出典:EPGの番組情報
インタビュー ここから「バレーボール元日本代表 荒木絵里香」[字]
バレーボール元日本代表主将の荒木絵里香さん。26年間バレーボールに向き合えた理由、そして出産を経て東京オリンピックをめざした日々を通して伝えたかった思いに迫る。
詳細情報
番組内容
バレーボール元日本代表主将の荒木絵里香さん。東京オリンピックを最後に現役を引退した。26年間バレーボールに向き合い続けられた理由とは。そしてロンドンオリンピックで銅メダルを獲得後に長女を出産。模索を続けながら東京オリンピックをめざした娘との日々。その思い出の場所でインタビューした。バレーボールも、子育ても、選んだ道を全力で駆け抜ける姿を通して伝えたかった思いとは。きき手は別井敬之アナウンサー
出演者
【ゲスト】バレーボール元日本代表…荒木絵里香,【きき手】別井敬之ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(ホイッスル)
(実況)止めた!
バレーボール 元日本代表のキャプテン
荒木絵里香さん。
荒木さんはチームの主力だった29歳で
長女を出産。
子育てをしながら その後も2回
オリンピックに出場しました。
東京オリンピックを最後に現役を引退。
娘と共に手探りで夢を追い続けた
荒木さんには 伝えたい思いがあります。
こういう人もいるんだ
こういう選択肢もあるんだって
いうところを知ってもらえたらいいな。
オリンピックも子育ても。
選んだ道を全力で進んできた
荒木さんの日々を聞きました。
愛知県刈谷市を本拠地としている…
荒木さんは引退してからも
「チーム・コーディネーター」として
月に10日ほどチームに同行。
練習を手伝いながら
後輩たちにアドバイスしています。
一つのきっかけになればいいかなと
思いながら話して 接しています。
ほんと ちょっとしたことで
選手って変わるので
自分もそうだったんですけど はい。
荒木さんは 1メートル86センチの
長身を生かしたプレーで
10代から日本代表に選ばれ
オリンピックに4回出場。
ロンドンオリンピックでは
キャプテンとして
日本の28年ぶりのメダル獲得に貢献。
長く中心選手として活躍しました。
小学校から始められたバレーボール
26年 今 振り返って
どんな時間だったと思われますか?
ほんとに私 下手くそで。
ほんとに下手くそで
多分 聞いてもらったら
分かると思うんですけど 関係者に。
もう みんなが「ああ…」みたいなプレーも
いつまでたってもやるし
もっとこう よくなれるっていう要素を
やっぱり自分では もう感じるというか
うまくならなきゃいけない
なりたいっていう思いは 本当にずっと。
まだ のびしろをずっと自分の中で
すごく感じてたし
うまくなりたいし
なれるっていうところで
バレーをまだやりたいっていう
思いがあって
長く競技を続けることができたのかなと
思ってます。
日本代表で活躍中の2009年 荒木さんは
世界最高峰のイタリアリーグに挑戦。
そこで目の当たりにした
バレーボールだけではない
日々の生活も豊かに過ごす
トップアスリートたちの姿に
衝撃を受けたといいます。
なんかこう 衝撃 新鮮というか
うん なんかこう 初めて知ることが
刺激が多かったですね。
なんか普通に 彼氏が
普通に練習見てるし
試合終わったら みんなハグして
キスしてるんです。
それが なんかもう日常なんですね。
まさに このあたりで?
ほんとに… 座って見てるんですよ。
そういうのが日常で
こんなオープンにできるのって
衝撃じゃないですか。
みんなバレーボール選手の自分と
自分の人生も豊かに過ごすっていう
そういう生き方っていうか
そういう考え方 みんながそれを
なんかもう それぞれが どう豊かに
自分の人生を生きていくか
というところを考えて
やっているというところに
衝撃を受けました。
やっぱり自分が日本で
バレーボールをしていると
なんかバレーボール選手の自分だけしか
考えてない。
じゃあ 他に…
…ていうのを
全然 こう イメージできなかったし
イメージしてる人も
いなかったなっていうのは思います。
発想の中になかったですか?
まさか結婚して
子どもを産んでっていうのは。
全然ないです はい。
全然なかったですし
まあ その時は まだ若かったので
そういうふうな選択肢も
自分の中では なかった。
じゃあ 結婚して出産もして でもまた
プレーを続けようよっていうのは
それはできることだっていう
確信みたいなものは?
う~ん… 確信はないです はい。
でも挑戦してみたいって思って決めた。
いつっていうところでいうと
ロンドンオリンピックが終わったあとに
やっぱり すごい達成感を
感じれたっていうのがあって。
メダルもとりましたしね。
はい。
その時に いくつか選択肢があって
悩んだんですけど
この 結婚して…
出産して復帰するっていうのを
まあ夫とも話 して なんかこれが
自分が すごいわくわくする挑戦だなって
いうふうに感じて決めました。
何でわくわくできたんでしょうね
その時に。
不安より そっちが先にたつって
すごいことじゃないですか。
そうですね 怖いですね。
あの時の自分 どうかしてたのかな。
でもなんか ほんとに
年齢的なこともあって
まだ その時 28~29ぐらいで
この挑戦するなら今が最後だなって
というのは考えました。
で バレーボールと
どう向き合いたいのかとか
自分が どういうふうに
生きていきたいのかっていうのも考えて。
で ほんとに母親のサポートも
得るっていうのもできて
夫も「一緒に頑張る 頑張ろう」って
いうふうに言ってくれて。
メダル獲得後に荒木さんは結婚
そして長女を出産。
母となり生活も体も全く変わった中
トレーニングを再開。
出産から1年を待たずに復帰しました。
体の変化はめちゃくちゃありました はい。
出産して 私
腰痛持ちではなかったんですけど
もう産後は ずっと腰痛との闘いで
「腰が!」って
もう何百回言ったか分からない。
あとは出産後 やっぱり
授乳をいつまでするのかとか
そういう体のところの正解がなかったし
どうしたらいいのかなっていうのは
模索しながらなところは
ちょっと苦しかった時はありました。
遠征で離れてて
搾乳して捨てたりとかしてる時は
「ああ これは こんなことしてて
どうなのかな」って
こう 産後ちょっと情緒も乱れてるので
そういう気持ちにはなりましたね。
例えば出産前にはできていた動きが
できなくなるとか
そういうような変化との向き合い方
っていうのは どうされてたんです?
もともと出産したあとに 前の自分に
戻ろうって思ってなかったので
なので そこはもう そういうもんだ
新しい自分になるんだ
新しいプレースタイルでやる
っていうふうに
自分の思考が
そういう思考にしてたので
「これ できてたのに これができない」
とかっていうふうには
絶対考えないように
最初から もう決めてました。
たくさんありますけど
できなかったことは。
でも 落ち込む必要はなかったわけですね
そのために。
落ち込む必要はなかったです。
でもジャンプ力は落ちました。
そうすると やっぱり荒木さん
出産されて もう一度現役に戻って
その成長とともに
競技を続けていくっていうキャリアは
ご自身の視野が広がるということに
つながったということですか?
視野は広がるし やっぱり捉え方が変わる。
例えば 監督が話してることも
前は言ったことを
例えば怒ってたりとか なんか自分が
ネガティブなこと言われたら
「はあ…」みたいな感じにしか
なれなかったけど
「もう…」みたいな感じしか
ならなかったけど
「この人は この監督は こういうことを
思って言ってるのかな」とか
「本当は これが伝えたいことで」とか
そういう なんか誰かが話す
例えば 監督って言いましたけど
誰が話すにも なんかそういうことを
こう考えていけるようになったこととか
やっぱり他の仲間に対しての
気づくことも多くなりました。
やっぱり調子 ちょっと悪そうだなとか
何かあったのかなとか
そういう声かけでも
変わっていったかなと思います。
それはふだん お子さんを見てるから
そういうことが磨かれてきた…?
どうなんですかね… でも
そういうわけではなく
多分 余裕というか 視野は広くなって
いったっていうところなのかなと。
子育て以上に
思いどおりにならないことって
あんまない気がして。
本当に なんかもう
そんな連続じゃないですか。
「ここで~!?」みたいなのとか
「寝な~い!」とか
もう なんか それに比べたら
結構チームで起きることとかって
そういうことは
あんまないのかなと思って。
分かる気がします。
子ども… 子どもを説得すること考えりゃ。
話 通じるみたいな。
ありますね なるほど。
その姿を どんな人に
特に見てほしいとか
何かを感じてほしいって
思ってらっしゃったことってありますか?
う~ん… やっぱり
まずは こう 目標に向かって
夢に向かって挑戦するっていうところを
それが何歳になろうと
どんな母親になろうと
できるっていうところを まず一番は
娘に感じてもらいたかったし
やっぱり働くお母さんたちとか やっぱり
これから そうなっていくだろう
女性たちに こういう人もいるんだ
こういう選択肢もあるんだって
いうところを知ってもらえたらいいな
っていうふうに思っては やってました。
その後 日本代表にも復帰した荒木さん。
合宿や遠征に参加するため
娘と過ごす時間も限られた中で
親子の思い出の場所があります。
娘とよく遊びに来た思い出の公園です。
公園というか
結構いろんなものありますね。
最初は2歳ぐらいで初めて来たので
その時 乗れなかった乗り物に
最後は乗れるようになったり
成長を感じますね。
荒木さんが一番こう
それに乗ってるお嬢さんを見て
楽しかったものって どれですか?
う~ん 何だろう…。
ジェットコースターに
乗れるようになって
一緒にワ~ッて言えるようになった時は
すごく なんか うれしかったですね。
しかもこれ 50円なんですよ。
1つ乗り物 全部。
すごいお得で。
本当に すごくいい時間を
ここで過ごさせてもらいました。
やっぱり離れる時間が多かったですし
その分 こう 一緒にいれる時間は
もう すごく大事に
貴重な時間だっていうのも分かってたから
全力で この時間は
こう 過ごそうっていうか
ほんとにメリハリがついてた。
娘との時間 過ごす時間が
本当にバレーボールしかしてなかった
してこなかった自分にとっては
本当に こう なんていうんだろう
新鮮ですし 今までもう
ほぼ走り続けてたのが
すごくこう ゆっくり歩くこともそうだし
季節を。
バレーボール選手ってそんなに
季節 感じないんですけど
やっぱり娘 通して いろんな こう
行事であったり季節をこう感じれて
本当にこう いる時間から もらう
エネルギーは私自身 大きかったです。
もう本当に 季節感じましたね。
いろいろ後ろ髪ひかれるような
思いをしながら
バレーボールへ向かわれたことも
あったんじゃないかと思いますが
何か思い出されることってありますか?
そうですね… 赤ちゃんの時から
やっぱりこう
6歳 7歳になってからっていうのは
全然違くて
分かるようになってからは 最初は
何日いないとかっていう感覚も
まだ分からない時から こう
「じゃあ3日いないからね」とか
「2週間いないからね」とか
そういう感覚が
分かるようになってからの方が 結構
大変だったかなっていうのはありますね。
こう 私が家出れないように
罠を仕掛けたりとか。
罠ですか。
はい。
もう 玄関までの廊下に
折り紙を敷き詰めて
「多分 ママどっかで転んで行けなくなる」
とか そういうのとか
あと毛糸で玄関を塞いだりとか
そうやって娘なりの こう思いを
たくさん伝えてきてくれてて
それでも まあ行くわけで
自分もやっぱり
考える時は何度もあったし
感情のコントロールが難しい時期も
あったりもしたんですけど
それでも決めたし
もう やり切る やり抜く
結果で伝えたいっていうものが
あったので
もうその一心で なんとかできました。
受け止めてないわけじゃないけれど
それに応えてあげるわけにも
いかないしってね。
本当に もう そうなんです。
いろんなことやって泣き叫んで
しがみついて引き留められたことも
何度もあるし
最後には もう諦めてました。
もう最後の方は もう。
「何やっても行くんでしょ?」
みたいな感じで
「いってらっしゃい」みたいな感じで
言われたこともあります。
それ 何歳ぐらいになってきてですか?
小学生になってからは…。
まあ 理解も
できてきたっていうのもあって
ちゃんと理解できるようになってからは
「ママは東京オリンピックで
メダルをとるって目標がある。
そこに向かって頑張りたい」
っていうことを ちゃんとこう 伝えて
それを ちゃんと分かってから
また変化はありました。
諦めたんじゃなくて
伝わったのかもしれませんね それって。
う~ん どうなんですかね。
本当に都合のいい解釈ばっかりして
ここまで なんとかやってきたので
将来 思春期になって何て言われるか
もう今から大体 想像して準備してます。
競技生活の集大成として臨んだ
東京オリンピック。
(実況)バックセンター 強力!
しかし 荒木キャプテンのもと戦った
日本代表は予選リーグ敗退。
メダルには届きませんでした。
お嬢さん どんなふうに
ご覧になってたんでしょうか?
自宅で家族と一緒に見てくれてて。
そうですね 最後の試合が終わった時に
「これでママ バレーボール選手
終わりだよ」っていうのを家族が言って
娘は泣いてたっていうのを聞いて
どういう涙なのか ちょっと
よく分からなかったんですけど
「ママがバレーボール選手じゃ
なくなっちゃう」って言って
泣いてたとは聞きました。
で 終わって入賞も
メダルもとれなかったので
娘が賞状を作って準備して
帰ったら もらいました。
♬~
感極まりました。
一緒に歩んで戦って ここまでこれたこと
一緒に歩んでくれたことに
本当に感謝しかないし やっぱり
結果で伝えたかったっていう
悔しさもありますし
申し訳なさもすごくありました。
けど 娘なりに
何かを感じてもらえたのかなって
いうふうにも思いました。
その「何か」って
今だったら何だと思います? それ。
何をお嬢さん 感じてくれたのか。
う~ん…。
夢中になること
一生懸命やることっていうことを
伝わってたらいいなって私は思いますし
今 やっぱり娘が習い事とかを
結構 一生懸命やって
本当 最近やり始めてくれて
これまで行ってても「何やってるの?」って
感じだったんですけど
なんか すごい
「これができるようになったよ」とか
そういう なんか
一生懸命やって 成長を感じて
それが楽しいっていうところを
すごく最近 話してくれるので
そういうところが やっぱ
伝わったのかなというふうには
思いました。
東京オリンピックから2か月後
荒木さんは現役を引退。
手探りの中 全力で挑んだ競技生活は
たくさんの気づきに満ちた時間だったと
振り返ります。
「こうあるべき」とか なんかそういう
「なんとかべき」っていうのが
すごい
「あっ これでもいいんだ」みたいな
こういう生き方もあるし
こういう考え方とか
こういうバレーボール選手とか
いろんな そういうのが
結構 自分の中で外れて その結果
こういう挑戦を選んだと思うんですけど
やっぱりこう そういう なんだろ
やっぱり 日本の社会の中で
まだ いろいろ
「母親とは こうあるべきだ」とか
「家族とは こうあるべきだ」みたいな
感じで語られたりとか そういうのに
縛られたりすることって
やっぱり多いと思うんですけど
やっぱり 私は私たちの家族なりに
こう いろんなことを話し合いながら
こうやれた やってきたっていうことに
これからも
続いていくと思うんですけど
しっかりこう
やっていきたいなとは思ってます。
ということは みんなが みんな
同じ道を別に歩まなくても
いいんだよっていうことですか?
そうですね 本当に 私は別に
ママアスリート…
出産して復帰するのが最高だよ
オススメだよとか
全然そんなことを
言いたいわけじゃなくて
いろんな選択肢があるんだよっていう。
そこを自分は
何を選ぶのかっていうところを
自分がどう選ぶのか どう覚悟を決めて
進むのかっていうところを
しっかり伝えていけたらなって
いうふうに思います。
♬~
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