徹子の部屋 ココリコ[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 ココリコ[解][字]

~結成30周年!黒柳をまき込み新作コントを披露!?~ココリコが今日のゲストです。

◇ゲスト
小・中学校の同級生コンビ。結成30周年を迎えたココリコがゲスト。いつの間にか「幼馴染」から「仕事の相方」になり、お互いを「さん」付けで呼ぶようになったという2人に、黒柳さんが突然“ある提案”をするが…!?
◇番組内容
中学では野球部だった2人。遠藤さんは高校も野球推薦で入学、田中さんは野球を諦めデザイナーの道を目指すことに。だが数年後、野球の夢が破れ、次の夢「お笑い」の道を歩み出そうとした遠藤さんは、相方を誰にしようかと考えた。その時、専門学校の卒業制作をアップアップしながら作成している田中さんに目を付け…。そして2人は何のツテもない東京に無計画に上京。たまたま1カ月後に受けたオーディションに合格したという。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

テキストマイニング結果

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キーワード出現数ベスト20

  1. 本当
  2. 遠藤
  3. 田中
  4. ホホホイ
  5. コント
  6. 部長
  7. コピー
  8. 今日
  9. 野球
  10. 自分
  11. 徹子
  12. お父さん
  13. 一緒
  14. 随分
  15. 友達
  16. プロ野球選手
  17. 高校
  18. 黒柳
  19. 反対
  20. 返事

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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(黒柳)こちらは 本日のゲストの

コンビ結成当時のお写真です。

あれから 30年の時が過ぎ

50代になったココリコのお二人に

おいでいただきました。

小中学校の同級生コンビに

普段は
なかなか お聞きできない事も

伺ってみようかなとも思い

何か面白い事も
やっていただけるのかなとも

思ったりしております。
楽しみにしております。

13年ぶり 3回目のご出演です。

ようこそ おいでくださいました。
どうも。

ココリコは
今年 結成30年だそうで

おめでとうございます。
(2人)ありがとうございます。

こちら ラクダ似の…
どういうわけだか。

えっと ラクダ似… あなたですね。
あなたですよ。

ラクダ似は あなたですよ。
私ですね。

それ ラクダ…
誰かが最初に言ったんですか?

そういう風に。
はい。 やっぱり いろんな方から

「ラクダに似てるね」
みたいな事を言われて

なんか 自分でも
意識するようになりましたね。

今日は あれですか?
似させようと思って

こういう色にしたんですか?
違います。

偶然 今日 たまたま
ラクダ色の ちょっと…。

今日は ヒトコブ フタコブとか
別に そういうのはない…?

大丈夫です。 どちらでもないです。
田中として来てます すみません。

田中直樹さんです。
はい。

それから あちらの方がね

昭和の二枚目風
遠藤章造さんって…。

昭和の二枚目。
そうですね。 あの… そうですね。

今は もう
ちょっと違うんですけども

昭和だったら
いい感じやったんちゃうかな

っていうような感じで
よく言われます はい。

でも お二人とも51歳で

小学校 中学校と同級生のコンビ。

はい そうです。

2000年の初登場の回では
3人で… 私も入っちゃって

なんだか
コントをする事になったんですね。

そうです。

それは 遠藤さんがコピーを売る
コピーマンのお話で。

営業マンのお話で。

なんか それを3人で なんだか

私も入って
コントをやる事になったんで

ちょっと見てみます。
見れるんですか?

見れますね。
ええー!

「このね なんかね
コピー機 すごく使いにくく…

もう 古いんじゃないですか?」
「コンコン 失礼します。 ガチャ」

「何々事務機の遠藤ですけども
コピーを売りに来ました」

「あら! 部長。
おたくのコピー いいんですか?」

「うちのコピーはいいですけども
どうかしましたか?」

「今ね これ 具合悪くてね。
部長! このカタログ… あら!」

「部長 このカタログ…
おいくらですか? 安いの?」

「これ お安くしますよ」

「ほら! こんなのダメでしょ!
部長… っていう具合?」

「そんな感じです」
「こんなの… こんなのさ!」

「あれ? まだ… ちょっと

後半 急にダダッていったような
気がするんですけど」

「後半 急に なんか…」
「部長のせりふ カットです」

「部長のせりふ 言っていいわよ
言いたきゃ。 部長」

「部長はどうなの? 部長」
「このコピー 本当にいいのかね?」

「このコピー どこがいいんだよ?」
「このコピー いいんですよ」

「ただ このコピーが
壊れてなかったらあれですけども

このコピー どうされたんですか?
壊れてるんですか?」

「もうダメなのよ
とっても良くないですよ 部長」

「これ 薄いでしょ 色が。
ほら こんなに出方が薄いしね」

「なんか ずれるしね。
これ 新しいんでしょ?」

「私が ここへ入社する20年前から
これ あったんですよ」

「古いな! これ。 本当 古いな」
「もう古いと思います」

「だから 新しいのを買いましょう
新しいのを」

「どうして 私が
ここで こうやって

コントをやらなきゃならないか
っていうの 随分おかしいけど…」

「ええ こんな風にして…
これで あなた やってたの?」

「はい」
「詐欺ですね 本当」

最後が 「詐欺ですね」で
終わりましたけど。

「詐欺」だって。
これは もう すごく覚えてますね。

なんか シチュエーションだけ
本当に決めて

もう 本当 アドリブで みんなで。
そうですよね。

私も
なんだか 入る事になっちゃって。

そうです… 参加していただいて。
そうです。 そう。

今日も ここで 何か…
私は入りませんけど

お二人で
何かやっていただけます?

ハハハハ…! 今日もですか?
フフフフ…!

あの… 学校のクラスの
出席を取るコントなんですけど

お名前を言った時に
徹子さん ちょっと あの…

返事を一つ いただく事は
可能でしょうか?

それは可能ですよ。
今回は 返事だけで結構なんで。

「はい」って
返事だけしていただければ

勝手に こっちでやりますんで。
ありがとうございます。

じゃあ ちょっと
立たせていただきます…。

あの… 担任と副担任という事で
出席を取らせていただきます。

じゃあ 続いて
出席を取りましょう。

マイペース イトウ。

マイペース イトウ?

返事したくないんだね。
いいぞ イトウ。

それでこそ マイペースだ。
うん うん。

イトウのタイミングで
帰っていいからね。

よく見れば黒柳。
はい。

おい!
はい。

お前は黒柳じゃないだろ?

黒柳じゃないのに
どうして返事するんだ?

先生 よく見てください。

失礼しました。
よく見れば黒柳でした。

失礼しました。
いいんですよ。

「いいんですよ」…。
フフフフ…。

っていう… っていうですね
コントを。

あれ?
ちょっと不機嫌になられました?

いや そうじゃないの。
これが どういう風に

面白くなっていくのかなと思って
待ってた。

20人ぐらい 一応…。
これを もう バーッと

いろんな人をですね…。
いろんな 20人ぐらいいる中

ちょっと こう 抜粋して
やらせていただいたんですけど

すみません。 なんのこっちゃ
わかんないですよね。

冒頭から不機嫌にさせてしまい…。
いえ それは よろしいんですけど。

私もできる事なら
笑いたい笑いたいと思ってるんで

そういう方がいらっしゃると…。
ああ すみません。

そうなんです。
こういうのを ちょっと なんか…。

ネタ作りは どちらが
作ってらっしゃるんですか?

はい。 この状況の中
手 上げるのは 心苦しいんですが

私が このネタも… このネタも
私が作って やっております。

あなたは なんの担当なんですか?

僕は コンビの担当でいけば…
まあ ネタを作るんで

僕は ちょっと こう
いろんな所に顔を出して

なんとなく ココリコというのを
知ってもらうという事で

人脈作りまでいかないですけども
そういう感じでやってます。

でも けんかをしても
もともと 友達なので

乗り越えてきた
っていう話ですけど

本当は 2人は仲がいい?

どうなんですかね。
確かに どうですかね。

いや もちろん その…
どこか やっぱり 友達なので

なんか そこまで
大きくもめないっていうか。

すごい天然さんな部分が

たくさん…
遠藤さん あるんですよ。

「国民の三大義務は何?」
っていう問題が出た時に

遠藤さんは

「教育の義務 勤労の義務
食事の義務」って答えたんです。

ビックリしちゃうじゃないですか。
まあね。

でも なんか そういうのを
険悪な時とかに

ああ あいつ そういえば

「食事の義務」って言ってたな
とかって思い出すと

なんか こう
怒る気にならないといいますか。

まあ いいや! いいや! って
なっちゃうような感じの人なので。

なんか そこで こう…

なんか こう 険悪な雰囲気が
なくなるというか

そういうのはありました。
子どもの頃から ずっと

そうやって付き合ってきて…?
はい。

今 なんか
「遠藤さん」とかって言って

さん付けで
そうやって呼び合って?

はい。 そうです そうです。

だから もともとは
それこそ 小学校から一緒で

中学ぐらいから
仲良くなるんですけど

その時は もう 下の名前で…

田中直樹なんで
「直ちゃん 直ちゃん」。

僕は 遠藤章造なんで

「遠ちゃん 遠ちゃん」っていう…
呼び合ってたんですけど。

やっぱり こう コンビ組んで

お仕事のパートナー
みたいになってくると

どうしても
「田中さん」「遠藤さん」

みたいな感じで…
もう 30年ですもんね。

ずっと「遠ちゃん 遠ちゃん」
って言ってたのに

なんか
「遠藤 遠藤」って言ってるのが

すごく こう 心苦しくなってきて
もう この何年かは

「遠藤さん 遠藤さん」って
呼ぶようになって。

遠藤さんも 「田中さん 田中さん」
って呼ぶようになったみたいな。

なんか お二人とも大阪出身で
野球少年だった。

だけど
別々の野球チームに所属してた。

田中さんは
地元の豊島パワーズっていう

それこそ もう
めちゃくちゃ地元で強いチームの

3番で ショートかなんか
守ってたんですよ。

はい。
おお…。

僕が 豊中トンボクラブっていう
すごい優しいチームの名前の…

優しいチームのところで
僕も野球やってて。

そのパワーズには
僕は入れなかったんですね。

僕からしたら 最強チームの
もう メインのとこにいるんで

相当 野球
うまいんやろうなと思ったのが

一番最初なんですけども。

中学になって
同じ野球部になったんですけど

1日で あっ 下手だなって
思いました。

フフフ…!
すげえうまかったんです。

あれ? こんなもんなの?
みたいな。 あれあれ? みたいな。

で こっちがうまいの?
はい。 もう 完全に

上に立たれた感じしました。
立場が変わったというか…。

野球だけは もう 本当に ずっと

お父さんの教えもあって
やってたんで。

遠藤さんは 野球の強豪校へ進学?

そうです。 高校…。
これ まさに この時の。

キャプテンですよ。
キャプテン?

キャプテンです。
すごい!

なんか プロ野球選手になろうと
思ってたんですって?

お父さんの教えが…
本当に ずっと

阪神タイガースの選手に
させたい

っていうのがあって。

高校まで お父さんの 本当に

敷いたレールの上をのって
やってたんですけども。

で この高校を選んだのも…。

プロ野球選手になる前に まずは
甲子園に行きたかったんですよ。

甲子園に行って 自分の名前を
売ろうと思ったんですけど。

その時に… 一応 中学の時に
一生懸命 頑張ってたんで

7校ぐらい 一応 まあ
高校からスカウトかかりまして。

まあ すごい!
はい。

そこから もう
選び放題だったんですけど

その中の1つを
選ばせていただいて

入ったんですけど
それ以外の高校が

全部 甲子園いくという…。
全く運がなくて。

3年間の間に。
随分 運がないわね。

あなた
野球は どうしたんですか?

僕は もう ダメでした。
同じ中学で

それこそ キャッチャーを
やってたんですけど。

もう 本当に 自分のせいで

最後の試合とか
負けちゃったんですよ。

自分のミスで。

で 野球をやめて…

絵を描いたり

図面引いたりするのが
好きだったので

デザインの方向にいこうと
思ったんですけど

なかなか ちょっと

卒業制作みたいなものが
間に合わなくて

就活ができなかったんですね。

どうしようか? ってなった時に
お笑いの世界に誘われて。

どうして いきなり お笑いに
いったんですか? あなた。

僕は もともと プロ野球選手か
芸能人になりたいって

もう
ちっちゃい頃からの夢があって。

プロ野球選手は もう 諦めて

芸能人やりたいなと
思ってたんですけど。

さっきのコントであったように
1回 就職もしてて

就職をやめる時に やっぱり
芸能人になりたいと思って

この世界に飛び込んだんですけど

1人じゃ ちょっと
やっぱ なかなかなと思って。

あと まあ
友達も何人かいたんですけども

みんな それこそ
就職 決まっちゃってたんで。

で まあ 田中さん 余ってるな
っていうのもあって

じゃあ 田中さんにしようかな
っていう事で

田中さんに声をかけさせて
いただいたっていう。

誘われた時 どうだったんですか?

まさか 自分がなんて
お笑いの世界でなんて…

当然 思わなかったんですけど。

就職先もなかったので
東京への憧れもあったので

ちょっと じゃあ 期間決めて
やってみようかみたいな。

なんか… わかんないけど

もうちょっと みんな 真面目に
やってるんじゃないの? 世の中。

いや それで… 徹子さん

おっしゃるとおりだと
思うんですよ。

本当 そうやんね。
はい。

だから 本当に
お笑いやる方っていうのは…

今は もう 本当 学校みたいなのも
しっかりあって

そこに入学して そこで勉強して

デビューとかってなったり
するんですけど

なんの当てもなく…。 とりあえず

東京行ったら なんとかなるかな
みたいな感じで

もう 本当に
フワフワッと東京に来て

まあ そこから もう
30年っていう感じになってるんで。

ご両親の反対とか そういうのは
なかったんですか?

僕は 逆に
お父さんのレールを ずっと…

高校生まで野球やってくれ
っていうのもあって

やらせてもらったので

僕が言う事に対しては
もう 全く反対はなかったです。

ああ そう? あなたは?
ありました。

特に 母親が
やっぱり 反対してました。

まして 芸能界なんて…

子どもが そんな事 言いだすと
全く思ってなかったので。

そういう そぶりもなかったので。

まして
お笑いっていう事に対しても

すごいビックリしてて。
すごい やっぱり

「絶対無理よ あんたなんか」
っていうような

立ち位置だったと思います。

でも とにかく
なんだか わかんないけど

この方がやるっていうので
上京して。

翌月にオーディションしたら
合格しちゃったんだって?

その時。
そうなんですよね。

なんなんですかね? それ。
そこは 吉本ではない? 吉本?

それ 吉本ですね。
吉本主催のライブでした。

随分 割と 世の中
簡単だなと思ったでしょ?

いやいやいや!
そんな事…。 まあ ありがたい…

ラッキーな事は 本当
多々あったとは思うんですけど。

確かに そうですね なんか
運が良くというか… はい。

で 下積み生活は… そうすると
なかったんですか?

ありました。
それは もちろん ありましたね。

下積み… 僕が25歳の時

9月の給料が25円っていう

驚愕な数字をたたき出して。

1カ月?
(遠藤・田中)はい。

それは ちょっと安いわね
いくらなんでも。

ちょっとどころじゃないですよね。

パンの耳を
ずっと かじってたっていうのは

その頃ですか?
あっ でも そうです。

もう ずっと
やっぱり 食べられなかったので

少しでも お金を
節約しなきゃいけないので

歩ける距離は
電車乗らず歩いてとか。

近所に 僕は…
コインシャワーがあって

100円で 当時
4分 シャワー浴びれる…。

ああ シャワー。
なので それで 本当に

100円で いかに4分で抑えれるか
っていうのを工夫しながら

そのコインシャワーを
使ってましたね。

僕 本当に
何度か見かけたんですけど…

多分ね 田中さんは
僕の事 気付いてないんですよ。

僕は もう 見て

隠れて 僕 電信柱の…
こうやって見てたんですけど。

向こうの方から 長身の男性が…

泡立てながら歩いてくる
男の人がいるんですよ。

なんや なんや? と思って
よう見たら

田中やと思って 見てたら…
なぜかって あとで聞いたら

もう 家で先に
頭をゴシゴシ泡立てて

そのまま泡立てながら
商店街を歩いて

コインシャワーに行って 100円入れて
キレイに そこから流す。

4分をすごい大事に使うっていう。
そしたら 頭…

4分でも 頭 洗えたっていう?
はい はい。

なので 体洗うタオルには…

もう 泡立てた状態で
ビニールに入れてて。

中に入ってイチから泡立てたら
また時間かかるので

泡立った状態の袋を
こっち持ちながら。

ギリギリになって
こっちもシャンプーしながら…。

もう 4分で全部終わるように…

全部終わるように計算して
100円を使ってましたね。

でも よく それで
生きてこられましたね ここまで。

いや 本当ですよね。
周りの方に 本当に…

ごはん
食べさせていただいたりとか

助けていただいて
なんとか… はい。

そうですよね 考えたらね。
はい。

でも よく途中で
やめちゃいませんでしたよね。

26ぐらいから ちょっと こう
なんか 回りだしてきて

お仕事が… 結構 こう
いただけるようになって。

それこそ タモリさんの
『いいとも!』であったりとか

今もやらせてもらってますけど
ダウンタウンさんの番組とか。

ダウンタウン?
はい。

本当に こう
レジェンドの方たちと一緒に

仕事をさせてもらえるように
なってきて

ちょっとずつ回ってきて

世間的に 顔と名前が
一致するようになってきて。

なんとなく お給料の方も

ちょっと 生活できるな
みたいなタイミングで

うちのお父さんが
地元で家を買いまして。

あれ? なんで このタイミングで
家 買うのかなと思って

のちに聞いたら

「いや なんとなく…」
章造なんですけど

「章造が いけそうな気がする」
って言って。

それもあって
家を買ったっていう事で

25年ぐらいになるんですけど

ほぼ 僕が お金を払いきった
という感じですね。

やっと 全部 払いきった?
ほぼほぼ払いきったと思います。

へえ… 大変でしたね。
大変でした 本当に もう。

あなたのうちには
変化ありました? 実家には。

はい。 どんどん
家がキレイになっていきました。

お風呂も
快適になっていったりとか。

あれ?
ここって すごい段差あったのに

ここ スーッと キレイな
スロープになってるなとか

いろいろ やっぱり 家の中が
キレイになっていってました。

でも まあ 親孝行した
っていう感じはありました?

それは もう…
はい 散々迷惑かけたので。

それはね…
でも まあ よかったですよね。

でも 反対していらした
田中さんのお母様は

どうでしたか?
はい。 なんか 今は もう

最初から応援していましたよ
みたいなスタンス取ってますね。

ハハハハ…!
嘘つけ! 嘘つけよな!

そうですね。 反対してたよね?
みたいな感じですけど

なんとか 応援してくれて。
そうですか。

お二人とも結婚して
子どもを持つ親になり

遠藤さん 息子2人。
遠藤さん 息子2人です。

僕は まあ 長女もいるんですけど

今は 息子が一緒に…。
あら 可愛い。

小さいね まだ。
まだちっちゃいです。

6歳と4歳の男の子2人なんで
なかなか…

これから まだまだ
頑張らなアカンなっていう。

相当大変ですね。
相当大変です。

この子たちが二十歳になるまで
っていったらね。

そうですね。
あと 15年 20年近くは

頑張らないといけないなっていう。
そうです。 あなたは どうですか?

はい。
うちも男の子2人なんですけど

もう 高校生と中学生なんで
もう だいぶ大きくなって。

じゃあ もう
手が そんなにはかからない。

そうですか。
はい。

遠藤さんは 息子さん2人に
大きな夢を持っている。

はい。 僕が ずっと…

お父さんが 僕をプロ野球選手に
させたいっていうのもあったので

まあ なんとか
野球選手にさせたいなっていう

夢は大きく持ってるんですけど。
僕 やっぱり

タイガースファンですから…
やっぱ 関西出身で。

今も ずーっと
タイガースが好きなんですけど

どうしても 子どもたちに こう

阪神タイガースの事を
いろいろ教えていくんですけど

やっぱり
今の子どもやなと思うのが

やっぱり
大谷翔平さんなんですよ。

で… 大谷翔平さんって
やっぱり 二刀流で

誰もが成し得なかった

ピッチャーとバッターで
トップになるって

すごいなっていうのを

もう
子どもながらに わかってるんで。

僕は もう一丁
上いってやろうかなと思って。

ゴルフも
僕 好きで やってるんで。

野球は大谷翔平で
ゴルフは松山英樹で

この二刀流に
してみようかなと思って。

夢は大きくなんですけども…。

まあ 確かに そんな顔になるなと
思いますけども。

フフフフ…!
でも 夢は大きく。

ちっちゃいから可能性はね…。
夢は大きく 可能性は…。

だから 今 一生懸命
食事から何からやってますけど。

本当に? 本気でやってるわけ?
そういう風に。

そうですね。
まあ… 今 まだ 幼稚園なんで

小学校入った時ぐらいから
ちょっと…。

すごい大変。 今 幼稚園じゃ
これから 大人になるまで

随分かかりますよね。
まだまだかかります。

お父さんの仕事は どういうのか

っていうのは わかってる?

まだ 子どもがちっちゃいので

「パパの仕事 何かわかる?」
って聞くと

「ホホホイの人でしょ?」って
言われるんですよ。

「そのギャグの人でしょ?」
みたいな感じで。

パパが… 今日も まさにそうです。
今日も

「じゃあ 今から仕事行ってくるね」
っつったら

「ホホホイ 頑張ってね」って
言われるんですよ。

いや 徹子さんの前で ホホホイ
やらないでしょ! みたいなね。

ちょっと やってあげれば?
いやいや いやいや…!

もう 本当に 本当に もう…。
本当に もう…。

ホホホイ! ホホホイ!
ホホホイ ホーイ!

これなんですけど。 本当はね

今日は 『徹子の部屋』バージョンに
声 抑えましたけども。

どうして 「ホホホイ」っていうの?
でも。

僕もスタッフも
考えた事はないんですけど

二十何年か前に
ダウンタウンの松本さんに

随分 こう 追い込まれたんですよ。

「もっとできるやろ
もっとできるやろ

なんか もっと もっと
もっと もっと…!」って こう

こういうコーナーで。
で ブワーッと追い込まれて

僕も もう 何やっていいのか
わからなくなって

急に 顔とか体をたたいて
最初に出た言葉が

「ホホホイ! ホホホイ!
ホホホイ!」やったんですよ。

そこから
「ホホホイ」が生まれました。

フフフフ…!
そしたら 面白いって言われたの?

それで なんか 皆さん
ちょっと沸いていただいて

そこから まあ ずーっと こう

長々と
やらせていただいてるんですけど。

結成30周年で
コントに力を入れていて

YouTubeで
週に1本 新作コントをやって

大変でしょう?
でも 週1本のコントを作るって。

はい。 ただ 本当に 30周年…
さっきのお話じゃないんですけど

なんか こう 改めて

何か一緒にやれたらいいなって
話になって

コントが好きなので
じゃあ 週に1本 コントを…。

なんか やっていただけます?
さっき やったやつが… はい。

失礼しました。
さっき やったやつが まさに…。

さっきのやつって
どういうやつだっけ?

もう あんまり前で
忘れちゃったわ。

あの… 点呼を…
点呼をしてる先生の。

あっ 点呼を取る? あれか。
そうです。 そういうの…。

あれっきゃないの?
ハハハハ…!

いや あれっきゃない事は
ないんですけど

なんか ちょっと こう…

編集で遊んだりとかするような
なかなか ちょっと こう…。

その時… やる時は

昔の友達に戻った感覚で
やってるとか…?

でも 本当 そうですね。
若い時は なんか…

自分が こうしてほしい
ああしてほしい みたいな事を

強く… なんか 遠藤さんにも

「こうして ああして」みたいな事
言ってたんですけど

今は なんか 友達に また
戻ってきてるような感覚なので。

でも 考えてみたら
小学校 中学校 一緒っていう事は

随分ちっちゃい時から
一緒だっていう事よね。

もう 40年弱になるので。
ねえ。

そんなに仲がいいのに
さん付けで…

どっちかっていえば さん付けとか
そういうので

30年の お互いの感謝の気持ちを
ちょっと ひと言ずつ

おっしゃっていただいて
いいですか?

ああー そうですか。
ああー そうですか。

いや でも 僕は 本当に あの…

まあ 田中さん… 直ちゃん。
直ちゃんは

本当に あの…
ありがたいなと思います。

こう 30年…
今 もう どの企業に入っても

30年やり遂げるって
なかなか厳しい このご時世で

こういう よくわからない芸能界で
30年

こうやって やらせていただいてる
っていう事は

本当に 田中さん… いや
直ちゃんのおかげだと思うので

この場を借りて
本当にありがとうございますと

言いたいですね。
あなたは どうですか?

はい。 ええー…
まずは 遠ちゃん

この世界に 自分を誘ってくれて
ありがとうございました。

遠ちゃんが誘ってくれなければ…。
そんな 本気でくる?

いや そんな…
そんな 本気でくる?

いらないですか?
いやいや あの…

徹子さんを交えてやった方が
いいんじゃないですか?

でも いいじゃない。 横向き。

でも 本当にそうで。

誘ってくれなければ
当然ですけど 徹子さんとも

こういう場で 出していただく事も
僕は絶対なかったので。

だから そうなんです。
たくさんの人… 素敵な方と

引き合わせて…
番組にもそうですし

人ともそうですし
…を運んでくれたのは

遠ちゃんなので。 それは もう
すごく やっぱり感謝しています。

じゃあ ありがとうございました
って事ですかね?

はい。 遠ちゃん 改めまして…。
いや 大丈夫ですよ。 あの…

前 向いたままで
全然大丈夫なんで。

いや 目を見て言わせてください。
いやいや いいんです いいんです。

遠ちゃん ありがとう。
いや もう 前… 前向いてね。

番組ですから。
はい。 でも 本当 そうです。

解散するなんて事はない?
解散も考えてませんし

もう 友達っていうのは
一生変わらないと思います。

まあ そうですか。 どうも
本当ありがとうございました。

ありがとうございます。
ありがとうございました。

『徹子の部屋』は

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