徹子の部屋 橋幸夫[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 橋幸夫[字]

~80歳の誕生日で“歌手引退宣言”の真相を告白~橋幸夫さんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
元祖「御三家」の一人、歌手・橋幸夫さんがゲスト。昨年、80歳の誕生日での「歌手引退宣言」を発表した橋さん。今日はその真相を語る。
◇番組内容
コロナの影響で近年はステージの回数が減り、喉を使う機会が少なくなったため声帯が衰えてしまい、満足のいく発声ができなくなったことが「歌手引退」決意のきっかけだと打ち明ける。これからは、80歳の誕生日を迎える来年5月まで全国約160カ所をめぐって「引退コンサート」をするという。また、引退後「大学生になる計画」を初告白する橋さんに、黒柳さんがエールを送る場面も。ほか、警察官を讃える新曲のウラ話も明かす。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  1. 本当
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  7. イノシシ
  8. フフフフ
  9. デビュー
  10. 引退
  11. 気持
  12. 筋肉
  13. 訓練
  14. 警察
  15. 大体
  16. 熱海
  17. テレビ
  18. ファン
  19. 歌手
  20. 感謝

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

(黒柳)17歳で歌手デビュー。

あれから61年。

大ベテランの橋幸夫さんです。

どうぞ こちらにおいでください。
はい。

来年の5月3日
80歳のお誕生日で

歌手を引退するとおっしゃって
世間を驚かせましたけど

色々 今日 真相

現在のお暮らしぶりなどを
伺わせて頂きます。

はい。 よろしくお願い致します。
ちょっと そのままにしてて。

お着物を全部…
総絞りなんですね それ。

ええ。 これは そうですね。
すごい。

おうち 呉服屋さんですよね。
そうだったんです。

今は もちろん ないですけど。
あっ そうですか。 昔?

はい。
お着物とお羽織は総絞りで

で 袴という
非常に知的ないでたちで。

ご自分の事は全部 自分で…
スタイリストじゃなくて

ご自分で
やってらしたんですって?

そうなんですけどね。
大体 元々が… 呉服屋の時に

衣装の事は全部
おふくろが選んでくれて。

お母様が。
これも その… ものなんですね。

あっ その ものなの。
あと着物…

舞台もテレビも出る時は
必ず これ着なさいって

そういうのをやってくれたんです。
あっ お母様が。

はい。
そうですか。

じゃあ それは
お母様のだと思って…。

そうですね。 今日は
そういう気持ちで来ました。

そうですか。 どうぞ。
どうぞ お座りください。

すてき。
ありがとうございます。

いいですよね。
いい感じですよね 着物ってね。

そうですね。 やっぱり
日本人は着物っていうのが…

着るタイミングがあったら
なるたけ着た方がいいんですよね。

そう。 私も そう思ってます。
はい。

来年の5月3日 80歳のお誕生日で
歌手を引退すると。

突然の発表で驚いた方も
いらっしゃると思いますけども

これは… 何かありましたか?
特別な事が。

まあ 60周年が一昨年でした。

で 終わりました頃に
特に まあ…

コロナは
相変わらず大変なんですけども。

その時に だんだん
歌う機会が少なくなりましてね。

結局 歌い手っていうのは
歌わないと

発声練習
だんだん しなくなるんですよね。

そうですよね。
特に私は そこをしなかったから

余計に この声が
だんだん出にくくなりまして。

出るキーは出るんですけど

低音部が出なくなったり
ちょっと割れてきたり。

そういう… ステージをやりながら
あるいは仕事をしながらですね

このままで いつまで

この状態でいくのかな
っていう事を考えまして。

で ファンの皆さんからも
きっと テレビを見てて

ああー この頃 声が出てないな
っていう方もいると思うんですね。

そういう心配をかけるのも
嫌ですし

特に歌っていうのは
そういう若かった頃…

声が
どんどん出る時っていうのを

皆さんが応援してくれましたから。

それが だんだん 崩れていくのを
聴かせたくないなと。

お見せしたくないという
この一心でしたね。

なるほど。 なんか 声帯の筋肉が
衰えてきてるんですって?

そうなんです。
耳鼻科へ行きましてね。

確かに 全部 診てもらったら

「橋さん この頃
歌ってませんね」って言うから

「ええ。 コロナのおかげで 仕事が

だんだんなくなってきまして」って
言ったら

「うん。 それが… 原因が一つ」。

「あと一つは加齢ですね」と
言われて。

あっ そう。
「おいくつですか?」って

聞かれたんで
「70超えてますよ」って言ったら

「そうなんですよ。
この声帯っていうのは

非常に難しくてね。
両方の筋肉がピタッと合う時に

後ろから声が出るように
空気を出すんですよ」。

「だから この筋肉が声帯で
ここが弱ってくると

声が必ず駄目になる」って
こう言うんですね。

なるほど。
「先生 そのとおりですよ」。

「だから 本当に出にくいんでね」
って言ったら

「まあ 出なくなっちゃう事は
ないと思う」。

「だから 練習しましょう。
それから 訓練しましょう」と

改めて言われましてね。
ええ。

「どんな訓練ですか?」って…
一つの本を頂いて。

で 発声はもちろんですけども

声帯の筋肉を活躍させるという

運動があるんです。
ええー。

それを
毎日 やっておりますけどね。

どうやるんですか?
ちゃんと こう ここを握りながら

顔も全部 下へ筋肉を出しながら。

そして これを押さえながら
声を出す。

それから 声もブルルルッて…。
唇?

ビブラートを唇で合わせる。
ブルルル…。

中からドロロロッてやったり
色んなものあるんですよ。

ドロロロ…。
ハハハハ…。

それを でも やってもですね

やっぱり 全然出なくなっちゃう…
いくのは嫌だなと

こう思いまして。
ええ。

最近 なおさら
訓練をしておりますけどね。

そうですか。
はい。

でも 随分長く… 16歳で…
17歳で歌手デビューなさって

それから
60年っていうんですから。

現在は引退ツアーの真っ最中?
真っ最中です。

昨年からスタートしまして。

全国の皆様に できるかぎりの歌を
聴いて頂きたいという思いで。

それは もちろん 心の中では

聴いてくださった
何十年のファンの皆様をはじめ

客席のお客様には

感謝という言葉しか
ないんですけど。

本当にうれしい…
ありがとうございました

という事で
私ながら勝手に決めましたが

ラストステージなんですよ
っていう事を

お話しさせてもらったり。

全国 何カ所ぐらいお回りになる?
そうですね。

大体 来年の5月3日までで
160カ所はなるよって

社長に言われまして。
あっ そうですか。

「160ですか?」って。

日本全国行ったら それくらいには
簡単になっちゃうよって言われて。

頑張っております。
そうですか。

「人生は長いようで あっという間

夢を持って生きよう!」
っていうタイトルで。

そうです。 僕は
そういうタイトルにしたいと

思ってましたし
やっぱり 本当にそうなんですね。

17歳で なんにもわからない時から
ずっと この社会に来て

あっという間に
10年 20年 30年きて

61年 62年に
なっちゃうわけですね。

その間 ものすごく
色々 体験をさせて頂きましたが

反面 世の中の移り変わりが
早いので。

私たちみたいな
いわゆる年を重ねた…

先輩 先輩って言われるだけで
いいのかなと

何回も考えておりましたし。

やっぱり 若くいるっていう事は
とても大事な事ですから

さっき言ったような訓練は
しますけども

それも 限界があって。

大体 私はですね
アスリートじゃないですけど

自分で こう やって
パッと辞めるって

そういうタチで
好きなんですよ それが。

それが 正直 振り返ってみたら
10代の頃から…

もう デビューの頃から全て

周りの先輩たちや
家族や スタッフや

色んな人に支えられてきてるので。

自分で決断して
何かをやるっていう事が

ほとんどないんです。

それに対する
非常にストレスと不満が

ずっとあったのも事実ですね。
なるほど。

じゃあ 辞めるぞっていうのは
ご自分で お決めになった?

決めました。 はい。

現在は熱海で
ご夫妻でお二人暮らし。

はい。 そうです。
で 今日も熱海から

奥様の運転で
いらしたんですって?

いつも運転してもらってるんでね。
僕は免許ありますけども

ほとんど
危ないんで やらないです。

でも すごいですよね。
奥様 運転で

熱海から来てるのはね。
まあ 通ってますからね

なんてことは ないんですよ。
車で100キロちょっとですからね。

新幹線で40分ですから
意外と近い所なんでね。

そうですね。
とても気に入ってるんです 私は。

自分でテレビ見てですね

なんか
いいマンションないかなと思って

ずっとたどっていったら
今 住んでる所が出てきて

よしっていって
不動産屋に連絡をして。

ご自分で?
ここに決めようって決めたんです。

そうですか。
快適です。

温泉は おうちに来るんですか?
温泉はプールにもありますし

自動的に 引けば 私の…

我が家にも
ちゃんと出てきますし。

それから もちろん 熱海は
温泉場でもありますからね。

そういう環境は…

右見たり左見たら
そりゃ 全部 山ですし

それから 観光客の方も来るし
街も ちゃんとありますし。

この間はですね

毎日 ウォーキング
やってるんですね 2人で。

そして 下りの坂に
なっていく所があったら

なんか 変なのがいるなと思って
こう見たら

目がピカッ ピカッて
光ってるものがいるんですよ。

なんだろうなと思って 見たら

1メーター
ちょっと超えるぐらいの

イノシシなんですね。
まあ 大変。

そう思って…
大変と思ったんですけど

僕は なんか…。
あっ これですか?

これです。
あら すごい。

ねえ。 本当に…
これ よく写ってるのかな?

写ってますよ。
家内が撮ったんですよ これね。

相当大きいです。
1メーター20ぐらいですって。

これ 危ないけどもね
僕は本当に イノシシが来たら

どうしようかなと思って。
まず蹴りを入れようか

それともパンチを打とうかで
ずっと考えて

2~3歩 行ったら
家内に引っ張られましてね。

「やめなさい」って。
「こんなの あんた

大変な事になっちゃうわよ」って。
フフフフ…。

「だって あいつ
来るかもしれないぞ」って

さんざん言ってたら
そのうちに電話かけましてね。

「すいません
橋でございますが」って。

「お前 どこにかけてるんだ?」って
言ったら 110番したんだと。

そしたら
「お名前は どちらですか?」って。

「橋幸夫でございます。
私 家内です」。

そんな事 言うなって
言ってんのに。

まだ イノシシは
じっと動かないんですよ。

ええ。
いつ来るかなと思って。

本当に来たら
僕は戦おうと思ったんです。

そして あとで
熱海の署長にね 電話して

「実はイノシシが出た」って
言ったら

「やめてくださいよ」。

「イノシシっていうのは
特に子持ちのメスが大変ですから

必ず来ますよ」と。
本当。

そういうふうに見えないんですよ
目が可愛いし。

とんでもない事をし損なって…。

じゃあ その時は
大丈夫だったんですか?

そしてね しばらく 僕も
後ろへ下がりながら

ずっと様子見てたら ずっと
ゆっくり歩いていきましてね

右の林の中へ
スパッと入ったんです。

あっ そうなんですか。 ええ。

そしたら あとで
警察が全部 捜査してくれまして

なんと 子持ちの…。
あっ 危ないとこでしたね。

メスのイノシシなんです。
まあ 大変。

いやー 命拾いしましたね。

そうですね。
向かってこられたらね。

80歳で歌手を引退なさって

そのあと 何かなさろうっていう
お気持ちはあるんですか?

そうですね。 なんか
新しいですね ものに対して

夢を持ちたい。 そういう
挑戦できる事ないかなって

ずっと考えておりましたら

そうか。
1つだけあるかなと思って。

私 昔から
書を習っておりましてね。

ええ。
その習っていた先生がですね

たまたま 新しい大学の
講師になったんですよ。

ええー。
その先生と話したら

「うち 来るといいんじゃない?」
って言われまして。

京都に芸術大学ってあるんです。
京都芸大ですね。

そこに 書と画を描く…
書家っていうか。

その中で その先生は…
なんていうのかな。

水墨画を専門として
描いてるんですね。

「あっ ここがいいな」。

「先生 入れるんですか?」って
言ったら

「今 募集中ですから これから…」
と こう言ってくれたんで。

で いいのがですね
要するに 通信教育なんですよ。

いいですよね。
ねえ。

あれを…
いちいち 行かなくてもいいと。

コンピューターでもって

お互いにリメイクで…。
リメイクじゃないわ。

リモート?
リモートで授業が受けられると。

それは いいなっていう事に
なりまして。

今 願書を
作ってる最中でございます。

いいですよね。
一つ 大学生になりたいなって

夢はあったんですよ。
そうですよね。

そんな お若い時からね…。
高校2年で…

3年目は
ろくに行ってませんから。

やっと 卒業証書を
頂いたものの

大学っていうのは
いいなと思ったけど

こんな話になったんでね

よし ちょっと
大学に入学してみようと。

いいじゃない。
面白いじゃないですか。

若い人たちと一緒に…。
面白いですか?

そりゃ面白いですよ。
私も行きたいぐらいだわ。

はい はい。
ねえ 若い人たちと

一緒にもなるかもしれないし。
そうですね。 勉強になります。

17歳でデビューなさって
デビュー曲は『潮来』…。

『潮来笠』。
『潮来笠』。

でも 初め『潮来笠』って
読めなかったんですって?

最初 先生にね
「これ 読めるか?」って言うから

譜面 見たら
「“しおくるかさ”ですね」って

言ったら 「何言ってるんだ」と。
フフフフ…。

「これは茨城県の 有名な
潮来という場所なんだよ」って

説教されました。
フフフフ…。

「しおくるがさ」。
「しおくるがさ」。

♬~「潮来の伊太郎
ちょっと見なれば」

♬~「薄情そうな渡り鳥」

♬~「それでいいのさ」

これは ちょうど10代…
デビューした直後ですね。

♬~

♬~「風が吹くまま 西東」

♬~「なのにヨー」

♬~「なぜに眼に浮く潮来笠」

いやー すごいな。

いやー。
デビューして半年ぐらい?

そうですね。 半年ぐらいですね。

ええー。 それで その半年で
その年の『紅白』に

お出になったんでしょ?
そうなんです。

それ すごいですよね。
もう 人生がね

学生だったのが
全く違う世界でしょ。

だから 高校3年生は
ほとんど行ってないんですよ。

それで 仕事が
年末までバーッと入ってきて

テレビに どんどん出る。

そしたら 『紅白』が決まった。

レコード大賞の新人賞になった。

本当かな? と思いながら
年は終わりました。

そして 翌年になりました。

そして 3月に
最初のワンマンショーの

国際劇場だったんですよ。
ええ。

超満員で なんか 機動隊が
来たぐらいだったんですって?

あそこは東洋一って
当時 言われて

1階だけで3300人 入って。

随分。
1週間やったら

大体7万人っていう…
私はね 記録出したんです。

あっ そうなんですか。
当時は 機動隊は

まだ できてなかったんですけど
二個中隊っていってね

すごい… 40人ぐらいの警察官が
バーッと来てですね

「幕を下ろして」って言われて。

2階 3階のお客さんが
落っこちそうなんですよ。

うわ 怖い。
本当に怖いんですよ。

それで 警察から
ストップがかかりましてね。

そして 中止にして 約20分ぐらい
整理をしてくださって。

それから 次の幕を開けたという
記録を出しました。

あら すごい。
そのぐらい お客様が…。

もう 全国から
来てくださったんですね。

ええ。
だから あっという間に

この半年っていうのは
私の人生が逆さまになる…。

ほとんど覚えて
らっしゃらないぐらいですって?

すごいですね。
そういう時代でした。

あまりの人気に
ご両親が心配なすって

お姉様を付き人にっていう事で…。

姉が独身時代だったので
会社の方からね

「誰か 身の世話をやったり
付き人みたいな人に…

きょうだい いませんかね?」って
言ったら

姉が「私 やってもいいわよ」って
手 挙げてくれた。

3つ年上なんですけど。
あっ そうですか。

その姉が
ずっと付いてくれましてね。

それで おかげさまでというか

なんでも姉弟だから
やってくれるし やるし

おかげさまは いいんですけど
全然 遊べなくなりました。

ハハ…。
女の子が寄ってくると

全部 払いますしね。
フフフフ…。

そういう青春時代でした。
仕事ばっかりで?

そうです。

当時は年に何枚の新曲を
出していらっしゃった…。

それから… そうですね。
5年 10年の間…

一番ひどかったのは
3年後ぐらいですね。

年間17枚なんていう

シングル盤の発売。
そんな?

どうやって覚えるんですか?
いや 覚えないです だから。

あっ 覚えなくていい。
これはね おかげさまで

全部
田先生の作詞作曲なんですよ。

ですから
先生のレッスンは

全部 ピアノでもって…。
ご自宅へ伺うんです。

田正さん。
田先生の所へ行って

レッスンして
それから1週間以内に

必ず レコーディングなんです。
すごい。

あっという間に
どんどん どんどん…。

一月に2枚ぐらいとか
そのぐらい?

2枚強ですね。

2枚強。
はい。

♬~(橋・吉永)「言っているいる」

あっ この『いつでも夢を』なんて…
吉永小百合さん。

これ 小百合ちゃん
可愛いですよね またね。

ねえ。
はい。

そう。 19ぐらい。
小百合ちゃんが17歳ですね。

そうですね。 すごいですね。

でも この歌も流行りましたね。
みんな 知ってましたよね。

いまだに 大体
コンサートなんかでは

ラストソングに歌いますね。
あっ これね。

メロディーも… みんな
皆さん 歌ってくれてます。

そう。 「いつでも夢を」って。

私たちも知ってましたもんね
みんなでね。

♬~「雨が」

へえー。
これは昭和41年ですね。

よく覚えていらっしゃいますね。
ええ。 『雨の中の二人』。

これは ちょっと
大人になり始めの頃ですね。

♬~「ピンクのバラの花」

♬~「メキシカン・ロック」

♬~「ゴーゴーゴーゴー」

あっ
こういうのもあったんですね。

そうですね。
青春歌謡っていうのが間に入って。

最初が股旅で青春歌謡

それから リズム歌謡になって。
この『メキシカン・ロック』が…

リズム歌謡が
7作目の最後なんですよ。

あっ そうなんですか。
これ メキシコオリンピックが

翌年っていう年に これが出た。

あっ そうなんですか。
これも田先生なんですけどね。

あっ そうですか。
田先生っていう方も…

田正さんは
随分 お書きになった方ですね。

そうですね。 2400曲です。
あっ そうですか。 すごい。

作曲家として
すばらしい先生でしたね。

そうですよね。 まあ 御三家?
御三家。

御三家といわれて
本当に それは もう

順風満帆な歌手生活。
そうですね。

デビューしてから1年 2年は
夢中でしたが

ちょうど3年目なんですね。

舟木一夫 西郷輝彦
それから橋幸夫で

御三家という
キャッチフレーズで…。

雑誌からは
インタビューどころじゃない…

グラビアはある。 そういう名前で

みんな やるからなって
これ レコード会社の

各社のライバル意識が
すごい時でしたね。

なるほどね。
2人とも年下ですから。

あっ そうなんですか。
僕 3年 年が上なんで

なんか 兄貴分みたいな気持ちで
いたんですが

彼らにとっては やっぱり

橋幸夫を なんとしても
追い付け 追い越そうと。

会社やプロダクション
みんな そういう時でしたからね。

すごい。
すごかったですね。

舟木一夫さん 西郷輝彦さん
そういう方たちは

なんと おっしゃってます?
なんにも言ってきません。

言ってこない?
この2人は。

本当に。
はい。

まあ 舟木君 西郷君 本当に
しばらく会ってませんしね。

なるほど。
多分 あの2人は

僕がいない方が きっと

自分が
いい場面になるんじゃないかと

思ってるかもわからない。
これ ジョークでございますから。

新曲は警察官の方々への
お礼の気持ちと

応援の気持ちの音楽…。
ええ。 これがね

初めてではなくて
実は50年前にね

『この道』というのと

いわゆる もう1曲
警官の歌なんですけど。

『この世を花にするために』という。

警察官を激励して
叱咤するという歌を

ビクターで作ってくれないかって
お話があったらしいんですね。

それで 歌うのは
若手でいいっていうんで

私になったんですね。
うん。

それ以来 全然 その歌を…
レコード発売はしたんですが

一般発売はしてないんですよ。
あっ そうなんですか。

だから 警察官関係の人だけしか
持っていないという

幻の歌が2曲あるんですね。
ええ。

それを なんかで…
テレビでも歌った事がないんです。

ええー。
それを数年前から考えてましてね。

一昨年の60周年になった時に

警察官の皆さんへの
感謝の気持ちと

それから やっぱり 叱咤激励する
鼓舞の… なるような歌ね

それを1曲作って
こういう新しい

警察官を励ます歌をって思って
私が作曲しまして。

ええ。
何かあったら すぐ110番

っていって 助けてもらえるのは
警察なんですよね。

そうですよね。
その警察官たちは

やっぱり 若い時から
みんな 訓練して警察官になる。

ところが 最近ですね
あんまり 警察に行きたがらない

警察官になりたがるっていう
若者が減ってるんだそうですよ。

あっ そう。
そういうためにも

ぜひ 感謝の歌と激励の歌を
歌いたいなと思ったのが

これなんですけども。
うん。

ぜひ この新しい歌で
皆さん 頑張って

また 警察の任務を
全うしてくださいと

こう やりたいなと思ってます。
『この道を真っすぐに』

っていうのが そうですか?
『この道を真っすぐに』です。

ええー。
まさに このとおりです。

去年 お歌いになった声ですか?
これは。

これは一番新しいんです。 去年。

まだ こんなに
声 お出になるの? でも。

これぐらいは出ますよ。
すごい。

ずっとワンマンショー
やってますから まだ。

出します 一生懸命。
すごいですよね。

じゃあ 相当
まだ お出になるんですよね。

そうですね。 まだ100カ所以上は
ありますからね。

あっ そう。 あと100カ所?
ええ 近いでしょうね。

そうですか。
でも あれですね 来年で80歳。

はい。
歌手は引退なさるんですけど

芸能界は
引退なさるわけじゃないので

これから どんな事をなさりたい?
そうですね。

芸能界でやる事というのは
たくさん

もちろん あるんでしょうけど
やれるというのは

お芝居の世界とかね。
うん。

例えば 時代劇とかね。
時代劇。

そういうのは まだ動けるなとは
思ってますけどもね。

まあ それより
大学 行きますから 私。

あっ そう…
大学生になりますもんね。

勉強したいなと思います。
そうです。

それ 本当にすてきだなって
思いますよね。

ありがとうございます。
最後に ファンの皆さんに

なんか お礼があったら…。
はい。 そうですね。

なんといっても 私は
ファンの皆様に支えられて

60年を超える この年月まで
歌ってこられました。

ですから やっぱり
まず第一は感謝でございます。

本当に ありがとうございます。

そして この応援を忘れずに
私も新しい夢を持って

自分で選んだ道を これから
まだ模索して 長生きをしたいな

そしたら
徹子さんみたいになれるのかなと

希望と目標を持って
生きていきたいと思います。

大変だな 私も。 フフフフ…。
はい。

でも あれですよね 大学生に
おなりになるんですからね。

やっぱり そこで 水墨画とか

色々ね 勉強なさるって
おっしゃいましたよね。

頑張ります。
どうぞ 頑張ってください。

80歳から また青春を取り戻して。
そうですね。

「幸夫の部屋」って…。
「幸夫の部屋」って どうですか?

「幸夫の部屋」。 フフフフ…。
嫌でしょ?

ハハハハ…。
渡したくない。

失礼致しました。
じゃあ また。

『徹子の部屋』は

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