出典:EPGの番組情報
100分de名著 日蓮の手紙 [終](4)「病や死と向き合う」[解][字]
日蓮ほど、弟子たちの「死の悲しみ」や「病の苦しみ」に向き合った人はまれだ。家族を失って絶望の底にいる人々にはとことんまで一緒に悲しみ、同じ目線から言葉をかける。
番組内容
日蓮が病や死と真正面から向き合えたのは、深い死生観があったからだ。波が生まれたり消えたりしても海そのものがなくならないのと同じように、生も死もその時々の現れ方に過ぎず、その人の「生命本体」は一貫している。この「生死不二」という立場に立つとき、私たちは死というものと本当の意味で向き合うことができるという。第四回は、日蓮の「死生観」を通して、人間は、病や死とどう向き合っていけばよいかを考える。
出演者
【講師】仏教思想研究家…植木雅俊,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】山内圭哉,【語り】目黒泉ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
人間 誰もが直面することになる
老い 病 そして死。
人の心を弱らせ 望みを失わせ
生きる気力を萎えさせる
永遠に逃れられない苦しみです。
「法華経」の教えを広めた日蓮は
自らの死と向き合いながらも
不安にさいなまれる人々を励ますため
手紙を書き続けました。
私たちは 老い 病 死と
どう向き合えばいいのか
日蓮の残した手紙から ひもときます。
♬~
(テーマ音楽)
♬~
「100分de名著」 司会の安部みちこです。
伊集院 光です。
今月は「日蓮の手紙」を読み解いています。
伊集院さん 前回 いかがでしたか?
そうですね
あの 日蓮 かなり新しいという。
そもそもの仏教。 で それを
きちんとしましょうという「法華経」。
それに まっすぐな日蓮。
ずっと古いもんなんですけど
めちゃめちゃ新しいですね 考え方が。
はい 先をいってましたよね。
はい。
では指南役 ご紹介します。
仏教思想研究家で作家の
植木雅俊さんです。
植木さん よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
日蓮が書いた手紙にはですね
まず 老いること それと病
死ということに苦しむ人たちに対する
手紙が たくさんあるんですね。
このテーマは 永遠のテーマですよね。
そういう 永遠のテーマについてですね
日蓮は一般論として論じるんじゃなくて
自分の弟子たちのですね
老いや病や死を通して
そこに この手紙で激励したりする。
そこにですね 日蓮の死生観が
抽象論じゃなくて 理想論じゃなくて
現実味を帯びてですね
この 語られてると。
そういったことが この「日蓮の手紙」から
読み取れるんじゃないかということで
日蓮の死生観を
読み解いていけたらと思ってます。
さあ では まずは病気で苦しんでいた
ある女性信者への手紙から
見ていきましょう。
こんばんは 日蓮です。
老 病 死。 今も昔も
人は 老いと病と死に苦しんでいます。
私の門弟の富木尼は
とても病弱でした。
いつも不安に駆られていたようなので
こんな手紙を送りました。
富木尼は
病弱であっただけでなく
いろんな不安を抱えて
思い悩んでいました。
エリート役人の富木常忍と
子連れ再婚をした富木尼は
姑のいる家庭の中にいて
肩身の狭い思いをしていたのではと
日蓮は慮っていたのです。
「心配は身の毒」という
言葉があるように
心が弱れば 体も弱ります。
心においては くよくよと
心配しないようにすることが
大事だと伝えたのです。
更に日蓮は 励ましの言葉を続けます。
どうしても 病を乗り越えてほしい。
そんな思いがあふれた 日蓮流の
苦しみからの克服法が書かれています。
この手紙を日蓮が書いた 1年半前。
蒙古襲来によって 多くの兵士たちが
九州地方に派遣されていました。
残された妻や子どもの苦しみを
思うことで
自分の現状の苦しみを乗り越えよと
言うのです。
どうですか?
少しは 今の苦しみを
客観的に見つめることが
できたのではないでしょうか?
あの 富木常忍の妻
あの病気がちだった富木尼に
書かれたものですが
まず 前半部分のところですね。
植木さん これは どういう気持ちで
日蓮は書いていると解釈されてますか?
富木尼は 死の不安に
とらわれてたんじゃないかということを
日蓮は感じてたんだと思いますね。
だから…
とにかく
マイナス思考になってますから
プラス思考に転じなきゃいけない
というんでですね
もう プラスの材料を
いっぱい並べ立ててるんですよ。
まず 年齢が若いと
しかも 「法華経の行者」ですよと。
しかも 信心もね 月が満ちるような
勢いがありますよということでですね
そういった例を挙げてですね
あなたは死ぬはずがありません
ということをですね
一生懸命 いろんな角度から 激励してる
手紙だと言っていいかと思いますね。
恐らく ちょっと
カウンセリングじゃないけれども
病そのものよりも
それを 殊更 悪く考えちゃうことが
恐らく 彼女にとって
一番悪いんだろうという
まあ 日蓮は診断を下してるというか
そういうところは
間違いなく 見て取れますね。 はい。
違いますねぇ。
はい。
そしてですね
更に こう続いていくんですね。
蒙古襲来で 鎌倉から
多くの男性が出兵したけれども
残された妻子の悲しみを思い浮かべなさい
というような内容が
書かれているんですね。
一見 あなたよりも
ひどい人がいるんだよ みたいなね この…
日蓮自身もですね
そういう 九州へ派遣された
その家族の人たちのことに
思いを同情してるように
富木尼にもですね…
多くの人が
自分が苦しい目にあった時には…
ところが そこから視野を広げて もう…
要するに…
…ということが
日蓮にあったんじゃないかと思いますね。
単純に
不幸な人もいるじゃないですか
あなたの方がマシですよという話とは
もっと違う
僕は 本音の話をしている気がして。
はい。
で このニュアンス すごく難しくて
受け取り方を間違えると
恐らく 嫌な受け取り方もできるんだと
思うんですけど
よく読んでると
端々に そういうことが出てるし
何より 多分 夫に励まされても
なかなか元気が出なくても
その夫が信頼する その日蓮が
こう書いてくれるということの力は
でかいかなと思いますね。
さあ 更に日蓮は
死との向き合い方も教えてくれています。
次は鎌倉時代の地頭 南条次郎時光の母
上野尼への手紙です。
上野尼は 家族の不幸に
立て続けに見舞われた人でした。
両親や兄弟を早くに亡くし
夫の兵衛七郎も 若くして亡くなります。
更に 家督を継いだ長男の太郎にも
18歳で先立たれます。
長男が亡くなったため
家督は次男の時光が継ぎました。
悲しみを抱える上野尼と時光は
「法華経」に帰依し
地元の日蓮信徒の
中心的存在になっていきます。
しかし このころ 幕府の
信徒たちへの弾圧は
激しさを増していました。
時光も 過剰な税負担や
重い労役を強いられ
苦しみを背負います。
そんな中でも
気丈に生きた上野尼ですが
時光の弟の五郎が
16歳の若さで亡くなるのです。
日蓮は 五郎の死の翌日に
上野尼に手紙を送りました。
何か しっかりしろっていうんでもないし
大丈夫だっていうんでもないし。 ねえ。
共に 共に悲しむっていう。
仏教は 諸行無常といって
あらゆるものはですね
いつかは なくなるという教えなんですよ。
でも それをね 身内を亡くした人に
面と向かって言うことは 酷ですよね。
で それはね やってないんですよ。
やってないですねぇ。
言ってるけれども くるんでる。
仏教の考えからすれば
人が死ぬなんてことは 僕も知ってます。
でも ドキッとしますよね。 それで
お説教されるのかもって思いますけど
それを逆に もう全く裏返しにして
そんな 分かってるはずの私でさえ
ちょっと動揺してるんですって
言われた時の 心の響き方みたいな。
そして こちらが後半部分ですね。
お母さんは
その嘆きの感情の方が先走ってて
それを言葉で表現するとかね
その思いを整理するとかいうことがね
できなかったんだと思いますね
あまりの嘆きでね。
なるほど。
…という思いがするんですよ。
それによってですね
自分の中にある嘆きを 悲しみを
言葉で表現してもらって
それを見た時に
内にあるものを…
この 身内の人の死を激励したって
激励にもなんないですよね。
それは もう…
その事実をね。
更に このあとですね
こういう手紙も送っているんですね。
もう 2年たちましたねという
ひと言では
お母さんの気持ちを
言い尽くせなかったんだと思いますね。
そのことをくんだ表現じゃないかと
思うんですね。
単純に 日で数えりゃいい
ということじゃないんだけれども
寄り添ってく その死を ずっと抱えて
寄り添ってくしかないということは
多分 よく分かってるんでしょうね
日蓮は。
この 「四百日余り」というのはね
日蓮自身もね
そうだったんじゃないかと思いますね。
「四百日余り」 ずっとね
五郎のことを思ってたんでしょうね。
そうですよね。 で そのことが
よく伝わる手紙ですね。 はい。
さあ では最後に
日蓮の死生観を読み解いていきましょう。
日蓮は 人間として生まれて生きる
生を全うする
一日でも長く生きる
そのありがたさを 人々に訴えました。
そんな 日蓮の死生観を表した
手紙があります。
上野尼の息子 五郎が亡くなってから
4か月後に送られた上野尼への手紙です。
当時 我々の生きている現実世界は
穢れた国土であり
死後に極楽浄土にいくことで救われる。
そんな考えが広まっていました。
「死後に別世界で救われる」
この考え方に 日蓮は異を唱えます。
その上で 私たちが今 生きている
現実世界の中で
常に立ち返ることができる場所を
「霊山浄土」という言葉で
表現しました。
日蓮は 生と死は 生命の
二つのあり方であると考えていました。
人間は ある時は
生きているという あり方をとり
ある時は
死という あり方をとりますが
その人の「生命本体」は
一貫しているというのです。
例えば 波は 風が吹けば生じます。
しかし 風がやめば 波は消えます。
波は いわば 生と死を繰り返していますが
そこにある水は変わりません。
そんな「生命本体」がある場所が
「霊山浄土」だといいます。
私たちは 「法華経」を通して
自己と向き合うことで
日々 「霊山浄土」に
立ち返ることができます。
そこで
死者たちと会うことができるのだから
不安になることはないと励ましたのです。
1282年9月 60歳を超え
日蓮は 自分の死と向き合います。
そして 最後に
日蓮の生活を支えてくれた
門弟の波木井実長宛てに
こんな手紙を残しています。
この手紙から ひとつきほど。
日蓮は 病を悪化させ
死の床につきました。
今は 身延山で静かに眠っています。
日蓮の死生観は この手紙に
表現されているということですが
この霊山浄土 一体 何なのか
もう一度 教えて頂けますか?
日蓮の言葉ではですね 一歩も行かずして
そこに行かなくても
日夜に 霊山浄土に往復するという言葉が
使われてますね。
地上世界というのはですね 対立の世界
人間関係の ぎくしゃくした社会ですよね。
そこで まあ命が汚れたりね
穢されたり 悩んだり 苦しんだりする。
…を意味してるんですね。
すなわち まあ 我々の命の本源と
言ってもいいかと思います。
そしたら 霊山浄土っていうのは
死者と対話をする
死者と会う想像の世界という捉え方で
合ってますか?
必ずしもね死者と対話するだけのことじゃ
ないんですけどね。
そこには
死者とも いらっしゃるでしょうから
その人と対話ができるということを
含んでるんだと思いますね。
天国とか 死後の世界とか
一切 信じないんですけど
ある時から
お墓参りに行けるようになったんです。
セルフカウンセリングなんだけど
「おじいちゃんだったら どう言うかな?」
っていうことを尋ねて
まあ うちのじいちゃんの性格だと
こう言うだろうなっていう
その感じが
ちょっと今のやつ したんですよね 何か。
生と死が 割と一体のものだったりとか
僕は 今んとこ
その儀式を お墓でやりますけども
どこでも 気持ちのつくり
霊山浄土にできるっていう解釈は
当たらずとも近いですか?
近いと思いますね。
それを究極的なとこまで深めていくと
その人も自分も バーチャルも現実も
あんま なくなっちゃって
何か 死者や 今 会えない人と会ってる。
僕が 今あるのはですね
中村 元という
東大名誉教授の
おかげなんですけれども
もう 亡くなって
22年になりますけれども
この 僕 毎日ですね
対話してるんです。
今 こんなことで困ってます
分かりませんとかね。
そうするとですね 守られてるかなという
思いがするんですよ。
…ということを言ってるわけですよ。
植木さんは 日蓮の死生観から
今の私たちが学べることというのは
一体 どういうことだとお考えですか?
日蓮も 原始仏教もね…
欲望であると。
ところがね その生きてる充実感を
何で満たすかが問題だと。
多くはですね この…
それは いつかはですね
衰えるものでしょう。
いつまでも永続するもんじゃないですね。
…ということが 一番大事ですよと。
自らを 一人の人間としてね
磨いていきなさいという生き方が
大事ですよということをですね
日蓮は言いたかったんだと思いますね。
はい。 植木さん 4回にわたって
ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
♬~
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