徹子の部屋 石黒賢[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 石黒賢[字]

~遺品整理で知った…敬愛する父の意外な素顔~石黒賢さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
俳優・石黒賢さんが5回目の登場。
◇番組内容
これまでにも幾度となく語ってきた敬愛する父・石黒修さんは、戦後初の日本人プロテニス選手だった。その父が80歳でこの世を去り、父亡き後、遺品の中にみつけたのは“父の手帳と思い出の本”。手帳はテニス選手として、本は父親としての“意外な素顔”を物語っていた。石黒さん自身は現在3児の父で、子ども達は全員成人した。就職活動にいそしむ末っ子の力になりたいがなかなか…と見せた苦笑いに父としての素顔をのぞかせる。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  10. テニス
  11. ピアニスト
  12. フフフフ
  13. 試合
  14. 正和
  15. 素敵
  16. 病気
  17. 邦衛
  18. テレビ
  19. パパ
  20. 兄貴

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

(黒柳)これは 戦後初の

日本人プロテニス選手として

活躍なさった
お父様とのお写真です。

今日のお客様は石黒賢さん。
どうぞ お入りください。

失礼します。

芸能界入りのきっかけを
作ってくれたお父様。

どうも しばらくでございました。
ご無沙汰してます。

どうも ご無沙汰いたしました。
よろしくお願いします。

遺品整理で知った
お父様の意外な顔。

それで また いろいろと…。
はい。

全然 あなた あれね
スタイル お変わりにならない。

そんな事もないんですけど。
すごい でも。

やっぱり
気を付けてらっしゃるでしょ…?

そうですね はい。
お子さんたちは何歳ぐらいに…?

子どもはですね
私 3人いるんですけれども

30と…。
えっ! 30?

30。
あなたがそれぐらいに見えるわよ。

ハハハハ…!
ありがとうございます。

あとは 24と22ですか。
ああ そう…。

はい。
そうですか。

今回 5回目の
ご出演でいらっしゃいます。

お父様は 残念ながら 80歳で
お亡くなりになったんですけど

お父様は 戦後初の
日本人プロテニスプレーヤーの

石黒修さん。
はい そうです。

すごいですよ 皆さん。
素敵なお写真でしょ?

お父様です これ。
フフフフ…!

ウィンブルドン 6年連続出場。

全日本選手権
3度の優勝っていう

日本人では考えられない
お成績ですよね。

そうなんですね。

私は もちろん 家族なので
あの…

大人になってからですね。

「あなたのお父さんは
すごかった」とか

人によっては 本当
「あなたのお父さんは

日本の宝だったよ」なんて
言ってくださる人もいて。

私が ちょうど生まれた1966年に
父は現役を引退したので

現役時代の試合は

もちろん 映像でしか
見た事がありませんでしたから。

あっ そうなの?
はい。

そのお父様が
80歳でお亡くなりになって…。

そうですね はい。

ちょうど 私も仕事で

2008年に初めて…
ウィンブルドンって

イギリスで行われてる
大きなテニスの試合がありまして。

それに行く事にして
ちょうど その前年ですかね。

センターコートが
以前はオープンだったんですけど

屋根ができる事になって。

オープンの時のセンターは
見納めだから

じゃあ 来年
一緒に行きましょうといって

父と予定を合わせて
行く予定にしてたんですね。

それで 一緒に撮ったのが
あの時の…

先ほどの写真だったと思います。
これ。

後ろが それなんですね。
後ろに見えてるのが。

はい。
あっ そうなの。

この時 お父さんは
別に どこも悪くなかったの?

そうですね。 ただ まあ あの…

こんな事をね
テレビであれですけど

トイレで
なんか つらそうにしてたから

「どうしたの?」っつったら
「ちょっと なんか

血が出るんだ… 血尿が出る」
みたいな話をしてて。

それで
「それは良くないね」と言って

「もう 日本に帰ったら
すぐ病院に行った方が

いいんじゃないですか?」
っていう事で 病気がわかって。

結局
なんていう病気だったんですか?

腎盂がんといって
腎臓の もうちょっと下の所が

がんだったんですけどね。
そうなの。

そうですか。 2016年に
お亡くなりになったんですね。

はい。 それで それまでは あまり

私も… 子どもの頃から こう

父は ほとんど
家にいませんでしたし 仕事で。

ただ 子どもとしては なんか
あまりに家に親父がいないので。

それで こう 月曜日の朝
小学校へ行って みんなが

「昨日の日曜日は みんなで 家族で
遊園地に行った」とか

「スエヒロで
ハンバーグ食べた」とか

そういう事 言って

いいな うらやましいなと
思ってたんですよね。

だから あんまり 親父に こう

よくある
親子でキャッチボールをするとか

そういった機会っていうのは
ほとんどなくてですね。

ただ まあ その 病気になって
私が 割と こう 病院に

送り迎えを…
連れていったりできたので。

その車中で いろいろ…
父の人生について

いろいろ 話を聞けたから
まあ それは よかったなと…。

それは よかったですよね。
そうですね。

そうじゃないとね
忙しい方の話を聞くっていう事

なかなか できないですもんね。
そうですね。

最期の時は お会いになれたの?

えっと… そうですね。
ちょうど まあ 亡くなる前日に

私と…
兄が 私 1人いるんですけど。

兄と ちょうど 2人が
同時に父を見舞う事ができて。

それで まあ その翌朝ですね。

朝5時ぐらいだったかな?
病院から電話がかかってきて。

それで まあ 死に目には
会えなかったんですけど。

あっ そうなの。
ただ 前日に 兄貴と行けたから

ホッとしたのかなという風に
思いたいですし…。

そうですよね 仲が良くね。
はい。

でも 遺品を整理なすってたら

意外なものが
見付かったんですって?

そうなんです。

うちにいる時の感じとかを
見てもですね

割と こう
父は テニスの試合とかでも

野性的な勘で… ひらめきで
プレーをする人のような

イメージをですね
勝手に私は抱いていたんですが

遺品を整理してたら 父の…

細かく 対戦相手についての
特徴とかプレーの傾向とか

こういうポイントの時には

こっちにサービスを
打ってくるとか… 多いとか

傾向と対策がね
事細かに書いてあったんですよ。

それでね 僕はビックリして。

兄貴も
「へえー!」って言ってましたし。

もちろん 母も驚いてましたし。
だから…。

皆さん ご存じなかったの?

そんな風な感じは
全くなかったですね。

僕らが思ってるのは
負けず嫌いで

僕ら 子ども相手にもそうですし

私たちの子ども…
つまり 父からしたら孫相手の。

例えば トランプでも
本気でやりますし。

フフフフ…!
フフフフ…!

まあ 本当にね そういう
負けず嫌いな父でしたけど

まあ でも やっぱり
勝負に関しては

そういう事をやってたんだな
というのは まあ 新しい…。

ちょっと 61年前ですけど…

大変前なんですけど
貴重な お父様の

プレーしてらっしゃる映像が
ありましたので

ご覧ください。
ありがとうございます。

ああー… 田園コロシアムですね。
田園コロシアム。

向こう側がお父様。
はい。

背 お高いのね。
ハハハハ…!

あっ これは陛下ですね。
今 上皇さまですね はい。

美智子さまと。
はい。

この頃は 日本は

フィリピンとインドが
強敵だったらしくてですね

いつも
東洋ゾーンの決勝とかになると

フィリピンか もしくは
インドに負けていたんだそうです。

ところが 今の試合は
初めて父は勝ってですね。

フィリピンに
初めてだったのかな?

国として勝ったという。
まあ うちにもですね

今の試合の最後 親父が勝って
ラケットを投げてですね

ネットを こう 跳び越えた瞬間の
写真がありまして。

それは だから
うちの一番大きなとこに

飾ってありましたから
子どもながらに これは

一番 彼にとってのビッグマッチ
だったんだろうなという風には

思ってたんですけど。
すごいわね。

それで お父様の 他にも遺品…
いろんなものが見付かった…?

そうですね。

私が初めてテレビに出たのが

当時 NHKでやっていた
「減点パパ」…。

三波伸介さんの。
三波伸介さんの番組で。

それで やはり 最初は
兄に もちろん 声がかかって。

うちの兄貴は やっぱり
長男の反抗というやつで

どこに行っても 「石黒の息子だ」
って言われるのがイヤで

「テレビなんて
俺は絶対 出ないから」。

「賢 お前が出ろ」って言われて。
それで まあ 僕が出て。

あれは最後に
こう 作文を読むんですね。

ご自分のお父さんの事を。
はい。

それで それに出たんですけど

その時のポスターと
それから その…

「減点ファミリー」の本が

実家を整理してたら…
あっ これですね。

あっ 本当だ。 三波伸介さん。
はい。 出てきまして。

それで まあ よく こんなものを
取っといてくれたなと思って…。

本当ね。
はい ビックリしました。

なんか この時 お決まりで

「お父さんの顔は どんな顔?」って
初め お父様 出てなくて

子どもだけが出ててね。
自分だけが出て… はい。

それで 「お父さん 鼻 高い?」
とか言って

彼が絵 描くんですよね。
そのあとから

「さあ 似てるでしょうかね?」
って言うと

お父様が お見えになるというね。
そうです。

そこで 作文を読むんですよね。
読むんです。

それは よく覚えてますけど。

その時の石黒賢さんの作文が
ここにございます。

ハハハハ…!

あなたがお読みになった
当時の気持ちの…。

昭和51年ですね。 随分前ですね。
いや 本当にそうです。

NHKのテレビで

お父様の事をお読みになった
作文です。

「うちのパパは

人にテニスを教えるのが
仕事なので

1日中 外にいます」

「だから
手や足が真っ黒に焼けています」

「右手には まめがあり
大きく硬いまめです」

「そのまめを見ていると

パパは テニスが
好きなんだなと思います」

「時々 パパは 腰が痛いから

僕に“腰の上に乗ってくれ”と
言います」

「そういう時は
“うん いいよ”と言って

腰に乗ってあげます」

「日曜日には よく お寿司を食べに
連れていってくれます」

「そして 僕の背が小さいので

“たくさん食べろよ”と
言ってくれます」

「僕は そう言ってくれるパパが
大好きです」

ハハ…! すみません。
ありがとうございました。

可愛いね。
10歳ですから どうですかね?

いやいや… いやあ
そんな事を書いたんですね。

ハハハハ…!
可愛いわね でもね。

いかにも なんていうのかしら…

父と子の関係が
うまくいってるって感じがして

いいじゃありませんかね。

でも お寿司を食べに
連れていってくだすって。

まあ 本当
今になって思えばですね

父は あんまり
息子たちと遊んでやれないから

せめて食事でもという風に
思ったんでしょうね。

父は すごく魚が好きだったので。
あっ そうなの。

はい。 だから お寿司屋さんに
連れていってもらいました。

でも 当時 テニスは
本当に大流行でしたから

どこ行っても
「石黒修の息子だ 息子だ」って

言われたでしょ?
そうですね。

父は
コマーシャルにも出てたりとか。

あっ 当時としてはね 珍しい。
例えば チューインガムとか

なんか
スーツとかウイスキーとか。

それだったんで
割と こう… どこ行っても

「石黒さんのとこの息子さんね」
って言われる事が多かったので

母は 子どもたちが

調子に乗ったらいかんと
思ったんでしょうね。

すごく 母は
しつけに厳しかったですね。

お父様は お忙しくて

ほとんど おうちには
いらっしゃらなかったから

お母様は いつも
「あんなテニスバカになるな」

「いろんな事に
チャレンジしろ」とか

年上の女性たちは

「お父様のファンなの」とか言って
ちやほやしたりしたから

勘違い息子になっちゃいけない
っていうんで

しつけに すごく厳しかった?
そうですね あの…

まあ もちろん 1つの事をね

父のように突き詰めてやるのは
いいと思うけれども

これからは いろんな事が
できなきゃダメだから

いろんな事にトライして
見聞を広めなさいという事は

よく母に言われました。

どういうお母様だったの?

そうですね 母は
やはり 兄貴と2人という事で

男の子だから

体を丈夫にしなきゃいけない
っていう事で 食事を

すごく
いろいろ バランスとか考えて

作ってくれたと思うんですね。

今でも 自分の友達なんか来ると

「いや お前のおふくろには
よく おいしいごはん

食べさせてもらったな」なんて
言ってくれるんで。

だから
それは すごく感謝してますね。

お父様にも もちろん
お母様 随分 気を配ったお食事?

…だと思いますね。

だから 「石黒修にしたのは
私のおかげだ」って

よく母は言ってました。
ハハハハ…!

「石黒修にしたのは私よ」って?

はい はい。 よく言ってました。
そうですか。

なんか タモリさんの番組
お出になった時… お母様が。

そうですね。

自分が 18か19ぐらいの時

初めて 『笑っていいとも!』に
呼んでいただいて。

それで 出る時に…

前日に「明日
『笑っていいとも!』に出るんだ」

っていう話を母にしたら

「行って タモリさんが
呼び込んでくださって

“どうぞ”って言うまでは
絶対に座っちゃダメよ」って

それは言われました はい。
なるほど。

はい。 それは よく覚えてます。
それだけは よく覚えてますけど。

礼儀の厳しさは芸能界でも…
そういう事でね

役に立ったんでしょうね
きっとね。

あなたも3人の子の父親で

随分 子どもたち
大きくなったんでしょ?

そうですね あの…

次男が
今 大学4年生なんですけど

いわゆる就活というやつで。
大変。

そうなんです。
うん。

それで 私 高校3年生の時に

この仕事…
デビューしたんで。

就職…
これ その頃ですけど。

あら 可愛い。
いやいや…。

就職活動というのを
した事がなくてですね。

それで 私の頃は
同期のヤツに聞いても…

バブルが
終わりの頃だったのかな。

そんなに 就職で
大変な思いをした事がない

という風に
友達に言われまして。

まあ 父親として 参考…

役に立てないな 俺は
という風に思いまして。

僕は 幸い こういう仕事を始めて

とっても面白いなと思って

本当に こんな仕事に出会えて
よかったと思いますけど。

だから それは
すごい幸いだなと思いますから。

子どもたちには
どんな仕事行ってもね

とにかく 自分が好きな仕事で
ごはん食べられたら

そんな幸せな事はないからね
って言うのが関の山で。

フフフフ…!
ハハハハ…!

まあ 本当に…。

まあ 就職まで
ちゃんと決められたら

そこで 父親としての責任は
少しは果たせるのかな

という風に思ってますけど はい。

あなたは
どういうお父様だったんですか?

ええー… 私ですか?
私は だから…

まあ そんな…
僕が 子どもの頃に あんまり

してあげられなかった事を
してあげたいなと思ってですね。

なるべく… 俳優は

割と平日休みな事も
よくありますよね。

だから
釣りに連れていったりとか

それこそ キャッチボールしたり
自転車の乗り方 教えたり

まあ 勉強はね…。 「勉強はね」
なんて言ったら あれですけど。

でも まあ ちょっと
私は課外活動を担当して。

ああ そう。
じゃあ 随分 子どもと一緒に

遊んだっていう記憶はある?
そうですね。

それは なんとなく
そんな時間は持てたなと…。

それは あなたが
お父様とできなかった事?

そうですね。 そうですね はい。

子どもたちが成人したので
話し相手は猫になり…。

ハハハハ…!
お宅は猫が…。

猫がですね…
私は 子どもの頃から ずっと

猫が好きで飼ってたんですが

今いるのが…
そうですね 12~13年前かな。

これ… この茶色い方ですけど。
あら 可愛い。

うちの向かいの空き地に

4匹 段ボールに入って
捨てられてたんですね。

あっ そうなの?
はい。 それで子どもたち連れて…

それを連れて帰ってきましてね。
あら 可愛い。

もう 目やにで 顔が…
目は開かないわ

もう 真っ黒だわ
鼻 ガビガビだわで

そいつら 全部
キレイにお風呂に入れて

注射打って じゃあ
いざ 飼うとなったんですけど

4匹飼うのも
大変なんでという事で

1匹 実家の方へ
連れていったりして。

それで 1匹は ちょっと
お隣さんに差し上げたりして。

それで 2匹いたんですけど
その2匹が

去年の秋から今年にかけて
立て続けに亡くなりまして。

何歳ぐらいで?
13ぐらいですかね。

ああ そう…。
そう。

こたえましたね。
これは こたえましたね。

いやあ 本当
いわゆるペットロスってやつで

もう 本当に こたえましたね。

まあ 新しい… 今いた子が
何年か前に来てくれたりとかで。

ええ まあ 僕の
専ら 話し相手は彼らです。

猫なの?
ハハハハ…!

でも 猫っていうのは
呼ぶと来るの?

来ますよ。
ふーん…!

でも 機嫌が悪い時は来ないし。

でも なんか 家族… 例えば
子どもを叱ってる時とかは

間に やっぱ
ちょこんと入るんですよね。

よく ワンちゃんは
そういう風に言いますけど

猫も こう 来て
「もう いいかげんにしたら?」

「いいんじゃないの?」
っていう感じで…。

そうなの?
こう グッて間に入るんですよ。

あら 可愛い。
ええ。 だから わかるんですね。

じゃあ
子どもも可愛がってるでしょ?

可愛がってます。 ハハハハ…!

ねえ
加勢してくれるんですもんね。

あっ そうなの。 へえー!

でも なんか いろんな…
随分いろんな方と

いろんな思い出があるそうだけど
田中邦衛さんとか…。

ああ そうですね。
それから 田村正和さんとか。

はい はい はい。

邦衛さんは…
僕 初めて 19の時に出た

『めぞん一刻』という映画で
ご一緒させていただきまして。

それで その時 ミュージカルの
シーンがあったんですね。

それで 前もって
練習する事になりました。

それで 僕は
もう ものすごく 踊りが下手で。

で 私と邦衛さんだけ
いつも残されて。

それで
「賢ちゃん 悪いなあ 悪いなあ」

「もう1回 付き合ってくれるか?」
っておっしゃるんですよね

邦衛さんが。
フフフ…。

それで 「ああ ぜひ お願いします」
って言って 練習して

レッスンが終わりました。

じゃあ いざ撮影本番になりました
ってなったら

本番前に こう しきりに 邦さんが
こうやってやるんですよ。

「緊張するんだよな
緊張するんだよな」って

おっしゃるんですよね
田中邦衛さんが。

それで… 僕なんかが緊張するのは
当たり前だなと思ってね なんか。

だから 邦衛さんが こう
「芝居っていうのはな…」って

おっしゃった事は
もちろん 一度もないんですけど

そういう こう… たたずまいで

なんか 役者さん… やっぱり
お客さんに見てもらうんだから

ちゃんとしたものを
やらなきゃいけない

っていう姿勢が
すごく素敵で 格好良くて。

邦衛さんの事は
そのエピソードっていうか

その出来事は
すごく 心に残ってます。

ふーん…。 田村正和さん。

正和さんは
実は 学校の先輩でした。

私 成城学園っていう
学校だったんですけど。

それで よく
自分がデビューした時も

学校の先生が
「お前も高校でデビューしたけど

田村正和っていうのは 昔な
俺が教えて…」なんて言って

よく先生が
こうやってしてたんですよ。

それで まあ そんな話を

正和さんと 初めて
ご一緒させていただいた時に

「自分も成城学園なんですけど」
って話したら

「ああ そうなの。 …っていう事は
あんまり勉強してないね」

なんて言われて。
フフフフ…!

「いやいや…」なんつって。
それで 先生の話 したりして。

割と 「石黒君」っていって
呼んでくださって。

でも
『古畑任三郎』っていうドラマで

ご一緒させていただいた時に
前から プロデューサーの方には

「正和さんは完璧だからな。
完璧だからな」

「せりふ 絶対 間違えるなよ」って

プロデューサーの人に もう本当に
呼び出されて言われたんですよ。

それで… もう あれ
最後 犯人のところを こう…。

追い詰めていく。
追い詰めていくじゃないですか。

その長ぜりふのシーンを
僕は間違えちゃったんですよね。

でも 正和さんは 本当に完璧で。

「うわ 本当にすみません」って
言ったら

「大丈夫だよ」って
言ってくださったんですけど…。

うまく言えないんですけどね
正和さんって

あったかい人でしたね。
ああ そう。

素敵な方?
素敵な方でした。 はい。

なるほどね。

あなた もうすぐ
舞台が始まるんですけど

『7本指のピアニスト』っていう

実際の… 実在のね?
はい。

東京パラリンピックの閉会式で

ピアノをお弾きになった
西川悟平さん。

この番組にも…。

そう 『徹子の部屋』にも
いらっしゃいました。

それで
その西川さんのお話で

もともとは

10本の指が普通に動いてた
プロのピアニストで

それが まあ
ジストニアという

普段は動くけれども
ピアノを前にすると

指が動かなくなるという
病気になって。

それで…
でも リハビリの効果があって

右手が5本と 左手が2本が
動くようになって…。

それで タイトルが

『7本指のピアニスト』という
タイトルになったんですけど。

どういう経緯で
ピアニストになったか…。

ジュリアードを出た…

私は その彼にピアノを教えた
ジュリアードでの

一流のピアニストの
先生の役なんですけれども。

そういった… 過去に
話が返っていくという

3層構造のお芝居を。

ちょっと 番組でね 西川さん

演奏してくださったんです
『徹子の部屋』で。

ちょっと ご覧ください。
はい ありがとうございます。

♬~

♬~

素敵ですね。
ねえ。

やっぱり やろうと思うと
できない事はない。

いやあ 本当にね…
本当に 本を読んで もう…。

昨日 ちょうど
悟平さんに初めてお会いして

それで いろいろ
お話を聞かせていただいて

いろんなヒントも
いただいたんですけど…。

やっぱり こう
この病気になったから

僕は かえって ハッピー…
いろいろな事ができるように

トライできるようになったって
おっしゃって。

その やっぱ ポジティブさって

なかなか持ち得るものではないな
と思ったし…。

そうですね。
でも そういうものが

芝居になるなんていうのは
いいですよね。

いろんな方に
いろんな事を知ってもらって。

いや 本当に そう思いました。
本当に そう思います。

そうですよね。
ええ。

好きな言葉があるとかって
伺ったけど そう?

そうですね。 お芝居をしていて
そのせりふを

いつでも 初めてのように言いたい
って思うんですね。

何度 繰り返して 舞台で…

毎日やっていても
その言葉を発する時は

本当に初めてのように
せりふを言いたいし

初めてやるかのように
お芝居をできたらいいなって。

こんな事 言うの
なんか 恥ずかしいんですけどね。

でも なんか そう思います。

そうですよね。
それ 大事ですよね。

慣れちゃいけないっていうか。
うん。

それは
いい考えだと思いますよね。

ありがとうございます。
うん。

なかなか そういう風に
できないもんですからね。

そうですね。 志は高く。

そう。 志は高く。

はい ありがとうございました。
そうですか。

お母様は?
元気です。

あっ そうですか。
よろしくおっしゃってください。

ありがとうございます。
どうも ありがとうございます。

『徹子の部屋』は

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