出典:EPGの番組情報
100分de名著 折口信夫“古代研究” [終](4)「生活の古典」としての民俗学[解][字]
戦後の学問は、分野ごとに明確に線引きされ論理と実証のみによって事象を解き明かすことが主流になっていた。しかし折口信夫は、そのような細分化した学問に疑問をもつ。
番組内容
細分化した近代的学問では人間の心性を探ることはできないと真っ向から批判する折口。文献のみに頼る研究だけではなく、身近な年中行事や祭礼を掘り下げ古代人の心を肌で実感し思考することの大切さを訴えた。その背景には、私たちの心が深いところで古代人と繋がっているという「実感」こそが、私たちの心を豊かにしてくれるという信念があった。第四回は、私たちの生活にしみとおった文化の基層としての「民俗」に迫っていく。
出演者
【講師】國學院大學教授…上野誠,【司会】伊集院光,安部みちこ,【朗読】渡辺いっけい,【語り】小坂由里子ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
東京・國學院大學に
折口信夫の書斎が再現されています。
晩年 度々 箱根にある この書斎に赴き
執筆をしていたという折口。
各地を訪ね歩き 祭りや年中行事の意味を
考え続けました。
彼は 後世に
何を伝えようとしたのでしょうか。
♬~
(テーマ音楽)
♬~
「100分de名著」
司会の安部みちこです。
伊集院 光です。
今月は 「古代研究」を読み解いています。
指南役は
國學院大學教授の上野 誠さんです。
上野さん よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回はですね
この「古代研究」の終わりのところ
ここに 自身の思いをつづった
「追ひ書き」がありますので
ここを読み進めていきます。
生涯 大学の教壇に立ち続けながら
自分の学問は 多くの人には
理解されないであろうと感じていた折口。
自らを慕う弟子たちを連れて
日本各地を巡り
肌で実感する学問を追究し続けました。
そんな折口は 常に なぜ古代の日本を
学ぶのかを問い続けてきました。
そして 身近に残る年中行事を
「生活の古典」と位置づけ
明治の近代化で
過去との断絶が生じた時代にこそ
古代人の思考を学ぶべきだと考えました。
例えば 中秋の名月。
なぜ 日本人は 月見をするのでしょうか。
折口は 何気ない習慣を掘り下げると
その先に 古代人と自分たちの間に
共通の思考があることを発見しました。
月も女性も
1か月を周期に満ち欠けを繰り返します。
そこから古代人は 月を
生まれ変わりする生命の象徴と考え
信仰の対象にしました。
その思考が
私たちにも内在しているからこそ
月をめでる心は脈々と受け継がれていき
こうした祖先とのつながりを
実感することによって
私たちは より豊かになれるのだと
折口は考えたのです。
すごい文章でしたねえ。
「私の仮説は いつまでも
仮説として残るであらう」っていうね。
これは 仮説として ずっと残ることは
決してマイナスではありませんよという。
心の動きみたいなものに支配されて
理屈を組み立てていくと
間違えちゃうことも
結構あると思うんです。
だとすると…
なんだけど 自分は解明したい みたいな
やっぱり学者としての…
あの1行に 僕は入ってるような気がして。
名著というのは
その名著で 結論が出てるということも
大切かもしれないんだけれども…
…だと思うんですね。
逆に言うと 確定も出ないのに みんな
この本を捨てないわけじゃないですか。
この本が 仮説のままだから
無駄なんだってことになれば
残んないはずなんですよ。
そんな本 いっぱいあるんだから。
その 折口が重視していた
実感の学問ですが
年中行事も出てきましたよね。
「生活の古典」と表現されていましたけども
あれは どういう意味なんでしょうか。
周りが
みんな グローバル化した社会では
日本人が 日本人であるということを
自覚するためには
よっぽど意識しないと
日本人にはなれないわけ。
ところがですよ お正月 お年玉 ちょっと
用意しないと かっこつかねえなあ。
正月ぐらいは
ちょっと 着物 着ようかってなるし。
そうするとですね…
そうすると それはね 古典を読んで
あっ 「万葉集」って こういう歌があるんだ
というのと同じだというふうに考えて
これを 「生活の古典」と
折口は呼んだわけですね。
納得できますね。
いや~ すごく。
だって 無駄なことが残るって すごくて。
やっぱ 残るということは何なんだ
みたいなのを考えなきゃいけないし。
じゃあ
町内会議で やめようかっていった時に
「まあ もう1年だけでも」ってなるのは
何でなんだろうかというのは
すごく大切ですよね。
今に通じますね。
さあ こういった実感を通して 国文学
民俗学に人生を捧げた折口でしたが
その裏には
師と仰ぐ 一人の男の存在がありました。
「追ひ書き」を読み進めていきましょう。
柳田国男との出会いを こう回顧した折口。
大正2年 当時 中学で教鞭を執っていた
若き折口は
柳田が創刊した雑誌に 初めて
民俗学に関する文章を投稿しました。
それは これまで調査されてこなかった
大阪都市部の言い伝えを記録したもの。
柳田は
名もなき気鋭の若者を高く評価し
折口も それ以降
生涯の師と仰いでいたのです。
しかし その関係に緊張が生じます。
柳田の研究対象は 市井の人間。
農民など 定住者で作られた共同体に
属することが前提となります。
神とは 先祖の霊であり
すなわち 死後 他界に渡った先祖の魂が
神となって
それぞれの家に帰ってくる。
そう考えた柳田は 折口のまれびと論に
異を唱えたのです。
ある対談での一幕。
柳田が 折口に こう切り出しました。
まれびとが 常世から やって来る
という主張ならば
それを あの世から来訪する
祖霊と捉えても 問題ないのではないか。
問いかける柳田に 折口は こう返します。
祖霊かどうかは
迎える側の解釈でしかない。
まれびとは 無個性な性質を持っており
限定的に捉えるべきではないと主張。
対談は
相いれないまま 終了となったのです。
5年後 胃がんを患い
死の床にあった折口は
幻覚の中 こう つぶやいたといいます。
「柳田先生には とうとう負けたね。
完全に負けた。 悔しいね」。
自分みたいな凡人からすると
そこまで違う主張をしてるとは
思わないんですけど。
どう違うか 見てみましょうか。
実際の研究方法から
見ていきたいんですけれども。
民俗学というものが まだ
認められていないんだから
これを組織化して
全国の調査をしてゆこうよ。
しかも これ
分担してもいいだろう。
A君は ここに行きたまえ
B君は ここに行きたまえ。
それで みんなで記録を
持ち寄ればいいんだというのに対して
いや 私が行って 見て
自分が その雰囲気に浸る
っちゅうことの方が
大切じゃないのか
っていうのが
折口の考え方ですね。
僕はね すごい個人的興味で
聞きたいんですけど
先生のお考えでいいんですけど
最後に 柳田先生に負けたなって言ってた
あの文章の意味って
どう捉えます?
君の言ってるのは まあ 祖霊の一部として
考えれば 成り立つんだから
そこら辺で 僕ら 手を打たないかね。
そこがね その 師匠の大きさに…。
なるほど!
まあ 反発する心というか
何か そういうのが
生まれたんじゃないでしょうかね。
なるほど。
ああ 面白いですねえ。
いや 何か自分からすると 当然
自分たちの祖先の霊も入ってるけれども
自分たちの知らないとこから来た人も
全部 まれびとでいいし
どの段階のことを言ってるのかの
差だけなのかなって ちょっと。
ああ~。
…というふうになると
これは 0か1かになって
妥協する方が簡単なんだけど その…
なるほど。 だとすると ごめんなさい
もうちょっとだけ続けたいのは
僕は 柳田先生には
とうとう負けたねのことの意味は
自分は死んじゃうんだなという
意味かなと思って。 ああ。
詳しく 真相をお話ししますと
柳田と折口は もうワンラウンド
やることになってたんですね。
えっ!
あっ そうなんですか。
ところが 自分はもう この対談に
耐えられないと分かった時の
言葉なんですね。
うわ~。 ああ~。
だから そのリングに立てない悲しさ。
そうすると…
うわ~ 何か 美しい…
ドラマチックな話だね 何か。
更に そのあと 亡くなる直前には
最後の論文を 折口は書いてるんですが
そこにですね 柳田への反論を
記しているんですね。
すごい! すごい。
他界。
亡くなったあとに行く世界といっても
長寿を全うして死ぬ場合もあるし
戦争で 若くして死ぬ場合もあるし。
そうすると霊魂も成長し続けるものである
というようなことを述べて…
でも 説得力はありますね。
すごく 一個の
ピンポイントなものではないし…
まあ 分かるは分かりますね。
つまり 他界観を学ぶということは
現実世界を どのように認識するか
ということなんだが その…
…というところに 戦いの次元を もう一つ
上に上げようとしたんだと思いますね。
う~ん。
うん。
ある 興味深い写真が残っています。
折口自らが催したという お化け行列。
折口は 弟子を下宿させたり
時折 催し物を企画したりと
常に 教え子たちと
生活を共にしていました。
しかし 時代は
戦争へと 大きく かじを切り
折口に 暗い影を落とします。
戦況が悪化するにつれ 教え子たちが
次々と戦地に送られていったのです。
彼らを送り出す折口は
自らの胸中を歌に込めました。
戦後 深い悲しみを乗り越えようと
折口は 大きな仕事に挑みます。
それは…
当時 GHQは 国家神道は
日本を 戦争へと突き動かしたもので
解体すべきだと警戒していたのです。
しかし折口は 神道の中にも
市井の人々が守り伝えたものがある。
それは
古代人が 神と交流した軌跡であり
それが日本文化を
ひいては 日本人の精神性を形づくったと
考えていました。
その根底にあるのは
先祖たちの生活から
自分たちのルーツを再発見するという
折口の追い求めた民俗学。
この考え方は
敗戦国の国民として生きていく中で
自分の根を持ち 生きるための
大きな糧となると
人々に受け入れられたのです。
折口は 後に こう語っています。
何か お化け行列のくだりなんか
聞いてるとね
ほんとに この人を 民俗学というものが
救ったんだなって思うんですよね。
恐らく…
その 理屈で言うと…
時折 ちょっと ぐっときて
泣きそうになるんですよね。
で それが 民俗学を勉強して
しかも それに賛同してくれる
弟子がいるっていうことは
とても うれしかったのかな みたいな。
そして 太平洋戦争が勃発して 学生を
戦地に送ることになりましたけれども
こちらは
どのような意味の歌なんですか?
あのですね 「お前さん方 千人が
全員 戦に行って 死んでしまったら
学問は 絶えてしまう。
あなたたちのうち
一人でも 生きて帰ってきたら
国学は もう一回 命を吹き返すだろう」。
ところがですね
戦争に これから行く人間に
生きて帰ってこいというのは
何事かっていう
もう 猛烈な反論や嫌がらせが
起きてくるんですね。
でしょうね。
ある意味 もう 初っぱなから
学徒が出陣するなんて ばかげてるって
言ってるわけですもんね。
その後 戦後のGHQの占領下では 折口は
どんな役割を期待されてたんですか?
そうですね その 戦争の時に
神道も戦争協力したのも 事実ですし…
そういった中で もう一回 その…
そういう学問をしていた人たちが
皆 教職から追放されていくんですね。
で 折口は 残った側になり
そして 神道概説等というような
科目を持つんですが
まあ 折口に言わせれば
おじいちゃん おばあちゃんが
今日は お月見だからといって
お月さんに 手 合わしていると。
そういうものまで 良くないというのは
おかしいんじゃない?
そこまで禁止する必要ある? って
いうようなことを考えていくんですよね。
僕は 大変だろうなと思ったのは
戦中も その時の日本のやり方に
反対だった人からしてみれば
もっと すっきり
なおしてくれって
戻るつもりか あそこにって
言われちゃうでしょ。
でも もっと極端に 戦前の日本とか
戦中の日本を愛してる人たちからすると
お前 GHQの手先か?
ってなるでしょう きっと。
折口信夫という学者の
戦後評価の難しいところは
今 おっしゃったとこですね。
これ 迎合的じゃないかって言う人も
当然 いるし
一方で
残そうとしたんだと言う人もいるし。
結果 その戦後を生きさせてもらった
自分からしてみると…
そこさえ あってくれれば
どんなに アメリカ文化が入ってきても
どっか 日本人ですよというのを
自分のアイデンティティーみたいなものを
かろうじて持ったままこれたのは
これ やってくれたおかげなんじゃ
ないかなとは思うんですけどね。
はい。
上野さん ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
♬~
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