出典:EPGの番組情報
先人たちの底力 知恵泉「ばさら大名 佐々木道誉 変人のススメ」[解][字]
戦乱や混沌とした状態が続いた室町時代。その中で、裏切り・ろうぜきを繰り返し独自スタンスを突き通した佐々木道誉。古い支配秩序を変質・崩壊するエネルギーの知恵とは?
番組内容
伝統的な権威をものともせず乱脈な振る舞いで華美豪華を好む…南北朝時代の「バサラ」の美意識を体現した武将佐々木道誉。この男、実は頻繁に寝返る「風見鶏」。時は鎌倉幕府末期、建武の新政、室町幕府成立と日本が大きく動いた時代。次々と時の権力者に近づき、裏切り、したたかに生き残る…このトンデモ行動は何を意味するのか?さらに権力者に昇りつめた後にも注目。バサラで政敵を蹴落とす圧巻な手法の意味するものとは?
出演者
【出演】古舘伊知郎,山口もえ,明治大学教授…清水克行,新井秀和,立正大学教授…佐多芳彦ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
テキストマイニング結果
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キーワード出現数ベスト20
- 道誉
- 尊氏
- 後醍醐天皇
- 裏切
- 自分
- 木道誉
- 足利尊氏
- 変人
- 花見
- 風見鶏
- 大名
- 知恵
- 北条高時
- 幕府
- 今日
- 時代
- 多分
- 鎌倉幕府
- 言葉
- 香木
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
私も 風変わりな店主 目指します。
琵琶湖の東
のどかな田園風景が広がる…
平地を一望する小高い丘の上に
室町時代から戦国時代にかけて
城がありました。
この城を拠点としたのが
佐々木道誉という大名です。
えっ…
道誉といえば 知る人ぞ知る
「ばさら大名」ですよ。
えっ 「ばさら」をご存じない?
今より およそ700年前
ド派手な身なりをして
傍若無人に振る舞う人々のことを
「ばさら」と呼んだのです。
そんな生き方を体現していた
佐々木道誉。
ある時は 型破りのスケールで
花見を開催。
「気取ってねぇで 存分に楽しもうぜ!」。
また ある時は
中国から超高級な茶器を買い付けて
闘茶の会。
大金を賭けて お茶の種類を当てる
勝負事にふけります。
品がない? 冒とくだって?
本当は 羨ましいんだろ?
…という具合。
道誉の生きざまも
負けず劣らず派手 ばさら。
時は鎌倉。
執権 北条高時に仕えていたのに…
後醍醐天皇が討幕の兵を挙げると
速攻で幕府を見限る変わり身の早さ。
でも 足利尊氏が
武家政権を打ち立てると
早々に 後醍醐天皇とも さようなら。
主をくるくる変える。
これでは まるで風見鶏。
武士の風上にも置けぬ変人。
鎌倉から南北朝時代の動乱期
時代の寵児となっていった不思議な人物。
一体 どんな知恵を
使ったのでしょう。
佐々木道誉の知恵に迫るのは…
プロレス中継に革命をもたらした
「ばさら話術」で
日本中をくぎづけにした古さん。
フリーランスになったあとは
バラエティにドラマ
歌番組からトークショー
極め付きは 報道番組まで。
縦横無尽に飛びまくる姿は
まるで電波風見鶏。
若き天才作曲家…。
700年近く前 思うがままに駆け抜けた
佐々木道誉の知恵を
どう読み解くのでしょうか。
いや~ 山口さん いらっしゃいませ~。
ありがとうございます。
清水先生もありがとうございます ご来店。
こんにちは。
いや~
今日はね ばさら大名ということでね
さっきのVTRですと 派手で
見えを張ってなんてありましたけど
派手な衣装で 今日は ちょっと 何か
ばさらな感じ?
ばさら感ありますね。
そうなんです 見て下さい。
今日は 2022年
新年1回目の放送ということで
ちょっとだけ華やかにしてみました。
レギュラー放送としては1回目なので。
お袖も。
なかなか バーなんて来ないから
ちょっと大人っぽい衣装で
登場してみました。
ありがとうございます。
今日はですね その 大きなテーマが
変な人と書いて 「変人のススメ。
大胆不敵のルールとは?」
ということなんですけど。
新年早々 あれなんですが
変人と聞いて
何かこう 思い浮かべることとかって
ありますかね?
そうですね。 変人って言われると
あまりいい気はしないんですけど
「ちょっと変わってるね」って言われると
うれしいタイプです。
でも 何か ちょっと
それ 分かる気がしますね。 分かります?
何か ちょっと…
でも 変人って言われてしまうと
周りから ちょっと あまりいい意味で
見られてないのかなと思ってしまいます。
なるほど。 先生なんかはどうですか?
いや 私は大丈夫。
でも 変人の人って 多分
自分を変だって思ってないですよね。
なので いや どうなんです…
少し変かもしれないです。
≪(古)さあ もう一人の変人が
初めて この歴史居酒屋に 今 突入して
おっと 既に話を遮ってしまいました。
明治大学おなじみの
日本の中世を語らせたら
この方 右に出る者はいないという
清水先生。
そして こちら ばさらファッションの
もえさんが登場しております。
2人は既に来店しているのであります。
考えてみれば こんな言葉があります。
「愚か者は経験に学ぶ そして 賢者は
歴史に学ぶ」という言葉があります。
そういった意味では
今日は興味津々であります。
さあ ご覧下さい。
この湾曲いたしました壮麗な
鈴鹿サーキットの130Rのカーブを
思わせるようなカウンター。
このカウンターは
人生の まさに勉強机ではないでしょうか。
ありがとうございます。 いや~!
改めて 古伊知郎さんでございます。
よろしくお願いします。
もう大満足です 私。
生で実況して頂いちゃった。
言われてみれば 初めて見ました。
僕なんかは 変人と言われると
ものすごくうれしいんですよ。 え~。
やっぱり 僕の場合は
職業柄っていうんですかね。
変人だって言われた方が
やりがいが出るっていうんですかね。
自らを変な方に持っていきたい
っていう欲があるのか。
ちょっと違ってて面白いなと思って…。
十分変人ですから 安心して下さ~い。
うれしいです。 ありがとうございます。
変わってる人に 変人って言われるのも…。
(笑い声)
でも 山口さん どうですか ご主人がね
爆笑問題の田中さんですけれども
お笑いの世界って
いろいろ 変わった方なんかも
いらっしゃったりするのかなって。
うちの夫は 至って普通なんです。
でも ゴミ出しておいてねって言って
「分かった」って言って
玄関にゴミ置いておくと そのゴミを
普通に またいで行ったりします。
そういう ちょっと変わったところは
あります。
かわいらしいですよね その変わり方は。
家では全く ぼ~っとしてるんですよ。
いや だから いいんじゃないですか。
ためてるんですよ。 そっか。
なるほどね。
いや~ でもね
佐々木道誉ですけれどもね
その歴史の表舞台に出てきたところから
ちょっと見ていこうと
思うんですけれども
今日はですね
こんなメニューをご用意いたしました。
こちらでございます。
…ということでね。
これは何なんですかね?
テーマと深く関わっているワードですか?
絡めてはいるんですが…。
少なくとも これ じっくり考えた方が
一番変人ですよ。
(笑い声)
確かに。
オーナー 言ってますよ。
(笑い声)
まあ ちょっと 今のとこだとね
まだ 「どーよ」ぐらいしか共通点は…。
そこは分かります。
「トリ キノコ じっくり炒め」が
よく分かんないですね。
どういうことなのか ちょっと
最初の知恵を見て頂くと
分かるかもしれません。
鎌倉幕府の有力な御家人で
近江を支配する地頭の一族でした。
「道誉」とは 奇妙な名前ですが
これは出家したあとの名前。
その前は
佐々木「高氏」と名乗っていました。
「高い」という字は
鎌倉幕府 14代執権 北条高時から
与えられたもの。
幕府を支える忠実な部下として
トップから
とてもかわいがられていたのです。
それなのに 道誉!
その北条高時を裏切って
鎌倉幕府にやいばを向けたのです。
相対したのは 北条一族の仲時勢。
追い詰められた…
さすがに ひどすぎるんじゃない?
と思ったところで 1つ目の知恵です。
道誉の 幕府に対する忠誠心を
揺るがせたのは
この人物だったと考えられます。
佐々木道誉とは
いくつもの接点があったのです。
後に 後醍醐天皇が 幕府を倒そうと
初めて挙兵に踏み切った時
道誉は それを鎮圧。
天皇を流刑地の隠岐へ護送しました。
長い時間 共にいるうちに
後醍醐天皇の魅力に
あてられちゃった可能性があります。
というのも 後醍醐天皇という人物
カリスマ性があり 混乱した世の中を
改めたいという意欲にあふれていました。
一方 執権の北条高時は 酒に溺れ
遊びにうつつを抜かすばかりのダメ人間。
「主君に忠義を貫くことだけが
正しいのだろうか」。
道誉の心に 小さな疑問が…。
そんな時 後醍醐天皇が
隠岐から脱出に成功。
船上山に立てこもり
またまた幕府打倒ののろしを上げます。
今回は 鎌倉幕府側の有力武将が
後醍醐天皇に味方。
佐々木道誉も 後醍醐天皇と共に
倒幕へと かじを切ります。
元弘元年
およそ150年続いた鎌倉幕府が滅亡。
「建武の新政」が始まります。
ところが その僅か2年後。
道誉は 新しい主 後醍醐天皇を裏切り
朝敵となるのです。
次々と主を変える
風見鶏の道誉の生き方。
この人物の影響が見え隠れします。
少~し時間を戻して 後醍醐天皇が
船上山に立てこもった時のこと。
道誉は 船上山を攻撃するよう
幕府から命を受けます。
この時 共に鎌倉から天皇と戦うために
出陣したのが足利尊氏でした。
ちなみに 尊氏
もともとは こういう字でした。
あれ? どこかで見たことがあるような…。
そう 足利尊氏も 北条高時から
「高」の字をもらっていたのです。
そのかいなく裏切られちゃう北条高時って
よほど何かあったんですかねぇ。
西へと向かう道誉と尊氏は
やがて 近江に入り
番場宿に到着しました。
東山道 東海道 北陸道へと通じる
山あいの宿場町。
今も そんな時代の気配が感じられる
滋賀県米原にあります。
近江は 佐々木道誉の地元とあって
当然 尊氏を招待して宴席を設けることに。
この会合が 2人の
そして 日本の運命を変えるのです。
尊氏という人物に
道誉は すっかりほれ込んでしまいました。
意気投合した2人は
このあと 後醍醐天皇を助けて
幕府を滅ぼす大活躍。
足利高氏に至っては 天皇に気に入られ
名前の一字を賜ったというのに。
蜜月は 僅か2年で破綻。
天皇と尊氏は
敵同士になってしまいました。
どっちにつくか!
道誉は 足利尊氏を選び
後醍醐天皇と決別します。
それなのに!
僅か5か月後。 道誉の姿は
足利尊氏を攻める
朝廷軍の中にありました。
またしても風見鶏に。 一体 どうして?
この直前まで
道誉は尊氏を手伝って
新しい武家政権をつくるために
働いていたのに!
この時 後醍醐天皇は
「武家政権なぞ認めん!」と
尊氏のライバル 新田義貞を
鎌倉に向かわせます。
義貞勢は 尊氏勢を次々と撃破。
ついに 佐々木道誉が出陣することに。
大井川で義貞を迎え撃つ 世に言う…
この大事な一戦で
道誉 あっさりと敗北。
「もはや これまで」…
いさぎよく自害する… わけがありません。
命あっての物種とばかりに
新田義貞に…
「力を合わせて 尊氏を倒しましょう!」。
え~っ!?
でも やっぱり 風見鶏は風見鶏。
義貞・道誉連合 ヴァーサス 尊氏は
箱根で激突。
ここで 道誉は なんと
新田義貞を裏切り背後から襲撃。
義貞軍は 総崩れとなって
京都へ逃げ帰りました。
それにしても
あっちについたり こっちについたり。
大胆不敵なルール無視を繰り返す この男。
足利尊氏が 鎌倉幕府を裏切れば
道誉も裏切るし。
足利尊氏が 後醍醐天皇を見放せば
道誉も見放すし。
足利尊氏が負けそうだからって
新田義貞に降伏したふりして欺くし…。
あれ? 風見鶏といっても
道誉 ブレてないじゃないですか。
軸は常に足利尊氏!
時代は 古い政治体制が腐敗し
新しいリーダーを求めていました。
道誉は 自分が見込んだ男 尊氏を
権力の座につけるための風向きを
常に見計らっていたのです。
いかがでした? 古さん。
いや いかがも何もですね
本当に 軸あったんですか?
自分がどっちついていくか
分かんなくなりません? 普通だったら。
本当ですよ。 だって 途中
足利尊氏さんすらも裏切ってますからね。
ちょっと こういったものを
用意したんですけれども
「道誉の裏切り遍歴」という。
まあ 最初は
北条高時についてましたけれども
まあ 裏切って 後醍醐天皇の方に
行きますよね。
で この新しい主と仰いだ
この後醍醐天皇も裏切り
今度 尊氏につくわけですよね。
で 盟友だった尊氏も裏切って
再び 後醍醐天皇のところに来ると。
その時間が短かったですよね。
すぐ裏切りましたよね。
この辺が 何か すごく早かったですよね。
すごいですよ。
今度は この後醍醐天皇 直接は
新田義貞ということになるんですが
裏切って また尊氏のところに来ると…。
実は このあと もう一回裏切るんです。
晩年に 尊氏と。
恐らく 示し合わせただろうと
いわれてるんですけど
裏切ったふりをするんです。
敵を油断させて また合流するっていう。
うわ~。 同じ手を使うんですか。
同じ手を使うんです。
おはこなんです これが。
ただ この時代の武士っていうのは
江戸時代のイメージだとですね
武士は二君に仕えずっていう
二股かけるようなことをしちゃいけない
っていう倫理観があるんですけど
この時代
まだ そういう時代じゃないんですよね。
でも 終始 尊氏軸で来て
変幻自在に 万古不変のように変わって
いけるもんかなっていうところで
もし そういってんだったら天才ですよね。
結果的に そうなったっていうところも
あるんですよね。
だから やっぱり
したたかなんだと思いますよ すごく。
結果的に そうなったって部分も
ないわけじゃない? ええ 多分。
あ~ じゃあ あんまり
終始一貫 ブレないっていうのだと
ちょっと行き詰まるけど
ちょっと そこで隙間ができましたね。
結構 いいかげんなところ
やっぱ あるんだよ。
もう閉店にしましょうか。
本当ですね。
のれん下げますか。 しまいますか。
いや でも 今日はですね 当店としては
軸があったというふうに仮定して
実は
このメニューを作ったもんですから
実は こういう料理が
出来上がったんですよ。
こちらなんですね。
ポイントは このキノコの軸を
使ってるとこなんですよね。
かさではなくて 軸を使ったんですね。
そうなんですね。
それだけといったら
それだけなんですけども。
まあ そこで ちょっと あの…
「どーよ?」の。
ちょっと 店主 ブレてませんか?
迷いが生じてませんか? 今。
もう行くなら ぶっちぎりましょうよ。
何を古 言ってんだと。
いやいやいや…。
ブレてないんだよと。 「どーよ?」は。
ブレてない軸 どーよ?
ということで。
っていうことは 道誉さんは やはり
軸は足利さんにあったってことですか?
そうなんですよね。 尊氏とはね
多分 名前が同じってだけじゃなくて…
でも そういう人 友達になりたいですか?
いや 絶対嫌ですよね。
ちょっと きついよね。 ちょっと嫌だな。
もう だって その人の本心が
読めないんだもん 翻弄されて。
すごい策士じゃないですか。
そうですね。
そんなに危険な橋を渡ってたら
いつか どこかで殺されていても
おかしくない人生だったと思うんですよ。
そうだ。 戦乱の世でって 先生は
ず~っと戦い…
どっかで ついえてたかもしれませんよね。
誤解されるにしても何にしても。
でも 最後まで生き残りますからね。
尊氏より長生きしちゃいますからね。
でも 先生 最終的には尊氏っていうことに
結果的にはなってますけれども…
尊氏は同時代の記録を見ると かなり…
よく言えば 非常に…
そんなにお行儀のいい感じじゃ
ないんですよね。
それが逆に 道誉からすると
よかった部分があって。
というのは 道誉の領国って
近江の国 滋賀県なんですよね。
あそこには 比叡山延暦寺っていう
恐らく 最強のお寺の勢力があるんですよ。
で 何かやろうとすると 絶対 そのお寺と
利権が ぶつかっちゃうんですよ。
そのお寺を
どう乗り越えるかっていうのが
道誉の
恐らく生涯の課題だったんですけど
普通の殿様だったらば
お寺に刃向かうなんて
どういうことだっていうふうに
怒られるんですけど
尊氏は
そこ かなり大目に見ちゃうんですよ。
それなんで 割と自由に こう 手のひらで
転がしてくれる尊氏っていうのを
慕ってたんじゃないですかね。
なるほど。
ここの知恵が…
どうでしょう 古さん
風見鶏になるっていうこと。
極論すると 僕 アントニオ猪木さんのね
現役時代のものすごいいい時の
一つの言葉に
「風車の理論」というのがあるんですよ。
やっぱり 格闘する人というのは
相手がリスト取って ガッと逆関節でね
関節技 しめようって時に
必ず抵抗するじゃないですか。
鍛えてるし 反射神経 本能としてもくる。
これやっちゃうと 決められちゃうから。
猪木さんとの話で 「風車の理論で
いきましょうか」なんて話 して。
つまり 風車みたいに 風が吹いたら
水車でも風車でもいいんだけど
何かの…
そっちに合わせちゃえ。
やられるのは やばいと思うんだけど
やばいと思わないで
そのまま そっちへ振る。
そうすると…
相手に合わせすぎることで。
だから ちょっと 道誉さんも
風車の理論で
ただ戦略家で
こっちつく あっちつくだけじゃなくて
その時の風向きによって 反射的に
スッスッ スッスッ行ったとか
ないのかなとか思ったりしたの。
ぬるっと入り込んじゃうとか…。 何か
そういう本能みたいなものがない限り
戦略だけで こんなにうまくいくのかな。
打算だと 絶対 ボロが出ますからね。
ですよね。
やっぱ 天然でいくのが
一番いいのかもしれないですね。
何か そう考えると
天才だったのかもしれないですね。
僕ね このごろ 天才って言葉のことも
いろいろ考えるんです。
やっぱり 人のことを僕も
すごい人を天才だな。
つまり僕なんかでは一切理解できない人を
天才って言ってるんですよ。
だから 僕は 道誉っていうのは
こんなところで答え出すのは
とんでもない掟破りですけど
答え出ないよ。
(笑い声)
天才だもん だって。 分からない。
そうですね。 でも 先生ね
道誉 風見鶏っていうことですけれども
その辺りっていうのは 当時
どんなふうに見られてたんですか?
それは でも
当時の倫理観っていうのは まず
裏切ることは
そんなに悪ではないんですよね。
それと あと 当時の武士ってですね
大体 一族で争いを抱えてるんですよ。
地元の利権を巡って。
だから
Aという家とBという家が争ってて
Aが鎌倉幕府についたら
Bは後醍醐天皇って。
だから 中央の権力が変わる度に
地元の利権が変わっていくんですよね。
なので あの 道誉も そういうところが
やっぱりあるんですよね。
だから 余計 外から見ると こう
一貫性がないように見えるんですけど
また それに規定されて 中央の政治も
非常に複雑になっていく
っていうところがありますよね。
だから
駆り出される人たちなんていうのは
やっぱり ふだんは農業をやってる
農家の方とか そういう人たちも
急に 何か 馬のくらとか出させられて
伝令が のろしが上がるか分かんないけど
行ってっていうふうに
なったりしてたとすれば 戦で勝った側に
勝てば官軍の方に回るっていうのは
容易に想像つきますよね。
そういう感じでもあったんですか?
そうですね。 南北朝時代っていうのは
一番ごちゃごちゃしてて
60年間 戦乱が続くんですよ。
それは やっぱり その人たちが
それこそ 軸がなくて
強い方につくっていう
そういう行動原理とるもんですから
やっぱり 戦乱が長引いちゃうんですよね。
すごいや。
それにしても 道誉は
反復横跳びの繰り返し。
ちょこちょこちょこちょこ…。
感覚的に動けるって
やっぱ ほかの人
まねしちゃいけないパターンですよ
これは。 そうですね。
ここまででも かなり もう
魅力たっぷりの佐々木道誉という感じが
するんですけれど
次の知恵 いきましょうかね。
次はですね 道誉の「ばさら」っぷり
っていうところを
ちょっと見ていこうと思います。
ここからはですね
室町幕府ができて以降のお話となります。
室町幕府の施政方針を記した建武式目
その一節。
当時 社会問題化していた
「ばさら」の風潮。
奇妙な言葉の語源は
サンスクリット語のVAJRAだとも
いわれています。
なぜ 日本の歴史上に
「ばさら」が登場したのか。
歴史学者の佐多芳彦さんは
こう分析します。
戦乱が続き 不安を抱えて生きる中
人々は 刹那的な美や贅沢に
救いを求めたということでしょうか。
その代表格が 佐々木道誉でした。
道誉は 美しいものが とにかく大好き。
独特の美意識の持ち主といわれています。
現在 日本文化の代表として
広く認識されている お花やお茶。
これらの発展に 道誉は
さまざまな影響を与えていました。
有力な守護大名だった道誉は
有り余る財力と権勢で
新しいアートを育成するパトロンのような
役割を果たしていました。
しかも ただのアートファンではなく
道誉自身も優れたアーティストでした。
「菟玖波集」。
室町時代に編さんされた
準勅撰連歌集です。
連歌というのは…
室町時代に好まれていました。
「菟玖波集」には 佐々木道誉の句が
81句も記載されています。
もう一つ 道誉が こよなく愛したのが
香りの世界。
主に東南アジア原産の高価な香木を
およそ180種類も収集し
楽しんでいたといいます。
香りの世界に身を委ねる芸事は
香道として
現代にも受け継がれています。
香炉に 特殊な灰を詰め
熱した たどんを入れます。
その上に 少量の香木を置くと
熱で樹木に封じ込められた香りが
解き放たれ
人々を魅了するのです。
その香りは 甘い・辛い
あるいは たおやか・つややかなどと
例えられます。
とても複雑で 人の感覚の奥深くに
入り込んでくるといいます。
香木は 今も昔も非常に高価で
ふだんのお稽古に使われるものでも
これだけで およそ15万円。
道誉が所蔵した香木も
今に伝わっています。
室町から700年の時を封じ込めた
香木の数々。
一体 どんな香りがするのでしょうか。
こうした優雅な美の追求も
ばさら大名 道誉の手にかかると
一転 恐ろしい権力の道具に
変わってしまうのです。
というわけで 2つ目の知恵。
京都 勝持寺。
桜の美しさで世に知られた
名刹です。
貞治5年。 ここで
ものすごい花見の会が開かれていました。
桜の巨木の周りに
しんちゅうの巨大な囲いを作って
生け花に見立て
桜の木々の間には大きな香炉を置き
高価な香木を惜しみなくたいていました。
かぐわしい香りが
立ちこめて
この世とは思えない
世界だったと
「太平記」は
記しています。
これぞ 究極の「ばさら」。
おいしいお酒やごちそうが振る舞われ
ステージには 都で最も人気のある
白拍子や猿楽の名手が
次々と登場したといわれています。
お客さんは大喜びですが…。
佐々木道誉は
ただ人々を楽しませるためだけに
この大フェスティバルを
開いたのではありません。
ある人物を失脚させる狙いが
あったのです。
自分の一族を次々と幕府の要職につけて
私物化していました。
既に 足利尊氏は没し
息子の義詮が2代将軍となっていました。
斯波高経は こうした中で…
尊氏がつくった…
道誉は 斯波高経による
将軍の館の「花見の会」に注目します。
幕府や朝廷のおもだった要人が集う
重要なイベント。
失敗すれば
高経は立場を失うことになります。
絶対に負けられない闘いで
道誉のとった作戦は
相手の得意とする土俵に上がって
完膚なきまで たたき潰すこと。
斯波高経の花見会と同じ日に
空前絶後の道誉プレゼンツ
スーパー・チェリー・フェスティバルを
ぶつけたのでした。
お金に糸目をつけず つぎ込んだ
ゴージャスなパーティー。
おもだった人々は皆
道誉の花見に行ってしまいました。
閑散とした将軍の館。
面目丸つぶれとなった高経は
間もなく失脚してしまいます。
相手の得意とする分野で勝負をかけ
こてんぱんに打ちのめす。
この“ばさら的けんか術”で
政治の安定を図っていったのです。
いや~ 本当に あの すさまじいお花見ね。
行ってみたかったなって思いますね。
ねえ 行ってみたいですね。
今だったら 新宿御苑で桜を見ると。 ねっ。
そういうところで ものすごいお香。
そして 巨木を金の器で囲ってるっていう。
趣味がいいのか悪いのか
さっぱり分からない。
そうそう 確かに…。
ちょっと 今の感覚からすると
おかしいですよね。
それはそれで
「ばさら」というんでしょうけど
ずぬけちゃってるわけですもんね。
多分 道誉は もうイベント慣れしてるんで
そんじょそこらの大名が
ちょこちょこってやった
花見ぐらいだったら
上回るイベントをぶち当てられるっていう
自信があったんじゃないですかね。
何より 道誉は 実は
斯波高経の花見に呼ばれてたんですよ。
自分が呼ばれてたのに すっぽかして
自分が花見を開いちゃうっていう。
かなり 当てつけ感 すごいですよね。
すごいな。
あっぱれですね。
(笑い声)
まさか 同じ土俵に立って
しかも勝ってしまうって。
普通は…
相手に 事もなげに
一ひねりされちゃうよって。
それをあえてやったわけで。 だから
相当 自信に裏打ちされてるわけで。
ごっそり偉い人も… 先生
豪華な花見の方に来るんだ的な
ちょっと 意識がないとできませんよね。
多分 ちょっと…
得意なんだ だから。
そしたら 行く方からしたら
道誉の花見の方が
楽しそうだなっていうふうに
当時の人も思ってたんじゃないですかね。
だから 道誉は 贅沢三昧が好きで
っていうばかりじゃなくて…
だから 能とか お花っていうのは
今でこそ 日本の伝統文化として
根づいてますけど
そのころは
むしろ 差別されてたんですよね。
あんなのは芸術じゃないんだと。
それを 道誉は 目をかけて
世阿弥なんかも 子どもの頃に
道誉に いろいろ教えを受けたことがある
っていうふうに
自分で書いてるんですよね。
それだけの 何て言うか
文化芸術に造詣が深いっていう一方で
戦場で修羅場をくぐって
生きてきてるわけじゃないですか。
戦ってばかりで
戦ばかりをしていたのではなくて
やはり 芸術に触れることによって
自分を取り戻したというか。
何か そういうバランスをとるのが
とても上手な方だったのかなって
思います。
だから 本人の中では
矛盾じゃないのかもしれません。
だから その 何か 粗雑なところと
芸術性っていうのが
何か 一つの人間の中で
矛盾してるように思えるんですけど
やっぱり…
それが同居してたっていう
存在なんじゃないですかね。
まあ 風見鶏 変人なんて ちょっと
我々 呼んでしまいましたけれども
そうは呼ばれても
道誉が守りたかったもの…。
だから
尊氏に対する感じを伸ばしていけば
結果的には 忠誠とか
そういうレベルじゃなくて
ものすごい 何か 親愛の情というか
親和性みたいなのを
持ってるんじゃないですか。
むしろ 尊氏に対して
そういうものがあるなら
自分をも裏切れる人なんじゃないですか。
いい人が悪い人になったり
悪い人が いい人に戻ったり。
自分をも平気で この人のためなら
自分をも裏切ってやるぞぐらいな感じで
自分より尊氏を上に置いている瞬間が
結構あったような気も ちょっとするし。
だから そこの辺は うわ~
深いなっていう気はちょっとしたけど。
多分 だから そこに行くまでに
いろいろ悲しい選択を経て
いろんなものを失いながら
最後にたどりついてるんですよね
この人の場合は。
この南北朝の動乱の中で
ものすごい身内を
いっぱい失ってるんですよ。
弟が1人死んでますし
息子は3人戦死してて
で 孫も2人 戦死してるんですよ。
自分は幸い生き残りましたけど
だいぶ 愛する身内を失ってるんですよ。
それもあるから 尊氏は やっぱり
道誉のことを嫌いになれないというか
評価してるんですよね。
そういう部分では
非常に いちずなところもあるんですよ。
そういう意味では やっぱり…
それを こう 乱すようなやつが
出てきたらば
やっぱり 潰していくっていう
そういうような
常に にらみを利かせてる…
うわ~。
っていうことは やっぱり
しっかりした軸を持っていて。
多分 最後は そこなんでしょうね。
もう 何かこう
言葉には出さなかったけど
強い志があった方なのかなって
思いますね。 と思いますね。
複雑なキャラクターですよ とても。
でも こう 歴史をひもといていくと…
あっ それは言えるかもしれないですよね。
同じままだったら
前の時代と変わらないですもんね。
だから ある時点から見て 変人ってことは
あるんじゃないですかね やっぱり。
でも 南北朝時代
多くの大名が没落してる中で
道誉は もう 子孫も ずっと生き残って
江戸時代には大名になって
明治維新まで迎えますからね。
うわ~ そんなに長く。
そういう意味で 勝ったっていえば
勝ち組かもしれないですよ 道誉は。
今までのお話だと 道誉さんとは
ちょっと近寄りたくないな
お友達は嫌だなと思ったんですけど
話を伺えば伺うほど
魅力的な方だったのかなって
ちょっと見方が変わりましたね。
その当時の物差しで ある種 見たら
そんなにひどくないぐらい 人受けして
面白いところがあって
したたかに
動いてたかもしれないですよね。
一種の 何かこう ヒールのようなね
悪役のようなところもあったのかなって
ちょっと 勝手に思っちゃったんですけど。
それは だって
それは もしかしたらだけど
いつの世もね
必ず 悪なくして善立たずっていうね
光が強ければ影も濃いというね
やっぱり 表裏一体じゃないですか。
だから プロレスで言う
悪役を演ずること
徹底して悪役をある部分では
演じ続けることが
いろんな そこに出てくる後醍醐天皇とか
足利尊氏さんとか 北条高時さんとか
立つんですよね これまた。
悪役がかき回してくれないと
立たないんですよ。
なるほど なるほど。
何か そういうね
人生のお芝居を演じきったのかなって気も
ちょっとしますね 役どころね。
さすが その辺りは プロレス…。
違う。
店主が振ってくれるから…。
私 振られりゃ すぐ意見変えて
また違うこと言います。
さすが。
一貫して芯がないのが…。
いやいや…。
本当です。
道誉は 応安6年 78歳で
この地で生涯を終えました。
近江・湖東地方の人たちは
国を守り 領民を大切にした道誉を
今も慕っているといいます。
道誉の死から およそ200年後。
織田信長の近江侵攻で
寺は焼き打ちに遭い
道誉ゆかりの品々も失われました。
寺のへん額は
道誉によるものといわれています。
焼け残ったこの三文字だけが
ばさら大名の面影を今に伝えます。
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