出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 三沢あけみ[解][字]
~歌手生活60年…2度の“がん”を初告白~三沢あけみさんが今日のゲストです。
◇ゲスト
歌手デビュー60年を迎える三沢あけみさんがゲスト。これまで伏せていた2度の「がん」についてこの番組で初めて公表を。
◇番組内容
10年前に乳がん、3年前には肺腺がんを発症したがどちらも伏せて歌手活動を続けていた三沢さん。2度のがんを経験したからこそ今伝えたいこととは…。デビュー年に発売された奄美大島が舞台の曲『島のブルース』は、ご当地ソングの先駆けとして大ヒット。歌手の前にはドラマ『笛吹童子』で女優デビューし、初舞台では長谷川一夫さんと初めての共演を。長谷川さんの指導は厳しかったという当時の思い出を貴重映像と共に振り返る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- 与論島
- 気持
- 記念館
- 元気
- 大変
- 着物
- 徹子
- 部屋
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
♬~(三沢)「奄美なちかしゃ」
♬~(一同)「蘇鉄のかげで」
♬~(三沢)「泣けばゆれます」
(黒柳)
この曲の大ヒットから約60年。
ご当地ソングの先駆けとして
大人気
歌手の三沢あけみさんです。
今日のお客様。
どうぞ こちらへおいでください。
実は この10年で2度も
がんを発症していらした事も
初めて お話しくださいます。
どうぞ お座りください。
どうも こんにちは。
よろしくお願いします。
奇麗なお洋服。
いつもね
ずっと お着物で歌ってたんです。
でも
すごく洋服に憧れてっていうか
普段は洋服なんですけど。
こういうドレスみたいなの
あんまり着ないんで。
今日はトークなんで。
徹子さんに お目にかかれるんで
作ったんです 2枚。
そしてね もう1枚のを
本当は着たかったのに
このバックの色と…。
あっ グリーン…。
全く一緒になって
同化しちゃいそうなんで…。
あっ そう。
でも 今 それも とっても可愛い。
ありがとうございます。
本当 可愛いわ。
ありがとうございます。
すてき。 うん。
ねえ。 よく そういう模様が
ありましたよね でもね。
大きなバラのような…。
そうですね。
でも その靴が また…
よく そんな光ってる靴が
ありましたね。
これね 憧れてね
買ったんですけど
ずっと履けるところが
なかったんです。
あっ そうなの?
で 今日 初めて履いたんですけど。
すごい奇麗。
すごいビカビカ…。
ねえ。 ピカピカ。 奇麗。
ありがとうございます。
すてきです。 どうも。 すてきです。
さあ 今日は
色々なお話を伺うんですけども。
びっくりしたんですけど
10年前に乳がんなさって。
はい。
それから 3年前には
肺腺がんをなさったという。
のちほど
詳しく お聞き致しますけれども。
13年ぶりに
ご出演頂くんですけども
あなたは なんと
17歳で歌手デビューなさって
それから60年をお迎えになる。
はい。
すごい。
ありがとうございます。
もう
皆さんに支えて頂きながら…。
こんなに長く歌っているとは
自分でも びっくりしてる…。
でも あれですよ。
デビュー年の時に
大ヒットしたのが
『島のブルース』。
ご当地ソングの先駆けとして
大人気になって。
でも あの頃と あなた
今 こうやって拝見してると
全然 お変わりないみたいに思う。
いえいえいえ…。 もう…。
本当。
デビューの頃は すごく老けてて。
年上の女性に憧れていたところが
ありまして。
とにかく 芸能界に入ったのは
14歳なんですけど。
実はね テレビ朝日に
貴重な映像が残ってたんですよ。
えっ?
ちょっと ご覧ください。
はい。
♬~「奄美なちかしゃ」
♬~(一同)「蘇鉄のかげで」
うわー。
うわー 奇麗。
♬~「泣けばゆれます」
うーん。
これ マヒナスターズとの
デュエットだったんですって?
はい そうですね。
本当に デビュー作も
マヒナの皆さんとご一緒で。
これ 2作目なんですけども。
あっ そうなの。 ええ。
この曲が出た途端に
バッと売れて 新人賞 頂いたり
『紅白』に5回 出させて頂いたり
とても スタート ラッキーに…
歌い手としては
スタートは よかったなと…
今 本当に
ありがたく思ってます。
そうですよね。
それで ずっと…。
あっ 頭も ああいうふうに
向こうの方みたいに…。
はい。
これはね あしべって
昔 あったんですよ 銀座に。
知ってますよ。
私のデビューの頃には
なんていうのかしら
ロカビリーとかが全盛の頃で
私 歌謡曲なのに
1人 このあしべで
たくさん歌えるようにって
ここで練習させられたんです。
その前で撮った写真なんです。
うわ 懐かしい。
なるほどね。 色んな方の名前とか
色々 書いてあって。
あしべって
当時は大変でしたよね。
そうですよね。 本当に もう
楽屋も ちっちゃい所で…。
シャンソンとかね
そういう方たちが
お出になったりしてたでしょ。
はい はい。
でも あなたは奄美大島に歌碑と
それから
記念館が建てられたとかで。
まあ 歌碑はね 恩師の先生が
あちらのご出身なので
建てさせて頂いたんですけど。
記念館は 私 それこそ 先ほど
ちょっと ご紹介頂いて…。
がんを患ったりした時に
歌唱ショーからアルバムショーで
色々 頂いた…。 それ うちに
飾ってあったんですけど
もう 断捨離みたいな気持ちに
なっちゃって。
これを このままにしといたら
もったいないし
私の証しだと思って
奄美のほうの方に お願いをして
じゃあ 『島のブルース』の
記念館という事で
飾ってくださるという事で
こういうものを造って頂きました。
それの 全部… 後ろに
あなたがおもらいになったもの
全部ね…。
すごく いっぱいありますよね。
記念館って 本当に なんか
おこがましいんですけども
でも 私が もしもの時には
ここへ… 見て 皆さんに…。
そうよね。
どういう歌手だったかってね。
それは すてきだと思います。
60年間
歌い続けていらっしゃった思いは
どんなですか?
いや もう なんか
前ばっかり見つめて
走り続けてきて
ふと この60周年で
振り返ってみたら
うーわ…
まあ 色々あったんだなって。
でも あまり振り返る事が
好きじゃなくて 性格的に。
前ばかり見て
走ってきてますから。
皆さんに支えて頂いて
本当に ここまで
やってこれたのは
ありがたい事だなと…。
あっ 女優さんとしても
随分 ご活躍だったでしょ?
歌手の前に…。
ですから それを入れたら
63年ぐらいになっちゃう…。
そうですか。
でも まあね ずっと歌い続けて
いらっしゃれたっていう事がね
何よりも…。
本当に 皆さんに応援して頂いて
幸せです。 ありがとうございます。
長野県のご出身で
6人きょうだいの末っ子で。
どんなお子さんだったんですか?
小さい時は。
あのね 私の上が13上なんですよ
姉が。
だから すごく離れて…。
あっ これなんですけど。
大変だ。 みんな ご飯食べてる。
これは家族全員集合なんで。
で 姉が13違うんで
私は… いくつだったかしら。
小学校1年ぐらいの時に
姉は二十歳ぐらいなんですね。
本当 ペット代わりというか
年が離れているんで
一人っ子のように
みんなに可愛がって
育ててもらいました。
デビュー当時は お母様と
京都で
お暮らしになってたんですって?
はい。 7期ニューフェイスで
入ったんですけど。
年も若かったんで
京都の撮影所に
配属になったんですけど。
1人で行くと
女子寮に入れられるから…。
父親は
芸能界 反対な人ですから
母親がついていけ
っていうんで
太秦の撮影所の隣に
小さいアパートを借りて
そこに住んで
1年半ぐらい おりました。
あれですよね。
『笛吹童子』なんかは
出ていらっしゃいましたよね?
私 覚えてます。
はい。
このテレビ朝日で…。
そう。 北大路欣也さんと…。
生で それも 時代劇を…。
そうですよね。
もう 本当に セットね
できてる所を
人間が駆けずり回って
その次のシーンに…。
そう。 着物なんか脱ぎながら…。
そう。
で 足音も
聞こえてはいけないみたいな。
チョッ チョッと歩いてね。
本当にいい体験させて頂きました。
そうですよね。
あれから出ていらしたから…。
もう 今
生ドラマに出てた人なんて
ほとんど
お会いする事ないですよね。
ないです。
でも 1981年っていう…
だいぶ前なんですけども。
東宝歌舞伎で
新春特別公演で 初めての舞台で
長谷川一夫さんとご一緒になった。
そうなんです。
びっくりしますよね
当時ね
長谷川一夫さんと一緒なんて。
『島のブルース』が
すごくいい形で出て。
で ゲストという事で
長谷川先生とご一緒? って。
その時に出た女優さんが
また すごいんですよ。
木暮実千代さん?
えっ! すごい。
それから 淡島千景さん。
すごい。
それから 岡田茉莉子さん
朝丘雪路さん
そして 長谷川稀世さん
お孫さんの佳奈ちゃんとご一緒。
そんなところの1月公演で
怖いもの知らずで
こんな大女優さんと
長谷川先生に交じって…。
長谷川一夫さんっていうのは
どういう方でした?
いや もう…。
やっぱり なんか
オーラがおありで
近づいても
お話もできないような
雰囲気なんですけども。
でも ちゃんと見てて
私の舞台稽古なんかには…。
私 お姫様の役をやったんですね。
そしたら こういうふうに
顎を上げてたみたいなんです
セリフ 言うのに。
客席に座ってて
マイクで 「顎 下げなさい」
「お客様が客席から見てたら
顎ばっかりしか見えないから」
って言われたり それから
白塗りにしなきゃいけない…
真っ白に。
それが 慣れてないんで
ちょっと あんまり…
下手だったんですね。
そしたら ちゃんと パッと
お弟子の方に指示して
「あの子のお化粧 おかしいから
見てやってください」って言って。
足も このぐらいしか
塗らなかったのに
膝まで塗れって…。
踊り 踊ってんのに 急に…。
段だら模様… 足が段だら…。
足の半分しか塗ってないの。
だから すごい そうだとか…。
そういうとこも 全部
ご覧になって。 すごい。
すごい… そんなに
長谷川さん パッと見て
チェックされるんですね。
『徹子の部屋』に長谷川一夫さん
出てくださってるんですけど
ちょっと ご覧になります?
はい。 へえー。
「宝塚のね
お嬢さんばっかりなとこで
演出をなすって また これが
大当たりだったんですけど」
「どんな事から おやりになる?」
「本当 ラブシーンだの
歌を歌うっていうのは
いいポーズで
やらなきゃならないっていう事を
忘れちゃうんですよね」
「ああやって こう
接吻しなきゃならない
ポーズがあったら
これは 寝てる子が
たまらないっていうの」
「背中を こうやってね
浮かんで
こうやらなきゃならない」
「そういう時には
こうやってる手を
ずーっと
こっちに ずらしていくんだと」
「すると いやが応でも
こういう姿勢になって
顔がここにあるから
こっちの顔と こっちの顔が
こうなるだろと」
「お客様から見たらね
いい格好に見えるの」
「本人からしてみたら
この腰は こう ねじってる」
「下にいるのは こうやって
体を こうやんなきゃできない」
「それが… 芸っていうのかな」
ああー。
いかに大変かっていう事を…。
やっぱり ねえ
おっしゃっていますね。
そうそう そうそう。
でも お奇麗ね。
やっぱり 独特なお顔ね。
すばらしいですね。
本当。
本当に すてきな方でしたね。
私もね 若い時に映画 見たんです。
古川ロッパさんと
一緒にやっていらっしゃったね
長谷川一夫さんを。
ああー。
その方を 『徹子の部屋』で
ああいうふうに
お出迎えできた時って
本当に うれしかったですよ。
うわー! なんて思って。
芸能人になってよかったなんて
思っちゃって。
そうですよね。
私も 本当に
いい体験させて頂いて。
お孫さんが すごく 私…
一番下で そんな大女優さんと
長谷川先生の中に入ってますから。
佳奈ちゃんって初孫さん…
初舞台で お出になって。
一番下同士で仲良くなって
休憩時間とか 楽屋で
色々 楽しい事やりました。
なんか 水墨画なんて
描いていらしたんですって?
佳奈ちゃんが絵描いて
持ってきてくれるんです。
で 私も描いてみようかな
っていうのがきっかけで。
あっ そうなの。 これ あなた
お描きになったの?
そうです。
すごい。
でも この当時
いっぱい描いたんですけど
この先生がね… 今 ないかな。
『平凡』っていう本があって。
そこの編集局長で
斎藤局長っていらして。
その方が絵の先生なんです。
あっ そうなの。
そう。
ところが その先生
お亡くなりになっちゃって
それから ガックリきて
私も描く気がなくて
今 ちょっと
描かないんですけど。
あっ そうなの。 でも 可愛い。
フフ。
でも あれですよね。
60代の時 スキューバダイビングを
お始めになったんですって?
そうなんです。
きっかけは どういう事で?
テレビの ある番組で
石垣島へ行った時に
前の日… 前乗りで
時間あるからやってみないか
っていうのがきっかけで
やってみたいと思って。
すごく好奇心があるほうなので。
体験ダイビングっていうんですか。
やったんです。
そしたら もう こんな楽しいのは
ないなと思って
ハマっちゃいました。
あっ これ そうですか?
そうです。
これは それから だいぶ経って。
でも おかしいでしょ?
あのね 水の中で
毛が入ったりすると
怖くて駄目なんです。
もし こうやったら…
そそっかしいですから
あれを一緒に外したら
もう 命懸けでしょ。
だから 絶対に毛がつかないように
キャップして…。
なるほど。
で ダイビングしてました。
あっ すごい すごい。
はい。
でも 相当… 海の中って
こんなになってるのね。
そうなんですよ。
この横ね ウミヘビが
こう 行ったりするのが
なんか 気持ちが悪い…。
でも よくやったなって。
本当ね。
どういうとこが魅力的?
そういうのって。
いや もう なんていうのか
全部 忘れて
そのところだけに
集中できるところが
すごく気持ちがフレッシュになって…。
なるほどね。
がんに おなりになった事を
公表しようってお決めになった
なんか 決め手はありました?
今日。
いや 本当に10年前の話…
十数年に… ねっ。
で もう 誰も知らないし。
言うきっかけというか
やっぱり イメージが
なんか がんと
あまり かけ離れてるので。
あなた お元気な方だからね。
そうですね。
なんで スタッフも じゃあ
このまま そっとしておいて
っていううちに
ずるずる ずるずるきてしまって
こんなに
月日 経ったんですけども。
でも こうやって おかげさまで
元気になりましたし。
で 私も その中には
色んな大変な闘いが
あったんですね。
で ここまで元気になったなら
世の中の方で やはり…
がんと闘ってる方
たくさんお見えだと思うし。
もしかして 私をご覧になって
あっ 三沢あけみ
あんなに元気なら
もう 私たちだって
頑張るっていう
そんなお気持ちになって 少しでも
頂けたらいいなと思って
今日 お話しさせて…。
あっ そうですか。
まず 10年前に乳がん。
はい。
でも がん検診は
受けていらしたでしょう?
してたんですよ。 してたのに
たまたま… 検診って
すごく嫌なんですよね。
挟まったりなんかするの?
こんな…。
触るだけじゃなくて
針みたいなのを…。
そういうのでやるの?
やっぱり おかしいからって。
で それをやって
やっぱり そうだという事で。
やっぱり がんがあったの?
あったの。
で 手術をしたんですけど。
でも 私 その時 忙しくて
仕事を… 皆さんに
迷惑かけちゃいけないと思って
化膿しちゃったり 色々して。
あら。
本当に… 抗生剤ですか?
飲んで 抑えて抑えて…。
でも 仕事をしなきゃいけない。
仕事場では 誰も知らないんで。
そうそう。
お着物を着るのも
痛いんだけど 痛み止め飲んで。
で ここ 結わくひもを
ここへ グーッと…
この辺に下げて。
で 軽装物ってあるじゃないですか
あの帯が細いやつ。
あれで こういうふうなのにして。
襟は 刺繍襟でボーッと着て
袖も ちょっと こうしたら
また新しいファッションの
一つみたいに着物も着れて。
そしたら ファンの方とか
皆さんに
「三沢さん この頃
すてきな着物の着方
しますね」とか言われて。
そうじゃないのよ。
でも 本当は それを隠すための…。
自分では 違うのよって
言いたかったけども
「そうですか」って言って
そこを通り抜けて。
おかげさまで 今は普通に…。
時々 こういう… なんていうか。
気温の変化とか
気圧が悪かったりすると
やはり ちょっと響きますけども。
あっ そう。
じゃあ 手術はなさったの?
手術したんです。
取ったんですか? それで。
化膿してる所から
くりぬいて取っていったの。
だから そのあとが
すごい怖いんですよ。
ちょっとね 怖いですね。
そのあと…。
で やっと落ち着いて…
と思ったら
3年前に 人間ドックで
肺が ちょっと
おかしいとか言われて
ええー? と思って。
で やっぱり 検査したら
「うーん。 もしかしたら…」って
言われたんで。
今度は肺の手術。
肺腺がんっていう…。
そう。 でも その時
「もしかしたら」なんで。
でも もう もしかしたらで
もし 肺も… 嫌なんで
とにかく
やってくださいって言って。
きょうきゅう…
胸腔鏡とかいって
カメラを入れ込んで
で その悪い所を取ってしまう
っていう手術なんですけど。
もう 上手な先生で。
次の日 歩ける状況ぐらいで。
本当。
はい。 で ええー? と…。
そっちは なんともないの 今も。
でも 右の肺は
取ったんですって?
取ったの。
あとでね 見せてもらったら
うわ レバーみたいなのを
2枚も取られて。
でも それで… それ見た途端に
焼き肉のレバーは
もう 食べたくないと…。
フフフフ…。 あんな感じ?
うん。 あんな感じで。
でも 右の肺を全部
お取りになったりすると
歌う時 どうなるのかしらって
心配はなかった?
私も それが
すごい心配だったんですけど。
でも 先生が「大丈夫です」って
言ってくださって。
で 今も… 大丈夫なんですね。
でも 自分で
ペットボトルに水入れて
ストローで
ブブブブブーって息を…
深呼吸みたいにやって
ブブブブブーって言うんです。
そうすると ちょうど
ダイビングをしてるような…
海の中で ブクブクブク…。
あっ そう。
あれを思い出しながら
ブーってやって。
なるべく 楽しい方向に
自分を持っていかないと
あんまり暗く…。
そうですよね。
だから そうやりながらも
リハビリしながら
やってまいりました。
あっ そう。
でも 随分
発声練習したりなんかして
やっぱり お声がね
お出になるようになって。
そうですね。 でも やっぱり
以前は発声練習なんて
した事なかったんですけども
最近は やっぱり
先生に来て頂いて
で 発声を少しやらなきゃと思って
やるようになりました。
あっ そうですか。
そうすると やっぱり
やらないよりは
ずっといいでしょ?
全然違う。
もうね 私は早くに発見して
ステージⅠで 両方 済んだんです。
あっ そうなの。
なので
とにかく おかしいと思ったら
怖いけど 検査は行って…
早く行って
自分で確認して 治療されたら…
今 こういう時代ですから。
で 私は… なんていうか。
抗がん剤でやるのは
とても嫌だったんです。
色々 お友達とか見てると
すごく変化があるので
できれば 取っていっちゃえ…
がんになる所を取っていっちゃえ
みたいな
そういう気持ちだったんで
取っちゃったから。
あと その事で変化が
あるかないかの検査だけで
あとの あれは なんにも…。
でも そのあと なんにも
転移しなかったの?
しなかったの。
それが よかったですよね。
今の段階はしてないし
早くに… 早期発見すれば
問題ないと思いますね。
なるほど。
三沢さんは76歳で お一人暮らし。
はい。
で 愛犬の世話が
生活の中心だそうですけども
そうなの?
今はね 本当に…。
男の子…
トイプードルなんですけど
もう 本当に
息子みたいになっちゃって。
可愛いの?
可愛い。
ちょっと見せて頂きます。
あっ 可愛い。
「ミッキーちゃん 奇麗奇麗しよう。
奇麗奇麗しましょう」
「もう一回 奇麗奇麗だー」
ちゃんと 言う事が
わかってるのね。
だんだん わかってきて。
「お庭 お散歩。 お散歩しましょう。
お散歩 嫌? もう」
フフフフ…。 可愛い。 嫌だって。
嫌だって。
可愛い。
「いいなあ。 はい」
いいわね お庭があって。
こちらに向いて部屋を…
だから 日当たりのいいほうに…。
あっ そう。 うん。
あら 可愛い。 可愛い。
で 60周年記念のシングルの
『与論島慕情』っていうのが
今年1月に発売されたと。
そうです。
与論島だと思ったら 与論島に…。
与論島。 ちょっと…。
♬~「離れ小島の 与論島」
うわー 奇麗。
ねえ。
でも まだ行った事ないんです。
あっ そう。
お歌だけで。
すごい奇麗ね。
ねえ 本当に。
こういう島の歌を
歌ってご覧になって どうでした?
今年 60周年で 奄美大島も
世界自然遺産
登録記念の年なものですから
それも兼ねて 記念曲という事で
あえて 南の… もっともっと南の
与論島をテーマにした曲を
新曲として
歌わせて頂いてますけども。
癒やしというか ほっこりする…。
ちょっと
ハワイアンっぽいんですけども
でも とても ほっこりする歌で。
一生懸命 大切に
歌っていきたいなと思ってます。
そうですか。
はい。
何歳ぐらいまで 歌い続けて
いらっしゃりたいですか?
そうですね…。
まあ 自分の持ち味は
甘い声で コブシ コロコロで
艶がある歌だと思うんで。
それが皆さんに通用するかなって
思える…。 フフフ…。
間は?
間はと思ってるんですけども。
じゃあ 当分 大丈夫だと思います。
フフフフ…。
でもね いずれにしても
人の前で お話ししたり 歌ったり
そういう事ができるっていう事は
本当に お幸せでしたよね。
本当に そうです。
ありがたいと思ってます。
ここまで 本当
皆さんに支えて頂いて
改めて感謝します。
いい先生に巡り合えた…。
そうですね。
みんな 病院行くの嫌だけども
しょうがないですよね
やらないと。
ぜひ 早めに いらしてください。
どうも。
今日は ありがとうございました。
『徹子の部屋』は
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