を届けようと

必死で対応した1週間の様子が
記録されています。

最初の映像は 地震から3時間後の
朝6時20分。

既に多くの社員が駆けつけ
安否の確認に追われていました。

対策本部になったのは 本社2階の会議室。

副社長を中心に
被害の取りまとめが行われました。

1, 100を超える店舗に加え

食品工場 冷蔵倉庫 配送センター。

電気が止まったことで
ほぼ全てが 機能停止に陥りました。

被害額は 5億円以上。

これまで経験のない 甚大な被害でした。

しかし…。

既に この時 各地の店舗には
人々が殺到し始めていました。

調理の他
風呂やトイレにも使う 水に…

朝昼晩の食料。

停電が長引く中
買いだめが始まっていました。

レジで必死に対応した
札幌南9条店の店長…

いらっしゃいませ~。
いらっしゃいませ~。

自宅でも 皿が割れるなどしましたが

すぐに店に駆けつけ
店頭に立ち続けました。

ありがとうございました~。

この時 まだ停電は続いたまま。

それでも営業ができたのは
ある備えがあったおかげでした。

(相原)こちらが 非常用電源セットです。

車のシガレットライターから
電気を引く装置。

本社から 全店舗に配られていました。

この電源で レジを守りました。

レジは 会計だけでなく
どの商品が いくつ売れたか

店の状況を本社に伝える 要の機器です。

この迅速な対応を支えたのが
数々の災害をヒントに作られていた…

車から電源をとって レジを動かす。

限られた電力を 店舗の生命線である
レジに特化して使うよう指示しています。

更に マニュアルは
停電の時は ガス釜でお米を炊いて

おにぎりを作るよう 指示しています。

電気が止まっていても
ガスが使える場合は多く

おにぎりなら
簡単に作ることができるからです。

あえて特別な備えをしなくても

既にある設備で何ができるか
あらかじめ考えておいたことが

威力を発揮しました。

8時過ぎ。

本部社員は
店舗の応援に奔走していました。

殺到する客に対応するため

それぞれ 自宅近くの店舗に
駆けつけるよう 指示が飛びました。

しかし 11時
事態は 更に深刻さを増していきます。

各地の店舗では
在庫の商品も出し尽くし

食べ物も水も なくなっていました。

当時 社長を務めていた…

地震の一報を受け 飛行機で
東京から戻ったのは

午後2時のことでした。

既に丸谷さんは 本州から フェリーで

物資を送ってもらう手はずを
整えていましたが

到着は 翌日以降になります。

どのぐらいあるのか。
はい 分かりました。

コンビニでは 通常
各店舗からの発注をもとに

配送センターで
機械を使って 商品を補充します。

しかし
地震で 配送センターの倉庫や棚が倒壊。

冷蔵倉庫では 大量のストックも
廃棄せざるをえませんでした。

この日の夜に 札幌南9条店の食料品棚は
ご覧のとおり。

そんな中
店長の相原さんが動いていました。

店内の調理場。

材料が足りない中で
カツ丼を作り始めました。

たまねぎが切れたため
たまねぎなしで作ることにしました。

更に 具材がない中 具なしの塩おにぎり。

この店だけでなく 他の多くの店でも
機転を利かした調理が行われ

大きさや値段まで
自分で決めた店もありました。

出来たてのカツ丼 いかがでしょうか~。

本来 各商品の仕様や値段は
本部が細かく定めています。

いわば ルール違反とも言える
行動ですが

社長の丸谷さんは
全て認めました。

緊急マニュアルには 心得として
こんな文言が書かれています。

ありがとうございます。

地震から2日。

総力を挙げた復旧作業が実り

ようやく 全ての工場が稼働し始めます。

ただし ここからが問題でした。

生産が再開しても

全ての店舗からの
注文に応えることはできません。

数に限りのある商品を
どう分配するか

判断が求められたのです。

この時 丸谷さんがとった行動は…。

はい。 はい 分かりました。

はい。

はい 分かりました。

はい。 ああ はい。

1人の人物に
差配の全てを任せるというものでした。

1, 000を超える店舗 全ての
売り上げデータに通じた人物でした。

社長からは 間違えてもかまわないと
告げられていました。

その上で
必要性が高いはずの店舗を絞り込み

思い切った数を届ける。

全て 独断で決めていきました。

配送でも 特別な態勢がとられました。

大型トラックは 地域の中でも
特に駐車場が広い店舗に

物資をまとめて配送。

そこから先は
できる範囲で振り分けました。

小型車で
物資を届けて回ったのは

ふだんは 店舗向けの営業を
担当する社員たち。

人手不足を補いました。

(取材者)中央区?
はい。 何店舗ぐらい?

優先する店と しのいでもらう店。

不満も承知で 1人が決めきることで

セイコーマートは
山場の2週間を乗り越えました。

いや~ いかがですか?
鈴井さん。

やはり あの 災害時という時には
臨機応変な対応というのが

必要になってくるのかな
というふうに感じました。

まあ 本当にスピード。 迅速に行動
対応していかなきゃいけないという。

そのためには やっぱり あの穂高さん

すごいプレッシャー
かかったんでしょうね。

いや~ そうですよね。 お一人で。

もう 一任されているということでは
ありましたけども

でも やっぱり その一任するという
まあ 企業の社長 当時社長のね

トップダウンで そうやって 任せるぞと。

「間違ってもいいから」っていうのは
なかなか言えないし

これができるっていうのは
やっぱり 上層部と従業員の方たちの

信頼関係で成り立ってるんだな
というふうに思いましたし

あれ 95%も営業していたっていうのは
正直 知らなかったんですけども。

でもね やっぱり
あの コンビニエンスストアって

こうやって
地域に根ざしてるじゃないですか。

こう 商品を提供してくれる
ということだけじゃなくて

こういう災害時には 安心をね
届けてくれるんだなということがね

よく分かりましたしね。
いや~ そうでしたね。

だって 不安ですからね。 うん。

ほんとに ありがたいことだな
というふうに思いました。

で あの映像 あの混乱の中
誰が撮っていたと思いますか?

誰が撮ってたんですか?

なんと 社内報を作る係の方が
とっさにカメラを回したそうなんです。

「あ これは!」と。
そうなんです。

大丈夫だったんですかね。
あの状況の中で…。

いや何か 「君は もっと配送とかに
行かなくていいのか」 みたいな

そんな話にはならなかったと。

当時は そうなったかもしれないですけど
あの映像があったからこそ

今後の対策に
生きるんじゃないでしょうか。

皆さんにもね 知って頂くことが
できたわけですよね。 はい。

ただ このコンビニの対応は
これで終わりではないんです。

混乱を乗り越えた直後に
ひと味違う行動をとっていました。

まだ緊急対応が続く中

本社では パートタイマーを含めた
全てのスタッフに

聞き取り調査を行いました。

その数 1万2, 000以上。

「バックヤードが暗くて 作業しにくい」。

そこには
本部で把握しきれていない課題が

数々 含まれていました。

こうした声をもとに 新たな改善が。

今 緊急時に頼るべきは
マニュアルではなく

この 「非常用ボックス」です。

的確な道具があれば やるべき行動は
自然と とれるはずだと考えたからです。

そして これらのキットを使いながら

チェックシートで
対応に漏れがないか確認します。

更に 災害が長引く場合には

プロパンガスが使える発電機を
本社から搬送。

店舗からの要望が多かった
スマートフォンの充電器や

電子マネー決済の機器も準備しています。

いや 鈴井さん
このすごさ 分かって頂けましたか?

いや~ 今もなお改善して

この対応力を
どんどんどんどん 高めているという

これは すばらしいことだなというふうに
思いましたね。 いや~ そうですね。

いや~ こう 3年前
私は 全く対策をしていなくて

かなり困った記憶があるので

いま一度 何が必要だったのかって
改めて考えたいなと思いました。

個人レベルでも 皆さん いろんなもの
準備なさってると思いますけども

そろそろ 賞味期限が切れたりね。
そうですね。

これは使えないぞというものが
あるかもしれませんので

皆さんもね 確認なさってはいかがかなと
思います。 いや~ そうですね。

いま一度 もしもの時の対策
考えてみてはいかがでしょうか?

さよなら。

♬~

連続テレビ小説「おかえりモネ」。

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