出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 桐島かれん&桐島ローランド[字]
~“認知症”になった母・桐島洋子さんの今は~桐島かれんさん&桐島ローランドさんが今日のゲストです。
◇ゲスト
作家・桐島洋子さんの長女でモデルの桐島かれんさんと、長男でフォトグラファーの桐島ローランドさんがゲスト。
◇番組内容
洋子さんは、未婚の母として女手一つで子ども3人を育て上げ、日本女性の自由な生き方の先駆者として支持された。そんな中、いつも執筆活動のネタにされ注目されていたのが子ども達。当時の母の行動や自分達の生活をどのように思っていたか本心を明かす。小さい頃から母は“歩く百科事典”。そんな母が8年前アルツハイマー型認知症と診断された。最初に違和感を覚えた時の話、症状が進み病院へ行くまでの葛藤などを赤裸々に語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(黒柳)皆様 よくご存じ
桐島洋子さんご一家です。
今日は
ご長女の桐島かれんさんと
ご長男の桐島ローランドさんに
おいで頂きました。
お二人とも50代という事で
立派に成長なさいました。
よくいらしてくださいました。
どうも。
お母様の桐島洋子さんは
8年前に
アルツハイマー型認知症を
発症なさったという事ですけど
近況も伺います。
よくいらしてくださいました。
どうも。
ローランドさんは
『徹子の部屋』 初めて。
(ローランド)初めてですね。
そう… うん。 そう。
フォトグラファーで
いらっしゃって… 写真家ですね。
かれんさんはモデル。
はい。
さて お二人のお母様の
桐島洋子さんという方は
日本女性の
自由な生き方の先駆者で 今は…
あっ 写真があります。
洋子さんが
真ん中にいらっしゃって
かれんさんが一番右側で
ノエルさんがいらっしゃって
そして ローランドさんっていう。
本当に にぎやかな
いいご家族で
うらやましい限りでございます。
ノエルさんは現在 ちょっと
カナダにいらっしゃって。
はい。
なんか お母様の執筆活動の
ネタっていうものは
子供たちとの暮らしぶりを主に
書いていらっしゃいましたよね。
はい そうです。
ノンフィクション作家なので
自分の冒険の話
また 子育ての話で
『マザー・グースと三匹の子豚たち』
といった本では
結構 私たちが登場するので。
その子豚たちも 今では
もう 50代の…。
子豚というの…
大豚になっちゃった。
もう 子豚じゃないね。
子豚じゃなく
なっちゃったんですけれど。
これ アメリカに住んでた頃です。
このぐらいの時は
大変だったでしょうね お母様ね。
大変だったです。
私 大変だったと思いますよ。
この時代で
シングルマザーどころか
未婚のまま 子供を3人
育て上げたので
大変だったと思います。
お二人とも
子供を持つ親でもあって。
かれんさんは ご主人と
そして 子供さん
4人いらっしゃるんですって?
そうなんです。 4人います。
大変でしょ? 4人もいたら。
子育ては その頃は大変でしたね。
でも もう 上は結婚しましたし。
あっ そんな大きくなったの?
そうです。 そして 一番下が
今 大学生なので
私は だいぶ楽になって。
ローリーは まだ…。
まあ うちの娘が
つい最近 大学生になって
息子も そろそろ高校生なんで。
子供は2人?
はい。 2人です。
そうですか。
あっ 今 こんなになったの?
これが家族大集合ですね。
そうですね。
そうです。 夫も写真家なんですね。
なので 家族でクリスマス
あとは誕生日会の時には
このように集まって。
家の地下にスタジオがあるので
その地下で こうやって
いつも よく写真を撮っています。
お父様がいらっしゃらなくても
別にネガティブにもならずに
みんな 明るく育った。
どう?
かろうじて。
かろうじて。
かろうじて?
運が良かったと思います 本当に。
幸い 色んな…
母の友達とかも すごく優しくて
母がいない時に たまに
ピンチヒッターみたいな形で…。
あと おじいちゃんと
おばあちゃんも
家の向かいに住んでたんで。
そうです。 祖父母が前に住んで。
それは随分違いましたよね。
ええ。 そうですね。
肉親が
いらっしゃるっていう事はね。
ローランドさんにとって
お姉様のかれんさんは
どういう存在だったんですか?
やはり 母が
家に あんまりいなかったケースが
多かったので
姉が 本当 母代わりだったり
父親代わりだったり…。
正直な話 番長でしたね
うちの姉は。
ハハハハ…。
番長。 強かった。
ケンカする時は
私が強かったですね。
あっ そうですか。
怖かったかな?
超怖かったですね。
ただ 母が
いわゆる
常識的な母親ではなくて。
例えば 学校の入学式 卒業式
もしくは 運動会 授業参観とか
一切 出ないんですよ。
あっ そうなの。
だから 運動会なんか
来た事がないので
私が お弁当を作って…。
それは かわいそうね。
そうなんです。
みんな どっちかっていうと
運動会の時のお弁当が
楽しみじゃない 子供にとっちゃ。
そうなんです。 だから 私としては
妹と弟のお弁当を作って
お弁当の時間になると
みんな 散っていくわけですよね
それぞれの家族の
ママとパパの所に。
私は ローリーが どこに行ったか
ノエルが どこに行ったか…。
そうすると 大体 皆さん
気 使ってくださって
「ローリー君
こっちに座りなさい」
「ノエルちゃん
こっちに座りなさい」って言って
みんな
受け入れてくださるんですよ。
それは よかったですよね。
そんな感じで。
だから ちょっと変わった母では
ありましたけれど
でも 彼女なりの
独特な子育てをして
厳しいところは
厳しかったですし…。
寂しい事はなかったの?
子供たちは。
寂しくは感じなかったです。
それが すごいと思います。
旅行にも よく連れて行って…。
それがね よかったね。
そうなんです。 おかげさまで
僕も すごい旅行好きになって。
なんか あなた 何十カ国か
いらしたんですって? もう。
かれこれ 97カ国ぐらい。
えっ そんなに?
そうなんです。
しかも 1人で行っちゃうんです。
で 一気に何十カ国も
回るんですね。
バイクとか車に乗って。
あとは アフリカで
バイクのレースも出て。
出ましたね。
世界一 過酷なレースって
いわれたやつにも一度出て。
本当に。 ええー。
ローリーは冒険野郎です。
それも 母の やっぱり…
ベトナムに
行っていたじゃないですか。
なんか そういう… ああいう
自分のランドマークみたいなのが
あったらいいなと思って。
一つぐらい じゃあ
過酷な旅をしてみたいなと思って。
バイクは
子供の時から好きだったんで
そんな ちょっとヤンチャな事も
してみました。
でも 何事もなくてよかったです
今 考えるとね。
本当 そうです。
うん。 フフフ…。
かれんさんから
ご覧になった弟さんは
どうでした?
子供の頃からヤンチャといえば
ヤンチャでしたし。
何しでかすか
ちょっと わからない。
すごくね 男の子っぽい…。
1人で飛行機
乗っちゃった事があったって。
それは どういう事で?
しょっちゅう
迷子になるんですけれど
あれ
なんでだったんでしょう?
やっぱり 自由に
なりたかったんですよ 多分。
飛行場でローリーを見失って
どこに行ったんだって
もう
パニック状態になったんですが
ひょっこり…。
どこ行きの飛行機?
ブラジル行きだった…。
ブラジルの飛行機に
子供の頃 乗り込んで
シートベルト 締めて
ちゃっかり なんか もう…。
出発の直前に どうにか見つけて
飛行機から…。
あの当時って
本当 緩かったんですよ
セキュリティー。
僕も覚えていないんですけど。
多分 あの時代は…
たまに 母を送りに 羽田に
行ったりしていたんですけど。
全然 今と違って
セキュリティーとかも甘かったし
荷物の検査とかもしないし。
だから 大人と一緒に紛れていくと
意外と中に入れちゃうみたいな。
フフフ。 お母様は『徹子の部屋』で
子育ての秘話を
お話しくださっている
『徹子の部屋』…。
桐島洋子さんです。
「まあ 随分 独特の子育て
なさっていらしたんだけど」
「うちなんて 何があるか…
あったら それ見た事かと
言われても仕方のない…」
「それ見た事…」
「あなたも お口が早い」
「フフフフ…」
「それ見た事かと
言われるかもしれないけど」
「お孫さんが 今
3人いらっしゃるという事でね」
「こういう写真 見るにつけ…
しかも これを写したのが
長男のローランド君だっていう。
ねえ」
「今 写真家になっていらっしゃる
っていう事ですけど」
「いい写真なの」
「全然 私は だから
あんまり ちゃんとやった覚えが
ないんだけど
自然に育ってくれたんですよ」
「ねえ。 でも あなたは
生活しなきゃなんないから
随分 子供 ベビーシッター…」
「まあ それも頼みましたね
それはね」
「お父様とか お母様…」
「それから
毎日 子供たちを連れて
公園に行って
私は木陰で ござ 広げて
それで 原稿を書いて
連中を公園で遊ばせておいて
その動きを
目の端に入れておくとかね」
「そういう
放牧スタイルだったから」
「子供たちって 母親が
働いているのを見ていると
それって それなりの説得力が
あるじゃないですか」
「絶対そうですよね。
私も そう思います」
早口だね。
早口でした。
そうでしょ。
私が初めに言っているでしょ。
私で やっと聞き取れる
っていうぐらいだからね…。
徹子さんよりも
早いかもしれませんね。
私より早い。 フフフフ…。 絶対。
でも 子供の頃
お母様に甘えるっていう事は
あったんですか?
うーん。 甘える…。
どうですか? ローリー。
僕は やはり
姉は… かれんは
すごく自立心が強くて。
ただ 僕は
ひそかに甘えていましたね。
あっ そう。
だから アメリカに行った時
特に 初めて家族4人でね
一つ屋根の下に…。
彼女は その時
仕事をしていなかったんで。
もちろん 本は
書いていたと思うんですけど。
なので その時は よく
たまに彼女の部屋に忍び込んで
一緒に寝たりとかしていましたね。
ここ モルディブ?
そう。 モルディブで
私が50歳の誕生日に母を連れて
スリランカとモルディブに
旅に行ったんですね。
よく みんな うまく浮いているね。
フフフフ…。
これは カナダで
集まった時ですね。
妹がカナダに
住んでいるので。
母も年のうちの
何カ月かはカナダ…。
そうおっしゃっていたね 前にね。
バンクーバーに…。
これは 家族で久々に海外旅行
4人だけで行こうよっていう事で
近場で香港…
香港に行ったんですけれど。
車椅子に乗っているのは
ちょっと
腰椎の手術をしたあとで…。
あっ そうだ。
手術前だったんですね これ。
これ 痛くてね
かわいそうだったもん。
痛くて もう
結局 ホテルに
ずっと いたままだったね
ほとんど。
あっ お母様が?
その後 手術したら
痛みは なくなったんですけれど。
でも ご自分たちも
親になったりすると
母親の偉大さを
今 感じたりしている。
特に あの時代はね
今と全く違うと思うんで。
だから どうやったんだろうと
思いましたね。
結構 バッシングされたり
していたんですね
シングルマザーで。
しかも 母の本を読んでくださると
わかると思うんですが
恋人ができたり
そういう事も
すごくオープンにしていたので。
でも 子供が みんな
よく育っている事はね
すてきだなと思いました。
母は とても聡明で
インテレクチュアルな女性ですし
なんでも よく知っていて
私たちから見たら
歩く百科事典のような人で。
だから 家族で…。
例えば 社会の事とか
今 世の中で起きている事を
何か…。
まず 今でもそうなんですけれど。
母だったら
なんて思うだろうっていう
彼女のコメントを聞きたい
っていう気持ちが
すごくあって。
だから 母は… なんだろう。
家 帰ってきても
ニュースしか見ないような
ちょっと
堅物ではありましたけれど。
おかげで 私たちも
そういった世界情勢とか
ニュースとか
すごい好きになって。
家族で 4人 集まると
そんな話ばっかりしています。
さて 8年前に
お母様の洋子さんは
アルツハイマー型認知症と
診断されて
初めの頃 違和感を感じたのは
海外旅行へいらして
ホテルの部屋が
わからなくなった。
そうですね。
先ほどのモルディブの時ですね
一番最初に あれ? と思ったのは。
まあ 1週間ほどの旅…
ところどころ
ホテル 変わるんですけれど。
毎回 部屋が
わからなくなってしまう
っていう事が最初に…。
でも 普通の人
割と そういう人 多いけど
お母様は 普段
あんまり そういう事なかった?
元々 すごくシャープな人なので。
そうだね。
それから 物忘れも多くなった。
そんな事から病院に?
そうですね。
検査に行きまして
アルツハイマー型の
認知症だという事を診断されて。
最初は 母に伝えるかどうか
っていうのを
ちょっと 悩んで…。
そうだね。
やはり お医者さんも
伝えない方がいいって
アドバイスされて。
ただ 母も物書きなんでね
逆に 自分の
アルツとの闘いみたいな事も
もしかしたら
書きたいんじゃないかな
っていうのもあって。
だから 姉弟で
結構 議論したんだけど。
ただ その段階だと
彼女の家に行くと
部屋に やはり そういう本が
いっぱい並んでたんですよ。
あっ すでに?
だから もう
わかっているんだなって思って。
ご自分で。
だから ある日 それでね
3人で じゃあ
ちゃんと話そうと思って
話したんだけど
話したところで
忘れちゃうんですよね。
とはいえ その2014年で
そうだとわかったあとも
仕事は続けているんです
少しずつ。
少しずつ減らしていっては
いたんですが…。
でも 書く仕事。
そうです。
連載も その時 持っていまして。
ええー。
その連載が途中でパタリと
やはり
筆が止まってしまったんですね。
その瞬間に 筆を折る形に
なったんですけれども。
混乱している時は
やっぱり つらくて
それで
退屈そうだったんですって?
そうですね。
やはり 多分 映画とかも
見ても 最後まで
把握しきれないんですよ
多分 記憶のサイクルが短いんで。
あっ そうか そうか。
2時間 覚えられないと思うんで。
1時間ぐらい経つと
多分 何見ているのか
わからなくなっちゃうみたいな。
だから そういう意味では…
ニュースとかは
まだ見れると思うんですけど。
ただ ものによっては
やっぱり 覚えていたり…。
だから そこら辺 不思議ですよね。
そうです。
だから 昔の記憶は よく覚えて…。
そう。 昔の事は全然 話せるんで
思い出話とかは
すごい喜んでしてくれるんで。
実際ね 多分
今日 母 連れてきても
普通に 体は すごく元気ですし
普通に会話も
キャッチボールできますし
穏やかに過ごしている感じです。
まあ 最近のお母様は
ストレスもなく
穏やかに生活していらっしゃる。
その様子を ちょっと VTRで
拝見させて頂いていいですか?
「はい。 じゃあ 次 お手」
あら 犬だ。
これ うちです。
私が飼っている犬。
可愛い。
うちの家庭菜園です。
すごいわね。
「見て」
あっ すごい。
ハハハ。
「悪い時を知っているんだから…」
「ねえ。 よかった」
元気にやっています。
実は 母から
徹子さんに
メッセージがあるんですよ。
なんで ぜひ…。
ぜひ。
テレビで?
はい。
じゃあ ちょっと
メッセージ 伺わせて頂きます。
「なぜか…」
フフフフ…。
「ハハハハ…」
「そうそう。 お菓子とか。
ハハハハ…」
「当然…」
「ハハハハ…」
それは正しい。 それは正しい。
おいしいもの
食べに行きたいみたいです
徹子さんと。
ぜひ。 ねえ。
それで そういう時 別に
色んなお話する事は
別にね 問題ないわけですもんね。
でも お母様は 昔よりは
丸くなってっていうと変だけども
丸くなって
普通のおばあさんみたいに
なったんですって? 少し。
そうですね。
最近 すごく穏やかで。
やはり 前は いつも
角が立っていた
感じなんですけど
やっぱり 最近
すごく優しいし
いつも笑顔で。 だから
ハッピーそうだから
よかったなと思って。
なんか ようやく
普通のおばあさんになった
っていう感じがします。
なるほどね。
まあ 女性の自立と
成熟の代名詞として
人気を集めた
桐島洋子さん。
波瀾万丈な人生を自叙伝に?
そうなんです。
先ほど お話ししました
連載の途中で
筆を折る形に
なってしまったんですが
それが… その連載 結局
母の自伝的な物語だったんですね。
ちょうど妹が生まれたところで
文章が書けなくなってしまって。
で 私は その連載を
まとめて読んだ時に
やはり
すばらしいなと思いまして。
姉弟3人で
母が書けなくなったところから
ローリーの誕生
そして アメリカに渡った話
そして
現在に至るまでのストーリーを
3人でね 書きました。
子供の頃
よその子供のお母様とは
全く違うお母様だったんですけど
その時は どう思っていらしたの?
ローリーは
あんまり気にしなかったでしょ?
自慢の母でもあったし…。
もちろん ただ ねえ
よその家 行くと お母さんが ねえ
ケーキ 出してくれたりとか。
うちの母は
友達が家に遊びに来ても
なんにもしなかったんで。
なんにもしないどころか
無視していましたね。
そう。
我が家は
セルフサービスですからねって。
なんか 「おばさん」とかって
呼ぼうものなら
おばさんではなくて
洋子さんと呼びなさい
っていうような感じの人で。
食べ物も また うちは
普通の家庭とは違って。
例えば 私たちが好きな
おふくろの味…。
私が好きなのはチーズフォンデュ。
あとは ローリーは なんだっけ?
なんだろう?
スープ。
酢豚だね。
違う。 スープ スープ。
スープ? あっ ポトフ。
ポトフとか ブイヤベースとか
あと クスクスとか
今では ねえ 日本でも…。
でも 元はね…。
でも 40年前で
それを家で作っている女性って
なかなかいなかったと
思うんですが。
旅に行っては おいしいもの…。
南仏で おいしい
ブイヤベース 食ったら
ちょっと 家で作ってみよう
っていうような感じで
そういったものが
おふくろの味なので
変わっている家庭
だったかもしれないです。
ローランドさんは なんか
料理教室に通い始めた?
ハハハハ…。
そうなんですよ。
やはり 自分も
いい年になってきたのと
母と今 実は葉山に家を
ちょうど建てているんですけど。
母と一緒に
少しでも住みたいなと思って。
その時に ちゃんと
自分の手料理で
もてなしてあげたいなと思って。
なるほど。
えっ すごい。
こんなの作れるの? ローリー。
これ 僕の自慢の…
これ
グルテンフリーのワッフルで。
私 大好き ワッフル。
これ 本当に おいしいです。
自分で言うのもなんだけど
お店よりも おいしい。
そう。 いいな。
お母さんも楽しみ。
これ 何? チーズケーキ?
チーズケーキですね。
へえー。 本職ね。
ねえ。
最近 ケーキも
作るようになっちゃって。
だから 甘いものも…
なるべくグルテンフリーだったり
ヘルシー寄りのもので
作っているんですけど。
いいですよね。 これも…。
マフィン?
マフィンです。
おいしそう。
なので 聡明な女は
男に料理をさせるのが
うまいっていう。
フフフフ…。 なるほどね。
なるほど。
聡明な女は
男に料理をさせるのが うまい。
ハハハハ…。
ローランドさんは これまで
随分 お料理…。
いや 全然していなかったんですよ
もう。
本当に 恥ずかしながら
全部 奥さん任せで
ほとんど家の事は
何もしていなかったんで
いい年齢になって ちょっと
頑張ってみようかなと思って。
だから 母と一緒に暮らして
母のために
お料理を作るっていう事で
クッキングスクールに通う…。
クッキングスクール。
やっぱり 学校へ行くと
違うでしょ?
やはり 手際が すごく良くなって。
今まで 作るのはさておき
片すのが
すごい苦手だったんですけど。
やっぱり 待っている間に
洗うみたいなのが
習慣になってくると…。
スクールだと そこら辺も
ちゃんと教えてくれるんで。
そんな事も。
包丁の持ち方から全てなんで。
今は洗う事が
全然 苦じゃなくなったんで。
あとは 次… 要は
自分のキッチンなんで 身長…。
一番の問題は日本のキッチンって
やっぱり 低いんでね
疲れちゃうんですよ。
次は
自分の身長に合わせて作るんで
そういう意味では
ちゃんと作れるかなって。
このぐらいの?
90センチぐらいにします。
でも あれですよね。
子供の時から やっぱり
お母様が そんなふうだと
お料理やなんかにも
関心があるっていうか
ちょっと 作ってみようなんて
思ったりしますよね。
そうですね。
そうですね。 元々 母は よく
お金だけ置いて どこか
行っちゃったりしていたんで
そのお金で
みんなでスーパー行って
買い出しとかね して…。
意外と子供の時から
作ってはいたんですけど。
こうやって ちゃんと学ぶと
やっぱり いいなと思います。
いいですよ。 私 お料理学校
行っている人を見ているとね
こういう事を教わるんだと
思ってね。
やっぱり
学校っていうのはいいなと
思いますよね。
オススメです。
それぞれ お母様に望む事は
あります? 何か。
とにかく穏やかに 母らしく
日々を楽しんでもらいたいなと
思って。
で 母は 美術 絵画 骨董が
すごく好きで。
だから 今は そういったものを
周りに…。 母が好きなもの。
だから …に囲まれて
暮らせるようにしています。
なるほど。
ええ。 ローリーは?
まあ 母は やっぱり
仕事が大好きな人だったんでね。
だから そういう意味では
趣味がね 一つでもあれば
もうちょっとね 退屈しないで
いいんじゃないかなと思うんで
何か新しい趣味…。
今からでも遅くないんでね
見つけてほしいなと思いますね。
あとは やっぱり
運動が すごい重要なんで
やはり 足腰を鍛える
っていうわけじゃないんですけど。
もうちょっと歩いてほしいなって
思うんですけどね。
そう。 運動が嫌いなんですよ
昔から。
嫌いそう いかにも。
そう。 そうなんです。
スポーツは苦手なタイプなので。
でも… まあ すごいわね。
この子供たちの… 孫たちの
人数をパッと見るとね。
そうですね。
うん。 で 母って
あんまり 子供に…
孫には あまり興味がなくって。
いや 普通だったらね
「孫 よこせ」みたいに
なるじゃないですか。
うちの母は やっぱり
矛盾していないなと思って。
僕たちにも興味なかったけど
孫も ちゃんと相手にしない
っていうところは…
そこは だから 逆に
よかったなと思って。
これで いきなり 孫だけ
可愛いとか言いだしたら
なんか 今までのあれ
なんだったんだろうみたいな。
矛盾していないんですよ
そこは。
だから 子供たち 怖がって…
グーマーって
呼ばれているんですけど。
誰もグーマーに
近寄らないよね。
誰も会いたいって
言わないですね。
相手にしないんで 子供の事を。
そう。 フフフフ…。
だから
もっと大人になって
話が合うように
なるまでは
もう 無視っていう感じで。
だから 子供たち みんな怖がって
グーマーのそばに
近寄らないんですよ。
なるほどね。 でも まあ 彼女は
彼女らしく生きている事が
一番いいわけなんで。
そうですね。
お母様 くれぐれも お大事に。
よろしくおっしゃってください。
それから お言付けも頂きましたと
おっしゃってくださいませ。
今日 お会いできて
本当に 色々伺えてね
よかったです。
どうも ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
桐島かれんさんと
桐島ローランドさんに
おいで頂いたんです。 どうも。
『徹子の部屋』は
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