先人たちの底力 知恵泉「空襲から宝を守れ!文化財“疎開”奮闘記」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

先人たちの底力 知恵泉「空襲から宝を守れ!文化財“疎開”奮闘記」[解][字]

空襲から文化財を守るための「疎開」がテーマ。東京国立博物館や東大寺で、展示品や仏像の扱いをめぐって噴出する問題の数々。関係者が立場を越えて編み出した知恵とは!?

詳細情報
番組内容
正倉院の宝物の疎開先が湿気だらけのシイタケの栽培地?とんでもない指令をどうかいくぐり、宝物はいかに守られたのか。続いて国宝級の仏像。疎開の是非をめぐって繰り広げられる役人と僧侶たちの綱引き。そのさなかに現れた、謎の人物の一言が危機を救った?さらに大仏はどうした?文化財の疎開にまつわる秘話・知恵の数々。出演:青柳正規(多摩美術大学理事長)鈴木杏(俳優)田島奈都子(青梅市立美術館学芸員)
出演者
【出演】多摩美術大学理事長…青柳正規,俳優…鈴木杏,青梅市立美術館学芸員…田島奈都子,【司会】高井正智

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸

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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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いや 本日は ようこそ
ご来店頂きまして ありがとうございます。

よろしくお願いします。
いきなりですけど 鈴木さん これ…。

絵を お持ち頂いたんですね。
本当すみません。 いきなりで。

趣味でね 描いてて 何も
勉強したりとかしてないんですけど。

趣味で絵を描くのが好きで

ちまちま ちまちま
描いてます。

お店の雰囲気がパッと
明るくなるような
絵ですけど

どういう…?
空 雲 見てると

たまに 竜の形に
見えたりとかする時があって

何か これは お題が「雲」っていう

お題を頂いて描いたんで

それで それを思い出して
竜をたくさん描きました。

いかがですか? 田島さん。

そうですね… 非常に色彩が豊かで

元気になるような絵だと思いますね。

竜の横にいるのが

ふくろうなのかなと
思ったんですけど。

こっちも赤いのが… 右側の…。

そこも竜なんですか?

これも竜です。
ああ でも そっか。 ふくろう…。

何か 竜って あんまり

正面から見るイメージがないから。

いや本当 いろんな形が見えてくる

やっぱり ちょっと こう 魅力的な

引き込まれるような絵ですよね。

鈴木さん 描いた絵っていうのは
どうやって保管されてます?

アトリエとかがあるわけじゃなくて
本当に普通に自分の自宅で描いてるので。

何か ちょっと個展とかやらせてもらって
出したりとかはしてますけど

これからも描いていき続けるってことは
増え続けるっていうことなので

ちょっと今 困ってますね。
置き場所がなくて。

絵を生み出すのも大変ですけれども

保管するのも
また これが大変ということで

今日はですね
大事なものを いかに残していくか。

この辺りを見ていきたいと思います。

太平洋戦争後期。

昭和19年に本格的に始まった空襲。

その対策の一つが

人や物を地方に移す疎開です。

よく知られるのが
学校単位で行われた学童疎開です。

お父様 お母様。

(一同)おはようございます。

東京や大阪などの都市から

およそ46万人の子どもが
地方へ生活の場を移しました。

そして 建物疎開。

空襲による火災の延焼を防ぐため

あらかじめ建物を取り壊し
防火地帯を作りました。

更には 軍需品の生産施設を

地方に移したり 地下に隠したりする
工場疎開も行われました。

今宵の「知恵泉」では

こうした疎開の一つ
文化財の疎開を見ていきます。

美術品や工芸品

古文書や遺跡などの文化財は

日本の歴史そのもの。

博物館や寺院などから
より安全な場所へ移されました。

今日 私たちが さまざまな文化財を
目にすることができるのも

疎開に関わった先人たちの
努力があったからとも言えるのです。

文化財の疎開。
その知られざる物語に迫るのは…

古代ギリシャやローマ時代の
美術史 考古学の分野で活躍し

更に 各地の美術館館長を歴任。

文化財の保存と活用に努めてきました。

先達の英知を未来に どう伝えていくのか。

文化財の疎開から知恵を読み解きます。

確かに 今 美術館とか行って

「ああ… これ奈良時代の」って
普通に見てますけど

でも そうですよね。

ああ そうか
疎開もあったんだなって思うと…。

こんにちは。
ようこそお越し下さいました。

青柳正規さんです。
よろしくお願いします。

多摩美術大学の理事長をされていると。
そんなこともやってると。

居酒屋は よくいらっしゃるんですか?

ただ 僕は酒だけじゃなくて…

今日もね おいしいメニューを
あとで用意しておりますので

ぜひ お楽しみ頂きたいと思います。

冒頭もありましたけれども
もともとは青柳さんっていうのは

西洋美術 考古学の研究をされていた。

それから日本文化 ここに入っていく。
どういう動機があったんでしょうか?

やっぱり みんな そうなんですけどね…

例えば
ギリシャ・ローマなんかをやってたり

あるいはイタリアの美術なんかに
接していると

日本では どうだったのかな?
そのころの美術は どうだったのかな?

ついつい考えざるをえない。
そういうことがあって

だんだんだんだん
日本回帰してるんでしょうね。

今日は 戦時中の日本で行われた

文化財の疎開の知恵を
味わっていきたいと思うんですが

当店の
おすすめメニューがございますので

まず そちらから ご覧頂きましょう。
こちらです。

(笑い声)
静かになりましたね。

いかがですか? 鈴木さん。

ねっ?
(笑い声)

お宝が「爽快!」。
爽快 そうかい そかい…。

疎開ってことか。

未来に「イカソーメン」。
いかそう… 生かそう。

お宝を疎開で未来に生かそうという
思いを込めて

このようなメニューにいたしました。

この空気に 私は爽快ではなく

ちょっと後悔いたしておりますが。
(笑い声)

まずはですね こちらの知恵から
味わって頂きましょうか。

上野恩賜公園の一角を占める…

日本最古の博物館として
今年 開館150周年を迎えます。

国宝89件
重要文化財648件をはじめ

およそ12万の品を収蔵。

質 量ともに

日本を代表するコレクションを誇ります。

東京国立博物館が
収蔵品を空襲の戦火から守るため

疎開を計画したのは
太平洋戦争が始まる前でした。

当時は 宮内省所管の組織で

東京帝室博物館と呼ばれていました。

東京 そして奈良にあった
2つの帝室博物館を統括する

総長の渡部 信は
昭和16年2月 宮内大臣に対し

疎開の必要性を上申する文書を
作成しています。

太平洋戦争開戦の10か月前

空襲を受ける可能性があると
先手を打っていたのです。

その年の8月
収蔵品の移送が始まりました。

送り先は 奈良帝室博物館の倉庫。

軍需工場の少ない奈良は 東京に比べ

空襲の危険性が
低いと考えられていました。

こうして 収蔵品の中でも
特に重要とされた334点が

4回に分けて奈良へ運ばれます。

その前の年 昭和15年 1940年に

当時の東京帝室博物館で
正倉院宝物の展覧会がありました。

この時に奈良と東京の間を
宝物が往復する様子を

当時の博物館の職員が
スケッチで残しています。

こちらは 正倉院の宝物を

移送する様子を描いたスケッチ。

壊れやすいものは
内箱を外箱の中で宙づりにして

衝撃が伝わらないよう工夫されています。

疎開の時も同じく 一点一点
厳重に取り扱われたと考えられます。

大変 大事なものを運ぶので

館の職員が列車の中に
一緒に乗り込んで

目的地まで同行したようです。

特に 日本の美術品というのは
繊細ですので

非常に気を遣いながらの
移動ということだったと思います。

苦心の末
運ばれたものをご紹介しましょう。

白い象の背に置かれた

蓮華の台座に座る普賢菩薩が

伏し目がちに合掌しています。

平安時代を代表する仏画です。

整った顔だちに 丸みを帯びた肉づきや

衣服のしわの自然な表現が特徴。

体が ほんの少し傾いているのは

本尊の薬師如来に寄り添うように
つくられたからともいわれています。

ちなみに移送先は
奈良だけではありませんでした。

その一つが大正天皇が葬られた
多摩御陵でした。

敷地内に建てられた倉庫に
昭和17年7月 663点が移送。

その後も多くの収蔵品が運ばれました。

そして 福島県
猪苗代湖のほとりの

高松宮御別邸にも

昭和19年7月
352点が運ばれています。

このほかにも全国各地に

収蔵品が移送されました。

着々と進む 疎開。

しかし その一方で
さまざまな問題が生じました。

その時 道を開いたのが 今日 最初の知恵。

奈良 正倉院。

聖武天皇ゆかりの品をはじめとして

多数の美術工芸品が収蔵される
高床式の倉庫です。

戦時中 正倉院を管理した帝室博物館は

収蔵される宝物を
疎開させる方針を定めましたが…。

研究員の園田敬男が残した手記に

宝物を疎開させる過程で起こった騒動が
記されています。

(園田)宝物を保管?

トンネルの中で?
そう。

宝物を 廃線となったトンネルに

疎開させようというのです。

一応 湿気などへの対策をとった上で
移す計画だったようですが…。

その地に土地勘があった園田は

多少の対策をとったとしても

保管場所としては適さないと
即座に反対しました。

困ったぞ…。

今更 変更など できんぞ。

大臣の決裁?
そう。

園田は 上司と共に意を決して
総長 渡部へ計画変更を申し出ます。

渡部は 驚く様子も見せず

園田の説明に
じっくりと耳を傾けたといいます。

(渡部)おおむね理解しました。

その後 トンネルへの疎開はなくなり

正倉院の宝物は
奈良帝室博物館の収蔵庫などに

疎開することとなりました。

園田らの話を聞いた総長の渡部が
大臣に説明を行い

改めて決裁を得たと思われます。

疎開の過程では
更に別の問題が発生していました。

博物館の目玉とも言える文化財を
軒並み運び出した結果

展示品の質が著しく低下したのです。

ここでも事態を打開したのは

「生かすも生かさぬも人次第」の
知恵でした。

こちらは 帝室博物館が発行した
「全館陳列目録」。

博物館に展示されていた作品名が
記されています。

作品名の頭に記されるのは
「模造」 そして「摸本」の文字。

実は 疎開させた作品に代え

一流の画家や職人の手による
精巧な模造品を展示したのです。

帝室博物館では
更に 大々的なサービスを始めて

集客に努めました。

昭和十八年…

列品解説とは 各分野の学芸員が
展示品を詳しく説明する

いわば ギャラリートーク。

それまで週に1回だったものを
毎日行うことにしたのです。

日誌には
集客数や
見学客の反応が

細かく
記されています。

逆境の中でも
博物館の意義を
知らしめたい。

その意気込みが
伝わります。

(玉音放送)「茲に忠良なる爾臣民に告ぐ。

朕は 帝国政府をして
米英支蘇四国に対し

其の共同宣言を受諾する旨
通告せしめたり」。

昭和20年8月15日。

ポツダム宣言を受諾し 降伏することが

ラジオ放送により 国民に知らされました。

戦争が終わりました。

東京帝室博物館は 空襲を受けず

各地に疎開させていた収蔵品も
戦火を免れました。

しかし 日本の多くの都市が空襲で焼け

同時に文化財が失われました。

現在 東京国立博物館に並ぶ数々の名品。

その一つ一つに
かけがえのない文化財を

後世に残そうと奮闘した
人々の思いがあったのです。

…ということで帝室博物館の疎開について
見てまいりました。

さっきのトンネルの話もそうですけど
確かに ここ よかれと思っても

そこの場所の環境が
本当に適してるかどうかって

気付く人がいて
よかったですよね。

あそこで
ふんばってくれなかったら

もしかしたら 今 見られない文化財も
あったかもしれませんよね。

よかった よかったとは
思ったんですけれども

帝室博物館の文化財は守られつつ

その一方で
戦災で失われてしまった文化財も

たくさんあったということなんですね。
青柳さん どうご覧になりました?

やっぱり
この第二次世界大戦だけじゃなくて

地震とか
さまざまな災害もあるわけですからね。

そういうものを全部 いろいろ考えて

それだけの対応のしかたを ふだんから
考えておくことが大切ですよね。

ちょっと当時の時代背景が
どうだったのかって

思いを
ちょっと はせてみたいんですけれども。

こちらでございます。
これは どういうものなんですか?

これはですね
昭和11年に作られたもので

「婦人の力で防空」って
なってますけれども

当時は 女性も防空意識を持って

地域のために頑張りましょう
ということも ありましたし

昭和6年の満州事変が
始まってからは

やはり戦争が
身近なものになってきて

防空演習であるとか

そういう危機を知らせるための
ポスターっていうのも

盛んに 全国的に
作られるようになったんですね。

ただ そのあと また
昭和12年に日中戦争が始まって

より一層 戦争の危機感があって

焼夷弾が描かれたりとか

それから火事を消すための
バケツリレーしてたりとか

防毒マスクを着ける人が出てきたりとか

だんだん やはり リアルになってくる
っていうところはあります。

その帝室博物館が太平洋戦争の前から
疎開を始めていた背景には

こういうことも
あるということなんですか。

やはり帝室博物館の場合は

関東大震災で
被害を受けているっていう

教訓があったと思うんですね。

それが今度は 空襲という形で

ある意味 予測されることなので

それに対して備えるっていうことが

関係者の間では議論されて
実行に移されたんだと思いますね。

では ここでの知恵を
見ていきたいと思いますけれども

ここでの知恵は…

本当にそうでね
やっぱり 物自体はさ

自分で動くことも しゃべることも
何もできないわけですよね。

だから それを
まず すくい上げる人が要るし

それから100 500あったら そのうちから
いくつを選択してやろうかっていう

そういうものは
人間が介在しなくちゃいけない。

人です。 まさに人。

面白い。 そう考えると

人が こう やっぱり…

そうです そうです。

何か 文化財って単純にいうよりかは

何か 残していくものっていう感覚が
ありますね。

そうですね。
だから 今まで固定した考えだったのが

やっぱり文化遺産っていうような
考え方でね

文化遺産… だから遺産として
それで次の世代

あるいは
次の次の世代に残していこうという。

だから それが文化遺産ですよね。

単なる財で 物じゃなくて
遺産で つないでいくものなんだと。

結局 残す人のマインド

大切に 自分が
していたんだよっていうことも含めて

継承される
遺産っていうことなんですよね。

その物体だけじゃなくて
その先人の思いであるとか

そのところが 一緒にならないと

結局 途中で
やっぱり失われてしまったりとか

傷つけてしまったりっていうことが
あるから

両方がないと
やっぱり遺産にはならないと思いますね。

あと もう一つ思ったのが
列品解説ですか。

今は よくあるトークとして
美術館 博物館… 耳につけてね。

ピンチがチャンスっていうことですよね。

だから今回も コロナの時にね

いろんな美術館が いろんな工夫をして
わざわざ美術館に来なくても

自宅で見れるような いろいろな
YouTubeを使ったりなんかして やってる。

そういう知恵が生まれてきてますよね。

なおかつ そこに…

マインドが変わるわけですよね。

だから東博… 当時の帝室博物館がやった
列品解説っていうのも

今までは 来館者っていうのは

ただの
オーディエンスだったわけですけど

列品解説をすることによって
ただのオーディエンスを

サポーターに変えていく。

自分たちの応援団に
取り込んでいくっていうような

活動だったんじゃ
ないかなっていう気がしますね。

それから さっきの見てて 面白いのは

いろいろなものが疎開しちゃって
いいものがなくなっちゃった。

だから模造品っていうか レプリカを
並べたって書いてあるんだけど

あれは 非常に賢いやり方で
もう正倉院の御物なんかは

明治の頃から
その当時の最先端の工芸職人が

いろいろ研究しながら
レプリカ作ってるんですよね。

そういう文化財
文化遺産を保存していこう。

そして それが駄目な時には
レプリカで見ていこうっていうのが

蓄積があるから
そういうことができたんですね。

そういうことを考える人が
やっぱり いたっていうことですよね。

今のお話 伺ってて
一つの疎開っていう

文化財の疎開っていう道と
もう一つ また道が見えて

これが並行に
走ってるっていうふうに感じて。

きっといろんなところで いろんなことが
こういうふうに並行にレイヤーになって

同時に走ってるんだなっていうのも
何か すごい ああ… そうかって

今 感動がありました。

それが全部 今に
つながってるっていうことですよね。

今につながってると
未来にも つながるっていうことですよね。

ここまで「お宝爽快! イカソーメン」の

気分になってきました?

そこで もう一つ ちょっと 今日ね
メニューを用意したんですよ。

それは う~ん…。
食べた気持ちになって頂いて。

いきましょうか。 こちら。

静かになりました また。

でも さっきよりは
ストレートに言いたいことが…。

分かります? じゃあ こちらの知恵を
ご覧頂きましょうかね。

奈良 東大寺。

大仏殿を中心に
壮麗な伽藍がひしめきます。

その広大な境内の東側に
あまたの戦災や火災を免れてきた

東大寺最古の建物 法華堂があります。

お堂の中には 本尊の不空羂索観音像。

秘仏として
毎年12月16日のみ公開される

執金剛神像。

髪を逆立て 怒りの相がすさまじい

金剛力士像。

安置されている仏像は 全10体。

いずれも国宝です。

これらの仏像 そして 法華堂そのものの
疎開を巡る騒動が

戦時中に起こっていました。

太平洋戦争開戦から2年後の
昭和18年12月。

時の東條英機内閣が
一つの閣議決定を下します。

国や自治体が管理する文化財のみならず

数々の名品を抱える
全国の神社や寺へ対しても

空襲へ備えるよう命じました。

東大寺にも境内の貴重な仏像を
直ちに疎開させるよう

県と文部省から要請が届きます。

ところが…。

東大寺では 仏像の疎開に対して

反発する意見が多く上がったといいます。

仏教関係者と
親交の深い

文芸評論家
亀井勝一郎が

仏像の
疎開について
記しています。

仏像の疎開を巡り 東大寺と行政の間で

慎重に話し合いが繰り返されました。

昭和19年4月。

東大寺で県や文部省の役人を交えて
会議が開かれました。

議題は 主に 法華堂内に安置される
仏像の取り扱いです。

慎重な議論の末 結論が出ました。

中心的な位置を占める仏像は

そのまま堂内に据え置く一方で

一部の仏像については

疎開させることとしたのです。

政府の定めた方針に沿って
業務を進める役人たち。

東大寺は その立場や言い分を熟慮し
判断を下しました。

同様のケースは ほかにもありました。

行政側は仏像と同時に
寺の由緒ある建物も解体し

疎開させるよう求めました。

寺最古の建物 法華堂も
その対象となりましたが

東大寺は 強く難色を示します。

寺に残る日誌の記述です。

信仰の対象である
仏像が

安置される お堂を
移すべきでなく

また 一度解体したら

元どおりに再建するのは
容易でない。

そう考え
不承諾と回答しました。

その一方 同時に疎開を要請されていた

大仏殿につながる廻廊。

そして 二月堂の登廊については

要求を受け入れ 解体に踏み切りました。

仏像の疎開だけでなく
建物の疎開についても

東大寺は 譲歩の姿勢を示したのです。

しかし 昭和20年6月1日。

寺から1キロ離れた通りが
奈良県で初めて空襲を受けました。

事態は 一変します。

もはや 一刻の猶予もないと
法華堂の解体を迫る行政に対し

東大寺側は
その要求を のむしかありませんでした。

僧侶たちの反発は大きく ある者は…

…と 辞職を願い出る
騒ぎにまで至っています。

しかし 土壇場で
法華堂は 解体を免れました。

一体 何があったのか。

当時 若手の僧侶だった筒井寛秀が
晩年 記した回顧録に

経緯が記されています。

まさに 工事が始まろうとした時

様子を見守っていた寺の執事のもとへ

一人の新聞記者が歩み寄り
耳打ちをします。

執事は 事の詳細を問いただしましたが

記者は ただ ほほ笑み
立ち去ったといいます。

執事は すぐさま管長に報告。

管長は 知事を訪ね
工事の一時中断を要請しました。

果たして
記者の言うとおり 戦争が終わりました。

東大寺の疎開にまつわる騒動は

終戦によって幕を閉じたのです。

信仰の対象か 美術品か。

同じ文化財であっても

立場や考え方により
捉え方は さまざまです。

法華堂は 結果的に
元の姿を保っていますが

文化財が今に伝わる裏には

先人たちの
なみなみならぬ奮闘があったんですね。

ということで「ほっとけーキ」。

ほっとけーキ… ほっとけ ほっとけ
ほとけ 仏。

仏教の疎開ということでありましたが
いかがでした?

いや 何か この時の…

何か 実際に こう きっと

お互い分かるんだけどっていう

やり取りだったんじゃ
ないかなと思って。

法華堂のあれをね
解体するっていうのも

えっ 解体するの? っていう
気持ちもあれば

でも 解体しないと
守れないかもしれないしっていう

「かもしれない」っていう中で
動くのって

すごい やっぱり
大変だろうなと思って。

田島さん
私 ちょっと気になったのは

東大寺の大仏は
あれは どうなったんですか?

結局 あまりに大きすぎて
動かせないから そのまんま

いるしかないっていうことに
なるわけですけれども。

大きいっていうことは
やっぱり上空から見ても

目立ってしまって 攻撃目標に
されやすいわけですよね。

ですから その時は
緑のネットで建物を覆って

上空から見えないようにする
っていう知恵が

働いたっていわれてるんですね。

同じようなことは 例えば

世界文化遺産で国宝になってる
姫路城なんかも

白くて目立っちゃうので 戦時中は

黒いネットをやはり かぶせた
っていう話が伝わっています。

もちろん それが どこまで

有効だったかっていうのは
分からないんですけれども

ただ それだけ やっぱり そこからも…

…っていうことは言えると思いますね。

ネットかけたんですって。
カムフラージュです。

カムフラージュ。
偽装ですね 完全に。

ここでの知恵が…

これ 大切なことで
やっぱり いろんな考え方があるし

それから
それを宗教の対象として見るのか

それから美術品として見るのか

あるいは 歴史上 大切なものだから

何しろ 保存を中心に考えるのかって
いろいろある。

だから 関係者で そういうことは…

その妥協点で さっきの法華堂みたいに

3つに分散保存ですよね。

危険分散ですから
当然 いい方法ですけれど

そういうことに決着したと。

だから 何しろ
誰かが ひそかに決めて

ダッて やるんじゃなくて

いろんな関係者と
しゃべりながら決めていくことが

知恵を生む
大きな理由 場じゃないかと思いますね。

もちろん それこそ喧嘩みたいな

言い合いになった場面も
あったかもしれないですけど

このやり取りの中で じゃあ どこまでを
守っていくのかっていうのを

自分自身も確認しながらっていう

作業だったのかなっていうふうに
想像すると

やっぱり…

やっぱり お互いに
理解しあっていくっていうことに

つながっていくっていうのが
やっぱり大事だよなっていう。

1か0かっていうのじゃなくて

1と0の間にも
無数に数はあるわけですよね。

ですから その間で答えを
お互いに見つけ出す方法を考える。

だから 明治初期に政府が

神道を
もっと大切にしなさいっていうことで

別に 仏教を
駄目にしろとは言ってないんですよ。

だけど その言葉が 独り歩きしちゃって

それで いろんなところで議論もなしに

どんどんどんどん
お寺に仏教に迫害を加えていく。

奈良の場合 興福寺の五重塔が

20円で売りに出されたっていう
噂さえあるんですね。

これは 本当か うそか
はっきり分からないし

それから 結局は

解体されなかったから 済んだから
よかったんですけどね。

そこまで 議論がないと
進んでしまうおそれがある。

だから やっぱり これから何か

困難なことが起こったり
決めにくいことが起こったら

やっぱり みんなで意見を持ち寄って
やることですね。

実際に 今 文化財の保存の上で
こういうふうに

意見がぶつかってしまうような
場面っていうのは あるんですか?

いろいろありますよ。
例えば 高松塚の時にもね

あそこを
どういうふうに保存するか

その保存科学の人と

それから 中の壁画を
大切にしようということで

切り取って外に出して
博物館の中にしまおうとか

いろんな意見がありましたもんね。

それで やっと今のようなところに
着地点を見つけて

今現在
解体保存をしてるわけですよね。

答えは 一つじゃないですよね。

だから それの
一番いいところっていうか

ちょうどいいところを
探すっていうのって

大変だけど でも それって
すごく豊かなことでもありますよね。

トップダウンで誰かが決めちゃって

嫌々それに従うってなると
何か起こった時に

あいつが言ったんだとかね
やったんだとかになりがちですけれども

みんなで話し合って決めた結論だから
誰が悪いっていうわけでもなく

逆に言うと
誰がいいっていうわけでもなく

結果がついてきたっていうことだと
思いますけどね。

これまでも そういう議論が行われ

これからも そういう議論を
していくということなんですかね。

それだけ やっぱり
文化遺産や文化財っていうのが

我々の未来にとって非常に重要なもんで

だけども 決定的な解決法とか
決定的な保存法っていうのは

まだ出てないわけですよね。

だから 将来の可能性も考えながら

今 どうするかっていうことを

考えていかなくちゃいけない
っていうことでしょうね。

本当に深い話 ありがとうございます。
鈴木さん 今日 ずっと

文化財の疎開について見てきましたが
いかがでした?

何か 文化財を これを
どうやって守っていくかっていう

その そこまで人の気持ちを動かす
文化財っていうものの魅力も

もっと知りたくなりましたし

同時に
人と人が それをつないでいくために

いろいろ話し合っていくこと

風の通しのいい
コミュニケーションだったり

知恵を出し合うことだったり

それを信頼し合っていくことの
大事さっていう

何か本当に これからというか
今 やっぱり すごく大事なことが

この知恵の中に たくさん
詰まっているように感じました。

文化遺産っていう言葉が本当にね
今日は 心に残る回でした。

鈴木さんの絵も
この うちのお店もですね

これから
文化財 文化遺産として

残っていったらいいですね。

本日は
ご来店ありがとうございました。

見えない力「重力」。

Source: https://dnptxt.com/feed/

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