出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 夏目漱石の孫・エッセイスト半藤末利子[解][字]
~祖父は夏目漱石…「吾輩は猫である」秘話~エッセイスト・半藤末利子さんが今日のゲストです。
◇ゲスト
かの文豪、夏目漱石を祖父に持つ、エッセイスト・半藤末利子さんがゲスト。
◇番組内容
見合い結婚だった漱石と妻・鏡子の一目惚れエピソードや、甘いもの好きが高じアイスクリームを作る機械まで買っていた話など、半藤さんの語りには漱石の人間味あふれる素顔が見えてくる。さらに、デビュー作『吾輩は猫である』誕生秘話も。主人公の猫には実在のモデルがいた…。そして半藤さん自身は、夫で戦史研究家・作家の半藤一利さんを昨年亡くしたばかり。反戦を唱え続けていた夫の遺言は今の世に大変意味のある言葉だった。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- 漱石
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- フフフフ
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- 夏目漱石
- 今日
- 小説
- 人生
- 全部
- 駄目
- アイスクリーム
- お会い
- お好きだったん
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(黒柳)この貴重な写真は
ある時期の夏目漱石さんです。
今日は なんと
この夏目漱石さんの
お孫さんが お客様です。
エッセイストの
半藤末利子さんです。
ようこそ おいでくださいました。
どうも。
今日は漱石にまつわるお宝も
お持ち頂きました。
色々 お話を伺いたいと
思っております。
よろしくお願い申し上げます。
こちらこそ。
それから
去年 亡くなったご主人は
作家の半藤一利さんで
半藤一利さんは
『日本のいちばん長い日』を
お書きになった方で
いらしたんですね。
去年 お亡くなりになった。
そうでした。
今 87歳でいらっしゃって
お母様が漱石の長女でいらした
という事です。
だから 夏目漱石さんの
お孫さんという事です。
写真は今
左側が夏目漱石さんです。
そして 右側が
お母様の筆子さん。
可愛らしいですね でもね。
ねえ。 こんなお振り袖で
おリボンで。
漱石…
漱石さんっていうのも変ね。
漱石で… 呼びつけで
よろしいでしょうかしら?
漱石という人は
見合い結婚だったんですって?
そうなんでございます。
ものすごく 私の祖母が
漱石にベタぼれで。
あら。
初めて見た時に
なんてすてきなんだろうと
思ったんだそうでございます。
鏡子さんっておっしゃる?
鏡子さん。
あんなね すてきな人に
出会った事がなかったと…。
あら。 お幸せ。
お幸せ。
でも 大変な苦労も致しました
祖母は。
あっ そう。
例えば どういうご苦労…。
とにかく 結婚して
熊本におりましたのは
何年間でしたかね。 その間は
すごく仲がよかったんです。
もう 可愛くて可愛くて
鏡子の事も
可愛がっておりましたけどね。
ロンドンに参りまして
ロンドンから
帰って参りました時に
病気があったみたいで
ちょっとね 家族たちが
かわいそうな思いを…。
あっ そうでいらしたんですか。
そうなの。
でも 漱石っていう方は
とても子だくさんでいらしたって。
全部で何人
お子さんがいらしたの?
7人 産みました。
7人。
でもね 1人 亡くなっております
赤ちゃんの時…。
あっ そうですか。
じゃあ 一応 6人。
そう。
1 2 3…。
ここには
6人 写っていらっしゃって。
丸い所にいらした方が
亡くなった方なんでしょうかしら。
はい。
それで 頭に
大きいおリボン
つけていらっしゃって
座っていらっしゃる方が お母様。
漱石という方は 何歳で
亡くなったんでしたかしら?
49歳でございます。
若かったんですよね。
あっ 49歳。
はい。
あらー そうですか。
お母様は漱石の亡くなったあとに
結婚なすったんで 面識はない?
私たちと…?
そうですね。
孫は誰も会っておりません。
そうですよね。 残念。
もうちょっと長く
生きてくださればね
お会いになれたのにね。
はい。
なんか 甘いものが
お好きだったんですって?
漱石さんは。
ですから 胃が悪いのに
ようかんなんか よく隠して…。
隠すんですね 祖母がね。
そう致しますとね
それを探しだして食べちゃう。
また悪くなっちゃう。 フフフフ…。
なんか ジャムもなめたり…。
そうそう そうそう。
そうなんですってね。
それから アイスクリームも
お好きだったんですってね。
ええ。 自分の家に
アイスクリームの機械
買い込んで
子供たちと一緒に作って
食べておりましたんです。
なるほどね。
あれは 家にもありましたけど
氷とか お塩かなんか入れて
ガリガリ かき回すと
できるんですね
家でもアイスクリームが。
今日 お持ちくださった これ…
すごく奇麗な色なんですけど。
これは なんでしょうかしら?
これ
長じゅばんなんでございますよね。
ですけど 漱石が持ってたけど
誰も使わなかった
長じゅばんでございますから…。
随分 複雑なものですね。
漱石が持っていた。
あそこに しつけの糸が
まだ ついてるところを見ると…。
誰も着ていないの。
そうですね。
お召しになっていないもので。
どうしようと
お思いになったんですかね。
なんでしょうね 本当に。
なんにも おわかりにならないの?
わからないの。
でも 模様は
実にいい模様ですものね。
すてきな更紗ですわね。
本当に。 ねえ すてきな模様。
更紗 好きだったんですね
こういうシャレたものがね。
更紗 大好きなんですよ 漱石は。
それと そこにある
すずりですけど テーブルの上に。
アハハ。
これは漱石の?
漱石が…
もっといいものも
ございましたのね。
でも それはね
寄付させて頂いたらしいんです。
あっ そうですか。
おじの持ち物で。
このすずりは
随分 使った風がありますね。
真ん中がへこんでる。
お手紙を書くのが好きでしょ。
それ 全部 筆ですからね 当時は。
かなりね 使い込んだと思います。
漱石山房記念館っていうのが
あるんですね。
はい。
末利子さんは
そこの名誉館長も
していらっしゃるんですね。
役に立たないんだけど…。
これ。
そこに いつも
このすずりはある?
ええ。
へえー。
かつて ここは
漱石の自宅があって
弟子たちが集まったりした
場所だったんですって?
はい。
お父様 松岡譲さんとか
芥川龍之介なんかも
ここに集まったり
したそうでございますけど。
今 ここが その記念館に
なっているという事ですね。
『吾輩は猫である』が
なんていったってね
有名なんですけども。
小説の猫にはモデルがいる…
いたんですって?
ええ。 おりますよね。
野良猫が入ってきて 入ってきて
大変だったから
祖母が表へ放り出すんですけども
でも なかなか出ていかないで
また潜り込んじゃう。
それでね とうとうね あれが…。
漱石が?
漱石が 「そんなに家が好きなら
飼ってやればいいじゃないか」
って申しましたのよ。
そしたらね 本当に それから
飼ってやったんですけど。
祖母はね 猫が嫌いなの。
お嫌いだったの? あら やだ。
だからね 全然駄目で。
ろくなものをあげなかったの
猫に。
それで なんかね あると
お裁縫するでしょ? 昔の方はね。
だから その物差しで…
大きな物差しで
パシッと ひっぱたくんですって。
猫を。
それがね ある日ね
祖母の按摩さんが来て
按摩さんが…。
マッサージする人?
そう。 マッサージする人がね
マッサージして
くれておりました時に
その猫をね 取ってね
裏をひっくり返したらね
そしたらね
爪が全部 黒かったんですね。
それで 「奥様 奥様 これはね
大事になさらないといけません」と
按摩さんがおっしゃったの。
それで 「これは 全部
爪が黒うございますから
福猫でございます」。
福猫。
そうしたらね うちの祖母って
本当に迷信担ぎなのね。
それで それ 福猫って聞いたら
手放せませんよね。
ええ。 そうですね。
それから待遇がガラッと変わって
ご飯の上に
おかかをかけてあげるとか
色々して 懐かせたら
漱石が あんなになったでしょ。
だから 亡くなってからも
本当にね
大きな石碑 建ててあげるとか
欲の塊で… そうなって。
あっ そうだったんですか。
『吾輩は猫』が一番最初の作品に
なるんですって?
高浜虚子さんが… 俳句のね。
正岡子規さんたちと
やっていらした虚子さんが
たまには
小説でも書いてみるかって…。
「書きなさいよ 夏目さん」って
おっしゃって
くだすったらしいんですよ。
それでね 書いたら
面白いじゃないって 皆さんが…。
山会っていうのがあって。
それで 俳句の会なんですけど。
小説を書くんなら 小説には
山場がなくちゃいけないって。
だから 山会っていう会を作って
その方たちの前だけで
読んでたのね。
あっ そう。
そうなの。
そしたらね とてもね
高浜虚子さんがお褒めになって
面白い これはって。
それで なんか
公になったんですね。
あの頃のベストセラーに
なったんですわね。
『吾輩は猫である』ね。
そうですもんね。
でも 漱石という方は
犬がお好きだったんですって?
そうなんです。 犬が大好きで。
でも やっぱり
野良猫でもなんでも
入ってきた猫を見て
やっぱり 『吾輩は猫である』って
きっとね
お作りになったんでしょうから
その猫はラッキーな猫でしたね。
ハハハハ…。
猫の名前は
なんか 付けてらしたんですか?
いいえ。
ないの?
ないの。 最後まで名無しなの。
やっぱり ないんですか。
ないんです。
それでね 母に聞きましたら
「猫 猫って そういえば
呼んでたわね」なんて
言っておりましたから
ございませんのでしょう。
そうか。 『吾輩は猫である』で…。
「名はない」って
なってましたよね?
そう。 名はない 付けないから。
そうですね。 それ
本当の事なんですね それじゃあ。
ええー。 あっ 面白い。
そうですか。
あれはウソかと…
創作かと思っていたんですけど
じゃあ 本当の事なんですね。
本当の事です。
それからね
祖母は欲張りですからね
猫を ずっと
飼い続けておりましたけど
どの子も
なんにも名前がなかったです。
あっ そうなんですか。
面白い。 へえー。
それでも その猫が死ぬと
ご近所やなんかに
死亡通知を
お出しになってたんですって?
お弟子さんたちにね。
で 法事をね
毎年 やっておりました。
あっ そうなんですか。
あっ これが そう。
あら。 「猫の義
久々の病気の処
療養 相叶わず
昨夜 いつの間にか
物置のヘッツイの上にて
逝去致し候」って
読むんでしょうかね?
これ。
そうらしいです。
ええー。
これを皆様に
お配りになったの?
そうなの。
面白い。
本当に 法事を
しておりましたんですよ。
ええー 本当に。 面白い。
それで 十三回忌の時に…。
これ 猫のお墓なんですって?
ええ。
十三回忌の時に おばあ様が…
だから 要するに
漱石さんの奥様がお建てになった。
そうなの。
これ どこにあるんですか?
これね 今ね
もう 戦災で焼けましたから
ボロボロになりましたでしょ。
ただ丸っこいね 焼け焦げた石が
積んでございます。
それは
漱石記念館にございますから。
あっ そうですか。
はい はい。
じゃあ 早稲田に。
早稲田に今 ございます。
漱石は あれですかね?
猫に感謝はしてらしたのかしら?
してたでしょう…!
でも 話が全然変わるんですけど
ご主人は作家の
半藤一利さんとおっしゃる方で
『日本のいちばん長い日』を
お書きになった。
たくさんの人から
愛されていらした方だって…。
ああ…。 フフフフ…。
伺いましたけど。
優しい人でしたね。
あっ そうですか。
ずっと反戦を唱えていらした方で。
はい はい。
でも 残念ですね。
昨年1月に亡くなった。
そうなんでございます。
何歳でいらしたんでしたっけ?
90歳かな。
昭和5年生まれ。
はい。
なんか 愛しています
っていうふうに
口に出しておっしゃる方だった…。
そうそうそう。
昭和のね 一桁生まれの男の人で
「愛してるよ」とか
「愛してます」って言う人は
珍しいですよね。
そう。 私 そう思います。
フフフフ…。
じゃあ お幸せでしたね。
ええ。 本当に。
それで お話しになる時も
敬語でお話しになるんですって?
いつもではございませんけどね。
あっ そう。
でも やっぱりね
どっちかっていったら
とてもとても 大切にしてくれた
っていうのかな。
あっ そうですか。
うん。 だから その点ではね
私は幸せだったなと思って。
本当にね。
ねえ。
私も そうでいらっしゃると思う。
出会った頃は
小学生だったんですって?
そうなんですの。
疎開していた時に
あちらも疎開していたの。
疎開先でお会いになったの?
はあ。
ええー。
兄の友達でございましたのね。
そうか。 お兄様のお友達。
そう。
ですから 兄が連れてくるでしょ。
それで 家で ご飯食べて
帰ったりしていたの。
まだ 本当 中学生ですからね
私が小学校5年か
そんなぐらいですもん。
色気も何もない時 その頃。
フフフフ…。
でも
プロポーズが強烈だったとか。
強烈っていうかね
だいぶあとになってからね…
私が ほら
二十歳ぐらいになった時に
会ったら 驚いたんですね。
泥んこになって遊んでいる
小学校の子が…。
昔ね。
そしたら なんか
大人になってたの。
大人の女性になってたのね。
だから びっくりしちゃったのね。
フフフフ…。
そうでしょうね。
そうなの。
あの子だったのかって。
これが あの子かと
思ったんでしょう きっとね。
それで あの時に
なんかドキッとしたとか
なんか言ってました。
ハハハハ…。
その時に ものすごく
ほれちゃったみたい。
ハハハハ…。
すごい。
まあ こんな
お奇麗ですものね。
当時 こういう格好をして
結婚式って…。
やってないですよね。
ねえ!
珍しいんじゃありません?
だから… うん。
別に立派なとこで
やったわけでも
なんでもなくて
本当にお友達が
洋服 作ってくだすって。
あっ そうなの。
それ着て やっただけだから。
そうね。
大体 ものが そんなに
ない時代ですものね。
やっと飢えをしのぐ程度の
生活で
それ以上 贅沢な事なんて
やっておりませんでしょ 私たち。
そうです。
でも よく 頭の こういう
ポロポロしたものが…
ポロンポロンしたものが
ありましたね。
ありましたね。
ねえ。 本当 よく…。
どなたかが探してくださった…。
きっと そうでしょうね。
でも ご主人は
2019年に骨折なすった…。
そうなのね。
なぜ 骨折?
大腿骨骨折。 だって あの人は…
とにかく あんなお酒飲みなんて
いないですから。
「飲んじゃ駄目よ」って。
「もうね 90にもなって…」。
89だったかな?
「駄目よ」って言ってるのに…。
「2杯よ 2杯」って言ったのに
その日 4杯飲んだって言うの。
だから… それで 「家の前まで
ちゃんとタクシーで
帰ってきてよ」って
頼んでるのに…。
どなたか送ってくださると
「もう ここでいいです」って
降りて
1人で歩いて帰ってきて転んだの。
あっ そう。
でも お亡くなりになる直前までは
お元気だったんですって?
いや それから…
ですから 大腿骨ですから
手術も致しまして。
あっ…。
もうね 2度も手術して
病院に しばらくおりましたよ。
あっ そうでいらしたの。
だけど 死ぬ時はね
家へ帰ってきてから
亡くなりましたから
とても よかったです。
まあね
病院にいらっしゃるよりはね。
そうでいらした…。
さっきも申し上げたように
『日本のいちばん長い日』などを
お書きになって。
昭和史に関する作品が
たくさんあって
ずっと 反戦を唱えていらした方
だったんですけども。
亡くなる直前に 遺言を なんか
お残しになったんですって?
そうそう。 あのね 夜 寝る時に
少しお部屋を
熱くしすぎていたのかも
しれません 私の方が。
でも 触ると冷たいんですよ。
氷みたいに冷たいから
嫌だなと思って
ここへ お布団かけようとすると
そうするとね
「暑くて嫌だから かけないでくれ」
って むずかるの。
赤ちゃんみたいに
「嫌だ」って言うの。
だからね 「そんな事 言わないで
かけないと
あなたね もう 駄目よ」って
言うんだけど
「暑くて暑くていられない」って
言うんですよ。
それで お布団 取っちゃうのね。
でも 私も寝ないと
死んじゃうから
寝ちゃうわけ。
そうですよね。
お布団 取っても
しょうがないと思って。
そしてね その時は… その夜は
あのね 「ねえ 起きてる?」って
私が寝てたら
向こうから声かけたの。
なんだろう? と思って
体調悪くなったのかと思って
飛び起きてね ベッドの方へ回って
「どうしたの?」って言ったらね
「墨子って知ってる?」って
言ったんですね。
だから… そして 向こうから
かぶせるように
「墨子っていうのは
中国の思想家で
2500年前に生きてた人だけど
その頃に
戦争をしてはいけないって
言ったんだよ」って
申しましたのね。
あら すごい。
「だからね
墨子をお読みなさい」って。
「あなた 読んでないでしょ?」
って言われたから
「うん」って言ったらね
「読まなきゃ駄目だよ」って言って
そのままね フーッていう…。
なんていうのかな。
すごい深いね 眠りに…。
いつもは むずかるから…
なかなか寝ないから
こっちも眠れないし
イライラしてるわけ。
それがね その日はね スーッとね
すごい安らかな寝息が
聞こえてきたの。
だから 今日は寝てくれるかな?
これでと思ってましたら
本当に その時にね…。
本当に深い息をして
ハーッていうね
とても楽そうな息を
しておりましたんですよ。
そうしたら
翌日に亡くなってしまって。
だから 遺言は残したの。
墨子って「墨」っていう字ですよね。
そうそう そうそう。
墨の子って書いて墨子。
それは読んだか? って
おっしゃって。
それから お読みになりました?
読んでないです。
ハハハハ…。
だって 暇がないんだもん。
暇がない?
うん。
もうね 一番先に
読まなくちゃいけないでしょ。
そうですね。
だから 寝る時…。
そのままね 墨子の本が
彼の机の上に置いてあったから…。
あったんですか。
うん。
だからね 仕方がないから
夜 寝る前に1ページとかね
朝起きた時に2ページ読むとか
そんな読み方。
ダーッなんて読んでないの。
フフフフ…。
でも やはり 亡くなった時は
随分 お悲しかったでしょ?
うん。 あのね 娘がね 突然と…
もうね 堪えきれなくて
「息してない」って言ったから
私 オロオロしちゃったの。
そしたらね 飛び込んできたの
こっちへ。 胸の中にね。
それで 私の方も
吸い寄せられるように
2人で抱き合ったわね。
娘と。
うん。
亡くなった時に。
ええ。
もうね… でも その時も
すごく なんか
安らかに亡くなったから。
あっ そうですか。
だって ほら 安らかな息をして
翌日ね 息してないのが
わかったんですもの。
そうですよね。
だからね…。
でも あれですよね。
今の世界情勢… ウクライナの…。
どうでしたでしょうね。
ご存じなく亡くなったんで。
そうなの。
だから
なんて言ったかなと思って。
本当。
ねえ。
まあ 戦争も体験していらして
それで 墨子をお読みなさい
っていうのを
遺言になすったっていう
ご主人ですからね。
今の世の中 やっぱり
嫌だとお思いでしょうからね。
ねえ。 だから 私ね すごくね
幸せな人だと思ったの。
とてもいい時に亡くなったと
思いましたよ。
そりゃ 置いていくのは
けしからんけど。
フフフ…。 そうですね。
非常に頭にきますけど
でも いい時に亡くなってくれて
幸せだったなと思ったの。
今 半藤さんのお書きになった
エッセー集が
好評だって伺いました。
だったら うれしいですけれど
そんなに…。
漱石とか ご主人の事やなんかも
書いてある。
うん。 それしかないですもん 私。
ハハハハ…。
本当 漱石と主人のために
本を出させて頂けると
思っています 本当に。
でも 漱石の孫という人生は
面白い人生でしたか?
別に それで
どうって事はないですけれど
ただ 窮屈な時もありますね。
とても窮屈な時もあります。
私が勉強できなくちゃいけない
っていうふうに
世間の方は
思っていらっしゃるのに
そうじゃないから 窮屈ですよね。
いつも いい子にしてなきゃ
ならないっていうような
あれもありますけど。
逆にいえば
いじめたりは
誰もしないわけですよ。
まあ そうですよね。
漱石の孫だから
この野郎 生意気だから
いじめてやれってね
ポカポカやられたわけじゃなし。
ええ。
いざとなりゃ そうやって
本が出して頂けるわけでしょ。
そうですね。
それ 孫だけのででしょ?
孫だけでね
出して頂けるっていう事は
なんと
ありがたい事かと思います。
なるほど。
じゃあ いい人生でしたね。
いい人生でした。
本当にね。
ご主人がそういうね
優しい方だったらね
なおの事。
なおの事。 だから すごくね
それは
ありがたいと思っています。
そうですよね。
はい はい。
ただ 漱石に
お会いになりたかったでしょ?
子供を可愛がって
お相撲を取ったりしているような
可愛がる時に会いたかったです。
あっ そうですね。
どうも ありがとうございます。
いいえ。 どういたしまして。
『徹子の部屋』は
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