100分de名著 アリストテレス“ニコマコス倫理学”(2)「幸福とは何か」[解][字] …の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

100分de名著 アリストテレス“ニコマコス倫理学”(2)「幸福とは何か」[解][字]

アリストテレスの倫理学は「幸福」という古今東西の誰もが深く願うテーマを軸に展開している。だからこそ二千数百年の時を超えて現代においても深く影響を与え続けている。

番組内容
「幸福になりたい」という願望は誰もが抱くものだが実際に「幸福」になるのは容易なことではない。真に幸福になるための地道で手堅い道筋を示しているのが『ニコマコス倫理学』なのだ。第二回は、「義務」や「禁止」といった概念を軸にした堅苦しい倫理学ではなく、幸福な人生の実現へと読者を導いてくれる実践的な指南の書としてこの本を読み解き「社会的生活」と「観想的生活」という幸福の二類型について明らかにしていく。
出演者
【講師】東京大学大学院総合文化研究科教授…山本芳久,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】小林聡美,【語り】小坂由里子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格

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  19. 目指
  20. 誘惑

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

あなたにとって 幸福って何ですか?

古代ギリシャの哲学者
アリストテレスは

幸福について
こんなふうに言っています。

哲学者が探し求めた幸福とは 何なのか。

アリストテレスの
「ニコマコス倫理学」を通して

現代に通じる幸福観を読み解きます。

♬~
(テーマ音楽)

♬~

「100分de名著」
司会の安部みちこです。
伊集院 光です。

今月は アリストテレスの
「ニコマコス倫理学」を取り上げています。

アリストテレスの倫理学というのは
幸福を目指して

実践していく学問というところまで
来ましたね。

伊集院さん
ここまで いかがですか?

何かこう 倫理学っていうと 絶対的な

ちょっと
お説教くさいことなのかなと思ったら

ちょっと幅が大きいというか
優しいというか

だから ちょっと倫理学というものの
先入観みたいなの 少し解けましたね。

しかも 2, 000年以上前っていうね
すごいですね。 はい。

すごい名著ですね。
指南役 ご紹介します。

倫理学 哲学がご専門の
東京大学大学院教授 山本芳久さんです。

よろしくお願いします。
よろしくお願いします。

第2回のテーマは 「幸福とは何か」
ということで冒頭部分から見ていきます。

さあ 伊集院さん
どこに引っ掛かりますか?

僕も恐らく 何かをする時に
善を目指してるわけですよね

自覚がなくとも。

やっぱ大問題は 善って 善って何よ?

最終的に目指すところ
その 幸福って何よ? ですよね。 はい。

じゃあ まず
善から見ていきましょう。
はい。

善には 3つの種類があるそうなんですね。

これら全てが善なんですね。

現代の日本語で考えてみても
我々が 「よい」という言葉を使う時に

道徳的に善いという意味で
使っていることというのは

実は それほど多くない。

お金などが よいとか
あいつは いいやつだとか言う時にも

使えるやつだ みたいなですね

有用的な意味で使うことというのも
結構あるわけですよね。

その意味では アリストテレスが
この定義している善というのは

さほど この 我々の現代使っている
よいという意味と

大幅に ずれてるものではない
というふうに私は思っています。

最近 若い子の言葉遣いの はやりの中で
「よきよき」という。 ありますね。

あるじゃない。 っぽいよね 何か。
そうですね。

それっぽいですよね。
自分の買ったものが「よき」だったりとか

音楽聴いて 「よき」っていうの
割と使うんですよ。 似てる。

アリストテレスの…
アリストテレス語。
「よき」ですね。

そうですね。

…という意味ですから
まさに重なると思います。

前回ですけれど
私たちは 最後の究極的な善である

「幸福」を目指すと学びましたよね。

この3つの善とは
どう絡み合ってくるんでしょうか?

そうですね 幸福が最高善と
究極目的ということになるわけですが

何か この 快楽だけでは

やはり 何か このバランスの悪い
人生になってしまいますし

逆に 道徳だけというのも 何か
つまらなかったりするわけですよね。

さあ アリストテレスが考える幸福は
どんなものなんでしょうか?

朗読は 俳優の小林聡美さんです。

皆さん こんにちは。
倫理の時間です。

アリストテレスは
「幸福」について こう言います。

しかし 幸福とは何かという時
人々の意見は食い違うと

アリストテレスは言います。

例えば 大衆は幸福を
「快楽」や「富」と考える。

お金持ちは 「名誉」を
幸福と考える。

同じ人物でも 病気になれば健康を
貧乏になれば 富を幸福と考える。

でも 実は「真の幸福」は
そういうものではないと

アリストテレスは言います。

じゃあ 彼の考える幸福って何なの?
ん?

アリストテレスが注目したのは
人間が持つ「機能」でした。

建築家や音楽家が 特有の機能
働きを持つように

人間は 人間であるための
機能があるはずだ。

食べて 眠って ただ生きるだけだったら
動物と同じ。

では 人間ならではの機能とは何か?

アリストテレスは
それを 「理性」だと言いました。

まさに 人間固有の機能です。

人間は 「ただ生きる」だけではなく

理性を伴う生の活動
「善く生きる」ことで 「幸福」になるのです。

僕は 何か その
動物と人間の違いみたいなことは…

目の前にあるものを 全部食べちゃうと

動物は 栄養をとる イコール
長生きできると思っちゃうけど

人間は これがなくなった時のこととかを
考えられるから…

みたいなふうに思いましたけども。
おお~ 今のは 先生 いかがですか?

そうですね まあ
理性には いろいろな面があるんですが

伊集院さんの 今 おっしゃったのは
非常に重要なことで

この 間接的ということですね。

それに対して…

それが 理性的ということの
非常に重要な要素だと思います。

人間が長生きするには 一番 それが
善悪ではなくて よいんだなというのは

今 聞いて
直感的に思ったところですかね。

…というふうに
アリストテレスは考えています。

人間の場合 理性という優れた能力

これはもう
人間を人間たらしめる能力ですね。

何か身近な例で言うと 恐らく
人より有利に 長生きしたいから

俺は いっぱい
ものを食べるんだけれども

この ものを食べるという行為が 恐らく
自分を苦しめることになるかもという

そこまで
ちゃんと知恵が回るようにしてれば

幸福に近づくような気がするんですね。

食べ過ぎると むしろ死にますとか
偏って食べると むしろ死にますとか

このバランスが 全部 整った形の
食事だけ言えば 食事が

一番幸福に近い食事だっていう

今 一番身近な食欲の話でいうと
そういう感じかな。

入り口としては合ってます? 今の。
ええ。

我々 この理性と本能という
枠組みで考える時に

理性が本能を 何か抑圧する みたいな
イメージで捉えがちだと思うんですが

そうではなくて むしろ この…

…というふうに
アリストテレスは考えているわけです。

急に何だって言われるかもしれませんけど
ちょっと感動的な話ですね。 ええっ?

僕の中では 人間は
そもそも そういうものなのに

バランスが おかしくなってる
ということに

気付きなさいよということを
アリストテレスが言ってる気がして。

幸福になるために
理性は 制約でもなければ

敵対するものでもないというのが
やっぱり ちょっと 何か ぐっとくる。

アリストテレスが言う 人々が考える

幸福な生活を見ていきましょう。

先生 解説をお願いします。

この 快楽的生活は
文字どおり 快楽すなわち幸福と考える

そういう生活のしかたです。

少しでも多く快楽を得ることに
人生の目的を置くわけですが

アリストテレスは 快楽的生活は

人間を 安定的に幸福に導くものではない
というふうに考えますので

この
社会的生活と観想的生活を重視します。

じゃ 社会的生活というのは
どういうものかというと

古代ギリシャのポリスですね
都市国家における この生活…

これが 社会的生活。

人間が もともと 社会的に生きることが
気持ちのいいことだったりとか

幸せなことだったりとかするというのが

僕の中で ちょっと感動的なポイントかな。
いや 分かります。

だから 人よりも お金を持っているとか
人よりも出世するとかじゃなく

自分の機能 自分の力を
発揮できるように

自分で理性を使って 生きていくことが
幸福と言われると

ちょっと うれしい
ほっとする気持ちもあります。

3つ目の これはどうですか?
観想的生活というのは。 はい。

観想というのは この世界のありさまを

ありのままに見て取る

すなわち 真理を認識する それこそが

人間を幸福にするものだというふうに
考えるのが この観想的生活なんですね。

いわば 哲学者の生活と
言ってもよいかもしれません。

また ちょっと
ぐっと難しくなりましたね 急に。

この 知るっていうことの意味を
広げて考えてみると

哲学者でなくてもですね
美術館に行って 美術を見るとかですね

旅行に行って
新しい景色に触れるとかですね

何かを知る
何か それ以上の目的がなくても…

そういうことと結び付けて 考えると
多少 この観想的生活というものの

イメージが つかみやすくなるかなと
思います。

勉強を嫌いになっちゃうという
何かこう バグが出た時に

勉強
何で勉強しなきゃいけないんだ

何で 何で何でって なっちゃうけど
知るの楽しいじゃないっていうこと。

で その知った知識で
みんなが喜んでくれたら

また楽しいじゃないっていうやつが
多分 あるべき姿なんでしょうね 恐らく。

さあ この人間の可能性を
実現していくために必要なものがあると

アリストテレスは言っています。
見ていきましょう。

アリストテレスは 善く生きるために
必要なものがあると言います。

それが「徳」です。
こんなふうに言っています。

目の徳は
目が よく見えるようにすること。

では 人間を善くするための徳とは
どういうものなのでしょうか?

彼は こう言います。

現代の日本語の徳の感覚と
ちょっと違くないですか? 何か。

何となく 徳というと 徳を積むとか
そういう使い方しますけど

だいぶ それとは違う…。

ギリシャ語ではですね
「アレテー」という言葉なんです。

これ 「徳」というふうに
訳すこともありますが

「卓越性」とか「力量」というようなしかたで
訳すこともあります。

ナイフのアレテーとか
馬のアレテーという言い方もあるんです。

ナイフのアレテーというのは ナイフが
よく切れる状態になっていること。

馬のアレテーというのは
よく走れること。

いくら ナイフが そもそも
切れるナイフであったとしても

手入れをしないで さびている状態の
ナイフでは意味がないから

そのアレテー アレテーの状態は
ちゃんと保管して ちゃんと研いで

ちゃんと きちんとした持ち方で
みたいなことが

全部 整ってることが「徳がある」という。
まさに そういうことですね。

人間の場合にも…

…というふうに
アリストテレスは考えているわけです。

あと この「徳」ですけれども
2種類あるって 今 言ってましたよね。

VTRでありました 「思考の徳」。

これは 教示で身につくんだけれども

もう一つの「性格の徳」
これは 習慣で身につくものだという

この2つ 紹介されていました。

この思考の徳 または知的徳というのは

人間が持っている知的な能力を
育てていくことによって

身についてくる力なんです。

例えば 数学を教わって
まあ いくつかの公式を教わって

問題を解いていく
知的な力が身についていく。

で もう一つは どういうものですか?

もう一つは 性格の徳
または倫理的徳というもので

まさに この勇気とか節制という
先ほども出てきたものですが

例えば 勇気であれば
勇敢な行為を繰り返すことによって

勇気が身についていく。
習慣づけが非常に重要だと。

あの 塩分 気をつけてると
全然 大丈夫になってくるでしょ。

慣れてくる。
最初 薄いと思ってたやつが
全然 大丈夫になってって

むしろ 元の味のやつ これですよと
言われた時に こんな しょっぱいの

いや 俺 食べてたんだってなる
みたいなイメージです。

慣れに近いですね。
そう 慣れ 習慣。 ああ~。

先生 食い意地ばかり例えて
申し訳ないんですけど

そういうイメージで よろしいですか?

伊集院さんの おっしゃってること
アリストテレスの述べてることと

驚くべきぐらい
重なってるところがあって…。

食い意地も張っとくもんだね~!
ハハハハハ すごい!

徳については 第3回で
詳しく見ていくんですけれども

もう少し見ていくと アリストテレスが
重要だと考える徳というのがあって

それが 「枢要徳」というものなんですが…

この 「賢慮」っていうのは
判断力のようなものです。

今 ここで何をするべきなのか。

今 ここは勇気を発揮すべき場面なのか

それとも いちもくさんに逃げるべき
場面なのかということを

一回一回 判断するということが
とても重要なわけですね。

そういう判断力 これを賢慮といいます。

「正義」というのは
自分のことだけではなくて…

この全ての徳が 「力」という観点から
捉えられているということが

とても大事なポイントになります。

さあ では このような徳を身につけると
どのように幸福になるんでしょうか。

節制 欲望をコントロールする力を例に
見ていきましょう。

これは 会社員A子さんの
「節制」についてのお話です。

A子さんは 食べることが大好き。

日々 食べ歩きに励んでいます。

でも 最近は仕事にもやりがいを求め
勉強を始めました。

食いしん坊のA子さん
大事な資格試験を控えて

毎日のように勉強しています。
ところが ある日…。

「おいしい店を見つけたから
久しぶりに行かない?

A子さんの好きなイタリアンだよ」と
友人からの甘い誘惑。

[ 心の声 ]行きたい 行きたい 行きた~い!

でも ダメだ!
もう少し 勉強しておかないと…。

「ごめんなさい 今日は やめときます」。

A子さん
何とか 誘惑に打ち勝ちました。

しかし こんな時に限って
なぜか 次々に誘惑がやって来ます。

合格を目指すA子さん
何とか 断り続けます。

そうして ひとつき後。

見事 試験に合格。

その結果 新たな仕事を任され
充実した日々を過ごすようになります。

もちろん
頑張った自分へのご褒美も忘れません。

久しぶりの食事会で
大満足のA子さんでした。

うん A子さん 偉い。
うん 打ち勝った感じですねぇ。

多分 途中途中に節制ができなかったら
食べに行ってても

資格試験のことを気にしながら
食うっていう

そんなに もともとの彼女の好きだった
食べ歩きのクオリティーも低いし

結果 資格試験に
受からなかったっていうことで

多分 生活全体も充実しないし

例えば その資格があれば
もっと金銭的余裕もあるから

おいしいもん いっぱい食べられたのにも
達成しないしって考えていくと

ここで 一回…

何か 失敗したことがある人が
言えるような。

もう もちろんですよ。
もう いろんな

睡眠の誘惑から何から
食べ物の誘惑から

全部 やらかしてますからね ええ。

伊集院さんの今の例は 非常に的確で

この節制というのが
力であるということを

非常に うまく
表現して頂いたと思うんです。

A子さんは この 単に
何か我慢したということではなくて

自らの中の力としての充実

更に それがあることによって
社会の中で実現する充実

さまざまな充実を手に入れるための
前提としての節制という徳という

話になっていたかなと思います。

アリストテレスが考える幸福というのが
ちょっと分かってきた気がしますね。

徳という その力を身につけて
時間をかけていくことで得られる

幸せというようなイメージですか?
そうですね。

この幸運というのは 運がよくて
まあ 宝くじが当たるとかですね。

でも その 当たった宝くじを
うまく生かせない人って

結構 いるわけですよね。
むしろ 生活を非常に崩してしまう。

不幸になってしまう
むしろ 借金を作ってしまうとかですね。

そういうふうにならないためには…

自らをコントロールし 困難にも
立ち向かっていくような そういう…

そういう前提条件を作るには…

今日は 人間ならではの機能
理性もでしたけど 発揮して

その力を使って
幸福になるという話でしたけど

こういう 長い時間のかかる幸福とか
生き方は いかがですか?

何か ほんとに目の前のものだけ見て
効率化していく人生が

幸せにつながってるって
ずっと思ってたんですよね。

早く手に入る たくさん手に入る
安く手に入る みたいのが。

いや でも それ どうやら違うなって
思ってる時に すごく響きます。

物とか お金とか 名誉とかではなく
さっきもありましたけど

人によっても その時によって違う
というのもありましたもんね。
うん。

でも 一つ一つの行動 その徳
習慣を変えていくというのだったら

いつでも できそうですもんね。
そうですね。

山本さん ありがとうございました。
ありがとうございました。

♬~

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