出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 松島トモ子[字]
~二人三脚で歩んだ母を100歳で看取り~松島トモ子さんが今日のゲストです。
◇ゲスト
松島トモ子さんがゲスト。
◇番組内容
4歳で映画デビューし、二人三脚で支え続けてくれた母・志奈枝さんが100歳で亡くなったのは昨年10月。95歳で認知症を患った母を5年以上自宅で介護した松島さん。母の死から4カ月が過ぎた今、寂しくてしょうがないと感じているという。新婚半年で出征し、シベリア抑留で亡くなった父の顔は知らないという松島さん。再婚もせず、亡き夫を思い続けた母…「やっと父の元に母を返せた」という松島さんが、今語る母への想いは…
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- 本当
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- 今度
- 仕事
- 一緒
- ママ
- 可哀想
- 葬儀屋
- 大変
- カ月
- コチョウラン
- トモ子
- 戒名
- 住職
- 値段
- 面白
- お花
- フフフフ
- 介護
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
「地震があっても トモ子を
おぶって逃げなきゃいけないって
今でも思ってるみたいで」
(志奈枝さん)「もう 何か…
しょっちゅう 事故ですよ」
(黒柳)「あっ そう
ライオンに かまれたり」
(松島)「それもあるんでしょ?」
(志奈枝さん)「戦争のね
被害で逃げる… まず逃げる…
抱えて逃げる事ばっかり
考えたんで
今でもね
“あっ トモ子!”って すぐ…」
「上から なんか落っこちてきたら
どうしようとかね」
「そうですって」
「でも 私の立派なお葬式
出してから死にたいって
言っておりますので」
「あっ そうなの?」
「こちら様…」
「フフフフ…!」
松島トモ子さんです。
お元気だったお母様なんですけど
残念だけど お亡くなりに
なったんですってね。
本当に あの…
大変だったんですね 介護生活が。
だから 5年と5カ月やって
母が死んじゃったら
私 バラ色の人生になるかと
思ったんですけれど
やっぱり もう なんか…
体半分が持っていかれるような。
本当に 寂しくて 寂しくて
どうしたらいいか
今も わからない感じですね。
去年の10月4日に
ちょうど100歳で お亡くなりに
なったそうですけど。
95歳まで 本当に元気で
私としては自慢の母親で。
そうよね。
うん。
こういう風な年寄りに
なれたらいいな なんて
こう… ずっと思ってたら
もう 目の前で
母が ガラガラガラガラッて
こう 壊れていったんですね。
もう 罵詈雑言を私に浴びせてね
「何も食べさせない」とか
「あなた 年寄り いじめて
面白いのか」とか
いろんな事を言うようになって。
あら…。
包丁を持って
「一緒に死のう」って言って
ずっと 持ってくるし。
私がマフラーしたまま
こう ダラッとしてると
それ ズリッて引っ張って
「一緒に首つって死にましょう」
とか
それが毎日毎日 続くので
本当に 母が 息が
止まっててくれたらいいなって
何度も…。
それが5年5カ月 続いたの?
うーん… 3年ちょっと続いて。
でも いいお医者様が…
訪問医の先生が来てくださって
だんだん 母も落ち着いてきて。
さっき 100の時の
お誕生日の写真なんか出てたけど
2月3日 お誕生日を迎えて
お花いっぱい いただいて
お花が母は大好きだったから
もう 喜んで喜んで
「ほう… ほう…」って
毎日 お花見してて。
それは楽しそうだったんですね。
母が このまま ずっと こう
木が枯れるように
朽ちていくんだろうなと
思っていたら
亡くなる2カ月前ぐらいから
でしょうか。
お熱がちょっとありますねって
いったら
もう バーッと 野火みたいに
体中が真っ赤になって
水疱がいっぱい出て。
あら 可哀想…。
可哀想。
それで 帯状疱疹。
うん。 痛いんでしょ?
痛いらしいんですよ。
それで 10日間ぐらい苦しんで。
それが終わったなと思ったら
今度は誤嚥性肺炎みたいに…。
あっ 飲み込む…?
うん。 たんのようなものが
絡んだらしくて
看護師さんが チューブとかなんか
のどとか鼻に突っ込んで
ガー ガー ガーッて
やられるのね。
そしたら 母が
ワアーッて うめいてるので
もう 見ていられなくて 可哀想で。
「もう やめてください」。
「母は 十分に もう 生きたから
やめて」って言いたかったけど
看護師さんも必死だしね。
でも どんどん 母 弱ってきて。
亡くなる前の晩だったかしら?
私 部屋に ずっといたら
母が 目開けてるの ずっと。
ガラスの目玉みたいな目に
なってて
「ママ 痛い?」って言ったら
「ううん」。
「どこか具合悪い?」って言ったら
「ううん」。
「怖いの?」って言ったら
「うん」って。
死の不安っていうのはある…。
そう…。
あっ 怖いならって思って
介護用ベッドに
母 寝てるんですけど
そこに潜り込んで 私。
母を抱いて
「ママ もう 怖くないよ」って。
「トモ子ちゃんが ここにいるし
どこにも行かなくていいから
ママ 安心してね」って言ったら
母が私に抱き付いてきて。
あっ そう…。
ひと晩中
こうしていようと思って
ずっと 母 抱いてたら
まだ温かかったの。
そしたら 私の事だから やっぱり
不覚にも寝ちゃったの。
まあ それは疲れてるからね
毎日ね。
ほっぺたとほっぺたが
こう くっついてたんだと
思うんですよね 母と。
そしたら それが
冷たい! って感じて
私 飛び起きて。
そしたら 体も冷たくなって。
「ママ 起きて! 起きて!」って
私 大騒ぎしたんだけど
ああ… 死んじゃってね。
でも あの…
ひと晩中 母を抱いていられた
っていうのは
幸せだと。
そうよね うん。
この介護用ベッドで。
これ あなたのお家?
はい。
母はね もう 絶対に
施設はイヤだとか言って
ここに いたいって。
まあ 私と一緒にいたかったって。
そうでしょうね。
そうじゃないと 離ればなれに
なっちゃうもんね
どうしたってね。
うん。
訪問医が このあと いらして
「9時8分に ご臨終です」
っていう風に
おっしゃったんだって?
うん。
そして 洋服を着替えさせて。
パジャマを お気に入りのスーツに
着替えさせて。
そして 私がお化粧を… 母の。
生まれて初めてしましたけど
ああ… 透き通ってて
とってもキレイ。
うん。
うん。
そこまでは静寂だったんですけど
そこからが…。
あの… 葬儀屋さんたちが
入っていらっしゃると
もう 大騒動になるんですね。
へえ…。
うん。 お寺さんは
どこにしますとか
ああだ こうだという
お話があって
それとか 通夜とか告別式とかって
いろんな事があって。
母が死んじゃったので
私 まだ その日は第1日目で
フワフワしちゃって。
それで 大事なお仕事が
入ってたんですね。
うん。
それ すっかり忘れてしまって
通夜に ダブルブッキングして。
もう 今まで
耳にタコができるぐらい
親の死に目にも会えない仕事だ
っていわれてても
自分の事になると
もう みんな忘れてしまって。
本当… バカだなって
思いましたけどね。
結局 お仕事は行かなかったの?
その時は。
ううん。 ちゃんと…。
行ったの?
行った。
2日目っていうと 今度は 戒名…
お寺さんに 戒名っていうのを
いただきに行くんだって。
心細いんで 葬儀屋さんに
「ついていってちょうだい」
って言って ついてきて
「すみませんけど 戒名って
相場 どのぐらい?」って聞いたら
「口が裂けても申せません」なんて
大層な事…。
知ってるくせに! と思いながら。
でも ご住職と…
こういうアクリル板があって
そちらに お座りになって
私がこっち。
で 後ろに
葬儀屋さんたちが控えてて。
「母は どんな人でしたか?」とか。
あっ そう。
そういう事を
ちゃんと聞いてくださって。
程良きところでね
そちらの ご住職の方から
なんか 白い紙がスッと出てきて。
なんだとお思いになるの?
白い紙が?
うん。
ススッと。
うん。
そしたら これが戒名の値段。
本当?
書いてあるの? そういう風に。
そう。 値段表がね
アクリル板の向こうから
スーッと出てくるんですよ。
ここから スッと 私が
下から潜らせて出したみたいに。
程良きところで。
うん? って思って。
見てもわからないんですよ
信女とか 大姉?
ああ そうそう。
「大姉」って書いて… うん。
信女より大姉の方が高いって。
これは…
これだけは わかってた。
そうですよね?
そうそう。
そしたら その上に
あと ○○が付くの。
何? ○○って。
そこに漢字を入れるんだと
思うんですけど
丸の数が多いほど
値段が高くなるんですよ。
ズラッと こう 書いてある
値段が。
おおー! と思って。
葬儀屋さんに 私が
「あの…」って言ったら いないの。
ハハハ…! 本当に?
なんだ? あいつらめ! と思って。
お金の事になったら いないの?
そこは触れちゃいけない…。
そうなの?
ご住職と私の秘密。
本当に?
そうなの。
いなくなっちゃうんだもん 敵は。
それで… 私が
もう しょうがないって思って
適当なところで
「これ?」って言ったら
ご住職が
「うん?」とかって言うから
あっ 安いんだなって。
これじゃ ダメだって思って。
もっと 丸が…
丸 丸 丸 丸ってなって。
その時 払える
精いっぱいのところで
「これ?」って言ったら そしたら
「よろしいでしょう」とか
言われちゃって。
本当に?
もう 疲れた。
そうなの?
うん。
それで 今度 3日目になったら
今度は… 今度は
葬儀屋さんの出番になるのね。
祭壇っていうのがあるんですよ。
パンフレット
第1ページ目を開ける。
3000万 祭壇が。
すごい!
そこで もう
私 倒れそうになっちゃって。
3000万…。
でも もう ずっと… 真ん中いくと
程良き値段のところがあってね
こういう…
母 紫が好きだったんですけど
本当にキレイな紫のお花と…。
そう これ。
これでも相当でしょ? だって。
3000万じゃない。 もう 全然
そんなんじゃないんです。
それで 骨つぼだとかなんかも
選ぶんですよ。
青磁とか白磁とか
いろいろあって。
それから あの…
なんていうんですか?
お棺 ひつぎっていうんですか?
お友達の先生のご主人様は
それ ひつぎがね 手彫りで800万。
あんな大きなもの
手彫りで彫るの?
だって。
それで 800万なんだって。
だから いろんな方が
いらっしゃるなと思って。
本当に 1つずつ決めていくのね。
だから 死ぬの大変だなって
思ってたら…。
今度は 火葬場っていうところ…。
ええ。
「火葬炉の種類は
どうしましょう?」って言うから
「種類って あなた あの… なんか
ウェルダンとか ミディアムとか
レアとか
あるんですか?」とか
言っちゃって。
もう だんだん
イヤになってるんです 私も。
大変で。
あっ そう。 わからないしね。
そう。
そしたら なんだったの? それは。
それは そういう焼き方加減を
聞いているのではなくて…。
違うの?
松島家一人で炉を使うか
黒柳家 松島家…。
何個も一緒にやる時あるの?
何人かでね。 でも 炉は別ですよ。
炉は別?
ちゃんと
別にしてくれるんだけど。
そうやって やるんですって。
もう おかしくなっちゃってね。
まあ そういう事を
いろいろ決めて。
母が死んでから通夜までが
10日間ぐらいあったんですね。
随分あったのね。
そう。
スケジュールの取り方
私が下手だったんですね。
だから 2泊3日 死んでから
母は 私の家にいて
それから… なんていうんですか?
安置所っていう所に…
母は お棺に入っていく。
それで 告別式だったかな?
そしたら 皆さんが あの…
コチョウランが
いっぱい あったんですけれど
それを こう 母の顔の所なんかに
みんな コチョウラン 置いて。
ひつぎの中に入れて?
はい。
そして… こうやってるんですけど
これ 私。
それで コチョウランを下の方へも
ずっと敷き詰めて もう…。
お花で いっぱい?
はい。
そしたら なんか こう
白いコチョウランの
ウェディングドレスを
着ているみたい… 母が。
「ああ キレイ キレイ」って
皆様が言ってくださったから
オシャレな母は
うれしかったんじゃないかな。
おキレイなお母様だったしね。
ありがとうございます。
まあ 父からお預かりしたんだけど
母を。
だいぶ長く
引き留めちゃったなって。
お父さん 健さん。
満州… 中国東北部の方に
現地召集っていうので
そこで 兵隊に
いらっしゃったんでしょ?
その時は もう 私が
おなかにいたんでしょうね。
終戦後 捕虜になって…
シベリアの捕虜になったって
おっしゃったわね。
はい。
でも 割と そこで
早く亡くなったんですって?
そう。
ご両親は たった半年の
結婚生活だったそうです。
でも お母様が再婚なさらなかった
理由っていうのは
ここで お話しになってる。
ちょっと いいですか?
見ていただいて。
「必ず帰ってくるからって
おっしゃったんですって?」
(松島)「私 それ
全然知らなくてね
撮影で 父の眠ってる所に
行く事になった時に
ディレクターの方が サラッとね…
“お母様 なんで
再婚なさいませんでしたか?”って
サラッと お聞きになったら
あの… 母が
“お父様がね
絶対に生きて帰ってくるって
おっしゃったから”って」
「“たった1つの約束ですもの
守ってあげなきゃ”って」
「24歳 本当に若い時に
お別れになって
そのまんま 本当に
もう 半年くらいで
別れてしまったんだけど
一生 再婚なさらないで…」
「可哀想ですよね。
だから 本当 可哀想だった」
「あっという間にですものね
シベリアの方に…」
(志奈枝さん)
「もう 帰りたかったと…」
お母様を お父様に
返してあげる事ができたって
その時
お思いになったんですって?
ひつぎの中で 母が 本当に
白いウェディングドレスを
着てるように見えたので。
うーん… やっと 父のところに
返せたなっていう気がしてます。
95歳まで オシャレな
レディーだったっていうお母様。
自慢のお母様だったのね
あなたね。
はい。 だけど
もし あのまんま
95歳で亡くなったら
母は 立派なお母様だったって
言われてたと思うんですけど
私は 全く なんの親孝行も
してなかったから
5年5カ月ってものは
大変ひどい目に遭ったけど 私は。
うん。
だけど 少しは親孝行ができて
よかったかなって思ってます。
本当ね。
もう 介護が大変で
「仕事を辞めたい」って
ケアマネジャーさんに
言ったんですね。
「私 仕事辞めて介護に専念する」
って言ったら
「あなた この介護っていうのは
いつ終わるか わからない
闘いなのよ」って。
「あなたが仕事を辞めちゃって
お母様に尽くして
さあ お母さん 亡くなりました」。
「仕事くださいって
言いに行ったって
あなた… 70過ぎのあなたに
誰が仕事をくれますか」って。
うん。
「仕事は お続けなさい」。
「それじゃないと
逃げ場がなくなる」って言われて。
あっ そう。
本当に そうだったなって。
そうですよね。
はい。
仕事をやってる時には
全部 忘れられて。
今度も うーん…。
もう
久しぶりになるんですけれど
6月10日にコンサートを。
うれしいなって。
本当ね。
うん。
まあ その時に きっと また
いつも ついててくださった
お母様は いらっしゃらないから。
そうなの。
3歳の時の初舞台から
母は 袖にいたんですよ。
ずーっと いたのに
初めて いなくなっちゃっての
私…。
迷子になったみたいです。
母が なんだか面白い人でね。
私 家事
全く できないんですけれど。
って えばる事じゃ…
えばる事じゃない。
それで ある日 そうめんを
母に こう 食べさせてたら
年寄りには
あれ 短く切るんですってね。
そうなの… ああ そうなの うん。
あら まあ…。
でしょうね あんな長いもの うん。
そうしてたら それ 知らないから
こう 長いまま食べさせていたら
シンガポールの
マーライオンですよ。
バーッて噴水みたいに
噴き出して。
うわーって。
「すみません」って言って
こう 切って。 それで… 何?
おつゆをつけて
食べさせてたら
母が「辛い!」って言うんですよ。
なんで辛いのかと思ったら
あれは5倍に薄めると。
知らない…。
知らなかったの?
ええ? 辛かったんですよ 母は。
あなたが薄めなかったからね
うんうん。
そう。 それで
あと だいぶ経ってから
「ママ お昼は おそうめんで
よろしいですか?」
って言ったら
母が私を はったとにらんでね
「そうめん怖い」って言うの。
ハハハ…!
相当 おかしいね
あなたのお母様は。
覚えてるんだって。
おかしいの あの お人。
「そうめん怖い」だって。
フフフフ…!
でもね 5年5カ月も
私の作ったものを食べて
よく生き延びたと思って。
まあね。 フフフフ…!
話違うんですけど 今日 お召しの
その金色のキレイなレースは
お母様がお編みになった
ものなんですって?
そうなんです。 あれ… 私ね
なんか
母のものを持ってきたくて。
そしたら これ 母が手で全部…。
なんて
キレイなものなんでしょうね。
ちょっと お立ちに
なってみていただいていい?
すみません。 私 若い時はですね
これだけで着てたんですよ。
ああ 短くしてね。
そうそうそう。
それで 足 出して…。
ミニスカートで。
はい。
すごくキレイね
でも それがね 金で。
母と一緒に来られた
っていうような気がして…。
お母様も
出演していらっしゃるような。
光り輝くようなお母様。
お母様はね。
私は くすんじゃってダメですね。
でも あなた
全然 変わらないわね。
本当よ。 嘘じゃないわよ。
でも 母は 私の顔見てて
「トモ子ちゃん
どうして そんなに
老けちゃったの?」って言うのよ。
言ったの?
うん。
もう 私 腰抜けちゃって。
「あんたのせいでしょ!」とかって
言っちゃって。
そしたら なんだって?
「オホホホホホ…」
なんつっちゃって もうね。
笑ったの?
うん。 とぼけて。
面白いね。
面白い人。
今 お母様におっしゃるとしたら
何をおっしゃりたいですか?
はあー…。
母の娘でいられた事は
とっても幸せでしたっていう事と
でも 娘… バカな私としては
母って才能の
とっても ある人じゃなかったかと
思うんですね。
だけど 松島トモ子の
お母さんっていう事で
終わってしまったっていうのは
申し訳ないって。
他の人のお母さんだった方が…。
いつも一緒にいらっしゃるの
見てたから
いい親子だなと 今も 目の中には
その光景が残ってます。
うれしいです。
そうよ。
どうも ありがとうございました。
『徹子の部屋』は
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